平安後期、平清盛を初めとして 平家一門
が、邸館を構えたのが 六波羅
。
その数は、5200とも言われています。その中心にあったのが、 六波羅密寺 。
六波羅密寺は天歴5年( 951年 )、後醍醐天皇第二皇子 空也上人
によって
開創された、西国第十七番の札所。
当時流行していた悪疫退散の為、空也上人は 十一面観音像
を市中引き廻り、
念仏を唱えて病魔を鎮められたと、言われています。
本堂の左奥に 宝物館
があり、 空也上人立像
、運慶・湛慶坐像・平清盛坐像
など
重要文化財の彫刻が安置されていました。
特に、念仏を唱える口から、 六体の阿弥陀仏
が現れたという空也上人
立像は、その写実的表現に感動しましただ。
御朱印は、拝観受付所で一体もらえます。
本殿の右奥に、 六波羅弁財天 が祀ってあります。
そこで戴けた御朱印が・・・
六波羅密寺から5分ほど歩いたところに、 六道の辻
があります。
ここは、現世とあの世の境と伝承され、そこにあるのが 六道珍皇寺
という、
臨済宗建仁寺派の一風変わったお寺。
境内には、平安時代の役人 小野篁
(おののたかむら)が、夜ごと井戸から
地獄に降りて、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしたという、伝承の井戸が残って
います。
他の寺社に先駆けて、当寺が 金泥御朱印
を授与し、御朱印ブームのきっかけ
を
作ったとも言われています。
書置きの金泥御朱印でなく、浄書の二体を戴きました。
== つづく ==
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