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あまりセッションのことは書かなくなりましたが
心の迷子のみなさんが、自分自身と出会うように、ヒントになるよう、
ご本人の許可をえて、
セッションの様子を書くことにしました。
ご相談者の方は、おきれいな方で、異性にももてないことはない、と思います。
しかしいくつかの恋愛で、結局は最後にダメになったり
一緒に住むことになってからあいてを好きではなくなったり
という年月を経てきました。
しかし40代にも入り、ご結婚にとても焦っておられて、
焦って仕方がない、という事で、時々お見えになります。
かなり、焦る癖は解けてきている面もあるものの、
新しく好きな方ができて、そうするととても不安定になられます。
先日のセッションでは、なんとなく直感的に
彼女の過去の恋愛や、今までのことが浮かんでいました。
なにか同じようなことを繰り返していて、まるで、恋愛をしたくはないか、のようです。
ACRでは、行動をとてもよく観察をします。
というのは、その人がいくら何かをしたい、と言っても、全然しなかったり
うまくいかないのであれば、それはしたくない気持ちがかくれているかも
しれないからです。
なんとなく、何かが現れてくる印象がありました。
セッションが始まり、
過去にイメージと筋反射でさかのぼると、
お母さんとお姉さんに一人前に扱われておらず、
仲間に入れていない感じがするとのことでした。
しかし詳しくお伺いをすると、そういうときには、「お母さんと
お姉さんがこそこそ悪口を言っている」ということなので、
「入りたい」と思っていたけれど、実は入りたくもない、という
複雑な心理はあったようです。
それはまるで
彼女の恋愛のようでした。中に入りたいと大騒ぎするけれど、
中に入っても、全然満たされずにいるだろうし、
しかし、すごく人との縁に恋い焦がれている彼女自身です。
ここでは少し整理をして、もう少し年齢を下がって似ているファイルを探します。
さかのぼると、
幼少期、彼女は、人の出入りが多いところで、
お母様は階下で仕事をし、階段に彼女は座って
いてたくさんの人々が出入りして気にかけてくれる、とのことでした。
全然この像はいやなものではなくて、どちらかというとよい印象といったと思います。
さて、みなさん、
本当の気持は皆さんが思うよりも、ずっと隠れているのです。
「お母さんが愛してくれなかった」「優しくなかった」
「抱きしめられたかった」というのは、往々にして、ストーリ―と呼ばれるものであることが
あります。そこに非常にこだわるのに、何をその年齢で考えても、
癒されないということが、おありなのではないでしょうか。
イメージで抱きしめられたところですっきりとはいかないこともあります。
そういった「こんな風にされて寂しかった」という
思い出もすごく大事なのですが、もっと深い心の整理には、
気持は隠れていて、とても繊細なもののほうに隠れていることがあって、そういった
事柄は、生活態度が変わっていくような、
とても深い癒しをすることがあります。
確かこの風景は全然悪くないし、と言っている
彼女に、試しにそのお母様の職業を本屋さんみたいに、
地味目の物にしてもらいますと、すると、
「本当は周りに人がいないと、落ち着く」とほっとする感覚が出てきます。
つまり、彼女は人がいて幸せだと思ったのに、
ざわざわして落ち着いていないのです。落ち着いて平安な感覚が失われています。
トラウマというのは、私は案外、逆に出るなという事もある、と感じています。
華やかなものを求める彼女が、でもどんなに華やかな人々と付き合っても
うまくいかなかったり、寂しかったり。
それは、とても華やかなお仕事をお母様が階下でされて
そしてたくさんの人が出入りがあったから、何も問題がないと感じている彼女の
印象に刻み込まれているようでした。
本当は落ち着いて恋愛をしたくても、おちついて幼少期を過ごしたくても
人がいっぱいいてざわざわしていて、そして寂しくない、
よいと思っていても、心には何かが残っていたりします。
さびしいと思っていた自分が、本当は落ち着きたいのに落ち着くことができず
にいたんだ、そこに気が付いたときに、彼女は涙を流します。
そう、本当は落ち着いた恋愛をしたいのに、方法がわからいのです。
そして幼少期に気が付かなかったように、
賑やかなところへいっては、なんとなく違うと思いながらも
必死になってかかわってしまう面もおありだったのでしょう。
この落ち着きが取り戻せると、人といる記憶が代わっていきます。
先の、「お母さんとお姉さんが悪口を言っていて」
「大人の話だから入れてくれなくて寂しいみたいで見ているけれど」
「でも本当はいらない話なのに離れられない」という姿は
まるで、恋愛で何かを求めて寂しくて大騒ぎをするけれど
でも手に入ったところでいやになったり、
手に入らずに遠ざけてしまう、不思議な行動をする彼女自身を見ているようでした。
その記憶は、もう何日かセッションから経っているので記憶が定かではないのですが、
その階段の見直しとともに変わっていた、と思います。
なにか、一緒にいて楽しいんだけれど、自分で遊んでいるけれど、
自分も仲間にいるといった
感覚に変わったように思います。つまり、仲間に入れなくて、だけれど
話題は関心がないのに、でもそこを見ていないとならないといった、
しがみついている感覚は
変わっていったようだったのかもしれません。(記憶があいまいです)
過去のファイルの書き換えは、一つがきちんとできると
ほかの時代をも感じ取り方が変わっていきます。
そしてそれらは、とても安心をする気分がするものの、
なにかは変わっていっても、
確かに、ずっとその安心感は、保てるものではありません。
引き戻されるのは、
癖があるからです。そして人は変わりながらも左右に振られながら
バランスを取ります(これについては書かないとならないですね)
だから人は自分と出会い、安心をし、そして日常に帰り
またもとに戻り、そうやりながら、いろんなことを変えていくのです。
でもそういった自己理解は、人にとって
芯がしっかりとできるために、とても大切なものにも思うのです。
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これはその方のセッションではなく、ほかの方の感想です。
関係性で不安をお持ちでおられるので、それについてのセッションです。
1回目のセッションでした。
感想をいただき、許可をいただいて載せています。
ただこの感覚が消えてしまうのではとご心配もされておられましたが、
それはそれでいいのです。
こころは色々見直しながらバランスを取りながら前に進みます。
なにかカギはわかっているのですが、
要は、本当は、「自分の本当の感情」にご自身でも触れられる方法を探したいのです。
ありがとうございました。
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本当の自分に触れ合う時間
を提供をしています。
http://www.acoreading.com