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先日NHKスペシャルで読字障害ということを知りました。
これまでにもさまざまな思いもよらなかった障害があるということを知って、驚いたことはあるのですが、字を読むことができないという障害については少なからずショックを受けました。
誰でも訓練すれば字は読める、文章も理解できると信じており、信じていたからこそものを教える立場では、文章をよく読むことを教えてきたつもりです。それが、読むこと自体に障害があるとは・・・。
私が字を読み書きできるのは、私個人の経験と能力によるものであり、それがすべての人に共通の能力であるかどうかは確かではありません。しかし、きちんとひとつひとつ順序を追って物事を理解していけば、たとえば、左から横に線を引いていき、次第に下に曲がっていって左下にすっと放すような文字は”つ”であると、小学校に入学するとあるいは入学前に教わっており、そう教わればそれが”つ”だと理解できると信じています。ところがそれが、”つ”を図形として見ることができても、字として認識できないということらしいのです。
この障害は、その図形と図形の意味を結びつけることが難しいということによると紹介されていました。確かに、脳の内部には図形を認識する部分と論理を理解する部分があり、それぞれはいわゆる右脳、左脳とよばれており、それらの間に何らかの障害があれば、文字を読むことに困難をきたすという説明は納得できるものです。
詳細は省略しますが、放送の内容では、この障害の原因は、目から入ってきた画像情報を図形として認識し、それを音声として変換して論理的内容を理解するという一連のプロセスの中で、音声に変換する部分に何らかの異常があって言葉として認識できないということだったと思います。
なるほど、確かにそのとおりかもしれません。これまで多くの研究がされてきており、このような結論に至ったのであれば、おそらくそうなのでしょう。
この説明に納得する一方で、ひとつ疑問がわきあがってきました。人は物を思考するのに何でもかんでも音で(ことばで)するのだろうかということです。例えば家から駅までの道を考えたとき、玄関を出て門を出て、道路を左に行って大きなとおりに当たってから右に行って・・・という風に言葉で考えるでしょうか。きっと、イメージだけで考えることができるでしょう。パントマイムを見たときに、いちいちその動作を言葉にせずとも、イメージだけでその面白さを理解できるでしょう。
人間の思考に言葉が大きくかかわっていることは確かですが、言葉によらない思考も多くあると思います。文字も、言葉に一つひとつ変換せずに、図形で意味を捉えるということができるのではないでしょうか。
以前に速読の練習をしたことがあります。結局マスターできていませんが、速読では字を声に出して読まないということを徹底的に指導しているようです。文字を図形として見て、それとその意味を直結させるということらしいです。たしかにそう意識して文章を見ると、心の中で声にして読まなくても、内容がわかってきます。
であれば、読字障害であっても、音声化をすっ飛ばして、内容の理解ということも可能なのではないでしょうか。
wikipedia で見てみたところ、読字障害はディスレクシアと呼ばれ、キアヌリーブスや、トムクルーズ、エジソンやジョージワシントンなど多くの著名人がこの障害を持っていたそうです。
もしかすると、教室に来ている子にもこのような障害があってうまく内容が理解できないのかもしれないと思うと、そのほかにも何らかの障害があるのではないかと不安になってしまいます。
ある程度の素養の差はあれ、やる気があるかないかがその人の知的レベルを作り上げると信じていたのですが、知力の限界が生まれたときに決まっている可能性があるのです。もしかすると限界の中でのはかない努力をしているのかもしれません。
その可能性は否定できませんが、ここに来ている子供たちは、今のところまだその限界レベルにまで達していないようです。単純に勉強する気がないだけの子が多いだけのようです。だからこれからもびしびしやっていくつもりです。
でも、やる気がないのも何かの障害だったりしたらどうしましょうか・・・・。
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