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「宋書」 とは4~5世紀のことが書かれた中国の国史です。
ここにも「旧唐書」や「隋書」のように、
この頃の日本のことが紹介されています。
あの有名な 「讃・珍・済・興・武」 と呼ばれた 「倭の五王」 です。
この倭国の五人の王が、西暦421年から478年まで、
当時の中国(宋)と交わした外交が記録されています。
そこには、 ざっとこんなことが書かれています。
「『私たち倭国は国家統一するために、
周囲の野蛮人たちをやっつけてきました。
そしてだいたい平定することができました。
だから親分である中国から将軍の称号がほしいんです』
という倭国の要望に対して、それぞれ5人に将軍の称号を与えた」
まーこんな感じの内容です。
ではそれに対して、日本の文献である日本書紀では、
この5世紀のことをどのように書いているんでしょうか。
書記では讃・珍・済・興・武などと呼ばれた天皇はでてきません。
この時代は仁徳天皇や雄略天皇などのことが書かれてるんですが、
名前も一致しないし、その説話にもほとんど共通点がありません。
宋書を読む限りでは、当時の倭王は外に向かって
戦いに明け暮れていたイメージなんですが、
書記にある天皇の説話は、内政に力を入れたり、
王家内の内紛を主に書いています。
何の先入観もなく、5世紀のことを書いた
宋書と書記を読み比べてみると、
まったく別のことが書かれていると感じるはずです。
では、その文献的事実を「定説」では どう解釈してるんでしょうか。
次回それを追ってみます。
SEE YOU NEXT TIME