2005.03.26
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お釈迦様の命日だそうです。

太陽暦で言う ちょうど今頃になります。
(ちなみに今日=平成17年3月26日は
旧暦で2月17日だそうです。)


私たちは
みな 死にます。

それは
お金持ちであろうが
どれだけの肩書きがあろうが
誰にも 平等に訪れます。

例えば それは
お釈迦様という
特別な存在にさえ
等しく訪れました。


先日、 瀬戸内寂聴さんの『寂聴おしゃべり草子』 という本を
読んだのですが そこにはこうありました。

私たちは
性教育 を受けますが
については
  学ぶ機会がありません。

  性教育では、命はどこからやってくるのか?
  生命は どうやって誕生するのかを学びます。

  それは 命の尊さ
  学ぶ機会でもあります。

  けれど、誰にも平等にやってくる『死』というものを
  学んでこそ、 命の大切さ
真摯に生きることの意味
  知ることが出来るのではないか?
 と。



いつだったか、
現代の子ども達の何割かは
死んでも人は生き返る と思っている
と ありました。


何割だったかは忘れてしまいましたが
(15%くらいだったかな?)
それはその割合が多いとか少ないとかの問題ではなく
0% で普通なのではないかと
思うのです。



性教育と同じく、
かつては生活の中に普通にあり、
経験として学ぶ機会が多くありました。

(ある意味、性教育に当たる部分は
多分にプライバシーを含んだ
秘めることも多かったものであるが故、
「教育」というカタチをとることが
不思議でなかったのかな?と思います。)

しかし、生活様式が変化し
子ども達は日の出や日の入りを見る機会を
無くしてしまったのと同じように
死というものに触れる機会もなくしてしまったのでは
ないかと思います。



けれど、 死があるからこそ
今 生きて輝いている命が
尊く美しい



そんなことを
静かに子ども達に伝えることの出来る
大人になりたい、と
ふと思った今日の私です。










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Last updated  2005.03.27 02:28:56
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