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最近では間遠になりましたが、もうそんなにたってしまったかと焦っていたりします。少しも精進しないな~と思いつつ。。でも、今日もまた、とりあえず、更新することを目標に、そんな目標でも、ないよりまし、と自分を励ましています。そこで、今回は今朝のNHK「週刊ニュース深読み」でとりあげられていた保育士の不足問題。毎年新しく入ってくる人はいても、2~3年でやめてしまう、だから保育士は毎年不足の状況が少しも改善しない、問題はどこにあるか?と言えば、一番は待遇が劣悪であること。特に賃金が安い。そして昇給がない、平均しても20万円そこそこでは、将来設計が成り立たない。そして長時間労働。これは他の職種の方々の長時間労働に連動せざるを得ない面もあり。一般の労働者の労働時間が長いから、その通勤時間を朝と帰りの両方足した時間がさらに必要な保育時間になり、どうしても保育士の労働時間は長くならざるを得ない。という状況であろうことは誰が見ても否定できない事実だろうと思います。一般の労働者の労働時間が長くなればなるほど、そのしわ寄せは保育士の労働時間を長くするし、働きにくいものにしている、のですね。労働条件の悪化はこの間ずう~っと続いてきているように思います。なにしろ、政策が働く人の方ではなく、働かせる人の方を向いているため、労働法制も働く人にどんどん厳しいように変えられてきました。それに対して働く側の団結のなさ・・長時間労働で得をするのは労働者ではありません。人を増やして短時間の労働者を雇うより、少ない人数で長時間働かせた方が会社は儲かります。働く側の声は政治に顧みられることなく、我慢を強いられています。全体の労働条件を改善して行かなくては、労働者の長時間労働がなくなるようでなくては、保育士の抜本的な待遇改善も覚束ないのでは?と思います。もちろん、税金をそこに重点的に振り向けるという政策がとられれば多少の改善には約立つかもしれませんが。あまり期待はできません。お国の政策により、株式会社の参入で保育施設を増やしたはいいが、営利事業では、税金は会社の儲けになってしまい、保育士には少ししか回らない、という現実もあるようで。ちゃんと子どものためになる税金の使い方をしてほしいし、長時間労働の禁止や、非正規労働者の労働条件改善、いや、本人が望まぬ非正規労働の禁止、賃金の大幅アップ、育休や介護休暇の取りやすい環境等、労働者が働きやすいような法整備をするべき。これでやっと、少し前の一億総中流?の幻想が生まれた頃に戻る位では?その位、この国の労働者は労働条件を切り下げられてきているように感じます。本来は儲けとは無縁の社会を望むところなのですが。
2015年12月19日
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女性達よ、立ち上がれ!と叫びたい思いになりました。最高裁の判断、夫婦同姓の強制が合憲なのですと。ちょっと期待した私がばかでした。何が「社会に定着」している、だ!!いろんなひずみが出てきたからこそ、その問題を解決しなくてはいけないのが裁判所の仕事でしょうが。そのひずみをただすために国会が重い腰をあげようとしない、からこそ、裁判所が尻をたたく必要があると思います。社会の奥深い所に差別ごころが潜んでいるのだな、と今回改めて感じました。例えば戸籍。筆頭者という言葉、必要なんでしょうか?何かこの欄に記入するのが不可欠な書類を書くとき自分は筆頭者の付属品なのか?と感じることがあります。家父長制の名残といえばそうなのですが、家というものを一つの単位としたとき、代表者を一人どうしても決めなくてはいけないのか?という疑問がついて回るのです。二人でいいじゃない、という場合も多いと思うのです。どうも、社会に定着している、という言葉、小学校から男子が先、という名簿で育ち、戸籍の筆頭者は父親というのが圧倒的多数派で、お嫁に行くという言葉が普通に語られ、何か女性が男性を“たてる”のが当たり前、のように育っていれば、しかも兄弟姉妹で―あ、姉妹兄弟で、ともあまり言われないですね―名字が違うということもあまり見かけなく育っている人が大半で、という状況ならば、“定着している”、はずでしょう。むしろ、“定着させている”、に過ぎません。それはいいことなのか?が問題なのでありまして。選択肢のない不自由な状況に人を押し込めていい、という理由に持ってくるのは厚かまし過ぎると思います。そして、再婚禁止期間の話ですが、これも女性をバカにするな、と言いたい。産まれてくる子どもの父親なんて、社会に決めてもらわなくていい、と思います。なんでお上からあなたはまだ結婚しちゃだめ、とか言われなくちゃいけないのか?いっちょまえじゃない、と言われてるみたいではないかしら。女性をいっちょまえ、と思っていないのが社会の深~いところにしっかり根をおろしている、と感じられてなりません。
2015年12月17日
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このことについて、今まであまり考えてこなかったな~と今回様々な報道に接して、改めて考えてみたくなりました。聞きかじりばかりで、どこでの誰の発言か定かではありませんが・・気になった点、それは夫婦別姓を認めるのに・賛成の立場の人 個人の尊重を蔑ろにしている。同姓の強制は違憲。・反対の立場の人 それを認めると社会の安定が崩れる。同姓の“強制”ということではない。合憲。大ざっぱ過ぎますが・・・何か、個人対国家の体?国家=社会の考えの人にしてみれば、個人が勝手気ままに夫婦それぞれ別々の姓を名乗るなど“もってのほか”となるのでしょう。家族としての一体感がなくなるとか、それが家族の崩壊になり社会の崩壊につながるなんてのはちょっと飛躍のし過ぎではないか?と思いますが。(子どもの姓をどうするのかという問題は残ります)。それよりもやはり、個人を尊重すると社会の安定性を欠く、という話。憲法は国の横暴=国家権力から国民=人を守るためのもの、とこの間の安保法案の際に学んだばかりの私としましては、憲法を守る=個人を尊重すると、国家が守れないと言ってるのは、あの時と同じ構図だな~と思えてきます。よほど人を個人として尊重するのがお嫌いな方々が社会の安定のためと称して、人の権利というものを認めたがらないし、また削れるものならなんとかして削りたいと考えておられる、ように思えます。そして、憲法はどちらを上と定めているかと言えば、当然、人の権利の方だと思います。しかし、もちろん、現実には公僕とは名ばかりで、世の選良たちは、それこそ憲法違反な選挙制度を味方につけ、国家権力を思いのまま牛耳って、人びとが望まぬ政治をいくらでもやれるようになっています。だからこそ、その権力を抑える憲法が私達一人一人にとって大事だなと改めて感じた次第です。でも、夫婦別姓は憲法だけが問題というわけではなく。あまり家制度とか、男女平等の問題とかと関係づけて来なかった我が身を反省しなくては、と思いました。自分自身は姓を変えるのに何の疑問もなく、というか、跡継ぎの心配はないし、生まれ育った名字が好きでなかったし、友達も言いにくそうだったし、という理由もあり、葛藤がないのは幸いだったと言えるかも知れません。現実には葛藤というような心の問題だけでは済まされない、不利益を被る可能性が多くの女性にあるわけですから、個人の問題として知らん顔していてはいけない、と思うようになりました。家制度はなくなったとはいえ、実際には夫婦同姓という形で根強く残っている、のですね。
2015年12月08日
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