スタンリー.キューブリック・・・。
たぶん、真の意味で鬼才といえる映画作家は、彼だけだろう。
しいて、もう一人あげるとすれば、現代作家の中ではティム.バートンぐらいか・・・。
確かに、『2001年宇宙の旅』や『時計じかけのオレンジ』は、面白かったし、作品への賞讃も至極当然だとは思う。映画史の中でも傑出した作品だろう。
もちろん、『カッコーの巣の上で』や『現金に体を張れ』だって素晴らしい作品ではあった。
だが、個人的な嗜好で論じると、スタンリー.キューブリックの作品を僕はそれほど好きではない。いや、愛してはいないと評したほうが適切か。
感覚的な表現で申し訳ないが、たとえば、スピルバーグの『E.T.』より、ロン.ハワードの『コクーン』の方が愛おしいと感じる性質の人間なのだ。
ウィリアム(トム.クルーズ)のフロイト的な、男性優位(男根主義)の女性心理の分析に激怒したアリス(二コール.キッドマン)は、かって強い浮気心を抱いた男性がいたことを打ち明ける。
その秘密の告白にウィリアムは、妄想の虜となり、真夜中のニューヨークをさすらうが、彼の脳裏に浮かぶ、妻と見知らぬ男との性交シーンを消すことは出来ない。
男の勝手さ、単純さを、妻に対する盲目性を下敷きに簡潔なストーリーで綴っただけの作品に誤解されかねない、この『アイズ ワイド シャット』を、スタンリー.キューブリックの全作品の中で一番愛しているのである。
もちろん、この遺作が彼の作品群の中で最高水準にあるなどと主張するつもりは無い。
ベルナルド.ベルトルッチなら、倦怠期を迎えた夫婦の心の襞を乾いた筆致で厳しく描いてみせただろうとか、『ヘカテ』のダニエル.シュミットなら、たった一つのシーンでフィルムに官能性を帯びさせたであろうといった、物足りなさを感じたりもする。
しかし、その物足りなさが、まぎれも無くスタンリー.キューブリックの作品に違いないという魅力を惹き立てもしているのである。
流麗な音楽に乗って、キャメラがふたりの住むアパートメントの室内を舐めるように移動しはじめ、パーティー出席のため慌ただしく身支度を整えているふたりを的確に収めていく。
全編を通し、これがスタンリー.キューブリックの作品かと思えるほどオーソドックスで静かな演出なのだ。
だが、実はキューブリックらしいトリッキーな仕掛けは映画以前にほどこされている。それも用意周到なまでに・・・。
トム.クルーズとニコール.キッドマン。
実際の夫婦が、映画の中でも夫婦として共演し、しかも性愛が描かれる。
予告編を観た者なら、誰もがそのまだ見ぬ性愛のイメージに想像力を膨らましたはずだ。
本編に向けて肥大化する欲望。
それは、妄想の虜となったウィリアムの相似形でもある。
スクリーンを見開いた眼(アイズ ワイド)で凝視するしかない観客の好奇心を肩代わりしているウィリアムは、街を徘徊して買った娼婦とも、仮面を被った乱交パーティーでも結局、セックスを果たせず、妄想の呪縛から自分自身を解き放つことができない。
迷宮を彷徨っていた数日間から、現実へ帰還したウィリアムは、まるで動物が自分の巣へ帰るように妻のもとへと戻り、すべてを告白する。
娘のクリスマスプレゼントを買いに出かけたショッピングタウンで、二コール.キッドマンは、トム.クルーズにこう話す。
「あなたを愛してる、だから・・・私たち大事なことをすぐしなくちゃだめ」
「なんだい?」
「ファック!」
と同時にスクリーンが暗転(シャット)になり映画は突然終わる。
はたして、アリス(二コール.キッドマン)が、ウィリアム(トム.クルーズ)に語った告白は真実だったのだろうか?
夫は、妻の掌のうえで踊らされていただけだったのではあるまいか・・・。
ラストでトム.クルーズの肩ごしに、二コール.キッドマンの顔をアップで捉える。
僕には、彼女が心の中で、観客に向かってウィンクをしているような気がしてならないのだが、それは妄想だろうか・・・・・・。
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