さすらいの天才不良文学中年

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「小説推理新人賞」奮戦記 長編小説

柚木惇「小説推理新人賞」奮戦記

 「小説推理新人賞」(双葉社)は、79年から続く歴史ある賞である。第1回受賞者としてあの大沢在昌氏を輩出している。

 その第29回「小説推理新人賞」の締め切りは昨年の11月末であった。原稿用紙80枚以内である。


小説推理2


 おいらも原稿用紙80枚丁度で応募し、今月号(「7月号」5月27日発売)の「小説推理」で中間発表が行われた。応募総数204編、1次予選通過26編、2次予選通過4編である。

 今回もおいらの名前と作品名が掲載されていた。ただし、1次予選通過止まりであった。

 再び受賞を逃したのは、残念である。予選は通過するのだが、それ以上の壁が破れないということか。

 一言自己弁護させて貰えば、今回の応募作品はミステリーというより一般小説の範疇に入り、「小説推理」のテイストではなかったのかも知れない。しかし、そんなことは云っても始まらない訳で、神様がおいらに試練を与えてくれたと思うしかない。今、書いている小説(6月末締切)の手を抜くなという神の思し召しなのであろう。

 さて、予選通過も度重なることになったので、そろそろおいらの公募作品でのペンネームを開示しようと思う。

「柚木惇(ゆのき じゅん)」である。今回の1次予選通過作品名は、「薔薇と乳白色は甦る」である。

 この筆名の由来はいずれ述べるとして、現在、ペンネームの使い分けをしており、エセーやショート・ショートは古くから使っている「つるぎかずを」で、公募作品の小説では「柚木 惇」としている。

 柚木 惇のこれまでの戦績は、

昨秋「第45回オール讀物推理小説新人賞」2次予選通過
今春「第87回オール讀物新人賞」1次予選通過
今夏「第29回小説推理新人賞」1次予選通過

となった。

 現在、柚木 惇の「薔薇と乳白色は甦る」をブログ上で公開することを検討しているので、ご期待されたい。


小説推理新人賞奮戦記余話(その1)

 ところで、この「小説推理」(双葉社刊)という月刊誌であるが、普通の書店では中々手に入らないのだ。大手の本屋に行かなければ、まず置いていない(図書館でさえも置いていないことが多い)。


小説推理


 本のメッカの神田神保町でさえもそうである。おいらは、東横線沿線では中目黒の「中目黒ブックセンター」以外に置いてある店を知らない(渋谷と横浜の大手書店を除いて)。

 退勤途上だと渋谷を経由しないので、この雑誌を手に入れるためには、わざわざ中目黒で途中下車しなければならない。しかし、確実に発売日には置いてあるので、必要なときには都度出向く。

 で、今回は中間発表の発売日が5月27日(日)であった。受賞は別にして、予選通過したのかしないのか位は早く知りたいというのが人情というものである。日曜日にもかかわらず、確実に置いてある店ということで散歩がてら中目黒まで足を伸ばした。

 ところが、あるはずの中目黒ブックセンターに置いていないのだ。どうやら当日は日曜日なので、入庫していないらしい。

「惚れて通えば千里も一里、逢わずに帰ればまた千里」

 小説推理は、まことに悪女の深情けなのである。

(なお、最終的には、翌日大手書店にて入手いたしました)。


小説推理新人賞奮戦記余話(その2)

 さて、予選は通過するのだが、受賞はしない。

 前回も書いたように、新人賞の求めるテイストとおいらの作品と間に差があるのかも知れないが、それ以上に受賞作品とおいらの作品との間に大きな壁があるのだろう。


可憐花


 では、この壁が何かということなのだが、難しい質問である。前にも書いたが、売れる本の条件として、

1.タイトル

2.テーマ

3.覗き見趣味(読んでみたい気にさせる)

4.最初の1ページ(魅力ある冒頭)

5.いじめ(主人公を奈落の底に一旦落とす)

6.スリル、どんでん返し

などが挙げられる(フリーページ参照)。ただし、タイトルだけは編集部によって発表時に変えられることが多く、新人賞では重点を置かなくてもよいらしい。

 それで、この基準をおいらの作品に当てはめてみると、まず小説の冒頭で読者を引き付けるようにしている。また、最後の部分での「どんでん返し」は必ず用意している。だから、これまで予選通過を果たしているのかも知れない。

 ところで、もう一つ、小説作法で大きな要素を占めているのが、プロット(筋、構想)である。小説の「指南役」というのをおいらは今一つ信用していないが、例外として「若桜木 虔(わかさき けん)」氏がいる。その氏によれば、「予選通過の二大条件は、魅力ある冒頭とプロットに尽きる」と断言している。

 頷ける話しであるが、それでは予選通過だけである。受賞するにはそれ以上の何かが必要だ。

 となると、問題は「テーマ」か。

 実は、おいらの小説のテーマは、一貫して小説の背後に「人生とは何か」を隠して問うているのである。表面は、ミステリーであるし、エンターテイメントであるが、突き詰めていくと人生観、死生観を問うているのである。これが地味だというのか。しかし、そもそも芸術とは人生を何かを問うものである。芸術家とは人生の意味を探る旅師のはずである。おいらのテーマがあながち間違っているとは思わない。

 おいらが思うに、受賞するためには「斬新な切り口」、「今まで誰も考えなかった新しい視点」、「革命的な内容」、「既存の作家を脅かす作品、存在」という意気込みが必要なのではないか。

 つまり新人賞を取るということは、既成作家の安住している世界に殴り込みをかけることが必要、ということではないだろうか(石田衣良氏も同旨のことを述べている)。そういう作品だけが新人賞に相応しいと思うべきなのではないか。

 おいらは今、そういう作品を書いているつもりである。


 長編小説はどうなったか

 このブログで4月から長編小説にトライしているということを書いた。


可憐な花


 本日から6月に入ったので、それが今どうなっているかということを書かねばなるまい。

 結論から云うと、この日曜日に第一稿を完成させた。

 原稿用紙総数342枚である。約2ヵ月間かかった。感想は、嬉しいというより、「完成してホッとした」である。

 何故か。

 それは、正直、これだけの枚数の小説を書いたのが始めてだからである。

 途中、何度も挫折しそうになった。くじけそうになった。こんな小説で良いのだろうか。最後まで読者をひっぱっていけるのだろうか。無駄なことをしているのではないだろうか。そういう悪魔の声が書きながら毎日聞こえて来るのである。

 だから、最後まで書くと云うことに全力を注入した。未完では、小説ではない。完結しなければ、小説ではないのだ。だから、書いた。仕事をしながら休日と夜間にとにかく書いた。書いて、書いて、書いた。

 長編が書けないと作家ではないと云うが、その意味がよく分かった。どの作家も「とにかく最後まで一度は書くことです。それが自信に繋がります」と云う。それがよく分かった。342枚。

 さて、これから加筆と修正の推敲に入る予定である。心理描写の加筆は相当なものになると思うので、最終的には400枚以上になるのではないかと思っている。

 その締め切りは今月末。

 今月は初旬から中旬にかけて広島に介護帰省する(5日間)ので、その間も推敲を重ねることになる。

 出来栄え?

 それは、もう、自信家でなければ小説など書けるものではない。世に問う力作である。乞う、ご期待!

 内容は?

 それはまた今度のお楽しみ。

 おいらは忙しいのである。よろしゅうに。


 長編小説その後

 5月末に原稿用紙342枚の長編小説を書き上げたと述べた。


岡本太郎 こどもの樹


 今月末が応募の締切なので、今月に入ってからは推敲を重ねている。

 実は、明日から母の遠距離介護のため広島に帰省する。

 したがって、帰省までに第2稿を完成させておきたいと、この土日の二日間は、一日約150枚のペースで原稿の加筆訂正を進めた。

 で、これがどうなったかと云うと、脳が覚醒し過ぎてしまうのである。

 ま、頭が回転し過ぎて、軽いオーバーヒートを脳が起こしてしまうのである。

 だから、上質の緑茶を飲んだときの様に、夜は、寝床に入っても眠れなくなるのである。

 早い話しが、横になっても頭が稼働し続けていて、「ハイ」に、言葉を変えれば、ちょっとアホになるのじゃのぅ。

 しかし、こういう状態を経験することも悪くはない。


 ただし、歳を取ると、こういうのは長くは続かないねぇ。お陰で昨日(月曜日)は疲労困憊、会社から帰宅すると、原稿を見る気力がまるで失せている。

 それでも、少しだけでも、推敲を夜、行う。

 いやはや、推敲するのも命懸けだねぇ。


 長編小説はその後

 昨日、先月末が締切の長編小説の応募が完了した。


春の紅葉2


 気心がしれた人物とささやかな祝杯を上げた。

 400字詰め原稿用紙換算枚数で、355枚。

 構想は昨年末から出来あがっていたので、梗概(あらすじ)を仕上げたのが、今年の3月。約1ヶ月間、梗概に時間をかけた。

 そして、実際に書き始めたのは4月。5月末までの2ヶ月間で書きあげ、6月の1ヵ月間を推敲に充てた。

 都合、4ヶ月間かかった計算になる。

 書き始めてからは、単純平均で1日6枚書いた勘定になるが、所要で書けない日もあり、また、一日中書いていた日もあり、そういう日は1日で20枚以上書き上げたこともある。

 軌道に乗ると筆が自分で動くともあり、そうなると梗概は書き直しである。梗概は何度も書き直した。

 そして、最後の2週間は、毎日、加筆と推敲の繰り返しである。仕事のある日も酒を飲んだ日も毎日、夜は机に着いていた。

 さて、仕上がりは満足なものとなったが、正直、時間はいくらあっても足りなかったというのが感想である。

 これが短編小説(100枚程度)なら完成度が極めて高くなると思うのだが、長編小説である。350枚を超えているので、力がいる。

 おいらは、文章はリズムだと思っているので、最初から最後までリズムを保つのが文章の達人だ。しかし、350枚のリズムを保たせるには力がいる。つまり、長編小説は、体力勝負なのである。

 ま、それでも長編小説を仕上げたのだ、良しとしよう。しかし、これに慢心してはならない。

 次は、いよいよおいらの永年の目標である江戸川乱歩賞だ(来年1月末締切。原稿用紙500枚程度)。

 今年の後半はこれにかける。人生はまだまだこれからである。




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