さすらいの天才不良文学中年

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アラーキー 写真の撮り方の極意

広島帰省考09年6月編(アラーキー篇その1)

 撮影当日は、午後3時に比治山公園内にある広島現代美術館に集合である。アラーキーの広島での撮影は都合6日が予定されており、本日19日(金)が初日である。因みに最初の三日間(6月開催)が現代美術館、7月予定の後半三日間はマツダスタジアムである。


広島の顔


 おいらは撮影日として初日を選んだ。広島帰省の日程上の関係もあるが、7月の広島は暑い、いや熱い。健康な人間でも死ぬ。ましてや、病人の母である。だから、気候の良い6月を選んだことと、初日だとアラーキーの気合が入るだろうと思ってのことである。

 さて、このアラーキーの撮影会、「広島の顔」が正式名称である。アラーキーのライフワークだと云う。

 何故、アラーキーは顔を撮るのか。

 それは「顔が究極のヌードだから」と彼は云う。中近東の異国では今でも女性は顔に「ブルカ」を纏うではないか。アラーキーは偉い。それを見抜いているのだ。おいらも思う。それは、顔がその人の履歴書だからだ。

 では、何故、広島現代美術館か。これは、単純に広島現代美術館が創立20周年であるからのようだ。創立20周年のイベントとして、アラーキーに白羽の矢を立てたのだ。ハイ、分かりました。


ARAKI


 おいらとアラーキーの歴史は古い。30年以上前から名前の呼び方が分からない写真家として高く評価していたが、紐育在住のときにアラーキーの写真集「ARAKI」(独タッシェン社。写真上)を手にとり、「こりゃ、本物だ」と思ったのである。写真に嘘がないのである。写真で真剣勝負しているのである。この人の人生は本物である。

 そう云えば、昔のことだが、東京堂書店で氏のサイン本「写真私情主義」(2000年、平凡社)を入手して狂喜乱舞したことがある。そのアラーキーに会えるのである。おいらが最近手に入れた幻の超大型写真集「ARAKI」(独タッシェン社)にもサインして貰わなくっちゃ!


 当日、車椅子が乗せられる介護タクシーを手配したので母を乗せ、いよいよ出発である。

 車には既に二人の弟も乗車している。この日のために帰省しているのだ。おいらと次弟、末弟が母を囲み、最強の布陣で一路、広島現代美術館へ。

 到着すると、アラーキーがそこにいた(続く)。


広島帰省考09年6月編(アラーキー篇その2)

 アラーキーは、現代美術館の地下1階のスタジオで縦横無尽にシャッターを切っていた。


アラーキー 広島の顔 はがき


 比較的広い部屋の奥にスタジオがあり、アラーキーの熱気が部屋の入り口に立ったおいらにまで伝わって来る。

 こりゃ、凄いよ。撮影は奥。おいらはその部屋の遥かかなたの入り口、それなのに、オーラが満ち溢れておいらに届いている。もうそれだけでここに来た甲斐があるというものである。

 アラーキーの声が聞こえる。正直、甲高い声で、お世辞にも良い声ではない。おいらがそう云うと、次弟が「だから、良いんだよ。あれでなくっちゃ、アラーキーじゃないよ」と理屈にならない返事をするが、そのとおりだと納得する。ハイ、ソノトオリデス。

 部屋の入り口に受付がある。受付で葉書を手渡す。

 係りの人が「菩薩の人ですね」と嬉しそうに尋ねる。

「そうです」と応える。応募用紙の母の職業欄に「菩薩」とおいらが書き込んでいたのだ。

 菩薩の息子は受付番号71番を貰い、先ほどの部屋に入る。

 ほどなく、事務的な必要性からだろうか、ポラロイドで出場者の顔写真を撮るという。

 ボランティアの人が多く手伝っているが、ポラロイドはアラーキーの弟子なのだろう、その彼女が母を撮ってくれる。

 ところで、撮影では番号と名前の書かれた大きな札を手に持つことになる。こりゃ、ハリウッド映画の容疑者の顔写真を撮られるパターンと同じだね。

 母の撮影が終わって、71番の席に座ろうとしたときに次弟と末弟が係りの人に声をかけた。

「母の息子三人です。母が病気になって三人で介護しているのですが、母にとって、息子三人は母の人生と一緒です」

 規定から云えば、申し込んだのは母だけである。しかし、アラーキーがそれを聞けば、文句なく許してくれるだろう。係りの女性の対応は素早かった。

「あちらで三人とも応募用紙に必要事項を記入してください」

 母とおいら達三人の全員が正式に写真に撮って貰えることになった瞬間であった(続く)。


広島帰省考09年6月編(アラーキー篇その3)

 ここで、何故、母を応募したかを云わなければならない。


広島に咲く花1


 応募書類には、こう書いた。

「[応募の動機/自己PR/荒木さんへのメッセージ]

 母(80歳)は菩薩です。

 この菩薩、17歳で被曝。子宝三人に恵まれながらも、44歳で主人をガンで亡くしました。子供を育て上げた後は、趣味の油彩と旅行三昧で自由気儘に人生を満喫します。

 しかし、喜寿の直後に脳梗塞を発症し、右半身と言語が不自由な車椅子人生となりましたが、左手で好きな水彩画を今でも描き続けています。

 笑顔を絶やさず太陽のように生きる、我が家の菩薩を他の患者さんが見て元気になって欲しい! だから、母が大好きな荒木先生に撮って欲しい! 菩薩を撮らせたら、世界一のアラーキー!!


[応募者にとって広島とは]

 母にとって広島とは、生地であり、原爆であり、広島カープであり(生き甲斐)、波瀾万丈の人生そのものです!」


 つまり、こういうことだ。

 母の顔をアラーキーに撮って貰うということは、母の人生をアラーキーに撮って貰うことと同義語なのだ。

 母の人生は、市井の平凡な人生である。しかし、同時に、母にとっては一度しかないかけがえのない人生である。

 それは誰にも当てはまることである。だから、それを見抜いたアラーキーは偉いのだ。

 しかし、今の母にとって、それ以上に大切なことは、脳梗塞で矢尽き、刀折れても、息子の三兄弟がローテーションを組んで介護をしてくれることである。母にとっては、その三人の息子が誇りなのだと思う。鼻が高いのだと思う。その息子と共に今を一緒に生きることが母の生き甲斐だと思うのである。

 いや、そういうレベルを超えて、脳梗塞で不自由な体になっても、今を大切に生きることが人生そのものになっていることだと思うのだ。

 だから、母を応募したのである(続く)。


広島帰省考09年6月編(アラーキー篇その4)

 71番の札を持ったおいら達四人は、用意された椅子に順番に並んだ。


ニャラーキー


 アラーキーは、白の半袖Tシャツとスリムなジーンズの井出達である。それに、細身のサスペンダー。お洒落である。

 アラーキーの撮影の雰囲気を見ていると、何かがアラーキーに乗り移っているのだ。絶えず喋りながら、精力的にシャッターを切っている。これで年齢が68歳なんて信じられない。

 さあ、いよいよ、おいら達が最前列となった。

 今日一日だけでアラーキーは90人を撮影するという。感覚的に云うと、一人(一組)5分である。それでも5分×90人=450分(7時間半)。

 だから、短い人は数分である。それでもアラーキーは手を抜かない。

 アラーキーの写真は真剣勝負である。おいらのようにバカチョンデジカメではないのである。

 アラーキー先生は、「アサヒペンタックス6×7」の銀鉛なのである。しかも、モノクロームである。ご自分で現像室に入り、現像されるのである。どうだ、参ったかてなもんである。ハイ、マイリマシタ。


 さて、順番がやって来た。立ち上がる。目の前にあの世界のアラーキーである。

 アラーキーと目が合った。おいらは母を見やって、アラーキーに云った。

「菩薩です!」

「おっ、大菩薩峠!」

「そうなんです。大菩薩峠、えへへ…」

 あぁ、アラーキーのギャグに負けてしまった。そこで負けじと、

「母と息子三人、今回の『広島の顔』の表紙に間違いなし!」

「ハハハ、表紙か。ヨシ、イコ~!」

と、早くもアラーキー、乗ってくれる。

 ここからが凄かった(続く)。


広島帰省考09年6月編(アラーキー篇その5)

 アラーキーは、「はい、車椅子を少し横向きにして」と注文を出した後、母の車椅子に寄り添う息子三人を手玉に取った。


ニャラーキー2


 バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャ

 写真を撮り続けた。

 その間、おいら達三兄弟は母をほぐしながら、かつまた、訳の分からないギャグをアラーキーに連発しながら、母と一緒に笑顔を披露したのである。

 アラーキーも「よっ、三バカ兄弟」など、巧く合いの手を出してくれる。母とおいら達三兄弟とアラーキーは、同じ時間を過ごした、いや、分かち合ったのだ。

 撮影が終わって、アラーキーは帰ろうとする母に「これ持っていきなよ」と特製「ニャラーキー・ストラップ」を手渡してくれた。

 撮影中のアラーキーは何時もそのストラップを持っている訳ではない。だから、わざわざスタッフにストラップを取りに行かせて、母に自ら手渡してくれたのだ。

 アラーキー、カッコ良すぎ!

 母はもうそれだけで泣きそうであった。後で聞くと、こんなことは滅多にないそうだ。母は果報者である。そして、おいら達三兄弟もカホウモン。

 握手して貰ったアラーキーの手は暖かかった。そして、アラーキーのファンである母は、今もアラーキーの夢をみているのだろう。

 現代美術館からの帰路、母と約束した。

 10月10日(土)から12月6日(日)まで広島現代美術館で今回の写真展が開催される。もう一度、10月10日の開催日にこの場所で4人で会おうと。

 6月19日(ジューン・ナインティーンス)という日は、母とおいら達三兄弟にとって、一生の思い出に残る記念日となった(続く)。


広島帰省考09年6月編(後編)

 さて、横浜への帰路である。

 広島から東京行き最終便の新幹線に乗車する。

 最初にすることは、進行方向右側の新広島球場(マツダ・スタジアム)を観ることである。ダルビッシュと斎藤が投げ合いをしている最中である。

 これが凄かった。ファンで満員の球場が手を出せば届く(そんなことはないか)と思えるほどの近くで見える。熱気が直接伝わってくるようだ。残念ながらシャッター・チャンスを逃してしまった。


 さて、土曜日である。混んでいない方がおかしいのだろうなぁと思って乗車した。これが最悪であった。

 今回もC席を選んだので、B席が空き続けることを期待しての乗車であったが、早くも乗車した広島でAB席も座ることになった。同じ広島からの乗車である。しかもヤンキーもどきの番い(つがい)である。

 関西弁がやかましい。ただし、二人の会話を聞いていると、入籍前で苦労しているようだ。男の父は頑固者で、母は物分りが悪い。しかも、二人ともその手強さは世間の水準の5倍以上だそうだ。さらに、男は金がないと嘆いている。

 しかし、女は男を信頼している。

 頑張れ。このカップルは女性が天然で巧くいくと見た。幸運を祈る。


あなご寿司1


アナゴ寿司2


 さて、今回の駅弁である。新広島球場の弁当は姿を消して、W健太弁当(栗原健太と前田健太)が登場していた。しかし、これまでの亜流である。旨い弁当が喰いたいのである。止む無く、困ったときの「むさし弁当」にしようかと思ったのだが、店の前に行くとほとんどの商品が売り切れである。

 もう一度駅弁コーナーを覗くと、ん? あなご寿司?

 値段は1,260円。高いが、広島のあなご寿司である。期待しない訳にはいかない。

 これが美味であった。上の写真は「瀬戸内名物『あじろや』のあなご寿司」である。特筆すべきは、ネタのあなごが二段重ねもどきなのだ。こりゃ、たまりません。鯵の押し寿司の鯵がまだ中に入っているようなものである。1,260円は伊達ではない。まだまだ広島には旨いものあがる。


 なお、新幹線の乗車状況(混み具合)である。

 ヤンキー連れは新大阪で下車。変わって、いいオネイチャンがA席に乗車、許す。問題は京都、ナギャア(名古屋)である。

 やはり、名古屋からかなりの席が埋まったが、おいらの隣のB席は空いたままであった。

 ただし、B席もかなり混んでいたので、油断は出来ない。景気は、回復しているという実感である。

 さて、明日は日曜日であるが、おいらが今通っているセミナーの開催日である。これは仕事と変わりない。

 仕事が俺を呼んでいる(この項終わり)。


広島帰省考09年10月編

 皆様、お久し振りです。謎の不良中年、昨夜晩く、広島より帰浜しました。

 それで、誠に申し訳ありませんが、今回の帰省の詳細は、明日以降、お披露目させていただきます。本日は、その予告編でお許しあれ。


広島の顔


 では、予告編。


<広島帰省考09年10月編>

 今回は7日間帰省していたことになる。

 前回の広島への帰省は8月中旬であった。したがって、今回は二ヶ月振りの帰省であり、母が倒れて実に30回目の帰省となった。世に云う遠距離介護である。

 と、云いながらも今回の帰省は少し違っている。

 アラーキーの写真展に母と息子とが揃って参加するために帰省するのである。

 6月に帰省したときに述べたとおり、「天才写真家アラーキー(荒木経惟)」のライフワークである「荒木経惟(あらき のぶよし)日本人ノ顔」の広島版、「広島の顔」の撮影モデルに、母とおいらと弟ともどもが撮影されたのである。

 その撮影された約460組の写真が広島現代美術館で10月10日(土)から年内ほぼ一杯展示されるという(予告編ここまで)。


広島帰省考09年10月編(前編その1)

 さて、今回は平日、水曜日夕方からの帰省で、勤務先から直接新幹線に乗るというパターンである。

 前回同様、東京駅午後5時50分発「のぞみ123号(700系)」に乗車することにした。


写楽


 それで思い出すのは、JR東海の不誠実さである。

 思い出すのも腹立たしいので再掲しないが(前回の「広島帰省考09年8月編」参照)、どうやらおいらは同社の体質を甘く見ていたようである。

 JR西日本が事故調査委員会の情報を入手したという不祥事で、同社の常識のなさを思い知らされたのだが、JR東海も<同じ穴のむじな>かも知れない。

 しかし、これについて声高に主張するつもりはない。おいらは、仕事では肉食系だが、私生活では草食系である。花鳥風月を雅に愛するのである。

 ただし、前回のJR東海の仕打ちには、流石のおいらも腹に据えかねた。

 そこで、JR東海にその件について鄭重に書面で照会をしたのだが、これが梨のつぶてであった。全く無視されたのかも知れない。これって、あり?

 JRには、どうも未だに<乗せてやる>という意識が見え隠れする…。

 したがって、今後の展開によっては、このブログでその顛末を紹介するつもりでいる(ただし、おいらは無理を云うつもりはない)。


EX-IC


 さて、今回初めて、ICカードで乗車した(写真上)。

 JR東海のイクスプレスカードに加入していると、自動的にこのサービスが受けられるのである。

 最初は、煩わしいと思った。おいらはこの手のカードが根本的に<うさんくさい>と思うのである。

 カードだけで新幹線の座席を指定するというのは、理論上は問題がないのだが、一度、現場で問題が発生すると(またはゲリラ的に発生すると)、大混乱になるのではないか。

 数年前、おいらが成田からニューヨークに飛ぶ直前、某航空会社のコンピューターがダウンし、搭乗券の発券が出来なくなったことがある。乗れないかと思ったが、結局、手作業での発券が何とか間に合い、無事搭乗出来たのだが、それは搭乗便を記載した予約券が手許にあったからではないかと思う。

 ICカードだけで、自分が搭乗する予定の新幹線や指定席までが示せるのだろうか。カードには何も表示されていないのである。

 何も表示されていないから、予約しているかどうかも分からないのである。

 しかし、そんなことにお構いなく、新幹線は動いている。

 だから、ここまで来ると、やりすぎじゃないのかと感じるのは、おいらだけだろうか。

 要するに、便利なのだが(実際に使ってみて便利である)、そして、おいらも将来は、これが当たり前だと恐らく思うようになるのだろうが、そのときになって、何か取り返しがつかない事態が来るのではないかと、つまらん杞憂をしてしまうのである。

 しかも、このカード、不便な点もある。無料での乗車変更の期間が使用三日前までに制限されるのである。それに、広島駅から市内の駅までの乗車賃が取られるのである。

 JRさん、もう少し考えた方が良いのではないですか。カード使用の便利さを追求するあまり、乗車変更を不便にしたり、従来では広島駅管区内が無料であるというサービスを斬り捨てるのは考え直してみたら?

 そうまでして、ICカードを流布したいのかなぁ…(続く)。


広島帰省考09年10月編(前編その2)

 さて、駅弁ファンであるおいらは、今回も東京駅で新しい駅弁を発見する。

 東京駅始発の駅弁も底を衝くかと思いきや、新商品はあるものである(こうまでして、新商品を探すおいらも<物好き>ではあるが…)。


山手線弁当1


 題して、「山手線命名 100周年記念 弁当」

 これで千円ポッキシ。


山手線弁当2


 写真で分かるとおり、100周年だから100をモチーフとしている。ベースは○(まる)。何故か、チキンライスがベース。

 幕の内弁当風にしてあり、飽きの来ない設定にしている。

 おかずの品揃えは、ハンバーグ、とんかつ、コロッケ、ゆで卵等、全て丸いものに拘っている。

 ビールを片手に、スライスしたゆで卵やコロッケを摘むのはある意味で幸せな時間である。

 しかし、何かが物足りない。何だろうか。中途半端なのである。

 質と量とでは、まず、量が圧倒的に少ない。では、それで質が良いかと尋ねられると、実はそうでもないのだ。

 決定打に欠ける。

 値段が安いかというと、これで1,000円では少々高い。

 結局、アイデアだけの駅弁か。いや、実は山手線にまつわる?ステッカーが二枚付いているので、それが目玉なのだろうか。

 申し訳ないが、この弁当だけは、よぅ、分からん(続く。次回以降、いよいよアラーキー特集)。


広島帰省考09年10月編(アラーキー篇その1)

 広島の母は、10月10日(土)を待っていた。


 アラーキーの写真展示会の初日に再び息子三人が集まり、母と一緒に広島市現代美術館に行くのである。

 今回は、おいらがまず広島に帰り、美術展開催の前日に末弟が、当日に次弟が広島に参集するという段取りである。

 母は元気で絶好調である。

 実は、実家宛てに広島市現代美術館から今回のアラーキー展のポスターとチラシが届いていたのである。


広島の顔ポスター


 何と、そのポスターに我々が写っており、ポスターの掲載者には事前に連絡があったのである。

 こりゃ、凄いわ。

 ポスターの大きさは、B2と大きい(ほぼ新聞見開き)。しかも、撮影された461組(1,035人)の中から我々がポスターに選ばれ、中央部左上に掲載されたのである。

 はっきりと写っている。

 これは、感動ものである。


広島の顔表紙


 既に、アラーキーの事務局から写真集「広島の顔」(09年、荒木経惟「日本人の顔」プロジェクト発行)が届いていたので、その写真集に掲載されている大きな写真を見ていた。

 写真集では、我々の写真が広島交響楽団の指揮者である秋山和慶氏の頁の隣に掲載されるという名誉にも預かっていたのだが、その写真が広島の顔のポスターに掲載されるとなると、また、格別である。

 なお、この写真では我々が豆粒ほどの大きさであり、全貌がはっきりしないが、ブログの性格上、謎の不良中年の素顔を明かす訳にはいかないので、切にご容赦を(続く)。


広島帰省考09年10月編(アラーキー篇その2)

「広島の顔」展示展の初日である。

 手配した介護タクシーに母を乗せ、一路、広島市現代美術館のある広島市南区の比治山公園へ向かう。

 開館は午前10時である。開館20分前に到着し、母と美術館の周りを散策する。広島市現代美術館は、黒川紀章による斬新なデザインである。


ボテロ


 末弟と二人で母の車椅子を押しながらフェルナンド・ボテロの鳩を見ていると、次弟が後ろから声を掛けてきた。

 母が嬉しそうな顔をする。

 美術館の外から内部を覗くと、既に整然と写真が展示されている。テレビ局のカメラマンが中で撮影しているが、予想していたアラーキーによるテープカットのようなセレモニーはないようだ。

 美術館の前に開館を待つ数十人が屯しているが、静かな秋晴れの雰囲気である。

 午前10時、入場した。写真展の入り口は、正面玄関の直ぐ前である。広島市現代美術館より送付されていた招待券を入り口で渡す。

 入場して、ほどなく我々が写っている写真を発見した。かなり大きな写真である。それが、縦3列、横6列にピンで止めてある。461枚の写真全てを額装するという訳にはいかなかったのであろう。

 母ともども兄弟三人で、写真の前で見入っていたら、後ろから声を掛けられた。RCC(中国放送)の取材だという。母は脳梗塞の後遺症によって言葉が不自由なので、三人が取材に対応した。聞けば、本日のお昼前のローカルニュースでオンエアされるという。

 一階のメーン会場の写真を見終わったら、今度は地下の会場である。車椅子をエレベーターで移動する。


アラーキー花


 地下会場には、アラーキーの花の写真が所狭しと展示されている。おいらも花が好きなので、ここでもアラーキーの腕に唸る。

 何故か、アラーキーの花の写真には死の予感がする。

 ところで、ここでも中国新聞の取材を受けることになった。親子4人で写真展を見ているのが目立つのかも知れない。

 母と丁度一時間、写真を観賞したので、施設に戻ることにした。朝の9時から車椅子に乗せているので、お昼までには帰らないといけない。長時間の車椅子は体にこたえるのだ。再び、介護タクシーに乗車して施設に舞い戻った。

 施設の食堂に母と戻ったのが、11時50分。

 食堂のテレビが点いている。チャネルをRCCに合わせる。歓声が上がった。

 母の顔がアップでテレビに映ったのだ。無論、4人とも全員でオンエアされました。母がそれを見て、恥ずかしそうな嬉しそうな顔をする。目出度し、目出度し(続く)。


広島帰省考09年10月編(アラーキー篇その3)

 母の食事を終えて、ベッドに寝かせつけ、再び弟と現代美術館に舞い戻った。


広島市現代美術館


 午後3時から、アラーキーのトークショーがあるのだ。トークショーが終了後、サイン会も予定されている。

 時間があるので、地下に降り、地下の一角で開催されている撮影の様子を撮ったビデオを観賞していた。

 館内放送がされた。アラーキーのトークショーに参加したい方は一階の受付前に集合して欲しいと伝えている。

 弟と一階のロビーに集合する。時間は3時に20分前ぐらいだろうか。次第に参加者が増えて来た。

 アラーキーは遅刻してやって来た。土曜日なので、市内の交通が混雑していたようだ。

 そのアラーキーの開口一番である。

「え、ト-ク? 聞いてないよう!? 本当に聞いてないってば」

 と、云いながら、トークショーが始まった。「憎いあん畜生」である。

 しかし、会場側の段取りは悪い。普通、トークショーだと、入場整理券を用意しておき、会場の中で行うのなら、パイプ椅子などを用意するのではなかろうか。

 それが、入場整理券なし、パイプ椅子なしである。

 アラーキーは、マイクを渡されて、展示されている写真の前を歩きながら、写真の解説をし始めた。その後ろを約100人がぞろぞろと付いて歩くのだ。アラーキーの周りは人だかりで、後ろから押されてしまう。まるでラッシュアワーの様だ。

 ひょっとしたら、アラーキー側が美術館に対して、段取りは気にしないでも良いと云った可能性もある。しかし、天下のアラーキーである。参加者が異常に増えることぐらいは想像がつくだろう。少なくとも、おいらは車椅子の母と一緒でなくて良かったと思った。車椅子だと人だかりが多すぎて、危ないのだ。

 これでは、広島の主催者が田舎者だと思われても仕方がない。案の定、サイン会も長蛇の列となった。しかも、4時にはアラーキーに次の予定があるという。これでは、ほとんどサインの時間がないではないか。

 時間切れになると困るなぁと思っていたのだが、アラーキーはテキパキとサインをこなしている。


アラーキーサイン


 サインの行列の中程に並んでいたおいら達の順番がやって来た。

 おいらと弟は、アラーキーの前に進み出て、「三バカ息子です」とやったら、「おっ、良い写真になっていたろう」とアラーキーは打てば響く答えだった。

 母が既に今朝、会場に来たことと、アラーキーに礼を述べていたことを伝え、アラーキーよりサインをして貰いました。

 アラーキーの凄いところは、時間をオーバーしても、長蛇の列に並んだ全員にサインをしていたことである。アラーキーのマネージャーは次の予定を考え、心の中では泣いていたんだろうなぁ(続く)。


広島帰省考09年10月編(アラーキー篇その4)

 アラーキーの総括である。


広島の顔入口


1.アラーキーのサービス精神

 アラーキーのサービス精神には脱帽である。アラーキーは人たらしである。アラーキーは太陽である。アラーキーは写真を撮っているのではない。相手の持つ、本人も気が付かない魅力を無造作に引き出す天才である。

 しかも、こういう気取りのない芸術家は珍しいのではないか。おいらはそのアラーキーと同世代に生きていることが幸せであるのだが、実際に会話をさせて貰い、しかも写真に撮って貰えたということが何より嬉しい。

 アラーキー、万歳!

2.母の喜び、家族の喜び

 それ以上に、母が喜んでくれているのが嬉しい。

 絵を描くことが好きな母は、写真を撮ることも大好きであった。使っているカメラはバカチョンカメラであったが、旅行などすると大変である。気にいったものを被写体にして、名カメラウーマンであった。

 その母が憧れのアラーキーに撮って貰えたのである。嬉しくないはずがない。一生の思い出に残る写真である。しかも、息子三人に囲まれてである。

 アラーキー、万歳!

3.金の斧、銀の斧

 日本人、いや、西洋人が忘れている教えである。

 沼の中に鉄の斧を落とした木こりは、池の中から出て来た女神にこう云われる。

「この斧はあなたが落とした斧ですか?」

 金の斧や銀の斧を見せられ、いずれも正直に違うと云った木こりは自分の失くした斧のほかに、金と銀の斧を褒美に貰う。

 金(マネー)が跋扈する世の中で、忘れられている逸話であるが、おいらは今回この話しを思い出した。

 アラーキーにサインして貰うときに、係の人から、「アラーキーにお願いしてあるのは、売店で購入したアラーキーの写真集に限ります」と云われていたからである。

「ポスターは、お願いして無理なら止めて下さい」と釘を刺されていたのである。

 恐る恐るアラーキーに事情を話して、ポスターにサインして頂けないかとお願いをしたら、「よっ、本も大丈夫」と、両方にサインをして頂いたのである。

 鉄の斧が自分の斧だと云えば、神様は金や銀の斧も下さったのだ。最初から、ポスターと本の両方にお願いしたら、どちらかにして欲しいとたしなめられていたかも知れない。

 アラーキー、万歳!(続く)。


本日と明日はお休み

 本日と明日は休日につき、お休みです。


東京人生1


 そこで、本日は、アラーキーにサインして貰った本をご覧あれ。

 2006年10月から12月まで、江戸東京博物館で開催された「東京人生大個展」の図録代わりの写真集です。


東京人生2


 アラーキーの語録

60年代 あらゆる写真についての実験をやっていた

70年代 写真は私小説である。私写真の始まり

80年代 一人で歩いて撮るのもいいけど、道行で撮るのもいい

90年代 死がからむと写真はよくなる

2,000年代以降 照れないで“幸福”を撮れるようになった

 アラーキー 1940年5月25日生まれ


 月曜日より再開いたしますので、皆様よろしゅうに。


平成21年10月24日(土)


 謎の不良中年 柚木 惇 記す


広島帰省考09年10月編(アラーキー篇その5)

 アラーキーの後日談である。


中国新聞記事


 翌日の中国新聞に母のことが掲載された。

「初日は荒木さんも来場し、モデルになった人たちと交流。安佐南区の*****さん(81)は脳梗塞の影響で言葉が不自由だが、息子三人と写った自分を見て、作品に勝る笑顔を浮かべていた」

 流石に新聞記者の記事である。巧い表現をするものである。


 当日のRCC中国放送に続き、翌日も同じチャネルの早朝のニュースでおいらたちがオンエアされたという。

 これは、親戚がテレビを観ていて、早速電話を掛けてきた。当日の放送ではなかった弟のインタビューまでオンエアされたらしい。

 また、当日夕方のNHKにも映っていたようだ。これは、ヘルパーさんが観ており、映っていましたよと教えて貰った。

 おいらも観ていないのだから、何とも間抜けな話しではあるが、「映っていましたよ」と云われて悪い気はしない。

 翌日は、ご近所の奥さん連中から新聞を拝見しましたよと挨拶されたり、私も現代美術館に見に行きますとお話しを頂戴することになった。

 いやはや、アラーキーの御威光は凄い。母もこれで一躍地元の有名人になったようだ(続く)。


広島帰省考09年10月編(後編)

 さて、横浜への帰路である。

 広島から東京行き最終便の新幹線に乗車し、「W健太弁当」をゲットした。


W健太弁当1


 地元のテレビ番組によると、マツダスタジアムの弁当売り上げベストスリーは、次の様だと記憶している。

 3位が「前田健太弁当」で、中身は「たこ焼きに焼きソバ」。2位が曖昧で、1位は「栗原健太弁当」(「カルビ焼肉」丼)だったような気がする。


W健太弁当2


 この弁当は、絶対に買い。見たとおり、酒の肴にもピッタシ。

 さて、行楽のシーズンである。最終便は混んでいる。C席なので、B席は空いていたのだが、圧迫感は否めない。しかし、ま、この時期の混み具合は、こんなもんでしょう。


 ところで、今回、新幹線乗車で肝を冷やしたことを一つ。

 それは、広島への往路でのこと。

 おいらは、旅行時、何時も荷物を二つにしている。一つは、メーンのキャリーバッグ。ま、手押し(と云うより、手で引く)の出来るバッグだ。

 もう一つは、いわゆるポーチだ。ただし、このポーチは、少々デカイ。20センチ×30センチはあり、何でも入る。実は、このポーチ、ブランド品で<プラダ>である。

 少々前の話しである。ニューヨークで娘の土産に買ったのだが、デカ過ぎて不評を買った代物である。以来、おいらが重宝することにしている。このポーチ、手帳から始まって、日用品は何でも入る。だから、旅行のときは、おいらの秘書のようなものである。

 で、新幹線の座席に座ると、隣が空席だと隣の席にこれを置くのだが、隣に人がいる場合などは、座席の下に置くのだ。海外旅行をしていると、この方法に慣れてしまう。便利だからである。

 しかし、今回は、失敗した。

 往路、そんなに酒を飲んだのではないのだが(最近、節酒している)、妙に酔って、メーンキャスターだけを引っ張って、広島駅で下車したのだ。降りる前に足元を見るのを忘れていたのである。

 そのことに気付いたのは、実家に戻るタクシーの中であった。気付いて冷や汗が出た。何故なら、ポーチの中に実家の鍵が入れてあったからだ。もとより、手帳も入っている。幸い、貴重品は自分が持っているので心配はしなかったが、少々面倒なことになる。車の中で酔いが醒めた。

 タクシーを降りて、ため息をついた。しかし、よもやと思い、メーンキャスターを開けて驚いた。ポーチが入っているではないか。おいらが自分で入れたことを忘れていたのだ。

 酔っ払いは怖い。しかし、座席の下に荷物を置く方がもっと怖い。今後の行動パターンを変えようと思った帰省である。


 明日からは、再び仕事が俺を呼んでいる(この項終わり)。




写真の撮り方

 1枚の写真で、プロとアマの差が出ることがあるか?

 例えば、カメラ機材等の撮影条件が同じで、プロとアマに同じ被写体を撮らせた場合、おいらは必ずしもプロが勝つとは思わないのだ。

 何故なら、カメラ自体が写真を撮るからであり、シャッターの押し方に芸術性があるわけではないからである。

 1枚だけの写真の勝負であれば、アマがプロに優る可能性は十分にある。したがって、カメラマンは芸術家足りえるかと問われれば、これまで、本能的にそうではないと思ってきた。

 しかし、この本を読んで少しその考え方が変わったのである。

 「天才アラーキー 写真ノ方法」(2001年集英社新書)である。アラーキーは言う。素人でもいいものは撮れる。しかし、1枚だけだ。プロは、いいものを撮り続けることが出来る。それが、プロとアマの差だ。

 これはエライ。つまり、写真家であるか否かの差は、プロかどうかの差ではなく、いいものを撮り続けるかどうかの差と考えるのである。いいものを「変なもの」に置き換えても良いはずだ。それを継続して大量に撮る。そうして、アラーキーになるのだ。

 こうしてみると、なるほどロバートキャパは偉大な写真家だ。最近来日した流行のひげ面の写真家も立派な写真家だろう。彼らもそうして、芸術家になったのだ(だから、北野たけし氏がいい写真をとっても、いい写真家とはいわないのだ)。

 もう一つ気に入ったのは、アラーキーの写真の撮り方である。「自分でシークエンス(秩序、ストーリー)を造らない。被写体そのものの中身を引き出す」ということだ。なるほど、アラーキーは一流である。

 それでは、本日のおまけとして、おいらの秘蔵コレクション荒木経惟「写真私情主義」(2000年平凡社)(サイン入り)をご披露する。


アラーキー2


アラーキー1


 アラーキーの素晴らしいところは、
「仕事ったってさ、いやいややって金がきたって、ねぇ~。
いい気分でやって金がこないのと、どっち取るかって言ったら、俺は、いい気持ちで金がこなくてもいいほうを取る。
 俺の性質だからしょうがない。」
 である。

 それで、アラーキーはビルが建たないわけと説明しているが、ビルなど建ててもらわなくったって良い。いい(変な)写真を撮って欲しいだけなのよ。

 しかし、アラーキーの凄いところは、写真の価値は、「見る人によって写真は決まる。写真自体には何もない。」と喝破しているところである。
 本質的な部分をさりげなく言うところが憎い。アラーキーよ、これからもいい写真を撮り続けてくれ~。


アラーキー3



花の写真を撮る極意

 花が好きである。


紫陽花


 気に入った花は、時間場所を問わず写真に収めてしまう。愛用のサイバーショットを携行しているからである。

 ところで、おいらの写真の撮り方は、本能のおもむくままに撮る。ただそれだけではないが、考え方は荒木経惟から教わったことである。

 しかし、やはりこの世界でも知っておいた方が良いことはあるようだ。

 それは、花には花の風情があるということである。それを殺しては花が生きない。


紫陽花


 例えば、おいらの今月のトップの写真である。紫陽花には雨情が必要である。雨のない紫陽花に風情はないだろう(写真上)。確かに、大切なことである。

 次に、花は「高曇りのときに」撮るのが良いようだ。カンカン照りに撮ると、花びらに影が出て花が汚くなるからである。

 こうして、今月の紫陽花の写真は上の写真をトップの写真に変えたのである。

 で、このことをおいらに教えていただいたのが、誰あろう、人生の達人、M氏である。

 M氏は只者ではない。そういう点では、おいらの実質的な写真の師でもある。氏のことを今後このブログで取り上げるつもりでいる。

 ダンディなM氏は写真ばかりか、文章もすこぶる上手い。いわば人生の師匠である。おっと、その紹介は氏からお許しをいただいてからであるが…


写真は奥が深い

 おいらの拙い(つたない)写真歴は中学生に遡る。


リスボンの老婆A


 前にもこのブログに書き込んだが、その頃から親父のマミヤを自由に使わせて貰っていたのだ。

 だから、感覚的に写真の何たるかを理解しているつもりだったが、所詮は素人である。おいらの敬愛する「写真の師匠」にかかれば、何にも知らないことに気付かされるのである。

 上の写真は、先月訪問したリスボンの街角の一こま。うらぶれた路地を老婆が一人で歩いている。おいらは思わずシャッターを押していた。

 サウダーデである。

 悪くはない出来だと思っていたが、これが師匠の手にかかると次の様な写真となる。


リスボンの老婆B


 雲泥の差だ。

 師匠曰く。

「リスボンの老婆は、いい写真。ただし曇り空の時は空の面積をできるだけカットする、という写真の大原則を忘れない!

『その理由』…白い部分が画面に多いと見た人の目がそこに集中して肝心の部分の観察力が衰える。

 他人の目がどこへ行くか? 目をどこに『誘導』するか? は写真の構図なので十分に注意を払って『いい構図』の写真に仕立てる→これがいい写真の基本なんですよ」

 おいらは、自分の目で見た感覚を皆も感じてくれる、つまり、曇り空も老婆も見た人の目に同時に焼きつくと思っていたのである。

 しかし、それはおいら一人の思い込みなのだ。写真を見るのは他人なのである。

「他人の目」

 これは勉強になった。こういう指摘をしてくれる師匠には頭が下がる。今更ながら、写真は奥が深いと思うのだが、まだまだおいらは未熟であると恥をかく毎日の連続である。


写真家の思想

 新聞の書評を読むのが好きである。


DSC09906.JPG


 古い新聞の切り抜きを整理していたら、森山大道の「写真のフクシュウ 森山大道の言葉」(2013年、山内宏泰著)の紹介の中で、森山大道と荒木経惟の対談が掲載されていた(13年9月28日産経新聞)。

 以下、そのまま転載する。


 森山「要するにその人にとって何でもないものは、早い話が決して写真にゃうつらないんだな」

 荒木「やっぱり、いちばん大切なものとか大変なものって、素直にでちゃうんだよ」


 こりゃ、凄い会話である。

 写真の本質を見事についているねぇ。

 写真と絵の違いは、被写体がそのまま表現されるのではなく、どう表現していくかの差であるが(だから、写真と同じようにそのまま描くのなら絵はいらない)、この会話はそれ以前の哲学を説いているのである。

 プロの写真家とアマの差は、何を撮るかなんだなぁ。小説で云えば、何を書くか、であるということだ。

 だから、森山もアラーキーも突き詰めれば人生を撮ろうとしているのである。

 それが素人の撮る写真との決定的な差である(素人の写真が「絵はがき」にしかならないのはそういうことである)。

 森山も荒木も、今日もシャッターを押し続ける。





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