雪はなぜ降るの?
それはねぇ、長い長いお話なんだよ。・・・やっぱり、ハサミの話から始めなきゃならないだろうね・・・。
クリスマスの雪の降る夜。
寝室のベッドに横たわる少女とおばさんとの会話から回想へと遡る、痛ましくも悲しい愛の寓話だ。
小高い丘の古い大きな城にひとりで住んでいた、手がハサミの青年エドワード(ジョニー・デップ)とキム(ウィノナ・ライダー)のかなわぬ恋をゴシック・ロマンスの文体で綴ったラブ・ファンタジーの秀作である。
実は、最初の予定では、この役はトム・クルーズが演じるはずだったのだという。
しかし、根っからの「大スター」であるトム・クルーズは、役作りの段階で、ティム・バートンを質問攻めにし、あげくのはてにはラストで、エドワードは白塗りのメークを落とし、素顔を曝すべきだと主張したらしい。
その真偽のほどは定かではないが、いかにもトム・クルーズらしい逸話ではある。
典型的な郊外の中流家庭に生まれたティム・バートンは、アメリカ的なコミュニティーにはまるでなじめず、日本のゴジラ映画やキングコングなどの怪獣映画に耽溺し、ホラー映画を浴びるほど観て育ったという。
現実逃避といってしまえばそれまでだが、少年ティム・バートンには、異形の世界の方がよほど住みごこちが良かったに違いない。
どんなホラー映画のキャラクターより、生身の人間の方が、恐ろしかったのだろう。
人間にうとんじられ、疎外されるホラー映画のキャラクターに、彼がシンパシーを抱いていたのは想像に難くない。
ティム・バートンが生み出す作品はどれも、彼の原風景や心象風景が形成した自画像が投影されており、その意味では、彼は私小説作家的な映画作家といえる。
映画の主人公にもその片鱗が垣間見える。彼の作品には、「エドワード」という名前が頻出するのだ。
『シザー・ハンズ』の主人公は、エドワードだし、『エド・ウッド』の主人公も正式名は、エドワード・D・ウッドジュニアである。また、『ビッグ・フィッシュ』の主人公もエドワードだ。
「エドワード」という名前への執着が何を意味するのかはわからないが、なんとなく彼の原体験を想起させる。
そんな内向的なティム・バートンの心性は、日本人の感受性と共鳴しあうものがあり、熱狂的なファンが多いのも頷ける。
先ほど、ティム・バートンの映画は私小説的であると書いたが、勿論、彼の文体はリアリズムではない。そうではなく、シュールレアリズムで表現して見せるところに、彼の類まれな才能がある。
過剰な自意識をメタファーに置き換え、ポップアート的な色彩映像でフィルムに塗りたくる。だから、彼の作品を愛する者は、映画作家ティム・バートンの自画像までも愛してしまうのである。
それにしても、「手がハサミの男」という荒唐無稽なモチーフを題材に、これほどのラブ・ファンタジーを創出してしまう才能には驚嘆するしかない。
身の置き所の無かったディズニーでは、到底、日の目を見る機会が訪れることは無かっただろう。
少年のままの自我を肥大化させ、大人へと成長したティム・バートンが共感を覚える創造世界は、ディズニー製作の「白雪姫」や「シンデレラ」ではなく、「本当は怖いグリム童話」の世界なのである。
小高い丘に聳え立つ古い大きなお城。
そこから見下ろす下界には、色とりどりのパステルカラーで塗りつぶされたマッチ箱のような四角い家が整然と並び、そこの住人たち(もっぱら主婦だが)は、皆一様に暇を持て余し、ゴシップと男の噂だけで日がな一日を送っている。
薄暗いダークな世界と不健全なぐらい明るい下界。
親切なベグの家族によって下界に引き出されたエドワードは、まるで、ティム・バートンが少年時代に耽溺したキングコングのようだ。
文明から隔絶した遠い小さな島で生け捕られたキングコングは、ニューヨークに連れて来られ、見世物として人気を博す。
横暴で利己的な人間たちに憤怒し狂暴化したキングコングは、鎖を引きちぎり、愛する美女を抱え、ニューヨークの摩天楼エンパイアーステイビルの頂上へと登るが、軍隊の攻撃にあい転落死してしまう。
ハサミの手で庭の植木をゴジラや恐竜の姿に刈り込み、犬の毛をトリミングし、それがこうじて女性のヘアカットまで引き受けるようになったエドワードは、またたくまに人気者となり、テレビにも出演する。
しかし、キム(ウィノ・ライダー)のボーイフレンドに唆され、悪事に利用されてしまったエドワードは、写真を見て一目惚れしてしまった愛するキムのために罪をかぶる。
住民たちの誤解と無理解に傷つくエドワードは、キングコングであり、人間のエゴで殺されたキングコングは、エドワードなのだ。
愛するキムを抱くことさえままならない、手がハサミの青年エドワードは、自分をもそのハサミで傷つけてしまう。
彼の顔に刻まれた無数の傷は、純粋無垢なエドワードの心の傷そのものなのである。
もっとも、こう書き綴ると、『シザー・ハンズ』は、救いの無い陰惨で悲しい物語に映って見えるかもしれないが、実際は、ティム・バートン独特のB級映画的なユーモアが随所に散りばめられ、非常に洗練されたコメディー映画に仕上がっているのだ。
何をおいても、エドワードを引き取ったベグとビルの一家の温かさが素晴らしい。
手がハサミのエドワードを恐がるどころか、あっけらかんとしたユーモアと好奇心で受け入れてしまうヒューマンタッチ。
特に、ベグの夫役のアラン・アーキンの惚けた演技がたまらなく愉快で面白い。
エドワードのハサミを水で洗おうとした息子を、「おい、おい、水はいかんよ!せっかくのハサミが錆びちゃうじゃないか」と叱る場面など抱腹絶倒の面白さだ。
しかし、この『シザー・ハンズ』が、広く愛されているのは、それがプラトニックな愛の究極を描いているからだろう。
手がハサミのために、愛する女性を抱くことすら禁じられてしまったエドワードに出来る求愛の表現は、そのハサミで氷の彫刻を彫り、キムのために雪を降らすことだったのである。
激しい勢いで吹き上げる氷の粉が雪になり、キムの身体に降りそそぐ。
夜空を仰ぎ、舞う雪を両手で受け止めながら、求愛のダンスで応えるウィノ・ライダー・・・。
クリスマスになると想い出す、最も美しいラブシーンのひとつである。
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