さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

柚木惇の秘蔵コレクション2

ラヂオ/子供の科学

小さい頃からラヂオが好きであった。昔の少年は、皆そうであったような気がする。

 昭和34年(おいらが小学校3年生であった。この年は皇太子(当時)がご成婚の年である)のとき、我が家にテレビがやって来た。
それまでは、家庭での娯楽と言えばラヂオしかなかった。相撲やラヂオ・ドラマの「赤胴鈴之介」(余談だが、吉永小百合はこのドラマでデビューしていたと思う)に熱中していたのである。そういう時代を背景にし、誠文堂新光社発行の「子供の科学」という雑誌があったのだ。

 小学校5年生のころからこの本の虜になり、ゲルマニウム・ラヂオ(当時は鉱石ラヂオとも言った)を作ることを覚えた。最初にイヤホンからラヂオの音が聞えたときの感動は革命的で、今でも忘れられない♪

当初は、簡単な構造のゲルマニウム・ラヂオを作って遊んでいたのだが、遂にはいろんな本を買い漁って自分でラヂオの設計図まで作るようになった。その自分が作った設計図が上手くワークするかどうか、ラヂオの本の著者(大学の先生)に広島県の福山市に住んでいた中学生(当時のおいらのこと)が手紙を書いたところ、大丈夫ですよと返事が来てうれしかったことも昨日のようである。
今から考えると、中学生が出した質問に大学の先生がよくぞ返事を返してくれたと思う(汗)。でも、あのときの返事があったからこそ、おいらはラヂオ少年になったのだ。先生、ありがとう。

 そういうことだから、高校生では真空管式ラヂオ作りに熱中した。しかし、冷めるのもまた早い。大学受験になってからは、専らラヂオの深夜放送(オールナイト・ニッポンだし、走れ歌謡曲であった)の聞き役となり、大学からはほとんど無縁となった。

その後、現在に至っているが、それでもラヂオを見ると、やはり血が騒ぐ。写真はおいらの持っている携帯ラヂオの一部(全部で20台位持っている)だが、「大人の科学」がラヂオの特集を組み、本格式大型「ゲルマニウム・ラヂオ・キット」を付録にしたときは(学習研究社、04年6月発売)、狂喜乱舞した。


ラヂオ


 もったいなくて、この付録はまだ作っていないが、時間が出来たら再びゲルマニウム・ラヂオを作ってあの懐かしき良き時代に帰ってみたいと愉しみにしているのだ。



祝アクセス数、85,000突破

 昨日12月15日(月)、謎の不良中年のブログアクセス数が85,000を突破しました。栄えある85,000達成者は、「***.infoweb.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 85,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


さあさあお立ち会い


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、寺山修司の「さあさあお立ち会い 天井桟敷紙上公演」(徳間書店、昭和43年初版)をお披露目します。

 今年は、寺山修司の没後四半世紀でした。

 彼が亡くなって25年経った今でも影響力を持っている理由は、寺山がカリスマであったからでもありますが、彼が影響を与えた世代が主として団塊の世代であったということも関係あるのでしょう。おいらの理論に従えば、団塊の世代はカリスマに弱いのです。団塊の世代とはそういう風に育ったのです。

 さて、写真をご覧ください。怪優奇優朱儒巨人美少女が伝説の天井桟敷で立ち回ります。この本には

 大山デブ子の犯罪
 毛皮のマリー
 青森県のせむし男
 花札伝奇

 の脚本と辰巳四郎のイラスト(装丁は粟津潔)で満載されています。めくるめく様な世界が展開する寺山ワールド。


 次回は、86,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2008年12月16日(火)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、87,000突破

 1月3日(土)、謎の不良中年のブログアクセス数が87,000を突破しました。

 87,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


寺山修司LP


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「サントラ盤 書を捨てよ町へ出よう」(LPステレオ盤、ビクター製、2002年復刻版)をお披露目します。

 幻のLP盤です。オリジナル盤は1973年の製作だと思われます(ATG映画「書を捨てよ町へ出よう」は71年封切)。このオリジナル盤は(復刻盤があるにも拘らず)神田神保町では手の届かない値段になっています。

 CDでも復刻されていますが、やはりジャケットの大きさではLPに敵わないでしょう。一説によると、この復刻LPは100枚しかプレスされていないと云われており、貴重なものには違いないと思います。

 さて、おいらは何故寺山修司にこだわるのか。

 それは、団塊の世代の誰もが、一度は寺山に魅了されたからです。そして未だに寺山はおいら達の胸の中に生きているからです。

 彼は他のサブカルチャーと異なり、時代を突き抜けた存在でした。

 おいらにとっても寺山は未だに教祖的な存在であり、彼を乗り越えて初めて未来に自由になれる様な気がするのです。

 さらに、彼が亡くなって今年で26年目になるのに、未だに彼を超える才能が世に出ないというのは、団塊の世代とその次の世代は何をして来たのでしょうか(強いて云えば、今も走り続けている横尾忠則でしょうかねぇ)。

 この気持ち、分かるかなぁ~(分かんねぇだろぅなぁ~。このギャグだって、分かんねぇだろぅなぁ~)。

 次回は、88,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年1月6日(火)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、88,000突破

 昨、1月13日(火)、謎の不良中年のブログアクセス数が88,000を突破しました。

 88,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


足音


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「ラジオ・ドラマ集 跫音(あしおと)」(内村直也著、世界文学社、昭和24年初版)をお披露目します。

 皆、内村直也を知らねぇだろうなぁ。

 昭和23年12月にNHKラジオで放送された名作「跫音」の脚本を書いたのが、内村直也なのです。岸田国士の弟子であり、戦後新劇界の重鎮でもあります。

 実は、おいらも内村直也を知りませんでした。この書籍、おいらの敬愛するM氏からご寄贈いただいたものです。

 そのM氏は語ります。

「60年ほど前にラジオで聞いて感激したことを思い出し最近、ネットで探し手に入れた本です。ラジオドラマは活字にならない(活字にすると面白くない)といわれますが、名作の一端を知るのに役に立つかもしれない、と勝手に考えています」

 で、早速、読ませていただきました。

 これがすこぶる面白い。

 話しは、出征した息子の帰還を待つ母の、終戦直後の物語です。

 ラジオドラマは音で想像力を掻き立てるものでなければ、面白くありません。このドラマは、息子の足音を待ち侘びる母同様に、聴いているおいら自身までもが足音に耳を澄ましているということに気付くのです。

 感情移入しているので、最後のシーンには感動してしまいました。

 名作は色褪せない。


 次回は、89,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年1月14日(水)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、88,888突破

 昨、1月22日(木)、謎の不良中年のブログアクセス数が88,888を突破しました。栄えある88,888達成者は、「***.infoweb.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 88,888突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


ピーター・オトゥール


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「ピーター・オトゥール」(英国製ポストカード)をお披露目します。

 云わずと知れた「アラビアのロレンス(Lawrence of Arabia、1962年、コロンビアピクチャー)」の主人公オリビエです。

 この映画は「おいらの洋画 勝手にベスト10」第1位です。

 この映画の特に後半、オリビエの眼が狂気に染まっていく下りというのは、まさに圧巻でしたなぁ。人間は内面から崩れていくのです。

 おいらの旧友であるN君が学生時代からこの映画を繰り返し絶賛していたのですが、迂闊にもその都度聞き流していました。

 しかし、約20年前、おいらが最初にギックリ腰となり、本さえ読めず一日中自宅で横にならざるを得ない状態になったときのことです。

 録画していたビデオを片っ端から観た映画の中に、このアラビアのロレンスが入っていたのです。この映画には、いたく感激し、これなら腰痛も許せると思ったのをはっきりと覚えています。

 今から約50年前の映画です。しかし、CGなど一切使わず、西洋の黒澤明であるデビッド・リーンによって、この映画の砂漠での戦闘シーンは完璧な仕上がりになっているのです。もう二度と撮れない映画でしょうねぇ。

 蛇足ながら、DVD(テレビ東京吹替版)でのピーター・オトゥールの声は(物真似の得意な)あの山寺宏一です。また、このピーター・オトゥールは、加藤剛によく似ていますなぁ。


 次回は、節目となる90,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年1月23日(金)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、90,000突破

 昨、2月1日(日)、謎の不良中年のブログアクセス数が節目である90,000を突破しました。栄えある90,000達成者は、「61.247.*.*」さんでした。ありがとうございます。

 90,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


新宿泥棒日記A


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「新宿泥棒日記」(1968年、横尾忠則ポスター)をお披露目します。

 大島渚監督、「帰ってきたヨッパライ(田村孟・佐々木守・足立正生・大島渚)」脚本、横尾忠則主演、ATG製作配給(上映は1969年)の前衛的な映画です。

 おいらは残念ながら、この映画をリアルタイムで観ていません。

 観たのは随分遅く、今から約10年前のニューヨーク滞在中にジャパン・ソサイアティ(47丁目だったと思います)で観ました。ストーリーは出鱈目なのですが、次に何が起こるかが分からないという奇想天外の面白さでありました。若いときに観ていたら、間違いなく感化されていたのでしょうが、作品自体は失敗作だと思います。

 さて、このポスターは、そのニューヨークから異動で帰国後まもなく京王百貨店の古書市で見付けたものです。当時で既に30年以上前のポスターであったことや、好きな横尾の作品でしたし、美品であったので即座に購入しました。現在では入手がなかなか困難になっています。

 ところで、このポスターの謎は、上部左側、高橋鐡氏と右側の墨塗りの部分にチラシ(例えば映画上映用)が貼ってあることが多いということです。三島由紀夫から寺山修司、横尾忠則、荒木経惟などを手広く扱っている神田神保町のK書店店主にその理由をお伺いしたところ、「春画を意識して、わざとその部分にチラシを貼っていたのではないか」とのことでした。

 しかし、このポスターでは、当該部分は墨塗り(印刷)となっています。

 そこで、「横尾忠則グラフィック大全」(1989年、講談社)を調べてみますと、墨塗りなしのものが掲載されています(写真下)。


新宿泥棒日記B


 観ると分かりますが、当該部分は決して「わ印」(猥褻図画)ではありません。

 そうすると、この墨塗りポスターは何なのでしょうか。ひょっとしたら、当時のお上を意識して、敢えて墨塗りしたポスターを増刷した?(野坂昭如の「四畳半襖の下張」事件もこの数年後)。それとも、希少品?

 そうであれば、記録が残っていてもおかしくはないのですが、理由は未だに不明です。僅か40年前のことでもミステリーになるのです。誰かご存知の方がいらっしゃれば、是非ともご教示ください。


 次回は、91,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年2月2日(月)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、92,000突破

 昨日の22日(日)、謎の不良中年のブログアクセス数が92,000を突破しました。栄えある92,000達成者は、「***.dion.ne.jp 」さんでした。ありがとうございます。

 92,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


秋山巌


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「秋山巌『くろかみのの長さを汐風にまかし 山頭火』」(91年)をお披露目します。

 広島「アカデミア書房」の帳場(会計)の上に展示してあった直筆の色紙です。

 広島帰省時、この書店に寄る度に良い絵だなぁと思っていたのですが、ある日、アカデミア書房を覘くと、この絵がなくなっているではありませんか。

「しまった、誰かに買われたか」

と、店主に尋ねると、模様替えで展示を止めたとのこと。店主にお願いすると、再び奥からこの絵が出て来たのです。おいらは「これも因縁」と思い、エイッヤァ!でこの色紙を求めたものです。

 何ともほのかな情緒があって、様子がよろしい。

 作者の秋山巌(88歳)は棟方志功を師と仰ぐ、大分県竹田市出身の版画家です。特に種田山頭火の自由俳句をテーマにした木版の評価は高く、味のある作品ばかりです。

 肉筆で、秋山氏の筆使いが伝わって来る優雅な一品ですなぁ。おいらはこの絵を書斎の手許において、毎日眺めています。


 次回は、93,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年2月23日(月)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、93,000突破

 昨日の3月2日(月)、謎の不良中年のブログアクセス数が93,000を突破しました。栄えある93,000達成者は、「222.146.*.*」さんでした。ありがとうございます。

 93,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


宝塚歌劇団


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「『宝塚スターブロマイド』」(戦前)をお披露目します。

 宝塚歌劇団は大正2年(1913年)に発足し、永い歴史を誇っているのです。

 この写真には写っていませんが、表面の左下にTAKARAZUKAのエンボス表示があります。また、裏面には「きがは便郵」と印刷されており、右側からの日本語表記になっています。

 現在の葉書より一回り小さく、昔のハガキが小さかったことを思い出しました。

 さて、このブロマイドは、今年のボロ市の絵葉書コーナーで見付けたものです。特に稀少品ではなく、スターの名前も表示されていませんが、右上にピン穴があり、嘗てはどこかで飾られていたのでしょう。

 しかし、こういうセピア色の昔の写真や絵葉書にはノスタルジアがありますなぁ。レトロさが何とも云えず、風流さを醸し出しています。


 次回は、94,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年3月3日(火)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、94,000突破

 昨日の3月9日(月)、謎の不良中年のブログアクセス数が94,000を突破しました。栄えある94,000達成者は、「*.so-net.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 94,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


オールナイトニッポン


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「LP2枚組『オールナイトニッポン海賊放送局/ビバ栗毛』」(キャニオンレコード、1971年)をお披露目します。

 深夜放送の代名詞である、オールナイトニッポン(ニッポン放送)の貴重なLPです。

 調べてみると、おいらが高校2年のとき(67年)にオールナイトニッポンが始まっています。おいらは受験時代、広島の片田舎にいましたが、夜になると東京のキー局のラジオ放送が受信出来たのです。

 深夜まで勉強していたときの楽しみは、ラジオでしたなぁ。

 遅い時間だと「走れ歌謡曲」(文化放送)が楽しみだったなぁ。深夜の長距離トラックの運ちゃんをターゲットにしていたので、日野自動車がスポンサーだったなぁ。

 おっと、オールナイトニッポンの話題でありました。 

 深夜放送のDJと云えば、糸居ゴローが定番でした。「GO!GO!GO!イトイゴロー!」でしたなぁ。


糸居ゴロー


 このLPジャケットには小冊子の付録がついており、オールナイトニッポンのパーソナリティーの写真が掲載されているのです。その糸居ゴロー氏も今や鬼籍に(写真上)。

 現在のニッポン放送社長も当時は亀ちゃんだったのです(写真下)。


カメ


 さて、このLPは先日神保町の路地裏にある仮店舗のようなレコード店をブラリと覗いたら、段ボール箱の中に無造作に入っていたものです。値付けは間違いだと思われるほど安く、思わず購入したものです。

 まだ、中を聴いていないのですが、オールナイトニッポンのアナウンサーが2台の車で日本を縦断した模様であり、落書きだらけの60年代の名車がジャケットの裏を飾っています。


日本縦断


 今度、ゆっくりと針を降ろしたいと思っています。楽しみだなぁ、ワクワク!


 次回は、95,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年3月10日(火)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


 祝アクセス数、95,000突破および明日から広島帰省によるブログの書き込みお休み


 昨日の3月17日(火)、謎の不良中年のブログアクセス数が節目となる95,000を突破しました。栄えある95,000達成者は、「*.hi-ho.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 95,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


Man on the moon 1


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、秘蔵レコード「『MAN ON THE MOON』人類ついに月に立つ」(フィリップス・レコード、EP盤、1969年、非売品)をお披露目します。

 1969年7月21日にアポロ11号が月面に到着し、人類が初めて月に立つことになりました。

 おいらはこのとき、大学1年生の夏休みで、当時京都で浪人をしていた親友を訪ねており、彼の下宿でこの映像を見入っていたことをよく覚えています。興奮したものです。

 凄いですょ、今から40年も前に人類が月に到着していたのですから。


Man on the moon 2


 このレコードは、アームストロング船長の月面到着第一声を中心に編集してあるものです。勿論、おいらの好きなケネディ大統領の声も収録してあります。入手先は神田神保町♪

 しかし、素朴な疑問。

 あれから40年も経過しているのに、何故、その後の数回の月面着陸後(1972年が最後)、誰も月に行っていないのでしょうか。

 副島隆彦氏の持論(「人類の月面着陸は無かったろう論」徳間書店、2004年)を持ち出すまでもなく、月面着陸や月の石には謎の多いことが事実のようです(あの大槻教授も月の石には地球上の成分しかなかったことを認めています)。

 証明するというのは、やはり難しいのです。

 月に行ったことを証明する方法は、証拠となる月の石を提出し、それが地球上の成分と全く異なることを立証することです。しかし、それが地球の石と全く変わらないのであれば、証明したことになりません。

 米国が素晴らしいことは、年数が経てば全ての事実を公開することです。ケネディ暗殺の真相や宇宙人が存在していたのかもいずれ判明するでしょう。月面着陸の事実が壮大な国家機密であったとすれば、これも時間の問題でしょう。

 しかし、もし、騙されていたとするならば、「騙し続けて欲しい」ものですなぁ。おいらの青春の一頁なのですから。


 次回は、96,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 なお、本日から、母の介護のため、次の日曜日までの予定で広島に帰省します。そのため、ブログの書き込みを明日から一時的にお休みにします。

 来週月曜日から再開する予定ですので、皆様よろしゅうに。


 2009年3月18日(水)


 謎の不良中年 柚木 惇 記

祝アクセス数、96,000突破

 本日、謎の不良中年のブログアクセス数が96,000を突破しました。栄えある96,000達成者は、「*.parkcity.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 96,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


川柳かるた1


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、秘蔵かるた「川柳『浮世絵かるた』」(第一商事株式会社。製造年不明、60年代頃か)をお披露目します。

 読み札として「俳諧末摘花」の名句を選び、取り札は春信、歌麿など巨匠の浮世絵としている珍品です。

 こういう掘り出し物が神田神保町の和本古書店の軒先に無造作に置いてあるのです。

 おいらが「松雲堂書店」(創業明治33年)のワゴンセールで、この歌留多を手に取って眺めていると、偶々店主が外に出て来て、和本談義に花が咲き、ついつい購入してしまいました。

 この店主、お若いのに、只者ではありませぬ。

 和本の魅力をさりげなくおいらに教示してくれました。すなわち和本の素晴らしい点は、江戸時代に実際に庶民が使っていた書物がそのままの形で現残していることだというのです。

 例えば、寺子屋で使われていた漢詩や漢文などの教科書には、当時の子供の落書きやイタズラ書きが、まるで昨日書いたようにそのまま残されているのです。

 趣があるのぅ。

 さて、この歌留多は印刷ではありますが、風流さを残しています。恐らく外人への土産用として創ったのでしょう、英訳も掲載されています。付録として、川柳の解説も付いています。

 しかも、知る人ぞ知る「俳諧末摘花」でありまする。江戸時代の庶民のお色気を満載した川柳です。面白くない訳がありません。


川柳かるた2


 写真は、落語の「長命」をもじった

「医者さんに わたしが毒と いわれやす」。

 “Doctor told me
   I’m poison to you,”
  Remonstrates the wife
   Her persistent hubby.

(解説:夫は少し病気が良くなると、直ぐに近寄って来るので…)

 しかし、江戸時代から「医者」という言葉を使っていたのですねぇ。


 次回は、97,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年3月26日(木)


 謎の不良中年 柚木 惇 記



祝アクセス数、97,000突破

 一昨日、謎の不良中年のブログアクセス数が97,000を突破しました。栄えある97,000達成者は、「*.home.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 97,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


サザン秘宝館


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「サザンオールスターズ秘宝館スペシャル『ステッカー、おみくじ付き』」(2003年)をお披露目します。

 これは神田神保町の古書店「@ワンダー」(アットワンダーと読みます。映画ポスターやミステリー、SF、サブカルチャー専門店。退屈しない店です)で廉価で入手しました。

 今はバンド活動を無期限に休止しているサザンオールスターズのお宝展示会を2003年12月23日から翌年1月5日までプランタン銀座で開催したときのチラシです。

 入場券を購入すると非売品のステッカーが付いてくるとあり、そのステッカーとエリーのビーナス(おみくじ)付きです。

 秘宝館と云えば熱海や温泉街の怪しい館(やかた)です。

 サザンのことですから、さぞや怪しい秘宝かと思ったのですが、どうやらグループの貴重な過去の資料など(お宝)のようです。

 それでも天下のサザンです。捨てたものではありませぬ。


 次回は、98,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年4月4日(土)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、99,000突破

 4月21日(火)、謎の不良中年のブログアクセス数が99,000を突破しました。栄えある99,000達成者は、「*.cts.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 99,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


伴淳三郎


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「『伴 淳三郎』スチール写真」(昭和40年代頃)をお披露目します。

 云わずと知れた「伴淳」です。しかし、今や伴淳を知っている人っていなくなっているんでしょうなぁ。

 山形県米沢市出身です。「ズーズー弁」が良かったなぁ。父は南画家。南画を知っている人も今やいないんでしょうなぁ。

 興味のある人はwikipediaで調べて貰えれば良いのですが、とぼけた味の喜劇役者としては第一人者でした。

「アジャ・パー」という、一世を風靡したナンセンスギャグは良かったですなぁ。おいらは同時代に生きて、このアジャパーを知っていることをある意味で誇りに思います。

 なお、この「アジャ・パー」はもともと「アジャジャーにしてパーでございます」を縮めたものだと云われています。

 日本人は何でも縮めるのです。アジャ・パー。

 しかし、一流の喜劇役者は、皆晩年しぶい性格俳優になるんですなぁ。藤田誠、伊藤四郎、いかりや長介、皆そうです。

 映画「飢餓海峡」で伴淳が演じた、犯人逮捕へ執念を燃やす老刑事役は絶品でした。

 なお、wikipediaによれば、若き日の渥美清をイビリまくったというのも興味深いものです。伴淳も考えるところがあったんでしょう。


 次回は、いよいよ記念すべき「100,000ヒット」です。皆様、これからも宜しくご指導のほどお願い申し上げます。


(番外)
 草なぎ容疑者の事件ですが、あれって、NHKのトップで取り上げるべきニュースでしょうか。背後に何か裏がある?


 2009年4月24日(金)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、100,000の大台突破

 昨4月29日(水)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき100,000の大台を突破しました。ありがとうございます。

 100,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


G13


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「ゴルゴ13特別複製原画『LANDING』」(さいとうたかを氏直筆サイン入り、シリアルナンバー12/130、額装)をお披露目します。

 今から6年前の平成15年に、ゴルゴ13が「ビッグコミック本誌」掲載35周年、さいとうたかを氏の画業が50周年となりました。

 それを記念して小学館が株式会社凸版印刷の最新鋭印刷技術(プリマグラフィ)を使って、原画とほぼ同じに仕上げた「ゴルゴ13」を限定頒布(ゴルゴ13に因んで、130部限定)したものです(03年7月)。

 マット外寸は605×455と大きめの額入りで、迫力満点です。

 さて、何故おいらがゴルゴ13を好きなのでしょうか。

 それは仕事のプロだからです。

 完全主義者であるプロは、得てして部分部分は正しいのですが、そのことによって、全体に矛盾が生じてしまう場合があります。いわゆる合成の誤謬です。ま、分かりやすく云えば、プロほど専門バカに陥りやすいということですよね。

 しかし、ゴルゴ13はそのような過ちを犯すことはなく、狙った獲物は決してはずさない。

 不可能を可能にするのではなく、可能を間違いなく可能にするのです。

 おいらもかくありたいものです。


 今後も更なる飛躍を目指して精進いたしますので、皆様、これからもご指導のほど宜しくお願い申し上げます。


 2009年4月30日(木)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、102,000突破

 昨日、謎の不良中年のブログアクセス数が102,000を突破しました。ありがとうございます。

 102,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


伊丹十三


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「伊丹十三、山崎務『お葬式』記者会見の生写真」(84年)をお披露目します。


山崎務


 云わずと知れた伊丹十三の初監督作品です。

 この写真は神保町の「@ワンダー」(映画関係やサブカル、それにミステリー中心の古書専門店)で廉価で購入したものです。

 昔も映画公開時には、こういう記者会見をしていたのですなぁ。

 それにしても伊丹十三が若い。伊丹十三監督の死因については、このブログでも述べていますので(「年寄りは二種類(マルタイの女)」)、再びは取り上げませんが、惜しい監督を亡くしたものです。


 次回は、103,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年5月16日(土)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、103,000突破

 本日、謎の不良中年のブログアクセス数が103,000を突破しました。

 103,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


野良犬


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「大映映画『野良犬』田宮二郎、成田三樹夫スチール写真」(昭和41年)をお披露目します。

 田宮二郎に成田三樹夫ですぞ。

 もうそれだけでムネワク状態になりますなぁ。

 それにしても、二人とも惜しい人を亡くしたものです。特に成田三樹夫は惜しい。あれだけの役者はもう出てこないでしょう。今でも覚えているのは、「柳生一族の陰謀」でのめちゃくちゃ強い貴族役でしたなぁ。あの怪演はもはや伝説です。

 ところで、この「野良犬」はシリーズもので10作品が作られ、この映画は7作目。「犬シリーズ」として人気を博しました。

 何せ、コピーが凄い。

「野良犬 一発目は挨拶代わりだ! 二発目はどてっ腹に噛みつくぜ! 派手にやらかす地獄送りのドッキング射ち! 大人気の【犬】シリーズ、第七弾

 田宮二郎が久しぶりに拳銃(ハジキ)の名手・鴨井大介に扮して、無類の早射ちと美人相手にトッポイ魅力を発揮する大映得意の娯楽大作! すっかりおなじみになった田宮二郎の痛快極まりないガンさばきは、ますます脂がのり、今回もまた新手の早射ち“ドッキング・ショット”の神技を世界の都・東京を舞台に颯爽とご披露する!」

 うわ~。もうこれだけで映画館に行かなっくちゃ!!

 しかも、しょぼくれ刑事役に天地茂! こりゃ、たまりませんなぁ。


 次回は、104,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年5月23日(土)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、145,000突破

 2月26日(金)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき145,000を突破しました。栄えある145,000達成者は、「*.plala.or.jp」さんでした。ありがとうございます。

 145,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


ミイ


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「『ミイ(アニメーション・セル原画)』(90年ごろ)」をお披露目します。


 ご存じ、ムーミン谷のミイ(別名「ちびのミイ」)です。

 ムーミン(トーベ・ヤンソン原作)の中身は、実は哲学なのです。だから、不思議な魅力に溢れた物語だったのです。

 さて、このミイはWikipediaによれば、

「ミムラ夫人の末娘。スナフキンとは異父兄弟。一番小さいという意味を持った名前。ムーミン一家の養女。はっきりした性格で元気があって、すばしっこく、好奇心旺盛。はっきり言うし、おセンチなことは大嫌い。ホントはやさしい気持ちをもつ彼女の裏返しの表現かも。あの髪型はミムラの特有の髪型でミムラ型といわれている」
とあります。

 ま、性格はひと言で云えば、ハードボイルドでしょう。おいらの好きなキャラでした。

 実は、このセル原画はおいらのお気に入りで、20年前に神田神保町の中野書店(だったと思う)でゲットしたものです。

 額装して、縁あるお方にご寄贈させていただいたのですが、この度、故あって20年振りにおいらの許に戻って来たものです。

 こりゃ、嬉しいわ。

 20年振りのミイの表情がたまりませんなぁ。


 次回は、150,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2010年3月1日(月)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


本日と明日はお休み

 本日と明日は休日につき、お休みです。


アゲハ蝶


 写真は、広島で見付けたアゲハ蝶。

 こういうのはシャッターチャンスが難しい。


 それでは、皆様よろしゅうに。


平成22年6月19日(土)


 謎の不良中年 柚木惇 記す


祝アクセス数、166,666突破

 謎の不良中年のブログもいよいよ170,000アクセス目前となりましたが、先月27日(日)のアクセス数が記念すべき166,666となりました。


166666


 166,666突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


フィッシュ・オン1


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「『フィッシュ・オン』開高健(新潮文庫)」をお披露目します。

 何の変哲もない本ですが、神保町某古書店のワゴンセールで入手した一冊百円の文庫本です。おいらは開高健が嫌いではありません。

 ところが、手に取ってみると、奥付の頁で「ん? 何じゃ、こりゃ」です。


フィッシュ・オン2


フィッシュ・オン3


 ひょっとしたら、この本の出所は「隔離された場所」? 「呼称番号」なんて、あまり聞かないですもんねぇ。

 そうだとすると、この本を閲覧した木村さんとはどういう人だったのでしょう。どういう気持ちでこの本を読んでいたのでしょう。

 趣を感じます。

 ところで、そもそもこの本は一体どうやって娑婆に出回ったんでしょう。謎ですなぁ。


 次回は、170,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2010年7月14日(水)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、170,000突破

 7月16日(金)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき170,000を突破しました。

 170,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。

 今回は博多への出張中、170,000の大台を超えた訳ですが、おいらの学生時代からの旧友Nさんよりのメールでその事実を知ることが出来ました。

 何と、Nさんが170,000丁度にヒットしたのだそうです。パンパカパ~ン! おめでとうございます。

 しかし、学生時代からの友というものは、良いもんですなぁ。一生の友です。

 社会人になってからの友人というものは、どうしても仕事が絡んだり、上下関係があったりして、無意識の内にそれを考えてしまうのです。だから、真の意味での友人にはなりにくいのです(そうは云っても、同期に親友がいますが…)。

 そういう観点から、学生時代からの、忌憚のない意見を交わせる友人というのは、大変貴重です。

 特にこのNさんとは酒を飲むのが毎回楽しみです。二人で飲むと、酔うごとに天下国家を論じ、人生を論じ、日本プロ野球界を論じ、いつの間にか店の酒がなくなってしまうほどです(そうでもないか)。

 そのNさんはロンドン駐在が長く、おいらがロンドンに出張したときでも大変お世話になりました。

 実は、おいらの上司でもあった、「全国オムライス愛好家連合会(全オム連)」会長のMさん(日本カレー党党首でもあります。パラノイア系の達人。「人生の達人その3」参照)も当時ロンドン駐在であり、MさんとNさんとがご近所であったという関係から偶然お二人が面識となっていたのです。世の中は誠に狭いものであります。

 さて、170,000突破のお礼です。

 おいらの秘蔵コレクションから、「『裸婦』池田満寿夫リトグラフ(本人サイン入り。エディション・ナンバー192/250)」をお披露目しましょう。


池田満寿夫


 神田神保町「小宮山書店」のバーゲンセールで購入した本物です。デッサンだけの裸婦(池田満寿夫の奥さま=佐藤陽子でしょうか)でありますが、池田満寿夫の雰囲気が良く出ている秀作だと思います。

 難点は、ちょっと書斎に飾りにくいところでしょうか。ま、飾っても良いか。


 次回は、175,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2010年7月20日(火)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、220,000突破

 3月3日(木)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき220,000を突破しました。栄えある220,000達成者は、「*.cty-net.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 220,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


リキテンシュタイン1


リキテンシュタイン2


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「Roy Lichtenstein Masterpieces(ロイ・リキテンシュタイン カレンダー2011年版、ドイツ製)」をお披露目します。

 云わずと知れたリキテンシュタインです。

 おいらは好きだなぁ~。紐育にいたときに、マンハッタンの某ビルロビーにリキテンシュタインの巨大なポスターが掲げてあったのを思い出します。

 このカレンダー、大判(48×64センチ)で各月の絵がそのままポスターになるというものです。また、特別付録として表紙絵の大判ポスターが添付されています。


 最後にこれも博水社のハイサワー・カレンダー。プレゼント応募で当選したものです。こういう洒落も良いよなぁ~。


ハイサワー


 次回は、230,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2011年3月10日(木)


謎の不良中年 柚木 惇 記


コロン人形

 国立新美術館で見つけた人形である。


コロン人形


 この人形を見た途端、おいらは釘付けになった。

 何故か。それは、おいらが昔、高校時代に創った木彫りの人形に似ていたからである。

 誰もこんな変わった人形を彫ろうとはしないだろう。だから、おいらも似たような人形が出来上がったときは周囲に大受けしたものである。

 それを思い出したのだ。まだ、その人形は実家のどこかにあるはずだ。

 立体のものを彫るというのはある種の快感である。ただの木切れが、彫っていくうちに形となって現れるからである。木彫りの地蔵を彫り続ける人がいると聞くが、それもむべなるかなである。

 さて、このコロン人形はアフリカ西海岸コートジボアールの作品である。

 コートジボアールがフランス領の植民地(コロニー)であったときのおみやげとして作成されているものだという。国立新美術館で過去にコロン人形の展示をしたことがあり、その関係で売店で頒布していたものをおいらが見つけたのである。

 何故か、(偶然だと思うが)今、このブログの右端のCMコーナーでもこのコロン人形の宣伝をしている。別に、その宣伝のお先棒を担いでいるわけではない。

 とにかく手に取ってみると良い。手に馴染む人形である。素朴なところがまた良い。

 おいらも歳を取ったら(もう取っている)、仏像を彫ってみるかのぅ。そう思わせる人形である。


祝アクセス数、260,000突破

 8月20日(土)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき260,000を突破しました。ありがとうございます。

 260,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


忍者ハットリくん


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「忍者ハットリくん人形(1985年ごろ)」をお披露目します。

 いわずと知れた忍者ハットリくんです。この人形、娘に買い与えていたものですが、何かの拍子に玩具箱の底に埋もれてしまい、6年前に横浜に引っ越ししたときに新品の状態で出てきたものです。残念なのは、箱がないことですが、それ以外は当時のままのオリジナルです。

 爾来、おいらが貰って机の上に飾っています。かわゆいのぅ。それ以上の説明は不要でせう。


 次回は、270,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2011年8月23日(火)


 謎の不良中年 柚木 惇 記




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