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昨日の日記を整理するならば、「テレビはその機械としての本質上、幼児にとって、かなりの害がある」「しかし現在の状況の中で、全廃するのは難しい」 それゆえ次の福島章氏(著名な精神科医)の主張は参考になる。「その視聴時間は1日1時間以内に制限するのがよいだろう。子どもが見る番組は、親が選択することが望ましい。これは、子どもの人格形成に親が責任を持つ、ということにほかならない。」 「子どもの脳があぶない」福島章 PHP新書 一時間というのが根拠のある数字なのか疑問も残るが、そこまで厳密に考えなくてもいいように思う。 掲示板のほうにシェリ6921さんが報告してくださったように、私もテレビにも一利はあると考えている。それはかつて「おばあさんの昔話」が持っていた機能である。幼児の世界は狭い。当然その中から生に必要な事を学んでいくわけだが、この目に見える世界の外部には大きな世界が広がっていて、そこには経験しにくい出来事が起こっている。幼児はそれを大人達の話などから得ていたはずである。 もちろん今だって、親が話をしたり、絵本を読んでやったりするのが一番いいのだろうが、核家族化した現在、ほとんど一日中子供世話をしていられる「おばあちゃん」は得難い。我が家にもいない。というわけで、テレビのアシストというのはさけられないと思うのである。 また私の息子(長男)はこんな経験をしたことがある。3才前後だったと思うが、「ダンボ」を見せた時、母と引き離されるシーンでわんわん泣き出したのだ。これは私にとってちょっと感動的な光景だった。こんなに小さい頃から、人間は感情移入で泣くことが出来るのか・・・・。(もちろんこの事態を十分検証したわけではなく、もしかするとテレビをみて泣くというのはいけないことなのかもしれない) 害をなるべく減らし(視聴時間の短縮)、利点を十分に生かすためには、コンテンツ選択というのがきわめて重要であろう。 で、最初の問題に戻るわけである。そのコンテンツのなかに「ウルトラマン」は含まれるのか。
Apr 19, 2003
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よく考えたら「ナビィの恋」は学生がレポートするから見直したのであり、発表前から私がつべこべ言っていたらやりにくくてしょうがないと思う。よってしばらくこの話題はお休みするのだが、昨日『沖縄映画論』(四方田犬彦、大嶺沙和 編 作品社2008年3月)が届いたので、そのメモ。 まず本自体は最後の作品リストだけでも貴重であり、沖縄の映画を勉強するなら必携である。定価は3200円であるが、ネットの古本で1000円強で買える。 中江作品を批判しているのは大嶺沙和「裏返すこと、表返えすこと 一九九九年以降の沖縄の表象」である。全体として非常に雑な論考である。まず「ナビィの恋」のあらすじが間違っている。「ナビィは家族や親戚の心配をよそにサンラーと密会をくり返し」とあるが、ユタの占いの後密会など一度もなく、「牛祭り」のときに窓越しに見つめ合うだけである。その次に会うのは最後の出発のシーンである。批評それもネガティブに批判する対象のストーリーを誤っている論文など他に見た記憶はない。また琉球史の典拠として高校生むけの副教材を上げるなど、極めてずさんである。批判に至っては、ほとんど妄想であり、議論の余地はないのだが、こういう書き方をすると、具体的な指摘もせずに誹謗しているとか言われるかもしれないので、ひとつ具体例をあげて検討してみる。 「ホテル・ハイビスカス」のラストに、アメリカ帰りの母親を「おかえりんご」と大きなリンゴの絵がかいてある旗で歓迎する。これを大嶺氏は日の丸であるとする。じつはこれはそう見えないこともない。そしてアメリカから帰るものを日の丸(大嶺氏は「国旗」という言葉が嫌いなようである)で迎えるので沖縄復帰の再現だというのだ。実はこれも多様な読み方の一つとして、そういう見方もありうるなあ、ぐらいの感じはする。 問題はその論証過程であらわれる奇妙な観念である。まず、国旗に見えないこともないリンゴはいつの間にか大嶺氏の中で確定事項となる。そして「辺野古で日の丸をかかげるということは、一体どういうことなのか」と展開する。「日本国家に従属し、日本のために、永久に辺野古に基地を引き受け、常にうちにあって外にあるものとして捨て駒にされる沖縄の役割を引き受けることと同義ではないか」。はあ?・・・・・・ そもそもリンゴは日の丸に見えない事もないのであるが、国旗を尊重する立場からいえば、リンゴの絵で国旗を揶揄したという逆の解釈もありうる非常に危険なかけということになる。大嶺氏が妄想するように、中江氏が完全に日本国家に抱き込まれているとすれば、国旗をリンゴにおきかえるなどという不敬な表現はありえないのである。逆にリンゴが国旗のメタファーであるとするなら、中江監督は国家と十分距離をとっていることの証明となる。 もともと大嶺氏は研究プロパーではなく、この後論文めいたものを書いた形跡はないので、これ以上追及する必要はないといえるが、この領域で第一人者とされている四方田氏がこの程度の論を採用したのは解せない感じがする。『沖縄映画論』所収の他の論考は非常に高度なものなので残念である。
May 8, 2014
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一般論としていいか悪いか、ではなくうちの息子に見せるべきか、が課題であるから、悠長な研究をしている場合ではないのだが、やっぱり研究者の端くれとして、今日はネット上で先行研究の勉強をした。 まず重要なポイントとしては「番組が何であれ、幼児にはテレビを見せるべきではない」ということである。これは教育学の素人としての私の直観としてもそうであったが、ネット上この問題について発言している人の、全員一致した意見である。脳生理学、教育学、心理学その他あらゆる分野の専門家の意見がこれほど一致する例は珍しい。 一番コンパクトにまとまったページ。http://www.ne.jp/asahi/contact/hoikuen/video3.html これを見て特に愕然としたのが、「2歳まではテレビを見せない」という部分である。心当たりがある。 実はうちの長男は、2才くらいまでは、それほどテレビを見ていないはずである。問題は今2才の次男の方である。兄ちゃんが見るもんだから、0歳児の頃からかなり見ちゃっているはずだ。で、二人の大きな違いは、集中力と持続力である。 長男の方は絵本が大好きである。かなり長尺の絵本も最後まで聞くし、場合によっては「もう一回」という。2才の頃そんな感じだった。これに対して、弟の方はなんとか最後までもつのは「おひさまあはは」ぐらいである。これはやばい感じである。 じつはこの危険性については、早くから妻が指摘していた。「まあ、個性ってものがあるから、心配いらないだろう」ってとんでもないかもしれない。 こんな恐ろしい報告もある。http://www2s.biglobe.ne.jp/~katei-H/video.htm まあ、これは一つの例であり、臨床例が少なすぎる感じもあるが、「しまじろうなら大丈夫だろう」などと安心してはならない。 中村修也氏は「セーラームーンと幼児教育」の中で、女の子が「セーラームーン」にはまる危険性を訴えている。男児に比べて選択肢の少ない女児は、一層深刻らしい。http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/kyouken/nakamura/nakamura.html これは学術論文であるが、教育学の論文ってこんな程度でいいのか、と思うほど一般的な内容である。またうちは男二人なので緊急の課題ではないのだが、引用文献は参考になるものが多かった。 とにかくテレビはいかんのである。しかし中村氏の主張するように「今のテレビの存在する状況を否定してもはじまらない。すでに存在する状況の中で、我々は幼児教育を考えねばならない」 もっともである。今や4歳児の男の中で「アバレンジャー」と「仮面ライダー5S」「ウルトラマンシリーズ」は三種の神器であり、これに「ピカチュー」や「あんパンマン」が加わる。どれも知らなければ仲間はずれになってしまう。が、一番ほのぼのとした「アンパンマン」ですら、アンパンチでバイキンマンをやっつけるのである。 というわけで今日は表題のウルトラマンにまで至らなかったが、少なくとも自分が懐かしいのと、息子が喜ぶという安易な理由で「ウルトラマン」のビデオを借りてくるのは凍結した方が、良さそうである。
Apr 18, 2003
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