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2006年03月13日
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シンシンと月闇から降る雪は、音もなく地上の息の根を止める。
まるでこの世の終わりのような静謐な夜気に身を浸しながら、狗王【クオウ】は目の前の稀なる人を思う。
「氷翠王【シャナオウ】様。」
余裕を含んだ中にも狡猾さが滲む狗王の、賢い獣の声を聞きながらも、開け放した襖の傍らに立つ氷翠王は振り返らない。
北国に鳴る凛冽な雪景色に臨む氷翠王の背は、それと同じく触れる者を拒み、静謐だ。
振り返らないその人の瞳は狗王からは全く窺い知れなかったが、この世界の神を宿し朱金の色に変わる前の瞳に酷似した、闇に沈む銀の虹彩が散る色が氷翠王の瞳の内奥に横切るのを見た気がした。
冷たく、人を惹き付けて放さない眼を。
この状態の氷翠王は始末に終えない。
他人の意見を聞かない方ではない。

どんな時にも冷静で理性的、的確な状況判断に指示、誰にでも何処ででも公平な態度・・・・・・・・・。
身分など関係なく、対する人間と同じ高さに立たれている。
この方にかかれば、盗賊の子供も貴族の弟妹も皆一緒だ。
どんな相手でも対等の存在としてみる。
それが良いことか悪いことかは狗王には言えないが、皆氷翠王を語る時に言う言葉は同じだ。
『あの方は特別です。』、と。
臣民は語る、誇らしげに。
あるいは、幸福そうに。
偏見に過ぎぬ私見を振りかざす人では決してない。
だが、他人の命がかかっている問題の場合、この方は何を賭しても自分の意見を翻さない。
要するに、言っても無駄。

叛乱を起こして逃げて来た地でも、それは変わらず、とどめには死に掛けた人間を拾ってくる始末。
つまり、何があっても治らない。
・・・・・・・新種の病気のようになってきた。
そのことが判ってはいたが、今回拾ってきた人間二人がどちらも“守人”となれば黙っている訳にはいかなかった。
特定の貴族の“犬”である彼らは、生まれて二、三年で貴族である主のために生き、主のために死ぬように教育される。

黒髪に黒眼が普通のこの国では、三神の愛でる守人たちは異色であった。
金か銀糸の煌びやかな髪の色に、瞳は黒ではなく様々な色の宝石を嵌め込んだ紅や紫、碧緑、蒼、金や銀・・・・・・・・・・・・。
帰りの遅い主君が連れてきたのはまさに異色を宿し、神掛かった美貌と幼年でも比類なき強さを兼ねそろえた、貴族所有の贅を尽くした【人形】であった。
貴族の追っ手か、氷翠王暗殺のための者たちであるかもしれない。
まず守人と言えば上級以上の貴族が裏で糸を引いていると見て間違いない。
しかも二人、だ。
片方はただの人と守人の混血であったが。
そんなことはどうでもいい。
だが、そのような者をこの【禁足地】に置いておく訳にはいかない。
いくら相手が瀕死の子供であっても。
我々にとって守人二人の命と氷翠王様とでは、重さの比重が違いすぎる。
そんな危険は冒せない。
「氷翠王様。」
乞うように呼ぶ。
氷翠王が静かに息を吐くのが聞こえた。
・・・・・・・・・振り向く。
灼熱の太陽より激烈な朱金の瞳が狗王をカチリ、と音がするほどの意志の強さで射た。
その瞳はまっすぐ過ぎて、狗王には眩しすぎる。
この方は馬鹿ではない。
むしろ頭の回転は早いに過ぎ、鋭敏すぎる感受性は相手の感情を的確に読むに過ぎる。
その刃のように鋭い感受性のあまり、氷翠王は哀れなほど人の負の感情に敏感だ。
その氷翠王が連れてきたのだ。
狗王が先程考えた問題点などとっくに見越していただろう。
連れて来るからには相応の思慮をしただろう。
・・・・・・・・・・それから、相応の覚悟と決意を。
守人を抱えることで被るこの村への代償も、その鋭敏にすぎる頭で答えを出しているだろう。
この方は何にするにもその代償と覚悟をその身に負っている。
覚悟の上でやっている。
それは判っている。
判ってはいるが、それを許すことはできない。
何故なら狗王は氷翠王の参謀であるからだ。
「我が君・・・・・・・・・。」
狗王は氷翠王に自覚を促す呼び名をわざと向けた。
『貴方は我らが王である』、と。
この言葉が縛る氷翠王の血の意味と効果を十分に理解しながら。
そして続けた。
「本来なら、貴方が何を選ばれても、我は貴方に有利なように働きかけるでしょう。その覚悟と洗礼も我が身にはありますゆえ。」
狗王はいつもの狡猾さの失せた真摯な眼を氷翠王に向けた。
その視線を氷翠王は同じ強さでもって受け入れる。
静かな覚悟という名の氷をその瞳に滲ませながら。
それを確認し、狗王は『やはり、この方。』という自負を深める。
「なればこそ、あの守人二人は捨て置くことはできません。・・・・・・・代替のないものなど、この世にはあまりない。だが、我らにとって貴方が“それ”だ。」
氷翠王は口も挟まず黙って聞いている。
「“守人”・・・・・・・・引いても稀なる純血の子供です。たとえ万に一つでも、貴方を失う恐れのある者をこの地に許すわけには参りません。」
狗王のその言葉を、ここで初めて氷翠王が遮った。
「・・・・・・十三年間の人質生活の間、私の周りには敵ばかりだった。その中で今の朱樺【シュカ】家を取り戻すために、私は朱樺家と私のことを一番に考える味方をつけねばならなかった。・・・・・そうしなければ生き残れなかったからな。私も、朱樺家も。」
風に運ばれて肩や頬に触れる雪に指で触れながら、時折聞こえる村人たちの喧騒に愛おしげに眼を細め氷翠王は静かに声を紡ぐ。
「確かに私はお前にそういう類のことを要求しただろう。」
薄曇りの月光と、明々と燈る松明に照らされた外の世界を氷翠王は見る。
私はあの場所で足掻いていた。
だが今は全てが静かだった。
あの時血を吐くような祈りと努力の中で欲しかったものの半分は、この手の中にある。
・・・・・・・だが残り半分は、未だ手にしていない。
まだ、終わっていない。
あの地は、自由ではない。
「多分、狗王・・・・・・・・。」
二人といない忠臣の一人をその瞳に映しながら、氷翠王は柔らかに笑んだ。
狗王の眼が少し見開かれる。
「私は朱樺の地と結ばれている。・・・・・・・この身が朱樺の宗主であるならば、私が手にする栄冠は民のものであるべきだ。私が何かを欲しがるのなら、それは民のためでなくてはならない。」
氷翠王の瞳は暖かく、まるで菩薩の慈悲を現すかのように優しく微笑む。
「でなければ意味がない。・・・・・・私の存在意義も。」
雪がその指に触れて溶けていった。
春のように優しい穏やかさでもって。
「“貴”の一族であるとするならば、民に肩入れせずに一体誰に与える?お前の言う“守人”も、等しく皓国の民であろう。貴族を名乗るならば、救いを求める民に剣を向ける愚行を許されるはずもない。」
「いくら強くあろうとも、彼らは子供だ。この村の子供たちと何の隔たりもなく。・・・・・・・私は朱樺の地を取り戻したいと思ってる。この【禁足地】の村のお前たちのための場所を。・・・・・・・・これだけは誓おう。そして決して違えないと誓う。もし私に力があったなら、何も迷わないだろう。けれど今は私には【禁足地】を離れ、お前たちに報いることができない。今、私にあるのは、この誓いだけだ。だから彼らを見捨てることはできない。お前たちを守ると言った同じこの口で、この手で、今彼らを見捨てれば今後どの躯(からだ)で民に報いることができる?・・・・・いや、できないだろう。」
真摯な違えることのない本心からの氷翠王の言葉に、身体が熱くなる心地がする。
言葉の端々から、この【禁足地】の・・・・・・引いては自分たちのことを想う主の心が伝わる。
我らがためだ、と。
隣で柔らかに笑む気配がする。
今までずっと隣に黙って控えていた涼【リョウ】だった。
情報収集を主とする氷翠王の懐刀である彼は、氷翠王にしか見せない笑みに、涼やかな美貌をわずかに綻ばせて微笑した。
呆れたように、誇りに想うように。
『こうなると思った。』と言うように。





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最終更新日  2006年03月13日 21時19分56秒
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