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林家扇兵衛さんの独演会に足を運んだ。あんまり落語が分からない
お客さんばかりで、出演者全員、演りにくそうだった…(苦笑)。
その後は秋葉原に移り、青空たのし先生夫妻を交えて新年会を
22時30分までやっていた。演芸界の大御所2人に話を聞きつつ
飲み食いするほどの贅沢はなかった。
だから、世の中の動きを全然知らない日で…。
帰宅中の電車内、たけ平師からのメールで、落語芸術協会の
若手真打のお一人、 柳家小蝠師匠の訃報を知った。
死因は肺炎とのこと。享年42。
あまりにも、あまりにも若すぎる…。42歳なんて、噺家として
やっとスタートラインに立ったような年齢じゃないか…。
5日まで初席に出たあと、インフルエンザを発症して休んでた
らしいのだが、容態が急変したようで…。重い糖尿病を患って
いたのは知っていたが、それが容態急変の原因であろう。
糖尿病は「万病の元」と言われているから、恐らく免疫力が
かなり低下していたんだろうと思われる。
ちょっとショックが大き過ぎで、何か言いようのない悲しさと
虚しさに襲われている。
この方、最初に見たときは「立川志っ平」という名だった。
つまり「立川談志家元」のお弟子さん。
7年間前座修業をされていたのだが、上納金が払えずに
破門され、先代(10代目)桂文治師匠のお弟子さんに。
名は桂前助。
その際に、7年間の前座修業がリセットされてしまって、
また前座から…つまりゼロから再スタートを切ったのだが、
二ツ目になる直前(04年1月末)に文治師匠が急逝。
その後、柳家蝠丸師匠の預かり弟子となり、05年に小蝠で
二ツ目に。そして14年に同名のまま真打に昇進された。
それから、僅か4年で…。上にも書いたけど、やっとこさ
苦労が報われ、噺家としてスタートラインに立ったときに、
いきなりあの世へ…なんて、残酷な運命にも程がある。
数えるほどしか高座は拝見していないが、家元の弟子だった
だけあって、確かな実力と温かさがあったのを覚えている。
浅草演芸ホールだったな、確か…。
とにかく、今はただ、冥福を祈ることしかできない。
たけ平師も夏丸さんも、筆舌に尽くしがたいショックを
受けていることだろう。