さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

丹波哲郎 原田芳雄 岸田森 雷蔵

丹波哲郎、死す

 その昔、進駐軍で通訳をやっていたという話しがあるから、傑作である。

 何でも、“ア・リルゥ・ビッ”(a little bit)という喋り方が英語っぽたっから、採用されたという。如何にも丹波哲郎らしい逸話である。


亡八武士道


 その彼がお茶の間で人気を博したのは、何と言っても「三匹の侍」であろう。また、あの兄貴分のような存在感を考えると、ショーン・コネリーと共演した(「007は二度死ぬ」67年、米)というのも頷ける話しである。

 映画評論家の白井佳夫によれば、「どの役を演じても生身の自分で演じてしまう」という稀有な俳優であった。台詞は全く覚えず、自分の思うままに喋ったらしい。これもまた頷ける話しである。

 また、はずせないのが「大霊界」(89年)であろう。ユーモア度ゼロ、本気度100%で大ヒットという快作である。

 残念なのは、キワモノ(エログロ)の名作と言われる「忘八武士道」(写真。73年、東映、石井輝男監督)がヴィデオ化されておらず、未だに観ることが出来ないことである。本人自身がどうしてもこの役をやりたいと言って出来たマボロシの名作である。

 一月前の9月24日没。享年84歳。自ら語る「死とは、束縛から自由への決定的瞬間。期待に満ち溢れている」のとおり、本人は堂々と大霊界に旅立った。合掌。


原田芳雄死す

 先月20日、原田芳雄が亡くなった。享年71歳。


原田芳雄


 惜しい役者だった。まだまだあの独特の高い音声でのしわがれ声を聞きたかった。

 おいらは原田芳雄が若いときからのファンである。アウトローの魅力だった。それが年を取ってからの、円熟味を増した、あのしぶい演技も好きだったねぇ。

 いや、むしろ年を取ってからの方が役者として大成したと云うべきだろう。光っていた。

 特に、一昨年の「不毛地帯」(フジテレビ版)での大門社長の役は秀逸だった。

 これまでの近畿商事(伊藤忠がモデル)の社長役は山形勲(映画版)や若山富三郎(TBS版)だったが、今回の原田芳雄が最も似合っていた。社長というポストの持つ重みと人間の持つ業(ごう)との葛藤を上手く演じていた。おいらは原田芳雄が見たいから毎週テレビにくぎ付けになっていたのである(全編をDVDにしているので、また観るのが楽しみである)。

 その原田芳雄にはもう会うことができないのかと、遺作となった「大鹿村騒動記」を今月初めに丸の内で見てきた。

 佳作ではあるが、この映画でも原田芳雄が実に良い味を出していた。

 晩年になり、人間の持つどろどろした怨念のようなものを演じさせたら天下一品になっていた。本当に惜しい役者を失くしたものである。残念としか云いようがないのぅ。合掌。



岸田森「浮世絵 夢と知りせば」

 4月26日から5月16日まで渋谷のシネマヴェーラで岸田森の映画特集をしていた。


岸田森1.jpg


 時間をやりくりして実相寺昭雄監督の「浮世絵 夢と知りせば」(太陽社、1977年)を観てきた。

 岸田森が好きなことと浮世絵研究でははずせない歌麿を鬼才実相寺監督がどう映像にしているかが見ものだからである。

 本論に入る前に残念だったことを述べておかなければならない。

 このブログでも述べているが、おいらが大山登山で右ひざの半月板とじん帯を損傷したために丸三日間は歩けず、お陰でその間に上映された岸田森の名作「黒薔薇昇天」を観れなかったことである。


黒薔薇昇天.jpg


 映画評論家のS氏によればこの「黒薔薇昇天」は絶賛ものでなかなか観る機会がないので必見と推薦されていたのだが…。

 ま、また観ることができる機会があるでせう。

 さて、「浮世絵 夢と知りせば」である。


岸田森2.jpg


 この映画のストーリーを一言で述べれば、あの浮世絵の天才歌麿が実は女を描くのが下手で、その歌麿の絵が巧くなって行くという過程を描いたものである。

 歌麿が絵が下手だったというアイデアは良く(歌麿の女は巧すぎる)、わくわくしながら観たのだが、巧くなって行く過程が性急過ぎて残念ながら旨く描ききれていないのである。

 しかも、ストーリ-展開も先が読めるので、観ている方はもっと丁寧に撮ってもらわないと消化不良でストレスが溜まるのである。

 他方で、以上のストーリーに歌舞伎役者を演じる怪盗平幹二朗と用心棒の山城新伍が雌雄を決する話しがからむというオムニバス形式になっているのだが、これも話しを散漫にさせており、失敗作になっているのである。

 出演陣はそうそうたるメンバーで上記のほかに成田三喜夫、内田良平、寺田農、中谷昇、岸田今日子、緑魔子など超豪華の役者揃いである。

 ところが、成田三喜夫扮する蔦谷重三郎の出番も少なく、蔦重の名プロデューサー振りも描かれていないので残念としか云いようがない。

 実相寺監督は低予算で限られた怪優で映画を撮らせると天下一品なのだが、メジャー並みのカネと布陣を引くと力が発揮できないタイプなのだろうか。

 実に惜しいのぅ。


市川雷蔵没後45年

 市川雷蔵没後45年、デビュー60周年である。


雷蔵.jpg


 雷蔵は1969年(昭和44年)7月17日に37歳という若さで夭折している(直腸がん)。

 惜しい役者だったねぇ。37歳だよ。しかし、22歳にデビューしてから亡くなるまでの15年間に158本もの多くの映画に出演している。

 おいらが好きだったのは「陸軍中野学校」。

 ニヒルな諜報員役が似合っていたよなぁ。雷蔵が銀幕に映るだけで映画になったよなぁ。どうでもいいけどあの頃の小川真由美は妖艶さを隠していて惚れ惚れとするような美人だったよなぁ(なんのこっちゃ)。

 さて、その雷蔵の当たり役と云えば、ご存じ柴錬の「眠狂四郎」だ。

 眠狂四郎の持っている虚無感やニヒリズム、それにダンディズムを表せる役者は彼以外には思い浮かばない。過去に田村正和が演じたことがあるが、彼が演じるとキザになってしまうのである。

 大映の映画監督であった池広一夫によれば、眠狂四郎を演じた雷蔵は「何も言わないで、表情もなしで、ただ歩いている姿だけで、背負っている過去みたいなものを表現した」と評している。巧いこと云うねぇ。

「炎上」(三島由紀夫の「金閣寺」)もそうだった。あれほど「はまった」演技もあるまい。雷蔵の顔だけで映画になるのである。

 岸田今日子によれば、カメラの前に立つと突然「オーラとフェロモン」が出たそうである。

 だから、普段の雷蔵を街で見かけてもただの眼鏡をかけた猫背のおじさんが歩いているとしか見えず、誰もが雷蔵だと信じなかったという。

 こういうのを生まれながらの真の役者だと云うのだろうねぇ。

 今、生きていて欲しいおいらの好きな役者は成田三樹夫なのだが、この雷蔵も生きていたらどれほどの大俳優になっていたのか。惜しいものよのぅ。




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