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2018年01月15日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は1日、特に出かけず、静かに昨日の疲れを取るべく
デレデレ過ごしていた。

そして、昨日の柳家小蝠師匠の訃報で、噺家との、落語との
付き合い方を、改めて思い、考え直していた。




以前に2度ほど、ここで書いたことだが「近年の落語ブーム」の
キッカケは、2000年~2002年の間の出来事ではないかと思う。

1・たい平・喬太郎両師匠の抜擢真打昇進(00年3月)
2・古今亭志ん朝師匠が急逝(01年10月1日)


私がちょうど、生で落語を聴きだしたころだから…というのも
あるけれど、この3つが大きな転換期だったように思う。

断言できるだろう。

特に、志ん朝師・小さん師の死去で 「いつでも落語を聴けると
思ったら大間違い!人間はいつか必ず死ぬ!だから後悔しない
ように、たくさん生の高座に触れておかなくては!」 という、
強迫観念に近い意識(笑)が、落語ファンの中に生まれたのは
間違いない。

それで、私も談志家元を(都内だけだが)追い掛け回すように
なったのは事実だし、月一くらいだった落語通いを、ほぼ週一に
しだしたのが、この辺りから。

それが今では…一時より頻度は減ったが…だいたい週2~3で
落語を聴くようになり、落語会のプロデュースまでするように
なってしまった(苦笑)。04年9月に仕事が変わったときから、

週5の落語通いを2週間連続でやったことがあった(汗)。

でも、週7ベタで落語会に通うファンだとか、ダブルヘッダー・
トリプルヘッダーで「落語会のハシゴをするファン」なんかが
多いんだから、驚いてしまう。そこまでの情熱は私ゃ持てない。






いつも言うのは「特定の演者しか聴かない人」「寄席に一度も
行ったことがない人」「カフェとテイトと連雀亭と道楽亭しか
行かない人」「昭和の名人(故人)に全く興味がない(名前も
知らない)人」などだが…最近は減ってきたのかな?

ただ、いろんな寄席・ホールとかで、落語ファンの人と接して
最近よく思うことがあって…。

これは年配者・若い人・男女問わず、共通して言えることだが、
「心の底から落語が好き」というよりゃ「落語好きな自分って
どうよ?ちょっとインテリだろ?どうだぁ!」 みたいな(苦笑)
オーラの人が多いような気がするのよ、私は。

そして、噺家さんとは、他の藝能の職種の方と違って、すぐに
友達になれてしまうということがあるから、 ここ最近で落語に
興味を持った女性とかだと(全員がそうだとは言わないけど)
「落語に詳しくて、噺家の知り合いが大勢いる私ってどうよ?
スゴイでしょ?ウフフッ♥」 みたいな(苦笑)感情が、前面に
出過ぎてる人が増えたような気がして仕方がない。

それで…これは自己反省の意味も込めて言うが…Twitterやら
ブログやらで、落語評論する人間の上から目線ぶり(苦笑)。
落語に詳しいからって(昭和歌謡もそうだけど)、そんなに
威張れることじゃないし、特権階級でも何でもないんだよ。

勿論、私も特権階級でも何でもない。たまたま、談志家元や
白山先生・たのし先生・保田先生・たけ平師匠・三朝師匠・
夏丸さん・真紅さんたちと、仲良くさせてもらえる星の下に
単に生まれただけ。

とにかく私は「寄席演藝」が昔から好きでしょうがないだけで、
「噺家と仲良くなりたい」とか「『虎の威を借る狐』状態で
寄席とか、謝楽祭とかで偉そうな振舞いをしたい」だなんて、
微塵も思ったこたぁない!信じてもらえないだろうが(笑)。

だから、落語&寄席演藝を深く愛さざるを(関わらざるを)
得ない運命になった人間だというふうに思っている。

これ書くと「なにィ図々しいこと言ってんだ!バカ!死ね!」
などと言われるだろうし、大半の落語ファンを敵に回すことに
なるんだろうが…(汗)。

他人に偉そうに言ってて、自分がこのブログで真逆のことを
年がら年中書いているという大矛盾(苦笑)。蓮舫だとか、
枝野だとか、玉木とかの売国奴議員の「ダブルスタンダード」
みたいなもんだ(苦笑)。




話が完全に逸れたが、小蝠師匠の死は「後悔しないように、
たくさんの噺家の高座を見ておかなくては!」という思いと、
落語(だけでなく寄席演藝全般)という話藝の儚さを改めて
痛感させられた。

死は年齢に関係なく、いきなり襲ってくることがあるのは
十二分に分かっていたつもりでも、小蝠師のような若手の
真打の方を聴こう!って気持ちは、ベテランの噺家に比して
どうしても「後回し」になってしまう。

まさか、ベテランの噺家連より小蝠師の寿命が短いなんて、
少しも思わないもの、普段は。

今ごろ、小蝠師はあの世で、家元と先代文治師匠に「お前は
来るのが早すぎる!」と、お説教を受けていることだろう。





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最終更新日  2018年01月15日 23時23分56秒
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