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2006年02月01日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
最近、「ハウルの動く城」の日本語版(オリジナル版)をはじめて見た。
木村拓哉のハウル役は評判の通りとても自然で、言われなければ木村と気づかないほどだ。
ソフィーの倍賞千恵子は「無理がある」とのことだったが、思っていたほど悪くはなかった。

それにしても見れば見るほどいろんなことが分かってくる映画だし、人と話せば話すほど、いろんな見方(解釈)ができる映画なんだな、と驚かされる。

彼氏は自分なりにいろいろ考察していて、話を聞いていると目からうろこ的なものが多かった。彼はたしか「ハウル」の次の点がおもしろいといっていた。。。

・個々の場面の中に暗示されているいろいろなテーマ性を繋ぎ合わせる全体的なテーマを明示せず、完全に見る方にゆだねている。

・古典的な「昔話」のスタイルに立ち戻っている。登場人物や出来事に関するはっきりとした説明がなされないのは昔話ではごく普通。世の中のことや人間のことをわれわれはすべて分かっているわけではない、という考えが、そのまま映画のスタイルに反映されている。

二番目の点について。ここからはウー太郎。
「紅の豚」より前の作品では非日常がかならず日常(われわれが生きている、あるいは生きていてもおかしくない世界)の延長上にあるものとして描かれる(特に「となりのトトロ」において。主人公たちとトトロの出会いや交流はとても自然に描かれた)。日常の限りなく近くにある非日常の素晴らしさに観客は打たれ、癒されたのだが、その癒しは「紅の豚」以降与えられない。「紅の豚」では主人公だけが豚の顔をしている(=非日常的)が、そのことは決して自然ではない。「自分で自分に魔法をかけた」というが、どういうことなのかわからない。とにかく豚になったのだ!という調子で、映画が半ば強引にわれわれに非日常的なものを押し付けてくる。「千と千尋」で、主人公のお父さんとお母さんが豚になってしまう場面、「ハウル」でソフィーがおばあさんになってしまう場面もすべて唐突である。非日常が突然やってきて、われわれはそのことの意味を考えなくてはならない。


みんなが好きな以前の「分かりやすい」作品ではなく、批判を受けまくっている最近の作品が残ると。。。





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最終更新日  2006年02月03日 01時11分09秒
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