>正規軍は専門職、騎兵・砲兵・工兵などが主体で軍隊の規模が小さかったのです。

日本が開国を拒否したら、軍艦だけで、強要仕切れると、考えていたのかな、と思います。

また、欧米から兵士を連れてくるのは、大変で有った筈で、中国が、早々に、列国に、分割されてしまったのが、不思議です。

内部の不安定に、乗じられたんでしょうが、それにしても・・・ (2006年06月21日 18時26分18秒)

濫読屋雑記

濫読屋雑記

2006年06月20日
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テーマ: お勧めの本(8118)
カテゴリ: 手に取った本
はい、今日は課題図書で戦争話をやってみたいと思います。取り上げる本は、以前「 図書室の選書のお話 その3です。 」で紹介した ゲイリー・ポールセン 著、 林田康一 訳『 少年は戦場へ旅立った 』(あすなろ書房、2005年)です。

少年は戦場へ旅立った

このお話は、 掻い摘んで内容を紹介しますと 時はアメリカの南北戦争勃発の1861年 北部・合衆国側 (リンカーン大統領)のミネソタ州ウィノアに住む15歳の少年、 チャーリー・ゴダード 南部連合のサムター要塞攻撃の報に接し、戦争開始という周囲の大興奮の熱狂が伝染or取り付かれ、年齢を偽り15歳で軍へ志願をします 。そして各地を転戦し、激戦(ゲスティバーグの戦いなど)にも参加、その結果、 戦争で負った心の傷 (戦闘神経症、つまり心的外傷後ストレス症候群・PTSD) が原因で戦後、1868年に23歳の若さで亡くなってしまったという 実話を 現在のアメリカで最も優れた児童文学作家の1人である ゲイリー・ポールセン 氏が描いた作品です。ちなみに、 ポールセン 氏の出身地もミネソタ州で、氏も家庭の事情から15歳で自立をし、様々な職業を経て27歳の時に作家としてデビューをしたそうです。

さて、 ここで南北戦争前のアメリカの軍事力について簡単に解説してみます 。今や、世界に敵無しという凄まじき軍事力を保持するアメリカ合衆国ですが、この時代、 19世紀の中ごろの合衆国正規軍の内容はさびしいものでした 。なぜなら、この時代まで アメリカは1823年に時の大統領、モンローが出したナポレオン戦争後の世界秩序 (注:ヨーロッパ体制の再構築) のためのウィーン体制とそれを支持する欧州諸国のラテン=アメリカへの干渉を封じるための モンロー宣言 」により、 欧州諸国との相互不干渉の外交政策が孤立主義へと変化していき、外征軍や防衛軍の必要が極めて薄くなっていた時期でした アラモ砦の戦闘 で有名な アメリカ・メキシコ戦争 1846~48年 まであったのですが、これもほとんど 義勇兵 (ディビー・クロッケットもその1人です)や独立したテキサスの軍隊がほとんどドンパチをしたので、合衆国陸軍は大した働きをしていなかったのです。最も、 海軍はこの機会を目ざとく逃さず、メキシコ湾沿岸での作戦のために蒸気軍艦を購入し近代化を進めたのですがね 。その先頭に立って海軍の汽走化を推進していたのが、あの 黒船来航 ペリー海軍准将 だったのです。

もともと、 アメリカでは市民一人一人が国家(州)を守る兵士である、という認識が高くて (だから銃器の保持が国民の権利でもあり義務となっているのです) 独立戦争以来、一朝有事の際には健全な成人男子は自宅からケンタッキーライフルを片手に飛び出して即、戦争へ、というような認識で軍隊を動員しようとしていたのです (このような兵士のことを、即座に応酬出来る民兵という意味でmiunteman:ミニットマンと呼びます。ついでにこの名称はICBN:大陸間弾道ミサイルの名称ともなっています。桑原クワバラ)ですので、 正規軍は専門職、騎兵・砲兵・工兵などが主体で軍隊の規模が小さかったのです 。また、国内のフロンティア(辺境)が広大で国境線が長いという地理的要因からも、 動きが鈍く拠点防衛に向く歩兵より、小規模でも機動力がある騎兵が重宝されたという側面もあります 。ですから西部劇の主役は 騎兵隊 なわけですよ。

そんな理由で、 南部諸州が連合を組んで 北部合衆国 へ喧嘩を売った時、 北部にはまともな軍隊がありませんでした 。なぜか、それはもうお分かりですよね。 歴戦の勇士は南部側のテキサス州やフロンティアに面した南部諸州に固まっていましたし、職業軍人もヨーロッパ式の大農場経営者で上流階級を自負していた南部富裕層が正規軍の大半の将校を務めていたのですから・・・ (ほとんどの将校、例えば南軍の名将、リー将軍も開戦と同時に南部へ行っちゃいました)。

という次第で、サムター要塞攻撃のすぐ後、 リンカーンが慌てて議会に正規軍の大動員の許可を取り付けても、まともな軍隊が動員できる訳がありません (おまけに、軍を召集・編成するにも議会の承認が必要な北部は、議員のご機嫌伺いのため軍歴も何も無い各州の有力者やその子弟を臨時任官で将校に任命、指揮を執らせたのですから・・・。惨状は推して知るべし)。ですので、 戦上手な将校に指揮された南軍が初戦どころか開戦後2年間、北軍を翻弄し続けたのです 。でもそんな優勢な南軍に対してなんで北軍が2年間粘れたかといいますと、 それは海軍力のおかげなのです 幸い、海軍のほとんどが北軍に味方し、リンカーンは工業生産力のほとんど無い南部を海軍力で海上封鎖をして国外からの武器弾薬その他の物資の補給を止めたのです 。そのため、南軍は武器弾薬、ひいては兵士に支給する靴までも不足し、交戦能力が失われていったのです。

話を戻しまして、そのような、 泥縄式の軍隊の編成状況がこの 少年は戦場へ旅立った 』にも描かれています。で、 その内容を滔々と書いていきたかったのですが、字数の制限に引っかかってしまったので、明日に回します では、次回をお楽しみに!

南北戦争の北軍 南北戦争の南軍

世界各地の軍装をを知りたいならコレ!新紀元社より発刊された『 オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ 』の邦訳版より『 南北戦争の北軍 』と『 南北戦争の南軍 』の2冊を紹介します。この表紙を見てお気付きでしょうが、 北軍のカラーはブルー 南軍のカラーはグレー です。最も、南軍は説明したように物資の補給が思うように運ばず、結局はそれぞれ自宅から着てきた服装のまま、とくに物資が底をついた後半では戦争をしていたそうです。





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最終更新日  2006年06月21日 00時15分05秒
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思うに  
KKC さん
風と共に去りぬのバトラー船長は
封鎖破りで稼いでいましたね
たしか結婚式用のドレスの生地を調達して
それで町の連中を手なずけていました (2006年06月21日 15時38分37秒)

黒船来航  
sour grapes  さん

Re:黒船来航(06/20)  
余菱  さん
sour grapesさん
>>正規軍は専門職、騎兵・砲兵・工兵などが主体で軍隊の規模が小さかったのです。

>日本が開国を拒否したら、軍艦だけで、強要仕切れると、考えていたのかな、と思います。

>また、欧米から兵士を連れてくるのは、大変で有った筈で、中国が、早々に、列国に、分割されてしまったのが、不思議です。

>内部の不安定に、乗じられたんでしょうが、それにしても・・・
-----
横槍です。封建時代を経験していない清国が、その国土の大きさに似合わずあっけなく植民地化されたのは歴史の必然と考えるのが妥当でしょう。
それほどに、欧米列強の侵略意欲は高く、それに対応でいた明治政府と、幕末の米国内戦(南北戦争)の存在を天佑と捉えるのが歴史観的には正しいと思います。
当時の清国では欧米列強に対抗は不能でしょう。 (2006年06月21日 23時48分58秒)

Re[1]:黒船来航(06/20)  
KKC さん
中国が植民地化されたことはありません
領土を持っていかれたことはあります (2006年06月22日 01時49分43秒)

Re:思うに(06/20)  
花開富貴  さん
KKCさん
>風と共に去りぬのバトラー船長は
>封鎖破りで稼いでいましたね
>たしか結婚式用のドレスの生地を調達して
>それで町の連中を手なずけていました
-----
今も昔も、アメリカの南部、とくにフロリダ州では密輸が盛んです(苦笑)

南北戦争の時は、それこそありとあらゆる物を密輸や封鎖破りで手に入れていましたが、時代が下って禁酒法時代には当然お酒、今は麻薬やタバコ(大昔からの、密輸商品の代表的な商品です)、そして人間!が海を渡ってアメリカへと押しかけています。
(2006年06月22日 03時15分31秒)

Re:黒船来航(06/20)  
花開富貴  さん
sour grapesさん

>日本が開国を拒否したら、軍艦だけで、強要仕切れると、考えていたのかな、と思います。

いや、それは考えていなかったです。いくらなんでも、海軍力だけでは無理です。元々、ペリーは軍事力の行使を禁じられて日本にやって来ていますしね。詳しくは加藤祐三先生の『幕末外交と開国』を参照してください。

>また、欧米から兵士を連れてくるのは、大変で有った筈で、中国が、早々に、列国に、分割されてしまったのが、不思議です。

いやいや、アヘン戦争やアロー号戦争の時には、英国はインド植民地軍を動員していました。インドからなら、中国は近いですからね。最も、同時期にインド大反乱が発生して、中国へ回せる陸軍兵力が削減されて、遠征軍の司令部が真っ青になったという史実があります。

>内部の不安定に、乗じられたんでしょうが、それにしても・・・
-----
あの当時の中国は、余菱さんの仰るように封建社会の末期的症状を呈していましたからね。最も、KKCさんの指摘されるように、純粋な意味での植民地化されたのは、香港や澳門、威海衛や旅順・奉天といった沿岸部の貿易港とその都市周辺や上海や天津といった大都市の租界といった本当に一部の地域だけなのですがね。 (2006年06月22日 03時26分54秒)

Re[1]:黒船来航(06/20)  
花開富貴  さん
余菱さん

>横槍です。封建時代を経験していない清国が、その国土の大きさに似合わずあっけなく植民地化されたのは歴史の必然と考えるのが妥当でしょう。
>それほどに、欧米列強の侵略意欲は高く、それに対応でいた明治政府と、幕末の米国内戦(南北戦争)の存在を天佑と捉えるのが歴史観的には正しいと思います。
>当時の清国では欧米列強に対抗は不能でしょう。
-----
米国の南北戦争も天佑ですが、同時期に中国でアロー号戦争や太平天国の乱が発生して、英・仏の海外派遣できる軍事力が大陸に縫い付けられていた事。中国と比較して、日本は人口が少なく貿易相手として戦争をしてまで開国・市場化を進めるメリットが小さかったことも指摘しておくべきでしょう。

また、幕末の日本は中国とは異なり、東北地方の田舎までアヘン戦争の情報が伝わり(識字できる富裕層だけですが)、ちょっとした城下町にも蘭法医がいるなど、西洋の知識・技術が浸透していて、対外的危機意識や欧米への良い意味でも悪い意味でも理解力が庶民層まで広まっていたという下地も無視できないでしょう。

中華思想に凝り固まっていた清朝と比較して、日本は開明的かつ柔軟な思考で、帝国主義の一番危ない、凶暴な時期を乗り切ったといえます。 (2006年06月22日 03時37分40秒)

Re[2]:黒船来航(06/20)  
花開富貴  さん
KKCさん
>中国が植民地化されたことはありません
>領土を持っていかれたことはあります
-----
その通りです。中国が正式に領土を割譲したというのは、先にあげた香港ぐらいなもので、後はほとんど租借という形を取っています。香港も香港島は割譲ですが、対岸の九龍地区は租借地でしたからね。

中国の状況は、「半植民地化」という言葉が示すように、経済力、つまり自国の市場は此処まで、というマーケットの分割(当然、各種資源の分割も含まれますが)という側面が強かったと思います。

当時の勢力図を見ればそれは一目瞭然でしょう、英国は中国沿岸部と長江流域(海軍力です!)、フランスは仏領インドシナに面した雲南省などの南部一帯。ロシアは満州・関東州(後に日本)、新彊ウイグルなど・・・。こうしてみると、英国以外は自国の植民地や国境の弾衝地帯的な側面もあるような気もしますがね。 (2006年06月22日 03時48分14秒)

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