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さすらいの天才不良文学中年
ビールの4000年史
ビールの4000年史
文春新書「常識の世界地図」を読んでいたら、ビールについて面白い記述があった(写真)。
我々が常識だと思っている、「ビールは冷やして(しかもキンキンに)飲む」という飲み方は、どうやらつい最近始まったことらしい。
確かに4000年に及ぶビールの歴史(古代メソポタミやエジプトなど、ワインが製造出来ない地方でビールが生産されたというエピソードも面白い)の中で、冷蔵技術が発展したのは最近であるということを考えると、昔は常温でビールを飲んでいたとしてもおかしくはない。
実際、イギリスのパブで飲む伝統的なエール(上面発酵のビール)や中央ヨーロッパのアルコール度数の高いビールはもともと常温で飲むものとされている。南米アンデス地方でも、冷たいビールはお腹に悪いと言って常温で飲むらしい。また、中国山東省のように、わざわざビールを温めて飲むところもあるようだ(出典はいずれも上記文春新書)。
「生ぬるいビールは馬の小便」と教えられてきた我々の世代は、常温の良さを知らぬ不幸な世代なのか、それとも冷えたビールが飲めるという良き世代なのか。ビール好きのおいらにとって、ビール談義の興味は尽きない。
ビールの酒税
少し前になるがニューヨークにいたとき、ビールは缶ビール(350ml)が一缶約1ドル、つまり感覚的に一缶100円という感じだった。日本にいたときの一缶約200円の感覚から言えば半値に近く、単純に幸せをかみしめることが出来た。
それもそのはず、各国のビールの酒税(350mlあたり)は、日本の77円と比較して、米国7円80銭、ドイツ3円82銭、フランス5円31銭と大幅に安いのだ。イギリスだけは45円12銭と突出するが、日本に較べるとまだまだ安い。
つまり、イギリスを除けば、日本のビールは米独仏よりも一缶あたり約70円高いビールを飲まされている勘定になるのだ。読者諸兄よ、たかが70円と言ってはならない。毎日ロング缶一本なら約100円、一月にすると、約3,000円、年間約36,000円も海外と比較して高いビールを飲まされているのであるぞ。
本来、ビールは他の酒に較べて、気軽に飲める安い酒というイメージがあったが、それも今は昔の話しである。これじゃあ、「高級酒であるビール」は止めて、発泡酒や最近流行の第三の酒を飲もうということになりかねない。
このままだと、日本ではビール文化が死ぬことになると杞憂。
ホットビールを飲んでみたの巻
桜が開花したようだが、まだ朝夕は冷える。
そこで、ホットビールを嗜んでみた。
海外ではビールやワインを温めて飲む習慣がある。ビールの本場のベルギーやドイツの冬は寒い。温かいビールを飲みたくなる理由が分からない訳でもない。
それに昔は冷蔵庫などない。ビールは常温で飲むのが普通だったはずだ。夏などはビールも自然に温まっていたのではないだろうか。
さて、温めて飲むビールは、黒ビールである。休日に近所の酒屋に行ったら、ギネスが置いてない。止むなく、恵比須ザ・ブラックにする。
飲み方は至って簡単である。電子レンジで約50度にして飲む。お湯割用のグラスに入れて、約1分(千ワット)温めればそれで出来上がり。なお、温めすぎると、泡が吹き出すのでご用心。
う~ん。旨い。麦の香りが立つ。
もともとおいらはウイスキィもお湯割りにするのが好きなのだ。むせかおる香りが好きなのである。温ビール、癖になりそうである。
(追伸)
普通のビールは温めても旨くはならない。実際にやってみると分かるが、気の抜けたビールのようになる。どうやら黒ビールでなければ、温ビールには向いていないようだ。
日本のビール王 馬越恭平をご存じか(前篇)
本日より3日間は、関ネットワークス「情報の缶詰15年10月号」に掲載された「日本のビール王 馬越恭平をご存じか」をお送りします。
「日本のビール王 馬越恭平をご存じか」
その昔、ビール業界で圧倒的なシェアを誇っていたのは、大日本ビールであった。大日本ビールの前では、キリンビールは泡沫ビール会社の有様であった。
その大日本ビールの社長馬越恭平(写真上)は、立志伝中の人物であり、また、稀代の女好きでもあった。英雄は色を好む。
1.まずはビールで
おいらやおいらの上の世代が酒を呑むときは、まずビールから始まる。それが当たり前だと教育された世代だからである。
ところが、最近は若い人がビールを飲まなくなった。アルコール自体を飲まない若者も増えており、コンパなどでも「ビールで乾杯」という光景を見ることが少なくなっているという。
この不気味な光景は車でも同じである。
今の若い人は車に乗ることをステイタスとは思っていない。だから、車の免許を取らない若者が増えている。実際、車を買うなど彼らの頭の中にはない。それだけお金があるのならパソコンを買うという。
時代が変わりつつあるのだろうか。一面、このことは真理をついているように思えるが、さて、諸兄はご存じだろうか。実は日本のビールの歴史などたかが知れているのである。
ビールが日本人に親しまれるようになったのは、昭和初年からのことである。それまでの酒といえば、日本酒と決まっていたのである。
では、何故、日本人が酒を飲むときに「まずはビール」と云うようになったのだろうか。その経緯を知らなければならない(この項続く)。
日本のビール王 馬越恭平をご存じか(中篇)
2.ビール業界の歴史を創った男
当たり前のことだが、ビールは輸入品である。それを日本で創るとなると並大抵のものではない。文明開化で西洋文化が導入され、明治9年には早くも札幌麦酒(サッポロビールの前身)、明治20年に日本麦酒(恵比寿ビールブランド)、明治22年に大阪麦酒(アサヒビールの前身)ができたが、ほとんど売れていなかった。
それにもかかわらず過当競争をしていたので、ビール会社の経営は順調ではなかった。
そこで、馬越恭平(写真下)の出番となったのである。三井物産の役員であった馬越はその商才を見込まれ、左前となった日本ビールの再建を依頼される。
しかし、当時はビールのことなど名前しか誰も知らないのである。そもそも酒以外にビールなど飲んだことがないのである。だから、売れない。
馬越が考えたのは、とにかくビールの味を覚えてもらうことであった。ここで馬越の本領発揮である。明治33年(1900年)ごろに銀座にビアホールを開店した。
また、時代を引っ張っている職種にビールを飲んでもらうという作戦も行った。彼がターゲットにしたのは、当時の四者である学者、医者、役者、芸者であった。このことについては、次章「ビールの売り込み」で述べる。
次に彼が打った手は、渋沢栄一と内閣に働きかけ国内の過当競争排除と輸出の促進、資本の集中化を図るため、明治39年(1906年)、先の3ビール会社を合併させたのである。
馬越は、社名を大日本麦酒株式会社と変え、社長に就任した。その後、大日本麦酒は市場占有率を8割近くとし、彼は日本のビール王になったのである。
なお、このときキリンビールだけは誘いに乗らなかったので辛酸をなめることになったが、戦後は立場が逆転する。昭和24年、財閥解体によって「過度経済力集中排除法」の適用を受け、大日本ビールは朝日ビールとサッポロビールに分割されたからである(この項続く)。
日本のビール王 馬越恭平をご存じか(後篇)
3.ビールの売り込み
さて、馬越は日本ビールのブランドである恵比寿ビールを大々的に売り込んだ。
ここで馬越が採った方法は、芸者と夜を重ねながら、相手の芸者に対し宴席でビールを勧めるよう頼んだことである。宴席でビールが飲まれるようになれば、いずれ家庭でもビールが飲まれるようになると考えたのである。
しかし、一人の芸者ではたかが知れている。馬越はその発信力を多くするため芸者の数は一人より十人、十人より百人というシンプルな理論によって毎日芸者を変え、千人斬りを達成するのである。
当時、財界で千人斬りと云えば、大川財閥の大川平三郎、浅野セメントの浅野総一郎などの名前が挙がるが、馬越恭平にはかなわなかった。
彼は閨を共にした女性には純銀の煙管と蒔絵の笄(こうがい)を必ず贈ったのである。馬越は芝の桜川町に住んでいたので、芸妓は「桜川町さん」と呼び、蒔絵のデザインは桜の花弁が川に流れるものであった。粋である。
その馬越は毎夜相手を取り換え、百人目に当たった女性は落籍させている。そして、食うに困らないように赤坂、新橋、神楽坂などで料亭を持たせた。その女性は最終的に16人になったという。馬越は生涯、1,600人の女性をなぎ倒したのである。
4.益田翁との出会い
では、馬越恭平とはどんな人物だったのだろうか。天保15年(1844年)、岡山の井原に生まれる。12歳で大阪に出て、鴻池の丁稚になる。馬越が20代後半のときに、三井物産を創った益田孝と会ったことで彼の人生は変わる。
益田翁が大阪に出張したとき、働き者の馬越恭平を知ることになったのである。益田より4歳年上であった馬越は東京に出たかったが、養家が許してくれなかったので、妻と別れ、上京する。
益田の引きと馬越に商才があったことから、彼は三井物産の役員に上りつめる。彼は、その後、物産のほかに電力、鉄道、炭鉱、銀行、損保などざっと100社の役員などになるのである。ちなみに損保とは大正海上(現三井住友海上)のことである。
馬越は大日本ビールの社長になってからはビールの売り上げを延ばすことだけを考え、お座敷で遊んでいてもビールの宣伝ばかりしていたのである。しっかり芸者も抱いていたが、彼は余分な金はビタ一文も払わず、ケチで有名であった。財界の長老となっても、この癖は変わらず、また、金を増やす才能は一生続いた。
晩年は益田翁の手ほどきによって茶の世界に入り、茶会を開催するのが愉しみであったが、彼の一生は女性をなぎ倒す人生でもあった。日本にビールを根付かせた男の物語である(この項終り)。
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