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東新丁(ひがししんちょう)伊達政宗公の生母の菩提寺「保春院」の南側に保春院前丁があり、保春院の北側に西新丁と東新丁がある。東新丁は概ね今も地番のまま、住所として使われている。ただ、JRの貨物線がこの町を南北に横切っていて、その線路の東側は昭和50年の住居表示によって木ノ下五丁目に変わった。(町名が木ノ下五丁目に変わっている貨物線の東側)仙台市のウェブサイト「町名に見る城下町」は東新丁を次のように説明している。【西新丁・東新丁】・保春院の東と西に位置する2つの町。・ともに、寛永12年(1635)の保春院創建後に割り出された。・西新丁は寺屋敷が多くを占め、一部に侍屋敷が置かれていた。・東新丁は寺屋敷と「御小人衆(おこびとしゅう)」の屋敷があったという。・いまは貨物線が東新丁を縦断している。歩いてみると普通に閑静な住宅地で、ただ、通りから宅地の中に入る枝道はすべて民地なのだろうか。ほとんど奥で行き止まりになっていた。貨物線をくぐる隧道に「東新丁」の表示を見つけた。
July 26, 2026
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今年初めてのゴルフ。天気が良くて、寒くもなく暑くもない週末、青い空とたくさんの木を見ながら一日を過ごした。思い返すと、野球に夢中だった頃の僕はゴルフをスポーツとは思っていなかった。止まっているボールを打って、歩いて、また打って、また歩いて。その繰り返し。服装もスポーツウェアっぽくないし、体型も…。家に居場所がないおじさんたちの道楽、というイメージが強くてやってみたいとも思わなかった。だけど今は、カートに乗って18ホールを回っただけでも、かなり運動した気分になる。止まっているボールを打つことも相変わらず難しい。野球なら打ち損ないはファールになるから、ダメージはほぼない。だけどゴルフは打ち損なうと、下手すると2打も3打も足されてしまう。ゴルフというスポーツを軽く見ていたことを今更ながら反省。100を切れる日がきますように…
July 21, 2026
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クリスティー文庫は全部で何冊あるのだろう。たくさんある、ということしか今のところわからないが、「アクロイド殺し」の背表紙には「3番」が振られている。出版は1926年(昭和元年)。1920年代のイギリスがどんな雰囲気だったのか、イメージはなかなかわかないけど、とりあえず英国の田舎町のような風景を思い浮かべながら読み進んだ。すると、主に英国人の登場人物たちが麻雀に興じる場面が出てきて少々驚いた。植民地としてイギリスが世界の各地を支配する中で、中国の文化もイギリスに、しかもロンドンだけではなくてイギリスの隅々まで流れ込んでいた、ということなのだろう。会話の中で「上海倶楽部」という言葉も出てくるが、これはきっと上海で西洋人だけが立ち入りを許された社交クラブのようなものではないか、と推測してみた。もうひとつ、今回の事件の語り部、ジェームス・シェパード医師の家で、ポアロが男と女について静かに語り始めた場面が印象的だった。一部を抜き出すと…「どれだけ多くの夫が妻を裏切りながらも、秘密を胸に抱えたまま安らかに墓に入っていったでしょう。どれだけ多くの妻が夫を裏切り、その事実を夫の面前に突きつけて、二人の人生を破壊させたでしょう。女たちは(中略)ひとときの自己満足とともに真実を告白するのです。」(第17章 パーカー)深い…と思ったし、この頃のどんな体験がアガサ・クリスティーにこの一文を書かせたのだろうか、と思った。
July 16, 2026
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楽天✕日ハム。この日は一塁側ベンチ(日ハムのベンチ)の少し上のシートで観戦。選手たちの動きが近くに見えて嬉しかった。1番レフト・水谷3番指名打者・レイエス4番ライト・万波5番サード・郡司6番ファースト・清宮幸太郎みんな下半身がどっしりしていて、芯に当たったらどこまでも飛んでいきそうな強いスイングをしていた。とりわけレイエスの身体の大きさ、太腿の太さときたら…もうひとつ、この日とりわけ目を引いたのが日ハムのユニフォーム。薄いブラウンがナイトゲームの照明に映えていて、見ているとなんだか懐かしい感じもしてきて、すごく良かった。調べたところ、北海道の豊かな大地をコンセプトにしたユニフォームとのこと。とても良い。また札幌に行きたくなった。
July 11, 2026
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原題は「Adam Smith - What He Thought, and Why it Matters」。2018年に出版され、日本語版は村井章子氏の訳により2022年に初版が発行されている。【目次より】①生涯②思想(アダム・スミスの経済学ほか)③影響(スミスの今日的意義ほか)【感想】著者ジェシー・ノーマン氏は、イギリス保守党の国会議員で、2019年には財務担当補佐官を務めた方、とのこと。アダム・スミスを題材に、ノーマン氏の持論が400ページにわたって縦横無尽に展開されている本、と感じた。アダム・スミスについて残された資料が限られるなか、これだけのボリュームの本を書き上げたノーマン氏の熱量にも、翻訳を完成させた村井氏にも、ひたすら敬意を抱いた。
July 6, 2026
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春にしては気温が上がったこの日、少し立ち止まってビル群を見上げてみた。なぜかとても懐かしい景色に思えた。そして…仕事ができると思われたい、とかデキる人っぽく見せたい、とかそんな感じ周りの視線を気にしながらビル群の谷間を早足で歩いていたことが僕にもあったな、と思った。訪問先からガッチガチの対応を受けた帰り道、無数の人が行き交う雑踏の中なのに、ひたすら孤独を感じていたこともあったな、とも思った。懐かしくもあり、恥ずかしくもある記憶。そして今、立ち止まっている僕の前を、デキる風な出で立ちのお兄さんお姉さんたちが早足に歩いていく。がんばれ、みんな、と思った。
July 1, 2026
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仙台のかつての町名、広瀬川橋下(ひろせがわはししも)は、昭和42年2月の「南材木町・南小泉地区」住居表示により、今は若林区河原町二丁目の一部になっている。(広瀬橋の中ほどから城下町方面を眺めると、橋の右側、河川敷の奥にかつての「広瀬川橋下」がある)この場所は城下町に含まれているのか、それともわずかに外れているのか…位置的には微妙な感じがするが、平成20年頃に仙台市の「歴史的町名復活検討委員会」が行った検討では「地番入り仙台市全図大正15年度最新版」という地図の仙台市町名一覧表にある町名を城下町の町名としている。そしてその地図には「広瀬川橋下」が町名として記載されている。橋下の「橋」とは、町のすぐ近くにある広瀬橋のこと。かつては長町橋(永町橋)と呼ばれていたらしい。(「広瀬川橋下」側から広瀬橋を望む。)仙台市のウェブサイト『広瀬川下流の様子〜広瀬橋〜』に次の記載がある。・若林区河原町と太白区長町を結ぶ橋。・長町は江戸時代から賑わったところで奥州街道が通り、対岸の河原町との行き来のため長町渡戸が置かれていた。・寛文8年(1668)に初めての木橋がかけられ(中略)永町橋(ながまちばし)とも呼ばれた(以下略)。仙台商工会議所の会報「飛翔」(2021年6月号)の『資料で旅する仙台藩の「道」』によると、江戸方面から城下町に入る渡しは、当初は今の宮沢橋のあたりにあった(宮沢渡戸)が、寛永4年に始まった若林城の建設に伴って奥州街道は道筋を変え、若林城建設後は長町からか河原町に向かって広瀬川を渡るようになったとのこと。(松月山桃源院)広瀬川橋下のすぐ北隣に「桃源院」というお寺がある。江戸時代、飢饉が起きるたびに遠くは福島などから仙台城下を目指してたくさんの人たちが城下町の玄関口=広瀬橋付近に押し寄せ、結局この辺りでたくさんの人たちが飢えで倒れていった。その人たちを供養したのがこのお寺、と聞いた記憶がある。おそらく江戸時代の仙台城下には、城外から食べ物を求めて押し寄せる来る人たちを嫌悪し、怖れ、追い返せと叫んでいた人たちが少なからずいたのだろうな、と桃源院を見ながら思った。豊かな時代はいつまでも続かないし、浮き沈みは世の常。災害だってまたいつ起こるかわからない。明日は我が身。けれど、それがわかっていても人間は排斥や差別を繰り返す。ヒトはそういう生き物なのかもしれない。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が頭に浮かんだ。
June 26, 2026
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原題は The price of time - The real story of interest-。2022年に出版され、日本語版は松本剛史氏の翻訳により2024年に出版されている。【目次より抜粋】金利の歴史/時間を売る/低金利はさらに低い金利をもたらす/発起人の利得/大きく、膨らんだ、醜いバブル/信用を食べてはいかが/不安の対価/金融抑圧と中国的特色/隷従への新たな道【感想】金利をテーマに書かれた500頁にも及ぶ本。子供の頃、次のように学んだ記憶がある。・もともと世の中には物々交換しか存在しなかったが、貨幣の登場によって経済活動は活発化した。この本によるとそれは正しくないらしい。物々交換より前から信用取引は存在していたとのこと。そして、この本から察するに、金利と景気の関係には諸説があり、国の金融政策が正しかったかどうかは結果からしか判断できない、ということもわかってきた。もう一つ、金利を低く抑えすぎると質の悪い投資が広がり、その破綻によって大恐慌やリーマン・ショックなどの経済危機が引き起こされる可能性が高まる、との記述は説得力があるように感じた。総じてこの本は経済学の専門書に分類される内容と思われ、500頁というボリュームと相まって僕の理解はなかなか追いつかなかった。それでも新たな知見に触れるありがたい機会になった。感謝。
June 21, 2026
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通るたびに新宿駅西口の景色が変わっている。通路の場所も変わっている。いつも工事をしているけど、いつまで続くのだろう。そして最終形はどうなるのだろう。楽しみ。2026年5月の景色
June 16, 2026
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この本にはアドラーやフロム、三木清など著名な人物の言葉が数多く引用されている。その上で著書の視点や認識をふんだんに盛り込みながらこの一冊は出来上がっている。その中の一文を引いてみる。『職場で何か不正があった時に、それは違うのではないかといったら、たちまち職場の秩序や和が乱れ、上司はもとより同僚からも良く思われない。その上、仕事を失うかもしれないと恐れる。そのようになることを恐れた人は何もいわない。上司によく思われないと出世に障ると思った人は、上司の不正をあえて見逃してしまうのである。』岸見さんの実体験がこれを書かせているとすれば、それはどのような職場だったのだろう、と思った。自分の経験で言えば、職場ではミスはしばしば起きるが不正はめったに起こらない。ただ批判だけしているのはNGだけど、代案や解決策を提示する限り、批判や異議が職場の秩序や和を乱すこともない。ミスを指摘したからといって上司や同僚からよく思われないこともなければ、仕事を失うこともない。「上司の不正」が「上司の判断の誤り」のことであれば、結果論としてそれはしばしばあるが、それであれば尚、検討段階での部下からの異議は問題にされない。職場のケースにしても、子育てのケースにしても、岸見さんが、これはこうだ、と明快に述べていることを、それはそうだ、と思えない部分もありつつ、全体的には自分のこれからの生き方の貴重な参考として読了した。【目次より】1.人と人がつながっているのがノーマル2.依存する人3.支配する人4.関係を分かつ5.依存と支配6.孤独を恐れない7.自分の人生を生きる8.親は子どもにどう接するか9.理解するということ10.まず人間であること11.愛するということ12.本当につながりたい人とつながる
June 11, 2026
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よく晴れた5月の週末、プロ野球交流戦を三塁側内野スタンドの上段で観戦。このエリア、記憶とは異なり、座面が畳まれるシートになっていた。幅の広さは変わらないながらも、座り心地やドリンクの置きやすさも良くなっているように感じた。この日の収穫は、ヤクルトではドラフト1位ルーキーの松下歩叶選手の1軍デビューと1軍初安打を見られたこと。初ヒットのボールが楽天の野手陣からヤクルトベンチにリレーされていく様子が、両チームみんなで松下選手をお祝いしているようで面白かった。構えがどっしりとしていて、スイングも強い。相手チームにとっては手ごわい選手になりそうな予感がした。そして楽天では、柴田大地投手の勢いのあるピッチングが見られたこと。古巣のヤクルトが相手でも、マウンド上で吠えながら速球を投げ込んでいた。見ていて気持ちが良かった。日没の遅いこの時期、大変そうだったのはレフトの初回の守備。正面に太陽があるので打球が良く見えないのではなかろうか、と思った。不幸?にも初回、レフトに打球が飛び、平良選手はしっかり反応したものの頭を越されて二塁打。日差しの影響は不明ながら、日没前のレフトは大変そうだ、とやっぱり思った。この日は夜になっても過ごしやすく、ゲームセットまで試合を観ていた。
June 6, 2026
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埼玉県で騒動になっている、いわゆるクルド人問題を軸にしながら、ドイツの移民政策など国内外の移民問題も精力的に取材し、その積み上げのもとに、日本が安易な外国人の受け入れに走らないよう警鐘を鳴らしている。【感想】「日本のルールに従わない外国人は問答無用で出国させる」しばしば過激な言葉で叫ばれているこうした主張について、本書は次のように考えていると感じた。口で言うのは簡単だけど、入管当局の日々の努力にも関わらず、実際にはあらゆる手段で抵抗する外国人を送還することは至難の業だ。だからこそ外国人の受け入れには受け入れる前の段階で慎重であるべき。日本の文化が壊れることがないよう、厳しくコントロールしていく必要がある。それはその通りだ、と思った。その一方で、どうすればそれができるのだろうか…とも思った。金とモノの流れを止めずに人の流れだけをどうやって止めるのか。介護事業や建設業など、若い日本人が好まない業界の働き手不足を解決する策は他にあるのか。外国人などいらないと叫ぶ人が率先して働いてくれるのか。自然災害や政情不安から逃れた人たちの入国を、他国の姿勢がどうあろうと日本だけは拒み続けることができるのか。できるとすればその理由は何か。日本人が海外の助けが必要となった時に無視されたり仕返しされたりしないような上手な拒み方はあるのか。近年、主に事業者の経営維持、労働力確保の観点から、日本に住み続け、日本で働き続けるために来日する外国人とその家族が増えている。大半の外国人は査証を取り消されないように、慣れない日本の環境の中で懸命に生きている。一方で、一部の外国人集団は、日本のルールを守らなくても退去させられない秘訣を共有し、母国のルールを日本に持ち込んで地域との軋轢を生んでいる。外国人排斥を訴える人たちが盛んに取り上げるこうした一部の外国人の振る舞いをどのように抑え込み、従わない場合は帰国させられるか。移民リスクを考える第一歩はこの点だろうか、と感じつつ、その実現の難しさも改めて感じた。
June 1, 2026
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仙台藩の城下町の町名、琵琶首新丁(びわくびしんちょう)は、琵琶首丁の一本南側に位置する小路。琵琶首丁と琵琶首新丁はどちらも市街地から一段下がったところにあり、市街地につながる北側を除く三方を広瀬川に囲まれている。都心でありながら豊かな自然に囲まれ、散歩好きには堪えられないエリアだと思う。琵琶首丁の西側にある広瀬川。正面に見える大橋が仙台城のエリア(橋の左側)と城下町とをつないでいる。東側にある広瀬川。正面がJR仙台駅のあたり。川を渡ってさらに東に行くと、伊達政宗の霊廟、瑞鳳殿がある。辻標33番「花壇川前丁/琵琶首新丁」は、琵琶首新丁を次のように説明している。・評定所は明治以降早川牧場になった。・その西の道は元禄以前に延長されて花壇に達した。・この道と川前を結ぶために元禄七年(1694年)十数軒の屋敷の並ぶ琵琶首新丁が開かれた。・幕末にはお城と御作事方に出仕の人が住んだ。・牧場跡も今は高層マンションの敷地となった。※作事方とは、お城の維持管理を担当していた人たちのことと思われる赤のラインが「琵琶首丁」。一本南側の緑色のラインが「琵琶首新丁」。琵琶首新丁の上の赤い◯のあたりに評定所(明治以降は早川牧場)があったらしい。かつての評定所あたりから見た琵琶首新丁。今も閑静な通りだった。花壇川前丁に突き当たり、その奥に広瀬川が流れている。
May 27, 2026
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主人公は、小学6年生の女の子 ふうちゃん。主な舞台は、神戸の大衆食堂「てだのふあ おきなわ亭」ジャンルは児童書。でも単行本でも350頁を超えるほど、長くて読み応えのある、そしていろいろ考えさせられる小説だった。少し前に、沖縄で生まれ育ち、沖縄で仕事をしている人とたまたま出会い、その人が「今、太陽の子を読み直している」を言っていたので、自分も読んでみたいと思った。ふうちゃんのお母さんが切り盛りする「おきなわ亭」には、話し方が雑で、だけど心のきれいな人たちが毎日毎日集まってきていた。そのほとんどが沖縄で生まれ、日本軍が見捨てた後の沖縄の惨状を体験し、生き残った後に生きるために神戸に移って来た人たち。そして移ってからは沖縄出身者へのいわれなき差別を受け続けていた人たち。僕には軽々しくコメントできない、という気持ちになっている。ひとつだけトボケた感想を言うなら、「おきなわ亭」のような空間に、僕はもう何年もいたことがない。10年前どころじゃなくて、もっと長い間、僕は何でも好きに話せるような場にいたことがきっとない、と思った。そういう場所にいた時も僕はきっと、いるかいないかわからないような存在でしかなかったけど、賑やかな空間に埋もれながらぼーっと過ごしていた時間が懐かしい、と思った。
May 22, 2026
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家族が札幌から内地に移ることになり、3月の週末、引越の手伝いに行った。引越しが決まったのが1月。なので飛行機のチケットを早割で買ったのだけど、意外なほど安くなく、しかも既に満席の便が多数。朝早い飛行機で行きたかったのに、押さえられたのは昼近い便だった。「受験シーズン、転勤シーズン、入学準備の時期だから高いし混んでるのだろう、きっと…」と思っていたが、当日、空港の新千歳空港行きの搭乗口周辺には、ARASHIグッズを抱えた女性たちがたくさんいた。ARASHI LIVE TOUR 2026 「We are ARASHI」これが理由。引越し準備の3日間は、札幌ドームでの嵐ラストツアーの3日間と重なっていた。札幌のホテルが満室、宿泊料金も高騰、という記事も見つけた。せっかくなので、散歩の足を延ばして、札幌ドーム(大和ハウスプレミストドーム)周辺もくるっと回ってみた。プロ野球の日ハムが北広島市に移転してから、札幌市のお荷物と言われることも多い札幌ドームだけど、この日は、開演数時間前だというのにファンの姿であふれ返っていた。J2のコンサドーレ札幌は今も札幌ドームが本拠地。早くJ1に戻ってほしい。サッカーで使われる芝生は普段、屋外で養生されていると聞いていたけど、今回ようやくその場所を見られた。札幌ドームは地下鉄駅からも近くて便利。そして相変わらず立派なスタジアムだった。
May 17, 2026
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「平凡な男が辿った数奇な人生」「感動のミステリー」「世界の終わりに明かされる、愛すべき贈り物とは?」ポスターに書かれたこれらの言葉だけを予備知識に、映画「サンキュー・チャック」を観た。今回はネタバレの心配がない感想。この映画を観ながら、そして観終わってからもしばらくの間、本当に久しぶりにアメリカの良心に触れた感覚に浸っていた。その昔、僕が少しだけアメリカで暮らしていた時に目にしていた住宅街の風景や、そこで出会った人たちを思い出し、重ね合わせながらスクリーンを見つめていた。今は、トランプとその取り巻きがアメリカ国内と世界をずたずたに切り裂いていて、アメリカに行きたいという気持ちにはなかなかならない。だけどこの映画を観て、アメリカでの日々がめちゃくちゃ懐かしくなった。「世界の終わり」がこの映画の真ん中にありながらも、その随所に自分には輝いて見えたかつてのアメリカと、アメリカの人たちの姿があった。
May 12, 2026
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2016年から2018年まで、共同通信社のテヘラン支局長を務めた筆者が、イランでの日々、イランで出会った人々の姿を綴っている。【感想】どの国にも普通の日常がある。この本はこのことを改めて教えてくれた。政治に視点を当てるか、人々の日常に視点を当てるか、それだけでその国に対する見方が大きく変わる。そして大抵の場合、人々の日常はどこの国でも似たようなものだな、と思う。家族がいて、日々働いて、子どもの成長を願い、家族の健康を願い、平穏な日々を願う。余りにも平凡で何の話題性もないので、報道が取り上げることはめったにないけど、イランにも、そしてロシアにもベラルーシにも中国にもアメリカにも、国家が本来守るべき国民の日々の暮らしがある。筆者は「本書の内容は共同通信の見解とは一切関係なく、責任はすべて筆者が負う」と明記したうえで、彼が出会ったイランの人々とその喜怒哀楽を紹介してくれた。2026年の春。アメリカのトランプ政権は自らの能力をはるかに超える権力を得て、すっかり有頂天になっているように見える。非白人の穏やかな日常など、トランプにはどうでも良いことなのかもしれないが、もういい加減にして欲しい、と切に思う。
May 7, 2026
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子どもが札幌で暮らし始めたのは3年前。この春、また東京に戻ることになった。3月の半ば、荷造りの手伝いのため札幌へ。ここに来るたびに通っていた道は、この日も美しかった。そして、札幌に来ることもしばらくないかもしれないので、定番の観光スポットを足早に巡った。北海道庁旧庁舎時計台そして、大通公園のテレビ塔大通駅から歩いて、夕ごはんも食べた年に何度も札幌に来ることができた3年間、楽しかった。感謝。
May 2, 2026
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琵琶首丁(びわくびちょう)仙台の旧町名「琵琶首丁」は、仙台城から広瀬川を渡ってすぐの所、城下町の中でもお城にかなり近い場所にあった。今は、昭和45年2月の住居表示によって青葉区大手町、花壇、片平一丁目のそれぞれ一部になっている。訪れてみると、市街地から広瀬川に向かって一段低くなった場所に旧琵琶首丁はあった。(かつての琵琶首丁から市街地に向かう上り坂。藤ヶ坂または藤ヶ崎と呼ばれ、仙台七坂のひとつと言われる。坂の上はかつての片平丁(今の五ツ橋通)。坂の左側には藤坂神社が建っている。)藤ヶ坂の上に建つ辻標23番「片平丁/琵琶首丁」は、琵琶首丁を次のように説明している。・琵琶の形に広瀬川で三方が囲まれた地形の北端を琵琶首という。・片平丁から段丘下に下る所が藤ヶ崎である。・琵琶首丁はこの段丘の下を弓なりに大橋東袂に至る。・昔は卸小人と卸職人の町、今は東部が商店街となった。・町の南に藩の花壇があった。(赤い線が琵琶首丁。広瀬川を下に向かって大橋を渡ると仙台城に入る。)道筋で示すと琵琶首丁は赤い線のところだけ。だけど住居表示の旧新対照表をみると、評定河原球場や東北大学の陸上競技場のあたりも琵琶首丁だったとされている。区画が大きかったのか、道がなかったのか、家屋がなかったのか…(評定河原球場。球場北側は一段高くなっていて仙台の市街地が広がる。広瀬川と青葉山が一望できる段丘上にはマンションが立ち並んでいる)(東北大学の陸上競技場はのどかな雰囲気。古木の並木もあって閑静な住宅街となっていた)辻標に書かれている御職人(おしょくにん)とは、仙台市のウェブサイトによれば、藩に召し抱えられた職人とのこと。琵琶首丁には挽き物(ひきもの・ろくろを使って作られる木製品)の職人がいたらしい。藤ヶ崎(藤ヶ坂)の脇に建つ藤坂神社。東北六魂祭というお祭りのウェブサイトが藤坂神社を紹介していた。・青葉区大手町にある『藤坂神社』。・「仙台七坂」の一つに数えられる藤ヶ坂にひっそり佇む藤坂神社は、かつてこの近くにあった絹織物「仙台平(せんだいひら)」の織物工場が織姫を祀っていた神社。・仙台大空襲の戦火を奇跡的に免れた強運の神社でもある。辻標「片平丁/琵琶首丁」。琵琶首丁は左側の藤ヶ坂を下っていく。
April 27, 2026
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1878年(または1879年)に生まれ、1953年に死去したスターリンについて書かれた本。本書のカバーには次のように書かれている。・ロシア帝国の支配下にあったグルジアで靴職人の子に生まれ、社会主義ソ連の最高指導者となったスターリン。・彼はソ連国家をアメリカ合衆国と並ぶ超大国へと導いたが、それは反対者を容赦なく弾圧し国民に多大な犠牲を強いた長い道のりであった。・独ソ戦に勝利した偉大な指導者か、大量抑圧を推進した冷酷非道な独裁者か、スターリンに対する評価は今日も揺れ動く。・本書は、ソ連国家の確立と拡大に重ね合わせて彼の生涯を描き出す。読みながら、かなり不快な気分になった。国家のため、そして自分のために国民があると考える権力者に嫌悪感を覚えた。だけど、これが今の地球上にも存在していることに暗澹たる気持ちになった。自分だけのことを考えれば、共産主義の国に生まれなかったことを幸せと思わなければいけないと痛切に思った。思うに、思想を柱として成立した国家は、最初に理想を掲げてしまっているために、理想が実現できないことを覆い隠すための作業に追われながら道を踏み外していくことが常。革命運動家と自認する人たちが繰り広げる現体制への辛辣な批判は、他者を批判している間は正論に聞こえても、革命や政権交代を成し遂げた後に、言ってきたことを実現できた事例は見当たらない。革命や政権交代達成時には、熱狂的に団結していたとしても、共通の敵が消えた途端、思想の解釈、あるいは当初に掲げた理想と現実のギャップを巡って対立や責任の押し付け合いが起き、内部分裂へと突き進んでしまう。それでも、今も理想の実現に向かっているかのように大衆をだますため、反対派の口を封じ、排斥し、抹殺し、情報を厳しく統制していく。本書によればスターリンも、自分の地位を守るために、ライバルと怖れる人物に対し捏造した批判を展開し、自分の晩年まで逮捕と処刑を繰り返した。大規模な飢饉にあっても、農民が怠けていると筋違いな主張を曲げすに農作物の取り立てを続け、数百万の餓死者を出した。第二次世界大戦では2,700万人の国民が犠牲になった。それでもスターリンを偉大な政治家だと崇める向きもあることが不思議でならない。
April 22, 2026
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2026年4月。今年初めてのプロ野球観戦。低気圧の通過後に流れ込んできた冷気と、鉄道が止まるほどの強風で、この夜の体感気温はほぼ氷点下。じっと座っていたら両膝の関節がガチガチに固まった。一塁側のスタンドに向かって高く上がったボイトの打球は、風に押し戻されてファウルグラウンドで一塁手清宮のミットに収まった。名手であるはずのレフト水谷とセンター五十幡は打球の目測を誤った。前田健太がベンチ裏で治療している間、レフトの中島が風を避けようと外野フェンスにくっついてしゃがみ込んでいたのが可愛らしかった。そんなグラウンド上のあれやこれやを三塁側のテーブルシートから見下ろしていた。寒さに耐えながら。楽天の先発は前田健太。寒さと風の中、彼は半袖だった。昨シーズンまでちょっと広すぎた外野。今年はフェンスが少し前に出ていた。そのうちここも観客席になりそうな気がした。ただ、もともと頑丈なフェンスで視界が遮られていた既存の外野席前列が、さらに見えにくいシートになっているのでは…と気になった。夕方の空を眺めていると、ドーム球場が羨ましいと思う気持ちがしばし紛れる。三塁側のカウンターシートの上に、テーブルシートのゾーンが広がっている。簡易なテーブルと両脇のひじ掛けがありがたい。芝生の緑は今年も変わらずに鮮やかだった。それにしても…寒かった。
April 17, 2026
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著者は1989年にエクアドルで生まれ、4歳から不法移民としてアメリカで暮らしてきた。2011年にハーバード大学を卒業。2016年に不法移民排除を叫ぶトランプが大統領になったことをきっかけに本書の執筆を決意。たくさんの不法移民たちへの聴き取りを重ねた。【感想】「不法」という言葉から、不法移民には犯罪者のイメージがつきまとう。理屈では、不法に入国しているのだから犯罪者には違いない。だけど、中南米からの不法移民たちの多くは、地方から上京する多くの日本人たちと、さして違わない感覚でアメリカに向かっているように思えた。田舎にはろくな仕事がないから仕方なくアメリカへ。家族を養うために泣く泣く出稼ぎに。大都会で夢を追いたい。名を馳せたい。大金持ちになりたい。その他諸々…生命の危険から逃れるために国境を越える人も少なくないのだろうが、本書を読む限り「俺も行く、私も行く」みたいな流れで既にアメリカにいる家族や知人を頼って国境を越えている感覚が伝わってくる。しかし、アメリカに来た後の彼らはどうか。彼らの多くは身分証明書も持たず、移民当局に見つかる恐れを常に抱きながら、日雇い、あるいは日雇いに近い立場で安い労働力となり、都合良く使い捨てられている。読みながら、「不法移民の問題の根本はいったいどこにあるのだろうか…」とあれこれあれこれ考えてしまった。・手続きを経ずにアメリカに勝手に入った不法移民を取り締まるだけで事は解決するのか。国内ではまともに稼げないような中南米諸国の現状が課題なのではないのか。強制的に戻されてもまた危険を覚悟でアメリカに戻って来ざるを得ないのではないのか。・中南米諸国が貧しいのはその国の政権能力だけの問題なのか。アメリカなど大国が搾取し続けた結果としての貧しさなのではないか。・一部の国がある時から反米に転じた理由は何なのか。反米政権を武力で潰せばその国と国民は豊かになるのか。おそらく…「貧しい国や有色人種がどうなろうと知ったことではない。欲しいものは力ずくで取り上げる。いらないもの、気にくわないものは徹底的に潰す。」これが今のトランプ政権の答だと思う。「盛者必衰」という言葉も彼らの辞書にはないに違いない。ただ、かつてのアメリカの市井には「今、たまたま豊かな国に生きている自分たちが、たまたまそうではない国の人たちに手を差し伸べるのは当たり前のこと」と話す人たちがたくさんいた。何かの有名な決まり文句なのか?と思うくらい何度も聞いた。この言葉が今もアメリカ社会で聞かれていることを願う。
April 12, 2026
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3月に札幌に行くことになり、路面の雪の様子が気になった。大きなスーツケースで行っても大丈夫なものだろうか、と。そして3月半ば、現地からは「キャリーケースはお勧めしない」と言われつつも、荷物の量的にやむを得ず、雪道で小さな車輪が回らなくなることも多少覚悟しながら、そうは言っても、道路から雪が消えていることを強く願い、札幌に向かった。幸い、道路の雪はほぼ消えていた。重いスーツケースを持ち上げて歩くことはなく、ホッとした。住宅地は雪で道幅が狭くなってはいたが、交通量が少ないので問題なく歩けた。幹線道路は車道も歩道も除雪されていてどちらも問題なかった。一部、ビル陰の歩道にはビチャビチャの雪がのこっていた。夜も滑ることなく歩けた。街なかの通りにはほぼ雪はなく、それでも大通公園には雪がまだ残っていた。冬の間はベンチが撤去されていて、人通りも少なかった。2026年の3月はこんな感じだった。
April 7, 2026
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ナワリヌイは2020年に航空機内で毒殺されかかり、治療のため移送されたドイツで奇跡的に回復。その後、仲間の反対を押し切ってロシアに帰国したところを逮捕、収監された。この本はその頃に執筆され、2021年に出版されている。ナワリヌイ氏は2024年にロシアの刑務所で死亡した。出版から5年。ほんの少し前まで民主主義国家のリーダー的存在だったアメリカが、大統領の誤選によって音を立てて崩壊し、その惨状を世界は目の当たりにしている。今のアメリカ政権が目指しているであろう独裁政権の大先輩、ロシアについて、ナワリヌイを論じる視点から見てみようと思った。3人の共著によるこの本は、クレムリンの政治を100%の悪とは決めつけず、比較的冷静にプーチンとその政権を評価していた。プーチンは国民を力だけで押さえつけているわけではない、とも書いている。多くの国民にとって、ロシア=プーチンであり、プーチンへの国民の信頼は厚い、と。もしかするとロシアは、時代劇で描かれる江戸時代の日本に似てるのかもしれない、と感じた。城に暮らす殿様と庶民の間には比較にならないくらいの貧富の差がある。そして殿様に忠誠を尽くす役人たちは常に刀を携え、しばしば問答無用で庶民を引っ立て、あるいは斬り殺す。さらに、殿様の庇護のもと特権的な商売で大儲けしている商人もいる。それでも、それ以外の世の中の情報を見聞きしていない庶民は、そういうものだと思って日々を生きている。食い扶持以外は年貢として吸い上げられながらも、来る日も来る日も空模様を気にしながら今年の豊作を願い、農作業に勤しんでいる。ロシアは昔も今もそういう国なのかもしれないと、この本を読んで感じた。政府にとって都合の良い情報しか民には与えず、かつ、少なくとも最低限の暮らしはできるようにしておけば、大半の国民はそれが楽だと感じて飼いならされてしまうのかもしれない。だけどアメリカはそういう国にはきっとならないとも思った。なぜならアメリカの民衆の成り立ちがロシアのそれとは大きく違っているように思えるから。そうであることを願っている。
April 2, 2026
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久しぶりにプロペラ機に乗った。機種は、デ・ハビランド・カナダ Dash 8-400(旧ボンバルディアQ400)。機内の中ほどのシートに座ると、大きなエンジンが窓からの視界をふさいでいた。「がっかり…」とその時は思ったけど、一旦動き始めるとプロベラの動きも車輪の動きも間近に見えて、楽しいと言うか貴重と言うか、面白い座席だった。機内のシートからはこの機体が長年使われていることが感じられた。この機種に乗ったのはおそらく初めてだと思う。2024年7月のANAのプレスリリースによれば、中古の機体を新たに購入しているらしい。今は製造されていないけど、性能的にもサイズ的にも、もう少し揃えたい機体、ということだろうか。(以下、プレスリリース)「ANAホールディングス株式会社(代表取締役社長:芝田浩二、以下「ANAHD」)は、DHC-8-400型機を新たに7機増機することを決定しました。今回購入の機材は、De Havilland Canada社の責任下で整備・改修が実施された後に当社に引き渡されるメーカー認定中古機であり、新造機と同様に一定期間のメーカー保証が付与されることが特徴です。これらの機材は無事故機で、導入後も10年以上の長期にわたり使用可能な機材です。また、ANA在来機と同仕様に改修して納品されることで、導入後も既存の整備システムで確実な安全管理が可能となります。優れた燃費性能、低い環境負荷を兼ね備えるDHC-8-400型機は、2003年11月1日に初就航して以来、長年にわたりANAグループの国内線の運航を支えている機材です。既存機の今後の機材更新を見据え、2025年以降順次導入することで、長期的視点での運航体制の構築を図り、ANAグループ全体でお客様の利便性の向上を目指してまいります。」
March 28, 2026
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仙台のかつての町名「袋町」(ふくろまち)は、昭和45年2月に行われた住居表示で住所からは消え、今は仙台市青葉区一番町一丁目と青葉区片平二丁目のそれぞれ一部になっている。(「狐小路」を突き当たりに、かつての袋町の通りが東西に横切っている。奥の木立は東北大学の片平キャンパス)辻標72番「太夫小路/袋町」は袋町を次のように紹介している。・柳町西端と片平丁の間の町。・本荒町と狐小路がこの地で行き詰まり、袋小路となっているためこの名があると伝える。・兵具方職人の町で、侍屋敷と同じく屋敷奉行の支配下にあった。・貞享2年(1685)片平丁東南に弓道場が設けられると、三十三間堂横丁と称された。辻標72番は「本荒町(俗称:太夫小路)」と袋町が接続する場所に立っていた。ここから袋町を東(写真奥方向)に進むと旧奥州街道沿いの「柳町」そして「柳町通」へと続く。「柳町」のT字路。ここで奥州街道は直角に折れ、写真右側の道を北(国分町方面)へ向かう。ここで曲がらずに西(写真左側の道)へ進むと袋町に入る。かつての袋町の南側はすべて東北大学片平キャンパス。雰囲気のある建物が建っていた。
March 23, 2026
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原題は「Chaos Kings」。2023年に出版され、日本語版は月谷真紀氏の訳により2024年8月に発行されている。【感想】分厚くて、投資の専門用語が多用されていて、読みにくい本かな…と思ったけど、読み始めてみると面白い本だった。中国の武漢から広まったコロナ禍のこと、大統領選の負けを認めようとしないドナルド・トランプに煽られた支持者の群衆が議会を襲撃した時のこと、ロシアによるウクライナ侵攻のこと、イーロン・マスクがテスラの電気自動車で巨万の富を築いたこと等々、記憶に新しい、というより、ほぼ「今」のことが書かれている。だけどそれぞれ日本の報道で慣れ親しんだものとは少しずつ違う書きぶりになっていて、それも面白かった。タイトルの通り、本書に登場するヘッジファンド創業者は、リーマン・ショックなど大半の投資家が全ての資産を失うような株価暴落時に、逆に大金が流れ込んでくる投資戦略を練り上げ、実際に彼に資産を託した投資家たちは大きな利益を上げた。資産運用のプロたちから批判されながらも、彼は株式市場の崩壊は予測できないとの信念で動き続けた。平時には少し損をし続け、崩壊時に大きく儲かる商品を投資のポートフォリオに組み込んだ。市場崩壊時に儲かる“保険”を組み込めば、それ以外の投資はリスク高めに設定でき、その結果、投資家は平時でも混乱時でも利益を上げることができた。市場の崩壊に備える数式は、地球環境の崩壊への備えにも役立てられるに違いない、とヘッジファンド創業者は考え、実際に環境活動家となっていく。なんだか話を単純化しすぎたせいか、あるいは次から次に登場してくる天才たちに僕の理解が追いつかないせいか、明らかにイマイチな要約になっているけど、投資の話から地球温暖化問題へと、ストーリーは大きく振れる。文中、福島原発事故で死んだ人がいないのに報道が原発の危険性を煽り過ぎた。その結果、火力発電への回帰が生じ、大量の二酸化炭素がばら撒かれた、みたいな記述があり、そこには思い切り引っ掛かった。避難先での慣れない暮らしによる災害関連死を絶対に無視しないでほしい。福島の浜通りの惨状を見れば、報道が煽り過ぎてる、とは決して言えないと確信する。ただ、その引っ掛かりを差し引いても、自分と同時代でありながら別世界を描いてくれたこの本は読み応えがあり、やはり面白かった。【主な登場人物】ビル・アックマン(アメリカ有数のヘッジファンド創業者。武漢での新型コロナ感染が世界規模のパンデミックに拡大することを真っ先に予見)/マーク・スピッツナーゲル(市場の混乱で利益を上げる戦略を取るヘッジファンドの創業者)/ナシーム・タレブ(ブラック・スワン提唱者)/ブランドン・ヤーキン(スピッツナーゲルらの注文を引受けるブローカー)/ディディエ・ソネット(株式市場の予言者。ドラゴンキングを提唱)/ルパート・リード(環境活動家。予防原則でタレブとつながる)/ヤニール・バーヤム(ニューイングランド複雑系研究所創設者)/ロバート・リッターマン(ゴールドマン・サックスOB。地球温暖化に対し活動)/マルクス・シュマールバハ(保険会社経営者)/サム・バンクマン=フリード(暗号資産取引所CEO)
March 18, 2026
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ピーター・ドラッカー。いろんな人がドラッカーの言葉を引いて喋っているから名前だけはよく聞くけど、実のところよく知らない人。今回、ドラッカー本人が書いた本を読んでみた。【目次より】1.失われた世界(フロイトの錯誤とその壮大な試み、他)2.ヨーロッパの人々(キッシンジャーをつくった男クレイマー、他)3.アメリカの日々(お人好しの時代のアメリカ、他)【感想】読んでみると、この本はドラッカーの自伝ではなかった。ドラッカーが出会った人たちのことを、ドラッカー独自の視点から綴った本だった。フロイトやキッシンジャー、企業で言えばゼネラルモーターズなど、誰もが知っているであろう名前が出てくる一方、私が知らない人についてもかなり詳しく書かれていた。ドラッカー自身のことは書いていないものの、読み進んでいくうちに彼の人となりが少しずつ浮かび上がってくるような気がしたのが面白く、こういう仕掛けの本は初めて読んだ気がした。淡々とした語り口の文章の中で、ドラッカーが時折「こうあるべきだ」と断言しているところにも興味をひかれた。例えば、外交のリーダーに求められるものは何か、との問いに対しドラッカーは、才能豊かな大政治家ではない、とまず断言する。そして、凡庸でも誠実で真摯であることが求められている、と言い切っている。そんなふうに考えたことはなかったけど、言われてみればその通りかもしれない…。そんな思いに繰り返しなった。分類すればこの本は随筆になると思う。そうだとすれば、ものすごく勉強になる随筆だ、と感じた。
March 13, 2026
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ネクスト・クエスチョン?ホワイトハウスの報道官が記者会見中に発しているのがこの言葉。とりわけ、答えたくない質問に型通りの答えを返した後、さらなるツッコミを避けるための言葉として使われている。この本は、第一期トランプ政権で報道官を務めたステファニー・グリシャムによる回顧録。トランプ政権の内情が余りにも赤裸々に描かれていて、読みながら「彼女は今無事だろうか」と心配になった。三顧の礼でトランプに迎えられた政権幹部が、あっという間に、そして次々とトランプに嫌われ、また別の人物が三顧の礼で迎えられる。これがトランプ政権の日常。政権スタッフにとっては、“粛清”を逃れて生き延びることが最大の目標となり、国家のためではなくトランプに忠誠を尽くすことが求められる日々に耐えていた。足の引っ張り合いも日常茶飯事。自分もその一員であったことが、後悔とともに綴られている。なんと酷い政権だったのだろう、と思う。この本は、トランプがバイデンに敗れ、再選を阻まれたところで終わっているが、4年後、トランプは再び大統領となった。そしてまた、トランプは真偽不明な自画自賛を続け、独裁者のように振る舞っている。どうしてこんなことに…。もううんざりだ、と思う。
March 8, 2026
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2026年現在、二度目のトランプ政権で副大統領を務めているJ.D.ヴァンスが30歳くらいの頃に書いた本。自身の生い立ちをこの一冊にまとめている。出版は2016年。2025年3月、プーチンによるウクライナ侵攻を食い止めるべく、大国アメリカを頼ってホワイトハウスを訪ねたウクライナのゼレンスキー大統領を、ヴァンスは罵った。「一度でも(米国への)感謝を口にしたことがあるか」等々。その映像を見て、トランプの番犬のように振る舞うヴァンスに極度の嫌悪感を覚え、怒りを通り越して吐き気を催した自分には、最近までこの本を読むという選択肢はなかった。だけど今回、思い切って読んでみた。この男の脳みその中を見てみたかったのだと思う。読んでみて、正直に言って、ヴァンスに対する見方が変わった。かなり大きく。ヴァンスはきっと、子供時代に次々と入れ替わった何人もの「父親」と上手に付き合わざるを得なかったことによって、トランプのような人間とも難なく付き合える類い希な才能を身につけたのだと思う。ヴァンスはきっと、法律よりも暴力によって家族を守ってきた祖父母に長く育てられ、日常的に乱暴な愛憎表現に囲まれてきた出自によって、今もなお、暴力的で粗野な空間に自分の本来の居場所を感じているのだと思う。トランプ政権の言動には白人優越主義が透けて見えている一方で、ヴァンスは、ラストベルトの白人たちが貧困と犯罪と薬物から抜け出せない大きな理由は、彼らの自業自得だ、との趣旨を繰り返し述べている。このことは特に興味深かった。そして共感した。ヴァンスの本心は、トランプの考えとは別のところにあるのだろうと思う。嫌な言い方をすれば、トランプを利用している、踏み台にしている、という見方もできる。だから、仮にヴァンスがトランプの後を継ぐ大統領になった場合、トランプとは大きく路線が変わることもあり得ると感じた。まともな政権になる可能性もあると感じた。ただ、その場合の懸念は、やはりヴァンスが、感情をコントロールできない家族の中で育ち、彼自身が認めるとおり、ヴァンス自身にも感情が爆発する気質があることだと思う。自分の感情がコントロールできない大国のリーダーは危険すぎる。
March 3, 2026
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「トランプを生み出した思想家たち」をサブタイトルとすることには迷いがあった、と著者はあとがきで述べている。むしろ、彼らはトランプが大統領になったことで表舞台に登場した思想家たちではないのか。つまり「トランプが生み出した思想家たち」ではないのだろうか、と。著者はさらに、彼らに思想と言えるものがあるのかどうかも怪しい。単なる妄想や思いつきに過ぎないと言われたら否定できない、といった趣旨も述べている。この本が紹介する「思想家たち」の多くは、ヨーロッパの国々が世界各地を植民地としていた時代を、本来あるべき姿と信じ、白人と非白人が共生の関係にはないことを、今、非白人たちに思い知らせておかないと取り返しがつかなくなる、と訴えているように感じた。非白人が移民として欧米に流入を続ける結果として、やがて白人が少数派に転じてしまうことを彼らは酷く怖れている。伝統的に白人が支配してきた欧米を異人種が移民という手法で乗っ取ろうとしていると信じ込み、そのことに民主党支持者を含む脇の甘いリベラリストたちは気づくべきだ、と主張している。そして彼らが担ぐ神輿のうえで、今、トランプは非白人の排斥に熱中しているように見える。ベネズエラの石油利権を武力で奪取するなど、白人の利益のためには手段を選ばない姿勢も見える。暗澹たる気持ちで読み進む中で、ある一文に目が釘付けになった。少し前までアメリカ政治の保守本流にいながら、今は反トランプの立ち位置故に右翼の片隅に追いやられているデヴィッド・フレンチが記した一文。「他の人間を尊敬の念をもって扱いつつ根本的な自由を求めて戦うことが弱さのあらわれであるとみなされる奇妙な時代に我々は生きている。他人を侮辱することにかけては最高峰であるトランプのなかに、基本的なまっとうさを軽視するという現下の事態のあらわれを見出さざるを得ない。ごみのように他人を扱うことは、より良いアメリカに至る道だろうか。」National Reviewから原文も引用する。We live in a strange time when fighting for fundamental liberties while treating other human beings respectfully is seen as a sign of weakness. One can’t help but see the outlines of a case for Trump, the insulter-in-chief, in the disdain for basic decency. Is treating other people like garbage the way to a better America?(David French, "Decency Is No Barrier to Justice or the Common Good")まさにこれが言いたかった、と思った。敬意と礼節、思いやり、そして愛。今、これを言うと嘲笑され、負け組の落胤を押される。そんな風潮が日本の政治家の一部にも見える。人類から優しさが消え去らないことをひたすら願う。
February 26, 2026
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藩政時代の町名、二日町(ふつかまち)は、昭和45年の住居表示で町の範囲がわずかに変わったものの、今もほぼ同じ場所で住所(仙台市青葉区二日町)として使われている。二日町の南側には仙台の歓楽街「国分町」があり、二日町の中心を通るかつての奥州街道も、今は「国分町通り」と呼ばれている。けれど、国分町から定禅寺通を渡った先にある二日町に歓楽街の雰囲気は感じられず、銀行の支店やオフィスビル、そして小さな飲食店や割と新しいマンションなどが並んでいた。歓楽街の雰囲気同様、二日町の街並みに藩政時代の名残も感じられなかったが、江戸時代には、立町、二日町、新伝馬町とともに米穀売買の特権が与えられ、「四穀町」と呼ばれていたらしい。(仙台市ウェブサイト「奥州街道を歩く」より)一つだけ、通り沿いに古い蔵を見つけた。今は国分町三丁目になっているこの場所は、かつての二日町。早速、蔵の周りをうろうろしてみたが表示なども見当たらなかったので、スマホで探してみた。すると、建物を所有している志ら梅ビルのウェブサイトに詳しい説明があった。(以下、同社ウェブサイトより)建物の名前:秋保石 石蔵(旧・吉岡酒造店) 【大正三年建造】※(令和7年8月現在)一時的に賃貸を中止。(東日本大震災の被害で内壁の漆喰が浮き上がったため。)■建物の特徴旧奥州街道の往時の賑わいを記憶する石蔵。旧・吉岡(屋)酒造店の敷地内に大正期に建造された数棟のうち最後の一棟。当時流行した自然石である地場・仙台市太白区秋保産の凝灰岩「秋保石」を積み上げている。デザインは大正モダンの和洋折衷様式で、北面ファサードに重厚なアーチと角型の2つの開口部を並べている。開口部屋根の軒支えと雨樋受けの鉄製金具に、同店銘柄「清酒志ら梅」の梅の花弁の輪郭を象った意匠が看て取れる。昭和20年の仙台大空襲では焼夷弾が瓦屋根を突き抜け内部の収蔵品すべてを灰燼に帰した。酒造時代には「志ら梅醸造場」用の米蔵、小売時代には商品倉庫として利用された。小売店舗は平成22年10月を以て閉店した。 (以上、同社ウェブサイトより)説明によると空襲の前からこの蔵はこの場所にあったとのこと。そして「旧奥州街道の往時の賑わいを記憶する石蔵」とも書かれている。戦後、仙台の中心部では大規模に区画整理が行われ、青葉通りなど広い道路もつくられたが、焼失する前の街の形にはできるだけの配慮をしたのかもしれない。もうひとつ、仙台市役所二日町分庁舎前に、市教育委員会が立てた看板があり、この場所に「仙台藩町奉行所」があったことを説明していた。(ただしここは藩政時代には二日町ではなく西隣の町にあたる。)以下説明。仙台城下の町人町(ちょうにんまち)の行政全般を預かる町奉行は、城下町建設期より置かれ、当初は地域割りごとに奉行がいましたが、2人の奉行の月番(つきばん)制となりました。恒常的な施設としての「町奉行所」は設けられず、町奉行を務める藩士の屋敷で事務を行う役宅(やくたく)制が採られていたましたが、嘉永(かえい)年間(1848~55)以降は、仙台城下を南と北に分けてそれぞれに町奉行所が設置されたといいます。仙台市二日町分庁舎前には北の町奉行所が、仙台国際ホテル・SS30前には南の町奉行所がありました。
February 21, 2026
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2024年11月の大統領選挙で、共和党のトランプが民主党のハリスに勝って再び大統領になった。その時の選挙戦を日経新聞の記者たちが全米各地で取材を重ね、リアルタイムで報道した。後日、その時の記事を加筆・再構成し一冊にまとめたものがこの本。選挙当時も今も、自分にはアメリカの人たちがなぜトランプを選んだのかが理解できず、この本を手に取った。過去の大統領選挙を見ていても、アメリカ国民は変化を求める傾向が強く「Change!」が大好き。つまり現職に厳しいとは感じていた。そして、現職の大統領や相手候補を悪意のあるテレビCM(今回はSNSも)で貶める手法は今回に限らずアメリカの大統領選挙では各陣営の常套手段として毎回繰り返されてきた。では、今回の大統領選挙はこれまでと何が違ったのか。言えることは、バイデンもトランプもどちらも大統領経験者であったこと。そして、両者ともに国民の評価が高いとは言えない大統領であったこと。本書によれば、才能豊かなアメリカ社会において、大統領候補がなぜこの2人なのか。もっと若い候補者はいなかったのか。選挙期間中、アメリカ国内のあちこちでこんな声が聞かれた。正直言って、どちらにも投票したくない。そんな国民の思いも伝わってきた。鼻をつまんでトランプに入れる、と苦渋の選択を口にする人もいた。勝手にまとめると、民主党が勝てるはずの選挙をみすみす落とした。共和党やトランプに負けたのではなく自滅した。そういう選挙だったのではないか、と感じた。だけど、どんな経緯があろうと選ばれてしまえば大統領には絶大な権限が手に入る。残り3年の任期中に世界が荒廃しないこと、滅びてしまわないことを祈っている。
February 16, 2026
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この小さな本一冊に野村克也監督の野球理論がぎっしりと詰まっていて、読みながら頭がパンパンになった。おそらく、プロ野球選手の大半は小さな頃から投げる、打つが周りの子供たちよりも飛び抜けて上手で、打っては四番、投げてはエースだった人たちだと思う。向かうところ敵なしの体育会系。それだけに、例えアマチュア時代にある程度のずる賢さは身に付けていたとしても、プロに入って叩き込まれる野村理論に付いていけない選手たち、何を言われているのか頭に入らない選手たちは少なからずいたのではないか。そんな気がした。自分も一球一球、一挙手一投足に意味があると言われながら、自分としてもそれを意識しながら野球をやっていたつもりだけれど、この本を読んでみると野村ノートの入り口にも立っていなかった気がするし、実際そうだった。翻って考えると、自分が所属していた学生野球リーグ全体がここまで考えながら野球をするレベルではなかったようにも思う。これも実際そうだった。自分たちがやっていたことは、まさに打ち損じと投げ損ないの勝負だった。どうやって打ち取るか、どうやって攻略するかの勝負をしてるつもりではいたけど、裏付けとなるデータは貧弱だった。子どもに戻れるのなら今度は野村の教えを頭に入れて、もう一度イチから野球をやってみたい。そう思った。
February 11, 2026
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トランプ政権1期目の2016年から2021年の中頃にかけて、長年ワシントン・ポストで記者を勤めた著者が、アメリカの地方都市に暮らす人たちの姿を追った。正しく生きていればやがて報われると信じ、それを地道に実践してきた退役軍人のブレントは、イラク駐留当時に拠り所としていたアメリカの正義が見つけられなくなっている。常に誰かを罵り、強欲の限りを尽くして生きてきたトランプ、誠実な生き方とは程遠いトランプのような人間が、アメリカ大統領という栄誉ある地位を得ていることがブレントにはどうしても受け入れられない。一方、ブレントの隣人マイケルは、トランプが言い立てる根拠不明な民主党攻撃を真実と信じ、トランプに期待し、心酔している。デタラメを言っているのはトランプではなくマスコミだ。我々はかつて暴虐非道なイギリスと戦ってアメリカ独立を手にした。民主党はあのイギリスと同じように我々から銃を取り上げようとしている。トランプがひどいことを言ったところなど見たことがない…まったく噛み合わない会話。議論にすらならないまま、小さな地方都市でも分断が進んでいくアメリカの姿が淡々と描かれていた。国民の分断と対立を煽り続けるトランプは、最終的に何がしたいのだろう。自分に異を唱えない人間、とりわけ白人に囲まれて、常に誰かを吊るし上げることで身内の結束を固め、お金だけはうなるほどあるような国を作りたいのだろうか。そんな国に住みたい人はいるのだろうか。家族の問題やイラク駐留当時の記憶など、話が様々飛ぶので読んでいてストーリーがつかみづらいところはあった。ただ、それよりも今は、このような本が自由に出版され、誰でも自由に読める世の中であり続けてほしいと強く思った。
February 6, 2026
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「すべての野球ファンと、トップ選手を目指す野球選手に向けて」往年の名投手、そして名監督の工藤公康さんが書いた野球の本。野球を本気でやりたい人がやるべきこと、考えるべきことがたくさん書かれていた。工藤さん自ら、あとがきの中で「野球ファンへのメッセージより、野球を志す若者や…コーチをしている方へのメッセージが多くなってしまいました」と"反省”しているけれど、読んでいて確かに「野球を志す若者にとっても少し難しい内容かもしれない」と感じるくらい、彼の野球への情熱があふれていた。野球が飛び抜けて上手、というだけで通用するのはプロ入りまで。プロ野球選手として成績を残すためには上手いだけではダメで上手くなるための努力が必要。そして、ケガをせずに長く選手を続けるためは上手くなるための努力だけでは足りない。ではどうするか、について技術的なことも心構え的なことも書いてあって、野球が好きで長くやっていただけの自分には理解が追いつかない部分も少なくなかった。例えば…(カーブについて)・僕(工藤公康)は…親指を前に出すように投げていた。前田健太くんは…小指から親指を前に出すようなイメージで投げているそうだ。(投球フォームについて)・藤川球児くんは…振りかぶってからボールをリリースするまでの時間が長い。…徐々に筋出力を大きくしていくことが可能なため筋肉への負担が少なくて済む。・成瀬善久投手は…腕を体の近くに置いておくことで距離を作り、加速時間を長くしている。・右投手なら左股関節から左肩までが「中心軸」で、左肘が「力点」、右手指先が「作用点」となる。などなど、すぐにはビジュアルが浮かばず、しばし考え込むような表現が最初の30ページくらいを読み進む間にも次々と出てきた。「野球をやっていた」と一丁前に言えるようになるためにはまだまだ学ぶことがたくさんあるし、もう身体は思うように動かないけど、できればもう少し野球を知りたいと思った。
February 1, 2026
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2026年の年明け早々、ベネズエラは米軍に急襲され、大統領夫妻が捕捉された。トランプ政権はベネズエラの石油利権奪還を今回の成果として強調している。本書には2019年頃にコロンビアからベネズエラ国内に入った著者の見聞が綴られている。豊かな石油資源の発見が、度々国内の混乱を引き起こしてきたベネズエラの歴史的な経緯はさておき、ベネズエラでは今、国民の多くが貧困に喘ぎ、経済状況と社会情勢の悪化から、国民の3分の1が国外に流出していると言われている。マスコミが報道するほどベネズエラ国内の様子は酷くはない、と著者は書いているが、報道されているベネズエラとこの本が伝えるベネズエラに大きな乖離はないように感じた。そして、この本にもある通り、たくさんの人たちが国外に脱出し、その多くがアメリカに渡り、そしてその一握りが経済的自立を果たし、その姿を追いかけるようにさらに多くの人たちがアメリカを目指してきた。アメリカを目指す目的は、生きるため。独裁政権の横暴から逃れるため。そしてベネズエラに残る家族に送金するため。だけど今、アメリカは従来の政策から一転、移民を厳しく排除する政策に転じている。流入される側としては「国家が必要としない外国人の入国は認めない。国内にいる不法在留外国人は追い払う」で済むのだろうが、世界規模で考えると、それは解決策になっていない。たまたま豊かな国に暮らしている人々が、たまたまそうではない国に産まれた人たちの苦難に様々なレベルで手を差し伸べる。それが世界中にルーツを持つ移民国家アメリカの基本的な立ち位置だとずっと思っていたけど今のアメリカ政府の考え方は違う。「蜘蛛の糸」の物語のように、後に続く人たちを叩き落として自分の繁栄だけを守ることが現政権の方針になっている。ベネズエラの人たちに限らず、生まれ育った国に住み続けられること、アメリカに行かなくても普通に生きられるような国になることが一番だとは思う。慣れない土地で暮らすことはどんな事情であれ不自由だから。中南米で貧困に苦しむ人たちは、生き延びるために次にどんな方法を見つけるのだろう。
January 27, 2026
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仙台藩の城下町の町名、舟丁(ふなちょう)は戦後の住居表示の影響を受けることなく、今も若林区舟丁が住所になっている。だけど現地に行ってみると、舟丁のかなりの部分は近頃完成した広い都市計画道路の下に沈んでいた。辻標64番「堰場(どうば)/舟丁」は、舟丁を次の通り紹介している。・御舟衆(船乗)が居住したことにその名が由来する。・城下外であった頃から水運を利した交通の要地で、広瀬川・名取川を通じて河口の閖上(ゆりあげ)から米・材木などが当地まで運ばれていた。・また対岸長町方面への連絡は、河原町の長町渡ができる以前は、当町南と根岸村を結ぶ宮沢渡が利用され、城下に入る玄関口でもあった。(堰場/舟丁の辻標)辻標の近くにはかつての舟丁と思われる細い通りがあった。正面奥に都市計画道路が見えた。(細い道の先に都市計画道路が見えた)そして辻標の南側には広瀬川が流れていて、このあたりに舟丁と対岸の根岸村をつなぐ「宮沢渡」があったのだと思う。江戸から来た人が皆ここで川を渡り、仙台城下に入っていく様子をしばし想像してみた。(宮沢橋と広瀬川)仙台市HP「町名に見る城下町」は舟丁を次の通り紹介している。・東は南材木町、西は石名坂と堰場に接する町。・水運の仕事をした足軽の舟衆が住んだことからこの名がつけられた。・仙台開府の頃は、宮沢渡戸で広瀬川を渡り舟丁に出るのが奥州街道の道筋で、城下への玄関口だった。・この道筋は、河原町が栄え長町渡戸ができるまで利用された。・また、当時は名取川河口から広瀬川をさかのぼって船で城下へ米や材木などが運ばれた。・舟丁は船着場としての役割をにない物流の要衝の町として栄えた。・昭和9年、南北に長い舟丁を仙台市電の軌道が走る都市計画路線が貫いた。・この大道にさえぎられかつての舟丁の姿を実感するのは難しいが、南はしの高柳病院の前から北を見ると、長い道筋が見えてくる。・北には静かな住宅地が連なる。国道となったこの大道の地下には、地下鉄河原町駅がつくられたこの赤い線が、舟丁の通りだったと思われる。
January 22, 2026
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2016年のアメリカ大統領選挙を民主党の大統領候補として戦ったヒラリー・クリントン。この選挙で何があったのか、彼女は何を思っていたのかをヒラリー自身の言葉で綴った本。当時、選挙期間中のどの場面を切り取ってもヒラリー候補の方がまともに見えた。さらに言えば、共和党の大統領候補がドナルド・トランプであることが余りにも謎で、これほどまでに品性も品格も知性も感じられない人間が大統領選挙の場にいることが不思議でならなかった。どうしちゃったの?アメリカ、という思いだった。そしてこの選挙以降、日本の選挙でも有権者の投票行動が思慮に欠ける、無責任なものになってきたように思う。練り上げられた政策や、世の中全体に最適な政策を訴えても「優等生」とか「意識高い系」と嘲笑われ選挙には勝てない風潮が強まっている。国民に尽くす気持ちがなくても、そして鼻先にニンジンをぶら下げるような国民を舐めきった公約を掲げても、資金があり、エンターテイメント性に長けていれば票が集まる空気感も強い。この本は、当時のロシアの動きにも少なからず紙幅を割いている。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が3年にも及んでいる今、そして戦争終結への仲介でノーベル平和賞獲りを目論むトランプ大統領が奇妙にロシア寄りの姿勢を見せている今、この本を読むと腑に落ちることも多い。絶望と不安の中に、微かな光を探す思いでこの本を読んだ。
January 17, 2026
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警察署の取調室での心理戦が延々と続く映画「爆弾」。固唾を飲んで、そして食い入るようにスクリーン上の言葉の応酬を見つめ続けた。この映画を観たのは2025年の暮れ。2025年は、日本で暮らすアジア人を見下そうと躍起になる、かつての日本に蔓延していた悪癖が一部の政治団体や活動家、そして収益目的と思われるSNS投稿者たちの扇動によってぶり返した1年だった。島国に暮らしている僕たちはどうしても井の中の蛙になりがち。それはわかっていても、日本人が優生種であるかのように思い込み、世直しを気取って人間を勝手に分類し蔑み傷つける様は、恥ずかしく、情けなくてがっかりする。彼らが真似しているであろうアメリカファーストに限らず、ロシア、中国、イスラエルなど世界中で為政者の偏狭な振る舞いが目に付き、人間という生き物に愛想を尽かす場面が多い一年でもあった。それがあってか、僕にはこの映画が人間の醜さを残酷なまでに暴き出そうとしているものに思えた。「自分は善良だと思っているお前。お前が考えていることは本当に正しいのか」と問われ続けているような、心の深いところを露わにされるような、そんな映画だった。
January 12, 2026
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近鉄〜楽天〜シアトル・マリナーズで活躍し、しなやかな投球フォームから糸を引くようなストレートを投げていた印象のある岩隈久志投手が、彼自身のピッチングについて書いた本をみつけた。少ない球数で、ストライクゾーンにどんどん投げ込みながら、凡打の山を築いていく。そんなイメージが岩隈投手にはあった。投球フォームには威圧感はなく、感情を露わに投げるタイプでもないのになぜかバッターたちは次々と凡退していく。なぜだろう…ずっと不思議に感じていたことを、この本を通じて知りたいと思った。読み終えた時、技術的なことよりも先に「野球はこういうスポーツであってほしい」とまず思った。根性とか猛練習とか気迫とか、僕の知っているアマチュア野球にはそれが前面に出てくるところがあって、指導者には自分の知識のなさを怒鳴り声でカバーしているような人が少なくなかったと思う。そして選手サイドにしても、若い時分に散々しごかれた経験を自慢話にしているような元球児たちがゴマンといる。岩隈投手はおそらくそういうタイプの人ではない。かと言って優しいだけではなく、かつて近鉄バッファローズがオリックスに吸収された時、選手を軽視する球界再編に納得できない岩隈投手は球団の意向に逆らい、オリックスがいらないと言った選手たちと一緒に新設球団(楽天イーグルス)に移籍した。彼の芯の強さには人並み外れたものがあると思う。そんな彼だから、根性論が大手を振るう野球部にいたとしても、彼の信ずるスタイルを貫けたのかもしれない。自分の筆力ではとても書き尽くせないが、僕自身の経験に照らしても合点のいく技術論、つまり、素人に毛が生えた程度の野球人にも理解できるレベルまで咀嚼された野球上達の秘訣がたくさん書かれていた。この本に感謝しつつ、備忘録的にいくつか残しておく。・腕を振るポイントは…トップからリリースまでずっとではなく…ヒジが出て「顔の横あたりから腕を振る」感覚。腕を振るのはここだけ。・カーブを投げる時に…「捻る」イメージはない。…「指パッチン」のように親指と人差し指を鳴らす感覚。このパーンと鳴るところでリリースするようなイメージ。・どんな変化球を投げる時も…手首は立てなくてはいけない。そして最後に、・自分でコントロールできないことは深く考えてもしょうがない。
January 7, 2026
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11月。長い長い夏、そして暑い暑い夏がようやく終わったと思ったら、秋は瞬く間に過ぎ去ろうとしている。取りあえず、今年も忘れずに温泉に行きたくなる気候になってくれたことに感謝しつつ、土湯温泉に行った。東北自動車道を福島西ICで下りて、国道115号線を猪苗代方面に向かうと、20分もかからないくらいで迷うことなく土湯温泉に着いた。温泉の標高は500mくらい。吾妻山に向かって結構な高さまで登るけど、11月下旬、土湯温泉にはまだ雪はなく、クマも見かけなかった。宿泊は「ホテル山水荘」。この宿、今回が2回目。チェックインの後、しばしロビーで庭を眺めた。セルフサービスの珈琲、美味しかった。夕食は和食のフルコース。福島の5つの日本酒を飲み比べながら、天ぷらとか和牛のステーキとか、ゆっくりと味わった。夕食会場は広くてライティングが寛いだ雰囲気を出していた。館内には何か所かお風呂があって、今回は2カ所の大浴場に5回か6回入った。美味しいものを食べて、温泉であったまって、それ以外は何もしない時間をのんびり過ごした。贅沢な時間。楽しかった。
January 2, 2026
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調査報道でピューリッツァー賞などを受賞したエヴァン・オスノスが書いた本。アメリカ合衆国第四十六代大統領ジョー・バイデンの半生が綴られている。出版は2020年。バイデンがトランプ大統領の2期目を阻んだ年にあたる。本書の後半、バイデンがトランプを評して語ったとされる言葉があった。「意地の悪さ、狭量さ、自腹を切ってまでも復讐を果たそうとする執念深さ。」この時バイデンはトランプ大統領の再選を阻むことに成功。敗北を受け入れようとしないトランプの悪態は、バイデンが評するトランプそのものだった。しかしその4年後の大統領選では、まさに執念深くトランプは大統領の座を再びもぎ取った。トランプ政権が誕生するまで、アメリカは長年、世界のリーダーとしての役割を果たし続け、それによって世界中の金・物・人・情報がアメリカに還流し続けてきた。そんなアメリカ繁栄の仕組みを、トランプ政権は捨てた。そして目先の取引一つ一つの損益勘定に血眼になり、結果によらず大勝利、大勝利と自らを称賛している。白人至上主義が透けて見える移民の強制排除政策は、今のところヒスパニックや中南米からの移民が主なターゲットになっているが、不法移民に留まらず留学生や研究者にも矛先が向かっている。最終的にトランプと戦った候補者がハリスではなく、再びヒラリー・クリントンだったら今回の結果はどうだったのだろう、と今さらながら改めて思う。
December 28, 2025
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仙台の城下町の北西端に「坊主町」(ぼうずまち)はあった。大崎八幡宮に近く、今は仙台市青葉区国見二丁目、八幡ニ・四丁目のそれぞれ一部になっている(昭和45年2月1日住居表示)。八幡町の本通りから北に向かって緩やかな斜面を上る。とは言うものの、その傾斜は緩やかで、大崎八幡宮の長い石段分をいつの間にか登っていた感覚。そんなに上まで登った感じはしていなかった。とにかく坊主町は大崎八幡宮に隣接する町だったことがわかった。(大崎八幡宮から見たかつての坊主町方面)辻標32番「江戸町/坊主町」は坊主町を次のように説明している。・天和3年に亀岡八幡が祀られるまで麓に住んでいた坊主衆の大部分は、龍宝寺の東北、四ツ谷堰の北に移されて坊主町ができた。・何阿彌と称した同朋衆の指導をうけ、城内の装飾、案内、接待等に奉仕した。・頭を丸めていたが、藩主や重役にも接するため礼儀作法に通じた。少しわかりにくいが、亀岡八幡は今も青葉山の麓(ふもと)にあるので、もともと川内亀岡あたりに住んでいた坊主衆が、亀岡八幡の造営によって四ツ谷用水の北側に移された、ということだと思われる。(四ツ谷用水の跡。標柱には「仙台藩祖伊達政宗公は、城下町に必要な水を広瀬川上流の郷六から引きました。「四ツ谷用水」と言われ、ここはその本流の跡です」とある)(この四ツ谷用水の上側が坊主町、下側は江戸町だったと思われる。)そして坊主衆とは、お寺にいるお坊さんのことではなく、お城の中で働く僧の姿をした人たちを指し、殿様のお世話や来客の接待をするお坊さんの姿をした人たちのことのようだ。坊主町は城下町の端にあって、お城からは少し遠い。ここからお城に登っていたとすれば、その通勤は少し大変だったのではないかと感じた。町の範囲は面的になっていて、城下町中心部の両側町とは様相が異なり、坊主町という通りがどこだったのか、歩いてみても良くわからなかった。
December 23, 2025
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ボストン・レッドソックスがワールドシリーズを制覇した2013年シーズンの終了後、この本は書かれた。少し前に読んだ「覚悟の決め方(PHP新書)」とこの本は同じタイミングで書かれ、出版されている。この2冊にはの内容が重なっているところもあり、ほぼ同時に出版されたことが少し不思議にも感じた。だけど前に読んだ「覚悟の決め方」が小気味良い書きっぷりで、読みながら気持ちが上がってきたたので、この本もちゃんと読もうと思った。野球が好きで、ある程度野球が得意で、それなりに一所懸命に野球をやって、だけど一流にはなれなかった、つまり野球エリートではなかった元野球部員たちがこの本を読むと、共感できる部分がすごく多いに違いないと感じた。アマチュア野球界の片隅にいたような僕でさえ、読みながら「あぁ、そうだったよなぁ…」と何度も感慨に浸った。専用の練習グラウンドがない、野球用具は自費で調達、遠征費も自腹、顧問はいるけど指導者はいない、選手たちで考えて練習するしかない、自己流だからケガもする、強豪校には練習試合も組んでもらえない…こんな環境で上原投手は野球を続けた。大学浪人もしながら…肩を壊したとか、膝を痛めたとか、金が続かないとか、親に辞めろと言われたとか、日々の辛い練習から逃れるためのもっともらしい理由はいくらでもある。練習環境が良かったら俺もプロに行けた、強いチームだったら俺も注目されていた、などと語る大人も少なからずいる。だけど、上原浩治はこの環境からドラフト1位で巨人に入り、30代半ばで大リーグに移籍し、ボストン・レッドソックスでワールドシリーズを制覇した。彼とその他大勢との違いは何か。上原は自身を不器用と言うが、能力の圧倒的な違いは前提としてあるとは思う。ただ、それだけでは上原浩治は上原浩治になれなかったことも間違いない。「不変」そして「覚悟」このキーワードをベースに、彼を頂点に押し上げた要因がさまざまこの本には書かれていた。
December 18, 2025
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地下鉄大通駅の近くで家族と食事をした。この日は1日雨。エアコンなしでは過ごせないほど暑かった夏の名残はすっかり消えて、夕方から気温がぐっと下がった。夏の暑い空気は今どこにあるのだろう、と歩きながら思った。今は子どもが札幌に住んでいるおかげで、北海道の親戚に会う機会も増えた。自分が子どもの頃は、おそらくわが家の経済的な理由で親戚の冠婚葬祭には親のどちらかだけが出ていたから、北海道に行く機会はほとんどなかった。今年はこれが3回目の札幌。こんな日が来るとは…と、飛行機の窓から北海道を眺めながら思ったりもしていた。子どもが予約してくれたレストランのテーブル横には大泉洋さんのサインがあった。北海道のローカル番組「1✕8行こうよ!」の縁で、今年の夏に食事に来てくれたらしい。オリゾンテ、というイタリアンのレストラン。行くたびに満席で、賑やかで、料理もワインも美味しくて、今回も楽しい時間を過ごした。
December 13, 2025
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上原投手のピッチングスタイルそのままに、小気味の良い書きっぷりの本だった。一気に読み終えた。1998年に巨人にドラフト1位で入団し、1年目に新人王と沢村賞を獲得。2009年から大リーグで活躍し、2013年にボストン・レッドソックスでワールドシリーズ優勝。胴上げ投手となった。プロ入り後の上原浩治投手の経歴は華麗のひと言。だけど彼は少年時代からずっと無名の一野球部員に過ぎなかった、とのこと。高校時代は外野手兼控え投手。大学入試では1年浪人を経験した後、体育教師を目指して大阪体育大学に入学している。その彼が大学に入ってから突然脚光を浴びた理由は何か。「正直、自分でもよくわからない…」と彼は言う。笑わせるつもりはないのだろうが、いかにも大阪の人っぽい片付け方で笑えた。自分のことを言えば、投手の経験は小学校の草野球と大人になってからの草野球だけ。あとは全部外野手だったこともあり、ピッチャーというポジションは一度きちんとやってみたい憧れでもあり謎の多いポジションでもあった。中でも、打たれている時と抑えている時のピッチングの違いが外野から見ている僕には良くわからなかった。その点も含めて、上原投手は「良くわからない…」と言いながらも一流のピッチャーへと這い上がっていくプロセスをしっかりと書いてくれている。とりわけ球種については、フォークボールの上原投手独自の握り方まで子細に書かれていた。当時はまだ現役だったのによくぞここまで開けっぴろげに…と感じた。近頃また野球関連の本に手が伸びるようになってきた。年齢がかさむとともに思うように身体が動かなくなり、それと共に野球をやらなくなり、そうするとプロ野球を観ていても興奮しなくなり、「野球に飽きたのかな」と思っていたけど、今はやっぱり野球が好きだと思っている。あわよくば、身体が動くうちにこの本を読んで、上原投手の真似をしながら上達してみたかった。さらに言えば、自分で最初からムリと決めつけずに「ピッチャーがやりたいです!」と宣言してみたかった。
December 8, 2025
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仲が悪くて極力関係を絶ってきた兄が死んだ。突然、見知らぬ土地の警察から遺体を引き取りに来るように電話があり、後始末に行かなくてはならなくなった妹の話。切実なテーマながら、ほのぼのとしたタッチで描かれていて、出てくる人はみんな良い人たちばかりで、心がほどけるような時間を過ごせた。少し欲を言えば、ロケ地があまりにも普通の場所で、映画館に向かう途中の風景とスクリーンの中がほぼ一緒。大スクリーンで日常から逃避するという楽しみ方は、この映画の場合、難しかった。
December 3, 2025
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札幌から日帰りで行けるところ…今回は夕張とトマムに行くことにした。初めに夕張、そしてトマムへ。高速道路が片側一車線だったせいか、夕張からトマムまでは地図で感じていたより遠く、北海道の広さを実感した。長いトンネルが連続する高速道路をトマムICで降りた。その途端、リゾートの雰囲気が一気に漂い始めた。さすがは星野リゾート、というのが第一印象。10月下旬。紅葉が見ごろを迎えていて、ハロウィンのデコレーションがあちこちにあるホテル内には、家族連れの姿を多く見かけた。ホテルから続く通路を「ホタルストリート」まで上り、「GARAKU」でスープカレーを食べて、チャイを飲んだ。とても美味しかった。ホテルの隣には広大な草原が広がり、乗馬を楽しむ姿などが見えた。千歳空港からも札幌からも決して近くないトマム。廃墟のようになったスキーリゾートを各地で見かける中、これだけ活気のあるリゾートがここにあることが嬉しくて、今度はゆっくり泊まりで来たい、と思った。
November 27, 2025
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仙台の城下町の東端にある保春院前丁(ほしゅんいんまえちょう)は、今もそのまま地番を住所としている。保春院前丁の通りは、市中心部の「荒町」と郊外の「荒井」をつなぐバス通りになっていて、道幅は広くないが交通量は少なくない。この通りの北側に「保春院」という伊達政宗とつながりのあるお寺があり、保春院前丁は保春院の前の通り、という意味になる。寺の入口の石柱には「仙臺藩祖公御母堂菩提所」と書かれていた。通りの南側には、かつて伊達家の養種園があり、今は仙台市の若林区役所になっている。敷地内には七郷堀が流れ、保春院前丁はこの堀を南側の町界としている。(七郷堀)辻標第78番「一本杉/保春院前丁」は、保春院前丁を次のように説明している。・臨済宗・少林山保春院の前の通りで、登米邑主伊達、不動堂邑主後藤両家の下屋敷のみがあった。(※「邑」は村や町のことと思われる。「下屋敷」は武家の別邸や庭園、蔵があった郊外の家)・保春院は寛永12年(1635)伊達政宗が、生母保春院(俗名義姫)の13回忌に、その菩提を弔うために北山の覚範寺三世清岳和尚を開山として建立した寺で、当時仙台七刹の一つといわれた。つまり、養種園になる前は、武家の下屋敷がここにあって、今は住宅地になっているこの辺りも、かつては人々が暮らしている町ではなく、大きなお寺と2つの大きな武家屋敷だけがあった場所だったようだ。
November 22, 2025
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