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5世紀の倭国のことをつづった宋書倭国伝と、
日本書紀に書かれた倭国の内容はまったく一致しない。
前回書いたことですが、
では「定説」ではこの事実矛盾をどう解釈してるんでしょうか。
・・・・・
なんとこの矛盾に言及している研究書は ほとんどないんです。
では5世紀の研究書ではどんなことが書かれているんでしょう。
それは「倭の五王」がどの天皇に当てはまるか、
この議論に終始しています。
しかもその当てはめ方が実に悲しい・・・
およそ学問とは言いがたい方法です。
どんなかっていうと、
まず5人目の「武」。
この男は22代雄略天皇(大泊瀬幼武/オオハッセワカタケル)
であることは間違いない。
そうほとんどの学者が言っています。
だからそれからさかのぼって、
「興」は21代安康(穴穂/アナホ)
「済」は20代允恭(雄朝津間稚子/オアサツマノワクコ)
「珍」は19代反正(瑞歯別/ミズハワケ)
「讃」は18代履中(去来穂別/イサホワケ)
に当てはめています。
ところが問題が起きるんです。
これを精査してみると、
宋書と日本書紀に書かれている年代が、
特に「讃」についての年代が合わないんです。
そこで次に考えられた説(那珂通世氏)は、
「讃」を16代仁徳に当てはめることでした。
しかし今度は系図が合わない・・・・
これに対する学者の言い訳は、
「宋書では親子と記載されているが、兄弟と間違えたんだろう」
など、自説の都合で原文改定をしています。
最初に上げた「讃」=履中説はもっとひどい。
年代が合わないことについては、
「もともと中国史書は当てにならないので、 単純に年代を間違えたんだろう」
そうアッサリ切り捨てているんです。
おいらトリムは信じられな~い!
本来文献学の基本は、
原文改定をする際には、厳密な文献批判を繰り返す必要があるのに、
それをまったくせずに、自説の都合だけで改定を行う・・・・
しかも学者の多くが認めている前提、
「武」=雄略、
この根拠も実に脆弱なんです。
やっぱり年代が合わないんです。
しかも26年も・・・
それを井上光貞氏などは、
「年代的にはだいたい一致するのである」と。
よくもシャーシャーを言えるモンだと感心しちゃいますよね。
26年といえば一世代の違いがあるんですから。
要するに学者たちは、
「宋書に書かれた倭の五王は 大和朝廷内にいる」
これをまったく疑っていないんです。
さて5世紀の中国の宋王朝も、
倭国=大和朝廷とは認識していなかった。
宋書からこのことがわかりました。
では真実の倭国はどこにあったのか?
このヒントはこの宋書に書かれていました。
次回そこに迫ります。
SEE YOU NEXT TIME