さすらいの天才不良文学中年

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インテリジェンス マスコミ

情報漏えい

 1月4日付の産経新聞によれば、陸自の「マル秘」資料が流出とある。


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 薬物事件の捜査の過程で中国人宅に陸自の「部隊編成表」が見つかったというものだ。自衛隊では、昨年、最高機密のイージス艦情報流出事件が発覚したばかりである。

 また、昨年末には、在トリニダード・トバゴ日本大使館に勤務する外交官の私物パソコンから、コピーしていた業務上の書類がインターネット上に流出していた事件もあった。テロ組織の活動に関する書類や諸外国の情勢分析資料が含まれていたという。

 おいおい、日本のインテリジェンス(秘密諜報)に関する情報管理はどうなっているのだ。これではまるで「ゆるふん」ではないか。いや、それ以上に、同盟国は危なくて秘密諜報など日本に渡せなくなる。

 秘密諜報だけではない。警察官は簡単にパソコンから捜査情報を漏らす。一部上場企業の社員は会社の機密を流出する(卑猥な写真も同時にだが)。ちょっと酷すぎないか。

 おいらは思う。恐らく、これは氷山の一角である。ゴキブリ理論(1匹見つかれば、数十匹のゴキブリが棲息している)から云えば、もっと、ごっそりと秘密諜報が抜かれているはずである。

 この国は、諜報の世界のしきたりから云えば、失格である。国際的にも相手にされなくなっていると云わざるを得ない。もし、漏洩した諜報に、海外、特に同盟国から提供されていた諜報があったとしたら、既に虎の尾を踏んだはずである。

 いつから日本はこんな国に成り下がったのであろうか。簡単には戻らないはずだ。この問題は規律を厳しくすれば、明日から大丈夫というものではない。そんなことは、おいらを含めて読者諸兄が自分の胸に手を当ててみれば直ぐに分かることである。諜報の管理は、文化の問題だからだ、である。文化を直すというのは容易ではない。


誤植と誤報

 呉 智英(評論家、46年生まれ、「くれ ともふさ」。「ご ちえい」とも読む)が好きである。


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 バカバカしいことを大真面目に論じるが、数少ない「本質を突く評論家」である。不思議なことであるが、日本では本当のことを云うと、その人物は通常、干されてしまう。彼もお定まりのとおり、テレビなどのマスコミに取り上げられることはまずない。

 その呉 智英の余技に、岩波書店出版の書物の誤植探しがある。岩波は誤植があってはならない出版社である。そもそも誤植を出す出版社は二流なのである。誤植を出すだけで、出版業界では終わりなのである。それは掟である。

 だから、天下の岩波、しかも看板の岩波新書に誤植はあってはならないのである。

 しかし、呉 智英は平気でそれを探し、本に書く。だから、彼の書いた文章を読むと溜飲が下がる。しかし、まあそれも呉 智英の若気の至りで、今ではそれを見付けてもフンと鼻で笑っているに違いない。

 さて、天下の産経新聞である。

 先週の金曜日の朝刊(1月25日)の経済欄を読んでいたら、サブプライム禍で米国モノライン(金融保証会社)大手の「『アンバック・フィナンシャルグループ』の格付けを最上位のトリプルAからシングルAに2段階引き下げた」と記事にしていたので、おいらは思わず、のけぞった。

 トリプルAからシングルAでは、2段階どころではない。奈落の底である。ダブルAプラスから始まって、シングルAに至るまでは最低4ノッチ引き下げなければならない。

 インターネットで調べてみたら、ダブルAフラットまでしか下げていなかったことが判明(ロイターには詳しい記事が掲載)したので、産経新聞の誤報だと直ぐに分かった。

 ここで、呉 智英に倣って、誤植(誤報)を云々するという気持ちはない。インテリジェンス風に云えば、格付けや債券についての皮膚感覚があれば、直ぐにおかしいと気が付くはずである。

 しかし、それに気が付かないということは、この記事を書いた記者は恐らく金融を知らないか、そのレベルの程度であったということである。そもそも、それ以前に、情報は「裏を取る」必要があり、出典を確認して情報が正しいかどうかを調べる必要があるのである。

 次に、この記事が紙面に載るまでには、少なくとも複数のチェックがあり、経済部のデスクなり、彼の上司がこの記事に目を通していたはずである。さらに、万が一、それをクリアしていたとしても、最終的には、校正係りが最終的なチェックをしていなければならないのである。

 で、おいらは思うのである。それらを全てすり抜けていたということは、この新聞社の経済記事は、今後もそのレベルだと思って読まなければいけないのだろう。

 全く深読みするのも良いことばかりではない


インテリジェンスのかけらもない

 インテリジェンスのかけらもない話しである。


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 横浜市大の学位謝礼告発問題で、告発した医師が専門外の診療科に異動させられたという(5月11日付読売新聞)。

 同新聞によれば、
「横浜市立大医学部の学位取得を巡る謝礼授受問題で、同大コンプライアンス(法令順守)推進委員会に内部通報した医師が、神奈川県内にある病院の専門外の診療科に4月1日付で異動していたことがわかった。(中略)

 読売新聞の取材に対し、医師は昨年11月、嶋田紘教授(64)(3月末で医学部長を退任)の研究室で、『学位を取得した大学院生らとの間で現金の授受が行われている』と推進委に自ら通報したことを明らかにした。

 その上で、『1月に異動の内示を受け、『配置転換させられそうだ』と推進委に保護を求めた。研究も途中だった。推進委は訴えに、何も対応してくれなかった』と語った。 推進委は内部通報を受け、嶋田教授や研究室の関係者への聞き取り調査を行い、謝礼の授受を確認したとする報告書を3月にまとめている。

 大学の規定は、法令・倫理に反する行為に関して内部通報した者が不利益を受けないよう、保護を義務付けている(以下略)」 

 以上が事実だとすると、理解できない話しである。実は、この内部通報を巡っては、嶋田教授の研究室の准教授ら11人が2月、「医局内の出来事を悪意に歪曲している」として、通報者の処分を求める申し入れ書を理事長と学長あてに提出していたという。

 百歩譲って、事実がそうであったとしても、これでは今後誰も内部通報などしなくなる。

 佐藤優氏のインテリジェンス本を読まなくても、内部通報すると不利益を被りますよという先例を作ってしまえば、内部通報は絵に描いた餅にしかならない。本件についてのやり方は、いくらでもあったはずだ。

 全く未熟者以前の問題で、日本では内部通報制度など育たないどころではない。インテリジェンス自体が存在しないことを証明してしまった。どないなっとるんじゃ。


NHKは偏向しているか

 4月5日に放送されたNHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの“一等国”」が問題になっているという。


NHK


 NHKは、同番組に出席した台湾人や日台友好団体などから番組内容に偏向があったとして批判され、止(とど)めは、視聴者約8,400人から東京地裁に損害賠償請求がなされたことである(写真は先月(6月)26日付産経新聞一面)。

 その主張を述べると、NHKは日本の台湾統治(50年間)を批判するため、証言をねじ曲げ、

1 台湾統治下の暴動を「日台戦争」と表現、

2 「日英博覧会」で台湾先住民のパイワン族の紹介を「人間動物園」と表現

 などとしている。

 おいらは日台戦争など聞いたことがないし、高砂族なら知っているがパイワン族のことは知らない。この番組は見ていなかったのだが、DVDに録画していたのを思い出し、早速この日曜日にゆっくりと視聴した。


 結論から述べると、この番組の云いたいことは分かる。

 台湾インテリ層による「議会を創設して自治を求めようとする動き(ただし、彼らは台湾独立まで求めていた訳ではない)」を当時の日本(とりわけ軍部)が抑え込み、何が何でも台湾を日本に同化させようとしたことを批判しているのである。

 しかし、今でも親日派の多い台湾である。もし台湾統治を検証するというのであれば、負の部分だけを取り上げるのでなく(しかも、その部分が検証に耐え得る内容であること)、光の部分も取り上げなくては、片手落ちと云わざるを得ない。

 しかも、番組に都合のよい部分だけをオンエアするのは、三流スポーツ紙と何ら変わらない。これでは、報道する資格がないと云われても仕方がない。取材を受けた台湾の関係者が怒るのも当然である。

 NHKはどうしちゃったんだろう。こんなことでは、NHKが本来得意な、同じ尺ずつ放送する(どんな少数意見でも同じ時間=尺だけ放送する)という無思想の報道の方がまだマシである。

 視聴者を説得したいのであれば、必要以上に報道の基本原則に忠実でなければならぬだろう。

 この番組が云わんとすること自体は傾聴に値するだけに、この報道の姿勢は残念である。


 尖閣諸島問題の本質

 尖閣諸島問題で揺れている。


ぼろ市仏像


 日本政府(この場合は民主党政権)の失態は、破落戸(「ゴロツキ」と読む)である中国のシナリオに乗せられた完敗である。

 中国は尖閣諸島が欲しくてたまらない。

 しかし、国際法的に見て尖閣諸島は明らかに日本固有の領土である。中国は理屈をこねているのだが、それは詭弁である(この辺りの理論は、佐藤優氏の著作をご覧になっていただきたい)。

 さて、今回の事件のような場合、ヤクザの世界ではどうするか。

 ヤクザは相手の落ち度を探すのである。

 簡単にいうと、相手の善意で貸して貰った軒先で、相手の落ち度を探し、相手に落ち度がない場合には難癖をつけるのである。そして、母屋を乗っ取る。それがヤクザの常套手段である。

 だから、ヤクザが近くに来たら「ここはうちの家です。勝手に入らないでください」として「相手にしない=追い払う」しかないのである。

 もしも、ヤクザを逮捕するのであれば、相手の組と全面的に喧嘩する覚悟が必要だったのである。

 つまり、喧嘩をしても勝ち目がないと思うのなら、直ちに「追い払う=国外追放する」しかなかったのである(過去の自民党政権下で同様の事件が発生したときは、強制送還=国外追放にしていた)。

 それに、誰も書かないからおいらが書くのだが、今回の中国船長は鉄砲玉だと思っている。

 東映映画「仁義なき戦い」を観たことがある人間なら、ヤクザが相手のシマを奪うためにわざと鉄砲玉を送り込み、そこでひと暴れさせるストーリーをよくご存知だろう。

 鉄砲玉は敵地で暴れるものだから、メンツを保ちたい相手によって殺される。実は、これは可愛い子分を殺されたという大義名分を得るための罠であり、鉄砲玉を殺された組は、弔い合戦と云う名目によって相手のシマを乗っ取るのである。

 すなわち、今回の事件は初歩的な罠であり、日本は相手の思う壺に乗ってしまったという構図である。

 だから、民主党政権は今回、致命的な失態を演じたと烙印を押されても仕方がないとおいらは思うのである。

 恐らく同盟国である米国も呆れ果てているんだろうなぁ~。

 やはり日本は滅ぶしかないのかねぇ。おいらの憂鬱の種がまた一つ増えたのぅ。


 インテリジェンス

 昨日の続きを書く。


曼荼羅


 相手の挑発に乗ってはならないと述べた。

 もし、挑発に敢えて乗る(=船長を逮捕する)のであれば、マキャベリよろしく勝つための策を用意周到にして立ち向かわなければならなかったはずである。

 それが政治であり、外交である。

 不思議だと思うのは、逮捕すればこういう事態になるということが分かっていたのであれば(分かっていなかったのなら、論外であるが)、民主党政権がこのような無能の限りを尽くしたことがおいらには理解できないのである

 何が云いたいのか。

 おいらは、政権与党にインテリジェンスのかけらも無かったことに驚いているのである。

 今の時代に戦争が起きることなど有り得ないとほとんどの人が思っているはずである。日本人なら皆そうだろう。

 しかし、彼の国は平気で近隣諸国に圧力を加える国である。

 有事の場合(例えば、尖閣諸島への中国軍の上陸。その場合、中国は正当防衛などの理由を付けるはずである)がないとも云えず、その有事の場合にどう対処するかというシナリオを考えたことがあったのだろうか。

 おいらはこの問題の前提として、我が国にインテリジェンスがなければならないと考えている。

 相手はどういう意図を持っているのか。次にどういう手を打ってくるのか。

 信長が今川義元を破ったのは、インテリジェンスを使ったからである。

 インテリジェンスの重要性は当時とは比べ物にならない。

 しかし、この事件で日本はインテリジェンス戦争でも完敗したのである。今回の一連の動きで、日本はその無能さを露呈してしまったとおいらは思うのである。

 恥ずかしいなぁ。この国はやはり滅ぶしかないのかなぁ。

 おいらは、またしても憂鬱になるのぅ。


 おいらは新聞を信用しない

 某上場企業に約34年間勤めていた。


国宝仏像


 だから、N経済新聞やA新聞と付き合いがなかった訳ではない。

 それは、おいらが勤めていた会社や、所属する業界で新しい動きが起きたときに、それらの情報を求めて新聞社がすり寄ってきたからである。

 そういうときに、おいらが会社や業界に都合の悪い情報を云うだろうか。

 云えば、サラリーマンとして失格である。

 それに云わずと知れた新聞広告への掲載である。

 新聞社が企業への批判を書くと、批判を書かれた会社からの広告はなくなる。

 皆、知っていることだが、誰も書かないからおいらが書く。だから、N経済新聞やA新聞の経済記事はそういう類の記事である。

 これを隣国である、中国に関する記事に置き換えてみよう。

 4大新聞などが、中国に特派員を置くために現地支社を設けようと思った場合、中国への批判記事を書くはずがない。

 書いたとたんに、駐在員事務所はなくなる。記事が書けなくなるのである。

 中国以外での最近の例では、北朝鮮に唯一事務所を置いているK通信社が後継者選びでの記事の特落ち(特ダネを抜かれた)をした。

 これも簡単な理由で、その通信社が北朝鮮のお許しを貰わないと記事が書けないからである。

 インテリジェンスの理論を出さぬまでも、考えてみればアホラシクなるような話しである。

 政府や官庁の記事も皆同じである。不愉快になる記事は書けないのである。畢竟、提灯記事の羅列となる。

 おっと、テレビも同じ穴のむじなである。新聞より酷いかも知れない。CMで商売が成り立っているからである。

 また、CMがなくても捜査情報を容疑者側に平気で流す局もある。

 それに比べて、米国のCNNなどの事実を報道しようとする姿勢は買っても良いかも知れない(実際は似たり寄ったりかも知れない)。

 結局、マスコミには報道魂などないのである。おいらは、だから、新聞を信用しない。


小沢一郎問題で理解できないこと

 今回の小沢一郎問題(元夫人の「離縁状スキャンダル」)で理解できないことを述べる。


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 小沢という政治家の人間性に問題があったということではない(結局、小沢とはそれだけの人だったということである)。

 今週の週刊文春誌上で立花隆氏も述べられておられるが、政治家としての資質に根本的な問題が暴露されたというスキャンダルにもかかわらず、そのことをマスコミが取り上げないということについてである。

 新聞が取り上げないのには今更驚かない。週刊誌の記事などを後追いするのは新聞の沽券にかかわるといういびつなプライドが未だに生きているからである(信憑性が問われるはずだが、本物に違いないだろう)。

 しかし、テレビまでが取り上げないというのは異様である。

 先々週の週刊文春は発売と同時に売り切れになったようで、ネットでは千円という高値がついているという。

 小沢一郎の離党、新党問題はこれから佳境を迎えるはずだが、文春の記事が小沢一郎に影響を与えないはずがない。それを取り上げないで新党のニュースを報道するというのは明らかに片手おちである。

 これがアメリカならニューヨークタイムズもワシントンポストも週刊文春の記事を引用するはずだし、メジャーの放送局もこぞって特集を組むだろう。

 それがうやむやになるという日本のマスコミは、やはりどこかがおかしいとしか云いようがない。構造的な問題があるのだろう。

 例えば、最近の事例ではレベルが違うが、沢尻エリカ嬢のスキャンダル報道である。これも週刊文春のスクープなのだが、後追い記事が一切ない。黙殺されたと云うのが正しい表現だろう。

 考えてみれば、ロス疑惑事件のときも当初はそうだった。田中角栄の月刊文春記事も最初は同じような扱いだった。何だかこの国のマスコミの有りようは不気味である。


マスコミの劣化

 尼崎変死事件の報道にあたり、兵庫県警が主犯格の女性の顔写真を昨日発表したが、先週までその写真を間違えて掲載するという大手マスコミの前代未聞の失態があった。


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 この顔写真誤使用事件では、共同通信が被告の長男の同級生の母親から写真の提供を受けている。

 写真の提供者は、集合写真の中から一人を指差して「被告だと思うが、記憶はあいまいだ」と話したという。このため、別の同級生や同級生の母親らに集合写真を見せ、「被告はいますか」と質問するなどの裏づけ作業を重ねたという。

 しかし、地元の尼崎では被告とはまるで別人、全然似ていないという声が出ていたというのである。つまり、裏付け作業など実際にはしていなかったのである。

 そうして、どこかの社がそれを使えば、後は芋づる式である。起こるべくして起こったという誤報事件である。

 顔写真の確認は初歩中の初歩であり、何故このようなことが起きたのか(特に後追い使用の社)、今後、厳密な検証が必要なことは云うまでもない。

 だが、最近のマスコミの劣化はヒドイ。読売新聞ではiPS細胞で世紀の大誤報までやらかしてしまっている。

 しかし、おいらはここで最近のマスコミが特に劣化しているということを取り上げるつもりはない。

 マスコミとは、もともとその程度なのである。

 所詮、商業新聞であり、立派な記事を正確に書くなど最初から期待する方が間違いなのである。あれをクオリティペーパーなどと持ち上げるからいけないのである。

 はなから文屋のレベルだと思っていれば腹も立たない。永井荷風などはそう見抜いていたのである。だから、相手にしない。おいらもそう考えることにしたい。


インテリジェンス

 今回の後藤さんの殺害(2015年1月ISによる殺害事件)は、いたましいとしか云いようがない。


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 この事件の問題点として、日本政府が何をしたか(何ができたか)という大きなポイントがあるが、インテリジェンス上の問題があるため、ISとどういうやりとりをしたかという事実が今後、公になるとは思えない。

 だが、おいらが知りたいのは事実(ファクト・ファインディング)である。

 少なくともどういう経過で後藤さんが殺害されなければならなかったのかについて事実が突き止めなければ、浮かばれるものも浮かばれない。

 誘拐では、ネゴシエイトが当たり前である。

 ネゴシエイターとして日本が誰を使ったのか、そのネゴシエイターの相手は誰だったのか、ネゴシエイターはその相手とどういうネゴシエイトをしたのか、ネゴシエイトの過程でどういう無理難題が持ち上がったのかなど安手の映画だって最低限これくらいのシナリオは必要である。

 そういうものが表面下で行われていたはずであるが、このネゴシエイトは失敗した。そして、大切なことは何故それが失敗したかということである。

 第2、第3の後藤さん事件はまた起きる可能性があるだろうし、それが分からなければ、また救出に失敗する。

 なお、残念だが、おいらは当面、人が集まるところにできるだけ行かないようにしたいと思う。首都圏と交通機関は格好のテロの餌食の場所である。それにしても地震やテロの恐れなど都会とは住みにくいところになったものよ。



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