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でも変な話なんですが、
聞いてもらえない、という思い込みが整理をされれば(癒されれば)
もう相手に言わないとすまない、という気持ちも同時に整理をされます。
だから、相手に意思を伝えるのは、一段階目に過ぎないんです。
たとえば友達に、自分が、虫が嫌だと思っているのに
どうしてもわかってもらえない、いやで嫌でしかたがなのに、
何度も伝えたのに、なぜわかってくれないんだろう、なぜ
取り除かないの、わかってもらえない、このことが嫌で解消ができず
ずっと他の人に話していないと気がすまないのであれば、
聞いてもらえていない、という色んな思いがまだ癒されてはいないのです。
するといったんは相手に、虫が嫌いよ、といって暴れるみたいな
ことは,一つ意思表示をする段階としては、
大切かもしれませんが、本当は、
聞いてもらえない、それが嫌で仕方がない、許せない
本当に悲しかった、という思いが癒されれば、
虫がいるから行かないよーで済む話でもあります。
外ではないときに、行くねーみたいな。
だから相手をもう、必要(相手が聞いてくれないと自分が癒されない思いで
うつうつとなる)ではないんです。そして本当の癒しは
嫌だ、わかってもれない、と怒りをぶつけることではなくて、
どんなに、自分が大事にしている、嫌だ、という気持ちを、
本当にあってよいのに、本当に受け入れてほしいのに、
自分も受け入れたいのに、受け入れられない物と思ってしまったか、
ということでもあります。
虫が嫌なんだよ、嫌でいいんだよ、それを自分で認められなくて
相手を必要になってしまったというのがこだわりです。
相手が嫌で仕方がないときには、何らかのこだわりが出ているとき。
そのために、相手がそれをわかってくれるまで、
変えてくれるまで相手を必要とします。そういう意味で、
嫌な相手は自分を必要としている、(自分も相手がいてくれて
問題を整理したいと思っているので必要でからまる
気にしている)ということでもあるのです。
こだわりが抜ければ、本当はそれは問題ではなくて
他の事にようやく向き合えます。そっからが本当の自分、なんだなー。
本当の自己実現は、なぜこれが実現をしないんだ
これもあれもあって、ではなくて、
これとこれができる、こうしていこう、というほうに喜びがあるときに、
本当の関係性は、虫がいて、嫌なんだけれど、どうしてわかってくれないのよ、
なぜ虫がいるところに行くのよ、
とうことではなくて、(そう慰められる場所も、必要ですが
特定の人だけにこだわるのではなくて)
それらが癒されて、虫がいないところで一緒に遊ぼうよ、のほうから始まるからです。
こだわりが抜ければ違う世界が見えてくる
そのためにACRでは、セッションで、こだわりを癒すお手伝いをしています。