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最近気になることがあります。お葬式で喪主に故人である親の話を聞こうとするとあまりわからないことがあります。どこで生まれたか?どこで育ったか?事情があるケースもあるのかもしれないのですが先祖に対する興味が薄れてきているのかもしれません。実はこれは非常にもったいない話です。先祖の人生について話を聞くことは、自分にとってもの凄くメリットがあります。「親に似ている」そういわれませんか?似ているのは、顔やしぐさや性格だけではありません。「多分、同じ状況で失敗をする」「多分、同じ状況でチャンスをつかめる」少なくとも親の成功と失敗は本人にとってかなり有益な情報には違いありません。「死んだ人より生きている人の方が大事だ」というのもよく聞くようになりました。果たしてそうだろうか?本当にそう思うならば、お葬式などしないでしょう(*^_^*)他人に対する関心というのが薄れてきているのかもしれません。もうそろそろ、西日本でもお盆です。この機会に親や祖父祖母などと生涯について話をするのもいいかもしれません。お盆ぐらいはゆっくりしませんか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月30日
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ちょっと間が開いてしまいました。久しぶりの四国遍路一人歩きーその10ー同行一人?この続きです。もうかなり記憶が薄れてしまいましたね。仙遊寺から、74番甲山寺を打ち、72番曼荼羅寺へ向います。まだ、午前中にも関わらずアスファルトが暑いです。かつて、72番曼荼羅寺と75番善通寺は寺領が接していたと言われるほどの大寺院でしたが、そんな面影はありません。すぐそばの73番出釈迦寺へ向います。このお寺の奥の院で7歳の弘法大師が、「仏門に入って多くの人々を救いたい。この願いがかなうなら釈迦如来あらわれたまえ、もし願いがかなわぬなら一命を捨ててこの身を諸仏に供養する」といって、断崖絶壁から谷底へ身を投げ、釈迦如来が現れて弘法大師を抱きとめたと言われています。お寺から約1.4キロの道のりを向います。久しぶりに登るとキツイですね(*^_^*)以前は車で登れなかったのですが、現在では車でも近くまで行けるようになっています。いきなり山道の視界が開けて山門が現れます。多少整備されましたが、以前もこんな感じでした。この奥の院をお参りしてから、さらに弘法大師が身を投げた場所へ向います。実は、ここにはある想い出があります。以前、「弘法大師が身を投げた」場所をお参りしたいと思っていましたが、当時は案内無しではお参り出来ません。この日もそうでしたが、普段もお参りがあるような場所ではありません。しかし、ある時、ここをお参りすると一人のお爺さんがいました。「弘法大師が身を投げたところへ行ったか?」「いえ」「案内してやろう」本堂の裏手から山道(といっても鎖があるような場所)をお爺さんがどんどん登っていきます。私はついていき、その場所へたどり着きました。折角ですから、般若心経をお唱えします。そのわずかな間に、お爺さんはいなくなってます。お礼を言おうと、急いで降りますが、奥の院には見えません。奥の院から73番札所への1.4キロの道を一気に走りながら下ります。当時20キロの荷物を背負い、3時間で20キロぐらいの高速行軍出来た若き日の三人文殊。荷物は下に置いてあるので、ほとんど空荷。本堂まで10分ぐらいで下りきったのですが・・・お爺さんがいない???(@_@;)未だにあれはお大師さんに違いないと思っていますが・・・弘法大師は「畿内で誕生」?(*^_^*)それはさておき、弘法大師が身を投げた場所まで向うのは大変でしたね。崩れやすい岩場を鎖を使いながら登っていきます。途中で荷物(頭だ袋)を置いて登ったくらいです。実は杖が無くて良かったです。杖があったとしたら、絶対杖を持って登った為に、それが邪魔になっていた可能性大ここに至って「杖を忘れた」意味が良くわかりました。(*^_^*)さて、この札所で大幅に時間を使って12時過ぎています。よっしゃ、次の71番札所の登り口には、俳句茶屋があります。ここで、食事を・・・山道を通って行きますが・・・しかし、ここまで草が生えていたら道とは言えません(*^_^*)遍路道には良くありますね。春先は通れても、夏には通れなくなる道。ようやく見えた俳句茶屋、しかし、閉まっています(;一_一)71番札所の弥谷寺は死者の霊が集まる山と言われていますが確かにそういう雰囲気がある霊気が漂う山寺です。お参りしてから、俳句茶屋を覗くと、既知のお姉さん???が見えます。声を掛けて食事をと思うと・・・ほとんど営業していない状態(*^_^*)アイスクリームをいただいて、雑談して、出立します。ここから暑い中を三野駅へ向います。しかし、俳句茶屋で油を売ったのが失敗。三野駅に着いた3分前に高松行きの列車が出発しました。(;一_一)次の列車に乗ると・・・高松へ着くのが4時過ぎ。もう、他の札所へいけません(*^_^*)もっとガックリしたのが三野駅から71番札所へ向けてバスがあったこと。朝、こちらから打ち始めたら、善通寺駅には2時ぐらいにつけたことでしょう。やはり、公共交通機関を使う遍路には、バス・列車・船の遍路時刻表が必要ですね。お盆が過ぎたら私は強い意志を持って「遍路時刻表」を作ると宣言する!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月25日
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武内先生の提唱された「弘法大師畿内誕生説」は従来は謎とされていた「弘法大師はなぜ中央の大学に入れたか?」「弘法大師はなぜ教養が桁外れに高かったか?」「弘法大師はなぜ大学を辞めて仏門に入ったか?」「弘法大師の莫大な留学費用は誰が出したか?」などに対して一挙に解決できる可能性がある画期的な学説です。再び真言宗と弘法大師 しかし、一方で直接先生にお話をお伺いするといくつかの疑問点が出てきました。疑問1 高い官位を得る方法としての、献物叙位には いくらかかったのか?銭百万、稲二万束、商布二万端などと書いてありますが、これが現在の貨幣価値でいくらなのかわかりません。また、これは切りのいい数字なので「たくさん」という意味ではないか?そうすると、実際の奉納額は遥かに少なかった可能性が出てきます。武内先生は「半端な額では無い」と言われていますが、明確ではないようです。疑問2 献物叙位で得た高い官位でメリットはあったのか?讃岐の郡司は徴税官であり、税を実質的に決める立場にあるので相当な特権があったと推測されます。しかし、献物叙位で高い官位を得でどれくらいメリットがあったのでしょう。当然、ポストにつけなければメリットが無いはずで、メリットが無ければ高額の献物などするはずがありません。そもそも、大臣やそれに近い中央の主要ポストならば、それなりの特権があったと推定されます。しかし、献物叙位得られる程度の官位では、そのようなポストには程遠いはずです。もし、それなりにメリットがあるポストに就くのは、後ろ盾がある貴族でも難しいはずで、しかもそれを維持するのも大変なはずです。まして献物叙位で貴族としてスタートするのでは話にならないでしょう。少なくとも「讃岐の郡司」と比べて「大きくメリットのあるポスト」に「莫大な献物」を行って就くというのは非現実的な考えのように思えてなりません。疑問3 交易はそれほど儲かったのか?なんかお金にまつわる疑問ばかり出てきます(*^_^*)さすがに俗っぽい三人文殊?(*^_^*)交易は佐伯直氏の経済力の元と先生が指摘されていますが当時の交易はかなりハイリスクハイリターンでは?後に船の信頼性も上がり海上交通の安全も確保された後の時代と違い、この時代の交易など命がけ。まず、目的地に価値のあるものを無事届けるだけでも一大事、台風にも会おうものなら、すぐに海の藻屑。運よく日和が良くても、積荷を狙う輩と戦わねばなりません。それを避けるには莫大な通行料を支払わされます。それ以前に疑問4 交易の目的地は?貿易が成り立つためには、少なくとも目的地が必要です。その前提として、交易が必要なほど経済活動が活発であることが、必要条件です。さて、当時、それほど経済活動が盛んだったのか?交易でどんどん儲かるほど経済活動が盛んな都市があったんでしょうか?当時は簡単に都を移動していることからして、それほど巨大な都市だったとは思えません。まして地方にはそういう都市は無かったでしょう。そう考えたら、交易で莫大な富を築けるとは考えにくいです。また、佐伯直家が何を取引していたかもわかっていないようです。疑問5 佐伯直田公(大師の父)は、なぜ阿刀氏と 結婚したのか?阿刀氏は日本有数の名族と言いますが、それほど官位は高くないようで、献物叙位で得られる位と同じくらいです。とは言え、佐伯直家とは差があるのは明らかです。阿刀氏が佐伯直氏と結ぶには、それなりの理由が必要です。交易自体がさほど盛んでなかったとしたら、このあたりが明確ではありません。また、この過程で新たな事実がわかりました。弘法大師の留学の時の太政官符の戸主は「佐伯直道長」この人と弘法大師の関係が、伯父・甥の関係らしいです。つまり、「佐伯直田公」はその弟?ということです。無位無官?の佐伯直家の戸主の弟に対して、阿刀氏がなぜ婚姻関係を結んだのか?これで、さらに謎が深まります。疑問6 佐伯直田公(大師の父)は、どこに住んでいたのか?この点で「弘法大師畿内誕生説」に疑問?を持ちました。佐伯直田公が畿内に住んでいたならば、確かに畿内に住んでいる阿刀氏と婚姻関係を持つとしたら、「弘法大師」は「畿内」誕生したと言えるかもしれません。しかし、畿内に住んでいなかったとしたら、当時の結婚形態が妻訪婚が一般的だったとしても、それを外れていた可能性も考えられなくはないでしょう。疑問7 なぜ弘法大師の兄弟や甥は高い官位を持っていたのか?無位無官である「佐伯直田公」の子や孫が高い官位を持っていたということは、その兄であり戸主の「佐伯直道長」の子や孫も当然高い官位を持っていたということになるはずです。「佐伯直田公」や戸主の「佐伯直道長」以外にも兄弟がいた可能性もあることを考えると、佐伯直家が如何に経済的に恵まれていたとしても、一体一族でどれだけの献物を行ったのか?いくらなんでも無理があるように思われます。こう考えてみると「弘法大師畿内誕生説」は新たな謎を生み出してきます。先行する研究が無いので当然かもしれません。残念なことは武内先生に続く研究や「畿内誕生説」に対する反論などがなされていないことです。武内先生はこう言われていました。「畿内誕生説は学問的におかしければ取り下げてもよい」「弘法大師の誕生所」の善通寺には学問的な反論を期待したいです。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月22日
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大袈裟なタイトルですが、池の鯉が卵を産んで、孵化したようです。鯉は卵を産んだら引き上げておかないとダメというのですが、何もしていないです(*^_^*)ちょっと画像は良くないんですがわかりますか?今の大きさは1センチぐらいです。昨日の台風で流されるのではと心配していましが、杞憂に終わりました。200匹ぐらいいるみたいですが、さすがに全部は大きくならないでしょう(*^_^*)何度も金魚を入れてくれた檀家さんも「これで、もう何も入れなくても大丈夫」と喜んでいました。(*^^)v人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月20日
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質問時間が終わって残念・・・これで終わったら話がお終いですが・・・実は続きがあるんですよ。この日は、お昼と夕食を先生とご一緒させていただきました。実は武内先生は「愛媛のお寺のご出身」(@_@;)意外にも?四国の寺院関係の方でありました。そこで、先生に超思い切ってお尋ねしました。「四国のご出身なのに弘法大師が畿内で誕生されたという説を唱えられるのに抵抗はありませんでしたか?」意外なお答えでした。先生によれば、これまで「弘法大師伝」については伝えられてきたことを「疑うこと」自体が弘法大師を冒涜すると思われて、全く史料の検証がなされてこなかったそうです。しかし、それはむしろ弘法大師を冒涜することではないか?真言教団だけで「弘法大師」を評価したところで一般にはそれは通用しない。信仰と史実は分けて考える考える必要があるし、「真実の弘法大師」を明らかにすることによって「弘法大師」自体が一般にも評価される。という強い信念を持たれておりました。実は真言宗は大きく分けて二つあるのですが、古儀と言われる西日本に勢力を張っている真言宗はかなり保守的。新義と言われる関東で広まっている真言宗はそれに比べると革新的。40年ほど前、新義の学僧である故宮坂宥勝先生が「弘法大師は火葬された」と発表したところ批判が集中したと言われます。そう考えると武内先生が保守的な高野山で、このようなインパクトのある説を唱えられるのにはかなり勇気が要ったはずですが、淡々とされていました。ただ、こんなことも言われておりました。「蔭ではともかく、(弘法大師畿内誕生説)について 面と向かってけしからんと言われたことは無い」ですから、今回の勉強会に対して「低額の講義料なので、力を入れてもらえないのではないか?」と事務局のU僧正と心配していたのですが、ビックリするほど力を入れていただいた背景にはそういう事情もあったのかもしれません。さて、先生の本を読ませていただいた時には、あまり感じなかったのですが、詳しく講義をしていただいたらいくつかの疑問点が出てきました。当然のことながら先駆的研究が存在しないわけですから詳しく論議されたわけではありません。しかし、意外にも「弘法大師畿内誕生説」を揺さぶるような疑問点がありました。その点については次回お話します。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月17日
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ちょっと多忙だったので日記の間が開いてしまいました。善通寺のお参りの記事の後に、勉強会の記事です。空海の誕生地は畿内?再び真言宗と弘法大師「弘法大師畿内誕生説」で四国に衝撃を与えた高野山大学副学長 武内孝善教授を、なんと徳島にお迎えしました(*^^)vさすがに「弘法大師畿内誕生説」を表に出すと反発があるかと思い「弘法大師伝」という勉強会の提案を出したところ、採用されました(*^^)vそれも、三回連続という豪華版!(@_@;)超高額の派遣費用が掛かるかと思いきや・・・なんと超太っ腹の高野山大学!条件さえ合えば、一時間2万、1時間半3万の講演代派遣費用は高野山大学持ちというスペシャルなシステムがあるとか!(@_@;)さて、会場について、配布された資料を見てビックリ!なんと・・・42ページもあります(@_@;)おお~たった3万円でこんなに詳しい資料が(@_@;)ちなみに、三回の講義分ではなく、今回のみの資料(*^^)vしかし、これだけ衝撃的な勉強会にも関わらず、参加者は「たった23名」(;一_一)しかも、何人かは寺院の奥様(;一_一)「弘法大師伝」というタイトルなために、初心者向けと誤解されたのでは?(;一_一)しかし、来られている参加者の方を見る限り、珍しく大覚寺派で講習会の講師をされている方が揃い踏み!やはり、見る人は興味を持たれているということですかね?さて、内容ですが、まず武内先生が「弘法大師畿内誕生説」に至った経緯が語られます。その前に従来語られていた弘法大師の誕生の概要は以下の通り(以下三人文殊補)弘法大師は印度の高僧が懐に入る夢をみて、お母さんが身ごもったといわれ、屏風ヶ浦といわれる善通寺で誕生しました。お父さんは讃岐の豪族の佐伯氏であり、弘法大師は5~6歳の頃から夢の中で、諸仏と語り、仏様を泥で作って礼拝して遊びました。そして、7才のとき、捨身が嶽から仏道に入って衆生を救いたいといって断崖がら身を躍らせたというように、子供の頃から仏門に入るべく定められていたように語られます。従来、弘法大師が讃岐生まれとされた有力な根拠は以下の通り1、延暦24年の太政官符に本籍地、讃岐国とある。2、「三教指帰」(弘法大師の出家宣言書)に「玉藻帰る所の島(讃岐)、よ樟(クスノキ)日を蔽すの浦に住す」とあり、善通寺境内にはお大師さん在世当時からあったといわれる巨大なクスがあるために、善通寺を指すといわれていた。(以上三人文殊補)さて、これを前提に武内先生の新説が展開します。(実は本論はここからスタートしていますので、弘法大師に関する基礎知識が無かったら勉強会では何が何だか分からない)1、弘法大師の生家は佐伯直氏は「讃岐の豪族」と言われているが、一体どれくらいの豪族であったのか?2、弘法大師の生家は没落しつつある一族と言われていたが本当だろうか?先生が調査されたところ驚くべき事実が判明!1、弘法大師の兄弟・甥が地方豪族としては 考えられないほど高い官位を持っていた。ここから先生が推測された仮説が次の通り1、高い官位を得る方法としては、献物叙位に 依ったのではないか?2、それに基づく経済力を交易によって 得ていたのではないか?3、高い官位を持つことによって中央進出を 目指していたのではないか?一方で弘法大師の母親の出身氏族である阿刀氏についても考察されています。1、阿刀氏は物部氏につながる日本有数の名族である2、阿刀氏が畿内に住んでいたことは間違いなく、 讃岐に住んでいた記録が無いしたがって、次のような推測がなされます。1、佐伯直氏である弘法大師の父は畿内に出かけていて 阿刀氏の母を妻とした。また、当時の結婚形態は妻訪婚(男が妻のところへ通う)が一般的で、子供は母の実家でしばらく育てられていたことから「弘法大師は畿内で誕生した」という衝撃的な結論が導きだされたようです。ちなみに私が持っているその40ページに及ぶ資料には裏付けとなった考察・資料が細かく載せられています。驚くべきことには先生は、ほとんどホワイトボードを使われないで説明されていました。つまり、その40ページに及ぶ資料は実はほとんど講義録!(@_@;)勉強会を提案した私としては、先生にぜひとも質問をしなければなるまい。そう思って眼を皿のようにして資料を見、耳を象のようにして一言も聞きもらすまいとしました。質問を次々と書き込みます。あっという間に講義時間の2時間が過ぎました。40ページに及ぶ資料のどこに質問を書きいれたか確認しながら、質問の準備していると・・・司会のU僧正が「大変申し訳ありませんが本日は質疑応答の時間が ありませんので、今日はこれで終わりとします」お~マイブッダ(@_@;)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月16日
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さて、前回の徳島南部の霊場から一転、香川に向います。残す霊場は71番~75番、81番、82番、84~86番これを二日でなんとかお参りしたい・・・しかし、シュミレーションする限り・・・難しい(;一_一)とりあえず、出発。朝、駅のコンビニで、水を購入します。ん・・・あれ・・・お杖(お大師さん)が無い(;一_一)前回は駅に置き忘れてきましたが・・・今回は、出発から忘れた(;一_一)取りに帰ると・・・予定が~お杖は前回も申し上げたようにお大師さんの身代わり。仕方ない、お大師さんには留守番をお願いしよう?しかし、普通は四国遍路は一人でお参りしても「お大師さん(お杖)と二人」ということで「同行二人」というのですが・・・これでは、同行一人ではないか?遍路と呼べるのか?なんか、もやもやしたまま、午前9時ころ善通寺駅に到着。外へ出ると暑いです。六月とは思えない高温。ほとんど真夏の日差しです。約30分ほどで75番札所善通寺につきます。善通寺は真言宗のうちで唯一?四国にある総本山。末寺約200ケ寺強を抱えています。かつては弘法大師はこの地で生まれたとされ、この善通寺こそは弘法大師のお父さんの佐伯善通の屋敷跡に建てられたと言われていました。この善通寺が近年揺れています。その原因が「弘法大師畿内誕生説」本山らしく、境内のお堂にも職員が詰めており、御影堂では僧侶による法要が行われています。境内を何人かの職員が掃除している辺りも、観光客らしい人がチラホラ歩いているのも本山らしいです。樹齢1200年という楠の大木。これを見ると、特別なパワースポットであることを感じざるを得ません。境内に仏具を売っている売店に・・・お杖がある!今回の遍路では山登りもあるし・・・ここでお杖を購入したら・・・お大師さんが生まれた伝説のある善通寺からお大師さんと二人連れってどうよ(*^^)vただ、都合のいい時だけ、弘法大師は善通寺で生まれたことにすることに良心の呵責を感じざるを得ない(;一_一)それに、購入したお杖はどうするのだ???新しいお大師さんと古いお大師さん。今度お遍路する時にはどちらを使うのか???なかなか悩ましい問題で、結局購入は却下しました。さて、善通寺から、74番の甲山寺へ向うのですが、途中に仙遊寺があります。お大師さんが子供の頃遊んだという仙遊が原。ここに地蔵堂が建てられ、お祭りされてきました。せっかくですから久しぶりにお参りさせてもらいます。しかし、お参りもほとんどないようで荒れています。守をする人もいない様子。これは無茶でしょう。この暑いアスファルトの上を、善通寺(約二キロ)まで歩いて戻って納経受けろとは鬼のよう。善通寺もお大師さんの誕生所を主張する以上、お大師さんの遺跡に守をする人ぐらい置いてはどうでしょうね?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月09日
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このところ遍路日記ばかり書いておりますが久しぶりの政治・宗教ネタです。これはだれも批判しないのか?ジブチに自衛隊初の海外拠点オープン 海賊対策で~~~~~以下引用~~~~~ソマリア沖・アデン湾での海賊対策のため、自衛隊がアフリカ東部のジブチに開設した哨戒機の拠点施設の開所記念式が7日、開かれた。派遣の長期化を見越して駐機場や格納庫、隊舎などの施設を約47億円かけて整備。自衛隊にとって初めての本格的な海外拠点となる。 式典に出席した小川勝也・防衛副大臣は「自衛隊の海外任務の歴史の中でも画期的な意義を持つ。我々はよりいっそう海賊対策に励む決意を表明しなければならない」と述べた。 asahi.com2011年7月7日23時28分~~~~~以上引用~~~~~これはれっきとした軍事基地ですよ。日本国憲法第二章 戦争の放棄 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、『武力による威嚇』又は『武力の行使』は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 このジプチの軍事基地は「武力による威嚇」に当たらないのでしょうか?ネットで検索しても、「反戦護憲派」を含めてスルー(@_@;)なんで???一応「大東亜戦争肯定派」「改憲して日本国の武装推進派」の私ですらおかしいと考える、「自衛隊の海外派遣」の上を行く自衛隊の海外軍事基地建設。しかも、当初の予算では37億円では無かったか?なんで、9億も増えた???この軍事基地が攻撃されたらどうするのか?日本本土ならともかく、遥か離れたアフリカの基地が攻撃されても当事国と戦争状態になります。戦争を回避しようとすれば、賠償その他で国益が失われるのは当然。日本国民はそれだけの覚悟があるのか?さらに言えば、「日本と戦争状態を作ろうとして、中国・韓国・ロシアが この基地を攻撃したらどうするのか?」日本国土を攻撃すれば、日本人もさすがに戦争を覚悟せざるを得ません。しかし、遥か離れたアフリカの基地ではどうでしょう?少なくとも、こんな海外に軍事基地を作るぐらいなら国民を巻き込んだ重大な議論、すなわち総選挙が必要ではないか?もうひとつはこれダライラマ14世 チベット密教 金剛界マンダラ灌頂日 時 2011年 11月1日(火)~11月2日(水)8時~16時会 場 高野山大学松下講堂黎明館チベット密教と真言密教は同じ密教の枝分かれとはいえ、教義はかなり違います。以前にも書いたようにむしろ対立する教義。その代表者を招くのは構わない。しかし、代表者に宗教行事をさせるのはいかがなものか?そこまで、チベット密教に下手に出る必要やある?こんな馬鹿なことを誰が認めた???これは抗議せねばなるまい。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月08日
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ロープウエイで下って、和食東バス停まで戻ります。時間を見ると・・・バスの通過時間を過ぎています(@_@;)これは乗り遅れたのでは?と思いましたが、バスがやってきました(*^^)v田舎のバスは多少遅れ気味に来ます。バスに乗ると、バスの運転手さんが後ろを向いて話しかけてきます。朝、わざわざ、ロープウエイへの道を説明してくれた運転手さんでした(*^_^*)阿瀬比でおり、大根峠を越えます。大根峠は登りがきつく、だらだら下ります。下りきったところにありがたいことに休憩所がありますので休ませてもらいます。そこで、秘密兵器「JRトラベルナビゲータ」で、JR新野駅の列車時刻を見ます。なんと・・・約二時間先にしか日和佐方面の列車がありません。ここから、約22番平等寺までは30分、そこから新野駅までも30分。拝む時間が1時間・・・は長くないか?22番平等寺へ向う途中、小川を挟んだ対岸に、こんもりした神社が見えます。前回も気になっていたのですが、時間の関係で割愛。今回は時間があるので行ってみました。「轟神社」境内にある樹齢600余年といわれる大樟の群生がある見事な神社でした。前回あわただしくお参りした平等寺でしたが、今回はゆっくりお参りします。雨がパラパラする境内はひっそりとしています。駐車場で特産品を売るワゴンだけが、いつ来るとも判らないお客を待っています。新野駅に着くと、13時過ぎ、あと25分ぐらい時間があります。駅前に食堂がありますが・・・ちょっとのぞくと、一つだけあるテーブルにお客さんもありません。入るのには勇気がいりますね(*^_^*)ごめんなさい。家から持ってきたパンを食べさせていただきます(*^_^*)さて、日和佐までは350円。やって来た列車に揺られ、日和佐駅へ、切符を渡し、駅で時刻表を確認すると・・・23番をお参りして、列車に乗ると・・・5時を過ぎてしまい番外霊場鯖大師へいけない(;一_一)いま、乗って来た列車は行き違いのため、まだ駅にいます。この列車に乗れば、鯖大師をお参りして、日和佐へ戻り、23番をお参りしたら、ちょうど特急がやってくる。そうすれば6時には帰れるだろう。しかし、その考えは甘かった(;一_一)取り急ぎ、列車にそのまま飛び乗ります。気になることが一つ・・・新野ー鯖瀬、よりも新野ー日和佐、日和佐ー鯖瀬って分けて買ったら高くないか???日和佐ー鯖瀬 380円やっぱし高いわ。車掌に言って、つないでもらおうか?まあ、いいか(*^_^*)鯖瀬で降りて、新野までの乗車料金を見ると・・・740円(@_@;)おお~さすがお大師様、分割した方が安いんですね!(*^^)v鯖大師にお参りして、列車までの時間に付近を歩きます。鯖大師の話を一つ。お大師さんがここを訪れた時、鯖を積んだ馬子が通りました。お大師さんが鯖を積んだ馬子に鯖を所望しますが呉れなかったので、「大坂や八坂坂中鯖一つ大師にくれで馬の腹病む」と一句詠むと馬が倒れて苦しみはじめました。困った馬子が鯖を一つ差し出すと「大坂や八坂坂中鯖一つ大師にくれて馬の腹止む」とお大師さんは一句読み、貰った鯖を海に返してやりました。ところで江戸時代の真念法師の遍路道指南には「おふ坂や八坂の中鯖一つ行基にくれで駒ぞ腹病む」「おふ坂や八坂の中鯖一つ行基にくれて駒ぞ腹止む」と行基菩薩の話になっています。もともとはお大師さんの話ではなかったものがお大師さんの伝説へと変わって行ったことが解る実例です。また鯖はもともと生飯(さばと読みます)のことではないかとも言われています。生飯(さば)と言うのは自分の食事の一部を餓鬼などの鬼神に供養することです。また峠には手向けの神という神様がいて、その神様に何か供養すると無事に通行できるといわれていました。そこで生飯(さば)を供養していたのが、魚の鯖に変わってしまったと言う説です。鯖大師の辺りはかつては八坂八浜といって大変な難所だったといわれていました。そこを安全に通ることを願って生飯(さば)供養をしていたのが、鯖大師のはじまりかもしれません。四国遍路の雑記帳26-鯖大師の真実鯖大師から列車に乗って、日和佐に向かいます。あれ?お杖が無い(;一_一)お杖はお大師さんです。これは大変。取り急ぎ、23番の薬王寺をお参りして、日和佐にとって返し、鯖瀬へ向います。その列車の中で、お婆さんが「お遍路さんお接待させていただきます」「すいません・・・」さすがに、「お杖を鯖瀬に忘れて取りに帰る途中で、お杖を手に入れたら徳島まで帰ります。」とは言えない(;一_一)そのまま「徳島県人ですが」と言いながら受け取ってしまったのですが、どうしたらよかったのだろう?鯖瀬駅で無事お大師さんを(お杖)発見して保護しました(*^^)vしかし、帰りの列車まで一時間以上あります。それまで待っているのもねえ(*^_^*)とりあえず、牟岐方面に歩きます。牟岐駅までは4キロ、約一時間の道のりです。途中で、コンビニで讃岐うどん発見。早速入っていただきます。お大師さんを忘れるとは不覚でした。しかし、これは伏線でした。その話はまた後日。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月04日
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さて、先月の25日は徳島県南の札所へ向いました。徳島駅に降り立ち、駅前のバスターミナルで21番札所の麓へのバスを待っていると、お遍路さんに会いました。挨拶すると話しかけられて来られました。「どちらへ」「太龍寺です」「私は焼山寺です」お互いのルートを確認しあいます。「公共交通機関を使うんですか?」そう私が尋ねると「ええ、3回目までは歩いたんですが、体力もありまして」「暑い夏などアスファルトを歩くのは意味がないですね」「そうです。やはり、土の道が良いですね」何度も廻ると、あえて長距離のアスファルトの道を歩くことが意味がないことに気づくのでしょう。そういう人がいることがなんとなくうれしかったです。一方で「土の道が良いですね」とか言われると、天邪鬼の私などは斜めに構えてしまい、同意できません。本当にそうなら、アスファルトの道など作るべきではない。地道なら、まだ生き物が生息する余地がある、しかし、アスファルトはどうだろう?そんな道が人間にやさしいわけがない。でも、アスファルトの道が次々とできるのはどうしてだろう?近年、歩き遍路ブームに載って、「わざわざ廃道になっている古道を復活させたり」「整備が生き届かない遍路道の草刈りをしたり」する人たちがいる。私はそれには反対だ!鳩山ではないが「日本列島は日本人だけのものではない」わざわざ、遊びで遍路道を整備することによって、森に住む生き物たちには大きな影響が出るのだ。人間が生活のために、山を開いて使うのは、勘弁してもらおう。でも、遊びでそうするのはいかがなものか?人間が遊びで開いた道によって、たくさんのミミズが干上がりモグラが死んでいる。遊びで通る道など開かないで、森に返してあげればそういう事はないのだ。そういう現実を見たならば、「土の道が良いですね」などとは口が裂けても言えない。長々と嫌味を言ってしまいましたが、今回の遍路で予想以上に公共交通機関を利用して遍路している人が多いことに気づきました。さて、徳島駅前からバスに揺られること、1時間半超21番札所の麓の和食東バス停に着きます。そこから、歩いてロープウエイ乗り場まで一キロ弱。その途中に番外霊場蛭子神社があります。この見事な鳥井杉(@_@;)四国遍路は神仏両参りと言います。一体どういう意味なのか?私の解釈はこうです。四国遍路は札所を巡ってお大師さんにすがる旅(仏参り)しかし、その、霊場を守って来た四国の人たちに感謝する旅その形のしての、四国の人たちが守してきた神社にお参りする(神参り)この二つの(仏参り)と(神参り)を合わせて、神仏両参りと称したのではないか?というのが私の解釈です。徳島県人である私が「遍路は四国の人に感謝せい」というのはえらそうな言い方に聞こえるかもしれませんが、もともと私は徳島県人ではありません。この考え方は、縁あって四国人になる前から思っていたことで、現在でもそう思っています。そういう考え方のもとに、私はできるだけ、四国遍路中は神社に少しのお賽銭を上げてお参りするようにしています。さて、ロープウエイで山上へ向います。21番札所は「西の高野」と言われる太龍寺です。阿波の不思議霊場(18番~23番)ロープウエイに載っていたのは数人。私が本堂でお参りしようとすると、他の人はお賽銭を入れただけで大師堂へ移動していきます(@_@;)今年、気になるんですが、お参りしないお遍路さんが増えましたね(*^_^*)納経を受けた後、境内の北の端にある納経所から15年ぶりに南舎心に向います。お大師さんが行をしたと言われている場所です。意外に登りがきついですね(*^_^*)年齢を感じます。お大師さんの後姿発見(*^^)v15年前は、このお大師さんのところは立入禁止だったんですが、行けるようになってました!(*^^)vただし、この日は霧が深く、岩場が濡れ、足がガクガクになっている私は、文字通り「捨身」になる恐れを感じて行きませんでした(;一_一)再び急坂を下って、端の納経所へ向います。滞在時間が一時間になってしまいましたよ(*^_^*)さて、下りのロープウエイですが、妙齢の案内のお姉さんと二人っきりでした(*^^)v「全部歩いているんですか?」「いえ、ロープウエイに載っているくらいですから」「そうですよね。」「二年前も同じ質問されませんでした?」「・・・」二年前も多分、二人っきりでしたよ。このお姉さんもお大師さんだろうか?(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月02日
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だいぶ前ですが、6月17日に新四国曼荼羅霊場の巡拝に行ってきました。前回お寺が不在だったために困ったので、今度はあらかじめ電話してから札所に向います。最初に向う予定の札所に前日に電話すると・・・「えっ、明日お参りに来る? 明日は歯医者予約しとるんやけど・・・」「・・・」朝イチということを説明したら、「それならおります」ということです(*^_^*)しかし・・・それは、まだ序の口。ある札所に電話したら・・・「今、納経書ける人がいないんですが・・・」「・・・」「留守番なもので・・・」「では、私が書きましょうか?」冗談で言ったんですが・・・(*^_^*)お寺に行って「納経お願いします」「すいません、先ほど電話された方に書いて もらいたいんですが・・・」「・・・」納経もセルフサービスです(*^_^*)しかし、最後に横綱登場。「もしもし、これからお参りするので納経 お願いしたいんですが・・・」「いま、新四国曼荼羅霊場の総会があって○○に 来ているんですよ」「お寺に誰かいます?」「いません」「どないしましょう?」「判とお姿(本尊様の札)は外に出してありますが・・・」しかし、行ってみると、お姿も足りない(;一_一)札所には、きれいなお寺も多くて、お接待をいただけて一生懸命なお寺も多いだけに残念な話です。こんなお寺もありました。新長谷寺の鬼のような石段三福寺のヒノキ。きれいに作ってありますね。同じく三福寺の松。ここは本当にきれいな庭でした。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年07月01日
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