義理の娘がいなくなって我が家に静寂が戻ってまいりましたので(娘が騒がしいのではなく彼女の見ているテレビとその笑い声がネ)、久しぶりの日記を書きましょう。あ、新年のご挨拶がまだでした。
2007年 明けまして おめでとうございます
本年も どうぞよろしく お願い申し上げます
さて予定通り元日に、「 硫黄島からの手紙 」を観て来ました。先の「 父親たちの星条旗 」と戦闘場面を重ねると、なるほど見事な立体効果です。
戦争(に限りませんが)を描く場合、それぞれの立場や思惑や内情を公平に描かない事には、やはり正しく伝えたことにはならないでしょう。そういう点から見て、今回の企画は画期的であり大成功であったと思います。
実はこの映画を観る前に、たまたま司馬遼太郎氏の『 坂の上の雲 』を読んでおりましたので、いよいよその感を強くしております。この小説は日露戦争を多角的に描いていて(戦闘シーンは鳥瞰的に。個人を描く時はその履歴から心の中にまで分け入って)、まるで映画を観ているような気にさせる、スケールの大きな作品です(分量だけでも文庫本で3000頁近くあります)。
イーストウッドの映画に戻りますと、ストーリーはともかくとして、実際の戦争のイメージは私が常々思い描いているものとそう矛盾しておりませんでした。
戦争のような非日常・非人間的な場では、すべてが 偶然に支配されてしまう。運・不運と言ってもいい かもしれない。爆弾がどこに落ちるかで人の生死が左右されるのはまだ許せます。でも生殺与奪の権を持った者の 気紛れで 生死が左右されるのは、私には断じて我慢がならない。戦争が暴力の最大の表現であるなら、それにつながるどんな身近な暴力もそれが個人の気紛れで起こることに私はやはり我慢なりません。
私は生まれてからこの方、一度も人に暴力を振るったことがないというような聖人君子ではありません。教師時代のある1年だけ、私は 暴力教師 を演じました。自分の子どもに暴力を振るったこともあります。だから、余計に身に沁みて暴力の怖さがわかるのです。
暴力を振るわれるのも怖いですが、 理性や慈愛の念が一瞬消えて自分が自分でなくなっている恐怖 。そんなモンスターに殴られたり撃たれたりするのが戦争であり、戦争の序章となる軍国教育の現場です。
戦後の民主教育を否定して、さも戦前の 教育勅語の思想 が支配していた暴力肯定の学校が素晴らしかったかのように言う時代錯誤の懐古趣味が流行っておりますが、とんでもないことです。 教育基本法が改定 され、 愛国心 だの 競争原理 だのが強制されて、自由な空気のない学校がそこここに生まれつつあります。
もっといろいろな感想を持ちましたが、観て来られた方のとだぶる所が多いので、 暴力 という面から一言いわせてもらいました。
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