さすらいの天才不良文学中年

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凄い人たちだ 肚(はら)

カラヤンの3回結婚説

 ベルリン・フィルハーモニーの指揮者であったカラヤン(Herbert Von Karajan)は、人生3回結婚説を唱えていた。


カラヤン


 カラヤンは、ベルリン・フィルハーモニーのフルトヴェングラーの後を継いだカリスマ指揮者である。20世紀を代表する名指揮者と言っても良いだろう。89年没、享年81歳。

 カラヤンの人生3回結婚説によれば、「最初は年上の女性。次は、自分が世界で一番惚れた若い女性。最後は看護婦さん。」年をとって看護婦さんが側にいれば安心して暮らせるからだという。

 実際、カラヤンは3度結婚している。一人目がオペレッタ歌手のエルミ・ホルガーレーフさん(3年で離婚)。二人目がアニータ・ギューターマンさん。三人目がフランス人モデルのエリエッテさんである。エリエッテ夫人との間には娘2人をもうけた。

 まあ、カラヤンのすごいところは、カリスマ性はもとより、統率力とビジネス力であろう。何十人ものプレイヤーの演奏をまとめるには、指揮のテクニックだけでなく、作曲家や作品全般に対する思想が必要だ。

 また、良い人材を集めるためには高待遇が必要である。カラヤンは膨大な数のレコーディングをし、世界中にレコードを売りまくった。その結果、プレイヤーの給与は上昇し、高額な楽器を購入することも可能となった。さらにはステータスを求めるプレイヤーを世界中から集めることにも成功した。

 これを金儲け主義だとしてカラヤンを嫌う人も多い。しかし、ベルリン・フィルハーモニーの黄金時代を築いたのがカラヤンであるのは事実である。

 さて、そのカラヤンの3回結婚説である。巷で言われる2回結婚説(最初は年上の女性と結婚し、次は年下と結婚する。女性はその逆)と似ていないこともない。この3回結婚説の背景が今一つ分からないが、彼は好男子でもてた。また、自分自身が3回結婚している。だから、このような発言をしたのだろう。特に3回目の看護婦などは、半分ジョークが入っていると考えてもおかしくはない。

 しかし、3回結婚。大変だろうなあ。

小田実死す

 小田実は死なないと思っていた。それほどエネルギーを発散させた男であった。信念の塊の男でもあった。その小田実が先月末亡くなった。75歳、胃がん。


小田実


 全共闘世代のおいらとの出会いは、やはり「べ平連」と「何でも見てやろう」である。少なからず、おいらの考え方にも影響を与えている。

 筋金入りである。それもそのはずで、小田実の創作活動の原点は幼少期に体験したB29による空襲である。大阪空襲によって死臭漂う大阪の街を逃げ回った体験がなければ、あそこまで殺される側の痛みや共感を持ち続けることはできなかったはずである。

 予備校の英語講師をしながら、昭和40年にべ平連を結成し、反戦市民運動の草分けを作った。ベトナム戦争終結後も、彼はさまざまな反戦市民運動を展開している。

 少し前までは、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演し、相変わらず喧嘩ごしで、しかも早口でまくしたてていたことを思い出す。しかし、正直なところ、小田実がまだ頑張らなければこの国では反戦市民運動が根付かないのかという、この国の民度の低さには失望していた。それに、いまさら小田実でもないだろうと醒めた目で見ていたのも事実である。

 しかし、小田実が終生「市民の立場」をとり続けたその信念には敬服するしかない。

 学生運動には参加せず、マルクス・レーニン主義にも批判的で、「マルクス主義者は真理を独占していると考えているが、人間の行動の動機は、財産欲による場合よりも性欲による場合が多い」と喝破し、市場経済を認めたヨーロッパ型社会民主主義をあるべき姿と考えていた人だった。

 もともな見識を持った人物がまた一人いなくなった。


余生の達人

 人生とは何か。


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 それは「自分とは何者か」と同義語である。言い換えれば、「自分を探すこと」である。他人にとっての人生などどうでもよいのである。自分にとってどういう人生かが重要なのである。

 定年を迎えると、それまでの生活が一変する。人生は80年である。それまではスケジュールに縛られ、「自分とは何者か」を考えずに働けば良かった。しかし、60歳からは有り余る時間の中で途方に暮れながら毎日を過ごすことになる。

 そういうときに残された自分の人生、すなわち余生をただ時間の浪費のみで済ますのか、それとも、自分が本当にやりたかったことに手を染めるのか。

 余生の達人に伊能忠敬(1745年~1818年)がいる。

 彼は千葉県の小野川沿いで酒や醤油の醸造業を営んでいたが、50歳を機に家督を長男に譲った。すぐさま江戸に出て天文学を学び、56歳で蝦夷(北海道)の測量を始める。その後、10回にも及ぶ全国測量を行い、71歳にして日本初の実測図を完成させるという偉業を忠敬は達成するのである。

 伊能忠敬は醸造業をしながらも「自分とは何者か」を考え続けていたのだ。

 人生とは何か。それはやりたいことを全う出来るかどうかである。おいらは死ぬときに「自分はバカだった」とだけは、決して云いたくはない。

 若い読者に告ぐ。年を取ってから余生のことなど考えればよいと思うのは間違いだよ。今から「自分とは何者か」を自問しておきなさい。

 日暮れて道は遠いか。


伝説の闘牛士

 闘牛には全く興味がない。

 スペインに出張したときも、闘牛を見るつもりはなかったし、見るならサッカーであった。


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 ところが、先日の産経新聞を見ていたら、「伝説の闘牛士が非業の死(1947年8月28日)」との記事があり、写真(上)のような色男が載っているではないか。

 記事をそのまま引用すると、「スペイン史上、屈指の名闘牛士、“マノレーテ”ことマヌエル・ロドリゲスが、アンダルシア地方ハエンの闘牛場で、闘技中に右大腿部を突き抜かれ、出血多量で死亡した。30歳、1591頭目の闘牛だった。スペイン内戦の余波が残る中、大胆な技と悲しげな瞳が人気を呼び、国中がその死を悼んだ」とある。

 興味を持って、ネットでマノレーテを調べてみると、映画『マノレーテ』(2007年)が製作されており、マノレーテを「エイドリアン・ブロディ」が扮し、「ペネロペ・クルス」が恋人役である。

 監督は『アドルフの画集』のメノ・メイエス。

 40年代のスペインを舞台に、伝説の闘牛士マノレーテと女優ルーペ・シノの情熱的な恋愛関係が描かれているという。こりゃ、面白くない訳がなさそうだ。

 エイドリアン・ブロディだと、マノレーテの役に、はまっているんだろうなぁ。

 さらに調べてみると、スペインのコルドバにある闘牛博物館の目玉として、マノレーテの墓のコピーと、彼を殺してから死んだ闘牛の剥製が展示してある。その写真を見ると、彼の一生を暗示するようである。

 マノレーテ。非業の死だからこそ、慕われるのだろうが、どうやら本物の男であったようだ。


東京にピアノ調律師は何人いるか(前編)

 本日から3日間、関ネットワークス「情報の缶詰」8月号掲載の「東京にピアノ調律師は何人いるか(フェルミ推定)」をお送りします。


1.突拍子もない質問

 エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi)。1938年にノーベル物理学賞を受賞したイタリアの理論物理学者である(1901年~54年)。


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 新しい統計力学を考案し、熱伝導理論等の基礎を創った偉大な学者である。フェルミはローラ夫人がユダヤ人であったため、ムッソリーニ政権下のイタリアには戻らず、ノーベル賞受賞式に参加したストックホルムから、そのまま米国に亡命、コロンビア大学物理学教授となる。その後、シカゴに移り、1942年、シカゴ大学で世界初の原子炉を稼動させる。

 さて、突拍子もない数字を推定しなさいと云われた場合、人はどうするであろうか。

 例えば、「東京にピアノ調律師は何人いるか」である。実際はシカゴ大学の学生に「シカゴにピアノ調律師は何人いるか」とフェルミが質問したのだが、同じ質問だと考えても良い。

 この回答をフェルミは、次のように解いたのである。

<仮定その1>1世帯の平均人数は3人
1,200万人(東京の人口を1,200万人とする)÷3人=400万世帯

<仮定その2>ピアノ所有率は10世帯に1台
400万世帯÷10=40万台

<仮定その3>ピアノ1台の調律は年1回
40万台÷1=40万回

<仮定その4>ピアノ調律師は1年間に800台を調律する。
40万回÷800(1日4台調律すると仮定して、年間200日稼働)
=500人

 以上から、東京には500人のピアノ調律師がいると推定される(続く)。


東京にピアノ調律師は何人いるか(中編)

2.フェルミ推定

 ビルゲイツはこのフェルミ推定が好きで、マイクロソフト社の入社試験ではこの応用問題(実際には「世界にピアノ調律師は何人いるか」が出題)を採用しているという。グーグルなどの外資系企業でも同じ問題が出されている。


リリー


 フェルミ推定の解答は数字の正確さを問うものではなく、論理的に解答がなされているかが問われている。いわば解答のプロセスや発想を問われるという訳であり、論理的思考が出来ないとアウトである。

 人によっては解答が異なることも予想されるが、思考のプロセスが論理的に正しければ正解である。もっともプロセスが違ったとしても、結果は似たような数字になるケースが多い。

 フェルミ推定の面白さは、考える力が試されることである。入社試験で知識を尋ねられても、知っていれば答えられるが、知らなければ答えられない。知識はネットで調べればよいが、考える力はネットで調べても出てくるものではない。それを鍛えるのが人生の面白さであるし、そういう力を持っている人間を採用すれば企業に活力が出る。

 また、上の問題では、東京にいるピアノ調律師の数が分れば、逆に東京の人口を推定することも可能である。フェルミ推定の使い方にはいろいろある。

 フェルミ推定と同様の問題に、「砂漠に砂粒はいくつあるか」「富士山を動かすには何年かかるか」「日本に蚊は何匹いるか」「長野に蕎麦屋は何軒あるか」「日本には何本電柱があるか」など面白い質問が多数ある。

 保険の新商品開発にあたり、保険料の算定も重要な仕事である。保険料を算定するためのデータには二種類あり、実際の保険会社が蓄積した保険統計と、保険のデータはないが統計を取ったもの、即ち一般統計とがある。

 新商品の認可にあたり、保険統計はまずない。したがって、一般統計をベースにして保険料を算出するのだが、このときの手法がこのフェルミ推定と似ている。保険料の水準は通常数年毎に見直す(検証)ので、検証を繰り返す毎にその水準は精緻になっていくのだが、最初はこのような手探りによって保険料を算出しているのである(続く)。


東京にピアノ調律師は何人いるか(後編)

3.フェルミのパラドックス

 フェルミはもう一つ面白い学説を誕生させた。フェルミのパラドックスである。それは、宇宙人が存在する(した)可能性が高いにもかかわらず、地球上にはそのような文明と接触した証拠がないのは矛盾だという理論である(ナスカの地上絵やイースター島の巨大像はその証拠かもしれないが…)。


百合


 宇宙の年齢の長さやその膨大な星座の数から、もしも地球が典型的な惑星であるとすれば、宇宙人は普遍的に存在しても良いはずである。1950年に同僚と昼食をとりながら、彼はこの問題について議論し、「彼ら(宇宙人)は一体地球上のどこにいるんだい」という問いを発したのである。

 実はこの問題、昔から議論されていたのではあるが、フェルミは「宇宙人の存在の可能性」に単純化したことによって、フェルミのパラドックスと呼ばれるようになる。このパラドックスは従来の天文学や生物学を超えて、宇宙生物学という分野を出現させ、多くの学術的成果を生み出すことになった。フェルミは宇宙人の問題について学際的な検討を可能とさせたのである。

4.エンリコ・フェルミの生涯

 最後に、エンリコ・フェルミについてもう少しお話しをしてみよう。彼は世界で初の天然ウラン(黒鉛型)原子炉を完成させた後、米国マンハッタン計画(原爆開発プロジェクト)の中心人物となった。

 当時、原子爆弾の開発は日本を含め、世界各国で競い合っていたが、核分裂という最先端の理論物理分野と実際に爆弾を製造するという実験物理を結びつけることは至難の技であった。フェルミは、理論物理、実験物理の両方で優れた業績をあげていたことから、彼の貢献がなければ原爆は開発されていなかったとも云われている。

 フェルミは、亡命の引き金となったナチスドイツに対して積極的な原爆使用推進派であったが、日本への投下には否定的な意見の持ち主であったという。その後、水素爆弾の開発にあたっては、倫理的な観点から反対をしている。

 第二次世界大戦後は、宇宙線の研究を行い、54年、癌により死去。死の床においても、点滴のしずくが落ちる間隔を測定し、流速を算出していたという。合掌(この項終り)。


下村脩氏は人物である

 一昨日「ノーベル化学賞」(蛍光タンパク質を発見)を受賞された下村脩氏。


花


 最初、その名を聞いたときは、下山治氏(名エコノミスト)かと思った。経済学を勉強したことがある人間なら、誰でも知っている人物の名前である。しかし、全く違っていた。

 さて、ニュースを見ていたら、マサチューセッツ州の自宅にいる下村氏がインタビューに対し、次のように答えていた。

「面白いと思ったことがあったらそれをやりなさい。

そして、途中で放り投げるようなことをしないで、最後までやり遂げなさい」

(という趣旨)

 脱帽である。

 こういう人生の達人が、まだ、世の中にはいるのである。日本も捨てたものではない、と云いたいが、その氏は45年前から米国住まいである。


肚(はら)の問題

 肚(はら)である。


執金剛神


 昨日、プレッシャーに対して「書く」ことの効用を述べた。自分との戦いの場面で、書くことがメンタル・トレーニングにもなるということである。

 試験だけでなく、スポーツにおいても自分との戦いは顕著である。先日開催された世界陸上を持ち出すまでもなく、世界一を決める大舞台では、相手よりも自分との戦いの方が重要である。

 だから、スポーツ選手は死ぬほどメンタル・トレーニングを行うのだ。

 実は、人生も同じではないだろうか。

 人間は弱い生き物である。豪放磊落に見せていても、それは小心者の裏返しで、単なる強がりかも知れない。

 考えてみれば、おいらなども普段は強がっているのだが、根は小心者かも知れない。特においらの欠点は、細部に目が行き過ぎることである。何故そうなっているかと、深く考えたくなる癖があることである。

 何が云いたいかというと、そういうことにこだわり過ぎると、全体像が見えなくなってしまうことがあるのである。

 剣豪宮本武蔵が沢庵和尚に勝てないのは、剣の道を考えるあまり、小手先のテクニックを探求しようとしたからである。それに対し、和尚が教えたのは、肚である(腹とも書く)。丹田とも云い換えることができる。

 つまり、完全主義者になろうとして、部分部分を完成させたとしても、肚という全体が出来ていなければ、無意味であるということである。

 頭で考えるな。肚で考えろ、ということでもある。ピンチになると、深呼吸が効果的であると云うのは理に適っている。これまでベストを尽くしてきたのだから、自分は100%の力を出し切ることができると思うのが肚の力である。

 だから、肚さえ座っていれば、少々のこだわりなどは取るに足りないことだと気付くのである。肚があれば、人生のほとんどの問題も解決できると思うのだが、凡人のおいらにはそうなるまでにまだまだ修行が必要である。




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