さすらいの天才不良文学中年

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ブログと著作権 第4の権力 政治

ブログと著作権(前編)

 ブログを書き込むときに気になることがいくつかある。

 その一つは引用である。新聞記事に触発されたり、他人の意見を参考にしてブログに書き込むことがある。その際、引用はどこまでして良いのか、注意しないといけない点は何かなど、気になると調べなくては気が済まなくなる。

 調べてみると、面白い。やはり引用のルールというのがある。以下、名著、鈴木敏夫「実学・著作権」サイマル出版会(写真)にしたがって述べる。


著作権


1.部分引用
 引用は必要最低限とし、原則として部分引用としなければならない。

 昔(昭和46年以前の旧著作権法)は、これを「節録引用」と言って、全文を掲載すると著作権法違反(本人の了解を取れば良いのは当然だが)になった。併し、そうなると、俳句や小噺など短いものは引用出来ないことになり、不都合が生じていた。

 したがって、これらについては慣行上不問としていたが、それじゃあ不味かろうというので、現在の著作権法では節録引用の文言を削除し、俳句や小噺など短いものについては、晴れて全文引用することが許されることになっている。

2.引用箇所が分かる
 引用箇所が分かるようにする。当然である。

3.原文のまま引用
 原文のままの引用とする。引用者が適当に翻案(ダイジェスト)してはいけない。

 翻案してはいけないには驚いたが、引用する人がその内容を換骨奪胎して、自分であらすじを創作する場合などは、新規著作物となるわけで問題がないという。

 併し、どうもこの規定は分かり難い。要は、新規著作性にポイントがありそうである。結局自分の表現形式で要約していれば問題がないということのようだ。

 この規定の背景には、引用のみで新しい(単行)本を作ってしまう猛者がいるかららしい。ひどい例だと、ベストセラーとなった他人の著作をほとんど引用して類似の新しい本(二匹目のどじょう)を作ったりするケースがあるようだ。他人のふんどしで相撲を取ることを取り締まる規定と思えば、分からないこともない。なお、引用を明示しないで類似の翻案を創ると、いわゆる盗作となる。

4.出所の明示
 これも当然であろう。

 以上、引用する場合は上記4条件を遵守しなければならない。意外に知らないことが多く、参考になる(著作権法32条)。


ブログと著作権(後編)

 昨日の続きである(写真は著作権とは関係ありません)。


花


 引用での例外に、「新聞雑誌に掲載された時事問題に関する論説(学術論文を除く)は、全文を自由に他の新聞や雑誌に転載しても問題ない」という規定がある(著作権法39条)。

 ただし、これらの利用を禁止する旨の表示(例「禁無断転載」)があった場合は除かれる。

 つまり、「禁(無断)転載」の表示がなければ、「新聞や雑誌に載った、学術論文ではない、時事問題についての論説記事は、全文を自由に転載利用して良い」という規定である(49条に出所明示の規定があるので、出所を明示しなければならないのは、前回と同じある)。

 なお、この規定は、他の新聞や雑誌に転載するときのルール(良くある「新聞切抜の雑誌」に適用されるルール)であるため、ブログに引用するときは、前回の4条件を守る(つまり部分引用にする)方がよかろう。

 ここで、著作権を調べてみて分かったことを書く。

 それは、著作権等のトラブルで解釈に迷ったときは、「著作権(著作権者)の保護優先」という大局観に立つことである。著作権者の優先は、短期的には利用者の保護にはならないと思えるが、最終的には利用者の保護に繋がるからである。

 日本が加盟している著作権保護のベルン条約も同じ考えである。難しいようだが、実は分かりやすい。意外に簡単な真理である。

 本日は、(連休の最中でもあり)これでオシマイ(明日は、面白いのを載せます。乞うご期待)。




第4の権力

 第4の権力とは、立法・司法・行政の3権力を監視するという意味で、本来はチェック機関としてのマスコミのことをいう。


反原発デモ.jpg


 しかし、最近では、この第4の権力がそういう意味ではなく、マスコミ自体に4番目の権力があるという意味に使われているようだ。

 マスコミは既存の権力にすり寄り、甘い蜜を吸っているどころではない。政治や行政までコントロールしているのではないかという指摘である。

 おいらは、ニュースをそのまま信じるバカではないが、それでも公共放送やネットで配信されるニュースはついついそうなのかと思ってしまうことがあるので注意しなければならない。

 最近の例では、反原発デモである。この原発再稼働反対デモは、毎週金曜日に首相官邸前で開催され、今月20日の第16回デモでは実に9万人が集まったという。9万人は主査者発表なので、話し半分としても約5万人が集まった勘定になる。

 これは半端な数ではない。それだけの人数が首相官邸前に集まるというのはニュース以外の何物でもない。

 しかし、この大規模デモは日本では報道されないのである。デモのことを報道するのは、フランスのルモンド紙だけである。渋谷にある国営放送や大新聞はこぞって黙殺しているのである。だから、国民はこういうことが起こっていることを何にも知らない。

 国内紙ではわずかに日刊ゲンダイが取り上げている位である(写真上)。ま、ゲンダイは反権力が売りだから大きく書くが、それを取り上げない大手マスコミは異常としか云いようがない。ここに、マスコミは正義の味方ではないということが分かろうというものである。新聞や報道は威張っていても、所詮、商業主義である。

 これまでもこのブログで書いているので繰り返さないが、おいらが現役のころの新聞記者は、少なくとも経済記事に関しては大企業の流す情報をそのまま鵜呑みにして垂れ流しにしていた。勉強不足で話しにならない。サラリーマン記者ばかりで、気骨のある記者など一人もいなかったと記憶する。

 政治が信用できなくて、マスコミも信用できない。この国は腐っているのだろうか。

 だが、荷風の随筆を読めば分かる。この国は、昔からそうだったのだ。そうだと思えば、諦めもつく。


新聞は報道機関か

「PCなりすまし事件」で逮捕された片山容疑者のことについて、である。


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 新聞は報道機関なのか、それとも警察の情報を上手く引き出して(またはリークしてもらって)それを報道する機関なのかを考えてしまうのである。

 周知のとおり、PCなりすまし事件は検察の大チョンボ事件であった。

 一時は、無実の人間を4人も有罪にしたのだから、権力の怖さを改めて思い知らされた次第である。だって、無罪であっても、検察は簡単に自白させてしまうことができるのである。

 さて、読売新聞のスクープによって、この事件の犯人として片山容疑者が逮捕されたのだが、ここに来て冤罪の可能性も出ているという(先週と今週の週刊現代が記事を組んでいる)。

 記事の内容には言及しないが、この片山容疑者が冤罪だったら、お笑いではすまないだろう。検察は、全取換えだろうなぁ。

 だが、問題は冒頭述べたように、マスコミのあり方である。

 もし、冤罪になるようであれば、新聞は報道機関ではない。警察の御用新聞である。

 だったら、新聞は偉そうなことを云わず、「自分たちで調べたものではありません。警察から上手く情報を分けてもらったものです」と最初から正直に云えば良い。文屋(ぶんや)面をするからいけないのである。

 いや、考えてみれば、戦争中には大本営発表をそのまま垂れ流しにした新聞である。はなから報道機関だと思わない方が正解かも知れない。

 今更ではないが、この国のマスコミの有り様には、少々気を付けた方が良い。おいらは、いつの間にか新聞を信用しなくなっている。



「週刊朝日」編集長をクビ

 先月の話しだが(13年10月)、朝日新聞社は「週刊朝日」編集長をクビ(懲戒解雇)にした。


朝日記事.jpg


 解雇理由は、「重大な就業規則違反」である。

 懲戒解雇だから、退職金もなしである。

 これだけ、厳しい措置とするのだから、クビの理由を朝日は述べるはずだが、それには「関係者のプライバシーにかかわるため、公表を差し控える」として口をつぐむのである。

 だから、朝日はダメなのである。だから、新聞はダメなのである。

 これには、上の産経新聞が「週刊文春10月17号がセクハラ問題を報じている」として、かろうじて週刊誌の記事を後追いの形で掲載し、セクハラが原因と報じている。

 しかし、クビになるほどの事件である。新聞は週刊誌の後追いなどではなく、きちんとクビの理由を取材し、結果だけでなくその経過も報道すべきである。

 そうでなければ、新聞村のなれ合いである。同業者の恥に目をつむるのであれば、所詮、新聞は営利新聞だと云われても仕方がないのである。自分たちが新聞屋ではなく、マスコミだと矜持を保つのであれば、毅然たる態度が不可欠である。

 それにしても週刊文春はよくぞ記事にしてくれた。

 この国では、なぜか新聞と週刊誌とは棲み分けをしているのである。「色と欲とスキャンダル」が週刊誌の専売であり、週刊誌は新聞より格が低いとされているのである。

 しかし、日本では週刊誌がなければ、今回のような事件の真相は分からないのである。新聞の腰抜けは今後も治るとは思わないから、週刊誌よ、頑張れ!

 だけどねぇ、最近の週刊誌は何でこんなにセックスの記事ばかり載せるの?


週刊誌.jpg


 外国だったら、これは隔離された場所でしか売っちゃいけない雑誌だよ。

 最近の日本人のアッタマ、おかしいんじゃない?



ジャーナリストのサラリーマン化(前篇)

 書籍の整理をしていたら、大塚将司の「日経新聞の黒い霧」(講談社、2005年)がでてきた。


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 随分前に読んでいたことを思い出し、また、確定申告をしなければならないことから時間がないのだが、こういうときほど面白い本を再読するのは蜜の味である。案の定、朝の4時まで読んでしまい、翌日を台無しにしてしまった。

 さて、おいらの日経のイメージを簡潔に述べると「経済情報提供サービス新聞」である。なかでも経済と金融当局の動向や企業の新情報については日経が一級の情報であった。

 それは、おいらが在職中に日経と付き合いがあったことから云えることである。企業と日経とは持ちつ持たれつの関係であり、良い意味では信頼関係、悪い言葉で云えば慣れ合いであったからである。

 おいらも自宅に日経の記者の夜駆けを受けたことがあるから、そのことは身に沁みて分かるのである。

 しかし、それは平時の話しである。企業に不祥事が発生した場合や隠したいことがあった場合にその新聞がどう対応するかで新聞の価値が決まる。そういうときに企業のちょうちん記事(企業を擁護する記事)を書くようであれば、その新聞は二流となる。

 つまり、記者はそういうときに目をつむらないで事実を報道できるかという基本的な問題を突き付けられるのである。

 だが、新聞記者といえども法的には新聞社と雇用関係にある従業員に過ぎない。問題のある企業が新聞社にとって重要得意先(例えば大口の広告提供業者など)の場合だってあり得よう。サラリーマンを経験したことのある方ならお分かりのように、こういう場合、上からの指示に目をつむることができない場合が多い。

 そういうときに上司や相手との信頼関係にひびが入っても、ファクト・ファインディングに徹することができるかどうかがジャーナリストにとって本質の問題となる。

 この問題に対し、「日経新聞の黒い霧」を読むとカタルシスを味わうことができるんだなぁ。大塚将司氏が日経のエース記者(三菱銀行と東京銀行の合併など多数をスクープ)だったときの実話である。

 この本では、イトマン(伊藤萬)事件当時の日経内部の裏話しや当時の鶴田社長の疑惑追及などジャーナリストとしてどう生きるかが赤裸々に描かれており、最後まで息を抜くことができない(この項続く)。


ジャーナリストのサラリーマン化(後篇)

 元日経エース記者の大塚将司氏による、スクープの手法は次のとおり、だそうである(なお、下の記事は氏によるものであるが、このブログとの直接の関係はない)。


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「スクープとは、

1.断片的な事実を寄せ集め、

2.推論を交えたグランドデザインを描き、

3.デザインの正しさを実証し、

 リスクを負って記事にする」である。

 この方法によって、取材相手から完全に独立したスクープを生み出すことができるとされる。

 これは、ジャーナリズムの世界以外にも通用する手法だねぇ。世の中の大切なことは、今も昔も始まりから終わりまで事実という現実から出発することが必要なのだ。

 ところが、今の報道機関にその姿勢があるかと問うとこれがまことに心もとない。朝日を始めとする4大新聞も戦前の御用新聞の様相とまでは云わないが、当局の意見の垂れ流しである(正確に述べると朝日と毎日はやや健闘しているように思えるが…)。

「ペンは剣より強し」というのは真の報道についてのみ云える言葉であって、権力や大衆に迎合する二流新聞にそれを云う資格はないだろう。

 大塚氏のスピリットが今も健全であれば、日経はいわゆる「経済情報提供サービス新聞」ではなく、本当の意味での言論報道機関であったはずである。この「日経新聞の黒い霧」はそのことを教えてくれるのである。日経さん、まだ遅くはないですよとエールを送りたい。

 なお、大塚氏から教わった、もう一つの目からうろこの話し。

 スクープは、一面トップの必要はないということである。

 これには驚いた。小さな取り扱いでも充分スクープになるというのだ。

 そこで、ベタ記事でも良いかと問われればそれでも良いというのが答えだが、記事内容が多くなるため事実上ベタ記事にはならないと教えられる。だから、イトマン事件のときのスクープは経済面のワキとして掲載されたのである。

 では、なぜこれで良いかというのがミソで、スクープ記事だと分かるのは、分かる人だけでよいからである。下手にスクープ記事だと思われると、社内の上層部(ときには社内他部との軋轢や同僚などからの嫉妬)から記事の掲載にストップがかかることがあるというのだ。

 当然、相手のリアクションを予想すると筆が鈍ることも考えられる。それが、経済面のワキの記事であれば、社内はもちろん、相手からの妨害も避けることができると同時に相手にはボディブロウが効くというのである。

 う~む、今更ながら新聞社の内部も一皮むけばサラリーマン社会の縮図であることが分かるのぅ。このブログでも書いた増村保造監督の映画「闇を横切れ」(ジャーナリストが巨悪に立ち向かうストーリー)が色あせていなかったことが分かる。

 ジャーナリストのサラリーマン化と云われるが、大塚氏が例外でその他の記者は皆、サラリーマンとすれば、日本にジャーナリズムはないことになりおいらの胸は痛むのである。そうでないことを祈りたいのぅ(この項終わり)。


籾井さんもう入院しかなかろう

 国営放送の籾井会長が私的ハイヤーの料金をNHKに立替払いさせたとして騒ぎになっている。


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 秘書室の脇の甘さが原因でもあるが、16日の国会(参議院予算委員会)で取り上げられたので録画したのを昨夜観た。小川元法相(民主)の舌鋒に籾井さんは為すすべがない。

 しかし、それ以前にこの籾井さんと云う人の魅力のなさには驚いた。いやしくも一部上場企業のしかるべきポストにいた人である。風貌から西郷南州のような答弁をなされるかと思ったが、ほとんど用意した原稿をそのまま棒読みされるなどの対応しかされていない。

 これでは、籾井城はもう内堀まで埋まっているなぁ。籾井さんはもう入院しかなかろう。

 それはさておき、この問題の本質は国営放送の在り方をどうしようかということである。

 国営放送(NHK)は御用テレビなのか(いわば戦前の大本営発表と同じかということ)、それとも報道機関なのかが問われているのである。

 無論、御用テレビなら誰も信じない。その場合は自民テレビとか自民放送と名前を変えればよい。もちろん、受信料はこの放送局に賛同する人だけが払えばよい。

 要するに、NHKは「報道」なのか「宣伝」なのかが問われているのである。答えは自明だが、籾井さんはどうやら日本政府の宣伝の片棒を担ごうとして会長の座を棒にふることになりそうである。

 これについては、英国のBBC放送が参考となる。

 BBCはイラク戦争の報道で英国政府と対立した。そのとき、BBCの会長と経営委員長は抗議の辞任をしたのである。つまり、職を賭して報道の自由を守ると覚悟を示したのである。

 それが報道機関なのか政府の宣伝機関なのかの分かれ目である。BBCは報道機関だからこそ、今でも国民の信頼を得られているのである。

 籾井さん、残念だがもう入院するしかないだろうなぁ。


報道に自由はありや

 どうもきなくさい。


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 某タブロイド紙によれば、2014年11月26日、安倍自民党政権が福井照報道局長の名前で「報道ステーション」の担当プロデューサーに対して(圧力)文書を送りつけていたことが分かったという。

 タイトルは「11月24日付『報道ステーション』放送に次のとおり要請いたします」とされ、「アベノミクスの効果が、大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく…」と批判し、さらに「放送法4条4号の規定に照らし…十分な意を尽くしているとは云えません」と牽制しているようだ。

 う~む。

 この話しはこれだけだと判断を誤るので、話しを6日前に遡らせる。

 実は、自民党はその6日前の11月20日に在京キー局の各社に対して「中立な選挙報道を求める、いわゆる圧力文書」を送っている。

 その翌日、11月21日に衆議院は解散される。

 そして、26日にテレ朝の個別番組に対して再度文書が送られたのである。これにはビビったろうなぁ。

 テレ朝はその後、どうしたかというと担当プロデューサーを更迭したのである。

 この政府に、この放送局。

 本日は、これでおしまい。本日のタイトルはこれで良かったのかのぅ。



都知事選 不思議なこと

 都知事選、いよいよ差し迫ったので、どうも不思議だと思っていることを書く。


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 今回の都知事選で主要三候補と云われてはいるが、今ひとつ入れたいと思う人物がいないのである。

 おいらは都民でないのだから、お前は心配しなくてよいと云われればそれまでだが、いやしくも一国の首都の長である。影響を与えないわけがなかろう。

 このメンバーだと、もし、蓮舫氏が出馬していたら必ず勝っていたはずである。しかし、出なかった。いや、党内事情でつぶされたのだろう。民進党という党は、未だにB級のままである。

 次に、橋下徹氏である。出ていれば、彼も当選していた可能性が高い。なのに、出なかった。この理由は分からないが、恐らく目に見えないところでは相当動きがあったはずである。

 惜しかったのは、ドクター中松である。彼は石原慎太郎、黒川紀章と争ったとき、いずれ皆は死ぬが私は長生きなので天下を獲ると家康のようなことを云っていたのだが、当の本人が病に倒れることになった。皮肉である。

 他方で、今回も泡沫候補は、うようよ出た。まともな方も散見されるが、都知事はトップ当選しなければ意味がないので(都議会議員なら定数まで当選可能)、結局、選挙に出るだけにしかならない。

 上杉隆氏、ジャーナリストとしては認めるが、こういう形で出馬するとは戦略がまるでない。そういう人だと思われることに気付かなかったのだろうか。マック赤坂氏も面白いと思うが、所詮、キワモノである。

 さて、毎回、選挙で思うことはおいらが好きな櫻井よしこ氏が出馬しないことである。

 あれだけのキャリア、見識、度胸があれば一国の総理にしても恥ずかしくないと思っているのだが、どうも本人にはその気がないらしい。

 人生には天命という時期があるので、それを逃すと証文の出し遅れとなる。櫻井さん、そろそろ出番ではないですか。

 ということで、今回は今ひとつの選挙になりそうである。


本日と明日はお休み

 本日と明日は休日につき、お休みです。


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 写真上は、昨日のお昼時、渋谷駅前交差点の手前で見た「マック赤坂」都知事候補の街宣車。

 マック赤坂氏は後部左座席に乗車しておられ、少しお疲れの様子。しかし、街宣車のうぐいす嬢のお言葉は、「マック赤坂、京都大学卒業。マック赤坂、京都大学卒業」の連呼だけです。

 これでは、…。


 それでは、皆様よろしゅうに。


平成28年7月30日(土)


 謎の不良翁 柚木惇 記す



本日から三日間はお休み

 本日から三日間は休日と腰痛につき、お休みをいただきます。


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 写真上は、渦中の人物、籠池氏。

 政治大好き人間のおいらにとって今回の「藪の中」ほど面白いものはありません。国会中継をベタで観たのは久し振りです。

 真相は別にして、まともな質疑をしているのは民進党と共産党でしょう。後は、質問の趣旨が透けてみえるので辟易とします。特に自民党がひどい。

 それはさておき、籠池氏の発言は一部を除いて大枠では筋が通っています。証人喚問であれだけの発言ができるのは、ある意味で人物です。

 それだけ自信があるのは、背後に何かがあるからだろうと推察しています。

 特に、3月9日までは学校建設にあれだけ固執していながら翌日突然、申請を取り下げたという背景には何らかの力(例えば大物政治家の力)があったと推測してもおかしくはありません。

 それが一転して、安倍首相の寄付発言に変わったのですから、10日以降、再び何かがあったに違いありません。

 籠池氏は、まだ大きな爆弾を隠しているとおいらは推理します。この事件、まだまだ目が離せないぜよ。

 それでは、皆様よろしゅうに。このブログ、火曜日28日から再開の予定です。


平成29年3月25日(土)

 謎の不良翁 柚木惇 記す



再び松本清張の世界か

 おいらの感覚では、ビジネスの世界は20年前位から明朗会計に変貌し始めたと思う。


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 ちょうどおいらがニューヨークに赴任したころ(1996年)、コンプライアンスという言葉が流行り始めた。どうでもいいことだが、コンプライに続く前置詞はウイズである。

 そのころ、山一證券や拓銀などがバタバタと潰れ、当時の大蔵省も財政と金融の分離に伴い財務省と名前を変えた(2001年)。

 それが功を奏したかどうかは別にして、今回の「財務省決裁文書改ざん事件」の発覚である。

 こういう事件はいつの世にもあるもので、松本清張の時代、つまり、昭和の時代では、政界と官界の関係はなれ合いであり、最後は官僚の末端のトカゲのしっぽ切りが幕引きであった(自殺に見せかけるなどえぐい内容ではあるが…)。

 何が云いたいかというと、昔の黒沢の映画でも同じであり、黒幕は政治家とその背後にいるドンが仕切っていたのである。

 しかし、そういう茶番は20年以上前の昔の話で、今ではそういう話を映画にしたとしても観客ウケはしないと思っていた。

 ところが、平成30年でもある2018年に「森友学園事件」で再び同じような話を経験することになったのである。

 だめだよなぁ、結局、コンプライアンスも財政・金融の分離という構造的な改革も世の中の本質を変えることなど出来ないじゃん。

 今回の唯一の救いは、小泉進次郎議員の発言である。

「自民党は官僚に責任を押しつける政党であってはならない」という趣旨のことを発言していたが、こういう当たり前の発言を勇気ある発言だと感じさせる今の風潮は恐ろしい。

 結局、日本はこういう国なのである。

 しかし、これが米国なら政府は見事に転覆、一旦は浄化する(しかし、歴史はその繰り返しだから恐ろしい)。

 はてさて、日本の行く末はどうなるのだろう。


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