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2005年11月25日
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相変わらず派手な衣装でFUNKYなノリのジョーは、興奮しながら赤坂シンデレラにやってきて委員長の顔を見るなり一枚のLP盤を差し出したのです。

MYX(ミクスと読むのでしょうか?)

ジャケット写真はジョーを中央にして日本人のメンバーが取り囲んでいました。
遂にジョーは日本でメージャー・デビューを果たしたのです。
大したものだと関心のあまり、レコードの話もそこそこにお互いの近況を語り合った二人でした。
ジョーの話では、LAまで行ってデモ録りしたバンドは結局空中分解してしまい、自分はジュンジ・ヤマギシというスポンサーを見つけて何とかここまで漕ぎ着けたというようなことでした。山岸ジュンジさんといえばその昔、ウェストロードブルースバンドで注目を集めたR&Bギタリストです。
さすがにジョーもプロのミュージシャンですから、委員長のバンドごっことは一味違って、やっぱり玄人っぽい流れに乗っていったんですね。

ディスコでどれほどアピールできるかわかりませんが、戦友のジョーのためにできるだけ数多く回すことを約束して別れました。


ジョーが置いていったアルバムの方は、タイトル・チューンに「MYX FUNK‘N ROLL」というのがダンスナンバーで入っていましたが、やはり和製ROCKというか、現実のディスコシーンに即した音作りにはなっていませんでしたね。
委員長が唯一感動したのはスローバラード「I WANNA BE YOUR SUPER STRA」という曲で、その昔マリリン・マックーとビリー・ディヴィスJr.が唄った「星空の二人」YOU DON’T HAVE TO BE A STARという曲の返答ソングのような趣のある歌でした。

星空の二人では、「貴方はスーパースターになる必要なんかないの、私はそのままの貴方を愛したのだから」みたいな泣かせる詩でしたが、ジョーの方は「ボクは君の為にどうしてもスーパースターになりたいんだ」というような男の思いを歌った感動作でした。
この曲で委員長がなぜ泣けたかというと、実はこの頃ジョーの奥さん(二度目の日本人妻です)が脳腫瘍を患ってしまい、彼の献身的な看病を目の当たりにしていたからなんです。
何とか手術は成功したのですが、やはり爆弾を抱えているような生活にジョーもかなり精神的に追い詰められていたようで、精神世界の本、仏陀とかヨーガとかを読んでみたり、盆栽に心を通わせたりしていました。
もちろん委員長も東京女子医大にお見舞いに行きましたが、頭に包帯を捲いた奥様の姿は余りにも痛々しくて胸が詰まりました。
そしてジョーはこの時、このことは誰にも言わないよう委員長に口止めをしたのです。

同情をされたくないという気持ちからかもしれませんが、ショービズで働く自分が暗い影を持ってステージに立つことはプライドが許さない、といった芯の強さからだったようです。
そんな彼の私生活の一面を知っていただけに、彼の歌にはホンモノのSOULが満ち溢れていました。今もご夫妻で元気に暮らしていることを祈るばかりです。

しかし、思えばトゥモローUSAというディスコを中心にして、それぞれが人生の一時を過ごしたということがどれだけ素晴らしかったことか、この時初めて気が付いたといっても過言ではありません。特に大衆芸能のような仕事をしていた自分が、1対多数の関係で結ばれていたことを考えると、多少なりとも自分が多数の人に与えた影響力というものは自身が考えるほど軽いものではないと思いました。

もちろん自分がその昔新宿のプレイハウスというディスコに出ていたバンドマン・ロニーに憧れてこの業界に引き込まれたように、委員長の姿に影響を受けて業界に紛れ込んでいった人間もいるわけで、そう考えるとエンターティナーの世界はある面で本人の知らぬ間に偶像が出来上がってしまうものなのですね。

というのも、時代の流れと共に自分も、その時点のディスコで遊んでいる子達の憧れるような対象からはすでに外れたということを実感したからでした。

それなりに今風のファッションをしてみても、それなりの流行を取り入れても、過去常に持ち続けた絶対に一番になろうというようながむしゃらなPASSIONすらすでに無くなっていたことにも気が付いたのでした。
その逆に感じていたのは、過去に自分が影響を与えた人達の夢や思い出を壊したくないといったカッコマンとしての最後の意地のようなものでした。

「老兵は消え去るのみ」

有名な言葉にもあるように、生きながらえて老体をさらすよりは輝いていた頃の自分のままで姿を消すべき、そんな考えが芽生え始めたのもこの頃のことでした。

そう頭では割り切れても、実際に行くあてのない迷路に迷い込んだような自分の現実との葛藤が不安を煽るばかりの日々でした。

全ては自分が選んで歩いてきた道だし、今更引き返すこともできないということに後悔もしていませんでしたが、ひとつだけ心の中にど~んと座っていたプライドがありました。
それこそが委員長が未だに持ち続けているFUNK SPRITです。
そんな大そうなものでもカッコ良いものでもありませんが、FUNKYな生き方ができなくなったら自分の人生も終わりだと考えていたのです。
自分らしい生き方、ロニーらしい生き方、FUNKYな生き方、これさえ実践できれば、自分の人生はそれで全てが納得できる、そう考えていたのです。
不良の意地とでも言うのでしょうか、SOUL MANの魂とでもいうのでしょうか、これだけが自分の人生で唯一大事にしてきたこだわりでした。

「ロニーらしいな」そう言われる生き方をしたい。
それだけが自分の中にある唯一の誇りだと信じていたのです。
でもそれは口で言うほど簡単な事ではありません。
ただ、「やっぱりなぁ」という目で見られるような生き方だけは絶対にしたくない、それだけが支えでした。

例えば、当時の委員長の立場で言うと、それまで培ってきた人との繋がりを使えばどうにでも生き延びていくことは可能だったんですね。
所詮は水商売ですから、黒服あたりなら何処の店でも入りこむほどのハッタリもあったし、地方に行くなら厚遇で迎えてくれるところもあったし、現状のまま生活を続けるとすれば手っ取り早い方法が実際にいくらでもあったわけです。
でもそれじゃまるで陳腐な三文小説のストーリーそのままじゃないですか。
誰が見ても「やっぱりね」って「当然だろうね」って言われるのがオチです。
ここら辺が反骨精神と言うのか、へそまがりというのか、皆の期待通りには進まないぞって感覚があったのです。

これこそが委員長自身のファンキーの定義だったわけです。

辛くて哀しい人生を面白おかしく生きる根性がFUNKYなんです。
だって人間の作った世界なんて矛盾だらけで滑稽ですよね。それに甘んじて生きてるというか生かされているのが殆どの人たちです。
でもちょっと角度を変えて見方を変えると、自分の周りの世界がとても可笑しなことになっていることに気が付くはずです。それを体現するのがFUNKYなんです。
ただFUNKYを実践する道楽者には根性が今ひとつ足りませんから、結局はぐうたらしながら世の中を斜に見るみたいな、やはり中途半端な生き方は仕方のないことだとも思います。だからこそ道楽者なんで、これがバリバリに根性見せて何かやってしまったら、それは道楽者ではなくヒーローになってしまいますからね。

I DON’T WANNA BE A HERO なんて歌がありましたが、委員長も同様にヒーローなんかには間違ってもなりたくないし、世の中の裏通りでグズグズ言っている方がお似合いです。
ということで、またまた屁理屈が続きましたが、委員長のFUNKY人生はいよいよこれからクライマックスに突入して行きます。





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最終更新日  2005年11月25日 06時53分46秒 コメントを書く
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