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さすらいの天才不良文学中年
食べなければ 何を食べるか
食べなければ
「食べなければ、人は死ぬ。食べても、人は死ぬ。」
最近、一番気に入っているフレーズである。
実は、これに似たフレーズで、酒飲みの心境、
「酒を飲めなければ、死ぬ。飲んでも死ぬ。」
というのもあったような気がする。
結局、人は死ぬ。
タバコは健康に悪いか
タバコは健康に悪いからやめなさいという。
大きなお世話ではないか。
おいらはタバコを吸わない。もうやめて20年以上になる。しかし、健康になるためにやめたのではない。
いくら健康でも必ず人間は死ぬ。
おいらは、健康になるためだけに生きているのではない。どうも、そこのところを勘違いしている人が多いのではないか。
「健康で長生きするのが人生の理想だ」と思っている人がいる。それ自体を否定する訳ではないが、それだけではバカである。
不幸な生き方をしている人は多数いる。特に生まれつき健康を害している人もいる。老齢や病気を患って、健康を望めない人もいる。そういう人たちは、人生の理想が達成出来ないということになる。そうではないはずだ。
それに、健康な人も病気になる。問題はそのときにどうするかではないのか。
繰り返す。人生は、健康に良いか悪いかだけではない。人生でしなければならないことは、他にも山ほどある。
製造年月日を誰が廃止したのか
いつから製造年月日が廃止されたのか。
随分前からではないかと思って調べてみたら、平成7年(1995年)4月1日からであった。意外に最近であり、今から13年前である。
しかし、この間、消費期限や賞味期限など、分けのわからない日本語が作られ、おいらたちの食習慣は否応なしに変えられてしまったのである。
一昔前までは、まだ食べてもよいかどうかは、製造年月日を見て、まだ大丈夫、もうダメだと自分の五感によって判断していた。食品は、腐るまで食べることが出来たのである。
ところが、今や、表示方法は消費期限(賞味期限)になっているのだ。これでは、自分で判断して自分で食べるという、「食の基本的なルール」が分からなくなってしまう。
それでも、おいらたちはまだよい。困るのは13年前からそういうものだと思わされてきた子供たちである。
例えば、生卵だったら1週間程度が限度ということを、一定の年齢以上の人たちであれば、皮膚感覚で覚えていた。
おいらがニューヨークに住んでいたときの話しだ。
スーパーの生卵の消費期限を見たとき、思わず後ずさったのを今でもよく覚えている。かの国では、生卵の消費期限は1ヶ月以上先である。彼らは日本人と異なり、生卵は決してそのままでは食べないのである。必ず卵は調理する。だから、消費期限が長くても平気なんだと、あとで知ることになるのだが。
それはさておき、動物が獲物を狙って餌にするとき、消費期限など考えるだろうか。自分で判断して、餌を食べるのである。
人間の五感機能はどんどん退化している。
何を食べるか
「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう」
フランスの美食家、ブリア・サヴァラン(1755~1826)の名著「美味礼賛」の中の一節である。
サヴァランを調べてみると、フランス革命で王党派と見做され、あわやギロチンで処刑寸前という波乱万丈の人生をおくった面白い男だということが分かる。生涯独身で過ごし、パリの最高の食卓につき、自らも厨房に立ち腕を振るったという。フランス大審院(最高裁判所のこと)の判事であった。
さて、それでは、サヴァラン君。貴殿は上の食べ物を見て、我輩がどんな人間であるかを言いあてることが出来るかな。
写真は、先日、某所でおいらが昔懐かしいメンバーと一献を傾けたときに出てきた料理のうちの一つである。
ま、確かにどんな人間であるかは、ある程度の想像がつこうというものである。それは、目の前の料理が旨いか不味いかという判断が必要であると同時に、食うか食わないかという行動の選択も同時に求められるからである。それを解析することによって、その人物の人となりを推理することは可能なのであろう。まことに食の文化とは奥深い。
それでは本日は、サヴァランの言葉で締めくくることにする。
「新しい御馳走の発見は、人類の幸福にとって天体の発見以上のものである」(上記アフォリズムと共に関根秀雄訳)
嬉しいことを言ってくれるものである。サヴァラン君。
「随園食単」をご存知か(前篇)
相変わらず神田神保町をうろうろしている。
IMG_1877.JPG
本来ならば、断捨離をしなければならない身分である。新たに本を買うなどしてはならないと決めているのだが、面白そうな本があるとついつい手を出してしまうのである種の病気である。
先日も神保町の松雲堂書店をのぞいていたら、岩波の「随園食単」が無造作に置いてあった。この店は前にも紹介したが(このブログのフリーページ「松雲堂」参照)、漢籍、古典籍を扱う老舗であり、良い本が目白押しである。だからという訳ではないが、おいらはこの店が好きでちょくちょく顔を出す。
さて、この本はタイトルが良いこと(「随園食単」とは、清の大詩人、随園の食単=料理メモ)と廉価だったので、迷わず求め、帰路の電車で読み始めたら面白くてたまらない。
清の大詩人でありながら、食通が料理について書き残したメモである。
読み進むと、その内容は材料の吟味、造り方、味わい方に始まり、果ては酒や茶にまで言及している。
こうなると、これはもうフランスの美食家ブリア・サヴァランが著した「美味礼讃」の東洋版ではないかとおいらは唸ったのである(サヴァランの「美味礼讃」については、このブログのフリーページ「何を食べるか」参照)。
どうでも良いことだが、人生の愉しみの一つはやはり旨いものを喰うことである。山田風太郎の言葉を借りるまでもなく、後、何回夕食が喰えるのかと思える年齢においらも到達したのである。
だが、旨いもの=高い美食だけではない。そういうことなら、金を積めば良いだけの話しである。
本当に旨いものとは、愛する人が造ってくれたサラダであり、お袋の造ってくれたカレーである。食べたことはないが、炊き出しのおにぎりやラーメンも旨いと感じることがあるのではないか。それは、腹が減ったときの夜食用のスープヌードルが意外にも美味に驚くことや人助けしてもらっているという感傷が味覚に寄与するのかも知れない。
美食家の壇一雄も旨いものとは、地のものだと断言している。その土地の名産で旬のものにまずいものがある訳がない。
おいらも学生時代に下宿を始めて、自炊を余儀なくされたので、下手ながら料理の真似事をしてきた。そのとき、この本があったら膝を叩いたと思ったのだが、もう遅い。今から40年以上前のことである。
しかし、この本は一種の稀覯本で、岩波から文庫本で出版されたのは昭和55年である。おいらの学生時代まで遡るには遠く及ばない(この項続く)。
「随園食単」をご存知か(中篇)
「随園食単」の著者である袁 枚(えん ばい。1716年~97年。享年82歳。写真下)は清朝の詩人で、食通としても名高い。随園老人ともいう。
彼は、現在の浙江省杭州にある銭塘に生まれた。
幼くして秀才と呼ばれ、若年で役人に取りたてられたが、若さに妬まれてしまい、地方しか任されなかった。
その結果、どさまわりの生活に嫌気がさし、38歳のときに官を辞し、そののち職に就くことはなかった。
若くして引退した後は、江寧につとめていたとき任地で買った荒れ果てた庭園を「随園」と名づけ、少しずつリフォームしてゆくゆくは名園と呼ばれるまでにする。
その随園で隠遁し、悠々自適の執筆や読書三昧の生活を愉しみ、また美食に耽溺する日々を送ったのである。
詩人として名声を得たことで、詩の入門を望む者や詩文の執筆を依頼する者が続出し、売文によって収入には事欠かなかったという。
体が丈夫で晩年になっても中国各地を旅行し、82歳で亡くなるまで高等遊民であったようだ。
とまあ、以上のような経歴の食通が書き残したメモである。
本書は14篇からなり、
1篇は予備知識、
2編が警戒事項、
3篇から9篇までが海産物、肉などの材料について書かれ、
10篇が精進料理、
11篇が小菜、
12篇が点心、
13篇が飯粥、
14篇が茶酒
である。
面白いのが、1篇の予備知識である。これについては、明日述べる(この項続く)。
「随園食単」をご存知か(後篇)
面白いのが、1篇の予備知識だとした。
「学問の道は、知識を先にして実行を後にする。飲食のことも同様である」として、食物の予備知識を説くのである。
その要諦は、
天性を知ること、
調味料を知ること、
洗い方を知ること、
味付けを知ること、
取り合わせを知ること、
独用(つき合せをしてはいけないと云う意味)を知ること、
火加減を知ること、
色と匂いを知ること、
遅速(料理の準備に必要な時間の意味)を知ること、
変化を知ること(素材にあわせた調理法が必要なこと)、
器具を知ること、
菜の出し方を知ること、
季節を知ること、
分量を知ること、
潔淨を知ること(包丁やまな板などを清潔にすること)、
つなぎ(でんぷんなど)の使用を知ること、
材料の選用(肉団子には胸の肉を使うなど)を知ること、
似て非なる味を知ること(こってりと脂っこいは違うなど)、
補数(味付けのこと)を知ること、
本分(得意料理)を知ることである。
と、料理の本ではなくて、あたかも哲学書のような趣きである。
こうしてみると、旨いものを喰うのも人生をどう生きるのかも変わるところはないことが分かる。
酒についての解説も興味深い。
当時の酒は、やはり紹興酒である。その紹興酒は5年以上寝かしたものでなければならないとする。また、必ず燗をして飲むことを薦めている。また、焼酎はごろつきとけなしている。
面白いのは、当時は大手の酒造メーカーなどなかったはずで、中国各地のいわゆる地酒の解説が続くのである。
また、自家製の酒の話しも満載である。本邦で云えば、闇酒であるが、当時の酒は今の酒と較べて旨かったのだろうか、それとも今の方が旨いのだろうか。こればかりは分からない。
以上、そういうことを考えさせてくれた食単である(この項終り)。
デコポンは旨い
デコポンが果物屋から姿を消した。デコポンの時期が去ったからである。残念。
恥ずかしながら、おいらはこの年になるまでデコポンを知らなかった。とある人から、美味しい蜜柑だと紹介されて食してみたのが運の尽きである。その旨さに魅了されてしまった。
最初見たときは、その形状から「ゴリラのおっぱい」とおいらは命名している。
このゴリラのおっぱい、何と云ってもその「食感」と「甘さ」である。蜜柑と八朔(はっさく)のあいの子のような食感が素晴らしい。もちろん、舌の上でとろける甘さ。これに尽きる。皮を剥けば、内側の袋をそのまま食べることも出来る。
難点は、シーズン・オフになると1個300円近くに値段が上がることである。それでも全盛期は1個100円程度で手の届く値段だ。
さて、ネットで調べてみると、このデコポン、長崎県の農林水産省果樹試験場で生まれた。今から約40年前に、清見(きよみ)タンゴールとポンカンを交配し誕生した新種らしい。デコポンは登録商標で、いびつな外見上の特徴を逆にセールスポイントにしようとして命名されたという。一定の基準(糖度13度以上、クエン酸1.0%以下)をクリアしたものだけが、その名を使用することができる。
全国の生産量の半分近くを熊本産が占め、九州各地が特に多いようだ。このデコポンは嘗て「ヒメポン」(愛媛)、「キヨポン」(広島、「ヒロポン」だと覚醒剤になる)、「フジポン」(静岡)や「ラミポリン」(鹿児島)など全国各地で別の名前が付けられていたが、これじゃあ混乱を招くというのでデコポンに名称を統一した経緯がある。なるほど、世の中は面白い。
デコポン、万歳である。
本日と明日はお休み
本日と明日は休日につき、お休みです。
写真は、高尾山の冬そば。今年の春撮ったものです。
ところで、随分前に高尾山に登ったときのことですが、頂上で食べた<そば>は、ことのほか美味でしたなぁ。<そば>にとろろ芋?を練りこんでいて、病みつきになる味でしたなぁ。そうだ、高尾山の冬そばを食すために、高尾山に登ってみようかなぁ。
月曜日は勤労感謝の日(休日)ですが、再開いたします。皆様よろしゅうに。
平成21年11月21日(土)
謎の不良中年 柚木 惇 記す
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