木村拓哉と松たか子のキスシーンを背後から捉えたショットでエンディングを迎え、スクリーンにクレジットタイトルが流れ出す。邦画としては異様に長いそれを空虚な想いで眺めながら、この連中が映画を食い物にしているのかと静かな怒りがこみ上げる。
なるほど、2時間10分もの尺が必要なわけである。彼らに等しく仕事を分配しなければならないのだから。斜陽産業の映画界とバブル崩壊後の不況で広告収入が激減したのテレビ業界との持たれ合い。つまり、『HERO』は談合映画というわけである。(まず、キムタク検事はそれにメスを入れるべきだろう)。
しかし、出来損ないの作品を宣伝するために、木村拓哉がカンヌ映画祭に乗り込んだと聞くが、本当だろうか?悪い冗談ではあるまいか。
テレビの『HERO』を一度も観たことはないが、もちろん、海外の映画関係者だってそうだろう。ということは、『HERO』は純粋に一作品として客観的な評価を下されるということだ。
誰が何処へ行こうと自由だが、旅の恥はかき捨て的なカンヌ行脚は余りにもお粗末だ。
いくら厚顔無恥だとはいえ、商才だけは長けているテレビ局が、この作品が世界に通用する商品かどうか判らぬはずはあるまい。
ブランドに弱い日本人だから、カンヌという流通経路を経て日本に凱旋すれば、より興行収入を見込めると考えたのなら、日本の観客もずいぶんと見くびられた物である。
才能のある監督の作品ならともかく、伸びたラーメンのような弛緩し切ったフィルムを2時間10分も見せられる観客はたまったもんじゃない。物語を進行させる上で、伏線的な役割を果たすのならともかく、見終わってから、あのシーンは何だったんだろう?と白けた気分で呟かざるを得ないダンスシーンをはじめとして、非映画的な細部が多すぎるのだ。
この作品のモチーフとテーマを考えたら、その種の贅肉をそぎ落とし、せいぜい1時間45分に収めるべきだろう。そうすれば、少しは活劇性も生まれたであろうし、フィルムも引き締まった物になっていたはずだ。
だが、飽きっぽい視聴者の顔色を伺うことに馴れ切った、テレビ局の人間はそうは考えない。1時間45分もの上映時間を、観客があくびを噛み殺すことなくスクリーンに瞳を凝らすためには、ギャグやら笑やらを随所、随所に振りまかなければと考える。要するにテレビにおけるCMの役割を負うことになるのである。
皮肉にも、そうすることでフィルムの尺はさらに長くなり、2時間10分もの上映時間になってしまう。結局、映画は薄めすぎたカルピスのように平板な物になってしまったのだ。
長髪で、スーツを着ない型破りな検事という設定も古色蒼然としていて、何の違和感も齟齬もきたさない。『HERO』をまったく観たこともない人間ですら、遥か以前から見知っていたような既視感すら覚えるのである。
長髪でスーツを着ない検事ではなく、短く刈った髪を七三に分けリクルートスーツのような紺のスーツを着用している木村拓哉の検事姿の方が、よほど型破りに違いない。
だが、そんなこは所属事務所が許すわけも無い。何しろ、特攻隊の映画でさえ、木村拓哉は長髪のままだったのだから。検察機構には抗えても、ジャニーズ事務所には抗えないということなのか。
ありふれた傷害致死事件を木村拓哉が担当する。だが、容疑者は法廷の場で一転して無罪を主張する。しかも、彼の弁護人は無罪請負人と異名を持つ有名弁護士だった。何故、彼ほどの大物弁護士がありふれた傷害致死事件を担当するのか?
実は、この事件の背後には、ある大物代議士の贈収賄事件が絡んでいたのだ。巨悪を追及するために、傷害致死事件を利用しようとする特捜部に対し、「命の重さ」を訴える木村拓哉はじめ、同僚検事たちは強い反発と憤りを覚え、真実を暴く決意を燃やす。
ストーリーが通俗的だとか、テーマが紋切り型すぎる等と揶揄するつもりは毛頭ない。
芸術性を論じるつもりもさらさら無い。あくまで娯楽作品としてのクオリーティーが低すぎるといっているのである。
野次喜多道中のような韓国ロケと出張費の無駄としか思えない木村拓哉と松たか子のまぬけな聴き込み調査。
タイミングを逸したためにインパクトを欠いたイ・ビョンホンの登場シーン。
はっきり言って、韓国で撮影されたシーンは、「映画」として成立していない。
脚本を形容する言葉は、安直、陳腐、凡庸、平板と事欠かないが、それにもまして演出の投げやりな手抜きぶりには眼を覆うしかない。
寡聞にして、鈴木雅之監督という人物を知らないが、テレビの小さな画面と異なり、スクリーンの多きい画面がよほど嬉しいのか、或いは、観客の感受性を信用していないのか、やたらとキャメラを動かしすぎるのだ。
おまけに、観客を飽きさせないために配されたギャグが活劇性をも殺してしまう。
ヤマ場である法廷シーンで木村拓哉が、「この裁判は、命の重さを知るための裁判なんです!」と声高に力説するのだが、肝心の、婚約者を失った女性の悲しみが、脚本でもキャメラでも綴られていないため、説明的な台詞は虚しく空回りするばかりで、観る者の琴線に触れる物は何も無い。冗漫かつ散漫。厚みの無い人物描写。脚本の欠点がここでいっきょに露呈してしまう。サスペンスがまったく機能しないのだ。
同じフジテレビ製作の映画『踊る大捜査線』の青島刑事なら、こう叫ぶだろう。
「映画は、会議室で作るんじゃないっ!!現場で作るんだっ!!」
〔了〕
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