つかちゃんのイタリア日記

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 10月からローマで修道会の総会があるため、管区長がローマにやってきました。金曜の夜にやってきました。長旅で大分お疲れのようでした。彼は2年間イタリアに留学していたので、多少は気分楽でしょうが、外国というところは、いるだけで疲れますから、これからの3週間、がんばってほしいものです。


 総会とは別ですが、最近考えていたことと、管区長を迎えに行ったことで、重なったことがあるので、ついでにここに書いておこうと思います。管区長が空港のゲートから出てきたとき、きょろきょろしていました。私が迎えにきていることは知っていますし、本当は探さないでも私のほうが近づくので必要はないけれど、きょろきょろしていました。

 この「出てくる」というのと「出迎える」というのは、信仰を深めるためにも、また人生を見つめていく上でも大きな意味があると思います。先ほど書いたように、「出てくる」というのは、散歩に出て行くとかは別として、何か大事な用事があって、わざわざ足を運んでくるということです。仕事で出て行くというものそうでしょうし、友達に会いに出て行くというのも、そうでしょうね。その中でも、その用事が重要であればあるほど、その「出て行く」という出来事の持つ意味は大きいでしょう。
 一方「出迎える」というのは、普段あまりしないことです。お客さんが来たときとか、そういう特別の場合に、やはり大事なときに「出迎える」わけです。日本人は比較的、この「出迎える」というのを大事にするように思います。これは、礼儀とか心配りとかの一環だと思います。

 イタリア語で聖書を読むと、少しずつしか進みませんが、この前、御降誕のところを読みました。神が出てきたんですね。とても大事な用事のために、出てきたんですね。そして、出迎えは、どこだろうかと探したかもしれません。マリア様がいて、ヨセフ様がいて、牛がいて、馬がいて、天使もいたかな。神が出てきたときに、出迎える。これには深い意味があるように思います。
 それはイエスの十字架上の死についても言えるでしょう。この場合は、出て行く、見送るという形でしょうが。そして、復活も、再び出てきて、出迎えることなのでしょう。

 私たちは普段ミサのとき、これらを体験し、願っているわけですが、このミサの集いの中に、神が出てこられる。そして、私たちは今それを出迎えていると意識すると、ミサの時間がもっとドキドキしたものになるかもしれませんね。

 最近思ってたことを、忘れないために書いたみたいなものなので、あまりまとまっていませんけどね。書くことがたまっているので、ちょっと更新のペースをあげていきましょう。それでは、また。





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Last updated  2006.10.02 17:25:30


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