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2009.01.26
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最近 週末東京ウォーキングにはまっています。

12日の成人の日に飯田橋から本郷まで歩いてきました。

振袖姿のお嬢さんたち。真正面から見るのは恥ずかしいのですれ違いぎわに、ついつい振り向いてしまいます。

本郷に着くと振袖を着たお嬢さんが家族と一緒に学校の門の中に消えて行きました。

そう ここは東京大学の正門なのです。

突然妻が東京大学の門をくぐって入って行くではありませんか。

私は「まずいんじゃないの」と声を掛けようと思いましたが、妻に声が届かず守衛さんの鋭い目線を感じながらあわてて後ろについて行きました。

落葉して寒々とした銀杏並木が等間隔に並び、その向こうになんとあの安田講堂がそびえ建っていたのです。

昭和44年1月18日安田講堂攻防戦が北海道の小さな鉄道官舎の4畳半に置かれた14インチの白黒テレビから流れておりました。



あれから40年。

生まれて始めて入る東京大学は火炎瓶と催涙弾の残像が焼きついていたため緊張しましたが、まばらな学生達と振袖姿の家族が安田講堂をバックに記念撮影をしており、

「いちご白書」は影も形もなく遠くに忘れ去られ静かな時間が流れておりました。

「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」が懐かしく思い出されました。

強制排除の強烈なイメージが頭の中に大きく残っていたためか、焦げ茶色の安田講堂は思いのほか小さく感じられたのです。

安田講堂の前は円形の芝生敷地でその周りに休憩ベンチがありその端に地下へと向かう回り階段があって食堂と書いてあります。

古びた扉の内側には地下壕のような深くて薄暗い大きな部屋があり休みの日にも係わらず多くの学生達と教授たちが食事をしていました。

安田講堂に籠城した本郷学生隊長の島泰三さんの著に

「人生の暮れ方に至っても、私は後悔していない。歴史のひとつの局面で、 果たすべき義 の一端を担うことができたのは、わが人生の欣快である」

と1月18日の天声人語に書いてありました。



そこは東京大学病院でした。

大きなグランドはありませんでしたが金網に仕切られたサッカー場があり4・5人の学生がボールを蹴っています。

さらに小高い森の中を歩いていくと三四郎池が鬱蒼とした木々の中にこじんまりとたたずんでおりました。

何故か突然 夏目漱石が頭をよぎり雑司ケ谷霊園に行くことになったのです。

明治の初頭に造営された共同墓地なのできちっと整地されておらず、真新しいウォーキングシューズが土の泥で重く感じられます。



この墓地には夏目漱石のほか小泉八雲や永井荷風・竹久夢二や泉鏡花など沢山の文化人の墓がありついでで申し訳ありませんが回ってみることにしました。

ジョン万次郎さんもここに眠っておられたのです。

一番目を引いたのは荻野吟子(日本女医第1号)さんのお墓で等身大の石像が墓石の横に立っておりました。

漱石の墓はとても大きく私のイメージとは掛離れており、意外な感じでした。

坊っちゃんが正義感から自分の辞職と引き換に赤シャツ一味に対して鉄拳にて仕返しを行なったことは、赤シャツの陰謀によって追い出された「うらなり」や「山嵐」に対する 果たすべき義 だったのではないかと思われ、

純粋な坊ちゃんには巨大な墓石は似つかわしくないように思いました。

いかん 本日の題目「天地人」から離れていってしまいました。申し訳ありません。

何とか戻さなくては・・・・・・・

今年のNHK大河ドラマ、火坂雅志原作「天地人」を年末の休暇を利用して読み終えました。

『天の時、地の利、人の和』

戦国武将である上杉謙信は、「利」を嫌い 「義」 を大事にした人です。同じく上杉家に仕えていた直江兼続も 「義」 と「愛」を重んじた武将と言われています。

本を読み終えて見所は何と言っても直江兼続が家康に宛てた反論の書状(挑戦状)を送ったいわゆる「直江状」ではないかと思います。

家康は怒り心頭。総勢10万にも及ぶ大軍で下野国小山(現・栃木県小山市)までやって来ます。

ところが、決戦開始も時間の問題となったころ、大坂にて石田三成らが挙兵したとの報告がもたらされ、家康は突然西に進路を転じ退却を始めました。

家康を討つ絶好の機会と、兼続は総攻撃を主張します。

ところが上杉景勝は、退きさがる敵の背中を討つのは、上杉の 「義」 に反するとして動かなかったのです。

兼続もやむなく主君の命に従ったのでした。

「義」 を追求する事により武士道精神「美学」を求めたのでしょう。

もし石田三成と上杉軍が家康を挟み撃ちしていたならば歴史は変わっていたかもしれなかったのですね。

関が原後、米沢30万石に削封された上杉家は家臣の住む家さえない有様でしたがリストラすることもなく殖産興業に邁進しています。

「敵に塩を送る」は上杉謙信の「利」を嫌い 「義」 を貫いた有名なエピソードの1つですが、

「利」を求める戦国時代において 、「義」 と「愛」を信じた直江兼続には、現代の弱者を切り捨て、利益追求のみに邁進する企業はどのように映るのでしょうか。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」

21世紀にはもう一度かみしめたい言葉ではないでしょうか。


安西節雄





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Last updated  2009.01.26 08:41:58
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