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さすらいの天才不良文学中年
売れる本 サルまん ディラン 末井昭
売れる本の条件
天下無双の素浪人、そろそろ売れる本でも一丁創ってみようか。
そこでおいらは考えてみたのである。売れる本の条件、というのがあるわけではなかろうが、おいらの経験則では、次のようにいくつかを列挙することが出来る。
1.タイトル(背表紙)
おそらくベストセラーの要素のかなりの部分をタイトルが占めよう。逆に言えば、どんなに良い本でもタイトルが拙ければ売れない。古い例では、限りなく透明に近いブルー、恍惚の人、窓際のトットちゃん。これだけで、売れるような気がする。
2.興味本位のコンセプト・テーマ
もちろん興味あるコンセプト(戦略・考え方)、テーマ(問題意識・お題目・内容)でなければならない。興味をひくためには、時代を映すものから、人間の本能を刺激するものまで多岐に渡る。このコンセプトやテーマが見つかれば、作品はほとんど完成されたと言っても良い。
3.覗き見趣味
外から見ても分からない世界の必要がある。誰もが知りたいと思わせるものが良い。閉ざされた世界は知られたくないものである。したがって、取材と資料収集は命綱となる。
4.最初の1ページ
最初の1ページ、特に最初の3行は大切だ。ここで、読者に食いつきを与えないと、最後まで読んでくれない。説明は後からでも可能である。したがって、思い切って衝撃的なシーンから始めるくらいでなければ、読者のつかみは期待出来ない。
5.いじめ(快感)
主人公は一旦悲惨な目に会わなければならない。読者にカタルシスを与えなければならない。作家も大変である。
6.スリル、どんでん
ハラハラ、ドキドキが必要。最後まで読むのがもったいないと思わせれば、大成功。少なくとも最低一回のどんでんは必要であろう。
以上の内容の作品であれば、売れることに間違いはない。太鼓判を押そう。では、まず、おいらが率先してやってみることにしよう。
見出しは命である
週刊誌の見出しを見るのが好きである。
中でも「週刊新潮」の見出しは、秀逸である。
最近のものでは、
「野口みずき 実家に一度も帰らず引き籠もり」
思わず駅の売店で買って帰ろうかなと思う。
もともと、「週刊新潮」の見出しは有名であった。何せ、名物社長自らが考え出すのである。社長の発案だから、誰も文句が云えない。畢竟、大胆になる。もっとも、同社は文芸担当者が初代編集長になったという経緯があるから、編集長自らが品のない見出しを考えることなどおよびもつかず、社長が考えるしかなかったのだろう。
「週刊文春」も負けてはいない。
「ヘボ監督の招待見たり!」(星野仙一の『自爆』全内幕)
「『このまま消えてしまいたい』独占直撃! 山城信伍が『老人ホーム』最後の日々を語る」
よほど売れ行きが良かったのだろう、発売翌日にはほとんどの書店、売店から文春は姿を消した。
見出しで売れ行きが左右されるのである。ま、これは本のタイトルでも同じだけどね。
しかし、最近の白眉は
「衝撃『金正日は死んでいる!』」
である。
「週刊現代」8月23・30日号の見出しであるが、本当だと思わせるところが凄い。これほどのスクープをどこのマスコミも取り上げないところがまた凄い。
こういうのが「一粒で二度美味しい」見出しである。
電車の中吊り広告よ、永遠なれ。
黄金週間の余興(その1)
昨日よりゴールデンウイークです。
そのため、蔵書を整理しましたところ、幾つか探していた書物が出て参りました。連休中はブログをお休みにしようかと思っていましたが、折角ですので、その本のご紹介を致しませう。
初日の本日は「瘋癲老人日記」です(谷崎潤一郎著、棟方志功装丁、昭和37年、中央公論社)。
探していた本だけに嬉しいのぅ(写真は上から順に「函、表」「本体、表」「見開き」)。
昔の本は、その存在だけでも文学でありました。
それでは皆の衆、明日をまたお楽しみに。
平成21年5月3日(日)
謎の不良中年 柚木 惇 記す
黄金週間の余興(その2)
蔵書の整理で出てきた本、第2弾です。
「映画放浪記」です(色川武大著、2006年、キネマ旬報社)。
(写真は上から順に「表紙カバー」「オビ裏」「見開き著者写真」)。
ご存じ、阿佐多哲也です。「麻雀放浪記」をもじったものですが、氏の映画論には舌を巻くばかりです。名著に解説は不要。
それでは皆の衆、明日の本をお楽しみに。
平成21年5月4日(月)
謎の不良中年 柚木 惇 記す
黄金週間の余興(その3)
蔵書の整理で出てきた本、第3弾です。
「つげ義春の温泉」です(つげ義春著、2003年、カタログハウス)。
(写真は上から順に「表紙カバー」「目次」)。
つげ義春の代表作は「ねじ式」(68年)です。衝撃的な作品でした。
つげは寡作ですが、温泉を取り上げた作品が多く、この本はそれらをアンソロジーにしてまとめたものです。
好きな「作家」(「漫画家」と云うには惜しい)だなぁ。
それでは皆の衆、明日をまたお楽しみに。
平成21年5月5日(火)
謎の不良中年 柚木 惇 記す
黄金週間の余興(その4)
蔵書の整理で出てきた本、第4弾です。
「ユリイカ『北野武そして/あるいはビートたけし』」です(98年2月臨時増刊号、青土社)。
(写真は上から順に「表紙」「目次(部分)」)。
北野武は天才ですなぁ。おいらは彼の映画にも惚れていますが、文章が上手い。直木賞を取っていないのが、不思議な位です。恐らく文壇は彼の才能に嫉妬して、賞なんかやらないと思っているのでは。
今月末に刊行される氏の著書「漫才」(新潮社)が早くも評判になっており、読むのが楽しみです。
それでは皆の衆、明日をまたお楽しみに。
平成21年5月6日(水)
謎の不良中年 柚木 惇 記す
黄金週間の余興(その5)
蔵書の整理で出てきた本、第5弾です。
「THE BEATLES EXPERIENCE」です(SCOTT JACKSON著、REVOLUTIONARY COMICS,INC、91年)。
(写真は上から順に「表紙」「本文、63年の頁」)。
おいらがNY在住のときに、イースト・ビレッジのコミック・サブカルチャー店で購入したコミック本です。あちらの本屋は、本以外にも文具やサブカルもの(フィギュアやトイ)を平気で売っているのです。
さて、向こうの漫画は、こういう薄っぺらい漫画本が主流です。ハードカバーのコミックもありますが、コミックはこうでなくっちゃいけません。
なお、このコミック、表紙を5人が飾っています。初期のビートルズのベースには、ステュアート・サトクリフ(62年病没)もいたことが分かります。また、ドラマーは、リンゴ・スターがメンバーになる前のピート・ベストもいて、知る人ぞ知る「ビートルズになれなかった男」もいたのです。
それでは皆の衆、明日をまたお楽しみに。
平成21年5月7日(木)
謎の不良中年 柚木 惇 記す
黄金週間の余興(その6)
蔵書の整理で出てきた本、第6弾です。
「ANGURA」です(DAVID G.GOODMAN著、PRINCETON ARCHITECTURAL PRESS、99年)。
(写真は上から順に「表紙」「裏表紙」)。
60年代から70年代中期にかけてのアングラ劇場のポスター集(勿論解説付き)です。
この本はNY出張中にマンハッタンの紀伊国屋書店で購入したものです。彼の地で寺山(天井桟敷)や唐(状況劇場)の全盛時代のポスターを見ることが出来るとは!
それでは皆の衆、明日はこのシリーズの最終回、お楽しみに。
平成21年5月8日(金)
謎の不良中年 柚木 惇 記す
黄金週間の余興(その7)
蔵書の整理で出てきた本の悼尾を飾る本。
「明治文學全集48『小泉八雲集』」です(小泉八雲著、昭和45年初版、筑摩書房)。
(写真は上から順に「函」「本文中の八雲の書体」)。
小泉八雲、ご存じラフカディオ・ハーンは「怪談」で有名ですが、彼のことを何にも知らないことに気付かされました。
それは、千代田区立図書館で昨年末から今年の初めにかけて「富山大学ヘルン文庫展 小泉八雲とその蔵書」が開催され、彼の来歴をその展示会場で初めて知ったからです(ご興味のある方は、Wikipediaでお調べあれ)。
おいらはすっかり彼のファンになり、神保町で小泉八雲の本を探したのですが、これが中々入手困難なのです。いや、正確に云うと彼の著書はほとんどが絶版のため、高値で取引されているのです。これには驚きました。
掲題の本は、その間隙を縫って、入手した希少本です。40歳で来日した彼が見た日本についての記述が主になっています。
彼の見た日本は、果たして後世の学者や三島などが論争したように、
「日本を美化し過ぎて、最後は幻滅したのか」、
それとも
「最後まで日本を愛してやまなかったのか」
のどちらと見るべきなのでしょうか。
それでは皆の衆、このシリーズは本日で御仕舞。
平成21年5月9日(土)
謎の不良中年 柚木 惇 記す
祝アクセス数、140,000突破
1月24日(日)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき140,000を突破しました。栄えある140,000達成者は、「iモード(でアクセス)」さんでした。ありがとうございます。
140,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。
お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「漫画『サルでも描けるまんが教室1~3』(相原コージ、竹熊健太郎共著、小学館青春コミックス、1990~92年)」をお披露目します。
通称「サルまん」。
幻の名著ですなあ。一時期、入手困難となり、古書店では<稀こう本>扱いでした。そのため、この本は97年に上下二巻の新装版として復刊されています。
それでも人気沸騰で、再び2006年に愛蔵版が復刊されたという曰く付きの本です。これによって、この本は今や古書店でも入手可能となっています。
ウィキペディアによれば、
「1989年、ビッグコミックスピリッツに連載。作者を模した二人の青年漫画家・相原弘治(19歳)と竹熊健太郎(22歳)が、“漫画で日本を支配する”という野望を達成するために、ヒットする漫画の研究や執筆に取り組み、ついには大ヒット作『とんち番長』を描き、野望を実現、そして崩壊するまでの軌跡を、物語形式で描いたもの」
とあります。
さて、今回、感ずるところがありまして、この奇書を再び読み返してみたのですが、内容は全く古くなっていないことに驚きました。
漫画入門と銘打ったギャグ(ジョーク)とパロディが延々と続くのですが、よくもまぁ、これだけバカが描けるものだと嬉しくなっちゃうのです。
しかも、この本の凄いところは、「マンガの絵はマネで良い。戦後のストーリー漫画は、全て手塚治虫のパクリである」と喝破しているところにあります。
一見は百聞に如かず。ま、騙されたと思って読んでみてつかあさい。
しかし、このノリで小説のパロディ版、「サル小(サルでも描ける小説教室)」が書けないものでしょうか。ま、無理だね。この本と同じことをやってたら、精神に変調を来たすでしょう。
次回は、141,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。
2010年1月25日(月)
謎の不良中年 柚木 惇 記
祝アクセス数、190,000突破
10月24日(日)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき190,000を突破しました。
190,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。
お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「林静一『紅犯花』(幻燈社)1970年」をお披露目します。
云わずと知れた林静一の幻の作品です。
この「紅犯花」は限定版(1,500部のうち、エディションナンバー1498)で、表紙見開きに折り鶴が貼付されている。もちろん著者のサイン入りです。
林静一が一世を風靡したのは、1970年、月刊ガロに連載された「赤色エレジー」(氏の代表作)です。おいらがまだ20歳で学生のときでした。
こういうときの印象というのは、当時の学生運動(70年安保)や東映任侠映画(高倉健、菅原文太)、天井桟敷(寺山修司、横尾忠則)と共に強烈に残っていますねぇ。
次回は200,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。
2010年10月29日(金)
謎の不良中年 柚木 惇 記
人生に公式なし されど人生に解答あり
古書や美術品などを専門に扱う古書店が並ぶ街、神田神保町。
勤務先が九段なので出勤すれば、必ず書店街に立ち寄る。そして、贔屓の店が目録(図録の場合もある)を作ると、自宅に郵送してもらっている。
今回も、某古書店が目録を送ってくれたので眺めていたら、次のような色紙に出会った。
「人生に公式なし されど人生に解答あり 小沢昭一様」
目録に掲載された、藤本義一氏が小沢昭一氏に宛てた色紙である。
こういう色紙が世に出るのは何とも感慨深い。
どういういきさつで、藤本義一氏が小沢昭一氏に色紙を贈られ、どういう経路で古書店に搬入されたのか。
藤本義一氏と小沢昭一氏は昨年鬼籍に入られているので(藤本義一氏の方が先に亡くなられている)、小沢昭一氏の遺族が処分されて世にでたものだろうか。これだけは、想像するしかない。
だが、味のある色紙じゃのぅ。
「人生に公式なし されど人生に解答あり」
こういう境地になるには、年月が必要である。藤本義一が一ファンに贈った色紙ではない。小沢昭一に贈るとなると、贈る方も真剣勝負である。その小沢昭一もこれを貰って唸っただろうなぁ。
「さすがや、義一ちゃん」って。
古書店の買取価格
昨日に続いて、古書にまつわる話しである。
マンガや古書マニアコレクションに有名な店として「まんだらけ」という店がある。中野ブロードエイに本店があり、おいらは渋谷店に顔を出すことが多い。
先日、古い週刊誌を処分するにあたって、パラパラと中をめくっていたら、みうらじゅんの「死に方上手」(週刊ポスト連載)という記事が目に止まった。
その中に、まんだらけ中野店の辻中雄二郎店長のお言葉として、「販売価格は買取価格の約2倍」とあったからだ。つまり、買値は約半分だというのである。
これには驚いた。良心的だからだ。
おいらは先日も今の書斎が手狭になったため、かなりの量の古書をブックオフで処分したのだが、二束三文であった。ま、一冊10円換算だろうか。引き取ってくれるだけ有難いと思うようにしないと精神衛生上よろしくない。
もっとも、手狭になったからと云って、必要な本まで処分した訳ではない。捨てても良いと思う本だから、それだけの価値しかないのである。
しかし、本当に価値のある商品(欲しい人がいる商品)であれば、半値というのは理解できる。おいらは、骨董品の買取価格はせいぜい3割までと思っていたから(売れ残りリスクのほか、店舗の経常費などが必要)、まんだらけは良心的だと思う。
それにしても、古書価格の値崩れはひどいなぁ。本離れ、活字離れが極まれりなのか。電子書籍など見るのもイヤだが、時代は確実に変わろうとしているのだろう。
でも、おいらが生きているうちは、少なくとも本に関しては、形のないものなど信じたくない。温もりのある本を手に持つ感触は何物にも代えられないからだ。古い? 古くて結構である。本に囲まれて暮らすというのがおいらの夢だったからである。本に埋まって癒されるのである。脱線したなぁ。
本に埋もれて
かねてからの予定どおり、江戸川乱歩賞の執筆に取り掛かっている。
そのために、かなりの量の文献を漁っているのだが、どうしても手許に置いておかなければならないものは購入するしかない。だが、問題は、そうでなくても本が増殖することである。
しかも、困ったことには、昔買ったことがあって、書斎の中にどこかにあると分かっているにもかかわらず、その本が出てこない場合である。
押入れの中まで探すのだが、本の奥や本の下に埋もれているとなるとその発見は至難である。だが、その本が必要な場合には、買わざるを得ない。こうして、また本が増えるのである。
しかし、このように本を探すと良いこともある。
お~、こういう本もあったのだ、とか、探していて見付けられなかったほかの本が出てきたときである。嬉しくなってしまうのである。
このときの問題点は、大掃除で古い新聞を発見してその新聞を読み作業がストップしてしまうのと同じで、ついついその本を読んでしまうことである(笑)。
もう一つ良いこともある。
本を探すと、脳が活性化するのである。
本の背表紙を見ただけでその本の中身や関連するイメージが瞬時に浮かび、小説のストーリーに膨らみを与えてくれることがある。
また、小説に関係していなくても、本を手にするだけで知の世界が目の前に広がるからである。
あ~、地下室が欲しいのぅ。そして、そこにおいらの増殖している本を収納する書庫が欲しいのぅ。
でも、そうなったら、一日中書庫に籠って本の虫になるかも。これもまずいわなぁ。
自宅で遭難(前篇)
自宅で遭難とは、分かりにくい。
一人暮らしの場合である。随分前の国営放送で観たような記憶がするのだが、トイレに入っていたら地震が発生してドアの前に大きな物が落ちてきたのである。
それだけなら問題ないのだが、落ちた物がドアをふさいでしまうことがある。
トイレのドアは普通引いて入る。押して入るドアなど滅多にない。昔は引き戸だったが、今、引き戸のトイレなどない。
引いて入るのだから、出るときには押さなければ出ることができない。
しかし、ドアの前には大きな物が落ちており、その物が邪魔をしてドアをふさぐ。これが本当の雪隠詰めである。
助けを呼んで誰かが助けてくれればよいが、誰も助けにこなければ遭難と同じである。
これを自宅の遭難と呼ぶ。
上の話しは実話である。この事例は運が良くて助かったと記憶しているが、一人暮らしにはこういうリスクがある。
何が云いたいのか。
本は増殖する。いつの間にか廊下や階段に及び、挙句の果てはトイレの前にまで及ぶ。ドアの前に物をおいてはならないのだが、本なら大丈夫だと思って積んで行くのである。
ここから先は、最近読んだ「文学は、たとえばこう読む」(関川夏央、岩波書店、2014年、写真上)の受け売りである。
でも、自宅で遭難するか?(この項続く)
自宅で遭難(中篇)
関川夏央氏は、新潟出身でおいらより1歳年上。
一目置いている作家である。その関川夏央氏の書評は確かである。彼の書評を一冊の本にまとめたものが「文学は、たとえばこう読む」である(写真は、著者サイン)。
その昔、文庫本を買うときに迷ったら必ず解説を読んだ。しかし、今の時代、その解説は解説ではない、と関川氏は云う。あらすじ紹介であったり、感想文だと云うのだ。
これは文庫本の粗製乱造のなせる技でもある。
まともに書評や解説ができる作家や評論家がいなくなったのも一因のようである。そら恐ろしいことであるが。
そう云う時代に真面目に書評をしているのが関川氏である。
本論にもどす。自宅の遭難である。
関川氏が尊敬していたのが、評論家の草森紳一氏である。晩年、草森氏が門前仲町の自宅マンションに遺した蔵書は3万2千冊。北海道の実家にも3万冊の書物を遺した。
その草森氏が洗面所に入ったとき、ドアの外で本の山が崩れる音がした。
出ようとしたがドアが開かない。いくら押してもうんともすんとも云わない。大量の本が崩壊し、ドアをふさいだのだ。
一人暮らしだから、家人はいない。助けを呼ぼうにも誰も助けに来てくれる訳ではない。
携帯は持たない主義である。持っていても洗面所まで持っていくことはない。
無論、電話機もとうに本の下に埋もれて最近では使ったことがない。評論家とは、それで不自由を感じることがない生活をしている人種である。
自宅で遭難とはこういうことである(この項続く)。
自宅で遭難(後篇)
関川夏央氏によれば、草森紳一氏(写真下)はそのとき焦らなかったという。
草森がいつかはと恐れていたことが現実になったのである。それでも落ち着いていられたのは豪胆ではなく、判断停止状態だったのだろうと関川氏は推理している。
ここで、このマンションの創りが良かったのは、洗面所が即トイレではなく、脱衣所と風呂がこの洗面所のドアの手前にあったことである。いわゆる圧迫感(閉所恐怖症にはならない)がないために若干の物理的解放感はあったのである。
そこで、草森氏は洗面台で丁寧に顔を洗った。
それでもドアは開かない。
風呂にゆっくりと入った。
風呂から上がってもドアはびくともしない。それだけ多くの本が崩落したのである。
ここで驚くなかれ、脱衣所の中も本が高く積んである。氏は、その本の山に腰をおろし、その本の中から秀吉の甥、豊臣秀次の行状記を読んだ。そして、桜田門外の変に参加した水戸藩浪士関鐡之助の自記を読んだ。
人生の達人は遭難した位では、じたばたしないのである。
ふと、洗面所をふさいでいるドアの下を見やると、わずかに2センチほどの隙間がある。そこに本が堆積しているのが見える。
風呂場を見ると、湯掻き棒がある。
草森氏は湯掻き棒を手に取り、おもむろにその隙間に突っ込んでみた。
湯掻き棒を辛抱強く左右に動かしながら、ドアの向こう側の本を一冊ずつはじき飛ばした。しばらくするとドアが少し動くようになった。
そのドアの隙間が1センチから2センチと少しずつ開いて行った。そうして、はじき飛ばした本がかなりの量になったときドアの隙間が20センチとなり、痩身の草森氏は遭難現場を脱出できたのである。
草森氏、アッパレ(下の写真は氏の著書)。
以上、関川氏の見事な取材に基づいた「随筆 本が崩れる」による。げに、本は怖い(この項終わり)
古本は死んだ(前篇)
古本は死んだ。
古本を古本屋が引き取ってくれないのだ。理由は簡単である。古本屋で古本が売れなくなったからである。古本が売れているのは、今やブックオフだけである。
古本屋で古本が売れなくなると、古本屋の商売が成り立たなくなる。必然的に、古本屋は潰れる。
今、地方で古本屋が営業しているところがあるのだろうか。
おいらが嘗て住んでいた学芸大学には古書店が4店あった。しかし、今は2店しか残っていない。いや、よく2店も残っている。
都内でも古本屋は激減しているはずである。ちょっとした街で確かこの辺に古本屋があったはずだが、と思ってももうその店はない。
要するに古本のマーケットが壊れたのである。なくなったと云った方が良いのかも知れない。
この原因はブックオフの一人勝ちにある。ブックオフが古本の価格破壊をしたのである。
例えば、レイモンド・チャンドラーの不朽の名作「ロング・グッバイ(早川書房、2007年、当時の定価1,905円(税抜)、ハードカバー)、写真上」はブックオフで100円(税抜)で売られている。
「ロング・グッバイ」は村上春樹の新訳で評判になった本である。しかし、これがわずか100円。
古書店で売られているとしたら、最低でも500円、いや、店によっては1,000円以上で売りたいかも知れない。実際にネット「日本の古本屋」で調べてみると、初版であれば2,000円の値がついている。しかし、ブックオフでは100円である。
こうなると、「ロング・グッバイ」を古本屋に持って行っても買ってはくれない。買っても古本屋のデッドストックになるのがオチだからだ。だから、同じようなハードカバーの本は皆討死である。
前回、書いたように本は増殖する。そこで、数年に一度、おいらは古本屋を呼び、段ボール箱10箱程度の本を処分する。あまり、高額にはならないが小遣い程度は貰えていた。
それが、昨年あたりから難しくなってきた。古本屋が古本を買ってくれなくなったのである(この項続く)。
古本は死んだ(中篇)
東横線の某駅前にまともな本を扱っている古書店がある。
おいらは昨年ここに電話を入れたのだ。雑本では気の毒なので、荒俣宏の初版本などをまとめて処分したいと話した。だが、古書店では引き取れないという。荒俣宏ファンは多いはずだが、荒俣宏であってももう売れないのである。
先日、紹介した関川夏央の「文学は、たとえばこう読む」(写真)によれば、
「百科事典や文学全集は資源ゴミにすぎず、故人の蔵書は遺族にとってたんに場所ふさぎである。
引き取りを頼まれた古書店主が本棚を眺めて、全部で五万円ですかね、というと、遺族はほぼ例外なく財布からお金を取り出そうとするという」。
これでは、古本はもうダメである。
読者諸兄は云われるに違いない。
市場がなくなったのは、その市場に魅力がないからだと。その代わり、ブックオフという新たな市場が生まれたのだ、と。
そうかも知れない。
しかし、問題は二つある。
一つは、資産デフレである。ブックオフで100円で売られているということは、皆が自宅に持っている本も一冊100円にデフレ化したということである。
従来の古本屋の場合は、自宅にあった古本はそれなりの価値があった。しかし、今や自宅にある古本はゴミとなり、価値がなくなったということである。本はブックオフで100円で安く買えると喜んでばかりはいられないのである。
もう一つの問題点は、ブックオフでは欲しいと思う本が手に入らないことである。そこにある本しかない、のである。
他方で、従来の古本屋は売る本を選別して欲しい本を揃えていたのである。例えば、高田馬場のあの店に行けばこういう種類の本が置いてあるということがおぼろげながら分かっていた。しかし、そういう店がもうないのである。
あるのは、どの街に行ってもある同じような本ばかり置いているブックオフである。
つまり、良い古本も手に入らなくなったのである。
これでは、古本文化は死ぬ(この項続く)。
古本は死んだ(後篇)
唯一の救いは、神田神保町の古書店街である。
さすがに神保町の古書街は健在である。だが、ここにも値崩れの波が押し寄せている。高いと売れないからだ。良質の本を揃えていることで有名な田村書店でもワゴンセールに出す本が増えているような気がするのである。
神保町の生き残る道は、専門化だろう。ミステリーならこの店、雑誌ならこの店だと得意分野が発揮されれば、少々値段が高くても目当ての本を探しに行くものだ。
もう一つの救いは、デパートの行う古書展である。
例えば、池袋の西武百貨店(リブロ)が開催する古書展である。おいらはそこに登録しているので毎年定期的に目録が郵送されてくる。
目録に掲載されている本は、通常「うぶ」品(まだ店頭に出されていない本)ばかりだから、ドキドキしながらその目録を見るのである。おいらが探している本(例えば、写楽関連本など)があれば、入手してみようかなと考えたりするのである。
それに、会場に行くと独特の雰囲気があり、思わぬ拾いものをしたりするのである。
しかし、本家本元の古本マーケットが死んだのであれば、いずれこの二つも死ぬ運命である。
特にデパートでの古書展は減少の一途である。最近では、西武(リブロ)と東急東横店で開催されたが、京王百貨店は今年開催しないようである。伊勢丹と小田急は数年前に止めている。
古本ではもう集客ができない、とデパートでは考えているのではなかろうか。
でも、いくら時代が変わろうと、本は本である。タブレット・パソコンで本を読むなんてマッピラゴメンだ。
おいらが生きている間は、インクの匂いのする本で小説を読みたいものよ。それに、本は文化だからね。本の持つ独特の雰囲気は人間の五感をくすぐるのだ。
実際、稀覯本、例えば三島由紀夫の署名入り限定本などはこれからであっても希少性に変わりはなく、早晩人気が落ちるとも思えない。今後、100年経っても、やはり本という文化は残っているはずだ。いや、そう思いたい。(この項終わり)。
リブロ池袋本店閉店し、三省堂になる(前篇)
旧聞に属するが、昨年(15年)7月末にリブロ池袋本店が閉店した。
ニューアカ(ニューアカデミー)で一世を風靡した巨艦本屋である。
おいらは毎年初春(2月)にここで古書市が開催されるのでリブロに行くのが愉しみであった。
リブロには、知る人ぞ知る二大書店員がいたのである。いずれも本屋に革新を生み出した人物である。
一人目が今泉正光である。
彼は、西武百貨店の子会社であった西友の書籍売場からリブロに異動してきた男である。
リブロは、元々、西武百貨店の「西武ブックストア」(百貨店書籍売り場)としてスタートしていた。だから、まわりからは「西友上がり」とさげすまれていたこともあって、彼は「やってやろうじゃないか」と奮い立ったのである。
こういう反骨精神がおいらは好きである。
彼は、リブロ池袋本店を「独自な思索が誕生するプロセスをダイレクトに展開する」場所(「『今泉棚』とリブロの時代」)としたのである。
もう一人が田口久美子である。
彼女は「『文化』というものは無駄と無理の果てにあるもの、と私は無謀にも考えている。実は本心では無謀でさえない、と思っている」(「書店不屈宣言」)としている。
この無駄と無理を書店主導で作り出してきたのがリブロだったのである。
池袋にはもう一つの巨艦店ジュンク堂があり、池袋に行くということは知の森に入ることを意味していた。
実は、今泉と田口はその後、ジュンク堂にスピンアウトし、もうリブロにはいないのだが、そのリブロが突然、昨年閉店すると発表したのである。
おいらは腰を抜かした。
しかも、閉店する理由がよくわからない。入居する西武百貨店との出店契約が満了したためだと当時云われていたが、リブロ側は再契約を希望していたのである。
だが、西武側が応じず、閉店を余儀なくされたのである。何のこっちゃ、これは(この項続く)。
リブロ池袋本店閉店し、三省堂になる(後篇)
おいらが驚いたのは、リブロの後に入ったのが同業者の三省堂だったことである。
同じ書店が入るのなら、どうして西武百貨店はリブロを入れてやらなかったのだろうか。
これについては、どうも3説があるようだ。
まず、リブロが出版取次大手の日販(日本出版販売)の子会社だからだったという理由である。
少し分かりにくいので、簡潔に述べる。リブロは西武百貨店書籍売り場から西武の子会社を経て、03年に日販によって買い取られ、日販の子会社になっていた。
他方で、西武側の親会社であるセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長は日販の商売敵であるトーハンの役員である。
したがって、敵に塩を贈らないのが理由だとするのである。
だが、これではあまりにも大人げない。
第2説が、書店の斜陽化である。
書店は利益率が低いので、大型店化で何とか経営を補ってきた。実際、全国の小さな店舗はこれまで潰れてきたのである。
しかし、残念ながら現在の勝ち組はネット書店だけであり、大規模店であっても潰れる可能性がある時代である。リブロの閉店もそうした流れの延長線上にあると捉えているのが、前述の田口久美子氏の考えである(「週刊朝日」誌上)。
しかし、後に入ったのが同じ書店の三省堂であり、この説は決定打ではない。
そして第3説が、西武側の経済合理性である。
何度も述べるとおり、リブロはかつて西武の子会社であったが、今は違う。
だから、グループ会社向けの優待価格の家賃契約を続けることができず、契約更改での家賃交渉の折り合いが付かなかったというものである。
これに対し、三省堂は西武側の言い値で契約したのである。身も蓋もないが、この問題の本質はカネである。
う~む、結局そうか。書店も体力のないところは生きていけないということか。
だが、そうは云っても、おいらは書店にはまだ無限の可能性が残っていると思っている。書店は、本来、本のテーマパークなのである。
だから、ネット書店や電子本の時代が来ても、書店は生き残る。そう思いたいのである(この項終わり)。
ボブ・ディラン、ノーベル文学賞受賞の本質は
ボブ・ディラン氏がノーベル文学賞受賞を受賞した。
受賞するのかどうか様々な報道があったが、ここではそのことについては触れない。
詩人としてノーベル文学賞に選ばれたことについての違和感である。
誰もがそう思うのだろうから、スエーデン・アカデミーのサラ・ダニウス事務局長は、ギリシャ詩人のホメロスやサッフォーを例に出して「彼らは演奏されるために詩を書きました。それはボブ・ディランも同じです」と弁明したのである。
しかし、どうもこの説明は後講釈のような気がしてならない。
おいらは、この話しを聞いて、鶴見俊輔の限界芸術論を思い出したのである。
前にもこのブログで書きこんだが、彼は専門家が創り専門家が愉しむ芸術を「純粋芸術」(Pure Art)とし、同じく専門家によって創られるが、大衆に愉しまれる芸術を「大衆芸術」(Popular Art)と定義した。
その上で、素人によって創られ、素人が愉しむ芸術を「限界芸術」(Marginal Art)と名付けたのである。
限界芸術の具体例は、漫画、落書き、祭り、早口言葉、替え歌などであり、それらは一見、芸術とは違うように思われるが、生活と芸術が重なり合う部分も立派な芸術であり、鶴見俊輔はそれを限界芸術と呼んだのである。
何が云いたいのか。
ノーベル文学賞の選考委員は、純粋芸術に限界を感じたのではないか。大衆が求めている真の芸術は純粋芸術ではなく、隠れトランプと同じように限界芸術にありとみたのではないか。
そうだとすると、昨年の芥川賞の又吉氏の受賞も根底に流れるものは同じである。
芥川賞も純粋芸術はインチキで、限界芸術にこそ真の芸術があると考えたとすれば、こういう流れが世界中に出てきていることになる。
そう思わなければ、ボブ・ディラン氏の受賞は説明ができない。
なお、明日(天皇誕生日)から三連休になりますので、このブログもお休みをいただきます。次回は、26日(月)から再開です。
ダイナマイト心中(中篇)
ここで、末井氏と活躍した、当時の面々を紹介する。
荒木経惟(アラーキー)、林静一、田中小実昌、南伸坊、篠原勝之(自称「ゲージツ家」、愛称「クマさん」)、嵐山光三郎、赤瀬川源平、平岡正明氏などなどである。
しかし、この末井氏の経歴は面白い。
48年、岡山県和気郡吉永町に生まれ、岡山県立備前高校機械科卒業後、大阪枚方のステンレス線製造工場に集団就職した。
ところが、仕事が合わず、3か月で退職。布団袋を抱えて出稼ぎで川崎にいた父親の元へ転がり込む。
その後、絵を描くのが好きだったので、青山デザイン専門学校グラフィックデザイン科(夜学)に入学し、デザイン会社に入社したがここも退社。
で、どうしたかと云うと、キャバレーや風俗店に勤め、ポスターや看板を描き始める。看板が受けて、フリーの看板描きでとなったころ、ひょんなことからエロ本業界に身を委ねることになる。
ただし、末井氏が手伝ったエロ本出版社は倒産するが、そこで出会ったメンバーとその後も仕事をするようになり、後に白夜書房を創業する森下信太郎氏からエロ総合誌の創刊を任され、75年、「ニューセルフ」を創刊する。末井氏27歳のときである。
読者諸兄はご存知ないかもしれないが、当時のエロ本は労働者の読むものとしてごちゃごちゃして下品なほど風格があったのである。実際、そういうものでなければ誰も買わない、つまり、そういうものしか売れなかったのである。
しかし、末井氏は編集長としてスマートなエロ本を創ろうと思ったのである。
当時、世を席捲していた青年雑誌は月刊「ガロ」である。おいらもこの雑誌には唸ったものである。
末井氏は編集長の特権で、ガロメンバーの林静一、南伸坊、赤瀬川源平氏などに原稿を依頼するのである。
無論、荒木経惟氏もこの雑誌の常連になり、末井氏は81年にアラーキーや森山大道氏ら新進気鋭の写真家が参加する伝説の月刊誌「写真時代」を創刊する(末井氏33歳)。
このときのコンセプトは、「既成概念を解体する」である。要は、世の中を驚かせようというその一心である。
評論家の田原総一朗氏も創刊号を観て「面白い雑誌」だと褒めたという。
世の中は、アナーキーな70年代から既にいかがわしい80年代に入っていた(この項続く)。
(注)明日以降、ブログの仕様が変わりますので、更新が遅れる可能性があります。その場合は、ご容赦ください。
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