つかちゃんのイタリア日記

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 復活祭から10日ほどたちました。慌しい時期から平常の時期へと戻ったこの時、四旬節からの歩みや聖週間に考えていたことなどが色々と思い出し、思い巡らしています。

 現在という時代に、キリスト教は何を伝えようとしているのでしょうね。私たちは何を知っているのでしょうね。神の愛を伝えるのだ、かぎりないゆるしを述べ伝えるのだと語りながらも、神様の愛を信じているとは思えない生き方をし、ゆるされていることに甘えてしまっている自分がいたりする気がします。

 今はインターネットが発達しているので、日本の事件や事故の話題もすぐに伝わってきます。大きな事件が起こるたびに、心が痛くなり、お祈りします。一方で、そんな大きな事件や事故もすぐに忘れてしまう自分がいます。本当に心を痛め、祈っているのだろうかと思ってしまったりもします。

 昨日、急いで階段を上っていると、おじいちゃんの神父さんに、そんなに急がなくても、階段はなくならないよと、微笑みながら言われました。何か当たり前のことなのですが、心に残りました。ちょっと急ぎすぎているのかもしれませんね。色々なことに心を痛め、考え、祈らなければと、いつの間にか自分を縛ってしまっているのかもしれませんね。

 心にチクッと痛みを感じた時、そこに立ち止まって、痛みを感じなければならないのかもしれませんね。そこに立ち止まって祈らないといけないのかもしれませんね。そういうば福音書を読んでいると、イエスは度々立ち止まられますね。大事なのかもしれませんね、こういうイエス様の姿って。

 ヨハネパウロ2世教皇が、最後の時を迎えていた時、きっと彼はこの立ち止まるという時を過ごしていたのではないでしょうか。テレビや新聞は、次の教皇の話をしている。それは自分の生の終わりを意味しているのですが、彼は世界中を飛び回り、走り回ってきた偉大な教皇です。多分彼ほど世界に愛、平和、ゆるし、謙遜を述べ伝えた人はいないでしょう。ことばにおいても、行いにおいても、本当にすばらしい人でした。その彼も、最後は立ち止まって、自分の生を見つめていたのでしょう。自分の述べ伝えた愛を、自分が生きたゆるしを、自分が感じた平和というものを。

 聖霊降臨までの復活節という時間はきっとそのための時間だという気がします。死から命へ、闇から光へ。新しい過ぎ越しとは、そういうことですが、それは一瞬にして起こす化学変化のようなものではないでしょう。人のいのちというのは、そんなに簡単に変われるものでもなければ、変わっていいものでもない。私たちが生きてきた歴史はそんなに軽くないのですから。50日をかけて、私たちは復活を祝うわけですけど、それは過去の祝いではないのでしょう。お誕生日のように、純粋にこの生を喜ぶというのとも違うと思います。大きな生という流れの中で、今少しだけ、その向きが変わろうとしている。立ち止まっている。このまま進めば、自分が予想できる、無難といえるかもしれない生が待っているのに、私は立ち止まっている。向きを変えるのか、このまま進むのか。立ち止まって、見ているこの時はとても大事なのでしょう。

 調べていないので分からないですが、一年の中で復活節が一番長いのではないでしょうか?もし、そうだとしたら、立ち止まって少しずつ向きを変えている時というのが、一番大事で、必要な時なのかもしれませんね。

 復活節に何をお祝いするのでしょうね。今すぐ考えなくてもいいのですね。50日かけて、ゆっくり考えていきたいと思います。当たり前ですが、神学のこと、ごちゃごちゃと語らないでね。これは私のひとり言なのですから。





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Last updated  2007.04.19 21:02:15


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