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昨日の日記のコメントに、まりあさんからご質問を頂いていたのですが、長くなりそうなのでこちらに書き込みますね。連絡がこなくなって1ヶ月になりますとのこと。気になるヒトから連絡が途絶えるとへこみますよね。ときめいていたぶん自分に自信をなくしてしまったり・・・実は私も同じようなことがありました。旅先でお話して、不思議なくらいあたたかく穏やかでいいヒトだなあと感じ、遠方の方でしたが友人として何度かメールの交換をしていました。好きな映画や本の話、旅先の風景をスケッチするのが共通の趣味であることを発見したり、お互いの好きなことに興味を示したり。私が怪我をした時は心配して電話をくれ、長期休暇には会いに行きますと言ってくれたり、はっきり恋とまでは行きませんが、ときめいてドキドキしたりしていました。でも、ある日突然メールが途絶え、私もあえて連絡をしませんでした。当初はがっかりして、見当違いに腹を立ててしまったり、自分に自信をなくしかけて落ち込んだりしましたが、二人で何かを共有した訳でも、創りあげた訳でもないヒトとの時間は、以外に早く整理がつきました。自分から追いかけることはしない、と決めていたせいもあります。当時も考えてみたのですが、彼には誰か他に大切なヒトがいたのかもしれないなあと思ったりしました。だとしたらあの時点で終わって、お互いに良かったのだなとも思います。それに、自分自身、実感していることなのですが、相手があなたの本当の人生のパートナーであれば、何があっても彼はあなたを追いかけてきます。もしこのまま、二人の関係に進展がないのであれば、それはただ、彼があなたの人生のパートナーではなかったというだけのことです。まりあさんに魅力がなかった訳でも、彼に落ち度があった訳でもなく、彼にも、まりあさんにも出会うべき本当の人生のパートナーがこの先に待っているということだと思います。どんなにステキでも、好みでも、惹かれても、長く時を過ごしても、繋がらないヒト。偶然の出会いでも、続いていく理由がないはずでも、これから先ずっと繋がる努力を二人で続けていけるとお互いに信じられるたったひとりのヒト。それが、不思議だけど縁というものだと思います。自分がひとりぼっちのような気がして寂しくて仕方がない時、自分を過小評価してしまう時、小さな可能性の光に、感情が大きく揺さぶられてしまうことがあります。でもそんな時こそ、冷静に、自分と未来を信じて、心を励ましてあげてください。相手を軽んじるということではなく、なによりも自分を大切にすること。連絡がなくても取り乱さず、相手を責めることもせず、ただ冷静に「これで切れてしまうヒトなら縁がなかったということだな。縁があれば、また繋がるだろう」というくらいの割り切った気持ちで新たな出会いに心をゆったり向けて下さい。この出会いも無駄ではないのだと思います。そこで感じた様々な感情も、まりあさんにとって財産になっています。結果よりプロセス、何もかもが糧になっていくのですから。全ては、本当のパートナーとの出会いに繋がっていると信じてください。大丈夫。必ずあなただけの本当の王子様が存在します。あきらめず、落ち込んでも、また元気になったら、笑顔でその日を迎えてください。私がへこみそうになった時、大安吉日さんのブログから書き留めた言葉があります。「幸せな恋は、それを迎える準備ができたヒトに順番に訪れる。 幸せな恋は、グチや、不満や、妬みや、自暴自棄や、あきらめが嫌い。 ニコニコしていて、素直で、自分を大切にしていて、希望を捨てないヒトのもとにやってくる」まりあさんが、全ての頑張る女性たちが、自分らしい幸せを見つけられますように。ステキな出会いはもうすぐです。私だって恋愛初級者です(笑)でも、ヒトは経験と覚悟次第で、心を、周囲を、運命を変えることができます。私にも本当の王子様が現れたように、あなたにも必ず現れます。その日を、私も楽しみにしています。
2006.11.27
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それから様々な出来事と葛藤がありました。食べれない、眠れない、泣いてばかりでただ生きているだけで精一杯の一日。胸にこびりついた焼けるような痛みを感じるたび、永遠にこの痛みは消えないのだろかと途方にくれ絶望していました。全てが夢なら、出会ったことさえ夢だったら、この記憶を消せるなら、どんな犠牲を払ってもいいと思った。それでも私は、その時点で自分にとって一番厳しい選択をしました。辞めずに会社を続ける。逃げない。今、現状から逃げたら私はまた同じことを繰り返す。全てを受け止め、乗り越え、本当の強さを身につけた時、私は誰にも依存せず、自分の人生に責任を持って立つことができる。考えに考え抜いた末、そう決断しました。それがどんなに辛いことだとしても。それからが本当の自分の弱さとの戦いでした。毎日、顔を見て声を聞く。二人でいる所を目の当たりにする日々。二人が付き合っている事実より、それを見て私がどう感じるのか、思い至らない彼への絶望感の方が大きかった。それ程に、私は彼を信頼していたから。やり直そうと言う、あまりに私にも彼女にも無責任な言動。あんなに長く時間を共有していたのに、私の全く知らない彼の一面。分かっていても、どうしても感じてしまう男性への不信感。会わずに済めば、もっと早く忘れることができるのに、平気になれるのに・・・そう思う日もありました。かさぶたを何度もはがされる出来事が重なるたび、「それでも私は逃げないと自分自身で決めた。全ては自己責任だと認めてみせる。負けない、逃げない、今日も笑顔で生きる。」そう自分に言い聞かせ続けました。でもやはり、なによりも大きかったのは、周囲の支えと優しさでした。事実を知っても何も言わず受け止め、あたたかく「あなたに対する信頼は、なにも変わらないよ」と微笑んでくれた友人達。「なんでもっと頼らないの!甘えなさい!」と怒ってくれた家族。正直、私は彼と付き合っていた7年間、どちらかというと友人をないがしろにしていました。だからとっても驚いた。もう私にはなにも残されていないと思っていたから。彼と付き合う一年前に、4年間の結婚生活にピリオドを打ち、古風で厳しい両親に勘当当然を言い渡されていた私は、家族とも疎遠でした。全ての責任から目を背け、彼との無責任なモラトリアムの中に逃げ込んでいた7年間。それでも、無条件でボロボロの私を受け入れてくれた周囲の優しさ。だから今日も生きていける。笑顔を取り戻せる。人をもう一度信じようと思う。今度は私が、優しさを返していこうと、心から思った。
2006.11.26
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あれは、一年前の8月某日。7年間付き合っていた4歳年上の彼氏に久しぶりに電話をしました。その約1ヶ月前に、いろんな想いの末、少し距離をおこうと私のほうから提案していました。ほぼ会わない日はなかった二人だし、私の突然の申し出に激しくうろたえていた彼。彼がちょうど2週間の海外出張にでかける前だったせいもあり、なんとか納得してもらい、お互いの気持ちを見つめなおす時間をとることにしました。職場も同じで、あまりにも長く自分の一部であった彼との別れは、身を切られるように辛い選択だったけれど、お互いの為にも私は「旅立ち」の選択を自分に納得させようと必死でした。これからの人生を一緒に添い遂げる二人ではないのなら、お互いにけじめをつけて、それぞれの道を歩き出すしかないと、泣きながら決めた。彼に頼るのではなく、自分の足で立てるようにならなければ。せめて二人の出会いを、大切な思い出として心に残したいと願いながら。ひさしぶりの電話に、ぎこちない二人・・・これからのことを相談しようと会話を続けるうちに、彼の態度があきらかにおかしいことに気づく。あんなにも別れを激しく拒んでいた彼が、別れにも続けることにも言葉をにごそうとする。「まさか、もう他に誰かいるの?」気が弱いのに、調子がよくて、優柔不断な人ではあったけれど、彼を信頼しきっていた私は、まさかと思いながらもその言葉を口にしました。言葉に詰まる彼。人は本当に信じられないことを目の前に突きつけられた時、混乱と衝撃に寒気とめまいが走るのだと初めて知りました。見栄も建前も吹き飛んで、ただただ呆然とする瞬間・・・別れは覚悟していたけれど、こんな結末は一片も想像していなかった。過去の恋愛から、人の心変わりは仕方のないことだとは知っていました。ただ、私自身の価値観の中では、他に好きな人ができてしまっても、きちんとけじめをつけてからはじめることが、過去の人にも現在の相手に対しても最低限の誠意だと思っていたし、そんな私の考えは当然彼も知っているはずでした。それだけでも衝撃だったのに、彼は言い訳を繰り返しながら、結果的に既にその人と関係を持ってしまったと告げました。あまりにも自分本位に彼を信頼しきっていた私は、全ての価値観が崩れ落ちるのを呆然と眺めていました。たった1ヶ月、出張の期間を差し引いたら、日本に帰ってきてたったの2週間弱。その間に、二人の7年間は幕を閉じました。「別れを口にされたことがあまりにもショックで、混乱して、自分でももう何をしているのか分からなかった。辛くて苦しくて、でもそんな気持ちは俺だけで、君はもう他に好きな人ができたから俺を捨てるんだと思った。俺だけがこんなに辛いんだと思っていた・・・」そんな言葉を泣きながら繰り返す彼に、かける言葉は私にはもうなかった。彼の相手は、私の会社のひとつ年下の後輩だった。私は前日もその彼女と昼食をとっていたのです。笑いながら、何も知らずに。「なんでそんなひどいことするの・・・」そんな言葉しか出てこなかった。たくさんの思い出が詰まった7年間、たくさんのことを乗り越えてきた7年間、それさえ汚れていくような、めまいに襲われながら。「だって、そうなってしまったんだよ」それが彼の答えでした。
2006.11.19
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・・・昨日の続き『知識は経験を伴って初めて生かされる』ということは、来たるべき実体験の時を意味あるものにするために、やはりできる限り知識は身につけておいたほうが良いということだと思います。本や講演や音楽、テレビ、映画、会話、仕事、遊び、勉強・・・どんな場面からでも知識は無限に得られます。ただ、知識そのものだけでは、その意味の一部分しか理解できていないことを心にとめておかなければいけませんね。知識を得、体験・実践して、初めてその全てが自分の糧になるのだと思います。私は現在、自分の夢を実現するために社会人を続けながら、通信教育で大学の勉強をしていますが、そこで得た知識も実生活で実践してこそ、初めて本当のチカラになるのだと日々実感しています。そういえば先日、仕事関係で出席したセミナーで、講師の方が、『経験と体験の違い』について興味深いお話をして下さいました。「体験とは、日々と出来事の積み重ねでしかないが、 経験は、その日々の出来事から何かを学び取り、次のステージへと 繋げていく真のチカラに変わる」つまり、体験を経験に高めていくことは、自分自身の向上心にかかっているのだと、おっしゃっていました。なるほどなあ・・と思います。これも本当に実体験から「あれもそういうことだったのだなあ」と納得してしまった事柄のひとつです。どうしてそう思うのかは、おいおい経験談として書き込んでいこうと思います。ちょっとした?昔の恋バナにて(笑)
2006.11.16
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昨日に引き続き、歳の話になってしまいますが(笑)最近よく今まで耳にしたことや、感銘を受けて心に残っていた言葉などについて、「なるほど。こういうことだったのか」と納得する場面が本当に多くなりました。今までも多分、頭では納得していたし、理解もしていたんだろうけれど、目の前の曇りが晴れるようにストンと心に落ちてくるような繋がり方はなかったように思います。歳を経ての実体験というのも大きい原因かとは考えられますが、それ以上に今までは、私にそれを素直に受け入れる受け皿がまだなかったということなのかなあと。なので、いわゆる「器が大きくなる」というのは、私のうぬぼれや思い込みではなく、こんな私でも誰にでも訪れる時期があるのだなあと思うのです。知識は経験を伴って初めて生きてくる、と実感しています。そう考えると、歳を重ねることも生きることも、そんなふうに生きてきた人生の先輩方も、なんだかとても素敵に思えてきませんか?発見が連続の毎日に、退屈している場合ではないなと今日も笑えた一日でした。
2006.11.15
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はじめまして、あなた、そしてブログの世界(笑)設定方法も分からぬまま、登録だけはしたものの、設定をどうしていいのか右往左往・・・日々だけが過ぎ、悩んでる暇があったらとにかく始めてみようとなんとか本日書き込みです。お見苦しい点が多々あるとは思いますが、『やったらできる子』のはずなので、あたたかく成長を見守ってやってください(笑)ブログタイトルの「SUBARASHIKI NICHIJYOU」は、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、アンダーグラフのアルバムタイトルと同じです。感動した友人から半泣きで薦められたのですが、確かに素敵な楽曲でした。三十路も半ばとなり、様々な経験を味わってきた私が今感じるのは、日常とは何よりも素晴らしく、その素晴らしい日常を造りだしていくのは、自分自身の心だという当たり前なシンプルな答え。見栄や嘘や弱さなんかが、なんだかややこしくしてしまっているけれど、実は芯にあるのはシンプルな大切な不動の愛でないかなと思うのです。こんな気恥ずかしいことが言えるのも、歳の功かなあ・・・でも嫌な気分じゃないのです。とすると、歳をとるのも素敵な日常の一部かな?あんなにうんざりしていた「生きること」が、味わえるようになった今、変わったのは心のあり方だけなのに、まるで全てが変わったみたい。やっぱり自分だけの持ち物で最高の財産は『心』なんだなあ。これさえあれば、どこでだってどんな状況でだって幸せでいられる!これって、これ以上ないくらい自由を手にしているなと思います。そんなわけで、なんてことない素晴らしき日常についてこれから、もにょもにょ書き込んでいこうと思っています。お暇なときは立ち寄って味わってくだされば嬉しいです。どうぞよろしく。
2006.11.14
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