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さすらいの天才不良文学中年
かくも政治は 権力闘争 明治 自民党
政治家の後援会パーティーに行ってきた(前編)
故あって、先週火曜日の夕方、某政治家の後援会パーティー「某氏を励ます会」に出席した。
これまでチャンスはあったものの、一度もこのようなパーティーに参加していないので、興味半分、面白半分で出席してみることにした。
まずは、場所である。国会議事堂や霞ヶ関に近い、都内某所のホテルである。そのホテルの大ホールを貸しきりだ。
開催時間は、午後5時開場。5時半から6時15分までが講演である。講師は、日刊ゲンダイ編集部長の二木啓孝氏(写真左)。
演題は、「安倍政権はいつまでもつか」
その後、6時半から「某氏を励ます会」になるわけである。
で、会費が2万円。これは、事前の郵便振替でも、当日持参でも良い。この手のパーティーでこの金額が高いのか安いのかは分からぬが、昔(と言っても10年以上前のことだが)2万円だったような気がするから、まあ、こんなもんなんだろう。
パーティーの内容は立食だとは想像がつくが、それ以外はどのような催し物があるのか見当がつかない。案内状を見ると、「この催し物は政治資金規正法第8条の2に規定する政治資金パーティーです」とある。
さて、どんな人種が、一体何人位参加するのだろう。ちょっと試算すると、250人出席で500万円集まる訳である。500人で1,000万円、1,000人出席で2,000万円の勘定になる。まあ、金だけ払って出席しない奴も多くいるだろう。
こういうことをあれこれ想像するのは面白い。張り切って、出席することにした(続く)。
政治家の後援会パーティーに行ってきた(中編)
さて、当日の夕方は、天気予報が大ハズレの雨。それでも、都内某ホテルにおいらは出向く。
午後5時過ぎに到着。しかし、驚いた。人影がまばらである。もっと、大勢の人間でごった返しているのではと予想したが、会場の受付はまったく落ち着いた雰囲気である。おいおい、大丈夫かね。
周りを見渡すと、主催者の関係者に出会う。今回、おいらに故あっての人物であり、やはり雨で出足が悪いのを気にしている様子である。
一人で手持ち無沙汰でもあり、講演会場に入る。会場は思ったほど広くはない。縦に10列の長机が配置されており、その列が5つある。つまり、合計50の長机が置いてあり、一つの机が3人掛けであるから、150人が座れ、立ち見を入れて、200人程度の会場である。
しかし、その席に空席が目立つ。5時半現在、せいぜい150人程度の参加だ。定刻になったので、主賓である政治家が司会を始め、主賓の友人である日刊ゲンダイ編集部長、二木氏の紹介を始める。
講演内容は、日刊ゲンダイの編集部長である。何せ、「時の政権を叩く」、「野球は巨人を叩く」、「マスメディアが書かない記事を書く」という明快なポリシーである。安倍内閣をこき下ろすというゲンダイの記事の内容どおりの講演であり、やはり、これからの統一地方選、参議院選が争点になりそうである。
講演が終了し、質疑で面白い質問が出るかと期待したが、誰もしない。おいらがしゃしゃり出るのも大人気ないので、黙っていたら、そこは二木氏、都知事選のことを話し始めた。
これもまたゲンダイの編集方針どおり、石原政権の行方に暗雲が漂うというとても上品な内容であった。講演終了時、聴衆がかなりの数に増えあがっているのに気付いた(明日に続く)。
政治家の後援会パーティーに行ってきた(後編)
さて、励まされる立場の主賓である政治家は、演題からご推察のとおり、野党第一党の政治家である。59歳。早大卒。読売新聞記者を経て、3期衆議院議員を務める。現在、浪人中。
6時半からの「主賓を励ます会」は、講演会会場の隣である。入り口に横路衆議院副議長と本日の主賓ご夫妻が金屏風の前に並び、ご挨拶を受けての入場である。
どうやら、講演会には出席しないで、このパーティのみに出席する参加者も多いようだ。参加者はそれでも全員で約250名程度か。意外にこじんまりしているので、驚く。
本人の挨拶が始まり(奥様が隣。写真上)、続いて横路衆議院副議長の挨拶、その後、鳩山幹事長が応援に駆けつけての挨拶、乾杯の音頭は海江田万里という錚々たるメンバーである(写真下は鳩山幹事長。ピンボケでごめんなさい)。
食事は、立食パーティである。いわゆる屋台(例えば寿司の握り)は出ていないので、経費を節約していることが分かる。テーブルの上にはビールしか出ていないが、なくなると直ぐに補充がある。水割りは飲み放題。ワインはなし。
その間、石井一元自治大臣などの挨拶が続く。おいらは、その間、鳩山幹事長や岩國哲人氏らと名刺交換をする。
主賓の奥様が、各テーブルを回って挨拶をしている。その後、主賓も全部のテーブルを回っている。アルコールが入って、会場はくだけた雰囲気となり、盛り上がりを見せる。しかし、参加者は圧倒的にご年配の方々が多い。男性、女性の比率は、7:3だ。
感想を述べる。
こういうパーティは、年寄りだけのものなのか。そうではないと思う。いわゆる無党派層を取り込むための努力を、この政治家はどうしているのだろうか。ボランティアが集まって、この主賓を応援する。そういう集会にしないと、これではタダの内輪の応援演説だと思われても仕方がない。
この手のパーティも新しいスタイルを考えるべき時代になっているのだろう。
産む機械発言と共産党の戦略
柳沢大臣の「産む機械発言」が収束を迎えようとしている。
恐らく誰も云っていないのではないか、と思うので敢えて書く。
この発言は、頭の良い人にありがちな発想である。本人にしてみれば、単なる比喩だと思っているのではないか。
しかし、おいらがこの大臣を信頼出来ないと思う理由は、産むことが出来ない人に対する「デリカシーの欠如」である。
産めない人がこの話しを聞いたときに、一体どう思うのだろうか。自分は機械以下なのか、と思わず考えるのではないか。
これだけで、氏は政治家以前に失格と考える。
次に、愛知県知事選挙結果の感想である。これは、昨日の日刊ゲンダイの受け売りである。
与党候補を勝たしたのは、日本共産党である。
何故なら、同党が候補者を出していなければ、野党候補が勝っていた可能性があるからである(両候補者の得票数は、与党候補者の得票数を上回った)。
もとより、共産党と他の野党とがその思想信条を相容れないのを承知の上である。したがって、常識で考えれば共闘はない。しかし、だからと云って、共産党が野党連合の足を引っ張っても良いということにはならない。候補者を出さないという戦略もあったはずである。そこを考えることが出来なかったのか。
でなければ、何時まで経っても、共産党は公明党と同じ実質与党である、と思われても仕方がない。
新聞「赤旗」を読む
母が今回入院していた病院は、医療生活協同組合の経営する病院である。
そこのロビーや待合室(談話室)に置いてある新聞に何故か「赤旗」が混じっているのである。
因みに、その他の新聞は朝日新聞とローカル紙である中国新聞。この中国新聞は、カープの記事ではスポーツ新聞にひけを取らない優れものである。
話しを赤旗に戻す。恥ずかしながら、おいらは生まれて初めて赤旗を読んだ。
これが意外に面白いのだ。いや、総合紙ということで驚いた(しかも、広島版である。これだと全国の版があるのかも)。
まず、紙数は16面で、総合新聞としては充分である。
最終面はテレビ欄。本紙の中にスポーツ面や文化面もちゃんとある。何と経済面まである。残念なのは、株価面がないことなのだが、これは革命政党機関紙だから止むを得ないのだろう。
テレビ欄の解説も秀逸である。ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、「不況下の1930年代。若い人妻と愛し合い、彼女の夫殺しの完全犯罪を企てる流れ者の運命」とある、おっお~、中国新聞の解説(恐らく共同通信)とは異なっており、読ませる。
流石に赤旗である。脱帽。これだと、毎日、読みたくなる。頼むから、株価欄を設けてくれ。
勘弁してよ安倍改造内閣
安倍改造内閣発足である。
何の新味もない、野球でいえば、常敗球団の監督を変えずに、コーチだけ刷新し、選手の補給を何もしないチームである。
それはないだろう。ファンは、あなたではダメだと選挙ではっきりと示したのである。
それでも安倍総理は続投するという。もしこれが野球なら、お前の顔など見たくないとファン離れだけで済むのだが、ちょっと待って欲しい。政治は違うのだ。おいらたちの生活がかかっている。
これって、民間の会社だと倒産するパターンの典型だよなぁ。偽装品を製造販売したり、期限切れの商品を売りながら、もしトップが居直っているとしたら、その会社は間違いなく総スカンである。日本も倒産かぁ。おいらもそろそろ日本脱出を真面目に考えなければならないのかなぁ。
戦後、最も無能な総理といえば宇野総理だろう。その宇野総理よりも悪いのではないか。歴史上判断を誤った指導者でいえば、徳川慶喜が浮かぶが、とうとうそれを超える指導者の登場なのか。慶喜は幕府をつぶしたのである。
仄聞すると、岸信介の娘が「あなたのお爺様は、このようなことではお辞めになっていません」と諌めたという。おいおい、おいらたちはとうとうそういう人物をリーダーにしたということなのかしらん。
そうとは思いたくないが、もしそれが本当だとすると、この国のトップは腐っている。しかし、もっと重要なことは、おいらたちにも、そういう国会議員を選んだという重大な責任があることである。
総理とは
一国のリーダーが総理、その総理が椅子を投げ出した。日刊ゲンダイによれば、どうやら「うつ病」らしい。それで納得した。あの生気のない顔ならそうであっても止むを得ない。それにひょっとしたら、更年期障害を併発していたのかも知れない。しかし、この国の危機管理はどうなっているのだろう。トップの健康さえも管理できていないのではないか。
さて、リーダーの資質について述べる。
安倍政権は約1年もったが、おいらは途中からいやな予感がしていた。それは、総理が自分の言葉で話していないと気付いたからだ。自分の言葉で話していないということは、話題の中身=問題の本質が実は分かっていないということである。だから、表面上だけの空疎な響きに聞こえてしまうのである。政治家が自分の言葉で話さないというのは、決定的な致命傷である。
安倍総理の最後は四面楚歌だったに違いない。しかし、国会の所信表明演説で自分がやりたいと思っていることを腹の底から自分の言葉で喋っていれば、まだ一発逆転ホームランはあったと思うのである。
小泉総理は違った。間違ったことを云う場合でも自分の言葉でしっかり喋っていた。だから、人間くささがあり、騙されてみようかなとも思ったのである。
リーダーは自分の言葉で本音を話す。そうすれば、皆話しを聞いてくれる。簡単なことである。大野伴睦(元自民党副総裁)は、かってこう云った。「誠心誠意、嘘をつく」
ところで、次期総裁は福田氏が優勢のようだ。おいらは思うのである。自分の言葉で喋るのなら麻生氏だろう。毎回、何を云うかが楽しみな人である。しかし、対する福田氏があれでなかなか曲者である。わざと自分の言葉を濁すという高等テクニックを使っている。
どっちみち短命政権である。それであれば、面白いのは麻生総理だろうなぁ。毎日、とんでもない発言が出るかも知れないしなぁ。まあ、政治家には騙されどおしだから、今更どう思うということもないが、お二方には安倍総理と異なり、自分の言葉で喋って欲しいものである。
東京選挙区
東京選挙区とは何だろう。
前回の小泉郵政解散総選挙では、自民党が東京選挙区で圧勝した。25選挙区中24勝1敗である。民主党で勝ったのは、東京18区の菅直人わずか一人であった(写真は今回の参議院選挙ポスター)。
ところが、今後(早ければ半年以内)予想される衆議院の解散総選挙では、民主党幹部が東京選挙区から出馬するという話しがある。小沢代表が「幹部は東京から出馬しろ」と号令をかけたかららしい。
小沢代表は、「自分の地盤の岩手は若い人に譲っても良い」「自分は東京から出ても良い」と語ったというのだ。
で、おいらは、被選挙権はどこでもよいのかと、改めて調べなおしてみた。
都道府県議会議員と市区町村議会議員は、その選挙についての選挙権を有する者(<=3ヶ月以上住民である者で、満25歳以上の日本国民)でなければならないが、衆議院議員と市区町村長(満25歳以上の日本国民)、参議院議員と都道府県知事(満30歳以上の日本国民)は住民票が立候補する選挙区になくても良いのだ。
そうだったのか。だから、太蔵クンが北海道から出馬するという話しがあるのだ。
であれば、首都東京で自民党と民主党の幹部が決戦しても良いではないか。日本の行く末を決める選挙になるのである。両党ともそれぐらいの気構えが必要である。
小沢代表が東京で出馬する。鳩山幹事長や岡田元代表、前原元代表も東京から出馬する。良いではないか。先週のキオスクの新聞見出しで首都東京は民主党全勝という見出しが出ていたが、そういう戦術を取れば夢でもあるまい。
ついでに、新党日本の田中康夫氏も東京から出馬すれば当選間違いないだろう。そうすれば、あの有田芳生氏も繰り上げ当選になる。
織田信長は部下に鞍替えを命じた。それは、敵地を自分の領地にせよという過酷な攻撃戦法である。しかし、信長は全てを計算し、勝算ありと見込んで鞍替えを命じていたのだ。
今回民主党が政権を獲れなければ、もう二度とこのような機会はあるまい。小沢信長の手腕に期待する。
ガソリン値下げと環境問題
インターネットでニュースを見ていたら、町村官房長官が「ガソリン値下げは環境問題にマイナス」と発言しているのを見付けた(12日、日経ネット版)。
最初は云っている意味が分からなかった。
よく読んでみると、「ガソリンの値段を下げればそれだけで日本の環境問題はそんな程度の取り組みなんだということになる。そのマイナス効果は計り知れないものがある」(以上ママ)と述べ、環境問題の観点からも税率維持が不可欠との考えを強調したという。
正直、驚いた。この理屈でいうと、ガソリンを値下げすれば、環境問題にマイナス、値上げすればプラスである。おいおい、初耳である。そんな無茶な理屈があるのだろうか(それともおいらが無知なのか)。是非とも石油関係者にその答えをお聞きしてみたい。
この人は後継総理の一人と思われているらしいが、これでは馬脚である。環境問題というキーワードを出せばそれで済むという問題ではない。
こういうのを問題のすり替えというのである。それよりも、政府がガソリンの値段を下げるのがどうしても難しいのであれば、その理由を正直に云えば済む話しである。
国民はバカではない。
民主党の天下はあるか
これは敵失である。
読売新聞が今月4~5日に実施した全国世論調査(面接方式)によれば、「民主党に一度、政権を任せてもよい」が58%だそうだ。
これで民主党が天下を獲らなければ、獲る天下はない。そういう総選挙である。
しかし、政権担当能力については手厳しい。
自民党の「ある」が67%に対して、民主党の「ある」が46%で、「ない」が47%と信用されていないのである。
そうなのだ。おいらが知っている民主党の関係者はユルフンである。残念だが、個人的にはお付き合いしたくない人もいる。だから、民主党が政権を獲っても大丈夫かとの疑問は尽きない。
しかし、そうだからと云って、「ビデオテープでもう一度」の自民党では日本に未来がない。自民党政権の「利権の温床」はもうコリゴリである。
さりとて、国民新党の選択はなかろう(ただし、個人的には、亀井静香のキャラは嫌いではない。あれは芸である)。社民党は存在意義がよく分からない。 共産党は佐藤優氏によれば、革命政党である。
つまり、民主党でガラガラポンするしか、もう道は残されていないのである。
それにしても、この「100年に一度」の危機を、自民党はホンマ何もせんのぅ。カルタゴはかくして消滅したのか。
民社党という政権があった
自民党と民主党のどちらが政権を獲るかが争点になっているが、おいらが学生のころには、民社党という政党があった。
春日一幸委員長がいたなぁ、佐々木良作委員長もいたよなぁ。懐かしいよなぁ。
少数党はほとんどが泡沫政党の烙印を押されるものだが、民社党のように35年間も存続したという政党は稀有だろう。
民社党のルーツは明治34年の社会民主党が嚆矢だが、戦前の社会大衆党、戦後の日本社会党、右派社会党、統一社会党を経て、昭和35年1月、民主社会党として誕生、後、民社党と名称を改めた。
小学生の頃、親父にどの政党に投票するのかと尋ねると、「民社党だ」との回答が返ってきたのが、おいらの政治への目覚めだった。
当時の民社党は国益重視を打ち出し、自衛隊の事実上の容認や、憲法改正の必要性まで主張していた。財界も健全野党として民社党を評価し、何と献金までしていたのである。
ちょっと待ってよ。
だったら、当時の無能「社会党」が民社党路線を採用していれば、今の二大政党時代と同じになっていたのではなかろうか(社会党はなんやねん、ボケ、カス! すんません、関西弁の黒田(ドジャース<==カープ)と同じで)。
過去の遺物である55年体制が今も続いている元凶の理由の一つは、日本に健全野党が育たなかったことである。
民社党はその後、平成6年12月に存在感を示すことが出来ずに解党。しかし、細川政権時代には、日本新党、新生党、新党さきがけ、社会党、公明党、民社党、社民連、民改連の与党政権の中で、新生党、公明党、民社党は小沢一郎、市川雄一、米沢隆の三人で「ワン・ワン・ライス」とまで呼ばれ、その連携が機能していたのである。
しかし、民社党のエキスが今の民主党に生きているとは到底云い難いなぁ。政治の世界も過去に学ぶ必要があるのではないかと思うが、如何か。
権力闘争の凄まじさ
土曜日の話しを続ける。
東京地検による小沢秘書の逮捕である。
素人には良く分からないので、政治資金規正法を少し調べてみると、これまでの慣行では、こういう形式的違反は行政指導の対象だったという。つまり、修正申告するか、献金を返却することによって一件落着だったというのである。だから、自民党の陣笠はこぞって返金すると云っているらしい。
簡単に云うと、届出そのものをしていないとか、口利きをしたなどの不正があるというのであれば、強制捜査や会計責任者の逮捕も考えられるのだが、そうではない限り、今回のような前例はこれまでなかったようだ。つまり、野球のルールが9回までに変わったのと同じらしい。
また、西松建設からの献金だと分かっていたのであれば(企業からの献金自体が禁止されている訳ではない)、最初から企業献金として民主党の支部に寄付していれば違法性はない話しだという。
他の与党議員も皆やっていることである。もし、マスコミが報道しているように小沢党首が突出して金額が大きいとしても、他の同じ穴のむじなを逮捕しないというのであれば、片手落ちである。
したがって、自民が落ち目の三度傘の今、小沢党首の秘書だけが逮捕されたというのは、ある意味で怖い構図である。
しかし、天下の特捜部である。背後には必ず何かがある。本当に怖いのは、これから与党の陣笠も逮捕し、矛盾点をカムフラージュすることである。実際、昨日のニュースでは「二階経済産業大臣も捜査」とある。
映画「20世紀少年」第2章では、国家の中枢は皆、「ともだち」に支配されていたのである。そういう話しは、タダの空想科学漫画だけの話しにして欲しい。
以上、この構図は「権力闘争、極まれり」と考えた方が分かりやすいのかも知れない。だが、本当に怖いのは、検察の力は特別だということである。「ためにする」からである。有罪と決めたら、有罪に仕立てるからである。
話しは変わるが、現在の財界には人物がいなくなったなぁ。経団連会長の品格のなさは云うに及ばないが、渦中のN建設の社長の発言も酷いなぁ。この会社に勤務している人たちは気の毒だよ。こういう文章を書かなければいけないこと自体が情けないなぁ。
やはり意図があるのか「小沢潰し」
今回の小沢民主党代表秘書の起訴。
要するに何が目的だったのかと云うと、「小沢潰し」だったのではないか。
確かに政治と金の問題を考えると、小沢一郎氏に問題がないとはいえない。
しかし、その問題があるからといって、世の中の潮目が「政権交代にノー」と変わるのは、短絡過ぎはしないか。
今週日曜日、千葉県知事に森田健作氏が選出された。冷静に考えると、これは宮崎県知事の選出と同じ構図である。敵失で投票するところがなくなったから、千葉県民は消去法で森田氏を選択したのだ。
小沢潰しの効果はこれである。千葉県民は民度とは関係なく、そう思ったのである。
これは怖い。
千葉県民の場合は森田氏という逃げ道があったから消去法で投票したのだが、国政選挙ではこうはならぬ。政治に失望し、棄権する無党派層が増えることも予想される。
そう考えると、一体、誰が得をするのか。
結局、今の日本は政治家ではなく、霞が関が支配しているのである。
昔はそれでも良かった。官僚は国を憂えていたからである。しかし、省益有って国益なしの官僚が残したものは、役人天国である。
詰まるところ、今回の小沢潰しで、役人が得をしたとしてもおかしくはないのである。小沢氏がアメリカの(虎の)尾を踏んだという説もあるが、それはダミーだろう。
しかも、政治とカネの問題を錦の御旗に小沢氏を叩く今のマスコミのうさんくささもここに極まれりである。結局、マスコミも今の官僚と同じ穴のムジナである。
おいおい、これじゃあ、日本はどこもかしこも腐っているという構図じゃないのかよ~。
政治家稼業
代議士の世襲制批判がなされている。
役者の世界では、逆に世襲が尊ばれているんだけどなぁ(写真は5月23日付「日刊ゲンダイ」)。
いや、政治家稼業の世襲制を支持するつもりはない。政治家の世襲や禅譲は、昔は共産圏の十八番であった。今でも北朝鮮はそうである。
それに、役者の世界は「芸」で勝負するのである。民意を汲む政治家とは根本が異なる。
だから、自民党が政権公約として世襲を制限したとしても、実際には公認しないだけであり、無所属で出馬しても、
(1)自民党の地元県連は支持する
(2)自民党は他の刺客候補を出さない
(3)当選後は、自民党に追加公認する
のであれば、自民党公認と同じである。
現に神奈川11区に出馬予定の小泉JRは、世襲制限になっても圧勝の勢いだという。
それに今回の総選挙で公認を得られないのは、小泉JRの他には千葉1区の元法相臼井JRの二人だけだという。
これでは、自民党の世襲制限は選挙目当てのパフォーマンスでしかないと云われても止むを得ない。
おいおい、誰か気骨のある奴はいないのかねぇ。
おいらの友人で敬愛するT.Tさんよ、出版社の経営も良いが、思い切って神奈川11区に民主党から出馬してみないかねぇ。あんたなら、良い線行くと思うんだけどねぇ。
え? 無理?
そうかぁ、誰が出ても勝てないんと云うのなら、その選挙区の民度が問題の本質かぁ。
世襲制の問題は投票する選挙民にある。同時に、棄権することによってそれを野放しにする無責任な選挙民にもあるのではないか。
この構図は、まるで住民全員がゾンビと化した映画の世界のようでもある。
二大政党制誕生
民主党が政権を獲って、日本にも真の二大政党制が誕生した。
小選挙区制が導入されて、「勝った、負けたの世界」になったのだから、今回のように地滑り的な圧勝で勝っても勝ち、僅差で勝っても勝ちは勝ちである。
したがって、民主党の施策が拙ければ、次の衆議院選挙で勝つのは野党自民党となる。中選挙区制ではないので、弱小政党が政権を獲ることはない。弱小政党は、昨日までの自公政権のように、勝ち馬に乗らなければ存在価値を出すことは事実上難しい。
それにしても、日本人の集団心理というのは恐ろしい。前回の「郵政民営化選挙」では小泉自民党を圧勝させ、今回の「自民党自滅選挙」では鳩山民主党を圧勝させた。
前回、自民党に票を入れた人の何割が今回、民主党に投票したのだろうか。浮動票のほとんどがそうしたのであれば、この国の選挙は浮動票頼みの衆愚選挙である。
浮動票と無党派層とは本質的に違っているとおいらは考えるのだが、信念を持たない無党派層を生み出した今の政治に真の問題があると思う。
おいらは二大政党制主義者なので、今回の選挙によって、日本にも初めて議会制民主主義が誕生したと思っている。
民主党は、日本の将来を見据える政権運営を担うべきである。マクロの観点から経済運営を行うべきである。他方で、自民党は下野しても健全な野党となり、次の選挙でこそ真の意味の政策で勝負すべきである。
余談ではあるが、昨夜の選挙特番ではNHKと民放の各チャネルを見まくった。
その中では、テレビ東京が一味違っていたと断言する。予算がないから田勢康弘を交えて、激論するしかない。この田勢康弘、只者ではない。あの、シニカルな表現の背後にある自信は何なんだろうなぁ。
最後に。
比例で復活というのは、何なんだろうねぇ。落ちたのに、受かるんだょ。小選挙区に出ていながら、比例にも保険を掛けると云うことについて違和感を感じるのはおいらだけだろうか。
石原慎太郎氏の国会質問
先月の12日に開催された衆議院予算員会質疑の模様は、テレビで国会中継された。
午後の質問に立ったのは日本維新の会の石原代表である。約1時間半の質疑時間なので、これは見ものだ。録画しておいたので、見るのを愉しみにしていたのだが、時間がなく、一昨日の日曜日にやっと見ることができた。
結論から述べると、期待したほどの見応えではなかった。
石原慎太郎氏、衰えたり。舌鋒、厳しからずや。
話しにキレがないのである。いや、そもそも、質問になっていないのである。質問の形をとってはいるが、氏は、ある意味で国会中継のバカバカしさを知っているから、自分の意見を云いっ放しである。
外務省や国交省の官僚がバカだとこき下ろしているが(そのとおりだろう)、それなら、都知事を辞めて国政に出たときに官僚を罵倒したときの演説の方がよっぽど上手かった。
あのときは、総理になれる最後のチャンスだった。本人はもとより、周りもそう思っていた。だから、気合の入れ方が違っていた。世の中は石原氏を中心に回るかと思わせたほどである。
しかし、今は違う。
誰が見ても、もう氏に総理の目はない。タダの暴走老人になってしまった。これを人は晩節を汚すという。
緊急入院しておられるらしいが、平沼氏が「大変お元気だった」と云われても困惑してしまう。政治家の云うことは、誰も信用しないからである。
ただ、氏が稀に見るキャラクターであることは確かである。長生きして本当の不良老人になって欲しいと思うのである。そうでなければ、氏は綺麗ごとの優等生のままで一生を終えることになる。それが石原慎太郎の限界だった、と本人も云われたくはないだろう。
民主党と明治政府の差(前篇)
民主党がその存在意義を問われて久しい。云っていることと、やっていたこととが大きく違ったからである。
その結果が先の衆議院選挙であった。
民主党は今度の参議院選挙で恐らく壊滅するであろう。何だか昔の社会党を思い出すのである。
では、民主党はどこで間違えたのだろうか。
そこで、おいらは明治政府がやったこととの対比でこのことを考えてみたい。
おいらが幕末から明治にかけて不思議だったのは、「攘夷」である。
幕末の合言葉は攘夷、だったのである。しかし、である。幕府が滅んで、明治になった途端、誰も攘夷を唱えなくなったのである。
これって、何?
そう、徳川幕府を倒して樹立した明治政府がそれまでの旗頭であった「尊王攘夷」の攘夷を打ち捨て、結果として、江戸幕府と同じ開国派になったにもかかわらず、誰も文句を云わなかったのである。
ここで、少しおさらいをする。
幕末のキーワードは、「謹皇か佐幕か」、「開国か攘夷か」である。
謹皇が攘夷と、佐幕が開国とセットになっており、国論を二分していたのである。
これは、先の民主党が圧勝したときの争点である、「生活が第一か、既得権益を守る従来の守旧派が大事か」や、「コンクリートか、人か」、どころの話しではない。
攘夷は、討幕派マニフェストの大看板であったのである。
だから、新選組を始めとした斬り合いはもとより、薩摩長州などと幕府との戦いで、攘夷を巡っての議論の余地などなかったのである(この項続く)。
民主党と明治政府(後篇)
前回の復習をすると、討幕派は江戸幕府を倒すために尊皇攘夷を一枚看板にして、攘夷熱を煽ってきたのである。
しかし、一旦政権の座についてみると、国際情勢は攘夷なんてとんでもない、諸外国とは和睦路線で行くしか道はなかったのである。
そこで、マッチポンプとなるのである。自分で煽った攘夷熱を自分で消す羽目になったのである。それが新政府の真っ先に対応しなければならない課題であった。
ここでの一番の問題は、もし、ポンプで火を消すのであれば、攘夷は単に徳川幕府を倒すための口実であって、新政府は私心の塊ではないかと糾弾されることであった。
ここで、新政府は苦肉の策として万国公法を持ち出すのである。そう、坂本龍馬が銃を捨てて新たな武器とした公法である。
新政府は、
「我々は外人を夷狄(いてき)禽獣と思ってゐた。だから之等(これら)の者と交わるのを快しとしなかったのだ。
然るによく聞いてみると、彼らにも宇内の公儀の理解があると云ふ。
而(しこう)して我々に対(むか)っては天地の公道を以て交らうと云うて居るさうだ。
然らば我々も亦(また)彼等を待つにその所謂(いわゆる)公法を以てすべきではないか。
猥(みだ)りに之を排斥するのは古来の仁義の道に背くのみならず、又恐らくは彼等の悔(ぶ)を受くることにもならう」
として、政治方針を表明したのである。
要するに、明治政府は民主党と異なり、直ちに国民に天下の情勢を説明し、しかも、古来の仁義の道まで持ち出して、公法(国際法)を遵守すると唱えたのである。
この背景には、攘夷をしようにも諸外国と日本との国力の差があまりにも離れていること、必要があれば、いつでも戦えるように国力の増大を持ち出したことなどが江戸幕府と異なっていた点である。
幕府は徳川の安泰ばかり、つまり、「無事」しか考えなかったのである。そこに大義はない。薩摩や長州は英国と戦い、彼我の差を知り尽くしていた。それでも、必要があれば戦う気概だけは捨てなかった。それに対し、徳川幕府は最初から最後まで外国に対して腰抜け外交であった。国民はそれを見抜いていたのである。
だから、新政府は外交政策上攘夷を捨てても、いざとなったら、仁義を押し通すとしたことを、国民が納得したのである。
歴史を学ぶと教わることが多い。民主党にはそういう輩がいなかった、と云われても仕方がないだろうなぁ(この項終わり)。
終わりの始まり
参議院選挙は予想していたとおりとは云え、デジャブになった。
都議選の結果そのままの再来である。
自民圧勝。対抗勢力惨敗。二大政党は、夢のまた夢となった。
これは、全て民主党のオウンゴールだろう。同党の3年間の失政のなせる業である。
しかし、あまりの自民の圧倒的な勝利にバカバカしくなって、思わず笑ってしまったほどである。
今後は自民のやりたい放題だろうねぇ。
これを世間では「終わりの始まり」と呼ぶ。
都議会の低レベル
都議会での女性蔑視発言事件(14年6月18日)のレベルがあまりにも低いので、このブログに取り上げるのはどうかと迷った。
しかし、先週水曜日の事件にもかかわらず、ヤジを飛ばした当の本人(複数者と云われている)はもとより、そのヤジを飛ばした周辺の議員までが口をつぐんでいるので書く。
この事件に関するニュースと某番組を録画しておいたので、その場面を見た。確かにこのヤジはひどい。おいらはヤジを否定するものではないが、英国紳士のようにウイットのあるヤジ以外は頭の悪い人の発言だと思うことにしている。
ところで、すでにこの問題は英国のガーディアン紙や米ウオール・ストリート・ジャーナルでも批判の記事(いずれも電子版)が掲載された。ま、日本は未開国なみだよなぁ。
発言の主は自民党議員の可能性が高いが(ネットでは既に自民党の複数の議員の名前が挙がっている)、本人がシラをきるのは確信犯の場合もあるので別にして、少なくとも隣にいた、または傍にいた議員さまは誰が発言したかを知っているはずだ。
自民党では個々の議員に聞き取りをした結果、該当者がいないことを公表しているようだが、どういう聞き取りをしたのかねぇ。それで今後、こういう党に都の運営を任せても良いものだろうかねぇ。
自浄能力のない政党、それにこの都議会のていたらくでは政治をまかせるのはもとより、東京オリンピック開催の資格もなかろう。
舛添知事もこういうときこそしっかりしないと。他人事のような発言をしているのであれば、この人も同じ穴のむじなと云われても仕方がない。
やっぱり、自民党もダメだねぇ。いや、地が出ただけか。いかん、こっちの品格まで下がる。
民主主義の嘘くささ
青臭いことを書く。
おいらは昔から民主主義が嘘くさいと思ってきた。
それは、おいらが小学生のときに広島の片田舎で民主主義と同時に多数決のことを先生に教えてもらったからである。つまり、当時の教育では民主主義と多数決はセットであったのである。
しかし、子供心に思ったのは、悪党が集まって多数決で物事を決めるのであれば善人が虐げられるではないかであった。
その後、おいらが嘘くさいと思った疑念は払拭されることなく、民主主義とはその中身が正しいかどうかではなく、単に数の多いものが勝つと同義であったような気がする。ま、それを実践したのは田中角栄であったのだが。
今、ウイキペディアで民主主義を調べてみると、
「民主主義(みんしゅしゅぎ、デモクラシー、英語: democracy)とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す」
とある。
この民主主義は構成員の合意の種類により、欧米型の多数決型民主主義=「ウェストミンスターモデル」と、多数決によらない合意形成型民主主義=「コンセンサスモデル」に分かれると述べられている。
しかし、この合意形成の具体的方法は結局、選挙制度によるしかない。選挙制度とは詰まるところ多数決と同義である。残念だが、合意形成とは、未だに数の多きさ=数が勝つというルールしか見つかっていないのである。
ということは、民主主義は結果的に少数が虐げられるということにつながる可能性は大だ。おいらはISIL(イスラム国)を擁護するつもりは全くないが、ISILが生まれる風潮の背後には民主主義の限界があるという考え方には一理あると思わざるをえない。
だから、この問題の根は深いように思えるのだが、如何であろうか諸兄よ。
自民党の劣化
自民党の劣化が目に余る。
現在の安保法制をめぐるやり方を見てもそう思わざるを得ない。牽強付会なこじつけで自分の考えを押し通そうとする今の風潮に何の疑問もお持ちでないようである。
これまでも戦後の自民党のやり方に問題がなかったわけではない。だが、それでもぎりぎり塀の外側で勝負し、塀の中に落ちることはなかったのが自民党であった。
それは、まともな野党がいなかったにもかかわらず、自民党内部の派閥間抗争がある意味での野党効果を生み、派閥という思想集団間のアウフヘーベンによって、間違った方向に行きそうになった場合や堕落しそうになった場合には修正が効いていたからである。
しかし、現在はどうか。
相変わらず健全な野党は育っておらず(民主党のダメぶりは健在である。維新の党は自民党にすり寄っており、隠れ自民党である)、肝心の自民党内部では安倍首相に対抗できるまともな人材がいない。
こういうことだから、安倍シンパの若手議員が憲法改正を推進する勉強会を開き、その議員たちや百田尚樹氏からとんでも発言が出ることになる。しかも、そのことによって処分されても居直る始末だから何をか云わんや、である。
だから、週刊新潮の誌上で自民党の中川郁子代議士が不倫相手と再デートを実況中継されてももう驚かない。だけど、中川郁子先生の亡き旦那は可哀想だなぁ。あれでは旦那は浮かばれない。自民党はもう一度野に下るしかないねぇ。
しかし、早晩、その自民党は安保法制を強行採決するんだろうなぁ。
そのツケは、結局国民が払うことになる。そもそも積極的平和主義という言葉自体が嘘くさいよなぁ。不幸な時代だが、おいらはこのまま日本が武闘派になれば局地戦に巻き込まれることを予想している。挑発されて暴走するのはやくざ映画の基本である(歴史を考えてもこれだけ平和が長く続いた時代は珍しいしねぇ)。バランス感覚のある人ならそう考えるのが普通である。相手がどの国になるかも新聞を毎日読んでいれば、自然に分かる。
政治家の劣化が一番、怖い。
東京への一極集中
先週の夜中に地震があった。大きな地震ではなかったが、蒲団に入ったばかりで横になっていたので、揺れを大きく感じた。
最近はこういう小規模の地震が続いている。
それで、気にかかっていることを書く。一極集中のことである。日本人は、特に自民党は、進む道を間違っていたのではないだろうか。
狭い島国にもかかわらず、東京という一極にヒトモノカネを集中させ過ぎたのである。リスクは分散させるのが、セオリーであるはずなのに。
ただし、戦後の復興で東京一極集中したのは理に適っていた。分散復興ではスピードが遅すぎたからである。日本の奇跡の復興は東京一極集中のお蔭である。しかし、それも昭和までの話しだ。平成の時代にもそれをするのは時代錯誤である。
だから、これまで何度も首都移転の話しがでていたが、事実上の立ち消えとなっていた。霞が関の分散化も掛け声だけで(表面上はさいたまに移転している部署もあるが)、東京はしぶとく肥大を続けてきたのである。
5年後も東京オリンピックの開催で、ますます東京への集中に拍車はかかることになろう。
しかし、ここにきて日本列島の火山活動の活発化である。
この国の自然災害をめぐる環境は、東日本大震災発生以降、流れが変わったのである。
至る所で火山活動のニュースが報じられている。箱根の山が噴火して万が一富士山が爆発するようなことになれば、関東はすっぽりと被災地域になってしまうということになりかねない。
それは、すなわち日本の沈没を意味する。だって、東京の代わりはないのである。
また、昨日も書いたように万が一有事になった際はアウトである。首都圏がまっ先に人質になるのである。これだけ分かりやすい話しはない。
たまごを一つのバスケットにまとめて入れたらダメなのである。バスケットがおじゃんになったら卵は全滅である。
「東洋の島国はこうして終わった」と後世の歴史家に書かれることのないように願いたいものである。いや、もう手遅れかもしれないが。
民主主義の本質
安全保障法案が衆議院を通過した。
そのことについては、既にこのブログで触れたので話すことはない。
おいらが常に思っている「民主主義と多数決との不可解」のことについてである。不可解とは、「民主主義の本質は多数決にあり」という情けない現実のことである。
結論から述べると、参議院で今後もこの法案は審議されるが、60日ルールによって答えが見えているのである。
参議院でもめても(絶対にもめるよなぁ)、60日以上経過した場合(=「みなし否決」)には憲法の規定があり、衆議院で再可決すれば良いのである(3分の2以上の可決が必要だが、現勢力で間に合う)。
多数決の論理によって、衆議院で3分の2以上の勢力があれば参議院はいらないということと同じである。ま、参議院はそれ以前に機能を果たしていないので不要だという議論においらは半分同意している。
では、果たして本当にそうか。ここからは、人生の機微について触れる。
人生は、白黒がはっきりしないことが多い。ほとんどがグレーである。人生は0か1かのデジタルでなく、アナログである。だから、国会も数で決めるデジタルだと思ったら、大間違いである。
参議院でもめにもめたら、この法案、国民世論はますます反対に傾く。それでも政府与党がこの法案に対し、60日ルールを使って採決すれば、今後の日本にしこりが残ることは想像に難くない。
では、どうなるか。
与党はしっぺ返しを受けるのである。具体的には、次の参議院選挙で恐らく自民党は大敗するのである。公明党も毒林檎を食べたので、同罪である。
そこが、民主主義にとってぎりぎりの救いである。仕事だって、同じである。上司が部下に地位を使って命令したとしても、それだけでは面従腹背である。内容を理解させて部下がその気にならない限り、いい仕事などできるわけがない。
それと同じで、民主主義とは多数決ではあるが、本来は、できるだけ多数決によらないで話し合いによって弱者の意見も救う(相互が理解し合う)という道を残している政治システムなのである。
甘いと云われるかもしれないが、一寸先は闇の政治の世界で民主主義が機能するかしないかは、弱者の意見が今後どう反映されるかにかかっている。
都連・都議会って何だ(前篇)
週刊文春とポストが「小池都知事VS都連・都議会」の構図を分かりやすく紹介している。
おいらは、全くの門外漢で文春砲が再び炸裂するまで、こうまで東京都が腐っているとは知らなかった。
だが、一部の自民党都議が私利私欲によって都知事や国会議員を動かしているとしたら、今、何が東京都で起きているかを説明してもらわなければ、都民としては納得がいかないだろう。
そもそも都議会をバックに圧力団体化している都連に問題があるようである。
ようであるとは、おいらもマスコミの一方的な情報だけを頼りにしているからであるが(だから情報公開が望まれる)、これまでマスコミやネットに出てきた話しを総合すると、「都知事VS都連・都議会」と云う構図の中で都議会がボスの云いなりになっている(利権が背後にある)ことに問題がありそうである。
そもそも都知事は都民の代表ではあるが、同時に、都議会も都民の代表である。だから、この二元代表制のもとで都議会は必ずしも都知事の云うとおりに動く必要はない。そのこと自体には問題ない。
むしろ、地元に密着した都議会の方に力があるのはある意味で結構なはずである。しかし、都議会がボス政治によって動かされるという闇の世界だとしたら問題である。
だが、このことを従来はどこのメディアも取り上げて来なかったのである。
そこに文春砲が炸裂したのである。
そのボスの名前は新聞ではA氏としか報道されてこなかったが、文春によって内田茂都連幹事長(77歳)と世間に名前が出ることになった。
都連の某国会議員によれば、都連の石原伸晃会長でさえも内田氏には頭が上がらないようだ。
この都連幹事長ポストは強大で、選挙や業界団体への影響力は絶大である。早い話しが利権につながるポストである。
内田氏は2009年の民主党への政権交代時の都議選で自民党候補が大量落選したときに自身も都議を落選する。しかし、落選した内田氏はその職に居座るのである。
事態を重く見た石原伸晃氏(都連会長)と平沢勝栄氏(都連総務会長)は内田氏を降ろそうと考えたが、内田氏から徹底抗戦にあい、あきらめるばかりか、今やこのボスの云いなりだという。
なるほど、だから、自民党の都知事候補者選びが難航したのだ。自民党は内田氏の天敵となる小池候補を公認するはずがなく、氏の傀儡となる増田候補でなければならなかったのだ。
あな、恐ろしや、政治の世界(この項続く)。
都連・都議会って何だ(後篇)
都議会にはもう一人、有名人がマスコミとネットによって誕生した。
川井しげお都議会議長(68歳)である。
小池知事が川井氏に挨拶に行ったときに、「知事と議会は両輪です。一輪車にならないように」と発言し(そのこと自体は間違っていないが、そういう教訓めいた発言を初対面でよくするなぁ)、小池氏との写真撮影を拒否したのである。
その後も、川井氏は東京パラリンピック関連イベントで小池氏とは目も合わせず、小池氏が川井氏に会釈をしたにもかかわらず会釈をしないというのだから、少々驚く。
絵に描いたようなヒール(悪役)振りではないか。
案の定、早くもネット上では、「来年夏の都議選では、利権のかたまり内田茂氏と川井しげお氏を落選させよう」などが出ている。
今、毎日を騒がせている築地市場の移転や東京オリンピックの箱物建設利権では二人の名前がちらつく。9月28日から都議会が始まるので、マスコミは川井議長に注目するだろうなぁ。
だが、もっと大きな問題は都議会が都議会ムラに堕していることである。
都議会は、ムラ社会なのである。
都議会の自民党都議は、ボス(上層部)の決定に云いなりなのである。議論などしようとしたら、干されてしまうのである。本来、自民党は党内で議論を百出させ、最終的な判断をくだす党だと思っていたが、そのプロセスはゼロである。
しかも、都議の本来の仕事である条例の策定も行わず、都庁の役人が作った条例を右から左に流しているだけである。
要するに、都議が何をしているかと云うと、地元の冠婚葬祭と業界団体の陳情を聞くだけのようだ。
いやはや、これはひどいのぅ。そうであれば、都議など最初からいらないのかも。
やれやれ、日本の中枢である東京都にこのような闇の世界があるのだと思うと、日本の将来ははたして大丈夫なのかと考えてしまう。
さて、今後、この問題はどうなるのか。
マスコミは、連日、築地市場の豊洲への移転問題(もはやスキャンダルである)を取り上げている。
そのうち、石原元都知事が示唆したようにオリンピック問題に飛び火する可能性もある。そうなれば、莫大な損害賠償問題に発展する可能性もある。役人の責任問題も浮上するはずだ(もうなっているようだ)。
そうするとどうなるか。おいらはいつか読んだような小説を思い出す。蜥蜴の尻尾切りによる幕降ろしである。松本清張の世界にならないことを祈るばかりである(この項終り)。
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