さすらいの天才不良文学中年

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神田古書祭り 三省堂古本祭り

モンティ・パイソンの謎

 昨年の引越のとき、本を大量に処分した。そのとき、訳の分からない本があった。95年イギリスで発行された「モンティ・パイソン」(THE FAIRLY INCOMPLETE & RATHER BADLY ILLUSTRATED MONTY PYTHON SONG BOOK=「いい加減で下手っぴいなイラスト付きモンティ・パイソンのソング・ブック」)という謎の本である。


モンティパイソン1


 破天荒な本である。本文に面白いカラーイラストが載っている。


モンティパイソン2


 併し、どこでこの本を購入したか全く覚えていない。NYのノミの市だったかもしれないが、不明である。古本屋の親父もこれは知らないということで、とりあえず保存しておいた。ありていに言えば、親父がいらないと引き取らなかっただけではあるが。

 それが、1月7日の産経新聞をめくっていたら、偶然「モンティ・パイソン正伝」(グレアム・チャップマンほか著・白夜書房)という書評が眼に映った。

 謎が解けた。モンティ・パイソンとは、イギリスのBBCで、69年から74年に放送された伝説のコメディ番組のことであったのだ(モンティ・パイソンズ・フライング・サーカス)。

 書評者によれば、このテレビ製作の現場は「究極のユートピア」の世界であり、「あらゆるクリエイティブに携わる人が(この本を)読めば、必ず参考になる。刺激を受ける」と絶賛している。

 感心していたら、モンティ・パイソンの曲が入っているCDもあったような気がしたので、探したらこれも出てきた。聴いてみると、凄い曲である!あな恐ろしや。

 今一度この珍本を読むのが愉しみになってきた。ひょっとしたら、今では決して手に入らないお宝かも?



ブックオフでゲットした珍しい本(その1)

 ブックオフの100円均一コーナーは穴場である。


横尾ブルース


 例えば、写真は、少し前だが、ブックオフ広島某店の100円コーナーで発見した横尾忠則の「一米七〇糎のブルース」(角川文庫、昭和54年初版)である。

 横尾の処女エセー集である。千円程度の値付けしかなされないが、稀にしか古書店では出てこない。この文庫本は、特にカバーが良い。

 実は、今から20年前位に、小田急百貨店の古書市でこの本が定価千円で売りに出されていた。

 おいらはそのとき、この本を買いそびれていたのである。

 文庫本なので、いつでも買えると思って手にはしたものの、買わないでいたら他のお客にあっさりと買われてしまったという苦い思い出がある。

 だから、おいらはこの本をずっと探していたのだが、長い間、目の前に現れなかったという代物である。

 それが、母の遠距離介護で広島に帰り、現地のブックオフを覘くとあっさりと目の前にあったのだ。

「お待ちしていましたよ」と、この本がおいらに声をかけてくれたのは云うまでもない。

 こりゃ、嬉しかったねぇ。しかも、100円。

 だから、ブックオフの100円コーナーはやめられない。

 アドレナリンが出まくるのぅ(この項続く)。


ブックオフでゲットした珍しい本(その2)

 これもブックオフでゲットした幻の文庫本。


F104


 三島由紀夫の「F104」(河出文庫、昭和56年初版)である。この本は知る人ぞ知る稀少本で、高い値を付ける店では数千円である。

 この本もブックオフの広島某店に無造作においてあったのである。

 古い文庫本だから、最初から100円コーナーで売られていたようだ(値札ラベルが「二重貼り」ではない)。

 こういう本がタダ同然で手に入るというのは、ブックオフの功罪の功の部分にあたると思うのである。

 特に、ブックオフのノウハウの一つは、半値の定価とした古本が一定期間売れない場合に、自動的に100円コーナーに移動させることである(これをおいらは勝手に「二重貼り」と呼んでいる)。

 また、この本のように一昔前の古書は、最初から100円コーナーに並ばせることである。

 だから、ブックオフを訪問した際は、おいらは最初から100円コーナーを覘き、無意識のうちに「背取り(本の背中を見て安い値段が付いていると、それを買い取ること)」してしまうのである。

 ところで、最近の神保町では、店によってはワゴンセールとして100円コーナーを設けているところも多い。

 畢竟、古書市場からこういうワゴンセールに直行した古本の中には、掘り出し物が見付かることもある。

 ったく、古本巡りは飽きることがない(この項、不定期に続く)。



今年の神田古本祭り(前編)

 今年も神田古本祭りに顔を出した(今年は、本日夕方6時まで開催)。


古本祭り


 この恒例の古本祭りも今年で52回目になるという。

 古本探しの愉しみは、日頃探している本を見付ける喜びと意外な本を見付けることの喜びである。

 前にも書いたことがあるが、本は増殖する。ほっておくと、いつの間にか書斎は本に占領されてしまう。それに、後数年でおいらも前期高齢者、すなわちシニアへの仲間入りである。本当に欲しい本以外は買わないと決めたのである。

 だから、おいらは最近、古書店巡りをするときは、好きな寺山修司や横尾忠則、荒木経惟の古い本か、気に入った作家の署名入りの本しか買わないように努めている。

 ま、古本屋の雰囲気を愉しむという、いわば、本好きの好々爺の境地に達したということじゃろうかのぅ。

 メイン会場はここ岩波ビル(岩波ホール)前である。ここを起点として靖国通り沿いに青空古本市が東西に所狭しと並んでいる。

 二年前からこのブログで書き込んでいる太陽野郎のブースもこれまで同様、@ワンダーの前にあった。


太陽野郎


 早速、中を覗き込む。相変わらず、おいらの好みの本が置いてあるが、残念ながら今回は不作。それでも、別冊週刊サンケイ(昭和35年6月)をゲット。「ゾルゲ事件の全貌」が特集とある。300円。お買い得である。古本祭りでは、こういう意外な本を見付ける愉しみがある。


週刊サンケイ


 少し歩くと、こういう光景に出くわす。


羊頭書房


 羊頭書房(このブログでも紹介)である。頑張っておられる。嬉しいのぅ。

 続いてお店の名前が不明だが、美術系の古書を中心にした店で発見した掘り出し物。


大西耕三


 棟方志功に師事した「大西耕三」(神奈川県出身)の木版蔵書票(83年)。四千円のところを一割引きにして貰って、3,600円。

 木版蔵書票が21点、じゃばら形式に添付してあり、内12点は干支をあしらっている。大西氏の木版画を座右に置けるおいらは、幸せ者である(この項続く)。


今年の神田古本祭り(後編)

 後編では、サイン本の紹介である。


太陽野郎2


 まず、サイン本といえば、神田神保町すずらん通りに本店を構える「東京堂書店」のサイン本コーナーが有名である。

 おいらはここでアラーキーや横尾忠則、池田満寿夫、寺山修司、車谷長吉、山田風太郎、浅田次郎、伊集院静などのサイン本をゲットしている。何と云ってもサイン本の良さは、著者のぬくもりがその字体から直接伝わって来るというところにある。

 だから、冒頭述べたとおり、好きな作家のサイン本があれば、思わず手にとってその筆跡を見てしまうのである。

 今回も野末陳平氏のサイン本を発見し、その達筆に驚いてしまったのである(ただし、陳平氏の著書は未購入。氏はタレントというよりもインテリじゃったのぅ)。

 さて、戦績をお披露目する。

 まずは、大御所、宇野千代「普段着の生きて行く私」(毎日新聞社、86年)。千円。実は、おいらは岩国出身である彼女の大ファンである。この本は彼女が89歳のときの書籍である。晩年のサインだと分かる。


宇野千代


 続いて、怪人、角川春樹「いのちの緒」(句集。角川春樹事務所、00年)。520円。角川春樹のサイン本が520円は可哀想じゃのぅ。それほど氏の俳句は尖っている。


角川春樹


「花あれば詩と死に寄(よ)するこころあり」(「夢見桜」より)
「残り生(よ)の残りの夢を初ざくら」(同上)


 佐々木久子「わたしの放浪記」(法蔵館、95年)。500円。


佐々木久子


 佐々木久子氏の家系は、広島の加計(現「安芸太田町」)出身。氏は広大卒業後上京、雑誌「酒」を創刊し編集長となる。賀茂泉や越乃寒梅を世に先駆けて紹介した話しは有名である。「広島カープを優勝させる会」旗揚げ者。生涯独身。脳梗塞後、08年鬼籍に入られる(享年81)。

 その佐々木久子氏の半生記である。これは愉しみである。


 お仕舞いは坂口安吾の長男、坂口綱男「安吾と美千代と四十の豚児と」(集英社、99年)。800円。


坂口綱男


 安吾の身内が書いた安吾と母の物語。綱男氏は53年生まれ。氏は写真家、エッセイストとある。

 なお、安吾の死後、56年に銀座の文壇バー「クラクラ」を開いたばかりの母三千代に、「クラクラ日記」の執筆を勧めたのが佐々木久子氏である。そのエセーは翌年から雑誌「酒」で連載され、文藝春秋から単行本として出版されている。

 こうして、今年もまた良い本に巡り合えたのである(この項終り)。


本屋の貼り紙

 勤務先が九段下(千代田区)のため、出社すると必ず神保町に顔を出す。


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 先日もそうして神田すずらん通りを歩いていたら、某古書店の入り口に貼り紙がある。

 この古書店は一階が美術書や古典、サブカルチャー中心で、二階には稀覯本やリトグラフ、作家の原稿などが陳列してある。趣(おもむき)のある店である。

 何気なしに見ると、求人募集である。おいらはこの古書店が好きで良く顔を出すのだが、このような貼り紙を見るのは初めてである。

 内容は、週3日~5日。時間は12時~18時で時間は自由になる方とある。時給は850円。半日働いて約5千円。仕事の内容はオークション対応などで、条件はパソコンができることとある。

 普段ならなるほど本屋のバイトとはこういうものかとそのまま過ぎ去るのだが、現在の仕事はフルタイム出勤ではないので、週3日ならやりくりすれば都合が付かない分けではない。

 それに何よりもおいらの好きな古書に囲まれ、しかもあこがれの古書店で半日を過ごせるのなら、金などいらないから無給で手伝っても良いとまで思った。

 だって、古書店の中で仕事ができるのだょ。業界の内幕も分かるに違いないだろう。

 そこで、図々しくも店の奥に入り、貼り紙に付いて聞きたいと店主に述べたのである。

 結論。

 勤務は古書店の店舗ではなくて、倉庫であり、オークションの品目をパソコンに入力するのが主たる業務だという。残念だが、それでは趣旨が違う。

 ということで、あこがれの古書店での勤務は断念したのである。

 しかし、おいらも物好きじゃのぅ。



神田古本祭り(前篇)

 今年(2013年)も神田古本祭りが10月26日(土)から11月4日(月)まで開催された。


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 ただ、今年は雨にたたられた会期となったようである。写真上は、11月2日(土)の午後3時過ぎのすずらん通りの様子。傘をさしての古本探しとなった。

 雨は、本にとって天敵である。

 水を吸った本はごわごわになり、修復しない。だから、雨がちらつくとビニールシートが一斉にかけられ、露天でのセールは中止とならざるを得ない。

 女心と秋の空ではないが、例年、この時期は秋雨が降りやすい。困ったものじゃのぅ。

 さて、今年は久し振りに古本のチャリティ・オークション会場に参加することができた。

 チャリティとうこともあって、稀覯本が安値で入手できるというメリットもある。かつては毎年足を運んでいたが、ここ数年はご無沙汰していたので、今年は久し振りに出向いてみようと思った次第である。

 そのチャリティ・オークションは、11月2日(土)の午後2時開始である。

 座りたいので、30分前に会場に到着した。まだ、ガラガラである。


神田古本祭り2.jpg


 午後1時45分から一旦小雨が降り始めたが、上がった。

 天候は下り坂である。開催は危ぶまれたが(雨天の場合は翌日に順延の予定)、主催者側の本音も今日やりたいのである。午後2時過ぎ、雨が上がるのを待って、オークションでセリに出される本が会場の一番前に用意された。

 平積みされているので、それらの本を観ることができる。

 おいらは棟方志功の木版画入り古書に見とれていた。古書店では1万円台の価格で取引されているので、5千円程度なら落札しても良いかのぅと考える(この項続く)。


神田古本祭り(後篇)

 チャリティ・オークションは午後2時5分過ぎに開催された。このときの会場は既に満員である。


神田古本祭り3.jpg


 オークションに出される本のジャンルは、全集物や美術書、事典・辞典類、学術系専門書、稀覯本、ポスターや色紙類、それに子供向けの絵本などである。

 セリ落とされる値段は、大体、定価の1割から2割だから、欲しい本がセリにかかるとアドレナリンが出まくることになる。

 ここで注意しなくてはならないことは、あまりに安いからといってついつい欲しくもない本を買ってしまうことである(おいらも若いころにはそういう失敗をしたことがある)。

 10万円の美術本が5千円程度だと本能的に買おうかと考えてしまうが、今では学習効果もあり、棟方志功をひたすら待つばかりである。

 そうこうするうちに雨足が強くなった。オークション開始30分後である。

 セリは中断された。

 雨天で中断の場合は、その時点でオークション止めると主催者が発表していたので、今年のオークションはこれで中止となるのかと危ぶんでいたら、主催者側が集まって何やら協議している。

 そうこうしているうちに、マイクを持った主催者がビニールシートで屋根を作って再開すると云うではないか。粋な計らいである。神保町もやるのぅ。


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 ただし、雨が強くなると、会場は野ざらしだからおいらを含めた参加者もびしょ濡れになる。畢竟、セリの速度も駆け足となった。

 ここでの落札のポイントは、セリのテンポの流れに即した入札の声掛けをすることである。例えば、1万円の定価の本は最初500円程度からスタートする(100円単位)ので、500円の声掛けがあった場合、それ以上の金額で落としたい場合はすかさず600円以上の声掛けをしないと、500円で落札されてしまうのである。つまり、逡巡すると手遅れである。

 さて、目星をつけていた棟方志功の木版画入り古書である。

 千円から始まったセリにおいらも参戦し、予定どおり5千円まで値を付けたのだが、あっという間に1万円になってしまった。

 これでは、古書店で買うのと変わらない値段である。やむなく落札を断念したのだが、志功の人気が根強いことを思い知らされた一瞬であった。

 しかし、今年の神田古本祭りでこういう雨天での経験もさせてもらったこと、志功の人気が今も変わらないことが分かったことは愉しい経験でもあったのぅ。

 神田古本祭りよ、今年も有難う(この項終わり)。


神田古本祭り(番外篇その1)

 雨にたたられた神田古本祭りであったが、そこでゲットした本をこのブログに掲載しなければ片手落ちと云うものである。

 まずは、サイン本。


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 芥川賞作家、田中慎弥の「燃える家」(初版、著者サイン)。

 田中慎弥の毒舌がどこまで作品に内在しているか、これから読むのが愉しみである。これは新刊で東京堂書店にて入手(定価2,415円)。


 次に、ご存じ福富太郎の「浮世絵新発見 写楽を捉えた」(初版、著者サインのほかに印も有り)。


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 福富太郎をご存じだとしたが、今や知らない人ばかりだろう。

 昭和のキャバレー王にして、稀代の浮世絵コレクターであった。彼は写楽を司馬江漢と推理している。

 サイン入りのため市場価格は2~3千円だろうが、これを千円でゲット。


 続いて、花咲一男編の「享保末期吉原細見集」(近世風俗研究会、昭和51年)。


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 写楽関連本としてゲット。江戸時代の吉原のガイドブックの復刻本である。写楽の時代、娯楽は歌舞伎と相撲、それに吉原の3点セットであった。

 浮世絵もこの3つに関するものが多く、写楽は歌舞伎と相撲、歌麿はそれに吉原も描いている。

 写楽が何故吉原を題材にしなかったのか、それが写楽の謎を解く鍵ではないかとおいらは考えている。

 これは「かんたんむ」(古書店名)でゲット。限定150部の内83番という特装版なので売価10,000円のところを9,500円にまけてもらう。


 美術雑誌では、美術手帳「横尾忠則特集」(1983年10月号)。


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 先日亡くなった天野祐吉と糸井重里とが横尾忠則について対談している貴重な雑誌である。

 おいらは横尾のリトグラフ「ナイフの男」を持っているのだが、そのリトも掲載されている。この本は、すずらん通りのワゴンセールでわずか200円(この項続く)。


神田古本祭り(番外篇その2)

 神田古本祭りで購入した美術書の2冊目は、芸術新潮「薩摩治郎八」。500円。


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 薩摩治郎八は、鹿島茂が「蕩尽王パリを行く」で紹介した稀代の大金持ちである。戦前のパリでフジタを初めとするパトロンになった魅力のある男の物語。

 生涯600億円を遣い、最後は一文無しという波乱万丈の男である。この男については、項を改める。


 続いて、広告(99年3月15日号。特集「国民的バッドテイスト」)。100円。


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 これは、奇書。俗悪の思想を説いた、石子順三に匹敵する思想書でもある。寺山修二の根底にあるのはバッドテイストと一刀両断。そうかも知れないと考えさせられるところがスゴイ。

 奇書と云えば、田中譲(「評伝藤田嗣治」の著者。元読売新聞美術記者)の本もそうである。あれだけ、フジタのことをミソクソに書くのであれば、他の本はどうだろうと思いたくなる。


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 その矢先である。田中譲によるこの写楽(小説仕立て)を発見。早速読んでみよう。420円。


 雑本を少々。


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 佐藤優が好きである。古本で見つけたので、迷わずゲット。佐藤優は相変わらず物事の本質をはずしていない。200円。


 ワゴンセール、一冊50円コーナーで見つけた本2冊。


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 2冊ともネットでは千円程度で売られているので、少し得した気分。

「地位の象徴」は昭和30年代後半のプチブルが何を求めていたかが分かる超面白本。昔はチマチマしていたのぅ。ところで、楠本憲吉を知っている人は今や少ないのだろうなぁ(大阪高級料亭「灘萬」の長男。慶大卒の才人)。


 最後に、古本祭りではないが、最近ネットでゲットした本。藤田嗣治の銅版画入り洋書「JEUX OLYMIQUES」(1925年、nrf社、GEO CHARLES著、限定750部の内115番)。


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 著者GEO CHARLES(銅版画の人物)はフランスの詩人・作家でスポーツ関係での著作を多くものにしている。この本はフジタの研究家林洋子氏の「藤田嗣治 本のしごと」にも未掲載という稀覯本である。22,100円。おいらの宝物である。


 さて、今年も古本祭りが終わった。例年思うのだが、やはり古書には魔物が住んでいる。おいらも死ぬまで本から逃げることはできないのじゃろうのぅ(この項終わり)。


今年の神田古書祭り

 今年も神田古書祭りが始まっている(10月25日から11月3日まで)。


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 おいらのような本好きにはたまらないときである。

 ところで、この古書祭りで同じ本をまた買ってしまった。

 よくあることだが、今回は写楽の正体を蔦谷重三郎だとする古典的名作(榎本雄齋著、新人物往来社、昭和44年初版)である。


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 一目で気に入ったので買い求めた。神保町からの帰路、わくわくしながら読んでいたら、途中からどうも読んだことがあるような記述が続くのである。

 デジャブである。ひょっとしたら既に買っている本では、という嫌な予感に襲われる。帰宅後、写楽本が積んである山を覗いたら案の定同じ本が底に鎮座していた。やはり持っていたのだ。

 やっちまったよぅ。

 しかし、若いときにはこういうことはなかった。どんなに多くの本を持っていても全ての本を把握しているという自信があった。

 それが経年によって、変われば変わるものである。

 まず、部屋の中に本が埋まってきたので、欲しい本がすぐには出てこなくなった。持っていると分かっていても出てこなければ、ないのと同じである。畢竟、買うしかない。これは悔しい。しかし、背に腹は代えられない。

 同様に、持っているかも知れないと思うのだが、それがはっきりしない場合がある。これも悶絶する。今、買っておかなければ再び手に入れるのが困難になるという恐怖感に襲われるのである。それで買ってしまう。これも悔しい。

 とどめは今回のように老人力がついて、買ったことを忘れて二度買いしてしまうというケースである。これはホントに悔しい。

 仕方がないのかなぁ。本好きの宿命なのかなぁ。ただのおいぼれの繰言なのかなぁ。


本日から三日間は連休につきお休み

 本日から三日間は連休につき、お休みです。


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 写真は、「第55回東京名物神田古本まつり」の一コマ。

 本日は「じんぼうチャリティー・オークション」が午後2時から開催されますので、顔を出してみます。

 昨年は雨で散々でしたが(このブログ「神田古書祭り」参照)、今年の天気予報も雨です。

 どうなりますことやら。


 それでは、皆様よろしゅうに。


平成26年11月1日(土)



続報・神田古書祭り

 結局、11月1日(土)の東京は雨だった。


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 おいらの雨男の本領発揮である。

 もともと先週の予報では雨は11月2日から降る予定であった。しかし、おいらが神田古書祭りのオークションに参加しようと思ったら、あっという間に1日ずれて朝から本降りである。

 ま、雨男の話しは別に譲るとして、雨天順延となり翌日は快晴、汗ばむほどの陽気となった。

 おいらは昼過ぎから神保町に出向いたのだが、驚いたことに神田すずらん通りは芋の子を洗うような人だかりである。ワゴンセールをやっているので、人また人。まっすぐ前に進めない。前日の雨で、この日に人が集中したのだろう。

 イベントは盛りだくさん。


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 キューバ音楽のライブ演奏をやっている。これがノリノリ。

 おいらは映画評論の鬼才S氏とこのお祭りに来ているのである。氏も旨いものに目がないので、おいらの好きなシンガポール料理ラクサを紹介した。神保町の「マカン」は、都内では珍しいシンガポール料理専門店である。


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 酸味がほとんどないのが難だが、担々麺風味の旨い味に仕上がっている。おいらはこのラクサ(写真上)が好きなのである。

 さて、当日のメインエベントは何と云ってもチャリティ・オークション。このオークションのことは昨年述べているので(フリーページ「神田古書祭り」参照)、仕組みなどはそちらをご覧あれ。


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 で、おいらが今年のチャリティ・オークションでゲットしたのは、芥川賞候補作家いとうせいこう氏の色紙である(写真下)。チャリティなのでわずか千円。


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 文学賞の新人賞を狙っているおいらとしては、氏の色紙を見ることによって鼓舞されるのである。

 同行したS氏がエジソンの言葉として、おいらに云ってくれた。

 99%の人があと5センチほど穴を掘れば金鉱にぶち当たるのに、皆あきらめてしまう。成功した1%の人はあと5センチを掘り続けた人なのだと。

 この言葉は重い。いとうせいこう氏は無論穴を掘り続けられるはずだが、おいらも穴を掘り続けるぞ。



神田神保町書肆(しょし)街について(前篇)

 おいらは世界に冠たる古書街、神田神保町をうろちょろして40年以上になろうとしている。


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 この街(内神田の西部地域)には古書店ばかりではなく、小学館や集英社、有斐閣や岩波書店などの出版大手もひしめいており、また、辞書の三省堂や取次大手の日販も駿河台にある。

 いわば、出版、流通、販売という本に関するビジネスがこの街一つで完結するのである。世界中探したって、こういう本好きにとってメッカの街などない。東京とはよくもまあこういう文化的な街を創ったものよ。

 しかし、おいらはこの街のことをほとんど知らない、ということに気付いたのである。

 江戸時代も現在のように書肆(書店のこと)街だったのだろうか。そうでなければいつ頃から今のような書店街になったのだろうか。そもそもここはお江戸でどういう位置付けの街だったのだろうか。

 ただ、こういうおいらの疑問を解決しなくても死にはしない。だが、知りたくなると止まらないのがおいらの癖である。そこで浅学非才の身でありながら神保町のことを調べてみることにした。

 江戸は、17世紀になって徳川家康により首都としての機能を果たすことになった。したがって、それ以前の書物のメッカはそれまでの首都であった京都であった。江戸幕府になり、書物の需要は西から東に移ることになる。

 調べてみると、江戸時代は京橋から日本橋が書物の出版、販売業の中心地であったのだ。神田は江戸城に隣接しているので、現在の神保町書店街にあたる「内神田の西部地域」は旗本の住む武家屋敷であり、商業の街ではなかったのである。

 ここで「内神田の西部地域」とは神保町交差点を中心として、北は神田川(現在の水道橋からお茶の水の聖橋付近)から南は外堀の雉小橋まで、西は俎板橋(九段)から東は小川町(聖橋から神田川を結ぶ本郷通り)あたりまでの約600mを云う。

 因みに外神田とは江戸城を中心に考えるので、神田川の北側は外神田となるのである。したがって、神田明神は外神田になる。

 また、内神田の東部地域(聖橋から神田川を結ぶ本郷通りの東側)は町人や職人の住居となっており、チャキチャキの江戸っ子が住んでいた場所である。

 では、どうして神保町に書店街ができたのだろうか(この項続く)。



神田神保町書肆(しょし)街について(中篇)

 どうして神保町に書店街なのかという疑問である。


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 それは、幕府が江戸時代末期に現在の一つ橋地区に藩書調所を設置したことが大きな理由であった(脇村義太郎「東西書肆街考」岩波書店。昭和54年)。

 これが後の開成所を経て東京開成学校、そして東大になるのである。また、一ツ橋および隣接の神田錦町には東大のほかに一橋大、東京外大、学習院の前身校が設置されることになり、明治時代にはこの地が一大文教地区となったのである。

 学校ができると図書館には大量の書籍が必要となり、教員と学生が集まれば必然的に本の需要が発生するわなぁ。

 こうして神保町には本屋街となる下地ができたというのである

 しかし、神保町に学校ができて本が必要になると思っても、商才のある人物がでてこなければ本屋商売は始まらない。

 そこで、この地の草分けは誰だろうと調べてみると、埼玉の下級藩士の子であった江草斧太郎が開いた有史閣と云う名前の古書店であったことが分かる。

 明治10年秋のことであった。この年に東大が生まれており、有史閣と東大は時と場所を同じくしてスタートしたのである。なお、法律をかじったことのある人ならお分かりであろう、この有史閣とは現在の有斐閣のことであり、後に出版を始め、現在では法律書、経済書の雄となっている。

 有史閣に続いて中西屋書店(後の丸善)、東洋館(早稲田大学創設に参加)、三省堂、冨山房が生まれる。

 中西屋書店は丸善の創始者である早矢仕(はやし)有的(ゆうてき)の開いた店である。余談だが、おいらの仕事関係で早矢仕氏という名前の知人がいるが、ひょっとしたら由緒のある人なのだろうか。

 それはさておき、早矢仕有的は幕末に慶應義塾を卒業し、福沢諭吉に勧められて洋書の輸入を横浜で開始した。その後、日本橋を本拠とし(丸善は現在でも日本橋が本店)、出版のほかに西洋雑貨の輸入も始める。早矢仕は、一時、為替や銀行業にまで手を広げている。

 さて、丸善で売れ残った洋書や汚損本をどうしようかと早矢仕は考えた。さらに貧乏学生の一度読んだ洋書を売りたいや買いたいというニーズに応えるため、古本を売るには本店の日本橋よりも学生の多い神保町が良いと考え、中西屋を開いたのである(中西屋の由来は、中国の漢籍と西洋の洋書という意味で中国の中と西洋の西を併せたものだという)。

 う~む、神保町の歴史を紐解くと味わい深いのぅ(この項続く)。


神田神保町書肆(しょし)街について(後篇)

 神保町は、その後明治20年になって大きな動きを迎える。


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 東京書籍商組合の発足である。当初、組合の目的は組合員である書籍商のためのものであったが、明治35年には組合による市が開かれるようになる。

 これに呼応して、当初は神田よりも日本橋や京橋に多かった組合の数が神田に抜かれ、明治40年ごろには東京の本屋の3割が神田に集中するようになった。神田書店街の誕生である。

 また、明治20年には長岡出身の大橋佐平が博文館を設立する。

 今でこそ博文館の名を知る人は少ないが、戦前では日本最大の出版社であった(ただし、博文館は買い切り制度に固執したことから後発の出版社に遅れをとり、また、戦後は社長であった大橋進一の公職追放に伴い、現在では日記専門の出版社になっている)。

 この博文館が優れていたのは、流通革命を起こしたことである。

 今では全国の津々浦々で本が手に入るが、一昔前は本が流通すると云う概念はなかったのである。例えば江戸時代には、本や浮世絵は蔦谷(つたや)で売られており、蔦谷に行かなければ本は買えない。

 ところが、博文館は東京堂(現在の東京堂書店。大橋佐平の親族が設立)に取次(流通)を依頼し、これによって全国どこの本屋でも博文館の本を買えるようにして現在の流通システムを誕生させたのである。

 大正時代となって神田古書街は大火に遭い焼け野原となり(大正2年。なお、神田はその後も関東大震災で壊滅。大東亜戦争時の東京空襲には神田も大火となったが、神保町は奇跡的に遺った)、神保町交差点付近に古書店を出したのが岩波茂雄である。

 後の岩波書店であり、岩波は当初、古書店であったことが分かる。

 また、神保町には地の利もあった。神保町は中央線の水道橋駅や御茶ノ水駅から歩いても近く、また、大正時代から白山通りを南北に、靖国通りを東西に市電(都電)が走り神保町交差点で交差していたので、交通の便は悪くなかった。

 神保町の歴史を詳しく書くとキリがないのでこのあたりで止めるが、この街のことを知れば知るほど面白い話しが出てくるのぅ。

 この街に住んでみるのも一考である。余談だが、谷村新司氏はこの地に居を構えておられ、先日も神保町のCDショップでお顔を拝見した。ここは有名人にも会える街である(この項終わり)。



三省堂書店池袋本店「古本祭り」(その1)

 先週の金曜日(2016年7月8日)から今週の13日(水)まで池袋の三省堂書店(西武池袋本館西)で古書祭りが開催されている。


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 つい、この間までリブロだったところである(フリーページ「リブロ池袋本店閉店す」参照)。

 そのことはさておき、今回も会場に足を運んだ。

 おいらは前期高齢者になったので、もう新しく本を購入するのはどうしても必要なものに限定する主義としているのだが、面白い本があると夢遊病者のようになってしまうのである。

 結局、買わないはずが、7冊(点)も買ってしまった。とほほ。


 今回は、ゲットした本を中心として紹介する。


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 1冊目は、「辞書漫歩」(惣郷正明、朝日イブニングニュース社、昭和53年)。

 実は、おいらは辞書マニアである。

 辞書ほど面白いものはないのである。あれは引くものではなく、読むものなのである。

 それをおいらに教えてくれたのは、高校生ときに読んだ、斎藤秀三郎の「熟語本位英和中辞典 新増補版」(岩波書店)と郡司利男の「国語笑字典」(光文社、昭和38年)である。いずれも、当時、おいらの人生観を変えるほどの本であった。

 辞書って、意味を引くものだけのものではない。薀蓄を語るものだ。しかも、ウイットとセンスが必要なのである。そう教えてくれたのである。

 実際、熟語本位英和中辞典で恋(love)などを読むと大変である。


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「惚れて通えば千里も一理」(Love laughts at distance.)とある。こういうのを高校生が読んで喜ぶのである。なお、これは都都逸(どどいつ)である。

 こうしてみると、おいらが英語好きな理由には、辞書好きなことがあるかも知れない。実際、「斎藤和英大辞典」(昭和3年、日英社、99年日本アソシエーツ再刊)も持っている。それによれば、同じ件(くだり)は「ほれる」にあり、そこでは「惚れて通えば千里も一里、会わずに帰れば又千里」とある。


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 これで病みつきになる理由が分かろうというものである。

 さて、この本には「『言海』を世に送り、一世を風靡した大槻文彦。『言海』に対抗意識を燃やした『日本大辞書』の山田美沙。十万語のオランダ語辞書を二通り写した勝海舟」などのエピソードが満載されている。

 また、この本によれば、コンサイス英和辞典(大正11年)の初版は関東大震災やその後の戦災などによって現在残されていないこと(三省堂がコンサイス発刊50周年を機に新聞広告で全国に呼びかけたがついに手に入らなかった)や、三省堂が昭和49年に一度倒産していたことなども分かった。

 困るんだよねぇ、面白くて(この項続く)。


三省堂書店池袋本店「古本祭り」(その2)

 2冊目は、アニエス・ジアール著「エロティック・ジャポン」(2010年、河出書房新社)である。


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 この本には原書があり、既に入手している(フリーページ「本の愉しみ『エロティシズム』フランスで紹介される日本のエロティシズム」参照)。

 原書は仏文なので、辞書を引けば何とか訳すことができるが(おいらの第2外国語は仏語)、英語のようにはいかない。

 したがって、日本語訳があると助かるのである。

 もともとこの本には訳語があることは知っていたが、3,800円とやや高めであったことや原書はカラー写真が満載で当面はそれだけで充分だと思っていたことから、入手しそびれていた。

 しかし、この本を手に取ってみると今、調べている巫女のこと(小説の題材に取りあげようと思っている)が掲載されており、買わずにはいられなくなった。小説の資料として買う本までは制限していないのである。

 それにしてもこの著者、アニエス・ジアール(写真下)とは一体何者なのだろう。日本のエロ・カルチャーを知り尽くしている(ように思われる)。


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 巻末の著者紹介によれば、

「フランスの女性ジャーナリスト。1969年、フランス・ブルターニュ地方のヴァンヌに、哲学教師の父とリベルタン文学の専門家である母の間に生まれる。

 モロッコ、カメルーンなどの北・西アフリカなど、幼少期をアフリカ大陸で過ごす。

 アフリカ時代から三島由紀夫などの日本文学や漫画に傾倒。

 17歳でパリに上京し、名門リセのフェネロンに編入。

 パリ第3大学で近代文学の修士号を取得後、高等情報通信科学学校を卒業(修士論文は「フランスのプレスから見た日本アニメの暴力性」)」(以下、略)とある。

 う~む、大したもんじゃ。こういう人もいるんじゃのぅ。

 なお、巫女については別途項を設ける。巫女って、あの世(神)とこの世をつなぐ存在でありながら、なぜセクシーなのか?

 こういうことをフランス人から真面目に教わるのである。こういうことって、あり?(この項続く)。


三省堂書店池袋本店「古本祭り」(その3)

「とちちりちん」(亀山巌作画、昭和47年、有光書房、限定100部(記番 72)和装帙付、著者墨署名入)という和装帙付本である。


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 和装帙付本とは今では馴染がないが、和装本の損傷を防ぐために包む覆いのことを帙(ちつ)と呼ぶのである。

 厚紙を芯とし、表に布を貼るのである。余談だが、この本を数えるときは、「和本一帙」などと呼ぶ。

 この本を手に取ってみると著者の墨での署名がしてある。和装もしっかりとしており、しかも挿絵が出色の出来である。


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 値段をみると500円。5千円のつけ間違いではないかと思ったが、やはり500円。

 著者の亀山巌は、詩人、画家、装丁家、新聞記者である(明治40年生、平成元年没、享年82歳)。中日新聞社などに勤務し、名古屋タイムズ社社長となる変わり種である。

 自らを遊民と称し著書多数に及んだが、自らの詩集は1冊も残さぬ詩人であったという。

 さて、とちちりちんの内容はというと、昭和30年代の主人公が書き留めた玉路と云う名の芸者(主人公より10歳も年上)の物語である。

 とりとめのない芸者の日常や考え方が描かれており(まだパラパラとだけしか読んでいないが)、それだけで往時の待合や芸者遊びの雰囲気が伝わってくる本である。

 しかも、巻末には著者がどこからか玉路の日記を入手し、その一部が転載されている。芸者の日常は色と欲だと分かる、天下の奇書である。

 これも寝る前に読むと面白いだろうなぁ。

 ところで、この本の値段だがやはりつけ間違いのようだ。いや、正確に云うと、この本には限定版と普及版があり、普及版はせいぜい千円程度、それに対し、限定版は1万円前後の値段だ。

 どうやら店主が限定本にもかかわらず、普及版の値段をつけたようである。おいらは随分得をしたことになるが、こういうこともあるのが古書の醍醐味である(この項続く)。


渋谷大古本市でのこと(前篇)

 先週火曜日(17年8月15日)まで渋谷の東急東横店で「渋谷大古本市」が開催されていたので、日曜日に渋谷まで赴いた。


 映画評論家のS氏から誘いがあり、二つ返事で渋谷に出ることにした。


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 余談だが、おいらのメインの路線は引越しに伴い東横線から小田急線に変わったのである。小田急線は新宿始発だが、渋谷へ行くには下北沢で乗り換えれば新宿に着くのと時間が変わりがないことが分かった。こりゃ楽じゃのぅ。

 さて、古本である。

 おいらは引越しで古書を段ボール10箱以上捨てたのだが(ブックオフで泣く泣く処分)、S氏からの誘いもあってか古本市の匂いがするとついフラフラと足が出てしまったのである。

 今回も古本市は買わずに散策するつもりであったが、ついつい買ってしまったのが、この二冊。

 一つ目が、大場啓志「三島由紀夫 古本屋の書誌学(ワイズ出版、98年)」である。


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 三島由紀夫の初版本の蒐集にあたっては、「定本三島由紀夫書誌(薔薇十字社、昭和46年)」、城市郎「三島由紀夫の本(桃源社、昭和46年)」、安藤武「三島由紀夫『目録』(未知谷、96年)」および大場啓志「三島由紀夫 古本屋の書誌学(ワイズ出版、98年)」が有名とされる。

 この「三島由紀夫 古本屋の書誌学」が述べていることは、「あらゆる文化は、個々のこだわりと情熱から生まれた」(著者)ということである。男の趣味にはこだわりと情熱が必須なのである。そのことがせつせつと伝わる名著である。

 今回驚いたのは、この「三島由紀夫 古本屋の書誌学」が帯付きでわずか500円。一時期は結構高かった本なので購入をためらっていたが、三島も値がつかなくなったのか、それでも中身は三島の情報満載で迷わず購入する。

 例えば、おいらは三島のサイン本(「橋づくし」)を持っているが、この本には函があり、その函の色は青である。

 ところが五版でなぜかその箱が赤色に変わるのである(赤版は五版であっても希少なので高価)。

 普通は版が変わっても色など変えない。ところが三島は版を変えるときに装丁を変えることがあったと披露している。う~む。これなどは三島の心の中に立ち入らなければ分からない話しである。

 著者の大場啓志(ひろゆき)氏は、昭和21年生まれで宮城県出身。三島由紀夫などの初版本中心の古書店「龍生書林」店主。この本の中での三島初版本との出会いを始めとするエピソードは面白いものばかりである。

 ネットで調べてみると、現在は無店舗でネット販売のみのようだ。惜しい。この古書店に遊びに行ってみたかった。物事を極めるという喜びを知った人は幸せである。おいらなどは遠く及ばない(この項続く)。


渋谷大古本市でのこと(中篇その1)

 昨日、このブログの到達者がのべ150万人を超えたので、急遽「おいらの秘蔵コーナー」にしようかと思ったが、古本の魅力はまた格別なので引き続き「渋谷大古本市でのこと」とする。


 さて、二冊目は、ご存知、丸尾長顕である。


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 ご存知、と書いたが、今では知る人もいなくなった。寂しい限りである。

 丸尾長顕は、阪急創始者である小林一三の弟子である。

 小林一三(阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝をはじめとする阪急東宝グループの創業者。号は逸翁)はおいらが大好きな経営者であり、同時に粋人でもある。

 東宝の社長でもあった小林一三が宝塚歌劇団文芸部長であった丸尾の才能を見込んで日劇ミュージックホールのプロデューサーに抜擢するのである(丸尾は関西学院高等商業学校卒。宝塚少女歌劇団文芸部に所属し、同歌劇団機関誌「歌劇」の編集長も務めた。昭和3年に小説「芦屋夫人」が週刊朝日の懸賞に当選、作家と舞台演出家をともに行う。)。

「女性が見ても上品なエロチズムの探求」という哲学で日劇ミュージックホールのプロデューサーとなった丸尾はメリー松原、伊吹マリ、ジプシー・ローズ、春川ますみ等の洗練されたヌードショーを披露、また、ボードビリアンのトニー谷、関敬六、E・H・エリックらを発掘するなど同ホールの黄金時代(昭和27年から昭和33年頃)を築き上げるのである。

 だから、おいらの丸尾のイメージは森繁久彌とならんでエロおじさんのイメージが強い。実際、5人の女性と結婚した艶福家で、自称「年齢廃止連盟」会長の万年青年でもあった。

 その丸尾の「芦屋夫人」である。昭和3年の時世だから即発禁処分となったいわくつきの小説である。

 その小林一三が書いた序文(抄)が次のとおり。

「丸尾君は天才的であるから阪急のやうな事務的の仕事には不向きと思ふ人もあるかもしれないが、仕事にかゝると、昼夜兼行で頗るビジネス・ライクで、それならば僕のやうに事務家として実際的に終始する事が出来るかといふと、餘に血と、熱と、涙とが多すぎて感情的になって時々ぶちこはしがあるから、冷静に首尾一貫して泰然たることは出来ない。

 一言にして評すれば可愛い才人であり、愛すべき文士である(以下略)」

 こりゃ、読まない訳にはいかないわなぁ。

 それに、当時の伏字は全て注釈付きである。迷わず買ってしまった(この項続く)。


渋谷大古本市でのこと(中篇その2)

 エロおじさんは、しかし、人生の達人でもある。


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 随分昔だが、塩野七生「男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章(1989年・文藝春秋)」を読んでいたら、突然、丸尾長顕の話しが出てきたので驚いたことがある。

 第一章「頭の良い男について」の冒頭である。

「むかし、と言っても30年足らずしか昔でない頃の話だが、丸尾長顕という名の粋人がいた。

 当時、この人はストリップ・ショウが売りものの日劇ミュージック・ホールの親分かなにかをやっており、そのためか女に関しては専門家と思われていて、日劇ミュージック・ホールなどには行ったことのない、つまり典型的な東京山の手育ちの娘であった私でさえ、その人の名は知っていた。

 その彼がある時、「文藝春秋」の随筆欄に寄せた一文が、奇妙にも、いまだに私の頭の中から離れない。それは、要約すると次のようなものだった。

『女は結局のところ、頭の良いのが最高だ』」

 これは凄いよねぇ。

 要するに丸尾は女のバカはいらないと云いながら、実は男のバカもいらないと云っているのだ。

 無論、丸尾の持論には女のバカほど可愛いものはいないという逆説も含まれているはずだが、頭の良い丸尾にとって頭の良い女ほど魅力にあふれていると思ったことも間違いないだろう。

 だけど、この言葉の持つ重さはすごいよ。試験で成績の良い男は五万といる。いや、試験で成績の良い女はもっといるだろう(筆記試験で良い成績を残すのは男よりも女だろう)。

 しかし、試験で成績の良いのと頭の良いとは似て非なるものである。小利口の男と女はあかんわ。自分の座標軸がない。あっちを観てホイ、こっちを観てホイ。それを近代では合理主義と呼び、少し前までは拝金主義と呼んだ。薄っぺらである。時流に乗っているだけで、使い勝手の良い使用人(サラリーマン)にしか過ぎない。結局、頭が悪いのと同義である。

 それに対し、このシリーズの初回に書いた「こだわりと情熱」がある人は頭が良い。座標軸が変わらないから周りに左右されない。いや、周りを巻き込んでしまう。仕事だけでなく、人間関係でもいつしか主役になる。そういう男(女)においらは惚れる。

 丸尾長顕、只者ではないよなぁ(この項続く)。


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