所沢支部 税理士仲間のブログ

所沢支部 税理士仲間のブログ

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

Profile

所税仲間

所税仲間

Favorite Blog

五色砂利をまき 団… New! 龍の森さん

令和7年の源泉徴収票… 山田真哉さん

地域経済活性化を目… 清水武信さん
関根舜助のコラム★ … 関根舜助1940さん
税理士の仕事 ・・… 長野市の税理士さん
ダックスの気まぐれ… ダックス税理士さん
転職後30過ぎた日… mao1973さん
出前税理士の日常 youmeikさん
静岡市の税理士 酒… ふみ32828さん
名古屋の税理士壺内… 税理士ツボちゃんさん

Comments

ふな広報部員@ Re:『今時の勉強方法』(11/12) チャッピー先生ですね! チャッピーに先生…
ふな広報部員@ Re:年を重ねて(11/11) はい、おおいに健康留意しています! 留意…
安西節雄@ Re:「第六世代 税理士認証カード」登録に大苦戦!(11/05) ありがとうございます! 同じように進めて…
ふな広報部員@ Re:『今年の所沢市民フェスティバル』(11/05) 会議出席から、 買い出しから、 前日準備…
ふな広報部員@ Re:「第六世代 税理士認証カード」登録に大苦戦!(11/05) 詳細レポートをありがとうございます! ふ…

Calendar

2005.12.11
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


「1月20日に私は母を亡くした。」
と再認識させられた感があります。

ブログの場に喪中の話を書くのもいかなるものかと思いましたが、どんな人にも親はいるわけで、私の母の思い出話を聞いて下さい。

私の知っている母は、とにかく働いていました。

子供が多かったので、外での仕事はやめ、内職をしていたのですが、それは、着せ替え人形の洋服を作ったり、ラジオの部品だったり、ステンドグラスだったりしました。

母は、自分一人で始めるのですが、その内に、例えば、自分は人形の洋服の型を裁断して、それをミシンの上手な人を何人か誘い、配ってやらせるようにして、生産量を増やしてゆくのです。

電気製品の組み立ての時は、人を雇っていました。

ステンドグラスの時は、ガラスを焼く釜を購入し、自分はデザインだけして、人に色を付けさせていました。

私は母の寝顔を大学生になって初めて見ました。

受験勉強の間も見ていなかった・・・ということです。

私より毎日後に寝ていた訳ではありませんが、私より先に寝ても、寝室を開けると、必ず目を覚ますのです。

何時に寝ても、私が母の顔を見ると目を覚ましているのです。

両親は、結婚3日目に住んでいた社宅を焼いてしまい、その日から借金生活だったそうです。

私には兄が2人います。否、いました。

2人とも赤ちゃんの時に亡くしています。

私が生まれたとき、両親は「女」だから、成長してくれるのでは・・・と思ったそうです。

借金を完済しても、そのまま2人で働き、自宅を購入し、私が小学6年生の時には、最初の小さなアパートを建てたのです。

私の後に女2人男1人を産んだ母。

兄達が生きていれば6人兄弟姉妹。

母の自慢は、私は産み分けた!!でした。

私が小学生の時、母は「この子は、八百屋さん等の帳面をつけるようになる。」といい、ソロバンを習わされました。

下の妹には、「この子は、芸事」と言い日舞を習わせました。

妹は、大きくなって、舞台や映画、テレビに出るようになったのです。(今は、引退して主婦ですが)

上の妹には、「この子は、特に何も。専業主婦。」

彼女はテレビ朝日で2年ほど事務をした後、学生時代の友人と結婚し、確かに専業主婦歴が長いです。

何故か弟の事は言いませんでした。

生まれたばかりの赤ちゃんだったからかも分かりません。

自分の事業の後を継がせる気だったのかも分かりません。

弟は、大学を出てから、5年ほど麻酔の機械の輸入をする会社に勤め、機械のメンテをしておりましたが、今では、母の後を継いでおります。

私は、明治大学商学部を卒業しました。

入学前は、一応、税理士になりたかったと思うのですが、入学後に気が変わったのか、卒業後は、人事関係のコンサルタント会社の秘書をしておりました。

結婚退社して、雇用保険をもらいながら、職業訓練校に行き、そこで簿記3級から勉強をやり直し、現在に至るのです。

遠回りしましたが、結局税理士となり、母の先見の目に、私自身が一番驚いております。

私は、父を17歳で亡くしました。

そのとき母は、44歳でした。

子供達がいたから、仕事があったから、頑張ったと言っていました。

晩年は、自分の会社の事務所に少々具合が悪くても出勤しておりました。

あれが、生きがいだったと思います。

何故か、仕事とは関係ない人も寄って行く・・・
そんな事務所でした。

郵便配達の人がお茶を飲んでいたり、おる期間、不登校になった子供を毎日
来させたりしていました。

1期間に1人でしたが、何人かそういう子が来ていました。

しばらくすると、学校に戻っていくのをみて、母にどんなチカラがあったのか・・・不思議です。

警察が表彰したいと来た時、母は、「表彰状では、お尻もふけない」と言って断ったそうです。

何とも不思議な母でした。

子供心にそう思っていました。

今、私は中学生の親ですが、母が生きていてくれたら・・・
と思うことが多々あります。

皆さんの中で、両親がお元気の方!!

うらやましい!!!

亡くして分かる親の恩・・・を痛感した1年でした。



角田 千鶴子





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005.12.11 07:45:01
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: