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暮れも押し詰まってまいりました。何がどうということもないのですが、やはり何かにつけあわただしいですね。今年の夏始めたばかりのブログですが、アップしたら必ず覗いて下さる方も何人かおられ、ありがたいことです。来年の今頃もこのブログ続いているでしょうか。心もとないことこの上もありませんが、折角できたネット上のお友だちとも簡単に縁は切りたくありませんので、今まで通りゆっくりペースででもアップしていけたらと思います。今年はこれで失礼させていただくことになると思います。来年もどうかよろしくお願い申し上げます。今年最後の土鈴は橿原神宮の延寿の御神鈴です
2005年12月29日
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MDデッキがつぶれたので日本橋まで車で買いに行って来ました。MDは音が悪いだの、CDがパソコンで焼ける時代に何を今さらという声もありましょうが、時代の狭間でたくさん作ったMDを無駄にしないためにもデッキが要るのであります。通勤から解放されたのでウ○ークマンは使っていません。 それにしてもMDコンポは多種あるものの、専用デッキは数種類しかないのですね。いろんなテクニックを駆使してだいぶ値切っちゃいました。 帰り道、客寄せのために止めてあったクリスマス・バージョンのサイドカー付バイクがきれいだったので一枚パチリ。
2005年12月24日
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ご心配いただきました妻の容体、日増しに良くなっており、21日は久しぶりに車で出掛けました。足は大丈夫なんですが、右腕の自由がまだきかず、送りハンドルでこわごわ運転しておりました。 出掛けた先は尼崎。桂吉朝師匠の「お別れ会」に参列してまいりました。多くの方がブログで紹介しておられますので詳しくは書きませんが、返す返すも惜しい方を亡くしたものです。残念でなりません。 でも考えようによっては、一度も生の高座を拝めなかった方や、最後の高座を見て「追っかけ」しようと思った方もおられるはずですから、私のようにここ数年追っかけ状態だった者は幸運としか言いようがありません。ここだけの話ですが、昨年の春、師匠とは個人的に二人だけで喫茶店でお話をする機会を持つことができました。それもいい思い出です。 吉朝師匠には七人のお弟子さんがいて、それぞれに活躍されていますが、ますます芸を磨いて師匠に近づいてほしいものです。善光寺の土鈴
2005年12月22日
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長らく日記が滞っておりまして相済みませんでした。 今度はリウマチの妻が家の中の段差でけつまずき、どうやら肩を打撲し足をくじいた模様。一人で歩けない状態なので介護と食事の用意を担当しておりました。お医者さんに行くべきなんでしょうが階下まで降りることが出来ず、行けたとしても今度は腕が上がらず服が脱げない始末。とりあえず湿布で様子を見ています。 そんなこんなでバタバタしており、特にこれといったネタもなく、かと言って放ったらかしにしておくとどなたもお越しにならずそのまま忘れられてしまうのではとの不安から、消息だけお知らせしました。羽合温泉のユーモラスなひょっとこ土鈴
2005年12月17日
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自称、新米のタオイスト・加島祥造氏の著作にはまりかけている。タオとは「道」、老子の説いた思想である。その生き方を学ぶというより、自分の生き方がいかにもそれに近いということを確認しているだけなのかもしれない。 先日読み終えた『老子と暮らす 知恵と自由のシンプルライフ』(光文社刊)は含蓄に富んだ良書だ。同氏の明快な『老子』の口語訳『タオ-ヒア・ナウ』の一部と随想百篇余りから成る。適当に引用して紹介してもよいのだけれど、関心ある方は通して読むことによりぜひ加島ワールドの豊かさに直接触れてもらいたいと思うのである。 きのう書店で「十牛図」に関する分かりやすそうな解説書をパラパラ立ち読みした。こちらは禅の教えだ。「~しなければならない」ではなくて、「してもいいし、しなくてもいいのだ」などということがまことしやかに論じられていた。世の多くの人は、そのあたりの価値観の転換に難儀しているのだろう。幸い私は過去の人生の中で(もしくは先天的に?)その部分はクリアしているらしい。自分では「悟りの境地」にかなり近いところで生きているのではないかと自惚れている。この能天気さ加減がいよいよ「悟り」の本質のように思えてならない。 話が逸れたように見えるかもしれないが、これもタオの本質と極めて近いところにあるように私には思える。「めでたいな、めでたいな」と何ごとも楽天的に処理しながら生きられればそれに越したことはない。 世間では相変わらず悲しい出来事や憤ろしい事件が後を絶たず、ますますやりきれなくなってしまいがちなので、あえて能天気なことを書いてみました。かわいい河豚の土鈴
2005年12月11日
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子どもの頃からみかん大好き人間でした。冬みかんは言うまでもなく、夏みかん、八朔、甘夏、ぽんかん、伊予かん、グレープフルーツなんでもござれ。砂糖まぶせばレモンもOK! でも最近一番美味しいと思うのは八朔。伊予かんも年に何個か食べないと気が済みませんが、皮をむくときメガネにしぶきが飛ぶ、果汁がポタポタ食べにくい、で、美味しいのですがマイ・ベストとは言えません。甘夏も捨てがたいですね。でも並んでいると八朔の方に手が伸びます。 実は私、小学生だった頃、冬みかんを日に100個食べたことあるんです。私がみかん好きなことを知っている両親が冗談半分に「飽きるまで食ってみろ」というようなことを言ったのがきっかけだったように思います。冬休みのこととて朝から食べ始め、午後50個突破したあたりから目標を100個に定めて、火鉢で焼いたり丸ごと食べたり。90個超えた頃にはかなり気分が悪くなってきて、おなかの調子もグルグル…よくもあんな馬鹿なまねをしたものです。 長男が同じ年頃になった時この話をしたら、僕も挑戦したいと言い出しました。当然の成り行きで下の二人も参加すると言うのです。日に300個も食べられてはかなわないので、その場はうまくごまかしましたが、私は一人っ子だったのでそんな贅沢なこともさせてもらえたのですね。
2005年12月07日
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冬はなべ! わたし、鍋奉行とまではいかないですが、今夜は鍋にしようの号令ぐらいは掛けられます。ええ、家人の誰よりも鍋が好きなんです。どうしてでしょうね。毎日でも大丈夫。妻はいやがって居りますが。 今夜は初めての豆乳キムチ鍋。ピュアなキムチ鍋もいいですが、妻には少し辛いらしく、スーパーで豆乳キムチ鍋のスープを見つけたのでさっそく買って試してみました。これが癖になるような味で、妻も私もけっこう気に入りました。ひょっとしたら、世間で今冬の流行りになるかも。
2005年12月05日
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若い時に観ていたら(って1999年にできた作品ですが)恐らく深い意味がわからずじまいだったと思われる映画でした。第2次世界大戦よりも前のスペイン、そう、内乱が始まる頃が舞台になっております。例によってあらすじは省略しますが、戦争前夜とか革命前夜っていうのはどこともよく似た様相を呈するものなんですね。 映画のラストシーン、今まで自由や民主主義を善しとしていた人たちまでが手のひらを返したように権力の側について、不屈の闘士に悪罵を浴びせかける場面は何ともいたたまれませんでした。保身のために意に反する言動で敬愛する者を撃つ。逮捕される人たちは哀しみこそすれ、恨みも憎しみも感じていないに違いありません。 話は前後しますが、主人公にとっては心の恩師とも呼べる老教師の退任のあいさつが胸を打ちます。「オオカミはきっとヒツジを仕留めるでしょう。しかし私は信じます。もし我々に続くひとつの世代が自由なスペインに育つことができたら、もう誰もその自由を奪えないことを」 スペインでは今そのような自由の風が吹いているのでしょうか。それともどこかの国のように… まともな考えを持った少数派が、軍や反動勢力を笠に着た連中に潰されていく図。先日「歌わせたい男たち」を観たばかりなので、今の日本の状況がどうしても重なってしまいます。うらおもて同じ柄のドラ型土鈴です
2005年12月01日
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