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2010.04.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 別の角度から、鏡であることを検証してみよう。

 我々の記憶は、いったいいつくらいからあるだろうか?

 たいてい、幼稚園くらいだと思う。

 生まれてすぐに、自我はなく 記憶とともに、言葉を覚えるとともに
後天的に成長したと考えられる。

 しかし、園児の絵を見てもわかるように、園児の絵は顔の大きいお母さんの絵であり、平面的である。

 そして、園児の頃は 自己と他者の区別があいまいであって、
自分のことを 私とはよべず 「さっちゃんて 呼ぶんだ、おかしいね さっちゃん」

 自我の萌芽とともに、自己と他者を区別できるようになり、世界から分離される。



 それと同時に、世界に奥行きを生じさせる。

 これは、フラクタル的に歴史からも読み取れる。

 遠近法の発見、デカルトの二元論、大航海時代

 これらが、歴史上の 自我の誕生。

 ルネッサンス期までは、自然と社会は一体であった。

 ところが、自我が出来て、世界は平面的なものから立体的なものになり

 平面と思われた海岸線の果てに 向かって旅立つことができるようになった。

 エジプトの壁画、写楽の絵、園児の絵 これらは、平面的。

 自我の誕生とともに、世界に奥行きが生じた。

 それは、他者の視線を相対して想像することにより、影をつくったのだろう。

 本来、世界は我々を包むものではなく、我々が世界を包んでいる。



 閉じてないと 鏡にならない。

 あとは、

 見ているものは、目に入った光を通して脳で判断しているという一般的な説を採用するとしよう。

 単純に 見ている世界と 脳で見ている・感じているものは同一です。

 それらは、常に一対一の対応をしている。



 それなら、X=Y Y=Xですから、取り替えても同じ。

 見ている世界は 脳で見ている世界ということです。

 つまり 自分の頭のなかを現実に見ているということになる。

 いいたいのは、我々が物理的な地表にいるちっぽけな存在ではなく
逆に 我々が感じている世界は 我々の内部。

 心象風景を見ていることです。

 ですから、世界に存在する他者は あなたの心のなかにいる住人なわけで
あなたの分身。

 そういう意味でも、鏡なのです。

 その心に存在する世界を 変えようとしても、それは あなたの内部の世界ですから、変えられない。

 想いが 投影した世界。










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最終更新日  2010.04.25 00:56:55
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