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さすらいの天才不良文学中年
広島帰省考10年編 奈良探訪記
広島帰省考10年2月編(前編)
今回の帰省は、水曜日の夕方、東京駅からの新幹線。
これまでの学習効果によって、「東京から川崎までの乗車券」と「横浜から広島までの往復乗車券」をJR東京駅の改札外で購入した。改札の中に入ると、こういう売り方をしてくれない!からである。JR東海の正体は見たので、この件に関してもうおいらは何も云わない。
さて、今回の東京駅での駅弁選び。
新顔である。競争原理が導入されている。「信州野沢菜 おごっそ弁当」(900円)。これだから、駅弁選びはたまらない。早速、購入。
合格である。野沢菜はそれだけでも美味しいのに、弁当用に炒めるというのは最早<禁じ手>である。
惜しむらくは、これが暖かい焼き飯であれば問題ないのだが、駅弁は冷たい方が美味しいというパラドクスもあるのでここは評価が難しい。
されど、この弁当の名前、「おごっそ弁当」、恐らくは「ごちそう弁当」の訛りと思われるが、考えてみれば冷えた弁当こそ、弁当道の王道である。焼き飯が弁当に向いていないにもかかわらず、こうして野沢菜を炒めて弁当にしているのだ。その心意気を感じたい。
さて、今回、新幹線で気付いたこと。いつぞやも書いたかもしれぬが、車内放送の音量が大き過ぎる。
名古屋を過ぎた後で、酔いも手伝い、美味しい弁当と酒、それに今はまっている曽野綾子のエセーを読みながらウトウトしていると、車内放送の暴力である。
特に新幹線は新大阪を過ぎてからは、新神戸、岡山、福山(便による)、広島とほとんど各駅停車の様相である。その都度、大声で愚にもつかない車内放送をされては折角気持ち良くしているのに、興醒めである。
今回は偶々(たまたま)、座席が7列目だったからかもしれないが(よく見ると6列目と7列目の天井にスピーカーがある)、それはお前の座った場所が悪いから仕方がないでは、新幹線とは乗客に優しくない乗り物と考えざるを得ない。中島義道が「騒がしい国日本」と声高に主張しているが、むべなるかなである。
と、ここまで書いて、ひょっとしたら、スピーカーのせいではないかと思った。
今回、乗車した車両には悪ガキがいて、大声を出しながら車内を走り回っていた。しかし、それほど気にはならなかった。その子供の声の周波数とスピーカーからの雑音の周波数とが異なっているからではなかろうか。
早い話しが、スピーカーの雑音が耳障りだからではないのだろうか。
例えば、アナログのレコードは雑音が入るので、脳はその雑音まで聞いてしまう。しかし、CDは雑音がカットされているので聞き易いというが如しである。
誰か、分かる人がいたら、教えて欲しい(この項続く)。
広島帰省考10年2月編(中篇その1)
母と2ヶ月振りの対面である。
おいらが部屋に入ると、母はベッドの上で良い子をしていた。ま、寝ていた訳であるが、おいらが上から覗くと母はおいらに気付き、泣き笑いになった。
ヘルパーさんがおいらを見て、「待っておられましたよ」と、のたまわれる。
直前に母に会っていた次弟から「母は元気だ」と聞いていたので安心していたのだが、それでも目の前にそのとおりの母がいると嬉しくなる。
心なしか、肌の艶が良い。張りもあるような気がする。母にバカ話をすると再び母が泣き笑いになる。良かったのぅ。
ベッドのそばで、末弟が母へ来た年賀状をカードホルダーに入れているので、それを見る。約100枚に及ぶ母宛の年賀状である。圧巻。
古希を持って年賀欠礼をする人がいるが、そういう人の年賀状は、実は儀礼ではないのか。
母は今年82歳になるが、未だにその母には100人の親友がいる。人生の豊かさとはこういうことだと思う。ただ、今年、また、5人が鬼籍に入られた。人生とは残酷である。
さて、今回の母のトピックス。個室に空きが出たので、母は四人部屋から個室に移動させてもらった。
母の容体が安定しているのと、これは勝手な考えだが「母の人柄が良い」ので、個室への移動を認めてもらったのではなかろうかと思っている。
部屋はゆったりとしており、落ち着く。早速、移動した部屋で、母が描いた絵、約10枚をベッドの回りの壁に貼り付けてみた(写真はそのうちの一枚)。
華やぐ。母の絵の素晴らしさに驚く。絵は、少し離れて見るに限る。この部屋に入るヘルパーさんが一様にのたまう。
「気分が華やぐ」
母が描く次の絵が楽しみである(この項続く)。
広島帰省考10年2月編(中篇その2)
母には友人が多い。
無論、ほとんどは女友達であるが、中には老人大学以来の付き合いの、なかなかダンディな紳士もいらっしゃる。
おいらも何回かお会いさせて貰っているが、矍鑠(かくしゃく)とした御仁、N氏である。
そのN氏から頂いた、小冊子である。
題して、「心の雑記帳」
心に響く詩や文章をN氏が手書きにし、小冊子に製本されたものである。パラパラとめくるともう止まらない。
人は皆、人生で一冊の詩集を心に持つ。しかし、感性がなければ、こういうことは出来るものではない。
母は心底、良い友人を持った(この項続く)。
広島帰省考10年2月編(中篇その3)
母の介護をしながら思うこと。
おいらは、自分が若いと思うのである。
そりゃ、そうだ。母と較べれば若い。実際、母が22歳のときにおいらを産んだのだから。
何が云いたいのか。
実は、おいらはこの歳になっても、自分はまだ若いと思い続けていることに気付いたのである。
このことが分かったのは、最近のことである。
歳を取った人の文章を読んでいて(乱読なので、俄かには誰の文章か思い出せない)、その人は今でも若い人と同じ気持ちで生きており、年寄りだと指摘されると心外だと主張しておられた。これに、ある種の共感を覚えたのである。
でも、実は皆、そう思っているのではないか。
おいらが母と、母の姉の話しをすると、母は自分がまだ若いと云いたそうである。母も「自分は姉の様に年寄りだとは云ってくれるな」と云う雰囲気がある。
これって、おいらと同じじゃん。人は皆、自分が若いと思っているのかも知れない(下の写真は、昨日に引き続きN氏の詩集より。この項続く)。
広島帰省考10年2月編(後編)
さて、横浜への帰路である。
今回も東京への上り終電であり、駅弁は完売。
気を取り直して、広島駅新幹線の南口(在来線乗り場)にある改札口の手前の「天むす弁当」(1,050円)を購入。
おいらはこの天むすが好きなのである。旨い。
閑話休題。
今回はグリーン車に乗った。イクスプレスカードの点数が溜まったから乗車したのだが(マイレージと同じである)、それでもグリーン車に乗るのはやはり嬉しい。
グリーン車の何が良いのか。
それは、空間を買っているのだと気付く。
窓際のA席に座って、通路側のB席に誰も座らない。D席には座っているのだが、C席も空いているので、圧迫感が全くない。
このゆったりとした空間がグリ-ン車の醍醐味である。心理的に楽に横浜に戻ることが出来る様な気がするのである。
明日からは、再び仕事が俺を呼んでいる(この項続く)。
広島帰省考10年2月編(番外編その1)
広島外伝
<その1>広島の電車は熱い
今回帰省して気付いたこと。広島の電車の座席は、熱すぎる。ただし、これはJRでの話しである。シートの下のヒーターを強にしているのだろうか。
アストラムライン(モノレール)ではそのようなことはなかったので、どうやら広島だからではなく、JRがそうなのかも知れない。そう云えば、昔、新潟にいたときの電車も座席が熱かったような気がする。そうだとすれば、JRは、寒いときシートを暖めるという内規になっているのだろうか。
ちなみにおいらは現在の通勤では、私鉄の東横線と地下鉄の乗り継ぎだから、全くと云って良いほど暖房は効いていない。誰か知っている人がいたら教えてたもれ。
<その2>カープ球団創設60周年
「球団創設60周年 あなたが選ぶ『カープの星』」というチラシを地元のスーパーで見付けた。
何気なく手に取ると、広島カープは1950年に創設されたことが分かった。このイベントはカープ球団創設60周年にあたり、50年代からの各10年間の選手でお気に入りの選手を一人ずつ投票するのである。
新広島市民球場内には既に山本浩二と衣笠祥雄のレリーフが飾ってあるが、この人気投票によって新たにレリーフを作るのだという。
さて、おいらが投票した選手は次のとおりである。しかし、いずれ劣らぬ名選手であり、一人に投票するのは実に難儀であったのぅ。
それにしても懐かしい選手のオンパレードだ。カープには良い選手が多かったのである(この項続く)
広島帰省考10年2月編(番外編その2)
<その3>吾妻ひでお「地を這う魚 ひでおの青春日記」
末弟が広島の実家においていた漫画である。
吾妻ひでお「地を這う魚 ひでおの青春日記」09年3月5日初版、角川書店)
これが秀作であった。
吾妻ひでおといえば、数年前の「失踪日記」でカムバックしているが、その彼が漫画家デビュー当時の時代を描いた作品。純文学に匹敵するだろう。
吾妻ひでお。昭和25年2月6日生まれ。おいらより1学年上である。
同時代に生まれたということは、時代を共有することが出来るということである。この漫画を読みながら、おいらも彼と同じ青春時代に戻っていた。そういう作品である(馬の風体をした漫画家に師事するが、「板井れんたろう氏」だと後で分かった)。
<その4>フィアット
フィアットと云えば、永ちゃんの唄である。
「真っ赤なフィアット」
もう30年以上前の唄である。こりゃ、良かったねぇ。震えるほどの唄であった。
詩を聞いたときには高級車のイメージがあったのだが、イタリアの大衆車だと知ったときには少し意外な気がしたものである。
その左ハンドルのフィアットが中古屋の店頭に置いてあったのである。う~ん、こういう車だったのか、軽だわな。
しかし、腐っても鯛(この項終り)。
広島帰省考10年4月編(前編)
今回の帰省は、水曜日の午後、東京駅発の新幹線。
故あって、一旦F駅で下車し、旧友と一献傾けることにしたのである。
おいらは広島県F市で生まれた。父親の仕事の関係で広島県内を転々としたが、小学校高学年から高校まではずっとF市で育った。
この春、高校時代の友達がそのF市にUターン就職したのである。旧友と故郷で酒を呑むというのもまた乙なものである。
午後6時半ごろから一杯やろうという話なので、午後2時半発ののぞみに乗車する。
平日の午後とはいえ、車内は結構混んでいる。いつものようにC席に座ったのだが、前列などは、B席まで埋まっている、聞けば、自由席は満席だという。行楽シーズンでもないのに、日本人は忙しい。
遅い昼飯として東京駅で求めたのが、「中華弁当」(900円)。
実は、先日の広島・横浜戦で食した崎陽軒のシュウマイ弁当がことのほか旨かったので、東京駅でも売っていれば、買おうと決めていたのだが、ない。
しかし、シュウマイが食いたい。そこで、この弁当に白羽の矢を当てたという訳である。お腹が空いていたので、美味しゅうございました。
午後5時過ぎ、新大阪に到着。新大阪で下車する人ばかりである。無線ランもここまで。車内はガラガラに。
午後6時13分、新幹線は滑るようにして、F駅に到着する。驚いたのは、ぞろぞろとF駅で降車する人が多いことである。流石に人口46万人だけのことはある(この項続く)。
広島帰省考10年4月編(前編その2)
F駅で降りると、在来線の改札口で旧友I氏が待っていてくれた。
「旧友再会フォーエバーヤング」
これが拓郎の曲だと分かる人は(おいらは)嬉しい。
さて、そのI氏と駅前の割烹で痛飲した。
割烹と云っても居酒屋と変わりはないが、「走島」の漁場から新鮮な魚が直送されるという。実際、旧友が薦めてくれた鯛の造りは旨かった。地元だと、こういう美味をふんだんに味わえる醍醐味がある。
やはり、食は地方にありなのだ。その地、その地で旨いものを食うのが本当の贅沢なのだ。酒も旨い。二人で愉快に痛飲した。
中学、高校と同じ学校で過ごしたという経験は不思議なもので、時間があっという間に元に戻る。自分が中高生になっていると、相手も同じだ。昔話に花が咲く。酒が進む。
良いこと尽くめだが、欠点もある。
夜もふけたので駅まで送ってもらい、再び新幹線で広島駅まで乗車する。広島駅に到着後、在来線に乗り換えたのであるが、不覚にもその終電で寝てしまった。
少し飲みすぎたのだ。終着駅で駅員に起こされて、タクシーで実家まで帰る羽目になり、大損害(笑)。
それはさておき、機会があれば、旧友とはまた痛飲したいものである。同じ同期同窓のY氏からもおいらのケータイに電話が入り、「俺も混ぜて欲しい」とのこと。早耳のY氏である。
もちろん、次回はそうするつもりである(この項続く)。
広島帰省考10年4月編(中篇その1)
母と2ヶ月振りの対面である。
おいらが施設に着くと母は食堂で車椅子に座り、既に食事を待つばかりであった。おいらが母の後ろ側に回り、母と対面である。
母がおいらを見て泣き笑い。
ヘルパーさんが、「待っておられましたよ」とのたまう。
いやぁ、嬉しいのぅ。
母は次弟からの報告のとおり、絶好調。
昔のままの、あの元気な頃の母のままである。
しかし、どうして脳梗塞なんかになったのだろう。知らない人が見れば、だって、こうして車椅子に座って母が黙っていれば、誰も脳梗塞で倒れたなんて思わないはずだ。それほど、母はしっかりしている。
「あんたぁ」
そう云って、ちょこんと車椅子に座っている。
車椅子の女王である。
さて、今回もおいらが広島にいる間に母の姉と妹ご夫妻(おいらのおばさんとおじさんにあたる)が車で見舞いに来てくれた。
有難い。
母は未だに人気もんである。有難や有難や(この項続く)。
広島帰省考10年4月編(中編その2)
母の入所している施設で、大声を上げている女性がいる。
何事かと聞き耳を立てていると、ヘルパーさんが「ここでは売っていなんですよ」とたしなめている。
母の車椅子を押しながら、園内を散歩しているときに見た、ちょっとしたシーンである。
何を売っていないのだろうと、聞き耳を立て、話しの推移を見守っていると、それがお酒だと分かった。
高齢の女性が「お酒が欲しい」と駄々をこねているのだ。
これには少々驚いた。
考えてみれば、晩酌が好きな人は多い。いや、晩酌を楽しみに人生を過ごしている人は大勢いるはずだ。
そういう人が晩年、酒を取りあげられたらどうなるのだろうか。
アル中もどきの人にとって、酒のない人生は耐えられないに違いない。
本来、酒は百薬の長である。
おいらも一生酒を飲み続けたいから、現在、節酒しているのである。それが、施設に入れられたら、「酒はご法度だ」と云うのではやりきれない。
老人の楽しみを簡単に奪って良いものではない。さりとて、施設で酒が自由に飲めるとも思わない。
おいおい、この問題の解決は難しい。
酒飲みにとって、「自分で考えなさい」という問題なのだろうか。いや、それはそうに決まっているのだが、施設では酒のない生活とされるのが目に見えている。だが、本当にそれで良いのか。
施設が終の棲家であるとすれば、何もホスピスだけに酒を認めても良いということではなかろう。これは、嗜好、いや、人生観というものの持つ意味をどう云う風に考えるべきか、という問題でもあると考えるのだが(この項続く)。
広島帰省考10年4月編(後編)
横浜への帰路である。
今回も東京への上り終電であり、駅弁は完売のはずだと思った。しかし、「W健太弁当」(1,050円)が珍しく一つ残っていたのである。
こりゃ、嬉しいわい。
解説。
ハンバーグ、採りの唐揚げ、ソーセージ、焼きそば、ミートソーススパゲティ、ゆで卵と、これでもかと云うほど子供の好きなオカズ攻撃である。
久し振りに小学校時代の遠足を思い出した。栗原も前田も単純に好きな料理を挙げただけなのだろうが、「W健太弁当」の出来上がりがこうなるとは思ってもいなかっただろう。
あれ、おいらは昨年もこのW健太弁当を食しているのだが、どんな解説をしていただろう?(調べてみると、09年10月編で「酒の肴にもピッタシ」としていたが、写真を見ると中身が微妙に変わっている。「W健太弁当」は進化しているのだ)
ところで、今日は4月20日(火)の平日。新幹線の混み具合はどうか。
結論。
新大阪までが比較的混んでいる。おいらはいつものC席。B席は空いているもののA席は広島で同時に乗車。広島駅でかなりの数の人が乗車した。
岡山、姫路、新神戸で少しずつ乗車率が増え、新大阪では下車する人以上に乗車する人が多かった。お定まりの京都で、乗車率が8割近くになったろうか。
こういうふうに乗車率を定点観測していると、感覚的に景気の雰囲気が分かる。やはり、日本の景気は回復しているようだ。株はまだ買いかも知れない。
ただし、新大阪から乗車したサラリーマンのほとんどはよれよれである。乗車して直ぐに缶ビールを抜き、いつの間にか寝ている。中にはいびきをかいているおっさんもいる。日本の将来が健全だとは思えないのぅ。
ところで、新幹線を降りるときの立居振舞。
初老だが、小林秀雄風の紳士が、降りしなにリクライニングシートを元に戻していた。
これが実にサマになっていた。ダンディだねぇ。おいらもああいう風になりたいねぇ。本当の紳士とは、歳を取ってなんぼの世界だねぇ。
明日からは、再び仕事が俺を呼んでいる(この項続く)。
広島帰省考10年4月編(番外編)
酒にまつわる話しをもう一つ。
帰省中、実家では酒を飲まない。これは、自宅で酒を飲まないのと同じ理由である。
もっとも、広島への帰りの新幹線と横浜への復路は息抜きの意味もあるので酒を飲む。
さて、その広島の実家での出来事。
何気なくテレビを観ていたら、篠原涼子がコマーシャルをしている。
これが、ビールもどき(発泡酒か第三のビールだろう)のCMで実に良く出来た内容である。
思わず、「缶ビール、飲みたい」と叫んでしまうほどである。
ねぇ、やめてよ、こういうCM。つまり、それほど良く出来ているCMだが、こっちの身にもなって欲しい。
CMはいつ放映されるか分からないのだから、これを防ぐ手立てはないのである。
対抗手段はただ一つ。
観たいテレビは録画して、CMをカットして観るしかない。こうして、ますますテレビは廃れていく(この項終わり)。
広島帰省考10年6月編(前編)
今回の帰省も、水曜日の夕方、東京駅発の新幹線。
仕事の関係で、午後7時10分発「のぞみ119号」広島行きに乗車する。
あたふたと乗り込んだが、今回は久し振りにグリーン車。6月末までに期限の切れるポイントがたまったので往復ともグリーン車となった。
相変わらずグリーン車はガラガラ。
これが体に良い。グリーン車とはまことに空間を買うということである。
ただし、グリーン車に乗る人ももちろんいる訳で、これが一寸非常識な人もいるようだ。
車内でケータイを使うのだ。しかも、大声で。
思わず、張り倒そうかと思ったが、実際にそうするとエライことになるので様子を見ていたら、これが会社の重役ではないかと思えるご仁(じん)。
秘書を連れていないので、世間の常識に疎いのだろうか。
ったく、腹が立つ。
さて、今回、東京駅で感激したこと。
関東各地の駅弁を販売するコーナーができていたのじゃ。
20種類以上はあろうか、選択に迷う。これは嬉しい迷いである。おいらは、眼を皿にして旨そうな駅弁を探し出した。
写真は、新潟は新発田の「えび千両ちらし」
これは美味。出し巻きの下に、こはだ、うなぎ、烏賊、えびが隠れている。すし飯も絶品。これで1,200円は安い。
こういう駅弁大会の指向は良いよなぁ~。いつまでも続けて欲しいぜょ。
ところで、車中で読んだ日刊ゲンダイ。
東京海上の元エリ-トサラリーマンが早期退職した話し。シニア産業カウンセラーの吉岡俊介氏とある。
47歳で会社に辞表を叩きつけたという侍である。
詳細は省くが、これは面白かったねぇ。
記事だけでは、この人の人となりが分からないので論評不能だが、東京海上には人物がいる(この項続く)。
広島帰省考10年6月編(前編その2)
ところで、気がつくと、いつの間にか、グリーン車も満杯である。
この場合の満杯というのは、満席ではなくて、窓側の席に綺麗に一人ずつが座っているという意味である。
妙に感心してしまった。
ただし、新大阪を超えると、ガラガラに戻ったぞ。ま、こんなもんでしょ。
さて、車中、ウエブで「ロッテ・広島第三戦」を観戦しての感想。
広島が勝てない。2対2で、三連敗の後の引き分けである。
前健で本来は勝っていた試合であったが、最終回に不運なエラーが原因で追いつかれ(小窪はファンブル、石原は捕球できず)、その後は両チームとも決定打が出ずにドロー。
しかし、これを子細に分析してみると、カープは延長12回表、ノーアウト1・2塁で無得点という無策であった。
1アウト満塁まで行きながら、敵側の策に見事にはまった。ゲッツーでお仕舞いという、どうしたら無得点になるのかという見本のような攻撃であった。
云うも情けないので、詳しくは書かないが、これは采配に問題があるのではないか。ノーアウト1・2塁は、最も点が入りやすいパターンである。いくらでも攻撃の方法はある。しかし、無得点。
中国新聞は書けないだろうから、おいらが書く。
野村新監督は、考えて野球をやっているのだろうか。
近代野球は確率の野球である。得点するための最善の策を取るのが名将の采配である。しかし、今のカープは、気合いだけで勝とうとしているのではないか。
このチームは相手からみたら、恐らく怖くないと思う。ただ、盗塁をするだけであり、ただ打たせるだけである。駆け引きもない。つまり、何をするか分からないという怖さがない。
新幹線の中で憂鬱になった(この項続く)。
広島帰省考10年6月編(中篇その1)
母と2ヶ月振りの対面である。ここのところ、ローテーションが2カ月と定期的に広島に帰省している。
「おいらが施設に着くと母は食堂で車椅子に座り、既に食事を待つばかりであった。おいらが母の後ろ側に回り、母と対面である。
母がおいらを見て泣き笑い。
ヘルパーさんが、『待っておられましたよ』とのたまう。
いやぁ、嬉しいのぅ。
母は次弟からの報告のとおり、絶好調。
昔のままの、あの元気な頃の母のままである。
しかし、どうして脳梗塞なんかになったのだろう。知らない人が見れば、だって、こうして車椅子に座って母が黙っていれば、誰も脳梗塞で倒れたなんて思わないはずだ。それほど、母はしっかりしている。
『あんたぁ』
そう云って、ちょこんと車椅子に座っている。
車椅子の女王である」
以上の「」内の内容は前回の報告と同じである。それほど母の調子は良い。
さて、それでも今回は気にかかったことがある。それは右下肢を痛がることである。
脳梗塞の副作用で、不随になった部位が猛烈に痛むのである。言葉の不自由な母が「痛いよ~」と話すほどである。
最初に搬送された救急病院のK院長先生が「脳梗塞で動かない部位は、いずれ痛がられるようになります」と話されたのを思い出す。
理由は良くは分からないのだが、治ろうとして神経が痛むのかも知れないというようなことを話しておられた。
そうであれば半分は嬉しいのだが、とにかく母の脚を揉む。ひたすら揉む。おいらにできることは、それしかない(この項続く)。
広島帰省考10年6月編(中編その2)
広島の町での感想(写真は市内胡子神社)。
母のいる施設までは、バスとアストラムライン(市内を走るモノレール)を乗り継いでいるのだが、このアストラムラインについて。
20数年前から開通しているモノレールであるが、このアストラムラインの駅舎が揺れるのである。
?
アストラムラインの車両が到着する前と、発車する後に、駅舎が振動で微妙に揺れるのである。
これは怖い。いつか脱線転覆するのではないか。
前もこのブログで書いたが、このモノレールの進行中の揺れは酷い。手帳に文字が書き込めない。もともと、このモノレール建設中に線路部分を支える橋梁が倒壊して死者が出たことがある。
しかし、こういう話しは、聞いたことがないよなぁ。
もう一つ。
ケータイを扱うアストラムライン車内でのマナーは最低である。
電話し放題である。特に高齢のお方は、全く関係ないという風情で堂々と車内で電話している。
先日見た、かなりご高齢の女性は車両内で散々喋った挙句、車両を降りながら、会話を終えていた。
お見事としか云いようがない。
恐らく、車両が空いているので、マナーを守るという発想が起きないのではないか。誰でも一車両に数人しか乗っていないと、傍若無人になりやすいからだろうか。
それでもおいらは云いたい。民度が低い(この項続く)。
広島帰省考10年6月編(後編)
横浜への帰路である。往路に続いて復路もグリ-ン車に乗った。グリーンは、やっぱ、楽だわ。ポイントさまさまである。
今回は東京への上り終電の一本手前。やはり、駅弁は完売に近かったのだが、新機軸を発見した。最後の一個である。
「野村謙二郎弁当」(1,000円)を見付けたのである。
こりゃ、びっくり、ホントに嬉しいわい。
解説。
鶏のてんぷら揚げと「そぼろ」ご飯でほとんどを占める、カバチたれるな弁当なのである。
これがボリューム満点。お腹一杯になった。若い人向けの弁当だね、こりゃ。いや、野村はまだ若いのだと気付いた。マイリマシタ。
野村、恐るべし。
ところで、今日は6月14日(月)の平日。新幹線の混み具合はどうか。
結論。
グリーン車なので、判別不明。新大阪からでもほとんど混まず。ただし、明らかに新婚さん風情がおいらの前の席に二人でお座りになられた。迷惑。
問題は京都からだわな、アベックは乗るわな。急に、竹下節。
グリーン車は、空いたままであった。世界は平和。
明日からは、再び仕事が俺を呼んでいる(この項続く)。
広島帰省考10年6月編(番外編)
(祝 本日早朝、ジャパンブルー 決勝トーナメント出場!!)
中国新聞は、偉大である。
写真は、前田が同点2塁打を打ったときの「スポーツニッポン」1面。
しかし、紙内の本文では、ほとんど記事は扱われていない(写真下)。
これでは詐欺である。何がスポーツ新聞じゃ。
表紙だけ、カープではないか。こういうのを羊頭狗肉というのである。広島版だけこの表紙で、関西では阪神タイガースが表紙になっているのだろう。全くこざかしい。
でも、この表紙に騙されて買ってしまうのじゃよ。ひょっとしたら、中の記事もカープ一色ではないかと期待して買うのだが、やっぱりカープの記事はベタ扱いである。そこが悲しいところなのだが…
これに対し、地元の中国新聞では、スポーツ面のほとんど全部がカープの記事である。
カープの記事では、スポーツ新聞を断然圧倒している。
中国新聞がスポーツ新聞に配信しているのではないかと思うくらいである。
中国新聞、バンザイ!! なんだかヤケクソである(この項終り)。
広島帰省考10年8月編(お詫び)
いやぁ、やってしまった。
今日から掲載する予定であった「広島帰省考10年8月編」の原稿四日分が全部消えてしまった(写真は広島の空に向かうヒマワリ)。
おいらの不注意である。
原因は、「原稿を書き込んでいたラップトップパソコン」からUSBにデータを移すときに、何を間違ったのか、USBからパソコンのデータに上書きしてしまったのだ。
後の祭り。
通常ならバックアップを取っているのだが、前日夜遅く帰ったものだから、バックアップは何もしていない。
ラップトップパソコンからUSBを使って書斎のデスクトップパソコンにデータを移そうとして、初歩的なミスをしてしまったのである。
泣くに泣けないねぇ。
ごめんなさい。原稿は往復の新幹線でラップトップのパソコンに書いているので、もう二度と同じ原稿は書けません。
全く、頭がどうかしていたのだよ。
暑さもあるかも知れないが、作業の手順が間違うはずがないと思い込んでいたのだ。脳では正しいことをしているつもりでも、実際には誤っていたのだ。
「今後、上書きでのミスをしないように」との、神の啓示だと考えることにする。
そこで、本日はこういう間抜けなブログになってしまいました、お許しあれ。
<教訓>
その1 覆水、盆に返らず。
その2 上書きは怖い!
上書きで誤ってデータが全部消えてしまうのは、現代の怪談である。
その3 しかし、写真だけは全部残っているので、助かった。これからは、バックアップ体制を再考する(この項、終り)。
広島帰省考10年10月編(前編)
今回の帰省は、木曜日の早朝、新横浜から新幹線に乗車した。午前6時49分発「のぞみ5号」博多行きに乗車。
通常であれば、帰省の前日の夕方に乗車し、当日は朝から広島で介護に勤しむ。
だが、このブログに書き込んだように(9月24日付のこのブログ参照)、6日は神宮球場に松田オーナーへの「抗議プラカード」を持ちよる日である。
神宮球場へ「スワローズ戦」を観戦しに、映画界の鬼才S氏と出かけたものだから、その翌日、早朝の新幹線に乗車する次第となった訳である。
え? 神宮球場のプラカードはどうだったかって?
結論から述べると、そのようなものは見当たらなかったのである。
カープファンはどうしちゃったんだろうねぇ、それよりも、ビラを作ったメンバー自身はどうしちゃったんだろうねぇ。
しかも、試合は舘山に完封されるという完敗(写真上)。
野村謙二郎監督の勝ちにかける執念が見られず(代打采配に疑問)、得るものが何もない試合であった。下記写真の意気込みが、侘しいのぅ。
さて、早朝の新幹線はガラガラと思ったのだが、これが見事に裏切られた。
名古屋から満席である。いつもなら新大阪を過ぎると、ガラガラになるのだが、席はまったく空かない。
行楽のシーズンなのだ。
考えてみれば、来週の月曜日は体育の日で連休である。猫も杓子も旅行なのだ。乗車している人を見ると、年配の私服が多いのぅ。ビジネスでの出張者がまるで目立たない。
ま、そういうことが偶にあっても良かろう(この項続く)。
広島帰省考10年10月編(中篇その1)
母と2ヶ月振りの対面である。ここのところの広島への帰省ローテーションは、2カ月間隔である。
母の調子は悪くはない。それを見て、一安心する。
さて、今回の帰省で考えたこと。
10月8日(金)に施設内での催し物があった。誕生会である。
その月に生まれた入園者を対象にして、祝福するのである。
当日は、お昼前から大ホールに施設の入園者が集い、昼食(通常より豪華で、お寿司や刺身になることが多い)を食べながら、お祝いの歌を歌ったり、タンバリンやカスタネットなどで演奏したりするのである。
おいらも母と一緒にこの誕生会に参加した。
壇上には今月誕生日を迎える8名が並んでいる。最高齢が102歳。次が101歳。三番目が99歳だ。
いずれのお方も車椅子である。三人とも女性。そもそも、男は8名中、1名しかいない。男は長生きできないのだ。
園長が一人一人にお祝いの記念品を贈る。
最初に102歳の女性に声をかけて記念品を渡す。返事をして貰うのを見て、立派なもんだと納得した。100歳、万歳である。
しかし、その後、食事をされるのを見ると、ヘルパーさんの介添えがなければ食事ができないことを知る。
少し、考える。
果たして自分で食べることができなくても、長寿が良いのか。
日常生活は寝たきり同様の可能性が強い。認知症の可能性も否定はできまい。長寿だから目出度いという単純な話しではない(この項続く)。
広島帰省考10年10月編(中篇その2)
では、高齢とは何歳以上のことを云うのであろうか。
国連の高齢化社会基準では、65歳以上である。
日本でも悪名高い「前期高齢者」は65歳以上、「後期高齢者」は75歳以上である。
おいらの感覚では、昔は、50歳以上が老人であった。
「人生わずか五十年」である。
それが今や「人生80年」となり、定年は65歳に移行しようとしている。年金の支給も65歳からである。
と、云うことは、65歳からか。
では、何歳からそれを実感するのだろうか。
今回、広島の施設で読んだ「『その』の生き方」(若松その著、2005年、自費出版)にその記述があった。
それによれば、主人公の夫が国鉄を経て関連会社を62歳で退職し、第二の人生を悠々自適に暮らそうと思う。
退職後は手始めに四国八十八ヶ所を廻ろうと主人公と約束、お寺に収めるお札「奉納四國八十八ヶ所同行二人」を丁寧に書き上げた。
しかし、子供が共働きなので子供から孫の面倒をみてくれと懇願される。
それを受けて、二人の四国参りは六年後にしたのだが、六年間といえども人間は老いるものだとつくづく分かった。
四国参りをしようと長い間暖めてきた楽しみは、気力、体力の衰えにより、たった六年間に半滅し、四国参りはあきらめてお札は川に流したのである。
自分の楽しみと子供の将来を天秤にかけての決断であったために、そのこと自体をとやかくは云わないが、六〇代の後半に人は老いると主人公は云うのである。
そのさんが書いた時代を今に引き直してみると、70歳が気力、体力の衰えの分岐点であるかも知れない。
おいらの敬愛するKさんが「60歳を過ぎたら新しいことはできないよ」と教えてくれたのが、おいらの五〇代。
幸い、作家修業は軌道に乗っている。これから後十年が、最後の気力体力の充実した年齢なのだろう。
そうして、80歳までの最後の十年が人生のおつりだと思えば良い。
よっしゃ~、これからの十年間、おろそかにするでないぞ(この項続く)。
広島帰省考10年10月編(後編)
横浜への帰路である。
所用があって、午前中広島市内に出向いた。その関係があって、広島駅12時6分発「のぞみ26号」に乗車した。
新幹線改札口内で駅弁を探すと、オフシーズンということもあって、カープ関係の弁当は皆無である。
駅弁コーナーでは、「しゃもじかきめし」を推奨している。
前にも食したことがあるが、これが殊のほか旨かった記憶がある。旨いものを食うタイミングがあれば、疎かにはしないのがおいらの鉄則である。
カキ尽くしとは良くぞ云ったもので、カキめし、カキフライ、カキの味噌和え、煮カキのオンパレード。堪能させて貰った。これで1,050円は安い。
さて、昨日までの連休が終わった平日のお昼である。
席は空いている。ところが、驚いた。名古屋から満席なのである。
考えてみれば、名古屋で一泊の出張など考えられない。だから、日帰り出張になるのは理解出来る。
しかし、今は、まだ午後の早い時間である。名古屋発の時間が2時30分である。
この時間からもう混むのだろうか。
名古屋での午前中の仕事が終わったから、単純に東京に戻ろうとしているのだろうか。
それとも、東京着の時間が4時13分だから、夕方から東京本社で会議でもあるのだろうか。
よくは分からぬが、とにかく名古屋からは混む。
いずれにしても、明日からは再び仕事が俺を呼んでいる(この項終り)。
広島帰省考10年12月編(前編)
今回の広島への帰省は、12月9日(木)の夕方、東京駅発の新幹線、午後6時50分発「のぞみ63号」に乗車である。
数カ月振りのグリーン車である。ポイントがたまったので往路をグリーン車としたのである。
グリーン車は本日もガラガラである。
精神的にこれが良い。グリーン車とはまことに空間を買うということである。
恒例の駅弁探しは、東京駅の八重洲側で行ったが、駅弁専門コーナーを見付けることはできず、やはり東海道新幹線構内で探す。
写真は、「貝づくし」(900円)。
とにかく今まで食べたことのない駅弁にしたいのである。
母の遠距離介護はもう丸5年になり、通算回数は今回で38回目にもなる。だから、毎回毎回新しい駅弁にするのであれば、もう新しいものはないだろうと思うのは、素人の考えである。
常に競争原理に晒され、まずいものは淘汰され、新しい駅弁が開発されているのである。
この「貝づくし」も始めて見たような気がする。東京品川名物と銘打って、はまぐり、あさり、しじみを贅沢にあしらえ、あたかも酒の肴のような駅弁にしつらえている。合格。
さて、グリーン車で考えること。
グリーン車は良くしたもので、二人連れは二人席に仲良く座るが、一人での乗車は必ずと云って良いほど二人席に一人ずつ座るのである。
無論、お盆や年末年始では満席になるのだろうが、グリーン車では行楽シーズンのような混雑期でも見事に席が分散される仕組みになっている。
新大阪までは上手くこの配分がなされている。なお、新大阪を過ぎれば、グリーン車は本当にガラガラになる。
ところで、今回のトピックス。
おいらの通路を挟んだ隣のD席(おいらはA席)に新横浜駅から妙齢のご婦人が一人で座る。高そうな毛皮を着ていた。
見事だったねぇ。座るなり、やって来たワゴンに向かって「白ワイン」とのたまわれた。(ちなみにこのワイン、ボトルで420円である)
栓を開けるなり、慣れた手つきで手酌していた。
おいらはその飲みっぷりに惚れ惚れした。
う~ん、こういう女性の素性を想像する愉しみ、と云うのもあるねぇ~(この項続く)。
広島帰省考10年12月編(中編)
母と再び2ヶ月振りの対面である。ここのところの広島への帰省ローテーションは、定期的に2カ月間隔となっている。
母の調子は悪くはないのだが、気になることがあった。
実は、二人の弟とおいらとの三人が母の介護ローテーションを組んでおり、母を直前に介護したのは真ん中の弟である。その弟が母と会ったのが、丁度一週間前だ。
母は施設(特養)に入所しているので、日常の生活はヘルパーさんに介添えしてもらっている。だから、右半身不随であっても食事を含め、生活上の問題は全くない。
しかし、話すことが不自由なので(聞くことと理解することはできる)、おいら達と母との間で行っているような意思の疎通(ジェスチャーも交え、お互いの意思が通じるまで話し合う)をヘルパーさんに求めることは難しいのである。
だから、母は大体2週間程度、会話レベルでは一人暮らしと同様になっているのである。
そういうこともあって、おいらが帰省すると4~5日間は母の側にいることになるため、母は大変喜んでくれるのだ。
しかし、おいらが母の許に帰るまでには上述のようにインタバルがあるので、どうしてもその間は母の意思疎通能力が衰えるような気がするのである。
これは辛い。
だから、おいらが母の側にいるときは、精一杯母の心をほぐす。母が笑うまで話し続ける。それがおいらの親孝行である(この項続く)。
広島帰省考10年12月編(後編)
横浜への帰路である。
実は、今回、娘がおいらの還暦祝いにと、奈良への一泊旅行をプレゼントしてくれたのである。
広島からの帰路、京都で下車して奈良を探訪しようというプランである。
これは嬉しい。くしくも今年は奈良遷都1300年である。
広島駅午前9時44分発のぞみ118号に乗車する。京都には11時31分着。JRで京都から奈良は、約45分の距離である(片道690円)。
新幹線は広島駅でガラガラ。
岡山駅と姫路駅で若干の乗車があるが、乗客はまばらである。天候も昨日の雨が嘘のように晴れて快適である。
姫路駅で、前の席にサラリーマン風の若い男性が座る。
ネクタイを締めているが、座るなり、キリンラガービアーのロング缶の栓を開け始めた。まだ、午前11時である。
お主、出来るのぅ。
ところで、今回初めて気付いたのだが、新神戸から姫路の途中までは地下鉄と同じである。
ずっと、地下とトンネル通行である。
パソコンのネットが繋がらないのである。今更ながら驚いてしまった。
そうこうしているうちに京都駅に到着である(この項、年明け掲載予定の「奈良探訪記」に続く)。
奈良探訪記(その1)
昨年の12月中旬、広島からの帰路、娘が還暦祝いとして奈良一泊旅行をプレゼントしてくれた。親孝行じゃのぅ~。「広島帰省考10年12月編」の続きである(「奈良探訪記」全5回予定)。
さて、京都駅の新幹線口から在来線口に出る。
出た途端に奈良線のホームである8番線がある。そこで、午前11時39分発快速「みやこ路」奈良行きに乗車する。
始発駅なので、車内はガラガラ。
車内で奈良までの往復乗車券を購入する(1,380円)。車内で聞こえるのは関西弁(京都弁ではない)と英語だ。外人が乗っているのじゃのぅ。さすが古都京都、奈良である。
電車は定刻に発車。発車して1分で東福寺駅に停車。ほんまに快速か。
ここで結構な人数が乗車。なるほどここは停車駅ではなくて、乗車駅なのだ。電車は京都の古い町並みである住宅街を走る。屋根が低い。
沿線は京都と云っても畑も一部にあり、のどかなものである。しかし、旧市街を出るとマンションもあり、地方都市の景色とあまり変わり映えがしない。
12時丁度に六地蔵駅に到着。名前が良い。きっと地蔵が六体あるのだろう。のどかな駅である。次の停車駅は宇治。
腹が減っては戦が出来ぬ。
広島駅で買っていた「幻霜ポークカツサンド」(680円)を取り出し、食す。
まず、もみじのシールに驚く。粋である。三ヒラあるので、まず、一ヒラを食す。
美味。こりゃ、ホントに旨いわ。豚肉がとろけるのぅ。
広島が生んだ幻の霜降り豚肉と銘売るだけのことはある。「ミルフィーユ カツサンド」忘れないようにしよう。
12時6分、宇治川を越えて宇治駅に到着。進行方向左手に宇治駅のロータリーが車窓からそのまま見える。思い出した。この景色は京都特有の景色である。
続いて、城陽駅。ここでほとんどの人が降車。再び、車内はガラガラになる。
次の玉水駅に着くまでの車窓は完全な田舎となる。田畑が目につくのである。
天候は晴れときどき曇り。車内は暖房が効いていて暖かい。どうやら今日は全国的に暖かい気候のようだ。絶好の行楽日和である。
大きな川を渡り、木津駅に到着。12時27分。
さて、いよいよ奈良駅に到着。12時31分。乗車時間は44分であった。京都と奈良は近いのである。
これから浮世を離れて、奈良の神社仏閣と仏像巡りである。愉しみじゃのう(この項続く)。
本日から月曜日までお休み
本日から月曜日までは休日につき、お休みです。
写真は、奈良市中心部東向(ひがしむき)商店街に面している南都銀行本店ビル。
風情があって宜しい。
南都銀行で南都雄二を思い出したので、調べてみたら享年48歳(昭和48年没)。早世だったのに少々驚きました。
南都雄二。良い味を出していましたなぁ~。
それでは、皆様よろしゅうに。
平成23年1月8日(土)
謎の不良中年 柚木惇 記す
奈良探訪記(その2)
12時半過ぎにJR奈良駅に到着して、まずしたことである。
おいらのいつも同様に、駅で現地の地図を貰うことと、ホテルへ荷物を預けることである。
しかし、奈良駅では奈良の観光地図を置いていないという。
「えっ?」と聞き返したら、駅から歩いてすぐのところに観光案内所(下の写真)があるという。納得。
観光所に行く前に(JR奈良駅を出たところに)「奈良交通定期観光バス」の窓口があった。インターネットで予約しておいた「法隆寺・西の京 早回り」を申し込む。4時間半コースで料金4,670円。
ホテルは駅の眼の前である。まず、荷物をホテルに預ける。続いて、観光案内所に出向く。地図が欲しいことと仏像の案内がないかと尋ねると、市内地図と県内地図、それに仏像を特集したパンフレットをくれる。テキパキとしている。有難い。
午後1時10分スタートだというから、若干、時間に余裕がある。観光バスは駅前から出るので、奈良駅周辺を歩いてみようと思う。
奈良駅周辺は思ったほど都会ではない。典型的な地方都市だ。奈良市の人口は37万人だというからそれもやむを得ないのだろう。
駅前の乗り場に観光バスが来た。コンパクトなサイズである。乗車したのはおいら一人。
おいおい、おいらだけかよ~と思っていたら、近鉄奈良駅で11人が乗り込み、総勢12人の旅となった。
行楽シーズンだと、大型のバスでしかも数台が出るのだが、オフシーズンだと「ぼうず」(0名)もあるらしい。
車は一路、東大寺などのある奈良駅周辺から法隆寺のある西へ向かう。
ここで暴露すると、おいらはこの歳になって初めて奈良に来たのである。
恥ずかしながら、日本全国の都道府県でおいらがまだ探訪していないのは、秋田県、奈良県、徳島県、鹿児島県の4県である。
何故か奈良県は訪問していなかったのだ。
修学旅行は小学校が四国(香川、金毘羅)、中学校が九州(福岡、阿蘇)、高校が東京(自由行動)、栃木(日光)、神奈川(鎌倉)方面だったのである。
もちろん、京都は数知れず探訪しているが、奈良だけはぽっかりと空白地帯だったのである(この項続く)。
奈良探訪記(その3)
バスに乗車して40分位だろうか、法隆寺に到着した。
ワクワク気分で高揚してくる。だって、法隆寺だよ。
和辻哲郎の名著「古寺巡礼」を読んだときの、著者の高揚感が文章から湧きたってきたことを思い出す。それと同じである。
入口に立つ。いよいよである。
中に入る。五重塔が左手に見えた! 何だか浮遊しているような気分になる。
五重塔が目の前に見える。空を飛んでいるような気持である。興奮が最高潮に達する。
云わずと知れた世界最古の木造建築である(六百七年建立)。日本最初の世界文化遺産でもある。
この美しさが千四百年も続いていると思うと、奇跡である。この場所がパワースポットになっていると感じるのは、おいらだけではないだろう。
それにしてもこの日本的な美は何だろう。シナから朝鮮を経由して日本に入って来た建築は、見事にローカライズされ、本場シナの様相をはるかに超えた美しさになっている。おいらは日本人に生まれて本当に良かったと思う。
法隆寺境内の大宝蔵院内部には、写真でしか見たことのない百済観音像も安置されている。見応え十分。
さて、法隆寺と云えば、子規である。ちゃんと記念碑もある。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
夢殿にも案内される。
昔の千円札の裏側に載っていたことを思い出す。だから、始めて観たような気がしない。げに、お金は恐ろしい。
続いて、法相宗大本山薬師寺である(697年建立、710年平城遷都により移設)。
薬師寺で有名なのは、2008年、東京国立博物館に出張して来た日光月光菩薩像である。
おいらもそのお姿を拝観するために上野まで行ったのだが、その素晴らしかったこと。再び、薬師寺で会えるのじゃ。
さて、薬師寺の東塔(国宝)も千三百年前の姿をそのまま残している(写真下)。西塔は昭和56年に復元されているので、そのきらびやかなことは云うまでもないが、東塔の年季にはかなわない。
金堂内部には、薬師如来を中心にして右に日光菩薩、左に月光菩薩が配置されていた。お懐かしや。
やはり、両菩薩は薬師寺の内部で見なければ、その威容は分からない。東京で部分のみを見ても、部分は部分である。
早足のツアーは半日コースとはいえ、あっという間に終了。充分堪能した初日であった。
こぼれ話しを一つ。
宿泊したホテルは、JR奈良駅前のチェーン店ホテルとした。料金はリーズナブルであったが、部屋に絵ハガキがないのである。某氏に奈良の感想を送ろうと思ったのだが、フロントではそっけない返事。駅前の土産物屋も早く閉店しており(夕方に閉店する店が多い)、結局、当日の夜は絵ハガキを入手できなかった。
この某ホテルにはもう泊まりたくないなぁ~(この項続く)。
奈良探訪記(その4)
奈良探訪二日目である。
再び観光バスのお世話になった。
「奈良公園3名所と春日奥山めぐり」4時間コース(料金4,300円)である。
まず、最初は東大寺。
やはり、奈良の大仏(盧舎那仏)を拝観しなければ奈良に来たことにはならぬだろう。
しかし、昨日、法隆寺で浮遊感を味わっているので、おいらの心は落ち着いている。それに鎌倉の大仏は何度も訪れているので、驚かない。
だけどねぇ、本物を観るとどうしても思っちゃうよねぇ。よくこんなでかいものを造ったってねぇ。
充分堪能して、ここで大仏の台座(蓮弁)に彫り込まれている如来さまをあしらった絵ハガキを求める。
奈良公園を散策する。鹿が寄ってくる。人に慣れている。鹿は神の使いということだから、放し飼いになっている。意外に可愛いものだと気付く。さながら大型犬の様相である。宮島にも鹿がいたはずだが、こんなに懐いてはいなかったのではなかろうか。
続いて、春日大社を訪問する。
この大社も奈良に都ができたときに建立されたものである。ここには最も崇拝すべき神々として春日皇大神(春日四所明神、春日大明神)が祭られている。
ここに来ると、パワースポットを実感する。身が引き締まるのだ。
神はいるのだと思わせる力だ。何度も書くが、神は実際にいるのかも知れない。
寺社の最後は興福寺である。興福寺も藤原京から平城京に移築された寺である。あの阿修羅像で有名である。
国宝館に入り、阿修羅像を拝観する。この像は、何時間観ても飽きることがないような気がする。それほど魅力のある像である。我が国の宝だ(この項続く)。
奈良探訪記(その5)
バスは、その後、奈良の原生林に向かった。
若草山ドライブウェイに入り、十国台を経由して、原生林の生い茂る春日奥山道路を通る(写真は春日大社)。
山の上から奈良市内を眺望する。なるほど奈良は三方を山に囲まれていると分かる。最後は、高円山ドライブウェイに入り、市内に戻る。
以上、駆け足であったが、奈良のサワリを味わうことができた。これでおおまかではあるが、奈良の初心者を名乗ることができそうだ。
さて、今回の奈良探訪での感想である。
奈良に住んでみたい。
そう思わせる街である。日本人の原点は万葉にありではないか。
おおらかな歌。
自然を大切にし、人間と共存する奈良。
それに何となく、京都のように閉鎖的ではなさそうだ(京都の人、ごめんなさい)。
まだ、ポルトガルにロングステイする夢は捨てていないが、国内にも奈良のようにおいらが知らない素晴らしい街が残っているような気がしないでもない。
奈良に半年くらい住むというのは、ありのような気がする。還暦を迎えた不良中年、さあ、これからどうする(この項終り)。
本日と明日はお休み
本日と明日は休日につき、お休みです。
写真は、春日大社(奈良)内の古木です。こういう古木がいたるところにあるのです。
日本の神は、自然に宿る。
それでは、皆様よろしゅうに。
平成23年1月15日(土)
謎の不良中年 柚木惇 記す
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