マンションの建築予定地を歩く役所広司の足元をアップで捉え、寂しそうに捨てられた地面の空き缶を拾うと、病院の診察室でのガン告知シーンへ繋ぐあたりの呼吸は、さすがに『HERO』の鈴木雅之監督のそれよりは、遥かに映画的な導入となってはいる。
末期のガンで余命半年と宣告された48才の不動産会社部長藤山(役所広司)は、延命治療を拒否し、「死ぬまでは、生きていたい」と決意する。そして、喫茶店に呼び出した息子にその覚悟を明かす。
まともな嗅覚の持ち主なら、この主人公のきざな台詞に臭さを感じてしまう。
そもそも、その類の言葉は台詞で説明する次元の物では無いからだ。『HERO』でも、「命の重さ」という台詞が出てくるが、観る者の心にその重さは響かない。
映画を観終わった客の心に、感動が余韻と共に湧いてきて、それを言葉にしたときに初めて、「テーマ」が浮かび上がってくるのであって、台詞で説明する物ではないからだ。
「ガンで余命半年」 。そう聴くと、誰しもが黒澤明の『生きる』を思い浮かべるだろう。
志村喬が演じる役所の市民課長が、その残された時間を公園の建設に傾ける、あの作品である。この『象の背中』でも、確かに自分が担当しているプロジェクトを成功させるために必死になっている主人公の姿は描かれているが、クリエーター、秋元康には「生きる」の焼き直しを撮るつもりはさらさら無い。むしろ、彼はパロディーを描こうとしているのだ。
『生きる』の志村喬が、他人のために命を捧げようとしたのに対し、役所広司は、あくまでも自分自身に殉じようとする。役所広司は、志村喬と最も遠いところにいるのである。
息子にガンを打ち明け、「死ぬまで生きていたいんだ」と語った後に、彼が誰を訪ねたかを見れば、それは明らかだろう。
彼は愛人のもとへ向かったのだ。
クリエーター、秋元康が織成す絵空事の始まりである。
夜中に自室でアルバム写真を眺めている藤山は、記憶の中に生きている大切な人と直接会い、別れを告げようと思い立つ。何のことはない。ジュリアン・デュヴィヴィェの『舞踏会の手帖』である。
降りしきる強い雨。高校時代の初恋の女性(手塚里見)がさす赤い傘を俯瞰で捉えたショットは、本来なら、その叙情的な視覚的効果を高めるはずであるのに、そのすぐ前の喫茶店の窓辺で交わされた二人の会話があまりにも平凡極まりない物であったために、その効果がまったく機能しない。
30年以上も前の思い出を打ち明けられ、初恋の人だったと告白されただけでも、手塚里見は戸惑いを隠せないでいるのに、「私は、ガンなんです」と追い討ちをかけられても、途方に暮れるしかないだろう。
その困惑は、監督井坂聡の困惑ぶりをも露呈させてしまっている。
別れ際に赤い傘の手塚を振り返させ、「藤山君に逢えて嬉しかった」と言わせるのだが、監督自身がその台詞と喫茶店での平凡すぎる会話に確信を持てないがために、キャメラが曖昧に流されてしまっているのだ。
その後、喧嘩別れした高校時代の野球部の友人や、藤山の会社が倒産に追い込んだ会社の元社長に会ったりするのだが、どれもこれもが今迄に、散々見たり聞いたりしたような平凡な逸話に過ぎず、『舞踏会の手帖』の焼き直しどころか、パロディーにも成りえていない。
もちろん、同じ『舞踏会の手帖』をみずからの感性で見事に換骨奪胎させてみせたジム・ジャームッシュの『ブロークン・フラワーズ』の足元にも及ばない。
「死ぬまでは、生きていたいんだ」という主人公の生き方は途方もなく女々しい。
母の死後、亡き父の後妻に納まった愛人と父に対する反発と憎悪から家を飛び出し、絶縁状態にあった藤山が、兄のもとを訪れ遺産をせがむ。
いまでは、亡き父と同じように自分も愛人を囲っているにもかかわらず、義母を許さず顔も見ないで帰ってしまう。
優れた監督、脚本家なら、この挿話だけで見応えのある秀作を撮り上げてしまうだろう。
しかし、この作品ほど徹頭徹尾、主人公の視点からだけ描かれ、相手側の心理が置き去りにされている映画も珍しい。
「死ぬまでは、生きていたい」肺ガン患者、藤山は煙草をスパスパ吸いながらの余生を海辺に建つ豪華なホスピスで送ることにする。家族と共に生活するその場所へ愛人を来させ、見舞いに来た兄には自分の遺骨を愛人にも分けてやって欲しいと頼む。
「死」が間近に迫り、藤山の顔は痩せ細り、目も窪み、くまも深くなる。
衰弱しきった体を、波しぶきがたつ海辺のデッキチェアーに横たえる。
そう、『ベニスに死す』のラストである。
しかし、藤山は、穏やかで美しい奥さんと、優しいふたりの子どもに看取られベッドで息絶える。
もし、この作品の主人公が、『ベニスに死す』での老作曲家(ダーク・ボガード)の醜い死のように、砂浜で遊ぶ子ども達や、妻に気付かれること無く、独り寂しい最後を迎えていたら、怖い作品になっていただろうに・・・・・・。
〔了〕
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