去年に亡くなった義兄、癌の末期はとっても苦しい痛みを耐えきって勇敢な死を遂げた。その癌と戦う姿勢は勇ましく、物事に果敢に立ち向かってきた彼の生きざまそのもの。かねてから強い敬意を持っていたが、その思いを更に強めさせる姿だった。
それにしても外科的な手術を行ってすぐに自宅に戻すアメリカのやり方には感心した。確かに病院にいても何が出来る訳でもなく、回復を待つだけなら自宅でも良いはずだという考え方も理屈では分かる。でも体内の欠陥が一部露出している状態でも帰宅させたのには驚いた。でもずーーっと病院に閉じ込められるよりははるかに精神的には良いだろう。この辺、どちらの医療体制が良いのかにわかには判定しにくいですが、個人的には病院にずーーっといるよりはこちらがベターに思えます。
そんな義兄の奥さんが遺骨を持って日本に来た。我々に渡すため。その義姉と晩飯を一緒にした。何せ今我が家は引っ越しもどきで大騒動。家に呼んで飯を食う状態ではないので外で飯を食う。いつも私が気に入っている洋食屋に連れて行った。これが案外大評判で、ご本人大喜び。フランス人なんですが、日本でのメシの方がアメリカでのものよりよほどオーセンティックだそうで、「おいしい、おいしい」と舌鼓を打ちながら話し込みました。
最期のときの様子も聞き、改めて感心もし、敬意を強くした。生き方としても立派な方だった。そして身内らしい話題もでた。いろんな事があるのです、ハイ、人生は。それを改めて深く思い知りつつ、こんな話をゆっくりメシを食いながら出来たことで彼女の気持ちが少しは晴れたようだった。私としてはそれが一番うれしい。
大切な人を亡くした後の喪失感は巨大なものがあります。それこそ命の重みですな。まして立派に生きてきた人間が亡くなるとその喪失感は一層大きなものになる。それに対処するのに私がさして役に立つわけではない。出来ることは話を聞いてあげることのみ。まあ、そんなことでも少しは役に立てればと願っていました。お蔭さまでおいしいメシもそれを助けてくれたようで、本当に何よりでした。
また少し時間を置いたところで、今度は女房と一緒に話を聞く機会を設けてあげようか考えてます。・・・・・・雨が多いとついついこんな内政的な事を思ってしまいます。今日からはようやく雨が上がり少しは晴れ間が見えるとか。頼んまっせ、おてんと様。
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