濫読屋雑記

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2006年02月17日
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今日は、この前書いた「 蒸気船時代の海軍 」の続きです。また、 横井勝彦 著『 アジアの海の大英帝国 19世紀海洋支配の構図 』(講談社、2004年)を使って、 私の好きな海軍話を深~く展開してみたいと思います

前回、「 このような蒸気機関を積んだ汽走軍艦が活躍するためには、英国内で色々と問題があったのですが… 」と書きましたが、 では、その理由は? と言いますとこれが実に簡単、 お金が無かったからなのです

王室海軍 (ロイヤル・ネービー)はナポレオン戦争終結以降、予算が削減されてトラファルガー海戦で勇名を馳せた戦列艦が軍港に繋がれたまま腐食して(木造船は、フナクイムシなる木を食べる害虫が舟艇に穴を開けてしまうのです。そこで、当時の木造船には船底に銅の板を貼って害虫対策をしていました。また当然、長期間海水に曝されれば、木自体も腐りますしね。)無残な姿を曝していました。当然、ナポレオン戦争中に1年以上も土の上を歩かず、大西洋や地中海でフランスを海上封鎖(主要な港や沿岸部をパトロールして、敵国の船を外洋に進出させないよう監視し、出てきた艦船を拿捕、若しくは撃沈すること)していた水兵たちはお払い箱。大量の水兵が解雇されたので、失業者が増加して治安が悪化するほどの騒ぎとなりました。また、大量に動員された将校たちも失業して半給(この面白い制度は、陸に上がって配置が決まっていない将校に対して、配置に付いている将校の半分の給料を支給するという制度です)の身分となってしまいました。でも、運の良い抜け目のない将校たちは戦時中に獲得した拿捕賞金(プライズ・マネー)で金持ちになった者もいました(イギリス海軍は、拿捕した敵国の艦船について、船の積荷や船自体の値段を算出して国庫と提督・艦長・将校・下士官・水兵に分配していたのです。当然、下に行くほど分け前は少なくなるのですが、その額は水兵への配分でも下層階級の人間の1年分の稼ぎにもなりました)。この時代の王室海軍をお知りになりたい方は、 パトリック・オブライアン の『 オーブリー&マチュリン 』シリーズ(『マスター・アンド・コマンダー』シリーズ)、特に拿捕賞金や昇進が絡む第2巻『 勅任艦長への航海(上) (下) 』を読んでみて下さい。あと、何度も紹介している『 トラファルガル海戦物語(上) (下) 』もオススメです。

というわけで、 そんな状況の中ではお金が掛かる蒸気船を作れるわけがありません 。でも、 本当に必要なものであれば軍事上、例え採算が取れなくとも何とか建造するものなのですが、当時の王室海軍はその必要性を認めなかったのです 。その理由は今も昔も同じもの、「 保守的体質 」なるものです(もっとも、)。

もともと、 木造帆船では火気は厳禁でした 軍艦が浮かぶ火薬庫だからです (そもそも、当時の軍艦は火薬をしこたま船倉に積み込み、帆を張るロープには腐食防止のため油を塗りこみ、燃え易い帆布を広げていたのですから…。火がついたらアッという間に燃え広がってしまいます)。そんな 木造船の中で石炭を積んで (当時、石炭船は原因不明の爆発をよく起こしました。その原因は粉塵爆発なのですが…) 罐(カマ)で火を燃やしながら進む!頭の固い海軍の提督閣下がそんな船に不信感を抱くのは当然です 。おまけに、 蒸気船は不恰好な煙突から黙々と黒煙をあげて真っ白な帆とピカピカに磨き上げた甲板を汚してしまうので、嫌だ! という今聞くと屁理屈としか言いようもない理由も唱えらていました。その意見が、下級将校や下士官・水兵たちからあがったというのが面白いとこなのですが。(さすがお洒落にウルサイ海軍さん、と言ったところですが、実は掃除や帆やロープの管理が面倒になり、仕事が増えるのが嫌だ!という単純な理由からだったそうです)。

また実際問題として、 初期の蒸気機関は出力も弱く信頼性にかけていて、オマケに石炭を大量に消費する事 初期の蒸気船が外輪船だったため搭載する大砲の数が少なくなり、また、水深機関である外輪に砲弾を喰らえば致命傷になるという問題がありました 。では、外輪をスクリューに換えれば?という疑問に関してこれも「 保守派 」が「 船底に穴を開けるなんて~ 」と言って反対していたのです。実際、木造船では水漏れを防ぐことが難しかったのでスクリュー艦は鉄船の登場を待たなくてはなりませんでした。でもその鉄船も、「 鉄が水に浮くか~! 」という迷信まがいの思い込みや(概して船乗りは迷信深いものですが…)、 鉄板に砲弾が命中するとその破片が木片より将兵を酷く傷つけないかという意見 や、 木造船より洋上での修理が困難である、との現実的な意見 もあって、 鉄製汽走軍艦の登場までの道のりは険しいものがありました

でも、世の中上手い事いくもので、 お金があって鉄製汽走船への抵抗が少ない海軍がイギリスの中にあったのです 。それが、 ベンガル海軍 (インド海軍)です。当時、インドは「 インド大反乱 」(「セポイの乱」と呼ばれていましたが、表現が的確でないので最近ではこちらの言葉を使います)の前で中国へのアヘンの密貿易と本国への茶の輸出という三角貿易(この表現にも、問題があるのですが)で 財政に余裕があった東インド会社のベンガル政庁 (カルカッタ) が本国よりも早く、蒸気船を購入・配備したのです 。実は、 先に紹介したアヘン戦争でも、汽走軍艦の大半は東インド会社所属だったのです 。では、 何故に東インド会社はお財布に余裕があるとはいえ、高価な汽走軍艦を大量に購入できたかと言いますと、東インド会社の財政が本国政府と分割されていた事、また、各種特例により汽走軍艦の購入が機密事項として取り扱われたため、本国政府と海軍省の干渉を免れた点が大きい 、と『 アジアの海の大英帝国 19世紀海洋支配の構図 』では指摘されいます。

ところが、 嫌だ嫌だ駄々を捏ねていた海軍省の提督連中や、財布の紐をきっちりと締めていた政府の態度を一変させる出来事が発生したのです 。それが、 クリミア戦争 です。「 凍らない海 の獲得を目指して南下政策を取っていたロシアがオスマン・トルコと衝突し、地中海に影響力を及ぶ事を恐れたイギリス・フランス両国が共同で出兵したこの戦争 、主戦場は黒海沿岸のクリミア半島にあるセバストポーリ要塞でしたが、バルト海沿岸部や極東でも戦火を交えています。余談ですが、このクリミア戦争による敵国艦船捜索の目的で長崎に来航した、王室海軍のスターリング提督が日英協約を締結し、この戦争によって函館に来航する艦船が増加して今日の函館の繁栄に繋がったのです。

この クリミア戦争 では、黒海沿岸部での作戦が中心であったので 沿岸部や内陸水路(河川)での作戦行動に適した小型の汽走砲艦が大量生産された結果 、戦後、 王室海軍の汽走艦数は450隻を超えて、世界最大の規模となったのですが… 数が増えれば良い、というわけにはいかないのが軍事の世界 (どこでも、同じですがね)。 汽走軍艦が活躍するにはまだまだ、ハードルがあったのです

という次第で、 次回はこのハードル、汽走軍艦運用の障害についてペリー来航と絡めてお話を進めたいと思います

アジアの海の大英帝国 トラファルガル海戦物語(上) トラファルガル海戦物語(下) 勅任艦長への航海(上) 勅任艦長への航海(下)





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最終更新日  2006年02月18日 05時22分59秒コメント(0) | コメントを書く


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