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大野隆之

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 よく考えたら「ナビィの恋」は学生がレポートするから見直したのであり、発表前から私がつべこべ言っていたらやりにくくてしょうがないと思う。よってしばらくこの話題はお休みするのだが、昨日『沖縄映画論』(四方田犬彦、大嶺沙和 編 作品社2008年3月)が届いたので、そのメモ。

 まず本自体は最後の作品リストだけでも貴重であり、沖縄の映画を勉強するなら必携である。定価は3200円であるが、ネットの古本で1000円強で買える。

 中江作品を批判しているのは大嶺沙和「裏返すこと、表返えすこと 一九九九年以降の沖縄の表象」である。全体として非常に雑な論考である。まず「ナビィの恋」のあらすじが間違っている。「ナビィは家族や親戚の心配をよそにサンラーと密会をくり返し」とあるが、ユタの占いの後密会など一度もなく、「牛祭り」のときに窓越しに見つめ合うだけである。その次に会うのは最後の出発のシーンである。批評それもネガティブに批判する対象のストーリーを誤っている論文など他に見た記憶はない。また琉球史の典拠として高校生むけの副教材を上げるなど、極めてずさんである。批判に至っては、ほとんど妄想であり、議論の余地はないのだが、こういう書き方をすると、具体的な指摘もせずに誹謗しているとか言われるかもしれないので、ひとつ具体例をあげて検討してみる。

 「ホテル・ハイビスカス」のラストに、アメリカ帰りの母親を「おかえりんご」と大きなリンゴの絵がかいてある旗で歓迎する。これを大嶺氏は日の丸であるとする。じつはこれはそう見えないこともない。そしてアメリカから帰るものを日の丸(大嶺氏は「国旗」という言葉が嫌いなようである)で迎えるので沖縄復帰の再現だというのだ。実はこれも多様な読み方の一つとして、そういう見方もありうるなあ、ぐらいの感じはする。

 問題はその論証過程であらわれる奇妙な観念である。まず、国旗に見えないこともないリンゴはいつの間にか大嶺氏の中で確定事項となる。そして「辺野古で日の丸をかかげるということは、一体どういうことなのか」と展開する。「日本国家に従属し、日本のために、永久に辺野古に基地を引き受け、常にうちにあって外にあるものとして捨て駒にされる沖縄の役割を引き受けることと同義ではないか」。はあ?・・・・・・

 そもそもリンゴは日の丸に見えない事もないのであるが、国旗を尊重する立場からいえば、リンゴの絵で国旗を揶揄したという逆の解釈もありうる非常に危険なかけということになる。大嶺氏が妄想するように、中江氏が完全に日本国家に抱き込まれているとすれば、国旗をリンゴにおきかえるなどという不敬な表現はありえないのである。逆にリンゴが国旗のメタファーであるとするなら、中江監督は国家と十分距離をとっていることの証明となる。

 もともと大嶺氏は研究プロパーではなく、この後論文めいたものを書いた形跡はないので、これ以上追及する必要はないといえるが、この領域で第一人者とされている四方田氏がこの程度の論を採用したのは解せない感じがする。『沖縄映画論』所収の他の論考は非常に高度なものなので残念である。









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Last updated  May 8, 2014 11:45:33 PM
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