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屋久島の森 (画像参照:Wikimedia)日本生まれの音楽ジャンルProgressive Rockプログレッシブ・ロックを聴いてみましょう!【初級編】第7回 『日本のプログレ』Ver.2.0■お久しぶりですVoyager6434です☆さて、数カ月ぶりの更新となりました今回は又々楽天ブログ最大級となる、本文で7万文字、画像、アフィリエイトを加えて9万文字もの文章を駆使し約8年(!)前の 2012年12月12日に更新した『プログレッシブ・ロック』特集【初級編】第7回の大幅な改定と増量した文章によりwほぼ新作となったヴァージョンアップ版をお送りします。なぜ、今この記事なのか? というのは、特に理由はなくW平素からアクセスの多い過去記事のリンク切れを修正し読み返すのも苦痛な拙い文章を人知れず修正し更新し続ける中で、こんな時代に「おうち時間」を使って修正している内に当時のサクッと書いてパパッと上げていた頃のお手頃仕様の更新が現在の大量文章を嫌がらせの様にお見舞いする出版仕様で執筆してしまい特に「美狂乱」のパートが、楽曲の紹介というよりも「美狂乱」を通して見た、「音楽と地域の関係性に於ける表現としてのロックのあり方」というお茶を飲みながらせんべいをサクッと食べようとして北京ダックが出てきたかの読んでいて吐きそうになる大量の文字数を駆使した評論まがいの文章となりそれ以前に、INTROパートの「ブルース」の説明が本記事の約半分を有する大量文章となり、果たしてメインの記事に辿り着けるのかという近所の無料スポットのイルミネーションを眺めながら今年をしめやかに振り返るつもりがペルーのウルバンバ渓谷に沿った山の尾根にあり世界一の標高チチカカ湖を見下ろす空中都市の異名を持つ世界遺産「マチュピチュ」で15世紀のインカ帝国の繁栄と衰退に壮大な思いを馳せる事になる様なmailで商談する情報をTwitterで収集してるとInstagramに上げた写真がLINEで炎上してTikTokがカオスになるこんな時代だからおうち時間を使って観たAmaz◯n Primeビデオで今頃「逃げ恥」のダンスにハマる様なライザップでコミットしてサンバするマツケンの筋力に人生100年時代を見る様な時代に逆行(テネット)するブログの大量文章に疲弊するある種の達成感に浸る日常が健全に見えてくる様な一生聴き続けたいマニアにとっては「永遠に鑑賞するまでがテーマ」となる一生聴く事のない一般人にとっては「鑑賞するまでが永遠のテーマ」となるそんなプログレッシブ・ロックを紹介する今回はプログレカテゴリー発祥の地「日本」のプログレ に再度スポットを当ててみようと思いますそれではスタート☆-----------------------------------------------------------------------------------■ もくじ ■- INTRO 前枠解説 -■「形から入る」形で認知された日本のロック■1.「不良の代名詞だったROCK」2.「オーセンティックでは無い日本独自のビジュアル系ROCK」3.「ブルースの影響と欧米音楽の変移」4.「ブルース黎明期の多様性と統合への近代化」5.「ブルースが停滞した大恐慌」6.「エレキ時代に埋もれゆくブルース」7.「逆輸入で再評価されるブルース」8.「社会に影響を与えるブルース」9.「原点回帰を促すブルース」10.「ブルース体験と正統派ROCKとの関係」11.「日本に上陸したブルースと定着しなかった要因」12.「日本のROCKの特異な発展とその脆弱性」13.「サブカル化するROCKと見限られる邦楽界」- 楽曲解説 -M1(1984)NOVELA『調べの森』M2(1985)難波弘之『ブルジョワジーの密かな愉しみ』M3(1982) 美狂乱『二重人格』1.「レコード会社の事情に振り回された当時のバンド事情」2.「音楽的個性の根付きと偏狭性との関連」3.「地方型音楽を形成する音楽的地盤」M4(1974) 四人囃子『おまつり』M5(1986) PRISM『TAKE OFF』M6(1982) 高崎晃『逃亡 ~STEAL AWAY~』M7(1983) TAO『Hello Vifam』- OUTORO 後枠解説 -■新世代音楽の個人化とコラボとの関連性■1.「バンド形態が廃れた欧米事情」2.「誰も語らない、Tic Toc以外の『香水』のヒットの背景」■楽天市場■▲目次へ▲------------------------------------------------------------------------------------ INTRO - ■「形から入る」形で認知された日本のロック■-----------------------------------------------------------------------------------The Spiders (画像参照: wikimedia)それでは まず、「日本のロック」に付いていつもの偏狭な視点で、時にはお得意の「妄想」を交えて少しばかり紐解いてみたいと思いますロック黎明期の60年代の日本はカントリー&ウェスタン、JAZZなどが開いた洋楽の扉をその後ロカビリーブームを経由した「ベンチャーズ」人気がGSブームへと押し広げる中にありましたが、これらの音楽はライターが楽曲を書き歌手が唄う「洋楽ポップ」の様式をベースとした「芸能人」による音楽中心の時代でした。それが64年のビートルズの登場によりシンガー・ソングライターによるオリジナルの音楽に世の中の興味が移行するとブリティッシュ・インヴェンション(英国音楽の侵攻)の波が米国にまでとどろきビーチボーイズの様なサーフミュージックバンドが刺激を受けて変貌し「ペット・サウンズ」の様なコンセプト作品をリリースするまでに影響を与えたのに対して日本でも米国同様にビートルズに刺激を受けながらも、GSが歌謡曲化した時期の日本の歌謡界で「ロック・ミュージック」にオリジナル性をもたせるという様な世間の期待に応えるだけの楽曲を輩出する音楽的基盤は無くGSブームも終焉して行きます。という訳で今回は、音楽的基盤の無い日本のロックという話を中心に如何にブルースがロックの基盤となり得たのか、ブルースの歴史と共に、日本のロックの今の姿をお話しして行きます。曲紹介を挟んだ後後半では、今やボーダーレスとなった音楽業界で流行りつつあるものと廃れつつあるもの更には、誰も語らない「香水」のヒットとネット新世代との関係を紐解いて行きたいと思います。さてやがてこの期待は「フォーク・ブーム」の方にスライドして行くのですが60年代後期にはこの「フォーク・ミュージック」を一つの切り口として68年に 加藤和彦率いるフォーク・クルセダーズが放った『帰ってきた酔っぱらい』の様なフォークの造りで「楽曲の存在」に「ロック」を感じる作品が登場する事でようやく日本の音楽に「ロック」の精神が根付き始めて行きます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------1.「不良の代名詞だったROCK」-----------------------------------------------------------------------------------Kanda Quartier latin1968/06/21 (画像参照: wikimedia)折しも「ベトナム戦争」反対運動を通して、「学生運動」が再び盛んになってきた時期でもあり「ロック」と言えば激しいサウンドというイメージからその様な運動に熱狂する若者達が共鳴するカルチャーとして怒れる若者達が好む音楽が「ロック・ミュージック」という形で世間一般の知る所になって行きますしかし学園闘争が過激さを増し、暴力や死傷事件へと発展するとこれまでこれらの運動に共感してきた世論からの求心力を失いそれと同時に「ロック」も、「ロックは反抗」「ロックは暴力」「ロックは不良」という反社会的イメージが定着する様になり70年代に登場したハードロックも ヘビメタも プログレも音楽ジャンルとして一般的に 認知されない一部の愛好者が聴く マニアックなものとなり欧米に比べてロックが定着しづらい土壌が作られます。当時の日本のミュージシャンの中でもロック支持派のミュージシャン達は、ロックが定着しない当時の音楽業界で創作意欲の表現先を求めてネットはおろか Youtubeも無かった時代に何とか国内にロックを発信する為に、楽曲を聴きやすく妥協した形に変えてリリースするか歌謡曲に許容範囲内でハードなアレンジを施すか様々な要素が渾然一体となった流行歌の素材の一部とするか、或いは、ハナから売れない事を承知で本格ロックを演り、食べる為の職は他に持つか「ロック」はその様に「異端」なもの扱いを受けながらそれを甘受する中で作られて行きます結果、そうしたロック的な音楽によって徐々に「ロック」が浸透し受け入れられる土壌が作られて行くのでした。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------2.「オーセンティックでは無い日本独自のビジュアル系ROCK」-----------------------------------------------------------------------------------BOØWY 1984 (画像参照: wikimedia)80年代に入りますと BOØWY のブレイクもありロックは徐々に一般層の認識に至るまでになりますが音楽性よりも「ファッション性」の方が大きな話題として取り上げられX JAPAN の登場後の「J-Pop」全盛期に入りますと日本独自のサブカルチャー文化を背景とした「ビジュアル系」と呼ばれるスタイルのバンドが多数登場しいわゆる見た目から入る形で日本のロック黄金期の到来となり欧米には無い独自のビジュアルとサウンドは「異なる肌触り」がするエキセントリックで魅力的な音楽として欧米からも注目される様になりいきなりジャンルとしての到達点に達します。一方で、この「ビジュアル系」ロックは欧米の音楽シーンでのムーブメントで、70年代後半にチャートを賑わせた「商業ロック」に対する反発として「ブルース」から派生した 正統派なロック への回帰を目指して登場した「オルタナティブ」などのジャンルとは異なり「ブルースから派生した正統派ロックに影響を受けたバンド」を輸入盤で聴いて影響を受けるという、コピーしたものをファックスして受け取る様な形で「ロック」に触れた日本のロックの歴史が投影された様な、「ロック」から「ブルース」が・・・では無く「ロック」から「ブルース体験」が 抜け落ちたオーセンティック(正統派) なものとは言えないものでもありました。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------3.「ブルースの影響と欧米音楽の変移」-----------------------------------------------------------------------------------Eric Clapton & Roger Waters (画像参照: wikimedia)「ブルース」では無く、なぜ「ブルース体験」が抜け落ちると「正統派」とは言えなくなるのか・・・を語る前にここで「ブルース」の歴史を少しばかり紐解いてみたいと思いますw「ブルース」はエリック・クラプトンなどのブルースギタリストが中心となって演奏するバンドで演奏するスタイルが有名ですが、元はアフリカが起源の、17世紀から19世紀中期にかけての時代に農業が盛んな米国南部地区で、大規模農園での奴隷として従属を強いられ奴隷解放後も人種差別などの迫害を受けてきた黒人達の為す術も無く苦境に立たされて来た受難をベースにした憂鬱でふさぎ込んだ気持ちを歌にして癒やしとする「黒人霊歌」「労働歌」などが発展した、ギター1本で弾き語る黒人のローカルな伝承音楽で地方によって異なるスタイルで発展したものや時代と供に変化したもの現在のバンドスタイルとなったものなど、これら全てを含めた総称を「ブルース」と呼んでいます。ブルースの音楽的な特徴は西洋音楽の音階から外れた「ブルーノート」と呼ばれる音階を加えた5音階の「ブルーノートスケール」で構成される「ブルース形式」と呼ばれる独特の反復されるコード進行と「シャッフル」と呼ばれる跳ねるリズムに乗せた独特の節回しのフレーズで構成された演奏に、奴隷解放が成立した後も準奴隷システム「黒人取締法」「ジム・クロウ法」などの悪政が続いた当時の米国南部で暮らす黒人達の、いわれのない罪で投獄された監獄で過ごす理不尽さや作物の被害を受けた自然災害に遭う成すすべもない苦難や「♪俺はお前の奴隷さ」の様に男女の関係を「奴隷」の立場に置き換えて迫害への抗議の念を唱える、二面性の意味を持たせたものなど、白人と黒人を平等に扱わず階層社会の底辺に封じ込め様とする当時の米国社会への反発を原動力とした「ブルース」ならではの表現を使った自傷的な歌詞に乗せてレイドバックした雰囲気で唄うのが様式で、ミシシッピ・デルタ地帯で発生したアコースティックギターの伴奏で唄う「デルタブルース」やシカゴで流行したピアノの伴奏で唄う「ブギウギ」形式のものなど、地方によって様々なスタイルを持った多様なものが知られています。この様な、黒人のローカル音楽の「ブルース」が普及したのは米国の場合は、50年代以前メインストリームのラジオから流れる事すら無かったブルースがその後「アフリカ系アメリカ人公民権運動」をきっかけに50年代中盤以降からチャック・ベリーなどの黒人スターのブレイクを通して根付いて行き、英国の場合は、第2次世界大戦中 英国に駐屯した米軍兵からブルースが渡りやはり50年代からブルースが根付いて行ったという歴史があります。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------4.「ブルース黎明期の多様性と統合への近代化」-----------------------------------------------------------------------------------W. C. Handy - The "St. Louis Blues" - First page (画像参照: wikimedia)さて、「ブルース」の歴史ですが、いつ、どこで、誰が、どうやって、ブルースを誕生させたのかは定かでは無いそうですが1900年代初頭、「ブルースの父」と呼ばれるW・C・ハンディという人が米国南部を旅して耳にした地元に根付いた音楽を譜面(シート・ミュージック)にして広めたものが「ブルース」の始まりと言われております。そうして広まった「ブルース」が南部各地で根付いて行き米国南部のミシシッピ州デルタ地帯やテネシー州メンフィスなどで発生したギター弾き語り哀歌が1920年代以降、チャーリー・パットンやロバート・ジョンソンの登場で黒人の間で人気の高いジャンルとなり「デルタ・ブルース」として世に広まったとされてます。加えて、「ミシシッピ・デルタ・ブルース」「メンフィス・ブルース」「ジョージア・ブルース」「テキサス・ブルース」の様な地域によって違うスタイルのブルースもレコードの普及によって地域を越えて広く知られて行く様になりレコードを通して各地のミュージシャン達も異なるスタイルのブルースに影響を受ける様になって行きます。又、大都市では、レコード普及より前から先行する形で、様々な地方から都市へと集まって来た各地のブルースミュージシャン同士がお互いのスタイルに影響を受け合いギター、ピアノなどの異なる楽器、スタイルのコラボが流行した「シティー・ブルース」と呼ばれるムーブメントが発生しシカゴの様な都市で徐々にブルースが、洗練されたものになって行きます。一方で、南部での迫害を逃れて北部へ移住しそれぞれの地域で活躍するブルースミュージシャン達がこぞって都市へと進出したり、レコードを通したりして異なる地域のブルースに影響を受ける事でそれまで地域ごとに異なるスタイルとして存在していた地域性が失われて行き様々なスタイルが混在した地域性に於いて多様性の無いものになって行きます。それと引き換えに「ブルース」は全国のミュージシャン同士の切磋琢磨によってより洗練されたものへ進化する事になったと言えます。やがて「ブルース」が全国的に知られて行く様になりますと、人の心の闇を赤裸々に語る内容や歌詞の中に良く出てくる「呪い」のワードなどブルース特有の表現に反応して敬虔なキリスト教徒などの中で嫌悪感を抱く人々が現れたり元説教師のブルースマン、サン・ハウスの様に宗教とブルースの間で葛藤しながら活動を続ける者が現れる事でブルースは「悪魔の音楽」や「スピチュアル」といった神秘性を帯びたものとして語られる様になります。これは、当時の米国内でブルースへの関心が高くなった風潮に対し白人社会に黒人が進出する事を憂慮する白人達が偏見故に歪んた形で拡めた現れとも言えるものがありますが、1929年10月に発生した「大恐慌」によりレコード業界が大打撃を受けブルースは30年代の前半に停滞の憂き目を見ます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------5.「ブルースが停滞した大恐慌」-----------------------------------------------------------------------------------Crowd gathering on Wall Street after the 1929 crash (画像参照: wikimedia)・・・ちなみに「大恐慌」の原因は ざっくり言いますと第一次世界大戦中の戦争景気で大きな利益を上げた1920年代の米国は大都市にはビルが立ち、自動車が普及し、大量消費時代に入り世はバブル経済景気にありました。そんな当時の米国の企業も消費者も世の中の好景気に熱病の様に浮かれて、消費者側は、散財はステイタスとばかりに、消費に明け暮れて、企業側は、巨大な利益は巨大な投資とばかりに、過剰な設備投資と過剰な生産をし続けていました。やがて消費と供給の均衡は崩れて供給が消費を上回ると世の中に物が溢れて売れ残り、結果、物価が急激に下がり始めます。折しも企業への投資がブームだった事もありこれまで企業へ過剰に投資して来た投資家達は世の中がデフレ傾向にある事に過剰に反応し、投資が回収出来なくなる危機感から一斉に企業株を手放した事により株価が暴落し恐慌を引き起こしたと 言われていますが、元々この時代の好景気は、かつて大農園や工業の企業主が多くの黒人労働者達を奴隷同然の低賃金で雇った事による、黒人側から見れば、白人達によって搾取された理不尽な利益によって支えられた経済でもたらされたものでありその経済がバブル景気にほだされる様に高コスト化に陥って社会に還元出来ない程の高価格商品で溢れてしまった事による実物資産の収益率が低下した事で引き起こされた価格低下による結果であるので当時の理不尽なシステムの中で米国経済を支えた黒人労働者達の、働けども報われないこの様な資本主義的理不尽さも、ブルースの原動力の一つとなった訳です。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------6.「エレキ時代に埋もれゆくブルース」-----------------------------------------------------------------------------------Gibson L-5 (1928), Maybelle Carter, CMHF (画像参照: wikimedia)さて、時代は「エレキ」の時代に入りまして・・・・・・所で、ここまで読んでくださった方の中で、「ブルースへの脱線が過ぎるのでは?」と思ってる方がおられると思いますが、これがこの先ちゃんと「プログレ」に繋がって行きますのでwなのでここでブルースとロックの関係をある程度掘り下げておかないと理解に繋がらない という事でどうかもう暫くお付き合い頂ければと思いますwww・・・・・・ともあれw、1930年に登場したエレキギターによりギタリストはバンドや楽団の中でも埋もれない大音量を獲得しそれまで楽団の主役だったサックスやトランペットなどの管楽器と並びギターはソロ楽器として楽団の前面に出る様になります40年代に入りますと、第二次大戦後米国北部のシカゴやデトロイトで南部の「ブルース」をバンド形式へ発展させてエレキギターを導入した「シカゴブルース」が登場しマディ・ウォーターズ などのスタープレイヤーを輩出して行きます同時期に、北部、西部、東部で「ブルース」「ブギウギ」から発展し「ゴスペル」「JAZZ」を加えた都市型ブルース「R&B (リズム&ブルース)」が誕生し、これらのムーブメントが南部のクラシック・スタイルなブルースマン達にも影響を与えて行きます。エレキギターの登場は「JAZZ」や「ブルース」でのギタリストの役割を前面に押し出したばかりでは無く、新たなサウンドを求める動きにも好都合のアイテムとなりました。50年代には「R&B」に「カントリー」と「ブルース」を加えてエレキギターで演奏する「ロック&ロール」が誕生し、チャック・ベリー などの黒人のロックスターを生み10代の若者の間で人気を博す一方で、南部メンフィスでは「ロック&ロール」に先行する形で「ブルース」「カントリー」にアイリッシュの伝承音楽「ブルーグラス」などが加わった「ロカビリー」のムーブメントが発生し「ロックンロールの誕生」と呼ばれる『ロック・アラウンド・ザ・クロック』のビル·ヘイリーや歴史的大スター エルビス・プレスリー が登場し「ロック&ロール」人気を牽引して行きますが先程のチャック・ベリーを始めとした黒人のブルースベースのものを「ロック&ロール」プレスリーを中心とした白人のカントリーベースのものを「ロカビリー」とジャンル分けしながらもこれらは多義的に「ロック&ロール」と呼ばれ供に人気を博しながら次々と大ヒット曲を飛ばし、音楽界が活気づいて行きます。一方「ブルース」は、ロックンロール人気に押されながらも50年代に入りますとバディ・ガイなどの新鋭ギタリストがこれまで伴奏楽器だったギターをリード楽器として使う「ウェスト・サイド・サウンド」と呼ばれた、現在もバンドでブルース演奏をする際に良く聴かれるスタイルを確立させますが結局ロックンロール人気に潰される形で「ブルース」のムーブメントは活気を失って行き、1950年代半ばから黒人の権利と平等を求める「公民権運動」が盛んになりその動きに呼応した様に生まれた「ソウルミュージック」が流行り始めた頃には、厳しい差別のある南部を離れ北部へと移住した黒人達が生み出し「奴隷」だった時代の故郷でもある南部への想いを乗せた「ブルース」は記憶から消去してしまいたい屈辱に満ちた歴史を象徴するものとして米国内で自由と権利を主張する新たな時代を切り開いて行こうとする黒人達にとって過去の亡霊とも言うべき忌み嫌われるものとなって行きます。しかし、チャック・ベリーがインスピレーションの源と語るマディ・ウォーターズのブルースに影響を受けて音楽を始めた様に「R&B」に「ゴスペル」的要素を拡大させて、強力なリズムに乗せ人種問題を定義し解決の道を叫ぶメッセージ性の強い「ソウルミュージック」にしてもこれらの音楽を育んだのは「ブルース」の力があっての事でした。■ブルースが忘れられた音楽となった60年代初頭、ブルースマン達は海を渡って英国に上陸しマーティン・スコセッシ監督がプロデュースした2003年のドキュメンタリー『レッド、ホワイト&ブルース』でも描かれた1962年に行われた『アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァル』に出演した事でブルースに転機が訪れます。この時、生のブルースに触れた英国や欧州の若者達が衝撃を受けそれがブルースのブームとなって英国や欧州へと拡がって行きそれが、折しも英国での新しいサウンドを求める動きにも合致した事でロックサウンドでブルースを演奏する「ブルース・ロック」が誕生しフリートウッド・マック、ローリング・ストーンズなどのブルースに影響を受けた多くのバンドを生み出します▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------7.「逆輸入で再評価されるブルース」-----------------------------------------------------------------------------------Fender Precision Basses / Fender Jaz Bass (画像参照: wikimedia)・・・ここで「ロック」に付いて少しだけ説明しますとw「ロック」は「ロックンロール」「ブルース」「カントリー」などから派生したジャンルですがラブソ・ング主体の歌を唄う「ロックンロール」「ロカビリー」や愛国心や故郷への想いを唄う「カントリー」とは異なり「激しい男女関係」「体制への反抗」「社会問題への憤り」など多義に渡るテーマを扱う所に大きな特徴がある非常に幅広いジャンルと言えますが最も大きな音楽的特徴としてはベースパートにアコースティック・ベース(ウッドベース)を使用していた「ロックンロール」「ロカビリー」「カントリー」の編成に対し、ベースには「エレキ・ベース」を導入してエフェクター、アンプ機材で楽器音を歪ませたエレキ・ギターに乗せたラウドなサウンドで演奏する3ピースバンドを主体とした編成に大きな違いがあると言えます。さて、ブルースに影響を受けた英国の音楽界が60年代中期辺りから ビートルズ の登場を皮切りに「ブリティッシュインヴェンション」と呼ばれる英国ロックの新たな潮流を世界に拡げて行く中で、今度は米国で、ビートルズ、ローリング・ストーンズの渡米をきっかけにこれら英国の音楽が実は米国で忘れられた「ブルース」に影響を受けて生まれたものだという事を英国人によって逆輸入の様な形で知らされますそれによって「ブルース」再評価の動きが全米に広がって行く事になります。これにより「三大キング」と呼ばれたB・B・キング、アルバート・キング、フレディ・キングを筆頭としたブルースの名手達が新たなマーケットとなった「ロック」のカテゴリー中で再びスポットを浴びる事になるのでした。忘れられた名手達にスポットが当てられる中で「ブリティッシュ・インヴェンション」の余波は米国の音楽界の図式を書き換え作詞家作曲家が書いた楽曲を歌手が唄う「芸能」から自作の楽曲を自ら唄い演奏する「創作」が主流となるアーティストが活躍する流れを生み出します。その様な波の中、ブルースに強い影響を受けエレキギターで短いパターンを繰り返す「リフ」を核としたヘビーサウンドを確立しこれまでのギターミュージックを覆すプレイで多くのミュージシャンに影響を与えたロック・ミュージックのパイオニアジミ・ヘンドリクス の登場と共に新たなサウンドを支えるエフェクター類、音楽器機の発展に加速がかかり、新しいサウンドを求める動きが活性化し60年代末にはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル を始めとする歪んだ巨大なギター音をフィーチャーしR&Bをフォークミュージックの文脈とラウドなロックの形態で演奏する「ハード・ロック」が登場します加えて、シンセサイザー、メロトロンなどの最新楽器を使用し「ロック」に「JAZZ」「クラシック」などの音楽様式を掛け合わせた実験的サウンドと文学的理念をエモーショナルに表現する高度で先進的な音楽を演奏する「プログレッシヴ・ロック」も同時期に登場し、ピンク・フロイドやキング・クリムゾン、ジェネシス、イエス、EL&Pなどのプロクレッシヴ・ロックを代表するバンドが次々と誕生して行きます。ここでようやくプログレが出て来ましたが、これがオチではありませんので、もう暫くお読み下さいw▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------8.「社会に影響を与えるブルース」-----------------------------------------------------------------------------------この様にロック時代を牽引した「ブルース」がある一方で、レイ・チャールズ、サム・クック、ジェイムズ・ブラウンアリサ・フランクリンを生み出した「ソウルミュージック」は「ブルース」から発展したR&Bが生み出したジャンルで白人社会にブラックミュージックの存在を認めさせた音楽でもありました70年代に入りますと「ニュー・ソウル・ムーヴメント」と呼ばれるソウルミュージックよりも更に社会問題へ言及する形でジャズやフォーク、民族音楽などの異なる要素の音楽を加え化学反応させた複雑で高度な音楽性を内包した楽曲を輩出する新世代ブラックミュージックが誕生しマーヴィン・ゲイ、スティーヴィ・ワンダー、カーティス・メイフィールド、ロバータ・フラック、ダニー・ハサウェイなどのアーティストの登場でブラックミュージックは全米音楽チャートを賑わせるメインストリームの音楽として米国の音楽界で揺るぎない地位を獲得する事になります。続いて、70年代中期から後期にかけてファンク、ソウルミュージックをベースに強力なダンスビートが加わった「ディスコミュージック」が一斉を風靡しスウェーデンのPOPグループ ABBA のブレイクや元はソフトロックデュオグループだった ビージーズ がディスコティックサウンドへ大胆な変身を遂げ音楽を担当したジョン・トラボルタ主演1977年の映画『サタデーナイトフィーバー』の大ヒットなどのきっかけで一大ブームが巻き起こります。ブルース界でもエリック・クラプトン、ジョニー・ウィンターなどの白人ブルースマンの登場など、ブラックミュージック界での白人ミュージシャンの進出が目立つ様になって行きます。これらは先程も出てきた「公民権運動」に呼応した動きと言えますがこれは当時の米国白人社会の中で黒人が地位を獲得した事を意味するだけでは無く白人社会の中に黒人が生み出した音楽が根付いた事を象徴する動きだと思われます・・・・・・かつて40年代、50年代の米国の音楽界では、黒人ミュージシャンによるR&Bのヒット曲を白人ミュージシャンがリメイクし黒人ミュージシャンのヒットを上書きする様なヒットを遂げて大ヒットした事実を白人のものへとスライドさせる、音楽界での黒人の台頭を許さないとばかりにあからさまなまでに功績を横取りしてきたという歴史がありました。現在でも人種問題で全米が分断される中、日本では「都会風」と訳される「アーバン」という言葉が白人音楽界の「ポップ」の対極にある差別的な言葉であるという問題が浮上しポリティカル・コレクトネスの見地から使用の是非が問われ米グラミー賞では「アーバン・コンテンポラリー」という名称を「プログレッシブR&B」に変更しようという名称問題が音楽ファンの間でも取り沙汰されましたが名称問題の是非はともかくとしてこの騒動の要は、現代の米国音楽界に人種問題のメスが入った所にあるのでは無く黒人アーティストの功績を軽視する傾向が40年代、50年代はおろか、80年経った現在に於いても未だ米国の音楽界に 根強く残っていた事を浮き彫りにした点にあると言えます・・・▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------9.「原点回帰を促すブルース」-----------------------------------------------------------------------------------80年代に入りますと、音楽器機がアナログからデジタルへ移行しアース・ウィンド&ファイアー の様なファンク・ソウル・バンドやアレサ・フランクリン、ティナ・ターナー などの大物ソウルシンガーがアナログ時代には存在しなかったクリアで綺羅びやかでゴージャスなデジタルシンセサウンドをバックにスタイリッシュなコンテンポラリー・ミュージックを唄うアーティストへとこぞって変貌を遂げ音楽配信TVサービス「MTV」人気やハリウッド作品の主題歌起用ラッシュによって景気低迷で停滞していた音楽界は再び活気を取り戻しますしかし90年代に入りますと、経済を立て直す経済再建策レーガノミクス疲れが出たのか「癒やし」を求める風潮が拡がり音楽界で新しいサウンドを求める動きが行き詰まり始めます一方で、媒体がアナログレコードから CDへ移行 した事を期にレコードで揃えた愛聴盤をCDに買い換える「リバイバルブーム」が起こり世の中のその様な動きに呼応する様に派生した「オルタナティブ」ムーブメントに代表される、原点に立ち帰る動きが音楽界の中で広がって行きます。ロック界でも「ヘビーメタル」ブームが収束した反動の様にアンプ機材を使用しない、アコースティック楽器のみで演奏する「アンプラグド」ブームが起こり、その流れから数多くのアーティスト達が自身のルーツとなる「ブルース」へ回帰 する作品をリリースしました。21世紀を迎えますと、インターネットの普及とCDパッケージ販売からダウンロード販売への移行で音楽業界は激変し大手レーベルの資金力と機動力を借りなくてもネットでのダウンロード販売とSNSによる拡散でプロダクションレベルでのリリースが可能となった事で音楽界はそれぞれのアーティスト力を糧とする業界の多様化が加速して行きます。■農業革命ではノーフォーク農法の普及で穀物生産を増大させ経営に資本主義的理念を導入し産業革命後は、手工業に替わる機械への移行とそれに伴う生産技術の革新と、それを支える石炭などのエネルギーの変革を起こし小品種大量消費が社会の主流の世の中となり、音楽業界もそれに倣い大衆が好むとされる音楽を大量消費させるやり方を推進させる資金力と機動力のある大手メジャーレーベル独占体制が続きましたしかし、20世紀の最後に登場したインターネットによる第三の波 情報革命によりかつて黒人を低賃金労働者として隷属させ「ブルース」を過去のものとしてきた歴史を持つ米国は大衆音楽をリリースし続ける大手メジャーレーベル主導の図式を崩壊させ21世紀に入り人種問題で国を分断させ個人の価値観が主導する時代へと変化した事で現在の様な大きな岐路に立たされる事になるのでした。そしてこの様に先の見えない世の中になった時は初心の気持ちで原点に立ち返り自分探しの旅を行ったり原点回帰からの再起を図るなどの行動を取ったりするものなのですが、ジャンルが行き詰まった時、自身の原点に回帰しようとするのは音楽も同様で、ロックアーティストの場合も 自身が影響を受けた音楽の中に全てのロックの源泉となる「ブルース」を見出してそれが、自身の音楽性を見つめ直して起死回生を目指したりあるいは本格的にブルースに取り組んだり新たなジャンルを生み出す「原動力」となったりする訳です。これは、「影響を受けた音楽」の中に「ブルース」を発見する作業、という文字通りの「源泉探求」の作業を指す他に「影響を受けた音楽」を通して自身のDNAの中に「ブルース」を体験していた自分を「発見」するという、元から自分が持っていたものを「再確認」する行動を指し、それにより自身の音楽的基盤が「正統派」なものであると捉える音楽的「指針」を見出す行為を指す事を意味し、これが、ジャンルが行き詰まった時に再起する為にリセットし原点回帰しようとする動きの原動力になるのだと言えます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------10.「ブルース体験と正統派ROCKとの関係」-----------------------------------------------------------------------------------ここで「ブルース」では無くなぜ「ブルース体験」が抜け落ちると「ROCKの正統派」とは言えなくなるのかという最初の話に戻りますが、「ROCKの正統派」のベースに「ブルースを聴く体験」では無く「ブルース体験」があるのは欧米の人々が生活する中で蓄積されて行く知識、経験に基づいた「体験」の中に、「ブルース」の様に人々の営みから派生して根付いて行った音楽が生活をして行く中で自然と体の一部となる様な音楽体験が含まれているとするなら、同じ様に人々の営みの中から派生した「ROCK」も音楽体験という形でブルースとの繋がりがあるのでその様な音楽的基盤のある音楽から派生した「ROCK」は正統派な音楽だと言う事になります。つまり「ブルース体験」という形で「ROCK」は欧米人の体の一部となっているので「正統派」な「ROCK」のベースには「ブルース体験」があると、いう事になる訳です。それに対して日本の場合は戦後欧米の様に「ブルース」が体の一部となる「ブルース環境」が作られる様な音楽的地盤も機会も無かったので70年代に「ブルース・ブーム」が起こっても数年の短期的なブームで終焉し日本の音楽界にブルースが定着する事はありませんでした。その後、日本のROCKが大きく欧米に遅れを取る事になったのは正統派なブルースが日本の音楽に根付かなかった所に大きな要因があったのではないかと思われます。この「ブルース環境」とは何かという事ですが、コレを日本の音楽に置き換えると理解しやすくなると思います日本人が演歌のこぶしと「和」の手拍子の「間」を理解する事に何の理由も必要なく、DNAの中に演歌と「和」をいつの間にか体験していた自分を発見して音楽的基盤が正統派な邦楽にある事を自覚して「邦楽体験」を理解するのと同様に欧米人がブルースのノリとインテンポのリズムを理解する事に何の理由も必要なく、DNAの中にブルースを体験していた自分を発見して自覚して理解出来るのでその様な社会的な環境の中で音楽的基盤となるものが体の一部となり生活レベルでブルースが根付いた環境が「ブルース環境」という訳です故に日本人はROCKのインテンポ(リズムの裏)を取るのが苦手でブルース特有の歌いまわしが理解出来なくて欧米人は演歌や民謡の手拍子の「間」を取るのが苦手で演歌特有のコブシが理解できないという事になる訳なのでした。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------11.「日本に上陸したブルースと定着しなかった要因」-----------------------------------------------------------------------------------B.B. King (画像参照: wikimedia)さて、日本でブルースがブームになったのは欧米から遅れること10年1971年、B・B・キング初来日公演をきっかけに起こりました加えて1974年に開催されたブルースフェスティバルでB・B・キングを通して生のブルースに触れた当時の日本の音楽ファンやミュージシャンが正統派シカゴブルースを演奏するスリーピー・ジョン・エスティス&ハミー・ニクスンと、ロバート・ジュニア・ロックウッド&ジ・エイシズに衝撃を受け日本でブルースのアルバムのセールスが一気に伸び竹田和夫率いるブルース・クリエイションや憂歌団などのブルースバンドが人気を博す様になりますこのフェスティバルの模様は75年に発売されたライブ・アルバム『ブルース・ライヴ! ロバート・Jr.ロックウッド&ジ・エイシズ』で聴く事が出来ますがこのフェスティバルが翌年75年まで3回開催された後は日本のブルースブームは まるで潮が引く様に収束するのでした。これは、1930年代にロバート・ジョンソンの様な人物が存在していた米国や第2次世界大戦の米軍駐屯で米兵を通して拡がった英国の例の様に「ブルース」が浸透する音楽的地盤が 日本には無かった事や、欧米で「ブルース」が定着した50年代中期は日本では戦後からようやく復興した時期に当たり戦時中洋楽は敵性音楽として鑑賞禁止となり音楽的な鎖国状態が続いた後に戦後進駐軍を通してようやく洋楽体験をするという、欧米の音楽の潮流から大きく外れた事などが要因となりブルースが定着する基盤を作れなかった所に理由があったように思われます。これにより日本の音楽界は世界の潮流から10年遅れて日本にブルースが根付く土壌を作ることが出来ないまま今後もこの差が埋まる事がなかった所に日本のROCKが欧米に対して大きな差が付いた要因となったと言えます。加えて日本では、「ブルース」から派生した「R&B」から「ロックン・ロール」を経由して新しいサウンドを求める機運の中で「ビートルズ」が登場する という欧米が体感した順当な「音楽的体験」をしないまま、戦後入ってきた「白人音楽」で突然洋楽を体験した後に64年に「ビートルズ」を体験してから70年前半の「ブルースブーム」となっているので、欧米の場合「ビートルズ」を聴いた人々がビートルズを通した「ブルース体験」を体感しながら『ブルース、R&B から発展した新しいサウンド』という様にビートルズの「画期性」を理解して行った事に対して、当時の日本の音楽的状況ではビートルズを真の意味で理解できない状況だった事が分かります。それに加えて、例えば・・・欧米の音楽に触れながら洋楽に対しての「音楽的情緒」というものが形成されていく、「民族的成長因子」がというものがあるのだとしたら・・・この時点でビートルズを理解出来なかった事は「世界的音楽の潮流」から10年乗り遅れただけでは無く本来なら60年代前後の時期に「ブルース」を体験してその後にビートルズを体験して一様に衝撃を受けた後に欧米のロックに触れて、「ロック」の中に「ブルース」を発見する「正統派ロック」の因子が定着するというそれらの音楽的情緒が育っていく大事な時期に、「ブルース」を聴いた時に受けるべき衝撃を体験する前にいきなり「ビートルズ」という発展形に触れて日本中が衝撃を受けた事で日本民族から「ブルース」という因子がゴッソリ抜け落ち「ロック」から「ブルース」を感じられない状態が日本では「ロック」のデフォルトとして定着した事になります。後にブルースがブームになってもブルースへの関心が5年と保たなかったのも、「ブルース・クリエイション」の様な本格ブルースバンドが世界の潮流とは異なった日本の音楽界で居場所を模索しながら「ニュー・ミュージック」のムーブメントに押される形で81年に「クリエーション」と改名してサウンドをポップ化しシングル「ロンリー・ハート」で奇しくも自身最大のヒットを飛ばす事になったのも、昭和の歌謡界で「ブルース」と名の付いた楽曲が「ブルース」とはかけ離れたものだったりするのも、そもそも日本のロックが欧米のものとはサウンドも仕様も大きく異なるのも、日本人の音楽的情緒から「ブルース因子」が抜け落ちた所に理由があった様に思われます。■この様に原点回帰出来る様な歴史的音楽基盤の無いまま発展した日本の音楽は廃れたら消えて、新しいものが「根無し草」の状態で生まれて又廃れる、を繰り返す「体力のないジャンル」となり日本の音楽界の「10年の遅れ」はその後も埋まる事無く21世紀を迎える事になります。一方で、「ビートルズ」を体験した後に音楽をマニアックに学問的側面から捉える日本人ならではの「探究心」が昂じてピンク・フロイドやディープ・パープルやブラック・サバスの様などれも「ロック・バンド」ではあってもサウンドも演奏理念も全く異なるこれらのアーティスト達を全て「ROCK」というひとつのジャンルで括りレコード店の同じ棚に置いて販売していた当時の欧米の音楽業界とは異なり、「フォーク・ロック」「ソフト・ロック」「ハード・ロック」などの音楽用語で差別化し、レコード店でも細かくジャンル分けして販売管理する「音楽ジャンルの細分化」が行われる事に繋がりその様な中で後に世界的なカテゴライズとなる「プログレッシブ・ロック」という 日本独自のジャンルを生み出す事にも繋がるのでした☆これはいうなればブルース因子を持った欧米人には体感出来ない「ブルース体験」が無く「ブルースの因子」を持たない日本人だからこそロックミュージックの多様化に気付けたという事であり日本人だからこそ可能となった、ロックミュージックのカテゴライズの中で欧米では「ROCK」と一括りとされたピンク・フロイド、ジェネシス、EL&P、キング・クリムゾンなどがジャンル分けされプログレミュージックとして分離できたと言う事だといえます。という訳で、これでブルースの話がプログレに繋がりましたW▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------12.「日本のROCKの特異な発展とその脆弱性」-----------------------------------------------------------------------------------L'Arc en Ciel (画像参照: wikimedia)・・・さてここで再び80年代「ビジュアル系」の話に話を戻しますが・・・これまで話してきた「ブルース」とロックミュージックの関係から「ブルース」から派生したロックを「正統派」とするとして先程説明した様に日本の音楽界は「ビジュアル系ロック」の様なジャンルが、正統な道筋を通らずに派生した音楽的土壌があり欧米とは異なった特異な発展を遂げた事から日本のロックは近年欧米に注目される様になっても音楽的には「根無し草」に近い派生しても廃れたら消えてしまう体力の無い脆弱なジャンルとなったと語りました。これは思うに、ロックミュージックもポップスも同等に捉える欧米の音楽の評価とは異なりこれまで語ってきた70年代に「ロックは不良」90年代に「ビジュアル系」といった、本来の音楽性とは異なった「見た目から入る」捉え方が一般的な評価のあり方だった所にこの様なブルース体験が抜け落ちた国民性となった一つの大きな要因があったのかもしれません。■日本では、90年代にROCKが音楽ジャンルの一つとして世間に認知されましたが当時のバブル景気も相まって音楽界はこれをひとつのビジネスチャンスと捉え「ロック」でも何でも無い曲をラウドに演奏した「企画物」からロックをネタにした「ネタ物」に至るまで様々な音楽を「ロック」と称して量産しヒットを飛ばし話題となるのですがそれによって音楽市場は玉石混交の飽和状態となって行きます。やがてバブルが弾けると同時に、そうして世に出たバンドの多くは姿を消すか、タレント化して行く中で「ロック」はコアなジャンルとしてインディーズ化したり、ロックとも歌謡曲とも違うノンジャンル音楽へと姿を変えて存続して行きます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------13.「サブカル化するROCKと見限られる邦楽界」-----------------------------------------------------------------------------------影山ヒロノブ (画像参照: wikimedia)そんな90年代後期、バブル期以前から存在したロックバンドのアーティスト達はバブル景気を経て態度を硬化した日本の音楽界の洗礼を受けながら、音楽界の中で生きる術を模索していた頃日本特有の発展を遂げてきたという点では日本のロック文化と酷似する日本のサブカルチャー文化を代表する「アニメ」文化から派生しすべてのジャンルの音楽を貪欲に吸収してきた「アニソン」が表現の可能性を求めるロックアーティストの受け口となって行きます。元々アニソンは作品の劇伴(BGM)「サウンドトラック」としての性質を持っている事もあり、「ヘビーメタル」の重厚感に「ハードロック」の攻撃性と「プログッシブロック」の先進性物語性などを兼ね備えたロックの楽曲はエモーショナルに作品の世界観を表現する楽曲が求められる「アニソン」との相性も良く日本のロックは新たなマーケットとして登場した「アニソン界」という巨大な渦の中に糾合されて行くことになります。アニメの大ヒットによりブレイクしたロックアーティスト達はアニソン界での成功を受けて今度は封印していた自身のバンドを再結成しアニメの劇伴制作を通して学んだグローバルな視点とクレバーな観点で日本の音楽界にこだわらない音楽活動を開始しロック・ミュージックのメッカとなるドイツでレコーディングをして欧州のロックシーンを見据えた海外での活動を展開して行きますこれは欧米ロックの「ブルース」への回帰とはいささか異なる動きではありますが、こうして日本のロックは日本のサブカルチャー文化を通して音楽活動の原点に立ち返り再びロック・ミュージックに回帰して行くのでした。■日本のロック元年となった60年代後期から数えて約半世紀が過ぎこれまで日本のリスナーや業界は偏狭な見立ての中、果ては「アニソン界」へと流れて行く様になるまで様々な形で「ロック」を冷遇してきましたが21世紀に入り「ネット社会」の誕生で表現場所を選ばない発信が可能となり米国は「POPS」欧州は「Hard ROCK、METAL」日本は「アニソン」といった世界的な「音楽シーンのエリア化」が進み全ての物事がより良い環境を求めて多様化が始まりますが、この様な新たな潮流の中豊かな文化があっても経済の目線でしか物事を捉えず、文化を推し量るフレームワークが成っていない 日本では訪日外国人によるインバウンドブームが過ぎて「観光公害」が叫ばれる事態に陥る事も予期できなかった様な、「会社を立て直す」名目で「技術」を売払い「金」の代わりに会社を「空」にしてしまう様な、「必要ない」という理由で過去の技術が次々と海外(主に中国)に流出させている様な、この様な日本の社会問題同様に日本のロックのこの動きは音楽を文化の一環と捉えて国策として推進してきた欧米諸国とは異なり日本が昔から音楽文化の発展に無関心だった事で、遂に「ロック」の方に見限られた 形で日本から「ロック」が離脱しつつある事を意味し本格的に音楽の「根無し草化」が加速している状況に陥っている証の様にも見えます。その様な形で「柱」となる音楽ジャンルが次々と空洞化し日本と欧米との音楽文化の遅れが「格差」として拡がっている現れとして、演技にもルックスにもそんなに特徴の無い俳優でもある歌手がドラマの最後にダンスする懐かし風の曲がなぜか大ヒットしたりメインストリームから外れた香水の曲がTikTokでバズリ突如話題になったりする予測不能の「異常気象化」がよく見られる様になっております。これは日本の音楽界の多様化が形骸化し将来メインストリーム不在の暗黒の時代 を迎える事になると言っても過言ではない状況にある現れなのかもしれません。・・・その真偽はさておき(※あくまで個人の偏狭な意見の妄想ですW)・・・その様な中でも「ロック」は 表現の場を求めて隙間を縫う様に形を変えながら生存し育って行く地に根の生えた木々の様に力強く、雑草にも勝る生命力で開花する「生きるカルチャー」だと思えるのでした。 それでは、順番に聴いて行きましょう♪▲目次へ▲------------------------------------------------------------------------------------ 楽曲解説 ------------------------------------------------------------------------------------△▼△▼△▼NOVELA - 調べの森 (1984)収録アルバム 『サンクチュアリ(聖域)』Forests in Yakushima (画像参照:Wikimedia)ギターの平山照継率いるプログレッシブロックバンド「NOVELA」のめくるめくダンジョンの世界に足を踏み入れたかのダークファンタジーを思わせるマジカルなナンバーですNOVELAは元祖ビジュアル系バンドとしても多田かおる の漫画 『愛してナイト』 のモデルとなった事としても有名なバンドで当時関西系ロックバンドの実力派『シェラザード』から平山照継(Gr) 五十嵐久勝(Vo) 永川敏郎(Key) 秋田鋭次郎(Dr)『山水館』から 高橋ヨシロウ(Vo/Bs) 山根基嗣(Gt)の2バンドが合体しデビューした選ばれた精鋭によって強化されたスターバンドでもありました。しかしそうなった背景にはプログレ というジャンルに難色を示したレコード会社が話題性をという付加価値を付け足した企画バンド としての結成という実情がありこの様に当事者達が望まない形で新人バンドがデビューするのは当時の音楽業界では珍しくない事でした。■ノヴェラのサウンドは、初期のジェネシスの様な寓話性に溢れた内容をツインギターによるハイレベルな演奏でドラマティックに表現するのが特徴でまだビジュアル系という言葉が無かった時代に少女コミックの主人公たちが画面から飛び出してきた様な美しいルックスのミュージシャン達がそれに相応しい美しく幻想的でドラマティックなロックを演奏する美形バンドとして話題となりイギリスのグラム系バンド GIRL の前座を演っていた時メインのGIRL を見ずに帰る客も居たという伝説を残している程の女性ファンからの支持の高かったバンドでもありました。3枚目のアルバム「PARADISE LOST」ではもうひとりの中心人物でボーカルも担当したベースの高橋ヨシロウの音楽性を全面に押し出した様なハードロック的なアプローチが際立つ内容となりこれまで以上にパワフルな楽曲作りは「ハードプログレ」と称される程の進化を遂げるのですが中心人物が二人いるバンドとしての限界点に達したのかこのアルバムでの成果が結果としてハードロックバンド「ACTION」結成の手応えへと繋がり高橋ヨシロウ(Bs) 山根基嗣(Gt) 秋田鋭次郎(Dr)の脱退劇を生み出す事になります■本曲はそうした山水館組の脱退後新たなメンバーとして 笹井りゅうじ(Bs) 西田竜一(Dr) 招き新体制となったNOVELAの、更なるプログレ色を強めたアルバムからの表題曲的ナンバーでテクニカルでエモーショナルな演奏のNOVELAらしい語り口で富野由悠季監督作『聖戦士ダンバイン』を思わせるジャパニメーションの映像が浮かぶ様なダーク・ファンタジー的な世界へ誘いつつある種の寓話的世界を現代へと投影させる世界観で自己啓発を誘う様な内容になっております。これまで比較的オリジナル色のある楽曲を排出してきたNOVELAが本曲では冒頭のドラムがGENESISの『Wot Gorilla?』そのままだったり別曲では『One For The Vine』を模した導入など「静寂の嵐」時の GENESIS を露骨なまでに模したアプローチが多数聴かれサウンド的には進化というよりはリーダー平山の音楽性が色濃く投影されたマニアックな内容になった様な印象の作品となりましたが元々少女コミックから抜け出した様なビジュアル系バンドという触れ込みの実力派バンドだった事もあってかファンタジーコミックをベースにした印象の現在の「アニソン」を思わせるサウンドに仕上がっている所に、日本特有の「アレンジ文化」の最たる姿が見て取れると共に現在の邦楽界の源流を感じさせるものがありそういう意味においても本作は非常に興味深い作品と言えると思います。▲目次へ▲△▼△▼△▼難波弘之 - ブルジョワジーの秘かな愉しみ (1985)収録アルバム『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』KORG Mono Poly (画像参照:Wikimedia)山下達郎のバックとしても、プログレ好きとしても知られる日本屈指のキーボーディスト難波弘之が、これまで関わってきた日本の歌謡曲、ポップスを自身の解釈でプログレミュージックで昇華させた作品集からの表題曲です。難波弘之は70年代後半からスタジオ・ミュージシャンとして活躍してきた人気キーボーディストでアカデミックで確かな音楽的背景と、クラシックからジャズ、ポップス、歌謡曲まで網羅する幅広い音楽性とキース・エマーソン率いるEL&Pを始めとする欧州ロックに傾倒する音楽的個性を兼ね備えたミュージシャンで山下達郎を始めとする様々なアーティストが絶大な信頼を寄せる事でも有名なミュージシャンです又、SF作家として小説を発表したりタレントとしても番組司会をする多才な人物でもありますソロでは自身のバンド『センス・オブ・ワンダー』での活動を数十年に渡って続けており大きな影響を受けたキース・エマーソン同様の3ピースバンドで今もプログレッシブ・ロックを演奏するこだわり様でセンス・オブ・ワンダーの25周年記念ライブではゲスト出演した山下達郎にムーディー・ブルースの「サテンの夜」を唄わせた程の徹底ぶりを見せ付けデビューから一貫したスタイルで演奏活動をし続ける数少ないミュージシャンの一人と言えます。■本曲はフランスの監督 ルイス・ブニュエル の代表作『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を題材にしたイメージ曲でドラマティックな変拍子のイントロの後、トレブリーで重いベースサウンドでリフを奏でるインタープレイの無い構築されたアレンジで曲が進行し上流階級の精神的退廃と衰退を非現実的な視点で語る歌詞を難波の個性的な歌唱でリリカルに歌い上げながらハイライトとなるメカニカルで緊張感溢れるソロパートへと流れていくというミュージシャンとしてアレンジャーとしての音楽活動で培われ作家活動を通して身に付けた確かな構成力に支えられた多分に文学的でエモーショナルな楽曲として仕上がっており自身が傾倒するプログレッシブ・ロック・サウンドをベースにフランス象徴派の退廃的で耽美なモチーフを歌謡曲とロックに昇華した80年代中期までの活動に於いて、ある種の到達点に達した聞きやすくドラマティックでスリリングな音楽が堪能できる難波弘之の代表作的楽曲になっております。■本曲の作詞を担当した森雪之丞は、布袋寅泰作品、氷室京介作品などで知られる「ビジュアル系」と呼ばれる日本特有のロック・ミュージック生誕に関わり歌詞のスタイルを確立させた一人として日本ロック史に於いても重要な音楽家と言える人物で本曲では耽美主義的文学が持つ「退廃」さをスタイリッシュな形でロックに昇華させた「ビジュアル系」ロックの原型が伺える小説家でもある難波弘之が作る音楽の文学的側面を支える傑作に仕上がっております。難波弘之によると、森雪之丞が作詞する歌詞はアーティストや音楽プロデューサーが方向性のみを伝えて後は作詞家の作家性にお任せする、ありがちなやり方で作られたものとは違い作曲者やアーティストに楽曲にまつわる様々な事を「イメージ」として語ってもらい時には一見楽曲とは関係のない、脈絡の無い会話の中から必要なイメージをアーティスティックな形で引き出しその様にして受け取った様々な濃密なイメージからインスパイアされたものを再構築して楽曲へと転化させる、エモーショナルなものだと語り言わば、バンドに於いての「セッション」を重ねた末に生み出される様な極めて「音楽的」なものではないかと思います。▲目次へ▲△▼△▼△▼美狂乱 - 二重人格 (1982)収録アルバム『美狂乱』日本のお面 (画像参照:Wikimedia)リーダーでギタリストの 須磨邦彦 率いる「和製キング・クリムゾン」と呼ばれた 超個性派音楽ユニット美狂乱のデビュー・アルバムから東洋的神秘感漂う静寂さと英国ロックの躍動感を併せ持った息苦しい程の緊張感が全編を覆うオープニング・ナンバーです。このバンドは音楽性もそうですが、デビューに纏わる話が変わっており、先程の「NOVELA」のメンバーが、プロミュージシャンとして世に出る為に紆余曲折を経て「混成バンド」としてレコードデビューを果たした事に対してこの時代にプロ・ミュージシャンを目指したセミ、アマ・ミュージシャン達の最たる例を見る様な美狂乱のレコードデビューには「MOVELA」とは全く違った紆余曲折がありました。という訳で、美狂乱の紹介は楽曲に付いてはそこそこに・・・w主にバンドがデビューするにはそのバンドがどれだけ魅力があるのかという点よりもその様なバンドを排出する周囲の音楽環境と音楽的土壌がより重要になってくるという、人気バンドがレコードデビューに至るまでの音楽事情に目を向けてよりディープな見地から作品を捉えてみたいと思います☆▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------1.「レコード会社に振り回された当時のバンド事情」-----------------------------------------------------------------------------------美狂乱のレコードデビューは同レーベル所属で先行デビューしたNOVELAが一定のファンを持ちレコードセールスが順調だった事でクリムゾン・コピー・バンドとして名を馳せた「まどろみ」時代から音楽コンテストで高い評価を受けていた事から鳴り物入りで浮上するのですがこの時 美狂乱はレコーディングのリハーサルまで漕ぎ着けながらメンバーの離脱に遭い、残ったメンバーとでは、音楽で生計を立てるかどうかで悩み当時傾倒していたクリムゾン・フリークを貫きたいリーダー須磨はプロ活動を諦め、最期のメンバーも美狂乱から離脱美狂乱は事実上の解散状態となり、レコーディングは頓挫します。美狂乱はキングレコードのプログレ部門だったNexusレーベルから2枚のアルバムをリリースしていますが、それは唯一のメンバーとなった須磨がレコード担当者からの再打診を受諾し実姉がコーラスで参加した経緯から「トランザム」のチト河内をプロデューサーとして迎え、ドラムとベースは静岡時代の仲間に声を掛け 集めて、ゲストミュージシャンとしてチト河内の紹介で当時芸大の学生だったバイオリニストの 中西俊博 と「HeavyMetalArmy」 のキーボーディスト 中島優貴 の協力を得て解散したバンドのメンバーの一人が身内の力を借りて ソロアルバム を制作した様なレコードリリースでした。美狂乱もそうでしたが、当時のセミ、アマ ミュジシャンが 一様にプロを目指す中でライブバンドとして名を馳せながら、地方から都市進出を目指す途上でメンバー間との方向性の相違による脱退や、疲弊したメンバーのリタイヤなどに遭いながら失意の中で帰郷するというケースは多々有り、バンドブームと呼ばれた80年代後半に活躍した「十二単」や「ハリースキュアリー」の様な人気バンドがCDデビューが無くその後なぜかメンバーのソロアルバムだけがリリースされるという現象が見られたのはレコードデビューが決まり契約した直後に様々な理由でバンドが解散状態となりせっかくの契約を破棄したくない、又は契約不執行にならない様に 残ったメンバーでの代替えリリースとなったというのが主な理由ですがライブで名を馳せながらもプロとしての力量に欠けるバンドや人気の無くなった有名バンドの「解散」を一つの話題としてCD化させる、などの辛辣な理由も含めて、CD全盛のバブル時代には、好景気に日本中が浮かれていた事も相まって次々と立てた企画が直様通り、CD化が決まる様な状況にあり出せば売れる世の中だった事もあり、次から次へとCDが量産され音楽業界は玉石混交の飽和状態と化していました。その様な中でデビューしたバンドの多くはまともな販促も受けられ無いままCDをリリースされライブ活動をする予算もプロモーションも無いまま飼い殺し状態となり在庫のCDを抱えて全国をどさ回りに近いライブ活動を行い手売りでCDを捌いた挙げ句、疲弊したメンバーの相次ぐ脱退に遭い残ったメンバーは身内のミュージシャンやセッション・ミュージシャンで脱退の穴を補填しながら契約分のアルバムをリリースした後は解散しその後スタジオ・ミュージシャンになったり、リタイヤしたりするというのはバブル時代の音楽界では良くある話でした。美狂乱の場合も、レコーディングの為にメンバーを補填して契約分のレコーディングと数回のライブをこなした後は解散しているので表面上は良くあるバンドの顛末だったと言えますが殆どのミュージシャンがたとえ一人になってもアルバムリリースをチャンスと捉えてプロとしてアーティスト活動をして行く橋頭堡としてレコーディングに挑む事に対して、美狂乱の場合は、リーダーの須磨がこれまで積み上げてきた楽曲の披露とクリムゾン研究で費やした実験成果を記録するという個人的理由の目的でレコードリリースを承諾したらしく、音楽で身を立てる事を止めた一介の一般人ギタリストが純粋にアマチュア精神で取り組んだ音楽的成果を披露する為に商業音楽を利用したという、Youtube全盛の現在ならともかくバブル時代以前の厳格な音楽界に於いて、極めて珍しいケースと言えます。結果的に美狂乱の代表作となったこの2枚のアルバムは、リーダー須磨邦彦の個人的嗜好性が反映された「キング・クリムゾン」そのままのサウンドとなりコアなファンの間で話題となりました。80年代初頭は「真似」も再現度が高ければ評価されていた時代で再現は不可能と思われたクリムゾンが美狂乱で再現されたばかりで無く日本の音楽と融合したクリムゾン的な完成度の高いサウンドがより高い評価を得る事に繋がるのですがこれは「ロックギタリスト」を目指した当時のミュージシャン達が一様に判で押した様に「ブルース」に傾倒した後、やがて音楽性の不足感を感じて流行りの「フュージョン」にのめり込む定番の流れに対して、須磨自身はそうした当時の風潮を含めて忌み嫌い定番で人気の演奏を強いられる「プロ」の立場では不可能な、自己の表現の道を「アマ」の立場で見出して「ブルース」を徹底排除し独自の音楽を嗜好した一つの結果だったと言えます。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------2.「音楽的個性の根付きと偏狭性との関連」-----------------------------------------------------------------------------------ロックを演る上で「ブルース」とは言わばロックの基盤に当たる避けては通れない楽式なのですが、チョーキング(弦を指で引っ張り音程を変える奏法) すら否定する須磨のこだわりは尋常では無く60年代後半から殆どのセミ、アマミュージシャンが R&Bに傾倒し「魂」をウリ文句としながら「流行」としての「R&B」に陶酔する状況や70年代後半に「フュージョン」がブームになると日本中がのめり込んだ様を「堕落」に映ったと語る須磨の感性は、一見極端で偏狭なものに映りますが当時のバンド事情は現在の様に、アーティストがサウンドを求める事に何の縛りも、ジャンルにも捕らわれる事無く、何をするにも全てのジャンルにお手本となる名盤、名手が存在し奏法、手法が確立され、求めるままに自由に音楽を追求出来る情報溢れる21世紀の時代とは異なり登場したミュージシャンの作品が後世のジャンルとなり名盤となって行ったロック未開の日本の60年代後半から70年代初頭に至っては、ロックがブルースから派生した音楽である限りロックを志す者がブルースから入るのは当然の流れでありこの後「ハードロック」「プログレ」の様なロックから派生した音楽が登場する以前の世の中で音楽の入り口が皆一律同じになるのは当然で、それが当たり前な事なんだと、誰もが疑問に思わない世の中にありました。又、学生運動が収束する最期の時期と重なっていた事もあり商業音楽に手を染める事は堕落を意味するという一部 極端な風潮が根付いておりフォーク音楽の大御所、吉田拓郎が「結婚しようよ」を大ヒットさせた時フォーク歌手がメジャーな音楽を演ったという理由で世間に媚びた音楽としてコアなフォーク・ミュージック・ファンから怒りを買う様な世相の中にあり音楽を嗜好する事が思想の一部と捉える考えがまだ残っていた時代でもありました。当時は、「ギターはカッティングしか演らない」「ジミヘン以外は音楽じゃない」の様な偏屈な考えを持ったミュージシャンは数多く居ましたが80年代がマニュアル重視の 管理社会 となるのと同時に音楽界でも型にはまった「教則」「理論」「手法」が重視される様になり結果 無個性の時代 と呼ばれる様になって行った事とは逆の理由で、70年代に活躍したミュージシャン達のルール無用の極端な捉え方が音楽を通して影響を受ける際の ある種のフィルターとして機能して楽器音を聴いただけで誰が演奏している事が分かる程の独特の個性を持つ要因となって行ったとも考えられるものがあります。その様な60年代70年代の時期に、情緒が形成される少年期青年期にかけて音楽に触れ続けた事が少なからず須磨少年の独特な感性を決定付けた要因となって行ったのかもしれません。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------3.地方型音楽を形成する音楽的地盤-----------------------------------------------------------------------------------美狂乱のアルバムはリーダー須磨のソロ・アルバムと呼べる個人的嗜好性が収録されたものでしたが同時に、一般人ミュージシャンとなった須磨の音楽活動のベースとなった故郷 静岡の音楽シーンとそこで活躍していたプロ、アマ、含めたミュージシャン達の存在が反映された地方型音楽 という側面を持ったプロジェクトでもあった様に思われます。リーダー須磨は1970年の中学時代、地元静岡県沼津でギタリストとして頭角を表しスタジオ・ミュージシャン時代の「一風堂」土屋昌己の目に留まり、土屋昌巳がプロデュースするバンドのメンバーに抜擢された事をきっかけに静岡県に在住する凄腕ミュージシャン達との長年に渡る交流が始まりギタリストとしての音楽的な基盤が形成されて行きます。美狂乱の2枚のアルバムから感じる、クリムゾンとは違ったある種の懐かしさと突き放した様な疎外感が同居した様な美狂乱特有のサウンドが生まれたのは学生時代からギタリストとして活動して来た須磨が東京とも大阪とも違う、メインストリームから離れた地方特有の情報が偏りがちな音楽環境の中で知り合った才能ある様々な地元ミュージシャン達との交流とジミー・ペイジに傾倒しながらブルース・フィーリングが肌に合わずラテン系ミュージックやワールドミュージックに表現の糸口を求めて模索しロック・ギタリストとしては行き詰まっていた須磨がクリムゾンのギタリスト、ロバート・フリップとの出会いで活路が開かれクリムゾンの研究に明け暮れて来た「まどろみ」時代の1977年に折しも日本中のミュージシャンが夢中になっていたフュージョンブームの台頭でメンバーすら感化された事に失望した体験が背景となりその様に混沌とした静岡の音楽シーンが須磨の感性で切り出した様な所に美狂乱特有のサウンドへと繋がって行ったという印象があります。ある意味「美狂乱」とは 須磨に音楽的刺激を与えてきた静岡のミュージシャン達全てが関わってきた成果の呼称であり美狂乱がメインストリームで流行しているサウンドを嫌いあくまでアマチュア精神に固執するのも70年代当時に於いては、音楽の入り口を自ら狭めている業界の風潮を嫌い、21世紀の現在に於いては、音楽の間口が拡がり過ぎた事から売れる為には考えうる限りの全てを導入し結果中身の無いものを排出する業界の実態に迎合したく無い事に加えて、自ら求める音は可能な限り追求し最後は限られた時間内にどこまで完成度を高められるかで如何に折り合いを付けるのかという プロの世界で結果、商品価値の高いサウンドを輩出するのが「商業音楽」である事に対して、無制限の時間と、自らが求める音をとことん追求出来る環境の中で納得行くまで音作りが出来るのがアマチュア精神であり結果、プロでは出来ない採算度外視の究極のサウンドに到達するのが「嗜好の音楽」と言えるので、一般人ミュージシャン という立場に行き着いた所に大きな理由があると思います。「夢の様な環境」と語る音楽スタジオを自宅に持ち何時間も籠もって音楽に没頭するのは音楽を嗜好する「オタク」的な印象を受けますがその頂点にいるのは山下達郎というハイレベルな世界でもあります。山下達郎が商業音楽の世界に居るのは山下達郎が「商業音楽」が好きだからだそうですが山下達郎の音楽には自身が傾倒する「オールディーズ」への回顧する想いが反映されている所があります。対して美狂乱が一般人の立場で音楽を追求しているのは一見「キング・クリムゾンサウンド」の再現の為の様に見えますが、美狂乱の成り立ちが、これまで話してきた様な背景があるのならば須磨の音楽を育んだ かつての静岡の音楽シーンへの回顧する想いが投影されている様に思われます。故に美狂乱は、Youtube以前の時代から一般人ミュージシャンの立場で音楽を発信し80年代には2枚のアルバムをリリースし90年代には再結成し独自の環境で独自の音楽を追求し続けて2003年にはアニメ『魁!!クロマティ高校』の音楽に抜擢されるという日本の音楽界の中で一般人ミュージシャンの音楽が、商業音楽で起用される唯一無二のユニークな存在だと言えるのかもしれません☆▲目次へ▲△▼△▼△▼四人囃子 - おまつり (1974)収録アルバム『一触即発』日本のお祭り (画像参照:Wikimedia)ドラマーでリーダーの岡井大二と、初代「プリズム」ギタリスト 森園勝敏を中心とした日本屈指のプログレ系バンド「四人囃子」の気怠い耽美的幻想美とロックのダイナミズムがアングラ劇テイストな切り口で括られた70年代の日本のロックのみならず、当時の日本の世相を彷彿とさせるサウンドの響きを持っている点に於いても非常に重要でユニークな作品で占められているアルバムからの人気作となっております。■四人囃子はGSブームを経て世の中が「ビートルズ」の時代になって行った50年代60年代の音楽に触れてロックが現在の形へと進化して行くその空気を知るミュージシャンの集団で日本では数少ない、巨大な音でドラムをプレイする「ハード・ショット」正統派ロック・ドラマー岡井大二と、「ブルース」ブームにあった当時の日本の音楽界で十代の若さで頭角を表した天才ギタリスト森園勝敏のユニットとしてスタートし当時の洋楽ファンも納得する高い音楽性と演奏力、構成力を持つ日本のオリジナル・ロックを目指して一般には「和製ピンク・フロイド」と知られる単にプログレの枠組みでは語れない 多才な楽曲を発表し現在も活躍している音楽ユニットです。■本曲は「和製ピンク・フロイド」の名の通りの幻想的で揺蕩う様な気怠いサウンドが特徴の作品ですが演奏はブルースベースでありながら、欧米のものとは響きが異なりまだロックの黎明期にあった60年代後期から70年代初頭の日本の音楽界で「GS」ブームで登場した歌手、バンドを含めて「芸能人が唄う音楽」とは異なる「ビートルズ」が登場した以降の「オリジナル作品」を求めるムーブメントに呼応した現実と幻想が交差する様なシュールな世界感で日本の粛然とした伝統と、激しさを秘めた混沌が同居する極めて日本的な音世界をロックに昇華させた初期の日本のロックを代表する楽曲だと思います。■本曲の持つシュールさは60年代以降の学生運動が収束した後70年代の政治的に無関心となった当時の「しらけ世代」と呼ばれる若者文化を反映した様な「フラワームーブメント」「サイケデリック・ミュージック」「アングラ劇」テイストを感じる作詞の末松康生による歌詞に依る所が大きい様に思われます末松康生は四人囃子、森園勝敏作品ゆかりの作詞家で自身もアングラ劇経験がある事が当時の若者文化を肌で感じる様な、気怠さと狂気が入り乱れたこの時代特有の表現を持った作風へと繋がった様な印象があります。■四人囃子の中心人物のひとり、ギタリストの森園勝敏は四人囃子が「和製ピンク・フロイド」と呼ばれる事に対して異論は無くても、元々「ピンク・フロイド」には興味が無かったらしく、ドラマーの岡井大二に勧められるまで、その存在すら知らなかったと言いますむしろブルース・ロックに傾倒する見地から「オールマン・ブラザーズ」の様なサウンドを目指して「サンタナ」の様な仕上がりになったとの事で、ロックの音楽史に精通し曲作りに於いて必然性を重要視し、後に音楽プロデューサーとしても成功する岡井と何となく思って作った結果がたまたまイケる形となれば良しという感性を重んじる森園とのまるで水と油の様な取り合わせが、サウンドに絶妙な緊張と弛緩を与えて、本曲「おまつり」から感じる、気怠さの裏に潜む攻撃性と狂気を抱えた演奏に繋がったのかもしれません。それ故に、この奇跡のユニットは短命で終わり森園勝敏は脱退し、その後四人囃子はセカンドアルバムで加入したベーシストでBOØWY、ザ・ブルーハーツ、GLAY、JUDY AND MARY、エレファントカシマシ、くるりのプロデューサーとなる佐久間正英を中心人物に据えて活動を続け作品ごとに方向性を変え、企画力の高さを見せますがバンドとしては迷走していく事になります。脱退した森園勝敏は1976年に当時結成間近だったフュージョンバンド「プリズム」に合流するのですが 1978年には脱退していますので、これにしても理由は「何となく」だったのかもしれませんw▲目次へ▲△▼△▼△▼PRISM - TAKE OFF (1986)収録アルバム 『DREAMIN』Korean Air Airbus A380-800 with contrail (画像参照:Wikimedia)ギタリスト和田アキラとベーシスト渡辺健を中心とした音楽ユニットで過去に元 四人囃子の森園勝敏が在籍しツインギター、ツインキーボードのインストゥルメンタル・バンドとしてスタートし高い演奏力とジャンルにこだわらないロックベースのオリジナル曲が話題となりデビューライブでは最寄り駅から長蛇の列が出来るなどの伝説を残し森園勝敏 脱退後は 激しいメンバーチェンジを繰り返し「カシオペア」「T-SQUARE」の様なグループがポップ化して成功して行く中でその度にプログレッシブ・ロック色を増して行き唯一無二の音楽活動を続ける音楽集団 プリズム のサポートメンバーとしてドラムス木村万作、キーボード松浦義和ゲストにシンセ・ミュージックで名を馳せた 深町純という強力布陣となったTDKレコード移籍 第二弾アルバムで青空に飛行機雲が印象的な マイルドセブンのCM曲としても採用されシングル・カットされたこの時期のプリズムを代表するヒット・ナンバーです。■本アルバムはベースの渡辺健がボーカルも披露する意欲作でインストの本曲では 渡辺のハイレベルなスリリングで縦横無尽のベースプレイに圧倒されるナンバーとなっておりベースソロから始まるという珍しい構成で清々しい朝の光を表現する会心の演奏で幕を上げると同時に曲が一気に加速し、大空を飛行する様なスピード感溢れる演奏となり再び、大空に心を馳せる様なロマン溢れるベースソロへと繋がるというベースソロを取り、ハイテンションなリフをプレイし、ギターの様に和音でカッティングをするなどの7色のプレイでほぼベースの渡辺健の独壇場とも言えるフュージョン・ミュージックの枠内では語れないエモーショルな演奏が堪能できます■現在唯一のオリジナルメンバーとなったギターの和田アキラはグループサウンズで音楽に目覚め、ベンチャーズを経験した後 ブルースに傾倒しハード・ロックにのめり込んだ当時の典型的な「ギター小僧」の一人で高校には進学しないで音楽の世界に飛び込んだロックな人生を歩むロックギタリスト中のロックギタリストな人物でロックギタリストの代名詞の「速弾き」ギタリストとしても知られていますが只の「速弾き」ギタリストとは違いプリズムのメンバーだった森園勝敏によれば、和田アキラのギターの練習は尋常では無く毎日何時間も集中して練習し、その練習量はギターのフレットが変色する程のものだったそうでその様な凄まじい練習量に裏付けられた確かなプレイでアル・ディ・メオラの様な流麗で複雑なスケールを高速で演奏するおおよそロックギタリストの範疇では語れない多彩なテクニックと幅広い音楽性を持ったギタリストと言えます。そんなロックギタリストの和田アキラがフュージョンバンドの体でインストミュージックを始めた背景には60年代後半から70年代前半に掛けての日本の音楽界がGSブームからフォークブームにシフトした時期に当たり正統派本格ロックを排出する様な音楽的土壌が無かった事と、和田アキラが先程の美狂乱の須磨邦彦とは違って音楽ジャンルや楽式に対して拘りが無くどんなものにも興味を持つギターを弾く事そのものに拘る「ギター小僧」だった事が要因となりそれまで「インストミュージック」を形容する言葉が無かった時代に折しも世界的ギタリストでロックスターのジェフ・ベックが75年にリリースした「ブロウ・バイ・ブロウ」を大ヒットさせフュージョン系インストミュージックを認識させた事で日本でもインストミュージックが認知されヒットに繋がった事を受けて和田アキラが当時傾倒していたサンタナ、アル・ディ・メオラの様なラテン、ジャズミュージックの他「グランド・ファンク・レイルロード」や「レッド・ツェッペリン」の様なハードロックや当時登場し始めた「イエス」や「キング・クリムゾン」の様なプログレッシブ・ロックなどの異なる音楽性を持ったこれらの欧米音楽を日本人が理解できる形で受け入れる日本のお家芸でもある「アレンジ文化」の精神でフュージョンミュージックへと融合した「ハイブリッド」な音楽を追求した事で和田アキラの音楽性が爆発的に開花した事が大きな理由としてあった様に思います。その様な「ハイブリッド」な音楽を追求する精神は演奏する機器にも向けられ本作「ドリーミング」リリース当時、井上堯之が司会するFMラジオ番組にプリズムが出演した時スタジオに持ち込んだ機材は、同時期に活動していた他のフュージョン系バンドと比べてベース、ドラム、ギターの機材のに加え、二人のキーボーディストが所有する機材の量は尋常では無い多さだったそうで、この反動から数年後この大掛かりなユニットの解散後は、ベース、ドラム、ギターの3ピースのシンプルな構成に切り替わる事になるとして、wこの時期のプリズムの余りの機材の多さに泡を吹いた井上に『こんなに機材がなければ音楽が出来ないのか』 と言わしめた当時の日本が誇る最高のスタジオ・ミュージシャンの最先端のサウンドを聴く事が出来るという意味に於いても、本アルバムは非常に重要で興味深い作品と言えると思います。▲目次へ▲△▼△▼△▼高崎晃 - 逃亡 ~STEAL AWAY~ (1982)収録アルバム『ジャガーの牙』高崎 晃 (画像参照:Wikimedia)日本屈指のヘビーメタルバンド LOUDNESS のギタリスト高崎晃がLAZYの解散後、プログレ系ミュージシャン笹路正徳をプロデューサーに迎え制作したソロ・アルバムから、作曲の笹路正徳らしい変拍子を多用した非常にプログレ色の強い楽曲です。■このアルバムが制作されたのは、元々ソロアルバム制作の話が先にあって、アルバム制作を通して後の「LOUDNESS」結成へと繋がるという当時アイドルグループとして人気のあった「LAZY」解散後の活動の一環、という流れと、高崎自身が 元「LAZY」という肩書から逃れ、ロックギタリストとして本格的な活動を始めた、という現れと、高崎自身が 元「LAZY」という肩書があっての、自由な采配のソロアルバム制作となった、という相反する実情が背景にあったものと思われます。それらを物語る様に本アルバムは、日本で本格ロックギタリストを目指す高崎晃が志を同じにする若きミュージシャン達と共に制作したロックギタリストのアルバムであると共にマライア、ナスカの笹路正徳によるプログレッシブ・ロックを思わせる内容という同時期にリリースされた「BOWWOW」のギタリスト山本恭司のソロアルバム「Horizon」同様にコアなロックでは無く、サンタナ やエリック・クラプトン、ジェフ・ベック の様なロックギタリスト主体によるアルバムが音楽ファンに受け入れられ大ヒットした世の中の流れを汲んだ方向性で制作された様な印象がありロックギタリストのジェフ・ベック がフュージョン・ミュージックのカテゴリーでインストアルバムを制作しキーボーディストのヤン・ハマーに楽曲の作曲を依頼して自作にこだわらない新たなエレクトロニック・ミュージックの可能性を見出している所に共感する様な形で既に「LAZY」時代に楽曲を自作してきた高崎が敢えて全曲自作にしないで外部のライターとして笹路正徳に楽曲依頼をするなど、まだ海とも山とも言えないロック黎明期にあった日本の音楽界に於いて本格ロックを追求しようとする若きミュージシャン達が正に手探り状態でブリティッシュ・ロック、アメリカン・ロック更にはプログレッシブ・ロック、ラテン・ロック、加えて「LAZY」時代に培った「歌謡ロック」の方法論まで詰め込んで日本に於ける本格的なロックアルバムのあり方を模索する姿がそのままアルバムとなって生み出された様な造りになっている点に於いても非常に興味深いアルバムだと言えます。故に、本格ロックを期待したロックファンは詰め込まれた内容に肩透かしを食らったり全体的に笹路色の濃い内容になった事で『これはギターのソロ・アルバムでは無い。ギター・ソロのアルバムだ。』 と揶揄されるなど「LOUDNESS」誕生以前の日本の音楽シーンであらゆる意味で話題となった作品でもありました。■本曲は作曲 笹路正徳のペンによる変拍子が多用されたプログレッシブ・ロックな仕上がりとなった楽曲で笹路正徳のスリリングなオルガンプレイがフィーチャーされた作品に仕上がっています。過ぎ去った想い出を回顧する様なオルゴールから曲は始まり進撃するイメージと闇夜の疾走をイメージする2つのパートを終わりを予感する様なミステリアスなオルガンリフと何かの誕生を見る様な変拍子のセクションで繋いだ、曲名通り、繋ぎ止める何かから「逃亡」をする苦悩を描いたドラマティックなナンバーになっています。本曲は「ペテンの唄で未来が消えて行く」「名声は恥辱によって荒廃させる」と唄われる様にかつて本格ロックグループとして「Free」のポール・ロジャース描き下ろしによる楽曲でデビューを約束されながら、その約束を反故にされるばかりか当時日本でも人気のあった英国のバンド「ベイシティーローラーズ」の日本版としてアイドル活動を強いられた「レイジー」時代を回顧する様な内容になっており人気が出る程、演りたく無い音楽を強いられる事への不満とそれによって、演りたい音楽から遠のいて行く焦りと演りたく無い音楽が、実は高度な演奏力を必要とする事を思い知らされる力量不足の実感とそれが売れる事で、ロックバンドとして周りが認めてくれなくなる事への苦悩と売れなくなれば、苦悩の日々から救われる代わりに全てを失う事への恐れなどのストレートなロックでは表現出来ない様な、複雑に入り組んだ深くて巨大な感情をプログレッシブ・ロックが持つ欧州音楽の陰りとアカデミックなアレンジに裏打ちされたフュージョン・ミュージックの洗練さとロックが持つ破壊的な衝動を併せ持つハイブリッドな演奏をバックに表現したい全てをぶつけた様な 高崎晃のギターソロが圧巻でレイジー デビュー後リリースしたシングルが振るわず、3枚目が不振となれば契約解除となる中で、逆に考えれば 売れなければロックバンドに戻れると安堵していた矢先に「赤頭巾ちゃん御用心」の大ヒットで アイドル活動が決定的となった苦い経験を苛まれる悪夢から逃れようとする逃亡者として描いた様でもある点に於いても日本のヘビーメタル・ミュージックが開花する夜明け前にその中心となるギタリストの瑞々しいプレイが堪能できる日本のロック史に於いても非常に貴重な「名曲」と呼べる楽曲だと思います。■本曲のボーカルは二井原実が担当し、他の曲ではベースに山下昌良、ドラムにレイジーの樋口宗孝が参加するなどこのソロアルバム制作が後に日本のロックが1985年に『Thunder in the East』で初の「全米アルバムチャート」ランクインを果たす快挙を遂げる本格ヘビーメタルバンド「LOUDNESS」結成に繋がって行きますその「LOUDNESS」も、世界進出で全米チャートインを果たす代わりに「LOUDNESS」の代名詞だった複雑でコアなメタルサウンドを封印し米国のロックファン向けのシンプルなアメリカン・ロックサウンドを強要されるという「レイジー」時代の苦悩が再び繰り返されるという皮肉を経験する事になるのですが今回その苦悩は既に経験済みとして、高崎晃はメンバーと共に乗り越えて「LOUDNESS」は世界に羽ばたくバンドへと成長して行くでした。■本曲の冒頭の 『DANCE!』 という二井原実の出だしにドラムの辻野リューベンは 鳥肌が立ったという未確認の話が残っていますがwそのドラムのリューベンは テンポが変わった唄の出だしで笹路の変拍子アレンジに毒されて 頭が混乱したのかスネアの位置が裏返ります普通ならNGで録り直しの所ですが 全体の出来の良さに瑣末な事とされたのか黙認された様です実に大らかな時代でしたw▲目次へ▲△▼ △▼ △▼TAO - Hello Vifam (1983)タオ - ハロー・ヴァイファム収録アルバム『FAR EAST』NGC 4414 (NASA-med) (画像参照:wikipedia)オープニングは衝撃的でした・・・グローバルな活動を見据え結成され80年代にデビューしたギターボーカルのデビッドマン率いるロックグループTAOのアニメ『銀河漂流バイファム』の主題歌になった代表曲的ヒット曲です■TAOは日本のROCKバンドには珍しいヴァイオリンを導入した所にサウンドの特徴があるバンドでUKや中期キング・クリムゾンの編成を思わせるプログレッシブ・ロックを嗜好するロックサウンドをベースにギター・ボーカルのデヴィッド・マンによるポップなセンスを加えたユニークなサウンドを作り出す音楽集団でしたクラシカルで格調ある宇宙空間を進撃する壮大なイメージをバックにデヴィッド・マンのポップで少年性を帯びたボーカルが光る宇宙を漂浪する主人公達を描いたSFアニメーション作品にマッチした本曲やキューピーマヨネーズのCMソングとなった『アジュール』などの牧歌的で爽やかな印象が小気味よいコマーシャリズムな楽曲を制作する事に長けた音楽集団でもありました■このバンドはヴァイオリン&キーボードの関根安里を加えたリズム隊にデヴィッドマンを加えたユニットという色合いが濃くプログレッシブ・ロックを志向するバック3人とポップなサウンドを目指したデヴィッドマンという水と油の取り合わせで起こる化学反応によって個性的な楽曲を生み出していた所に音楽の特徴があり全曲英詩によるバンドとしてはゴダイゴの様な聴きやすいサウンドという側面を持ったバンドでもありました。ハイクオリティな音楽を高音質で鑑賞する事がブームとなる内需拡大路線に入る直前のJ-POPのムーブメント以前の音楽界に所属していた為純粋にクオリティーの高い音楽を提供する以前にバンドを存続させる為に来た仕事は何でもこなしTVCM曲やドラマの主題歌を担当し、売れる為の布石を惜しまないコマシャーリズムの枠組みの中で世に出てブレイクするタイプの商業バンドの一つでもありました。特に80年代前半はアニメブームの過渡期に当たる時期でもあった為にアニソンが新たな表現を求めてシティーポップ化した頃にあたり当時ハイクオリティな音楽を演奏する集団だった「トランザム」「TALIZMAN」「クリスタルキング」や「ゴダイゴ」実力派ボーカルとして活動していた「杏里」などが 主題歌で起用されその流れで当時ゴールデンタイムという非常に重要な枠で放送された「銀河漂流バイファム」の主題歌にTAOの起用が決まった様な印象がありました。現在の様にSNSはもとより、ネットが存在しなかった当時はTV、ラジオが音楽発信の場であり、特に楽曲がヘビーローテーションされるのはFMラジオの音楽番組よりもTVCMでの起用曲が有力だった時代にTAOの様に個性的な音楽性を持ったロックバンドが元々持っていた音楽性を変えてCM曲やTV主題歌を担当してブレイクを狙うのは当時の常套手段の一つでもありました。TAOの場合はキューピーマヨネーズのCMが好調ではあっても「ヴァイファム」の視聴率不振で (※裏番組はドラえもん) 番組そのものが途中で子供向け作品に制作方針を変更するなどの迷走があった為か杏里の「キャッツアイ」の様な社会現象を生むまでのブレイクには至らずにシングル数枚とAlbum1枚をリリースした後は元々の音楽性を追求しようとするプレグレ組3名が80年代中期の洋楽ブームが引き金となった空前のROCKブームに乗る形で新たなサウンドのロックバンド結成を目指してデヴィッドマンを残して脱退し、TAOは解散状態となりますその後プログレ組はギタリストとボーカリストを加えて「EUROX」結成し『ヴァイファム』と同じサンライズ作品の『機甲界ガリアン』の主題歌を担当し当時流行だった綺羅びやかでスタイリッシュなサウンドのバンドへと変身を遂げますがAlbum1枚をリリースした後は活動を停止しますJ-POP以前の日本の音楽界で全曲英詩でアルバムリリースをするのは当時としても珍しい事で「ゴダイゴ」の成功あってのものだった様に思われますがバンドが続かなかったのは、「デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ」に近いケルティックテイストな欧州ロック特有の陰りのあるプログレッシブ・ロックサウンドが当時全世界的に「デュラン・デュラン」を始めとするスタイリッシュなブリティッシュ・ニューウェーブ・サウンドに傾いていた事で大衆に受け入れられなかった事と離脱したプログレ組が「EUROX」でプログレサウンドをあっさりと捨ててニューウェーブサウンドに切り替えた所を見ますと、TAOサウンドを貫きたいデビッドマンと「方向性の違い」で仲違いした事が大きな理由だったのではないか と思われます。後日デビッドマンはメンバーを集めて「TAO」を復活させながらもメインストリームで活躍する事はありませんでしたが「David Mann」名義でコアなファン向けに活動を続けた様です。思うに「TAO」は、空前のROCKブームの最中、J-POP誕生以前の日本の歌謡界で自身の音楽性を持ちながらも需要があれば臨機応変にサウンドを供給する「商業音楽」の括りで誕生した最後に当たる音楽集団であり故に期間限定で短命に終わる事は約束された様な中で「ケルトティックなプログレサウンド」という通常なら音楽的にも共存出来ない様な個性的なサウンドを「商業音楽」として輩出出来たのだと思います☆△▼△▼△▼▲目次へ▲------------------------------------------------------------------------------------ OUTRO -■新世代音楽の個人化とコラボとの関連性■-----------------------------------------------------------------------------------Tina Turner and Eric Clapton at Wembley Arena, June 18, 1987 (画像参照: wikimedia)さて、INTRO 前書きでは ロックを中心に見た日本の音楽界のあり方を やや 偏狭な視点から(※シニアの視点とも言う)語ってみましたが次は やや閉鎖的な視点から(※若者の視点とも言う)語って見ますwと言うわけで後枠では、現在は世界的な傾向で異なるジャンルの個性派アーティスト同士が組んで画期的でエモーショナルなサウンドを排出するコラボレーションが音楽の主流で既に「バンド」という形態は廃れているというお話をします。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------1.「バンドが廃れた欧米事情」-----------------------------------------------------------------------------------バンドが廃れたと言っても、ボンジョビやメタリカの様なアーティストが人気が無くなった訳ではありませんが、w近年「バンド形態」にこだわらない現代の世代ならではの価値観が投影され新たなサウンドを追求する中で生み出されるJAZZの様式で生まれたヒップホップテイストのR&B作品などの新時代のコラボ作品に代表されたこれまでに無い肌触りの作品に人気が集まり同世代のリスナーもアーティストもロックバンドそのものに響くものが無くなってしまいジャンルとしての王道の「ロック」は追求しても「ロックバンド」は継承しなくなったというのが理由と言われています。どうしてこうなったのかと言いますと、現代の世代が生まれた時点で既に存在していた「ネット」に大きな要因がある様に思われます。90年代以前の時代、バンドの音楽を演るには演奏するメンバーを集めるしか無く個人でバンドの音楽を演るには高価な多重録音機材や全ての楽器を演奏する能力などが必要でしたがPCの普及でDTMが身近なものになりスタジオを借りてバンドで演奏するというスタイル以外の選択技が増えて一人で全てのパートをカバーして自宅のPCのみで帰結する個人での音楽活動が可能となり音楽をより身近なものに捉えて個人で活動するアーティストが増えた事で、意気投合した不動のメンバーで唯一無二のサウンドを生み出し息の長いバンド活動を続けるよりも異なる音楽性を持ったアーティスト同士が組んだ化学反応で流動的なサウンドを構築し続ける事に意義を感じる様な風潮が生まれます。又、ネットの普及によって離れた場所に居る人物と瞬時にコミュニケーションが取れる様になった事でこれまで「集団行動」でしか得られなかった事が個人レベルで行う事が可能となり若者の間で一人の時間を優先し個人行動に価値を見出す個人主義的傾向が現れる様になります。この様なネット新世代は、ネットでリアルタムに海外のメインストリームの音楽に触れて来た事で海外の音楽が輸入盤によるレコード鑑賞やエアチェックしたラジオ番組の音源から得るしか無かった昭和旧世代のシニアの洋楽ファンが抱く様な「圧倒的な距離感」から生じる、洋楽に対しての憧れの様なものやそれこそ、英語の授業で流暢な発音で教科書を読む級友に対して教室内が「何だコイツ」という空気になるようないわゆる「英語、洋楽コンプレックス」 という様な特別感は持っておらずネットでリアルタムに海外のメインストリームの音楽に触れて来た事で洋楽に関して物理的な距離感を感じる事もそれによる憧れもコンプレックスからの特別感も持つ事は無く音楽は常に身近にあるものとしてダイレクトに「個人」で世界と通じているという感覚を持っている所に昭和旧世代との大きな違いがあります。昭和の時代、旧世代アーティスト達は日本で通用する音楽が海外では響かない事を痛感して山下達郎の様な英語力に長けた洋楽通が世界進出はせずに日本の音楽家として日本に於けるPOPに拘る様な音楽的内需拡大路線へと流れて行った事に対して宇多田ヒカルが登場した2000年前後の時代に本場のR&B言語で音楽を演る日本人が現れたと感じてから約20年、現代の若い世代のアーティストがグローバルな展開を見据えると言う様な自負の念からでは無く何の衒いも無く、ごく当たり前の様に自然に、米国に居る様な感覚でいきなり米国のメインストリームのサウンドで音楽を演る様になったのも、身近な仲間でバンドを結成して世界を目指すよりもより身近に世界を感じる者同士で世界とか仲間とか関係なく意気投合した者同士で個人的な音楽をコラボする事に意義を感じている所にバンドが廃れていったと言わしめる大きな要因があった様に思います。▲目次へ▲-----------------------------------------------------------------------------------2「.誰も語らないTik Tok以外の『香水』のヒットの背景」-----------------------------------------------------------------------------------BLOCK30, 旧居留地, 兵庫県神戸市 (画像参照: wikimedia)一方で、シニア世代のアーティストが90年代に世界に通用する日本の音楽を目指し躍起になって吸収しようとした「ゴージャスな洋楽テイスト」なサウンドが米国との「圧倒的な距離感」から来る憧れとコンプレックスの念から生まれたものだとしたら現代の若い世代のアーティストの特徴として挙げられる世界に繋がり孤立していない「個人」の現れを音にした様な「音数の少ないシンプル」なサウンドが世界と繋がっている意識を抱きながらも物理的に関わっておらず、独りで部屋に居続ける様な世の中との「圧倒的な閉鎖感」から来る孤独感と、その様な状況で溜まって行く負の意識を物理的に向ける先の無いやり場の無い「怒り」の念を訴える為に生み出している様な印象を受けます。その様な世代が、複数の仲間と集い時には衝突しながら共同作業の末に音楽を生み出して行く「ロックバンド」の音楽にリアルなものを感じられないのは、当然であり先の話題となったインディーズ出身のアーティスト 瑛人の『香水』がヒットした背景にあるのもギター1本の唄とバックダンサーという真似しやすい仕様にヒットの要素があった、とかSNSツール「Tic Toc」でのバズりで拡がり大ヒットに繋がったという良く言われる見解の他に、巨大なカリスマ性を持った 長渕剛 の様なアーティストが圧倒的存在感の音色を持った生ギターでの演奏による魂の弾き語りをする様な形では無く、閉鎖的な空間での孤独感を助長する様に響くスタイリッシュなスパニッシュ奏法でカッティングされる、生ギター感が希薄な「ループ的」ギター音をバックに唯一実存感を感じる歌声の感情的な歌唱でいつまでも癒えない心の傷が、かさぶたの様になってまとわり付く行き場のない「憤り」をさらけ出した所に現代の若者の心に刺さったのが、大ヒットした大きな要因だった様に思われ、王道の「バンドサウンド」で「反抗心」をたぎらせるのでは無く、シンプルな構成の音楽に「癒やし」を求めていた現れだと言えます。イントロの前書きでは「ロックの方から見切りを付けた」と書いた現在の日本の音楽界でしたが、ネットの世の中となり現在の若者が現在メインストリームとなる本場のR&Bをリアルタイムで体験する中で同じ様に「ロック」の核となる、日本のロックの歴史の中で失われた「ブルース」体験がなされたとしたなら王道の「ロックミュージック」への関心が高まり「バンド」人気復活へと繋がる日が近い将来、来るのかも知れません☆というわけで いかがでしたでしょうか。次回は一体 何が 更新されるでしょうか ごきげんよう☆▲目次へ▲■■■■■■■■■■■■■楽天市場■■■■■■■■■■■■■■■【CD】サンクチュアリ(聖域) [ NOVELA ]価格:1410円(税込、送料無料) (2020/7/30時点)■【CD】難波弘之 / ブルジョワジーの秘かな愉しみ価格:2200円(税込、送料別) (2020/7/30時点)■【CD】美狂乱 [ 美狂乱 ]価格:1430円(税込、送料無料) (2020/7/30時点)■【CD】一触即発(+2) [ 四人囃子 ]価格:1468円(税込、送料無料) (2020/7■【CD】DREAMIN' [ PRISM ]価格:2620円(税込、送料無料) (2020/7/30時点)■【CD】ジャガーの牙〜TUSK OF JAGUAR〜 [ 高崎晃 ]価格:1650円(税込、送料無料) (2020/7/30時点)■【CD】FAR EAST(紙ジャケット仕様) [ TAO ]『Hello Vifam(SE入りSingle Ver.)』『never give up』収録価格:2750円(税込、送料無料) 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2020年12月26日
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PART2【完全ネタバレ解説篇】※ご注意※このページは 映画『プレステージ』を鑑賞済みの方向けの 解説記事となっております映画未見の方は本記事を読まずに前のページに更新された通常の映画レビューコチラ≫ PART1【映画解説編】を御覧くださいPART2【ネタバレ解説編】「衝撃的ラストの意味と本作の種明かし」プレステージTHE PRESTIGE2007年6月9日公開 アメリカ 128分■監督 クリストファー・ノーラン■出演 ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン スカーレット・ヨハンソン、アンディー・サーキス、デビッド・ボウイ■ もくじ ■[※前回の更新]PART1【映画解説編】『巧みな布石と衝撃のラストが見物の怪奇幻想ミステリー』- コラム -「日本の脱出マジックブーム」STORY 1. 日本のイリュージョンのパイオニア 2. マジックの三段階 3. 突然の種明かしと脱出ブームの終焉- STORY -- 解説 19世紀の奇術界を舞台にした怪奇幻想ミステリー 1. はじめに 2. 衝撃のラスト5分 3. 19世紀世界を実現した芸術的映像 4. 映画そのものが壮大な「マジック」 デヴィッド・ボウイ演じる実在の発明家ニコラ・テスラ 「レディオヘッド」トム・ヨークの主題曲PART2【ネタバレ解説篇】『衝撃的ラストの意味と本作の種明かし』 1. はじめに 2. アンジャーの転送マジックの秘密と狂気の理由 ●舞台下の水槽は何? ■テスラの装置と転送マジックの謎とラストの意味■ ■真相を明かさないのはなぜ?■ ■アンジャーの心の闇■ 3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみる 4. 時系列で見るボーデンの入れ替わり ■今日はウソと言うサラの言葉の謎 ■複製装置か転送装置か ■拉致されるファロンはどちらのボーデンか ■時代劇である事に秘められた巧妙なトリック ■「アイツの事は放っておこう」の真意 ■アンジャーがボーデンの娘ジェスを引き取る理由 ■永遠の別れと最後の瞬間移動 5. ボーデンも複製か? 6. どちらが本物でどちらが複製か■ 衝撃的ラストの意味と本作の種あかし▲目次へ▲1. はじめにさて、念を押しますが・・・wココからは映画『プレステージ』を鑑賞済みの方向けのネタバレ謎解き解説となります映画をまだ観ていないのに検索からコチラへ来てしまった方やこの映画に興味があり内容を知りたくてレビューをお探しの方はココからネタバレ無しの PART1解説編 へ移動して下さい又は、むしろ何の情報も得無いままで映画を鑑賞して鑑賞後モヤモヤする事をオススメしますWそして、映画を観覧済みで色々モヤモヤしている方はこのままお進みくださいw■前回PART1 冒頭では「種明かしなど無粋の極み」と一刀両断しておきながらその舌の根も乾かぬうちに種明かし記事をこうして更新しておそらく、原作となったクリストファー・プリーストの1995年の小説『奇術師』を読めば一発で分かる謎もあろうかと思われる所を敢えて読まずに 映画の内容のみを頼りに解釈を試みたりと傍若無人ぶりにも程がある更新となりましたがwコレに付いては、原作そのものが二人の奇術師の秘密を後の子孫が解明するという内容の関係上解明を描いた小説を脚色した映画の解明をする為小説で描かれた解明を解明して映画を解明するという・・・「メガ解明状態」となる為 と、そもそも 「映画作品」として原作本を脚色して映像化した時点で映画は原作本とは別モノになっている という理由と、2001年に公開されたカルト映画として名高いリチャード・ケリー監督のリバースムービー『ドニー・ダーコ』の様な一度観ただけでは分からない、2度、3度観ても尚更分からないホームページに掲載された、劇中に出てくる本の解説書を読んでみて初めて真相に辿り着く、という様な映画本編を読み解くだけでは「何を描いたのか」分からないタイプの映画はミステリー作品としては「アリ」でも、当サイトとしては「フェアではない」と捉えている方針から映画の解明の為に原作本を紐解くという手品の解明をする為に知的推理を試みるより前に種明かしを知ろうという様なマネは「戦略的攻略(ストラテジー)」と称して林先生辺りの話を丸暗記して試験に挑む位に無粋な行為という理由からという、前回の「コラム」とは正にこの事の 「布石」だったわけですwここからは 楽天ブログの文字数の限界まで使用し本作を鑑賞した方のみを対象として本作のカラクリを出来る限り細かく紐解き映画全編に張り巡らされた布石と伏線を確認しながら私個人の見解が多分に入りながらも本作に隠された様々な謎を、紐解いて行きたいと思います☆▲目次へ▲2. アンジャーの転送マジックの秘密と狂気の理由Hugh Jackman (参照:Wikimediaより)さて、ここからは、映画本編をご覧になられて衝撃的結末に対し 未だ納得出来なかったりモヤモヤされたままなどな方向けに多少なりとも解消のお手伝いになればと私なりに解析し一年以上かけて纏めたものを楽天の文字数の限界まで使って解説した完全ネタバレ種明かし記事となりますしたがって「ボーデンは双子」「テスラの装置」などの本作鑑賞者でなければ分からないプロットを周知の事実として説明抜きで解説を進めて行きますので『映画』『プレステージ』『ネタバレ』で検索して来られた方にとってはクドい大量な文章に 更にモヤモヤし、本ページの注意書きを無視してこの記事を読まれた方にとってはクドい大量な文章に 思わず吐きそうになる、かもしれませんが・・・w暫しお付き合いください☆■さて、まずラストの意味を説明する前に本作のヒュー·ジャックマン演じる「偉大なるダントン」ことロバート·アンジャーの瞬間移動転送マジックに使われた「テスラの装置」の解説をします。▲目次へ▲■テスラの装置と転送マジックの謎とラストの意味■アンジャーの瞬間移動マジックで登場しド派手な稲妻を発生させたマジックを演出をする為のギミック装置 かに見えたテスラの装置とは一体何だったのか ですがこれはスター·トレックなどのSF映画でおなじみの物体や人を瞬間的に別の場所へ移動させる「物質転送装置」 が 正体ですなのでこの装置を使って実際にアンジャーは本当に瞬間移動していた訳でありマジックとしての種など無かったというのがアンジャーの転送マジックだった訳です「それがなぜ分かるの?」 ・・・は後ほど説明します「どういう事?18世紀に転送装置?仕掛けは?」 ・・・まあ映画ですからw何らかの電気の伝送技術と物質の再生技術のモニョモニョで作られたかどうか分かりませんが 要するにこれはテスラという人物が 18世紀の実在の発明家でというのは 引掛け でその実在する リアル テスラの方 ではなくて日本で言う所の 平賀源内 的な『アイアンマン』のロバート・ダウニー・Jr が演じたシャーロック・ホームズ シリーズ的な「バイオハザード」のミラ・ジョヴォヴィッチが出た『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』的なリュック・ベッソン監督作のダメ映・・・ファンタジー作品『アデル/ファラオと復活の秘薬』的な終わる終わると言いながらJUMP本誌で完結せず別冊で連載を移行してもそれでも終わらずアプリソフトを使ってようやく完結したSF時代劇コメディー『銀魂』的なサイバーパンク と呼ばれるSFテイストの時代劇作品でマッドサイエンティスト として登場する想像上の キャラクターとなって描かれて来た バーチャル テスラ の方が映画に登場して SF的発明をする作品だったという訳ですある意味、真相を聞かされた所で呆気にとられるばかりで、1900年代が舞台のリアルな設定のダークなサスペンス作品とばかりに思って見ていたら実はSFファンタジー映画だったという『ズルい禁じ手』を いけしゃあしゃあ と「種」に使った実にケシカラン映画とも取れるわけですが・・・wこの映画自体が巨大なマジックの演目だったと捉えれば我々観客は製作者に見事に一杯食わされた実にあっぱれな映画だったという捉え方もある訳ですwともあれ瞬間移動マジックの「種」とはテスラの装置による「科学」にあった訳でありアンジャーの「マジックでは無く科学だ」と言った言葉は本当だった という事になります。●●◯舞台下の水槽は?テスラ自身がアンジャーに忠告した場面がありましたがこの装置には深刻なバグがありましたそれは、この装置を使用する度 転送元に(或いは転送先に?)「複製」を生むというものでしたなぜそれが分かるのか は次で説明します がつまり人間にテスラの装置を使うと転送された方と、ステージ上と2人の人間が生まれるという訳ですアンジャーはその問題を承知の上でテスラの装置をマジックに使いその度 自分の複製を生み出していた 事になります。故に、増えるのはまずい という事で転送されたアンジャーはマジックを続けてステージ上のアンジャーを舞台の落とし戸から舞台下に設置した水槽に落として水死させて処理していた というのがアノ舞台下の水槽の正体という訳ですそしてアンジャーの水死体が入った水槽はラストにも出てくる、廃墟の劇場地下に夜な夜な運んで真相を知られない様に見られない様に盲目の作業員を雇い人知れず纏めて安置していた というのが瞬間移動転送マジックのからくり なのでした●●●ラストの意味ラストでフレーム・インして来るアンジャーの水死体が入った水槽の意味ですが「なぜボーデンは撃ち殺したアンジャーを水槽に入れたの?」と思ったアナタは、・・・とても良いお客様ですWという訳でもう薄々気がついている方も多いとは思いますがあのアンジャーの水死体が入った水槽はボーデンに撃ち殺されたアンジャーが入ったものでは無くまして、これまでアンジャーの替え玉を演じて来た「替え玉役のルート氏」が入ったものでも無く複製されたアンジャーの水死体を安置した100体の水槽のひとつですそれではここでなぜテスラの装置が「転送装置」だと分かるのか「複製」するバグがあるのがなぜ分かるのか を説明します■テスラの屋敷での実験の場面で、帽子を使って実験したら 失敗した様な空気となり、黒猫で実験したら やはり同じ空気になった後激怒して帰ろうとしたアンジャーが屋敷から離れた場所で二匹の猫が喧嘩しているのが気になって猫の鳴き声を追って林の中に入って行くと、全く同じ2匹の黒猫の姿と 沢山の帽子が転がっているのが眼に入り「成功していたのか」となったシーンがありましたド派手な稲妻が出た他は一見して何の実験を行い何が失敗して何が成功したのかよく分からない場面でしたがアノ沢山の帽子が散乱した場面は映画冒頭にも出てくる本作のキービジュアルの一つでもありましたそこで映画をラストまで観た時ラストの沢山の水槽と、水槽に入ったアンジャーの水死体とアンジャーの回想の中で自分が自分を撃つ場面とボーデンが双子だったという事実と転送マジックが映画の柱になっている事とこれらとの関連を考えてみますとアノ山に転がっていた大量の帽子はテスラの装置の実験で何度も転送されたもの というテスラの装置が転送装置であるひとつの証拠としての場面だったと捉える事が出来ます更にこの装置は実験後も 装置側に帽子がある事から・・・どちらが複製でどちらがオリジナルか は 後ほど触れるとして・・・ココは便宜上「複製」で統一しますが・・・転送先か 装置側かに 同じものが「複製」されるということが分かります猫の実験でも、林の中に居た黒猫が実験室から放された黒猫と首輪を含めて瓜二つだった事がそれを示しています又ラストの場面でのアンジャーの回想の中でテスラの装置をテストした後 もうひとりの自分を銃で撃つという場面の意味も撃たれたのは 替え玉役のルート氏 では無く屋敷から離れた所に転送された帽子や黒猫の様にテスラの装置で離れた場所に転送された自分を装置側に居た自分がこの事を予想して用意していた拳銃を手に取り転送されたもうひとりの自分を撃ち殺したというテストで生まれた複製を処理した場面 と分かります故にラストの意味とは、ラストでアンジャーの水死体が入った水槽を見せて、これはアンジャーの替え玉ルート氏の水死体でもましてボーデンに銃殺されたアンジャーでも無い、沢山の水槽の中に見えた人影と同様に転送マジックで生み出されたアンジャーの複製達が水死して処理された姿の一つが映ったものだ・・・という事を伝えていたのであり転送マジックの公演は100回行われたといいますのであの地下室には100体の水死体が水槽に安置されている「怖っつ!!!」という事実がwラストの本当の意味となります。ラストでボーデンが「スゲ~」という眼をして眺めていた水槽はなんと、100体の水死体が入った棺桶だったというその事実に気付いた時が、映画が本当のラストシーンを迎える、正に衝撃のラストだったという訳です。▲目次へ▲■真相を明かさないのはなぜ?■映画は最後まで 真相を語らないまま終わりますがこれは映画が終わってもしばらく真相が分からずモヤモヤさせるという製作者の狙いがあっての事だと考えられますそもそも始めから製作者は本作に登場する発明家ニコラ・テスラが実在するリアル・テスラ ではなくサイバーパンク系やSF作品でしばしば「マッド・サイエンティスト」として登場し転送装置もレーザー光線も宇宙船も作ってしまう想像上のキャラ・テスラの方だと言う事がバレ無い様にと本作の世界観を当時の空気感まで伝わって来る様なリアルな1900年代のイギリスを再現し「歴史コスチューム(時代劇)映画」に見える様にして実はダークSFファンタジー映画だった事を隠しています他にも、映画を解明する「種」の存在を覆い隠す意図的な「仕掛け」が全編に渡って潜んでいるのですがそれでいていい感じの「違和感」が布石の様に頭に残る感じで映画本編が作られておりますつまりは鑑賞後に検証できる程の緻密な造りになっている所に真相を語らないまま映画を終わらせた理由があるのだと言えますつまりアンジャーの転送マジックの「種」を覆い隠して謎が明かされないまま映画が終わり鑑賞後に本編を振り返ってアレコレ考えてみないと種や真相が分からない様に脚色された本作の本当の狙いとは、近年流行している参加型推理イベント同様にミステリーマニアが後に検証できる様にという鑑賞後のお愉しみという理由の他に、転送マジックを行う度生まれる複製の対策としてステージに残った方を水槽に落として水死させ処分するというおおよそ人間の行いとは言い難いこの様な行為を100回も繰り返す様な芸に取り憑かれた人物達の狂気に満ちた心の「深い闇」を映画の真相が分かるに連れてジワジワと浮かび上がってくる造りになっている所に本意があるのでは無いかと思います例えばラストに出てくる沢山の水槽はよく見ると何かが入っている様に映っていましたが本編ではアンジャー1人の水死体のみが映っただけでしたので理解できていない鑑賞者が「ルート」の水死体と沢山の水槽がいったい何を意味するのかとなった時に映画が終わってアレコレ考えた後真相にたどり着いた時に衝撃を受ける様に作られた最大の仕掛けだったと捉える事が出来ますこの様に、一度観ただけでは分からない様な造りにして尚且ラストで真相を明かさないのはまるで種の分からないマジックを観た後のモヤモヤする鑑賞後感を味わいながら後に「仕掛け」を解く鍵となる大量の「布石」の存在に気付くという製作者の狙いがあり本作自体が マジックの演目 そのものとして造られているからだと思うのでした ▲目次へ▲■アンジャーの心の闇■この映画が、これほどダークで凄惨な内容になったのも妻の死を乗り越えられず 私怨に固執した男の深い闇を抱えた悪魔の様な執念を描いた所に一つの理由があると思われます洗面台の水を張った洗面器に顔を沈めたヒュー・ジャックマン演じるアンジャーが息が続かなくなり洗面器から顔を上げ部屋で泣き崩れるという場面がありますがこれは妻が溺れる映像がフラッシュバックで入る所からも妻と同じ苦しみを味わおうとしたアンジャーが水死した妻の苦しみが見えて 余りの無念と哀れさに泣き崩れたという事を意味したものであれば、この時が ボーデンにも同じ苦しみを味合わせ様とした動機が生まれた瞬間だと捉える事ができます同時に、後追い自殺をしようとして死にきれなかった様にも見える所からこの時からアンジャーの「自殺願望」にも似た死に対して不遜でいる性質が際立ち始めて躊躇いなく人の一線を何度も越えて銃弾マジックの場でボーデンを撃ち殺そうとしたりファロンを生き埋めにしたり果てはテスラの装置を使った様な狂気のマジックで何度も自分を水死させるまでになったと捉える所でもある様にも思えますボーデンへの 確執 のそもそもの「核」となったのは出会って間もない頃、 まだ組んでやっていた時期にマジックとは安全な舞台芸であるべきとするアンジャーに対してマジックの真髄は「種」にあると豪語するボーデンとでしばしば対立してマイケル・ケイン演じるカッターに「若い」と たしなめられていた時期に徐々に芽生え始めた「対抗意識」にあると考えられますが階級社会だった当時の英国という社会背景も加わりある意味、コールドロウ卿として既に富も名誉も地位もありその気になれば どんなものでも手に入れられる貴族階級出身のアンジャーが名誉も金もない 労働階級のボーデンにマジックの真髄において決定的な差を見せ付けられるという現実がボーデンに固執する理由を生み果ては妻の死によってダークで凄惨な復讐劇へと発展する悪魔のような執念が生まれたと捉えることが出来ます。アンジャーが「新・瞬間移動」マジックで狂気に満ちたパフォーマンスを実行し続けたのは一つは、毎回のマジックで生み出される「自分の複製の処分の為」 ともう一つは ボーデンのプライドに目を付け種を知ろうと必ず舞台下に現れる事を見込んで毎回人知れず複製した自分を水死させ転送した自分はボーデンが現れたタイミングで雲隠れをし水死の罪をなすり付けて死刑に追い込むという「ボーデンへの罠」が理由だった訳ですがもう一つの理由として、まるで死ぬ意思があるかどうか確かめるかの様に窒息寸前まで水の張った洗面器に顔を入れる様な自殺願望に駆られ妻の死を乗り越えられないアンジャーがマジックを行う度毎回妻と同じ死を迎える自分が居るという事実によってある種の 心の救い を得て癒やされていたとも捉える事が出来ますしかし、この狂気のイリュージョンを演じ続けて大喝采を浴びる度に 捉え様の無い程の犠牲を払い演じて得た代償として例え様のない悦びの境地に達してアンジャーの中の何かが弾けて人生をマジックに捧げたボーデンの生き様にもリンクしボーデンへの恨みもいつの間にかどうでも良いものへと心境が変化して行く所に「芸に取り憑かれた者達の心の深い闇」という本作のテーマが浮かび上がってくるものを感じる所でもあります。同じ「心の闇」によって芸に取り憑かれた二人でしたが二人のボーデンが共にボーデンとしての人生を分かち合い共に生きようとしていた事に対して妻の死を乗り越えられずに、「死」に向かい合う本当の意味を理解出来なかったアンジャーは死には死を持って償わせる発想しか起こらず演目を重ね人跡未踏の偉業を成し遂げてボーデンへの恨みの念も とうに意味消失した後も死に不遜な性質が極まり人間を複製しては水死させるという人としての一線を何度も超える所業を繰り返しながらいつしか心が麻痺し死に対しての尊厳の念も恐らく死んだ妻を愛していた事すら忘れて欲と名声に取り憑かれる 「怪物」 と化した事がテスラの装置を使った狂気のマジックで複製した自分を生み出しては捨てる様な非道な真似を繰り返し行える要因となっていったと言うことなのかもしれません☆【Blu-ray】グレイテスト・ショーマン[ ヒュー・ジャックマン ]価格:1650円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)▲目次へ▲3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるさて、ラストでボーデンは二人居たという衝撃の展開を取った本作でしたがココで二人のボーデンを一旦この様に表示してみますChristian Bale (参照:Wikimediaより)A ボーデン1号(赤鬼)Christian Bale (参照:Wikimediaより)B ボーデン2号(青鬼)人物を1号2号とか AとかBで分けてもピンと来ないですし「ジキルとハイド」ではおかしいので赤鬼 青鬼 と 日本昔話にちなんだ 日本人には馴染みの深い名称を使って分かり安く分けて考証してみましょう。所でこの 赤鬼 青鬼 をどこでどう判断するかについてですが本編で人物にそれぞれ若干の性質の差異が付いている様に確認出来ますのでこれらを「個々のボーデン」を判断する「鍵」と前提して意図的に脚色された演出上の「布石」として踏まえ場面ごとに (赤鬼) (青鬼) にそれぞれ分離しながら二人の性格性質を書き出してみますと、以下の様に上げられると思います。 (参照:Wikimediaより)ボーデン1号(赤鬼)妻サラを愛する夫で、娘ジェスの本当の父親の方(青鬼)の所業に罪悪感を感じながら自分の欲の顛末を噛みしめて愛に生きる家庭人となり慎み深く、温和な性格となる危険の無い技術を求めて研究に没頭したと思われおそらく ファロン として大半を過ごしファロンとして初登場したのはコッチラストでアンジャーを射殺して(青鬼)の仇を取り 娘と共に街を去る (参照:Wikimediaより)ボーデン2号(青鬼)スカヨハ演じるオリヴィアを愛した方「水槽脱出」で事故を起こし人を死なせた罪悪感に苛まれるが「バットマン」のブルースの様に罪悪感を怒りに変えて乗り越えたので表面上は喜々として芸に打ち込むがその分「ダークナイト」並に心に闇を抱えやられたらやり返す攻撃的性格となるおそらくボーデンとして大半を過ごし最後はアンジャーの罠にハマり死刑になる【Blu-ray】ダークナイト[ クリスチャン・ベール ]価格:1650円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)▲目次へ▲4. 時系列で見るボーデンの入れ替わりまず映画のオープニングシーンで見られるテスラの研究施設の庭に散乱する山高帽はテスラの装置で複製されたアンジャーの帽子だと分かります。そして映画の最初の場面となる『アンジャーの瞬間移動マジックの場面』ではステージで装置の確認をするボーデン。ステージ裏で水槽のアンジャーを目撃するボーデン。は状況的にボーデン2号(青鬼)という事になります。(理由は後ほど)次に、アンジャーとボーデンが組んでいた頃に話が戻りますが、この時点では二人のボーデンを振り分けるはっきりとした要素が(※映画で見る限り)見当たらない為後で検証するとして ココは一端スルーします・・・そして時系列ではボーデンが二人いる事をはっきりと指し示す最初の場面となるのが『水槽マジックでの事故の場面』という事になります。----------------------【■Chapter6 ジュリアの死 - 23分16秒辺■]----------------------『水槽マジックでの事故の場面』アンジャーの妻を事故死させる原因となった「二重結び」をしたボーデン。ボーデン2号(青鬼)----------------------【■Chapter6 ジュリアの死 - 26分20秒辺■]----------------------『水槽マジックでの事故の場面』葬式に参列し、二重結びに付いてアンジャーに問いつめられた時「分からない」と答えたボーデン。ボーデン1号(赤鬼)(※Chapter記述は 販売用Blu-rayのものを使用しております。)プレステージ【Blu-ray】 [ ヒュー・ジャックマン ]価格:1,620円(税込、送料込)葬式で「分からない」と答えた (赤鬼)ボーデンの話は事実となり最初の辻褄が合います。という訳で、状況を踏まえながら二人のボーデンをそれぞれの場面に割り当てて行きましょう------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter5 偉大なダントン - 18分25秒辺り■】『鳩殺しのマジックの助手の場面』ステージから サラ をガン見するボーデン(赤鬼)サラと初めて会ったステージで、サラの甥が言った「鳥を殺した」というセリフは何気に アンジャーの「狂気の瞬間移動」の事を暗示し「この鳥の兄弟は?」という言葉は、何気に ボーデンが二人居る事を暗示したセリフだったと捉える事が出来ます。------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter5 偉大なダントン - 20分40秒辺り■】『サラの部屋の前での場面』サラに「大家さんに見つかるとうるさいから」と言われ帰るボーデン(青鬼)サラが部屋に入ると「お茶に砂糖は?」と言いシレッと部屋に居たボーデン(赤鬼)この時 何気に行った「瞬間移動」はボーデンコンビのチームワークだった事が分かります。今にしてみれば、赤鬼の恋路を青鬼が協力したホッコリするシーンでした・・・w------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter7 今日はウソ - 29分50秒辺り■】『銃弾掴みの種明かしの場面』ファロン初登場の場面で「赤ちゃんが出来た」と告げるサラに「ファロンに言おう」と言ってから 言い直す様に「やった 赤ちゃんだ」と喜んで見せるボーデンはファロンが本当の夫(赤鬼)だと言っている様なものになるので(青鬼)です銃弾掴みの種を教えた後「君を心から愛してる」と言った事に対して妻サラが「今日はウソ」と答えている事からもこの時点でサラの本当の夫は現在ファロンを演じている(赤鬼)である事が分かりますのでこれはその時々で (赤鬼) と (青鬼) がボーデン と ファロン で入れ替わって演じていた事を示す重要な「布石」の一つであった事が分かります。又、「ずっと考えていた大仕掛なマジック?」「ソレはまだだ」という会話は「瞬間移動マジック」の事を言っている事が分かります▲目次へ▲■今日はウソと言うサラの言葉の謎Rebecca Hall (参照:Wikimediaより)『アイアンマン3』で植物学者マヤ・ハンセンを演じ、ノーラン監督制作『トランセンデンス』でジョニー・デップの妻を演じた事でも知られるレベッカ・ホール 演じる ボーデンの妻 サラ は二人で一人を演じるボーデンとの結婚生活で精神を破綻しマジックに全てを捧げたボーデンの犠牲になった人物です特に「今日はウソ」というセリフはマジックに没頭したまま上の空でいる夫に対して「女の勘」を働かせつつ普通の愛情を求める女性の悲哀を表現した脚色としても悲劇に繋がるきっかけとしても印象に残るものがありましたがこれは女性の悲哀とは何の関係もない知らない間に夫である (赤鬼) の他に夫では無い (青鬼) とも夫婦生活をさせられその事実に気付いて精神が破綻したという二人のボーデンの「芸」の為の犠牲になった自殺の本当の理由が浮かび上がり一見本筋と関係が無いと思われたこれらの私生活の場面がラストシーンで一本の線となって繋がるという全てが覆される衝撃の事実が明らかとなる仕掛けが集約されていて居たのがこのセリフだった事が分かります。(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)【Blu-ray】アイアンマン3 MovieNEX(期間限定仕様 アウターケース付き) [ ロバート・ダウニーJr. ]価格:3636円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter8 銃弾つかみ - 30分30秒辺り■】『ボーデンの銃弾掴みの場面』「銃弾つかみ」マジックに乱入したアンジャーに指を撃たれたのは「分からない」と答えた事で (赤鬼) の方だったと分かります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter8 銃弾つかみ - 33分19秒辺り■】『部屋で再び出血するボーデン』怪我をした指から再び出血したのは(赤鬼) と同様に指を詰めた (青鬼) だったと分かります。------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter10 鳥殺し - 38分40秒辺り■】『アンジャーの鳩のマジックの場面』アンジャーの「世界初ハトが死なないマジック」を妨害したのは(赤鬼) の指を撃ったアンジャーへの(青鬼) の意趣返しだった事が分かります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter12 二つの矛盾した心 - 46分30秒辺り■】『通りでボーデン夫婦を目撃するアンジャーの場面』「サラ愛してる」「今日は本当の日」という会話からこの場面のボーデンは(赤鬼)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter12 二つの矛盾した心 - 47分20秒辺り■】『娘ジェスが刑務所へ面会に来た場面』ファロンが娘ジェスを連れて ボーデンの面会に来た時の場面でボーデンは娘が持っている人形を見て「人形の名は?」と聞くと「サラかな」と母親の名前を答えるのでこの時ボーデンは一瞬ファロンを見ます。死の意味が良く分からない娘の幼気さに感極まり父親が思わず身内に目をやってしまう・・・という様な観ている者の胸を締め付ける場面だった のですが、 (赤鬼) の妻を死に追いやった (青鬼) が母親を亡くした娘の姿に打ちのめされ深い罪の意識におののきながら娘の本当の父親を見上げた加害者としての反応だったという全く真逆の景色が見えて来ます。------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter14 二人のボーデン - 47分00秒辺り■】『買った家を家族に見せるボーデンの場面』家を買った時「でも先週は 家は要らないって」と尋ねるサラに「機嫌が悪かった 気が変わった」と答えるボーデン(赤鬼)ここで先週機嫌が悪かったというのはおそらく前のシーンで演じていた「瞬間移動」の舞台が思う様にウケなかった事に対して (青鬼) が苛ついていたという事だと分かります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter16 テスラの実験 - 1時間04分16秒辺り■】Scarlett Johansson (参照:Wikimediaより)『ボーデンの仕事部屋に訪れるオリビアの場面』アンジャーの言い付けでスパイとなってボーデンの部屋に訪れたスカヨハ扮するオリビアが言い付け通りに寝返る振りをする芝居を 半笑いで看破するボーデン。(青鬼)この時 疑いの眼を向ける策士に見えた表情には、オリビアに一目惚れした (青鬼) の鼻の下を伸ばした締りのない顔が含まれていた事になるわけですw【Blu-ray】LUCY/ルーシー[ スカーレット・ヨハンソン ]価格:1100円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)▲目次へ▲■転送装置なのか複製装置なのかこのチャプターの冒頭の テスラの装置の最初の実験が行われる場面で放電の後 デビッド・ボウイ演じるテスラが放電を浴びた帽子を見つめて立ち尽くすのですが単に実験が失敗して固まっているにしては深刻度が高く 違和感があるので、これは、後の場面で たくさんの帽子が林の中で見つかる事からも既に実験は何度も行われ、帽子は転送される事は分かっていて尚且つここにも残る結果となった事の意味する所を考えて転送する度 複製を生む 事態に戦慄を覚えていた と言うことなのだと思います。只、転送そのものは成功している事は分かっていたとなるとなぜ、帽子が一箇所に纏めて転送されていた様な状況で帽子がどこに転送されたのかも分からなかった様子のテスラがこの時点でどうやって転送が成功している事を確認できたのだろう かという疑問が残りますこの辺りに、テスラが以前にも転送装置を誰かに作った事があるという事を匂わせるものを感じさせる所でもあります因みにこの装置ですが映画を見る限りでは アンジャーがテスラに何を発注したのか分からないのでこれは「複製装置」なのか「転送装置」の副産物なのかで意見が別れる所ですが常識的に考えれば 「瞬間移動」の舞台で使うのであれば「転送装置」を依頼する所でしょう又、「複製」を目的にしていたのであれば実験後、複製されたものは何処にある と、アチコチ見回して 探し回るのが普通の反応なのでこの場合は、実験後全員が「転送される筈のものがまだここにある」とばかりに装置に置いた帽子を 只見つめていた所からも「転送装置」の実験だったと捉えるのが自然であり実験の前からテスラの表情がやたら深刻過ぎで・・・デビッド・ボウイの演技が思いの外 大き過ぎた・・・わけでないのであれば...w実験後に テスラがあれ程固まっていたのはやはり、「転送」目的で作った装置が「複製」を作る副作用を起こした事に 愕然としたという場面だった様に感じました------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter16 テスラの実験 - 1時間06分40秒辺り■】『酒場でアンジャーの替え玉に入れ知恵する場面』アンジャーの替え玉 ジェラルド・ルート に支配権云々を入れ知恵しアンジャーの「新瞬間移動」を台無しにして足に大怪我を与えるボーデン(青鬼)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter17 オリビアが見たもの - 1時間12分40秒辺り■】『ボーデンの部屋が荒らされた場面』ボーデンのノートを持ち出したオリビアに疑いの目が行かない様にボーデンの部屋を荒らしに行き自分がやった様に見せかけたアンジャーに対して「奴め遂に」と挑戦的に語るボーデンはこの後アンジャーがアメリカのホテルでボーデンのノートを解読する場面で描かれるノートを持ち出す様に仕向けた云々・・・という記述を記したのが(青鬼) だとすれば「奴め遂に(罠にハマったかw ザマミロ~www)」という意味になるという事で(青鬼)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter17 オリビアが見たもの - 1時間13分30秒辺り■】『ファロンが拉致される場面』パルテノン劇場で華やかな「瞬間移動」マジックを行いスカヨハ扮する助手オリビアの手にキスしたボーデンはアンジャーを打ち負かした大成功に良い気分になり「今日は歩いて帰る奴が来てもいい」とファロンに告げている事で(青鬼) (※多分)だと思われますその後ボーデンを尾行するアンジャーを追ってマイケル・ケイン演じるカッターに拉致され銃で応戦するファロン は(赤鬼) (※多分)▲目次へ▲■拉致されるファロンはどちらのボーデンかこのセクションはオリビアの手にキスをしているという理由から、このボーデンは (青鬼) であろうという程度のしっかり仕分けが出来る様なハッキリとした布石がされて無い為作品中最も (赤鬼)(青鬼) の判断が付きにくい場面だったりします。(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)この場面でボーデンが「奴(アンジャー)が来てもいい」と言ったのはもはやアンジャーを打ち負かしただけで無く自分達が事実上英国マジック界の頂点に立った事でもういつ死んでも悔いは無いと考えた完全勝利に酔う (青鬼) のセリフの様でもありますが拉致に銃で応戦するファロンの方が好戦的性格の (青鬼) の様な印象もありますし、或いは自分を撃ち殺そうとした時のアンジャーの殺気を警戒した (赤鬼) がいざという時の (青鬼) の援護の為護身用 に銃を携帯していた様でもあり と仕分けしづらい所です・・・最も、ラストでアンジャーを撃ち殺すのは (赤鬼) だと言う事からむしろ (青鬼) は「銃弾掴み」マジックの舞台にアンジャーの乱入を許し(赤鬼) の指を失わせた負い目から拳銃にトラウマ を感じている可能性がありそれらを考慮するとやはり拉致されたのは (赤鬼) の方だと考えるのが自然の様な感じがあります加えて、この後ファロンを救いに来たボーデンがアンジャーの要求に対して「テスラ」のキーワードをワナの材料として使った事からこの時のボーデンは (青鬼) と言う事になるのでここでのファロンはやはり (赤鬼) では無いかと思われます(※理由に付いては後述 ■5. ボーデンも複製か?■ の所で)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter18 キーワード - 1時間15分00秒辺り■】『墓地に呼び出される場面』人質になって生き埋めになった ファロン を助ける為アンジャーの呼び出しに応じて「テスラ」というキーワードを教えるボーデンは上記の理由が正しいなら(青鬼)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter19 秘密が人生 - 1時間17分40秒辺り■】『サラとのディナーで荒れる場面』ファロンを助け出した後のディナーのボーデンは明らかにサラの夫らしからぬ (青鬼) の様な行動を取ります。ここでのボーデンがどちらなのかを特定する証拠と言えば、ボーデンが「自分を生き埋めにして・・・」と言った後「・・・誰かに掘り出してもらう」の所でワインを指差す直前、自分自身を指差しているという見落としてしまう様な一瞬の動き と夫婦水入らずのディナーの席になぜファロンを同席させたのかという若干違和感を感じる位のものしかありません。では、ここでのボーデンは (青鬼) か と言われると「今日はひどい目に遭った」と語っている事から今のボーデンは 生き埋めにあった方の(赤鬼) という可能性の方が大きくなりココで荒れているのも、これまで(青鬼) の煽りを喰らい続けて来た (赤鬼) のストレスが今回の一連の事件によって遂に爆発したと捉えれば納得ができるものはあります逆に、今日が夫婦水入らずのディナーの日なのにも関わらず今のボーデンが (赤鬼) で無い理由は何かを考えると生き埋めに遭い弱っている上に午後の舞台をこなして披露の際にいる (赤鬼) が (青鬼) へ代役を頼み最近ボーデンの態度を疑い始めたサラの前で演技じみた態度を取って 疑惑の眼をそらしたと捉える事も出来ますまた、生き埋めにあっていたファロンが(青鬼)だったのであればひどい目にあった労いの意味からボーデンとして(青鬼)がディナーに出してもらっている可能性も考えられます。後は、この場面の最後で妻のサラが「アルフレッド おかしいわ お芝居はやめて」と言っている事を今、眼の前にいるのが紛れもない自分の本当の夫だと認識している「妻の勘」がそう言わせている場面と取るのであればこのボーデンは (赤鬼) だという事になりますつまり、この場面は今ボーデンになっている (赤鬼) が今ファロンになっている(青鬼) にブチ切れた様を描いている となり生き埋めになって死ぬ所だった (赤鬼) がこれまでこんな風に(青鬼)の煽りを食らい続けてどれほど耐えてきたのか という事に加えて2人でひとりを演じ続けて英国マジック界の頂点にまで登り詰めたにも関わらず今、一蓮托生となった自分達のどちらかが欠けたらマジックに人生を捧げるという「大事なモノ」を一瞬にして全てを失うという事を、もっと重く捉えろ とアンジャーの事はもとより、危機管理能力に欠けている (青鬼) への不満だけでなく贅沢癖があり、面倒な助手のオリビアの件や事情を話したくても話せない妻へのもどかしさなどの、今まで抑えてきた全ての「感情」を含めて家族とファロン (青鬼) とスカヨハ演じるオリビア共々関係者全員を同席させた所でなりふり構わずストレスの限りにぶちまけたというふだん温厚な人間が本気で切れたら手がつけられないという場面だったと、言うことになりおそらくそういう事だと思います。一方で、この場面のボーデンが (青鬼) だった場合本当は何に切れていたのかを 考えてみますと元々アンジャーの仇は(青鬼)でありマジシャンとして英国の頂点を極めて「もうアンジャーに殺されたとしても悔いはない」という気持ちになり「やつ(アンジャー)が来てもよい」とファロン(赤鬼)に告げて自ら標的となり悪縁を終わらせるのもひとつだと思っていた所相変わらず (青鬼) の煽りを食うかの様に援護に入って罠にハマり妻と娘を残して死んでいたかもしれない (赤鬼) に対し迂闊すぎる と 恫喝したとも取れ、何よりもその様な状況を作っている (青鬼) 自身が自分に切れた という場面だったのかもしれません------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter21 実験の成果 - 1時間23分15秒辺り■】『黒猫での実験』▲目次へ▲■時代劇である事に秘められた巧妙なトリックテスラの資金難の解消に良いように利用され金を騙し取られたと思ったアンジャーがテスラの研究施設に怒鳴り込む場面でテスラは黒猫を使った実験を行います結局成果は無く失念して立ち去ろうとしたアンジャーは林の中に放された黒猫の鳴き声が2匹に変わった事で異変に気付き林の中に大量の帽子が散乱しているのを見ると態度が一変します■この時のアンジャーの「成功していたのか」という台詞は装置の転送が成功していた事を意味し同時にこの場面は装置に複製を生み出す致命的な欠陥がある事が描かれた重要な伏線だった事が分かります。又、放電実験の後 装置に残った黒猫は助手のアリーに首輪を外されてから林に向かったので林の中の2匹の黒猫の内、首輪をしている黒猫がテスラの装置で転送された方だと分かる事からアンジャーはその事に気付いて装置の成功を知ったという事になります。■■この場面は 本作のキービジュアルとも言える「林の中の大量の帽子」が登場する重要なシーンでこの「大量の帽子」が後にアンジャーの瞬間移動マジックはこの帽子同様に人間を複製する所に種があったと判明した時不気味な鍵となる存在となり観る者を言い様の無い深い闇の中へ叩き込まれた様に戦慄させる本作のダークな側面を担う衝撃のラストへと繋がる重要な布石となっていきます。同時に、この「テスラの装置」が全身に稲妻を浴びても平気という19世紀当時の最先端の技術を使った単なるド派手な演出を行う舞台装置を作っている様に見せかけ林の中の「大量の帽子」は黒猫達がイタズラでくわえて持って行ったものだろうと思わせて鑑賞者にそのままラストまで正体を悟られない様演出する本作最大の「見せ場と悟られてはならない見せ場」となる場面でもありますテスラ初登場のシーンやボーデンの瞬間移動マジックのシーンで稲妻発生装置が使われたのも「テスラの装置」が単なる舞台装置に見える様に「種」を悟られ無い様に意図的に別の方へ気をそらせる「誘導」だった訳ですこれは、「あの大量の帽子は一体何だったのか」という謎に対してモヤモヤした違和感のみを残させる様に作品の時代を「19世紀のロンドン」に設定してその時代の空気感すら伝わってくる様な時代考証を細かい所に至るまで精密に行ったリアルな時代劇作品にする事でロバート・ダウニー・Jr主演の『シャーロック・ホームズ』の様なSF時代劇サイバーパンク系ファンタジー作品と呼ばれるCG全盛の何でもアリなハリウッド作品と混同され無い様にして映画の中で人が転送されれば「物質転送装置が使われた」と思い付く発想そのものを観客に微塵も起こさせない様にした所に本作の最大級の巧妙な「トリック」があった訳です【Blu-ray】シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム[ ロバート・ダウニーJr. ]価格:1100円(税込、送料無料) (2019/11/14時点)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter22 ウソの日 本当の日 - 1時間26分20秒辺り■】『ボーデン家での家族との場面』娘ジェスに動物園へ連れて行くと約束し、昼間から酒を飲むサラに「今日は本当の日」と言われ 遊園地のメリーゴーランドで ファロンと密会し「サラが気付いている」と告げた後スカヨハ扮するオリビアに逢い気乗りしないボーデンにシラケるオリビアに「ファロンを信じろ」と言うボーデン(赤鬼)メリーゴーランドでの密談はボーデンの謎に繋がる映画の柱となる最重要場面だった事が分かりますしオリビアがキスしようとするとボーデンが軽く拒むなど、終始気の無いボーデンにオリビアがシラケる事でここでのボーデンが(赤鬼) だと分かりますがこれらの重要な布石を浮気が原因に見せかけている脚色が巧妙です。------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter24 秘密を持たないで - 1時間32分40秒辺り■】『ボーデンとサラの激しい言い争い』サラに「もう隠していられない」と激しく言い寄られ「愛していない、今日は」と答えるボーデン(青鬼)この場面で 娘ジェスをソッと廊下から連れ出す ファロン。(赤鬼)このファロンはジェスの本当の父親だったから夫婦の言い争いを聞かせない様に連れ出したという事なのですが結局この時ボーデンがサラに告げた「愛していない、今日は」というセリフが決定打となりこの後サラはボーデンの仕事部屋で首を吊って自殺をしてしまいますこのボーデンのセリフの意味をサラがどう取ったのかは次のシーンが 鍵となります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter25 ダントンの復活 - 1時間38分11秒辺り■】『ボーデン、オリビアとの別れ』スカヨハ 演じるオリビアが 去る場面で「サラを一度も愛したことは無い」と告げるボーデン(青鬼)この場面で、サラが自殺の前日にオリビアに会ってボーデンの秘密を打ち明けようとしたという非常に重要な事実が サラリ と語られ状況的に 不倫 の話にしか見えない所が脚色の妙なのですがこれはボーデンが双子であるというカラクリにサラが気付いていた事と自分でも知らないうちに夫婦生活の半分を夫で無い人間と暮らし二人で一人を演じるというボーデンの芸の犠牲になったというサラの自殺の真相が浮かび上がる重要な布石となる場面でもあります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter26 人間は想像を超えた - 1時間43分20秒辺り■】『種が分からず動揺する場面』▲目次へ▲■「アイツの事は放っておこう」の真意テスラの装置を使った「新・瞬間移動」マジックの種が分からずにボーデンに 怒鳴りつけられるファロン(赤鬼)その後ファロンは廃墟の劇場に何かを運んでいる事を突き止めアンジャーの「瞬間移動」マジックに感服して「アイツの事は放っておこう」と語るボーデン(赤鬼)死刑執行前に「お前は放っておこうと言ったのに」という (青鬼) のセリフからこの場面のボーデンは (赤鬼) で間違いないのですが廃墟の劇場を突き止めたファロンは流れから(赤鬼) だな という感じでそのままファロンは廃墟の劇場に侵入してアンジャーの水死体が入った大量の水槽を見たであろうと 匂わせるものはあるのですが映画では描いていない為 不明です■この場面での ボーデンのセリフはテスラの装置の事を知っているのかどうかを判断する上でもかなり重要なのですが字幕で「舞台の下には何がある」と訳されたセリフは原語は「What is going on under that stage ?」なのでどちらかと言うと「舞台の下で何が起こっている」という感じで「種」よりも 何が起こっているのかを気にしている様にも取れるセリフに思います又、字幕で「公演のあと、あれを運んでいる」と意訳された様なセリフも原語は「they do this every night, after each Performance.」 と「公演後、連中は毎晩 (仕事を)やる・・・」という程度の意味でそれに対して肩をすくめるのも何も分からずお手上げの様でもあるのですが全てのカラクリを分かっていてそこまでやるかと戦慄して震えた様でもあるのでこの場面のボーデンは廃墟の劇場で水槽を見て全てのカラクリに気付いてアンジャーのやり方は自分達の信念とは異なる狂気に満ちたもので、気に留める必要なしと決断した(赤鬼) なのだと思います只、どちらにでも取れる、かなりモヤモヤしたセリフになっている様で困りものですw------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter27 見てはいけない真実 - 1時間45分00秒辺り■】『変装して舞台に上がる場面』アンジャーの「瞬間移動」マジックの舞台に上がって装置を眺めて舞台下まで行き 水槽に落ちるアンジャーを目撃する ボーデン(青鬼)これで、刑務所に入り死刑になるのは(赤鬼) が制したのにアンジャーのマジックを観に行った(青鬼) の方だと分かります------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter27 見てはいけない真実 - 1時間49分10秒辺り■】『コールドロウ卿と対面する場面』▲目次へ▲■アンジャーがボーデンの娘ジェスを引き取る理由「瞬間移動」の種を教える代わりに娘に会わせる条件を呑み面会にやって来た 富豪の収集家 コールドロウ卿は水槽で水死したはずのアンジャーだった事で事態は急変しますそもそも映画は当初から水槽に落ちたのが替え玉を演じた ルート の可能性を故意にチラつかせながらこうして肩すかしな程に コールドロウ卿 として生還 させる展開を迎えるのでこれらが鑑賞者にも想像が付く様な不自然な程に「想定の範囲内」程度の展開だったのもとどのつまりは驚愕の真相をラストで明らかにする為の、伏線だった事が分かります。■所で、一部ネットでもこの場面のやりとりが、ボーデンが『娘は巻き込むな』と言った事に対し『大事な者を奪われる辛さは知っている、君が連れて行けまい』と言ったアンジャーに ボーデンが顔色を変えた事に付いて「アンジャーがボーデンの娘ジェスを殺すつもりでいる」という多くの意見が見られ物議を醸しましたがそれが原作の内容に起因した論議であればともあれ本記事の冒頭でも書いた通り当サイトでは本作に関して「原作本」を脚色した独立した別作品として原作とは切り離して検証しているという記事の性質をまずはご理解いただきたく、これは2つの意味で まず無い と思われます。理由の一つとして、これは正に娘が殺されようとしている様に見える様にして実はボーデンは双子で、ここでのボーデンはジェスの父親の方では無く現在ファロンになっているのがジェスの本当の父親で自分が死刑になった後、父親の方のボーデンがジェスを引き取れなくなる事に焦ったという真相から観客の注意をそらせる演出の一環である 事と、もう一つは、「ガラパゴス化」と揶揄される程諸外国とは全く異なる文化的背景を持ち大ヒットアニメや漫画で当たり前の様に見られる「少年少女」の「ある種」の描写にも世界的にも寛容な 日本とは事情が全く異なり児童虐待が深刻な社会問題化している欧米諸国の場合は必然性のある社会派作品や敢えて社会に切り込む大家作品或いは、敵国に当たる人種の所業という設定であればともかくとしてアンジャーを演じたヒュー・ジャックマンの出世作でもある『X-MEN』の シリーズ6作目の様にロシア人に子供が殺される一方で、米国の学園の生徒は全員爆破から逃れるという分かりやすい極端な例もある位に近年「児童虐待」をイメージするプロットは社会性を考慮し極力避けるハリウッドの傾向からもいくらダークな作品とはいえこの様な大金をかけた大作であっても無くても、セリフ上で終わる程度な事だとしても「子供を殺す」という様な集客に確実に影響を与える様なマイナス因子のプロットを敢えて入れるという事はとても考えにくいという米国内の社会通念上の配慮が、理由として上げられます問題となる場面でもマイケル・ケイン演じるカッターがアンジャーと思わぬ再会を果たし罠にかかり死刑になるボーデンの件で激怒しながら娘までもどうするつもりかと問い詰めた事に対してアンジャーは心外だという眼をして「面倒を見ている」とハッキリと答えております又、本当に娘を殺す気であれば激怒するカッターに何を言っても仕方がないので話をそらせる筈ですし何よりも、娘が生きているという事はボーデンへの復讐はまだ終わっていない事になるのでこの時点で全てが終わったかの様にカッターにテスラの装置を封印する様に持ちかけるのは不自然であり演出上ぼやける事にも繋がるのでこれらの理由からもあり得ないと考えますこれは、ボーデンに、全てを奪われる事の辛さを味合わせてこれまでの確執を終わらせようと考えたアンジャーが名誉を奪う為にマジックで打ち勝ち、命を奪う為に罠に陥れ、最後は家族を奪う為、娘を養女にしたという金と権力にモノを言わせてボーデンから全てを奪い取り完全勝利を確信して前に進もうとしている場面と捉えるのが自然なのでここは単に(赤鬼) が実の娘を引き取れなくなる事に(青鬼) が焦った場面と取るべきなのでしょう尚、アンジャーがボーデンの娘ジェスを引き取った本当の理由は後程■6. どちらが本物でどちらが複製か■の所で解説します。(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)【Blu-ray】X-MEN:アポカリプス[ ジェームズ・マカヴォイ ]価格:1100円(税込、送料無料) 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がボーデンとして現れるという奇しくもここでも、アンジャー同様の命がけの「瞬間移動」マジックが行われた事を暗示したものだという事が分かります又、二人で一人のボーデンを演じながら「ボクがサラを愛し・・・」と言っている事からサラの夫も娘の父親も (赤鬼) で間違いないという事になります■ここでアンジャーが自業自得で自滅するのであればともかく(86)『プラトーン』のチャーリー・シーン演じるテイラーがトム・ベレンジャー演じるバーンズに下した結末同様に主人公たる立場の人物が 因縁の相手を銃殺して自ら手を汚した後何事も無く娘と共に新生活を迎える展開に今ひとつ感情移入が出来ず違和感を感じる方もおられるかもしれません。アンジャーがこの様な顛末を迎えるのもひとえに途中から私怨を大きく逸脱した悪行に対しての代償であると捉える事が出来ますがそれ以前に、映画を見る限りでもアンジャーの妻ジュリアは危険な「二重結び」に前向きで、マジシャンとして極め様という気概がありましたし「二重結び」をした後のボーデンの相槌にも応えていた様でしたので納得尽くの事の様にも捉えられジュリアの事故死の責任の一端がボーデンにあったとしてもマイケル・ケイン演じるカッターの言う所の若さ故の過ちから起こった 不幸な事故だったのでありその後のアンジャーの犯した一連の報復行為には正当性も正義も存在し無い単なる私怨に過ぎない事が見て取れます。まして悪辣な罠で人の命を奪い、それで幕引きしたつもりでいる所業に天網恢恢疎にして漏らさずとばかりに制裁が下ったという事になるのでしょう。結局アンジャーは、自分が撃たれた事よりもボーデンのマジックを看破できなかった事に無念さを抱き複製に複製を重ねて今居る自分は何者なんだと神をも恐れぬ所業を繰り返した罪に苛まれながら誰よりも手を汚し尽くした末、喝采を浴びる事の歓喜の充実感を知りお前なら分かる筈だと ボーデンに訴えながら巨大な闇を抱えて死んでいくのでした。あるいは、アンジャーの「瞬間移動」のからくりを気付いていたかもしれない (赤鬼) が、アンジャーを射殺をしたのはアンジャーの自己満足の為に生み出されては狂気のマジックの犠牲となって水死させられた知られざる哀れな100人もの「複製されたアンジャー達」へ向けての手向けの意味も、あったのかもしれません・・・【Blu-ray】プラトーン [ オリバー・ストーン監督 ]価格:1885円(税込、送料無料) (2020/7/10時点)------------------------------------------------------------------------------------------------【■Chapter30 約束 - 2時間04分40秒辺り■】『水槽の中のアンジャーの場面』林に転がるたくさんの山高帽子は それぞれが複製されたものだという事を指しエンドロール直前の水槽の中のアンジャーはボーデンが撃ち殺した遺体では無く、まして 替え玉のルートでも無く舞台下に置かれた大量の水槽の中の複製されたアンジャーの水死体の 一つ だと言う お話でした。ココで、全部の水槽にアンジャーの水死体が入った映像を入れなかったのは観客の曲解を意図的に招いて思考の迷宮に落とし込む「誘導」だったと言う 訳なのでした。■さて、人は良く「人生が二度あれば、あの時ああだったら、」と考えるものですが本作のボーデンの描写は、その時取った決断が人格に影響し同じ人生を歩みながら、全く別人として生きる事になるというそんな「人生の分岐点」を、分離した別人格で表現した演出の一環だったと捉えますと本作は2つの人の人生を描いた妙を見る様な非常に興味深い側面を持った作品と言えるのかもしれません。▲目次へ▲5. ボーデンも複製かさて、本作は、観客に気付かれない様に 様々な布石を配置しながら巧妙に話を逸らせる脚色が施されており観客はラストまで真相を知ること無く「ボーデンは双子」「アンジャーは複製」と言う展開に衝撃を受ける様構成されております。ラストでは これまで見過ごしていた尋常じゃない数の伏線と布石の所在が思い当たる様 浮かび上がるのでこの「ボーデンは双子」という展開も額面通りに受け取るのはまだ早計 という事が言えるかもしれません■映画を思い返してみますと、「双子か」と言及したのは ラストでヒュー・ジャックマン演じるロバート・アンジャーのセリフのみでありそれに対してクリスチャン・ベール演じるアルフレッド・ボーデンは否定しませんでしたが 肯定もしておりません。そもそも瞬間移動の鍵としてデヴィッド・ボウイ演じる「テスラ」の存在をアンジャーに告げたのはボーデンであり物語の中でもテスラは以前にアンジャーの同業者に装置を作ったという様な言及もありました。又、テスラが語った 「特異な人間に特異な装置を作る」というのがボーデンの事を指している様でもありこれらは全てボーデンが以前に「瞬間移動装置」を使い自分自身を複製をした事があるという事への伏線とも捉える事が出来る疑惑でもあります。完成品が渡された時の手紙の文章にも「この装置は悲劇をもたらす」と記載されていた事から察するとそれがボーデンの事かどうかは さて置いても過去にもテスラが人を複製した事実を匂わせる事の様にも感じられるものがあります。そこで、ボーデンは双子という事で特に支障のない本作のプロットに最終的に白黒ハッキリさせない様な果たして伏線だったのかどうかも定かでないモヤモヤした脚色で「ボーデンも複製 かも」という可能性を匂わせて整合性が崩れかねない伏線をなぜ張る必要があるのかと いう理由を汲みながら考えてみますと、これに付いては近年『シン・ゴジラ』でもそうでしたが鑑賞後も観客を思考の迷宮に突き落とすという、独特の世界観を印象付ける演出の一環という理由がまず思い付きます。ボーデンが複製人間だったとして★ ボーデンがテスラ製の装置を使っているアンジャーを見て「瞬間移動」の種が分からずに劇場の舞台裏まで忍び込む理由が成立しなくなる事と★ 本作の柱となる「アンジャーが仕掛けたボーデンへの罠」が成立しなくなるという映画の整合性に関わる問題が発生しそして、双子だった場合ボーデンとテスラの接点が時系列通り本編45分過ぎのシーンアルバート・ホールでの実演を観ていたのが最初という事になり(※Blu-ray - Chapter11「テクノロジー」) 放電装置を見たボーデンがスカーレット・ヨハンソンを助手にして演じる「瞬間移動」マジックをより良く見せる演出に使えると考えてテスラにマジック用の「放電装置」の制作を依頼したという一連の流れが生まれボーデンは「瞬間移動装置」とは何の関係もないという整合性が成り立つのですが◯現実問題「双子」では速攻で身内にバレるだろう。◯「今日はウソの日」程度の違和感では済まされない。◯そもそも「双子」ではトリックがお粗末過ぎる。●昔、デビッド・カッパーフィールドもそんな噂が立ったがこれはそのオマージュか?wなどの苦言が発生する事になりどちらも論理的着地点を見出だせ無いないまま有耶無耶に終わるという事が言えると思います他にも、ボーデンが「テスラ」の名前を暗号日記を解読するキーワードとして使っていた件では、「テスラ」というキーワードを使った暗号日記の記入がアンジャーと出会う前後辺りから行われている 事からボーデンは少なくとも日記を付ける直前にはどういう形であれ「テスラ」を知っていた事になり「テスラ」と会って 装置を使い自分を複製したという可能性は消えていない事になります一方で、この暗号日記がアンジャーを嵌める為だけの目的で書かれたものと捉えますとこれは単に文章が日記仕立てに書かれたダケの偽日記となりテスラとの関係性の証明には使えず複製説の証拠では無くなる と言った取り様によってどの様にも取る事が出来る様々な布石が配置されている事が曖昧な伏線を曖昧なりに成立させている一番の理由という印象があります■では仮に、ボーデンも複製だったとしたら どういう事になるのかかなり妄想も入ってますが敢えて想像してみますと・・・特別な人間に特別な装置を作るとの噂を聞いたか どうか分かりませんがwとにかくボーデンは自分が実験台になりテスラの装置を試します。しかしアンジャーの帽子を使った実験の時と同様の結果となり実験は失敗したと思い込んだボーデンは失望して帰宅します一方、人知れず離れた場所に転送されたもう一人のボーデンは実験が成功したと思いきや、実験室に自分がもう一人居る事を知り装置が生み出す恐ろしい弊害と 自分の置かれた状況を理解して実験は失敗した事にした方が良いと判断し誰かに気付かれる前に雲隠れします或いは、ボーデンが帰った後に入れ替わる様に離れた場所に転送されたもう一人のボーデンが実験室に入って来てそれを見たテスラは転送装置の実験は成功したが複製を造るバグがある事に気付きこの装置は人を不幸にするとして転送されたもうひとりのボーデンにこの事実を口外しない様に説得した・・・とも取ることが出来ます。後日、もう一人のボーデンは自分は双子の兄弟の隠し子とか、家は貧乏だったから里子に出されていたとか自分も最近その事実を知ってお前がマジシャンで活躍している事に驚いて会う事にしたとか何とか・・・もっともらしい理由を付けてボーデンの前に現れテスラの装置の真相は墓場まで持って行く事にした・・・・・・という事であるならば少なくとも二人の内一人は装置の真価は知らない事となりテスラの装置は失敗作だと思い込んでいる方のボーデンが良い散財になると睨んでテスラのキーワードをアンジャーに教えて装置を作らせる様に仕向けたりアンジャーの瞬間移動の種が分からずファロンを責め立てて荒れ好奇心に勝てず自らアンジャーの罠にはまるという本作の柱となるプロットの整合性は保たれます。更には、二人のボーデンの仕分けも元々のボーデンが転送装置の様な得体の知れないものに自ら実験台になる様な恐れ知らずの好奇心旺盛な人物だと考えられる所から装置の実験は失敗したと思い込んでいる方のボーデンはこの経験で何か衝撃を受けたとか人生観がガラリと変わったとか性格にも影響が出る様なトラウマになったとかそんな訳は無いので性格はそのままという事でコチラは (青鬼) という事になり転送されたもう一人のボーデンの方は、人間が複製されるという事の重大さに恐れを抱き自分の好戦的な性格が招いた事としてこれまでの態度を改めて思慮深くなり恐らくファロンとして大半を過ごしたと想像できる事からコチラは (赤鬼) という風に分けられます(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)そうして、本作を改めて観直してみますとラストのボーデンのセリフの「難しかった 2人で一つの人生を生きるなんて」という言葉の真意が見て取れたりカッター達に拉致されたファロンもどんなに脅されても頑なに口を閉ざし「種」を明さなかったのは明かさなかったのでは無くて人間を複製するという恐ろしい事実を明かせなかった と分かります又、復活したアンジャーのステージを観覧し脱出マジックの水槽を見て 心を痛めながらもテスラの装置を使った転送マジックを観た衝撃と危機感から思わず席を立ったボーデンが水槽を傍で見ていた記憶がある事から 青鬼 だったとしてその後、アンジャーの転送マジックの種がなぜ分からないとボーデンに責められ落とし戸のカラクリを描いた所で固まっているファロンも「ステージの後毎晩あれを運んでいる」の「あれ」とは複製されたアンジャーの水死体が入った水槽だと看破した様に身震いしたボーデンもこれらはテスラの装置の恐ろしさを唯一知り更にはアンジャーの転送マジックの狂気のカラクリを知っていた(赤鬼) の方だったと考える事が出来ます又、アンンジャーと組んでいた頃カッターのはからいで金魚鉢のマジックを見に行った時に帰り道でアンジャーとマジックの種について互いに意見しあっていた中で、マジックの種を看破して「芸の為なら人生も犠牲にする」という一節を口にした後何かに確信を得たかの様な表情をして、コレは使えるというばかりにガッツポーズを決める様に柱に向けてゲンコツを立てた事も、ここでは、マジックの種を見事に看破している事からこの場面のボーデンはファロン的なのでこの後ファロンとして大半を過ごす 赤鬼 が自分達のどちらかがテスラの装置によって意図せず造られた複製人間であるという境遇を考慮して(又はチャンスと考えて)いつの日か行う「瞬間移動マジック」の為に双子の事実は 世間に伏せて(青鬼) と共に「二人で一人」を日々演じる事を思い付いて手応えを感じた場面に取る事が出来ます。又、テスラの放電の実演を眺めていたボーデンもマジックの演出に使えないかと考えながら観ていたというよりは自分達の運命の始まりを回顧する様な眼で眺めていた所からテスラの創る装置の真価を知っている(赤鬼) の方だと分かります。加えてこの後に、瞬間移動マジックの演出用に放電装置の発注をする為に再びテスラに会い自分達が複製された事実を話したとも考えられそれが、アンジャーに対してテスラが取った一連の態度の現れの理由だったとすれば 筋が通ります更に、アンジャーの転送マジックの後運ばれる水槽を追って廃墟の劇場に辿り付き、恐らく中で水死体が入った大量の水槽を目撃したであろうファロンも「アイツの事は放おっておこう」と言ったボーデンも装置のカラクリを知っていた (赤鬼) と捉えますと、全ての謎が繋がりますし双子となった真相を (赤鬼) から知らされていなかった (青鬼) が留置場でアンジャーと再会した後 全てを察知し、或いは脱走も可能だったかもしれない状況でもう半分のボーデンの人生を (赤鬼) に全てを託して刑に準じたという(青鬼) の真意も見えて来て辻褄も合う事になります。加えて、ラストでアンジャーの水死体が入った100体もの水槽を見ても驚きもせずにまるで全てを知っているかの様な眼で眺めていたのもテスラの装置の真意を知った上で「よくぞ、ここまでやったな」と感慨深さと戦慄が混じった気持ちでいたという事が分かります。次に、ボーデンが複製された時期の特定ですが、これは特定が難しいながらもカッターの下でアンジャーと組み始めた時マジシャンの小道具係をやっていたボーデンがカッターの所にやって来た理由が二人になって食い扶持が増えた為であれば納得できますし又、中国人マジシャンの金魚鉢マジックを看破した時日々を犠牲にする精神に対して何かの手応えを感じて 静かにガッツポーズを取ったのも瞬間移動マジックを演じる為に日頃から一人のボーデンを入れ替わり演じる事を思い付いた様な印象があります何よりも、ミルトンの水槽マジックの後の楽屋の場面での会話でカッターが「君は何か(新しいマジックが)あるんだろ」と言った後ボーデンが「もちろん」と返しカッターが「売ってくれ」と言った後ボーデンが「僕にしか出来ない」と言った真意が複製になった自分達だから出来る事という意味が含まれていると捉えるならばアンジャーと組む前から既に複製だったと捉えるのが自然だと思われます。■これらは演出上「双子」でも「複製」でもどちらでも取れる様 に観客の判断に委ねた作りとも取れますが70年代のおおらかな時代の映画であれば ともかくとして目の越えた観客が多い現代において、あちらを立てればこちらが立たずという様な伏線と言うには曖昧な「怪しい」脚色が盛り込まれたまるで人を喰ったような「解けないミステリー」が残ったままのモヤモヤした幕切れをする作品は全ての伏線が一本の線で繋がり謎が解き明かされるカタルシスにミステリーの醍醐味を感じる映画ファンにとっては受け入れがたい造りでありこのあたりに本作がノーラン作品でありながら地味な評価に繋がった理由があるように感じられました。一方で、この様な「怪しい」伏線を張った真意はまるで超能力の様にも、単純な仕掛けがある様にも幾重にも取れる何が本当で何が嘘なのか観ていて混乱する全く種が分からない「マジック」を観た後の外連味ある人を喰った様な後味を再現するという映画をひとつのマジックの演目に見立てた演出上の狙いからかと、思われるものがありました。或いは、娘と共に新たな人生を送る悦びを噛みしめながら笑顔で去って行くラストのボーデンを印象付ける為何かに取り憑かれた様にマジックに没頭してきたこれまでの人生との訣別を意味する様に「種の分からないマジック」の様な深い闇の中にあった人生を象徴する「仕事部屋」を新たな人生の旅立ちを意味する様に立ち去る事で明るい未来が待っている事を印象付ける為に解けないミステリーを残して行く様に映画を終わらせたという製作者の意図があったのかもしれません☆▲目次へ▲6. どちらが本物でどちらが複製かアンジャーはラストで今の自分は本物なのか複製なのかと ボーデンに問いかけましたが「非道を重ねてもはや人間では無くなった」という脚色上の比喩とは別にテスラの装置で複製された方は転送された方なのか、その場に残った方なのかそして、オリジナルはどちらなのかという疑問が残りますこれに付いては、黒猫を使った実験の場面で装置の稲妻を浴びている間 威嚇する様に鳴いていた黒猫が装置が停止した途端、嘘の様に静まった事に対して林の中に転送された方は相変わらず威嚇する様に鳴いていた事から転送された方は転送前と同じ動作をしていたという事を理由として転送された方 が オリジナル で残った方 が 複製と 仮定する事が出来ますアンジャーの場合はラストの回想で、転送された自分を銃で撃つ場面があるので「複製」が「オリジナル」を殺した事になりそれ以降のアンジャーは全て「複製人間」だったという事になりますつまり愛する妻を失い喪失感にくれボーデンに固執し続けたオリジナルのアンジャーは既にこの世に無く、奇しくも「複製」の方が、妻の死を乗り越え私念を捨て「複製」の自分を更に複製して水死させ続けながら狂気のイリュージョンを続ける「怪物」と化して行ったという衝撃の結末に言い様のない「深い闇」を感じる所でもありますこれは、演目の為に人も自分も自分の妻さえも犠牲にして来たボーデンと「同類」となりもはや妻の死の責任を責められない程 犠牲を重ね演目の為に演目の数だけ人間を複製しては殺し続ける非道を行い芸に取り憑かれた「魔物」と化したと悟ったアンジャーがオリジナルを撃ち殺した「複製」の方だったというのが実に興味深く、心の底で 自分は実は「複製」の方だと薄々気付いている様な演目で毎回水死しているのは、複製した「コピー」で生き残っているのは自分をコピーし続ける「複製」だと 分かっている様な演目の度、「複製」をコピーした「複製」を生み・・・水死しているのはどうせ自分の「コピー」なんだと納得し、100回も「複製」に「複製」を重ねてそれを水死させ続けて存在している自分はもはや「人」だと言えるのかどうか、定かでは無くだから、100回もの回数の水死体を出す狂気の演目を続けても平気でいられた様な映画から、そんな匂いを感じさせるものがある所からも故に、自分は何者で、何者でもない何も無い「空」だと ラストでボーデンに指摘される様な、自殺願望に駆られた自分を演目で何度も水死させ「複製」の自分がそれを外から眺めるかの狂気のイリュージョンを続けて「コピー」を重ねた書類や「ダビング」を重ねたアナログビデオがどんどん鮮明さを失って行く様に「複製」を続けて行く度 人としての何かを失い、狂気のイリュージョンを100回も続けられる程に人の姿をした「怪物」と化した所から全てが終わった後は、ジェスから父親を奪った事への罪滅ぼしの意味の他に人としての何かを失ない「空」となった自分が人の子供を育てる事を通して少しでも「空」を埋めて癒やされようと思いボーデンの娘ジェスを引き取って養女にして育てようとしたのかもしれませんラストでボーデンがアンジャーを射殺するのも(青鬼) の仇を取ったとも、哀れな100体のアンジャー達の手向けとも取ることができますがオリジナルのアンジャーは目の前の複製されたアンジャーに殺されてすでにこの世に無い事を知っているボーデンが自分は本物では無く狂気のマジックで生み出された副産物のコピーに次ぐコピーに過ぎない・・・と分かっている目の前のアンジャーの意を汲むかのように射殺して葬り去り全てを終わらせたという事なのかも しれません・・・(※いきなりリンク先から飛んで来て 赤鬼 青鬼 の意味が分からない という方は▼▼▼コチラ▼▼▼3. 二人のボーデンの違いを(赤鬼)と(青鬼)に分けて見てみるをお読み下さいw)■一方、ボーデンも複製だったと仮定すると転送された (赤鬼) の方がオリジナル のボーデンとなりそれを踏まえて振り返ってみますと或いは脱走できたかも知れない状況で(青鬼) が刑に甘んじたのも(赤鬼) への謝罪の念の他にどこかの時点で自分は複製だと気付き赤鬼 がこれまで通り ボーデン として生きて行ける様自分 は消える事を望んだという風に捉える事が出来ます又(赤鬼) と (青鬼) の 性格の差が生まれたのも特に、双子となった理由を唯一知る 赤鬼 の方がこれまで 自分 が取ってきた行動を 青鬼 を通して見続けてきて過激で挑戦的だったこれまでの自分を改め一歩引いて外から眺める「視点」を生み出したかどうかの違いからだと分かりますそして、ラストでボーデンが娘と共に第二の人生を歩むハッピーエンドを迎える事が出来たのもアンジャーとの悪縁が切れたからという事では無く己自身を見つめ改め自分自身を変えて来た事によるものという 本当の理由も見えてきます。■本作は数多くの布石と伏線が巧妙に張られたダークで凄惨なサスペンスミステリー系作品として語られる作品ですが舞台となった19世紀の世の中においても常識もルールも常に変化し混沌とした現代社会においても「人は変わる事が出来る」という誰もが理解できる ごくごく当たり前な人の生き方の道理を説いたヒューマニズムを描いた所に真のテーマがある作品なのではと思うのでした☆
2017年04月02日
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洋楽特集 第17回キレッキレな裏声の音楽をどうぞ・・・ 80年代を中心に、子供の頃、若かりし頃耳にして来た音楽をご紹介するシリーズ。今回は、裏声特集 と題しまして様々なファルセット・ボイスによる名曲をご紹介します70年代から既にソウル、ファンクでの歌唱として知られていた ファルセットでしたが日本では馴染みはありませんでしたその後 時代が変わりますと、映画やテレビの影響で広くソウル、ファンクが知る所となり 徐々にお茶の間にも浸透して行きますという訳で そんな音楽をあなたは何曲ご存知でしょうかそれではスタート!△▼ △▼ △▼もののけ姫 - 米良美一 (1997)映画 『もののけ姫』 主題歌収録アルバム 『もののけ姫 サウンドトラック』屋久島・白谷雲水峡の森林 (画像参照: wikimedia)洋楽じゃ無いですケド、裏声と言えばコレでしょうね~w『タイタニック』 が記録を塗り替えるまで日本映画興行収入一位を記録した国民的アニメーション映画主題歌です唄を担当した 米良美一 の カウンター・テナー という唱法は本曲で広く知られる事になりました話によると、もののけ姫の準備期間の時宮崎 駿 監督は 音楽が決定する前から既に米良美一 のアルバムを聴きながら作業をしていたとか主題歌録音の時、宮崎 監督は 米良の唄が硬い事を看破しその理由が 歌詞の内容が今ひとつ掴めない点にある事を知ると『これはアシタカがサンの事を唄ったもの』 と、短いアドバイスを告げ米良の疑問を瞬く間に解消し、あの歌唱を引き出した という事でした△▼ △▼ △▼TATSURO YAMASHITA - Jody (1984)山下達郎 - 悲しみのジョディ収録アルバム 『BIG WAVE』Oahu North Shore surfing hand drag (画像参照: wikimedia)日本で最初に J-POPに 本格的に裏声を持ち込んだヒトは多分このヒトですクリスマスの季節になるとマライヤ・キャリー と同じ位にヘビー・ローテーションする国民的クリスマスソング『クリスマス・イブ』の作者 山下達郎 によるファルセット で一曲を歌い上げた男性ボーカルとしてはJ-Pop史上恐らく初の山下達郎の 代表曲です原曲は 83年 『MELODIES』 の 一曲目の 同名曲で日本語の歌詞で作られたものを84年映画 『ビッグウェーブ』 のサウンド・トラックとして英語にて再録音されたバージョンですソウル、ファンクに傾倒していた山下達郎は以前から ファルセット・ボイス を使った曲を発表してましたが全編に渡っての曲は これが 初めてでした元々達郎は プロデュースの仕事が目的で音楽界に入った事もあり今ひとつ 大ヒットに繋がらないアルバム制作に難色を示すレコード会社に対し予算内でキッチリアルバム制作をする事を宣言しそのアルバムを最後に 歌手としては引退しその代わりやりたい事をやり尽くして以後はプロデュース業に専念するつもりで 最後の作品として制作したアルバム 『GO AHED』 を発表しますその後、なぜか大阪のディスコで流行っているという噂を聞き付け半信半疑で演奏に出かけた事でブレイクとなりその後の活動へと繋がって行ったという話が残っておりこれが無ければ 『悲しみのジョディ』 の 脅威のファルセット・ボイスも国民的クリスマスソングの 『クリスマス・イブ』 も誕生する事は無かったと考えるとこの時期の達郎が ファンク、ソウルに傾倒していて本当に良かったとファンとしては、思うのでしたw△▼ △▼ △▼Bee Gees - Stayin' Alive (1978)ビージーズ - ステイン・アライブ収録アルバム 『サタデー・ナイト・フィーバー』Bee Gees (画像参照: wikimedia)これ程社会現象になった裏声は 後にも先にも無いでしょう元々ストリングスサウンドをバックにコーラスを唄うボーカル・ユニット『ビージーズ』 が、ディスコティックに大変身を遂げて世界的大ブレイクをするきっかけとなったジョン・トラボルタ 主演映画 『サタデー・ナイト・フィーバー』 の 主題歌ですアース・ウィンド・アンド・ファイアー のブレイクもあり男性による ファルセット・ボイスは 音楽ファンの間では知られておりましたが白人男性によるブラック・コンテンポラリーとしてはおそらく初で初めて ファルセットボイス の曲を聴いた方も多かった様に思います大ヒット当時は、白人男性が唄っているとは思わずPVを観た時は かなりの違和感を感じた記憶が残っておりますwww△▼ △▼ △▼Earth, Wind & Fire - Fantasy (1977)アース・ウィンド・アンド・ファイアー - 宇宙のファンタジー収録アルバム 『太陽神』Maruice White (画像参照: wikimedia)日本でファルセットに市民権を与えた曲はおそらくコレですモーリス・ホワイト 率いる 世界的ソウル、ファンク・バンドアース・ウィンド・アンド・ファイアーの 日本でのブレイクにも繋がった大ヒットナンバーです70年代から既にソウル、ファンクでの歌唱として知られていた ファルセットでしたが多くの方は 男性の裏声には違和感を感じるとして日本では 子供に向けての唄や キテレツ系での使用に 留まっておりましたその後 アース・ウィンド・アンド・ファイアー が日本のイラストレーター長岡秀星 を起用した事でアルバム 『太陽神』 が話題となりアースのリーダー モーリス・ホワイト が様々な要素をファンクに盛り込み 新たな可能性を見出していた事もありSF的要素を含んだ 壮大なイメージで作られたアルバム 『太陽神』 のシングル曲 の本曲は折しも 『スター・ウォーズ』 の大ヒットによる空前のSFブームが後押しをして 日本でも大ヒットとなりこれによってファルセットボイスが日本でも広く受け入れられる事となりました△▼ △▼ △▼Paul McCartney - So Bad (1983)ポール・マッカトニー - ソー・バッド収録アルバム 『パイプス・オブ・ピース』Paul McCartney (画像参照: wikimedia)ポール・マッカートニーらしい アットホームな雰囲気のある 優しい裏声の曲ですセンチメンタルなラブソングですが、歌詞にある 『SO BAD』 というのは『酷い』という事ではなくて、日本語で言う所の『ひどく大好き』 という 意味です只、歌詞の 『Girl I love so bad.』 は英語的には間違いらしく本来は『Girl I love you so badly.』 が正しいそうですつらい経験の後 出会った素敵な恋の様に崩した英語で無ければ伝えられ無い事もあるとポールが語りかけて来る様な正に、裏声で無ければ 伝えられない想いの 唄 なのでしょう☆△▼ △▼ △▼と言う所で終了です。それではみなさん、ごきげんよう!■■■■■■■楽天市場■■■■■■【CD】もののけ姫 サウンドトラック [ 久石譲 ]価格:2868円(税込、送料無料) (2021/10/21時点)【CD】Big Wave(30th Anniversary Edition)[ 山下達郎 ]価格:2420円(税込、送料無料) (2021/10/21時点)【輸入盤】Saturday Night Fever: 40th Anniversary(2CD Deluxe Edition) [ サタデー ナイト フィーバー ]価格:3339円(税込、送料無料) (2021/10/21時点)【CD】太陽神 [ アース・ウインド&ファイアー ]価格:1100円(税込、送料無料) (2021/10/21時点)【CD】パイプス・オブ・ピース【デラックス・エディション】[ ポール・マッカートニー ]価格:3287円(税込、送料無料) (2021/10/21時点)
2013年10月19日
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クロスオーバーイレブン2014新春 1月2日(木)~6日(月)PM11:00~AM0:00 NHK-FM放送決定! まだロックを不良の聴く音楽だと思い込んでいた頃級友宅で オジー・オズボーン の ミスター・クローリー を聴かされ『ランディー・ローズのハーモニック・マイナーからのピッキング・ハーモニクス来るううっつ!!!』 とこれまで生きて来て耳にする事の無かった様々な単語を聞かされ 『ああ、コイツ 眼がすわっているな・・・』 と 身の危険を感じその場で級友を気絶させ逃走した(※気絶させ逃走しません) 学童時代・・・洋楽ファンだったブログ主が 勉強の友に聴いていたのがFMラジオの音楽番組でした23時になると至って緩やかな音楽に乗せこの上ないダンディな声が朗読を始めるとしばし鉛筆を持つ手を休めて、深い夜の流れに身を任せば~もうすぐ時計の針は12時を回ろうとしています 今日と明日が出会うときクロスオーバー・イレブン~ と気が付けば勉強をせぬままの一時間を過ごす、月曜から金曜夜のひとときで あっ た・・・ さて、毎年恒例となりました1978年11月23日~2001年3月29日の22年に渡って放送されていた深夜番組「クロスオーバーイレブン2014夏」 として1月2日から5日間限定で復活します。ナレーションは当レビューがプッシュするおなじみ 津嘉山 正種 氏が担当内容は分かり次第追って告知致しますので、乞うご期待下さい!!!ラジオが無くてもネットで聴けるらじる★らじる NHKネットラジオのページからパソコンで番組を聴くことが出来ますラジオの電波が入りづらい環境の方や ラジオを持っていない方も番組を愉しむことが出来ますこの機会に是非ご利用下さい☆番組内容 今回は番組中最も人気のあった 『モヤシ君シリーズ』 の 高木達 さんが満を持してナレーションのスクリプトを担当する ファン必聴の回となりました。昭和の時代を舞台に 友人達と様々な経験を通して成長する少年の姿を描いていきます選曲はお馴染みの小倉エージと大伴良則が担当しますお楽しみに!1月2日(木) - 第1回 どんど焼きの朝 - 【選曲:小倉エージ】「アーリー・デイズ」Paul McCartney「ハウ・ダズ・ザ・グラス・グロウ?」David Bowie「トリップワイアー」Elvis Costello & The Roots「愛への賛歌」スティヴン・スティルス「ドリームギフト」スペンサー・ブリュワー、ナンシー・ランベル、エリック・タングスタッド「ドルフィン」マイク・マーシャル、ダロル・アンガー「メロウ・マイ・マインド」Simply Red 「スリンキー」ハーブアルパート 「チャームド」フォー・プレイ 「ディスタンス」Bette Midler1月3日(金) - 第2回 ナイトメア~悪夢 -【選曲:大伴良則】「メタル・グルー」Tレックス「コール・ミー」Blondy「彼女はサイエンス」トーマス・ドルビー「タイト・ロープ」レオン・ラッセル「素直になれなくて」Chicago「ザ・リングマスターズ・ドリーム」パトリック・オハーン「オール・クワイエット・ナウ」パトリック・オハーン「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」ジョー・サンプル「デルタ・シティ・ブルース」マイケル・ブルッカー「クラヴィーアのためのプレリュード第3番」ドミニク・ミラー、クリス・ボッティ「ウィザウト・ユー」ニルソン1月4日(土) - 第3回 東京オリンピック -【選曲:大伴良則】「大脱走のマーチ」ミッチ・ミラー合唱団「BE MY BABY」ロネッツ「HE'S a REBEL」クリスタルズ「愛しのラナ」ヴェルヴェッツ「I GET AROUND」Beach Boys「ライオンは寝ている」トーケンズ「COOL」映画 『ウエストサイド物語』 オリジナル・サウンド・トラック「太陽の彼方に」アストロノーツ「白い渚のブルース」アッカー・ビルク楽団「恋と涙の17歳」ブロウ・モンキーズ「ふられた気持ち」ダリル・ホール・アンド・ジョン・オーツ「BALL OF CONFUSION」ビ・イー・エフ・フィーチャリング・ティナ・ターナー「WICHITA LINEMAN」ビ・イー・エフ・フィーチャリング・グレン・グレゴリー「悲しき願い」ミック・ハックネル1月5日(日) - 第4回 帰ってきた男 -【選曲:大伴良則】「AS TEARS GO BY」ローリング・ストーンズ「SHE’S NOT THERE」「WILD THING」トロッグス「ALL DAY & ALL OF THE NIGHT」キンクス「FOR YOUR LOVE」ヤードバーズ「朝日のあたる家」アニマルズ「WALK DON’T RUN」ジョニー・スミス「SUNNY」ロジャー・ケラウェイ「リパブリック讃歌」ハービー・マン「FATHER SON BLUES」ブッカー・T・ジョーンズ feat.テッド・ジョーンズ「FAR FROM HOME」トラフィック1月6日(月) - 第5回 東京タワー -【選曲:大伴良則】「恋を抱きしめよう」ビートルズ「MY GIRL」スティービー・ワンダー「MERCY,MERCY,MERCY」バッキンガムス「MR.TAMBOURINE MAN」バーズ「冬の散歩道」サイモン・アンド・ガーファンクル「さらばベルリンの灯」ジョン・バリー・オーケストラ「リカード・ボサノバ」バルネ・ウィラン「17歳の組曲」“IT WAS A VERY GOOD YEAR~I’M A FOSTER CHILD”“LOVE DANCIN’”“IT WAS A VERY GOOD YEAR~I’M A FOSTER CHILD”“I THANK YOU”“IT WAS A VERY GOOD YEAR~I’M A FOSTER CHILD”“TOUCH ME IN THE MORNING”マリーナ・ショウ「FOREVER」バルネ・ウィラン※ 番組リンクは NHK の許可を受けたものですNHKオンライン トップページ- 番組について -エンディングで脚本を 『スクリプト』 と読み、この単語を始めて聞いたのもこの番組で、音楽と朗読によるミニドラマを交互に流すスタイルが話題となり多くのファンを作りました。石橋 蓮司、清水 紘治、※富山 敬、※横内 正、とナレーションが交代する中最も長く番組を務めたのが声優でもある俳優:津嘉山 正種 氏です。この番組の最大の売りは、様々な作家による曲間に流れる 朗読 コーナーで小沢 章友 『遊民爺さん』 シリーズ内山 安雄 『アジア』 シリーズなどが人気がありました特にダンディな声で語る 『モヤシ君は・・・』 の冒頭で始まる高木 達 『モヤシ君』 シリーズは声と内容のギャップが不思議な魅力を放ち、そのマッチした独特の朗読がファンの間で話題となりました。毎回朗読を終る際、ゆっくりスピードを落として行くのが特徴で、『~夏休みのお小遣いを全て吸い上げられてしまったので あっ た・・・』 と、それを曲が始まる合図とされ、エアチェックするリスナーに優しい作りとなっていました。お気付きの方も居られると思いますがブログ主が良く使う 『で あっ た・・・』 の元ネタは本番組でこれは番組をリスペクト(※パクリ) する気持ちで使わせて頂いている次第ですw ※富山 敬:洋画、アニメ吹き替えで活躍した日本を代表する声優。 ちびまるこのおじいちゃん、宇宙戦艦ヤマト古代進役が有名。95年膵臓癌で死去。 ※横内 正:俳優、水戸黄門の初代角さん役が有名。声優としても活躍し 80年台に放送された伝説的科学番組 「コスモス」 で カール・セーガン博士の声を担当した。この記事の『楽天プロフィール』のつぶやきは >>こちら- 楽天レンタル 【CD】 レンタル -楽天レンタルで「クロスオーバーイレブン VOL.1」を借りよう- 楽天市場 【CD】 販売 -クロスオーバー・イレブン ~タイム・アフター・タイム~ [ (オムニバス) ]価格:2,224円(税込、送料込)
2013年12月28日
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リメイク・ブームに制作された、当時のアメリカ社会を象徴するモンスター映画GODZILLA ゴジラGODZILLA1998年 アメリカ 138分■監督 ローランド・エメリッヒ■出演 マシュー・ブロデリック/ ジャン・レノ/ ハンク・アザリア マリア・ピティロ/ ケヴィン・ダンブームと言うものはいつか弾ける バブル の様なもので1990年代から2000年にかけてのアメリカは、いわゆる ドットコム景気 でIT企業への投資が活性化していた時期でGDP が増加し インフレ は押さえられ 景気は上昇する中にありましたがITバブル崩壊で、株式市場は急激に落ち込みます又、2001年から 空前の住宅ブームが起こりサブプライムローンと呼ばれる、低所得者層への住宅購買用資金の高利貸しで返済不可能になる者が出る事を承知で どんどんお金を貸しては銀行は債権を発行してお金を補充し高額の金利で儲けを得ておりましたというのも、返済不能者が出ても 担保となった住宅を差し押さえて売れば買った時より高値が付く状態だったのでむしろそれを狙って貸し付ける様な半沢直樹 に倍返しされ 土下座をしなければならない様な呆れた銀行もあった程で正に浮かれた景気の中に 国内は包まれておりましたやがてブームは去り バブルが弾けて 差し押さえた住宅は下落しリーマン・ショックで 銀行は100倍返しされる目に遭うのですが怪物の断末魔の様に 咆哮しながら最終回で土下座をした 香川照之 の様に世界中が アメリカの金融 という 怪物 が倒れるのを目撃した瞬間でもあるのでしたそのバブルが弾ける10年前、好景気にあった国内での ハリウッドではというとリスクの高いオリジナルの企画を嫌い作れば確実にヒットし、極めてリスクの低い リメイク企画が横行しここでも空前のハリウッド・リメイク・ブームが起こっておりましたこのハリウッド版 『GODZILLA ゴジラ』も その流れの中で制作された作品ですが日本のゴジラが ミサイルを受けながらも倒れる事無く高度に発展した都市を破壊しながら練り歩く姿がリスクを恐れない団塊の世代の 気骨 を見る様でもあり発達し過ぎた文明に対する恐怖の 象徴 でもあり文明と経済の高度成長への 警鐘 の意味があった事に対してハイリスクを嫌い、好景気に浮かれた中で制作されたハリウッド版ゴジラの姿は 日本版とは似ても似つかない元は爬虫類が巨大化した生物のフォルムをしており危険を察知すると生物的勘で素早く逃去る事が出来る長い足を持ちミサイルには当たる事無く 見事に避けて、アメリカ軍を罠にかける 狡猾さを持ち安全な場所に隠れ、無数の卵を産んで 種を残そうと画策しながらも結局 普通にミサイルでやられる脆弱性を併せ持つ と言った攻撃が最大の防御を実践する 訴訟国アメリカの姿を見る様な造りで正に リスクを避け、相手を出し抜き、高利益を優先し、資産を拡大する怪物の様に巨大化した、調子に乗った当時のアメリカ社会を象徴し形にした様なその後、弾ける バブル を予感させる造りになっている所が今観ると とても興味深く感じます近年のハリウッドアクション超大作が中身を感じない漫画のような作品が乱立するのも本作以降制作された作品が 大ヒット作を形ダケ模倣する特徴的な流れの様に感じ興行的に失敗する作品が多くなって来るとブームが限界点に達した事を察知したのかその後ハリウッド超大作は 童話ファンタジー作へスライドさせる安全策を取る動きが目立って来た様に感じます思うに、映画で描かれる 怪物 とは世を映す 鏡 のような存在であり元は小さかったものが膨らんで巨大化した やがて弾ける バブル そのもの と言える存在なのかもしれません☆という訳で、来月7月25日の ハリウッド版としては2作目となる 『ゴジラ』 公開を控えてハリウッド版 前作にあたる 98年公開 ローランド・エメリッヒ監督作『GODZILLA ゴジラ』をご紹介します- STORY -タヒチ沖で海難事故が続発する一方、パナマの丘陵地帯で巨大な足跡が発見される。調査にあたった生物学者ニックは、これが核実験の影響で誕生した新種の巨大生物ではないかと推測。長雨に曝されていたニューヨークへ突如、その生物-ゴジラ-が現れた。ニックはこの巨大生物がマンハッタンに巣を作ろうとしている事を突き止めるのだが……- 解説 -着ぐるみをメインとした日本版に対して、CGをメインにして巨額の制作費をかけ制作されたハリウッド版らしい エンタテイメント性を重視したモンスター映画です監督は『インデペンデンス・デイ』の ローランド・エメリッヒ爬虫類たちの姿をバックに不穏な雰囲気が高まりハリウッドのゴジラは 恐竜の生き残りではなく巨大化した爬虫類だと言う事が 分かるオープニンで幕を開きます穴だと思ったら巨大な足跡の名場面などオリジナルでも描かれたものを更に大仕掛にアレンジしたシーンや座礁した船に残った巨大な爪あとの場面に釣りをしていたら海が盛り上がる登場シーン、ニューヨークの街に現れる直前 巨大な振動で車や歩行者が飛び上がる場面など大仕掛な演出を得意とするエメリッヒらしい ミステリアスな画面がゴジラ登場までの 期待感を高めます物語は ニューヨークに出現したゴジラを退治するまでが描かれフランスの機関から派遣された謎の人物を演じた ジャン・レノと共に 主人公達とゴジラとの、壮大な追っかけっことなるクライマックスへと流れて行きますどちらかと言えば 明るめのタッチの作品なのですが『ランボー2』 でも見せた フル装備で最強を誇るアメリカ軍の軍用ヘリがまるで刃が立たず、ハエの様に叩き落とされ、潜水艦もまっぷたつにされるなどニューヨークのデザスターシーンでもゴジラが貫いた穴が開いてもそのまま建っているビル、といった様に全てが漫画の様に描かれながら、リアルに人が死ぬ描写が無いのはレイティング・システムの厳しいハリウッド映画で12歳以下の世代の客層を得る為の 大ヒットを見込んだ演出と思われます■ 烏合の衆のニューヨーク市民に 特ダネしか頭にないマスコミや保身と選挙の事しか考えない市長にまともな作戦も立てられない アメリカ軍などアメリカ社会を 漫画の様に描いた稚拙さやマディソン・スクエア・ガーデンで 無数の卵を産みミニラならず ミニ・ゴジラの大群に追われリアル志向で描かれた一作目の日本のゴジラに無い実にアメリカらしい 物量的展開に 違和感を感じるファンの方も多くそれらが批判の的にされ映画としての評価も分かれ、ゴールデンラズベリー賞(最低映画)最低リメイク賞を受ける作品となりました一方で、日本のゴジラ映画が平成に目指した様なエンタテインメント要素がふんだんに盛り込まれユーモラスがバランス良く配置された誰もが愉しめる娯楽作として作られておりアメリカがCGを用いて 初めて本格的に制作したモンスター映画として評価するべき作品と言う見方もあります■ 本作をモンスター映画と評価するならば、そもそもゴジラは必要あったのかという意見もありますがそれ故に、ハリウッドでオリジナルの企画が立ちにくい風潮で怪獣映画 を制作する必然性をリメイク作に求めるという業界の体質が問題なのであり故に見方を変えて、既にあるものをアレンジして発展して来た日本の特徴を ハリウッドが習ったと考えれば黒澤明以来 ハリウッドが日本へ返した返事と捉える事も出来本作は 続いて (02)『ザ・リング』の様な展開に繋がった邦画にとって転機となった作品と考える事が出来る事からもゴジラは日本が世界に誇るコンテンツの一つであり本作は日本が世界に進出する新たな一歩を迎えるきっかけとなった記念すべき作品と 言える様に思いました☆【敷居の高さを見せ付けるゴジラ】リスクの高い オリジナル企画は鳴りを潜め他国で作られた作品のリメイク作ラッシュの動きの中で制作された映画の一つですが他の作品が、本国でのヒットの実績からアメリカでのある一定の興行収益を見込んだヘッジファンド的企画 だったのに対し本作はオリジナルへの強固な思い入れと 根強いファンの批判を考慮して多くの者が二の足を踏んだ、映画人にとっては鬼門の作品となり実に10年もの間 様々なプロデューサー、監督の中でたらい回しになった 企画でもありました最終的には ID4のヒットメイカー、ローランド・エメリッヒがメガホンを取りますが、それも決して平坦な道ではありませんでしたエメリッヒが 4度断ったオファーを受けたのはゴジラファンには不評のイグアナの様なフォルムのゴジラのデザインを見てからでむしろこのデザインがあったからこそ、可能性が見えたと言いますゴジラ映画に対する各界の期待は それ程巨大過ぎるものがあり結局どう作ろうと批判は回避出来ないという実状がこの話から見えて来る様でした★★★ 楽天エンタメナビ ランキング ★★★ 「当時のアメリカ社会を象徴するモンスター映画」※リンク先 参考になった は、ランキング用クリックボタンです。楽天市場『ゴジラの大ファンで知られるスティーブン・スピルバーグはこの映画を見て「二度と作るなっつ!!!」と激怒したらしいけれど結局スピールバーグが作っても、こうなったんじゃないのっつ?』GODZILLA60周年記念版【Blu-ray】価格:3,807円(税込、送料込)
2014年06月27日
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●名匠M.スコセッシ監督が演出した「BAD」の「難解」な内容には意味がある。Interno di un sala da cinema (画像参照: wikimedia)洋楽特集SP (第5回Ver.2.0)ご覧くださいMVが映画の様な音楽をどうぞ・・・■さて、遊びに出かけようにも「緊急事態宣言」や、近所の眼もあり出られず・・・会社に出勤に託けて、馴染みの店に顔を出そうにも行政が推奨する「テレワーク」の在宅勤務が長くなった事で在宅に慣れ過ぎて出社が苦となり久々の出勤も、急な体調不良に襲われすっかり「ひきこもり」体質となったり・・・と様々なストレスに晒されながら、コロナ禍の時代を生きる方々へチョットしたイイ話に少しばかりの加筆を施したひと時の癒やしにして欲しい、軽い更新の筈が、今回2012年3月19日に更新した、十年近く前の記事を加筆修正した上に、嫌がらせの様な大量文章に疲弊するユーザー続出必須の出版更新をお見舞いするという6万5千文字もの大量文章の更新となりいつも通りの内容となりましたW■という訳でwww80年代90年代の洋楽をお送りする「どうぞ特集」今回は、まるでショート・ムービーを観る様な、ミュージック・ビデオが「映画」の様な音楽をVersion2となってリニューアルし特に、来年でリリースから35周年となるマイケル・ジャクソンの「BAD」の意味不明な難解な演出で問題作となったMVの解説を中心にいつもの感じでお送りします。それではスタート!■ もくじ ■■INTRO (前枠)■- 音楽解説 -01.Michael Jackson - Bad (1987)ミュージックビデオ 完全解説●MVを演出したマーティン・スコセッシ監督の「意味不明」となった演出部分を含めた徹底解説●■1.学校の場面■■2.マイケルに話しかける「謎の男」の正体■■3.ウェズリー・スナイプス達とのやり取り■■4.「盗んだ眼鏡」の話で気まずい空気になった理由■■5.杖を付いた男は何者?■■6.友人達に激昂するマイケルの真意■■7.ダンス場面で描かれた別れの真相■02.Cyndi Lauper - Time After Time (1984)03.Mike + The Mechanics - Silent Running (1985)04.Mick Jagger - Just Another Night (1985)05.TOTO - Stranger In Town (1984)06.Madonna - Papa Don't Preach (1986)07.Billy Joel - Allentown (1982)08.Prince - Purple Rain (1984)09.Phil Collins - I Wish It Would Rain Down (1990)10.Kate Bush - Cloudbusting (1985)11.Paul McCartney - Pipes Of Peace (1983)■ OUTRO 後枠 ■■1.時流と共に変化するMVの役割■2.個人レベルで世界展開を可能にしたYoutubeの登場■3.ダウンロード規制の読み違いとCDの終焉■4.ネット社会の到来と多様性が求められるMV■5.「多様性」を廃した「音楽」単体へ回帰する予期▲目次へ▲■ INTRO (前枠)■楽曲のリリースと共に作られるMV(ミュージック・ビデオ) は 別名 PV(プローモーション・ビデオ)とも呼ばれ欧米では70年代以前から広告と同じ位置付の販促映像として制作され多くはライブ映像を流用したり、アーティストのバックでダンサーを踊らせたり港や公園など近場のスポットでイメージ映像を撮影したり主に低予算で制作されるクオリティーの低いものが殆どでした80年代に入りますとミュージックビデオ専門チャンネルMTVの開局と共にその役割は変化し映画の主題歌として起用されたアーティストの楽曲に映画のクライマックス場面で構成された映像でMVを制作してそれをMTVでヘビーローテーションし話題になる事で楽曲のみならず映画のヒットに繋げるという、多様性を帯びたものへと変わって行きました。やがて時代と共に価値観も大きく変わりMVそのものが独立した作品として認識される様になりますと映像作品としても話題性の高いものを予算を掛けて制作する大掛かりなものへと 移行して行きますその流れを汲むように、80年代中盤頃から日本でも本格的にMVが制作される様になりYoutube全盛の近年に於いては、MVありきのアーティスト活動になるなどアーティストに取ってミュージックビデオは、アーティスト活動の一環として今でも欠かせないものになっております。というわけで今回は映画のシーンを切り出した様なストーリー性のあるMVをいくつかご紹介いたしますそれではスタート!▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Michael Jackson - Bad (1987)マイケル・ジャクソン - バッド収録アルバム『バッド』Michael Jackson 2nd June 1988. "Wiener Stadion" venue in Vienna, Austria.(画像参照: wikimedia)(日本語字幕付き動画はコチラ)>>ニコニコ動画へダンスの貴公子●MVを演出したマーティン・スコセッシ監督の「意味不明」となった演出部分を含めた徹底解説●前作『スリラー』では、映画監督のジョン・ランディスを起用しミステリーとミュージカルが一体となった画期的なダンスパフォーマンスが話題となりこれまでリリースされた作品は全世界で3億枚以上のセールスを記録し音楽界に多大な影響を与えたマイケル・ジャクソンの今回は再びハリウッドから(76)『タクシードライバー』(06)『ディパーテッド』の巨匠マーティン・スコセッシ監督を招いて前回とは違ったスリリングで衝撃的な切り口で描かれた殆ど短編映画を観るような躍動感溢れるドラマティックに仕上がった作品です。本編にはデビュー間もない俳優のウェズリー・スナイパーの他母親の声の役で黒人音楽の大スターロバータ・フラックが出演しており映画ファンにも洋楽ファンにとっても興味深い作品となっておりますが前作『スリラー』の時の様な観ていて楽しい内容とは異なり本作は全編に渡って張り詰めたような緊張感で占められたスラム街を徘徊するストリート・ギャングの一夜を通して米国の下層に根差す闇とそこに生きる若者たちの成長の苦悩を描いたあらゆる意味でこれまでのミュージックビデオのあり方を根底から覆した問題作となっておりますさて、本作は数カ所の 「意味不明」 な場面があって最後まで説明の無いままMVが終了しそれがミステリアスな深みをもたらしている難解な作品としても知られておりこれは状況を説明する情報不足によってコミニュケーション不足に陥るという見る者に「不安感」と「不安定感」を与えて言い様の無い「不信感」へとつなげる事によって引き起こされるミスリード が原因と思われ、スコセッシ監督による意図的に仕向けられた脚色だと言えます。なぜこの様な脚色をしたかに付いてですが、これはこの演出が、特に米国国内の白人層が有色人種に対して無意識に抱く特異な容貌から受ける印象のみで人を判断しようとする「誤認」から来る「偏見」を通した『差別』の仕組みに酷似している所から本MVを鑑賞する事で無意識に「偏見」の眼が芽生る仕組みを現実での出来事と同様に、鑑賞者に体感してもらう為にこの様な脚色を配したのでは と 思われるものがあります。所でなぜ、脚色を意味不明にするのかという演出意図ですが例えば電車に乗り込んで席に座った時隣の客が取り留めのない会話の途中だとして、「Be the man」という声が、耳に入ってきたとたら「何の話だ?」と なると思いますそんな現実感と、人間は目の前で理解できない事があると ザワつき、「不安」が嵩じて「恐怖」を感じるものだったりするのでそれが人種問題の核となっていると捉えられる事からそんな風にザワつく映像を見せて、見る者の意識度を測るスコセッシ流の問いかけなのではと考えられます。■本MVは、私服警官に強盗と間違えられて射殺されてしまった青年の実話を基に、米国社会の暗部と、そこに生きる若者達の激昂する青春を描いた 問題作となっておりますが、ここで問題とされる米国での白人警官による黒人市民殺傷事件は現在も状況は変わらず、むしろ悪化しており白人警官の横暴に激怒した有色人種の市民達による抗議の暴動が各地で勃発するなど強い米国を謳い、全世界に憎しみを発信し続けたトランプ政権下で発生した全米を分断する深刻な人種問題は政権が変わった現在でも、未だ収束はしておりません。この様な事件が21世紀の現代になっても後をたたないのは、米国での白人層が有色人種に対しての理解が足りない「無知」と過度な警戒心が招いた「恐怖」が引き起こした「差別意識」が根ざしている所に理由があり本作の『BAD』というタイトルは「格好良い」というスラングの意味とは別に何かが「悪く(BAD)」見えるのは、理解できない「無知」が為せる技という現在、抗議運動で全米が分断するほどの社会問題化した「人種問題」を見据えた湾岸戦争が勃発する80年代の不穏な時代に真の価値観を世に問う辛辣なまでな警鐘という形を込めたマイケル・ジャクソンからのメッセージだったのではと思えます。▲目次へ▲■1.学校の場面■それらの事を念頭に置きながら「難解」と呼ばれる場面を良く見てみますと・・・まず最初のシーンで「君はよくやった」とバツが悪そうに話しかける生徒は恐らくこれまでスラム街出身のマイケルを軽視し・・・まあ、「マイケル」では無く マイケル演じる「Darryl」 の話なんですがw便宜上ここでは「マイケル」で統一したいと思います・・・事あるごとに侮蔑的行為を繰り返し行って来た経緯を感じる金持ちのエリートで、学内トップになった(※多分)マイケルに潔く負けを認めたアメリカ的 和解の場面 の様な印象があります。ちなみに、最後この青年が言った「High five, my man.」のHigh Five ですがこれは日本で言う所の「ハイタッチ」の事です。実は「ハイタッチ」は英語ではありませんwいわゆる「アスリート」を「スポーツマン」と言ったり「フライトアテンダント」を「キャビンアテンダント」と言うのと同じで和製英語ですではタッチに当たる「Five」は何なのかと言いますと、片手でやるハイタッチを「High five」と呼び両手でやるハイタッチを「High Ten」と呼ぶのでこれは指の数を指した言葉だと分かります。▲目次へ▲■2.マイケルに話しかける「謎の男」の正体■次に、帰宅する列車の中でマイケルに対していきなり怪しい視線を向けた一見マフィア風の男に付いてですが、何か良からぬ事が起こる様な予感を残しながら場面が変わると独特の騒音が響く地下鉄の車内に様々な人種と立場の人々が乗り合わせる中でなぜかマイケルと隣同士で座り唐突に友人の数を問いかけ、「Be The Man.」と呼び合い列車を後にする、という登場をします。おそらく誰もが理解に苦しむシュールに見えた場面だったと思われます。これに付いてはTV放送で見る機会に液晶テレビの大画面で確認した所この人物のマイケルを見る目線は胡散臭いと言うよりは目を細めて暖かげであり最初乗り合わせた列車の車内で学童達がふざけている時も、この人物はその様子を、書類を片手に 笑って いたり しております。特に地下鉄の場面では下車の時突然話し掛ける様に見えますがよく見てみますとマイケルと「男」はずっと硬い表情で座っていましたが男が話しかける時、優しげな表情をするので実はそれまで何か真剣な話をずっと話し込んでいたのが見て取れます実は、MVの冒頭の学校の校門の場面を見た所マイケル達生徒に混ざってこの「男」が出てくるのが映っておりましたつまりこの「男」は マイケルの学校の先生 だった訳です。この先生は見た目がラテン系アメリカ人なので何も知らずに見ていると、この様なコートを着た風貌ではまるで麻薬カルテルの売人の様に映る事から何かの脅威を勝手に想像してしまう という事になるわけです。それを念頭に置きながら、欠けている描写を補完してみますと、電車の中で暴れていた生徒たちが居なくなりマイケルと男が取り残された様になった時急にマイケルを睨みだした麻薬カルテルの売人から怖くて目をそらしている様なマイケルに見えた場面もよく見れば、MV冒頭でマイケルがゆっくりと顔を上げた描写では何か、大きなものを背負っている様な表情をしている事から何かを決断した様な表情にも見て取れるのでそんなマイケルの普段の素行を見て、何か感じ取っていた先生が「何か悩みがあるのなら、先生に話してみろ」という視線を送りマイケルが麻薬カルテルに睨まれて視線をそらしていた様に見えた描写もマイケルも先生に話そうかどうしようか 迷っていた という様な至極当たり前な学校での日常が見えてきます。それにこの先生が、マイケルの席と同じ列に座っている事も偶然では無い事の様な匂いがあるのでマイケルと話すつもりで、近くに座ったのか元々話す様な仲で、他の生徒が居なくなるまで 控えていたのかあるいは、よそよそしいマイケルの態度に異変を感じて、マイケルが自主的に話すのを待って、近くに居るのか、想像は尽きませんが、ともあれそれでその後地下鉄に至るまで、ずっと腹を割って話し込んだという流れになった印象があります。そうしてMV全体をよく見直してみますと、友人との別れを描いた苦い青春の物語がテーマだった本作のこれまで見えてこなかった 真のメッセージが 浮かび上がって来るのが分かります。というわけで、ここから先は想像、というか妄想に近い話になりますが・・・wその様な理由からこの先生は、学生時代も教師となった現在の職場でも有色人種として偏見の目で見られ続けたと想像でき教え子の中でも飛び抜けて優秀なスラム街出身の黒人の生徒で周りを認めさせてやる一心で勉学に励むマイケルの中に若き頃の自分の姿が重なって見えて入学当初からマイケルの事を陰ながら見守っていたという経緯が感じられます地下鉄ではおそらく勉学の事や将来の事などをマイケルと話している内に打ち解けたのか元々 学校でも話す仲だったのか若かりし頃の自分がどういう経緯で教師になったのか・・・など少年時代の話へ話題が移ったのか分かりませんが自分の境遇に似ているマイケルと話している内に次第に学生時代に気持ちが戻って行きこうなる為に過去自分がどんな道を歩んだのか・・・核心に迫る様な話へと話題が進んで行ったと、想像すれば最後下車する時に 親友の数を競い合い・・・真意は後程解説します・・・俺の勝ちだな という感じで大人気なく嬉々として席を立つ先生に負けましたよw という感じでマイケルは首を振り二人は挨拶代わりに「Be the man」と互いに呼び合い先生は列車を後にしてその後マイケルは「何か」に対して・・・「何か」に付いても後程解説します・・・意を決した様に手袋を取った という先生と生徒のやり取りだったという事が見えてきます。■所で二人が交わした「Be the man」という言葉は、ブラザー同士の挨拶の一つだと思いますが有り体に訳しますと「man」の冠詞には定冠詞の「the」が使われているので「the」には「ひとつに決まる」という働きがある事から「(どこにも居ない)本当の男 だ」という意味になりますこれが 冠詞に不定冠詞の「a」が使われていたら「a」には「多くの中のひとつ」という働きがあるので「(どこにでも居る様な)ただの男 だ」という意味になりますので「Be the man」は多様で深い意味がある言葉だと分かります。つまりこの先生がこの言葉を使ったのは場に流されるような、情に流されるような、声の大きい意見に流されるような、結果、何も出来ない弱い人間にはなるなという事を言いたかったのでは無いか と思います。であればこの先生は、マイケルと同じ境遇の少年時代をメキシコの貧困層で過ごして、生きるためには盗みも追い剥ぎも何でもやったという、マイケル同様に少年時代に黒歴史を持った人物だったという匂いを感じさせるものがあります。▲目次へ▲■3.ウェズリー・スナイプス達とのやり取り■次に、マイケルがスラム時代の親友、ブレイク前の若きウェズリー・スナイプスを含めた3人と再会する場面では・・・スラム街を出て進学校に通うまでとなり、この先も明るい未来が待っているマイケルに対して、スラム街しか知らない親友達3人は今も盗みや追い剥ぎをやるしかない暮らしを続けているというマイケルと親友達との間に出来た「溝」を描いております。この場面は、地下鉄を降りて地元に戻るとドラム缶に火を炊いてる集まりの中の 1人の黒人が「Yo! Yo, Darryl! Yo!」と、マイケルの元クラスメイトか 顔見知りか いじめっ子か分かりませんがマイケルに向かって呼びかけているのをマイケルは無視し、黒人も 「何だよっつ」 という態度を取ってマイケルはその場をスルーする、というスラム街の場面から始まります。ちなみに、この時のマイケルの態度の真意を考えてみますと、その後親友達に出逢うと 態度を軟化して満面の笑みで再会を喜び合うので逢いたくも無い相手に声を掛けられて無視したという事は分かりますのでおそらくマイケルにとってこのスラムは故郷ではあっても忘れてしまいたい黒歴史を思い起こさせる場でもある事から、生きる場所では無いと、心の中で整理が付いている様な印象があり親友と我が家以外、気に留めない様にしている と捉えることが出来ます。次に、親友達の再会を遂げた後、誰も居ない家に戻る場面では、マイケルの部屋には人気黒人アーティストの写真やポスターが飾られ母子家庭なのか 仕事に出ていて留守をしている母親扮するロバータ・フラックの声でタイプライターに置かれた手紙が読まれるとマイケルは 意を決した様な眼をします。この場面は 短い間でマイケルの少年時代と成長を垣間見る重要な場面で黒人アーティストの写真に囲まれた部屋からはかつてマイケルを夢中にさせた事が見て取れますしタイプライターからは、母親がタイプライターに置き手紙をした事からもマイケルにとってタイプライターは言わば 相棒 で常に使っている無くてなならない片時も離さない大事なものという印象を受けますしタイプライター付近に重ねられた本ですが動画が荒くて何の本なのか、解析できませんでしたが一番下の本の文字が「LO・・・」又は「La・・・」みたいに見えたので「Lawyer (弁護士)」の本 なのかもしれませんのでマイケルが弁護士か 或いはジャーナリストか文筆家か 作詞家か将来何かしら頭を使う仕事に就きたいという意図も見えてきます又、部屋に貼られた少年時代のマイケルを夢中にさせたと思われる黒人アーティストの写真は単に「少年時代の憧れの人」としてその思い出として今も部屋に貼られているというよりは有色人種に対しての強い偏見がはびこる白人社会の中で成功した黒人達へのリスペクトしている現れとして今も部屋に貼られている様な印象があり、マイケルの行動原理も、白人社会での黒人の地位向上へ向けられているものと考えられます。その様な思いを胸に、このあとマイケルは親友3人と対峙する事になります。■次に、ウェズリー・スナイプスと共にする場面の冒頭でウェズリー・スナイプスがマイナスドライバーで壁を削っているのが気になりますが、道具として携帯しているにしては、思いっきり違和感があるので盗みを働く時の道具として使うものなのか、あるいはドライバーの先を鋭く尖らせている様にも見えるので、ドライバーとして使うものでは無くて脅しの武器の代わりに使うものなのかもしれませんここは治安の悪いスラム街なのでナイフの様な分かりやすい武器を持ち歩いていると、警官の取締を受けて見つかった時、逮捕される可能性がある為道具と言い訳が出来る様なものにした という事なのかもしれませんし或いは、彼らは10代の高校生位の年なので高価なナイフを買うには 金銭的な余裕が無かった事からそれに代わるモノを携帯しているという事なのかもしれませんつまりこの時点でウェズリー・スナイプスはこの後「追い剥ぎ」をする気満々でいる事が分かりそれは久しぶりに帰省したマイケルに対して都会の進学校へ通うマイケルとの格差という「溝」をウェズリー・スナイプスなりに感じ取っていてそれによって仲間の「輪」からマイケルが外れ様としているのかどうか試そうという意図があっての事で、その準備をしている様な、そんな印象も受ける場面でもあります。次に、マイケルの学校の話題で爆笑になった理由ですが会話は、ウェズリー・スナイプスがマイケルに「Yo, College, what's your major, man? (大学では何専攻してんだ?)」と訪ねマイケルは「This is high school. There ain't no majors. (高校だよ、専攻は無いよ。)」と答えると「Then what's your minor?」とウェズリー・スナイプスが言い、爆笑が起こりマイケルは笑いながら「You guys are sick, sick.」と答えウェズリー・スナイプスは冗談めかして「My man, Joe College.」と答えるという流れになっています。一応字幕版の方では、「Then what's your minor?」は「まだ下っ端か?」「You guys are sick, sick.」は「お前ら病気だっ 病気」「My man, Joe College.」を「真面目野郎」と訳されておりますが、これでは何のことやら分かりませんし、そもそも、サッパリ笑えませんwという訳で、ウチの独断と偏見による意訳をしてみますと・・・ここでの、「This is high school. There ain't no majors.」の「majors」は「専攻」で良いのですが他にも、軍隊用語で「少佐」「三佐」の他主に「メインの」「重要な」「多数の」の様な「主要となるもの」という意味があり野球用語で「メジャーリーグ」を指す意味もありますのでウェズリー・スナイプスがこの後言う「Then what's your minor?」の「minor」は「マイナーリーグ」を表している事で「下っ端」と訳したのかも知れませんがそれならそうで、そう書けば良い話なので、この何とも、靴の上から足の裏を掻こうとしている様なピンと来ない訳の説明にはなって居ない様に思います。だとすれば、連中が笑った理由は一つで・・・wおそらく「major」が「大きい方の(デカイモノ)」という意味もある事からこの場合の「minor」は「(男性自身が)貧小」という、スラング なのではという匂いがします(多分)w従って「Then what's your minor?」の意味は 意訳すると「お前の(一物)は(まだ)おこちゃまだったか?」或いは「まだ(アレの皮がw)む○てないのか?」となります。w男性自身に対して「minor」という物言いは非常に侮蔑的でナイスなチョイスだと思いますがWなので、公共の電波に乗せるには忍びないと思った翻訳家の苦肉の策としての翻訳だった、のかもしれません(多分) wだからマイケルは「You guys are sick, sick.」と爆笑しながら言う訳ですw又、この「sick」にも、「病気」の他に、「むかむかする、うんざりする」という意味があるので、この場合の訳も「お前らムカつくっつwww マジムカつくぜっつ!!!www」という感じかもしれません。最後の「My man, Joe College.」の「Joe College」は「典型的アメリカ人」という意味で「Joe」に「名前の分からない、一般的、典型的」という意味がある事から「My man」というブラザー語を受けて、「真面目野郎」と訳されたと思います。※これはウチの独断と偏見による意訳なので真面目に受け取って 本気で間違いを指摘するのは ご勘弁を・・・こんな記事に真面目なコメントを書かれてしまうと、本当に申し訳ないので・・・w▲目次へ▲■4.「眼鏡」の話で気まずい空気になった理由■所で、ここでの会話が「盗んだ眼鏡」の話に触れると空気が気まずくなった事の意味が分からないという意見がありマイケルと親友達との間に出来た「溝」がそうさせているというのが分かりづらい和訳 (苦肉の策という話もあるw) になっていて真意が伝わりにくくなっているのかもしれないので解説しますとこの場面で階上の男は眼鏡フレームに付いて「What they wear ? They wear turtle-shell glasses?」「連中は (眼鏡は) 何掛けてるんだ? 亀のコウラ眼鏡を掛けてるのか?」と言った後「That's tortoiseshell.」「これは、べっ甲だよ」と言っているので、階上の男が「tortoiseshell」と言わなければいけない所を「turtle-shell」と言い間違いをしたのをマイケルが指摘した事が分かります。 という事は分かりますが。。。w英語で言われてもニュアンスが伝わらない点が問題になっているのでwこれが日本語の会話だと、どういう状況にあたるのか 例をあげてみますと・・・・・・例えば、会社で初めて重要な仕事を任された時、社員A『コレって スゲー プラチナ だよお~』社員B『w プレッシャー だろww ふフフwww』・・・その仕事が自分のせいで台無しになった時に・・・社員A「(落ち込みながら) コレって、自業地獄じゃね?」社員B「それはw自業自得 wブブっつ!!!wまあwフフフっつ・・・確かにw地獄だわなwふふハハハハハハハハハwww」社員A「ええw?何?wwwそうなのw?ふふハハハハハwww」・・・と、いう様な、テレビ朝日の浜田雅功司会の人気バラエティー番組『そんなコト考えた事なかったクイズ!トリニクって何の肉!?』での珍回答を連発する平成モンスター達の様にネタでは無く素で間違える愛すべき人物に対して突っ込むという感じの状況にあたります。只、実はそれが問題では無くて・・・wこの時のマイケルが、「この眼鏡フレームが「べっ甲」と呼ばれているのは小学生でも知っているぞ、しっかりしろっつ」という様な 目上的な口調で 階上の友人に指摘した事で階上の友人が軽く 傷付いた 事を、他の二人が反応して気まずくなった空気を作った所に、問題がある訳です。つまり、親友達3人にしてみれば、学があるとか無いとか、根性があるとか無いとか、金があるとか無いとか 関係なく心を許せる仲 として、これまでマイケルと付き合ってきたにも関わらず、それまでこの様な言い間違いをしても直前にウェズリー・スナイプスとバカ話をして花を咲かせた様に笑ってスルーしてきた様な事に対して今回に限ってマイケルは、戸惑いながらも突き放す様な態度を取り間違いを指摘して来た事に、異変を感じ取り改めてマイケルがスラム街を出て行って優秀校に通う様な生きる世界が違う人間になった事を実感したスラム街以外の世界を未だ知らない3人が、取り残された様な違和感を感じた事が空気を気まずくした理由と言えます。なぜマイケルが友人を傷つけてまで、高飛車な物言いをしたのか も地下鉄で先生と親友の数を競った事の 本当の理由 もこの後の唄の場面で 明らかとなります。そうしてウェズリー・スナイプスは「Foots, l think we better go for a walk, man.」(とっとと、出かけようぜ) と言って、マイケルを夜の街に連れ出します▲目次へ▲■5.杖を付いた男は何者?■次に、杖の男が出てくる場面ですが、まず、杖を付いた男は近づいてきた男にあるモノを売りますが有り体に言えばこれはいわゆる「ドラッグ」でしょう。只、よく見るとこの場所は裏通りでもなんでも無く、街頭のある通りに高級車が路上駐車していて、その間に人(運転手?刑事?) が立って4人を見ていて向こうにはクラブ(多分) の客が集まっている様な警察がパトカーで巡回してくる感じの、人が往来する路上の角なので、この様な周りから見られている様な場所で違法な「麻薬」の類を売るのは考えにくく又、この人物は 足が悪い事もあってワザと人目につく、族に襲われにくい場所で商売をやっている様な印象があるので恐らく若者達に流行りのタバコ感覚でハイになれる違法スレスレの「ハーブ」をクラブの客相手に売っている売人だと思われます。男は杖を付きながらマイケル達に近付いて「You looking for somebody?」(誰か探してるのか?)と言うと、腰にぶら下げた拳銃を見せるのですが拳銃を見せながらこのセリフが出てきたという事はこのセリフの意味は(襲う奴でも探しているのか? まさか俺か?) となりますので勿論マイケル達4人はこの男から「ハーブ」を買おうとしている訳では 無く、又、足が悪い事に対して哀れと思って見ている訳でも無い事は、状況を見れば分かります。加えてこの男の鼻をすする素振りは、ドラッグの中毒症状の体の弱った様でもあり片足を引きずりながら杖を付いて歩く様子は、健常者では無い様でもあり或いは、杖を付いてはいても 本当に足が悪いのか どうか不明で警察に目こぼしを受ける為か、障害者保証目当ての芝居の可能性もあり又この男は襲われたらひとたまりもない様な弱々しい人間なのかと言えば、鼻をすすった手に巻かれた包帯は、バンテージを巻いた元ボクサーの様でもあり加えて拳銃を所持している所から大の男が4人がかりで襲っても、勝ち目は無い様でもありつまりは、ウェズリース・ナイプス達はそんな事を考えながら銃を見ても見慣れているかの様な乾いた眼で得体のしれないこの男を、カモれるかどうか物色している所を描いた場面の様に思われます。結局4人はその場を離れて行くのですが男はいつもの事の様に気にも留めず次の客を待つというスラム街に日常茶飯事に起こる闇を感じる場面でした。▲目次へ▲■6.友人達に激昂するマイケルの真意■次に追い剥ぎを持ちかけるスナイプスにマイケルが激しく拒否をする場面ですが状況から言うと、先程のバイヤーを襲う算段をしている様なそんな印象があるのでマイケルは、相手は足は悪くても銃を持っているのに正気か? とスナイプスを止めている所の様な感じがあります。これはスラムの貧困層で昔からこうして生きて来た事を彷彿とさせる場面でいつかスラム街を出て夢を叶えたいと願ってきたマイケルの心を苛む過ちに満ちた過去の「闇」を感じさせる場面でありMV冒頭でカメラを睨むようにゆっくりと顔を上げるマイケルの怖い表情も、この様な黒歴史の過去に囚われている心の闇を描いたものではないかと思われます。従ってここでウェズリー・スナイプスがマイケルに帰省してきた初日にいきなり追い剥ぎを持ちかけたのは先程の眼鏡の件でも感じた 自分達との間に出来た「溝」に対してスラム街しか知らない、将来も知れないウェズリー・スナイプスがスラム街の外の世界を知り前途洋々なマイケルに嫉妬の様な対抗意識で実際に先程の男を狙っているのかどうかはともかくとして、銃を持つ様な危険な相手を狙うという命知らずの男気を見せたいのか又は、直様カモになりそうな人物を選択して短時間で追い剥ぎをするプロ的なスマートな行動を取る事で裏社会を賢く立ち回る狡猾さを見せようとしているのかマイケルに無いものを見せ付けようとしている様にも思われ加えて、今、追い剥ぎを持ちかけても仲間として一緒に行動するかどうかスラムを出て変わってしまったのかどうか マイケルを試しているという意味も含まれている言動の様な印象があります。この時マイケルは激昂して「You want to see who's bad?」(誰がバッドか見たいか?)と言いウェズリー・スナイプス達を連れ出します。マイケルがこうするのは、このままでは誰かが銃で撃たれたる危険性や思わぬ不測の事態で警察に捕まる可能性を考えて自分から話を持ちかける事でウェズリー・スナイプスを制止して最悪の事態を回避しようとした意図があった上の行動だったと思われます。ここでマイケルは地下鉄で先生と別れた後の時と同じ様に手袋を取りますがこれは、あの時決めた覚悟をここで見せなければというどんなに辛くてもウェズリー・スナイプス達に対して今ここで見せなければならない事があると決意した腹をくくった態度の現れと言えます。この後マイケルは地下鉄の構内で待ち伏せをして被害に遭う所だった人物を逃してウェズリー・スナイプス達と対峙しますここでウェズリー・スナイプスは、マイケルが仲間を捨てる気だと確信して「You ain't down with us no more. You ain't down. You ain't bad.」と、マイケルを罵ります。「ain't down」は(もうゴメンだ) という意味ですが意訳すると、「Down」は親指を下に下げる「サム・ダウン」行為を表しているので (もう仲間じゃねえ) という感じでしょうかこれに対してマイケルは、まるでこれまでの自分を罵る様にウェズリー・スナイプス達を「You ain't bad !!! You ain't nothing !!!」と罵倒します「nothing」は「何でも無い」「何者でも無い」という意味で「nothing」の前に付いている「ain't」は「are not」の短縮形ですがこれは先程と同じで 単に短縮 しているという訳ではなくて日本語の場合で言う「と言う風に言うよりも」を「っていうかあ~」「っつうかぁ~」と短縮する様な汚い若者言葉 に値しますので「You ain't bad !!! You ain't nothing !!! 」を 意訳すると「テメエはワルじゃねえっつ!!! クズだあっつ!!!」位の激しい罵倒だと分かります。ここで急に白黒画面からカラーに変わり唄とダンス・パートになります本作を監督したマーティン・スコセッシ監督はかつてライザ・ミネリ、ロバート・デ・ニーロ主演で(77)『ニューヨーク・ニューヨーク』というミュージカル映画を撮っており、ここからの 極めてミュージカル的な展開を演出するには前作のジョン・ランディス監督よりも適任と言えるのですが、これまで普通に芝居をしていた人物が急に唄って踊り出す事に違和感を感じる「ミュージカル嫌い」な方々にとってみれば「唄うんじゃないっつ!!!」と言いたくなる場面となりますWこれに付いては、2020年7月に亡くなられた俳優の三浦春馬氏が生前朝のラジオ番組の中でミュージカルで突然踊って唄い出す演出に付いて本場ブロードウェイで教わった事として「抑えきれない感情があるから、体が動いて、踊り出して歌い出す。 それを (物語と) うまく連結させること (が重要)」と語った事が実に腑に落ちたので、ミュージカルの必然性を説明する言葉としてはこれまでに無い程、非常に印象に残った言葉となりました。従ってこのパートの捉え方は白黒画面のパートがリアルな世界で、カラーになった所から イメージの世界となり、「お前はクズだっと!!!」と怒鳴った後、マイケルの中の何かが弾けて、「バッド」を称える象徴の様なダンサー達を従えてマイケルが真の姿を顕にして唄いながらアジテーションする、という、その様なパートを加えたミュージカルを新たな解釈で映像化した作品と捉える事が出来、芝居の途中で唐突に唄い出す従来のスタイルに対して拒否反応を示される方も受け入れやすい構成と言えますし又、リアルでは普通に立って怒鳴っていると捉えれば腑に落ちる事と思います。▲目次へ▲■7.ダンス場面で描かれた別れの真相■さて「バッド」の歌詞ですが、このダンスシーンの中でマイケルはウェズリー・スナイプス達に本当の男とは何かをほぼ罵倒する形で言い聞かせながらも、「俺とお前達とではもう住む世界が違う、これでサヨナラだ」という事を言いたいのでは無く、マイケルの自己体験として、・・・まあ、ダリルのですがwスラム街を出て無限の可能性が拡がる世界を見て「本物」を目指すという目標を持つ事が出来た事から今は分からなくても、道は違っても、どんな世界で生きようとも自分達の目標となる「本物」を目指せという 「本気」の気持ちを激昂する歌唱と激しいダンスで表現しその全てを仲間達にぶつけたそんな内容になっております。■その様な内容の歌詞と激しいダンスと激昂する唄で表現しようとする演出意図とは何か、と考えますとマイケルにとっては、3人は掛け替えのない大切な親友だから本物の「漢」となったマイケルを鋲付きベルトを身にまとった黒装束姿で具現化させて親友達3人の前でマイケルとの「人間」の差を、敢えて嫌という程見せつけて、「どんなにワルぶっても、今のお前たちは只のクズだ」と、心を砕きながらも ハッキリと分かる様に 伝えどんな事でも良いから「本物」を目指せと命がけで「説得」したマイケルの「本物の友情」の姿を描きたかった所にあったのではないかと思います。地下鉄での会話で 下車際に先生は「親友は4人」と言いましたがおそらく先生の親友達も スラムで徒党を組み盗みタカリをしていた人物達だったと思われ先生は 先程のマイケルがした様にそんな半端な生き方しかしていない親友達を本気で罵倒し「本物」になれと伝えた後、袂を分かち合った過去を話した様な印象があり今はそれぞれの道を歩み、おそらくもう会ってはいないのかもしれない ながらも自分の話を理解して、何かの「本物」を目指した彼らを、誇りを持って「親友は4人」と語ったのだと思います。恐らくマイケルは先生からそんな話を聞き、先生と同じ様に、親友達の為に説得をしようと決意して捨てるのは「過去」であって「友人」では無いという境地でウェズリー・スナイプス達に激昂しながら敢えて罵倒したのでしょう。ウェズリー・スナイプス達も そんなマイケルを理解して共に別々の人生を生きる道を選んだという親友達との辛い別れを通して大人へと成長する少年達の苦い青春を描いた物語が本MVで描かれた事だったと思われます。■マーチン・スコセッシ監督は人物の背景が分かる様な ディテイル を演出に施しその上で多くを描かない語り口で撮り上げる手法を好んで使う作家ですがその為なのか時折演出意図が観客に 曲解 して伝わる事が少なくない印象を受けます。恐らくスコセッシ監督が作品にその様な演出を施すのも人の行動とは、中身とは傍から見ているだけでは、外見だけでは 分からないものという自論を持ちそれが数々の名作を誕生させてきた創作意欲の 源泉 になっていたからなのかもしれません☆▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Cyndi Lauper - Time After Time (1984)シンディー・ローパー - タイム・アフター・タイム (過ぎ去りし想い)収録アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』Cyndi Lauper (画像参照: wikimedia)日本の守護天使■主に80年代に活躍したヒットメーカーで奇抜なファッションと物怖じしない人柄で時代の申し子となったシンディー・ローパーの全米1位を獲得した大ヒット曲でマイルス・デイビスやタック&パティの様なジャズ畑のアーティストの他、様々なジャンルのアーティストを魅了しカバー曲としても人気の高い80年代ポップスを代表するバラードの名曲です。「先を行く私」に対して「追い付けないあなた」という男女関係の中で何度も何度も追いつくまで待っている「私」がいつか追いつけなくなる「あなた」を待つ様に別れの予感を感じながら巡る想いを時計の針に重ねるという構成で独自のファッション・センスに奇抜な風貌通りのサウンドだったデビュー曲とは趣の異なったソウル・バラードのエッセンスでしとやかに歌い上げる正統派な楽曲でもあります。本作で恋人役を演じる人物は、シンディーの当時のマネージャーでMVの制作費を浮かせる事が目的の一つと思われますが他のMVでも身内を起用して 普段からスタッフを家族のように扱うシンディの温かい人柄が見て取れるものがあります。作られる楽曲にも聴いているだけで元気になる様な所があり2011年に発生した東日本大震災では、殆どの外人アーティストが福島第一原子力発電所事故での災害を案じて次々と来日をキャンセルしたり、日本から退避する中で予定通り公演を行い、更には日本の現状、窮状をCNNの番組を通して世界に訴え日本に対する支援や募金などの助力を求めるといった自主的に積極的な救済行動を取るなど強い信念を持つ明るい性格の持ち主である一方で感受性の強い 側面を持ちあの奇抜なファッションで本当の自分を隠しながらスターである事に悩むあまり孤独に苛まれ自分のパーティーでもホテルの自室に引きこもり出席しなかった事もあったという複雑な人物でもあった様です。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Mike + The Mechanics - Silent Running (1985)マイク&ザ・メカニクス - サイレント・ランニング収録アルバム『マイク&ザ・メカニックス』Mike Rutherford (画像参照: wikimedia)GNESISサウンドの要■GENESISのギタリスト マイク・ラザフォード 率いるプロジェクトマイク&ザ・メカニクス がリリースした 全米大ヒット曲で異星人である事を知らずに地球で育った少年の元に父親を名乗る人物が宇宙船で迎えに来るという内容で曲に意図的にセリフを被せるなど、架空の映画の主題歌というコンセプトで撮られたMVはまるでスピルバーグ監督のSF映画を観るような壮大な世界観を感じるエモーショナルな楽曲になっております。マイク・ラザフォードは元々はベーシストとしてGENESISサウンドの土台を支える人物だったのですがリーダーのピーター・ガブリエルとギタリストのスティーブ・ハケットの脱退後はギタリストとしてメロディーの要を担うGNESISサウンドを構築するには無くてはならない重要なポジションを占めマイクとキーボードのトニー・バンクスとのユニットにフィル・コリンズをフィーチャーした様相で後期GENESISでの世界的ブレイクに貢献しますGENESISではフィル・コリンズとトニー・バンクスの存在感に押されて影の存在の様に語られる所がありましたが、自身のバンド「マイク&ザ・メカニクス」での広大に拡がる様なウォームなサウンドに映画音楽の様なエモーショナルで壮大な音世界で作られた数々のヒット曲を生み出す手腕を見てみますとフィル・コリンズの持つ、ファンク、ソウルベースのポップサウンドにトニー・バンクスの持つ、重厚なクラシックサウンドとの水と油の様な取り合わせに対してそれらを包み込むようなマイク・ラザフォードのウォームなサウンドが二人の個性を繋ぐ役割を果たし、GENESISサウンドを成立させていた唯一無二な存在であった事が分かります。本曲でボーカルを取っているのはソロアーティストの ポール・キャラックでトニー・バンクス のソロでもボーカルを取っているGENESISゆかりの人物ですが声質がフィル・コリンズ似でもある事から本曲のGENESIS寄りの音世界にもマッチする人選だった様に思われます。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Mick Jagger - Just Another Night (1985)ミック・ジャガー - ジャスト・アナザー・ナイト収録アルバム『シーズ・ザ・ボス』Mick Jagger (画像参照: wikimedia)ロック界の寵児■ローリング・ストーンズのボーカルミック・ジャガーのMTV全盛期にリリースした事実上初ソロ・プロジェクトでジェフ・ベック、ナイル・ロジャースなど錚々たるメンバーが参加した話題作からの先行リリースされた大ヒット・シングル曲ですアルバムは全体的にストーンズを継承したサウンドになっていますが80年代ポップスを代表するヒットメーカー、ナイル・ロジャースが参加した曲は如実にナイル・ロジャースサウンドになっているなど旧来からのストーンズのファンとメインストリームのヒット曲リスナー双方を満足させる為の楽曲作りになっていながらもそれら全てを糾合する様なトータルな内容に聴こえるのは、大スターならではの圧倒的存在感を感じさせるものがあります。MVは先程の『サイレント・ランニング』の様に映画の一場面風に撮られたものの様に見えますが本作はプロモーション用として実際に長編映画作品として制作されたもので原題は『Running Out of Luck』という作品のラスト・シーンが (※記憶が確かならw) そのまま使われております。日本では80年代中期に 『ミック・ジャガーのおかしな逃避行』という邦題でTV放送された事がありますが知る限りではDVD化されていない幻の作品でもあります。内容はうろ覚えですがwMVを撮影に訪れたリオの街でカモられて身ぐるみを剥がされた末知らない場所に放り出されたミックがストーンズの事を誰も知らない様な人里離れた村から村を受難の旅をする中、ふとした事で知り合った女性が数々の幸運を呼ぶという物語でMVを撮影する監督役で デニス・ホッパー が出演していましたが内容は若干コメディータッチで良くある感じのB級作品でしたw▲目次へ▲△▼ △▼ △▼TOTO - Stranger In Town (1984)TOTO - ストレンジャー・イン・タウン収録アルバム『アイソレーション』Steve Lukather (画像参照: wikimedia)暗いTOTOと言われました■スター・ミュージシャン集団として鳴り物入りでデビューし80年代を代表するアーバンポップの旗手としても前作 (82)『TOTO IV〜聖なる剣〜』の大ヒットで世界的存在となったTOTOがボーカルの デビッド・キンボール ベースの デヴィッド・ハンゲイト の脱退というピンチを逆手に取りロック・スタイルのボーカリスト、ファーギー・フレデリクセンと今後パーソナル・メンバーとなるベースのマイク・ポーカロを迎えてそれまでのTOTOサウンドからハード・ロック・サウンドへと一新したアルバムから大ヒット・シングルとなった「ダーク」な色合いとアラン・パーソンズ・プロジェクト の様なエモーショナルな作風を持つ 異色作となっています。1961年の映画『汚れなき瞳』をモチーフにしたと言われるMVは『エクソシスト3』『エイリアン4』『ロード・オブ・ザ・リング』に出演した個性派俳優 ブラッド・ドゥーリフ 起用し何かの罪を犯して足を負傷して逃亡する男が郊外の民家の納屋に逃げ込み納屋で男を見付けてキリストが再来したと信じる子供達にかくまわれて渡された聖書を子供たちに読み聞かせながらやがて子供達と打ち解ける中で警官隊に囲まれ手を上げ連行される姿がキリストの様に映るというミステリアスな作品に仕上がっており社会不和と先の見えない世界情勢の中での80年代という不安な世相を反映させた得体の知れないものへの恐怖心から生まれる偏見と差別を描いた内容の楽曲となっております。■アルバム全体は、先程も話したメロディアスでポップなハードロックサウンドで占められていますが通常、バンドが危機的状況に陥った時はそれを達観するかの緊張感あふれる内容になる所をむしろ、ウェットでプログレ的なこれまでの複雑で内省的なサウンドを廃してストレートなサウンドに変化する所など、水を得た魚の様に、ギターテクニックを見せつけるギター・ボーカルのスティーブ・ルカサーにバンドのイニシアチブが移ったかの様な激しいサウンドが印象的なアルバムを占める中、ウェットなサウンドの要で陰りを帯びたボーカルで本曲を唄っているキーボード・ボーカルの デヴィッド・ペイチの追い込まれたような様相から見えてくるこれまでのウェットでプログレな80年代のメインストリームにそぐわないストーレートさに欠けるこれまでのTOTOサウンドをこの機会を利用して捨て去るというある種の「断捨離」に対して、嬉々とする者と、憂鬱になるものとで二分したこれまでのTOTOサウンドを捨てきれないデヴィッド・ペイチの執念がサウンド化したかの所に、本曲がアルバム中 唯一、ダークなサウンドになった理由があったのかもしれません。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Madonna - Papa Don't Preach (1986)マドンナ - パパ・ドント・プリーチ収録アルバム『トゥルー・ブルー』Madonna (画像参照: wikimedia)昔から爪を隠すのが上手い方でした■前作84年の『ライク・ア・ヴァージン』での80年代の女性ファッション・リーダーとしてのアーティスト・イメージをガラリと変え「未成年の出産」という現実的な社会問題を一般的な父子家庭を舞台にして等身大の女性の視点で愛と苦悩を描いたマドンナの全米1位の大ヒット曲です。ファッション・リーダーとして全米女性の憧れの的であったマドンナが社会情勢を視野に入れてメッセージ性の強い楽曲制作を行い世界的な展開を目指すアーティストへと成長して行く中で女性の代表として社会問題に切り込んだ作品で男女関係と親子の絆という、普遍的なテーマを根底に置いたヤングのスターから大人のアーティストへと成長する途上のマドンナ自身を投影させた 非常に心情深い名曲に仕上がっています。「ライク・ア・ヴァージン」時代のマドンナは今どきの我がままな、気まぐれ女子の代表格の様な若さをさらけ出した様な、若干「擦れた」イメージでデビューし全米の若者の支持を得ましたが、「ライク・ア・ヴァージン」での、喉を絞った様な女子声とは打って変わった様なライブでは腹から発声する太い声で、忠実にダンスをこなしながら唄って踊るという、正統派な面が見え隠れする所から本来持った強力な歌唱力を封じて、女優としても成功した素質が加わり唄のイメージ通りの「我がままボイス」で変換させたある種『マドンナ』という「ブランド」を忠実に演じた所に企画力ありきの一発屋で終わった、80年代当時デビューしたその他のアーティスト達と一線を画した理由があった様に思われます。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Billy Joel - Allentown (1982)ビリー・ジョエル - アレンタウン収録アルバム『ナイロン・カーテン』Billy Joel (画像参照: wikimedia)悩めるピアノマン■70年代から80年代後期にかけて数多くのヒット曲を出しその後はライブ活動を中心とした息の長い活動を続けるアーティストビリー・ジョエルのこれまではアーバンポップの旗手として、等身大で生きる人の姿を通した自国愛を語るスタイルから一転してストレスに晒される現代人の心象問題から社会問題、更には戦争批判まで取り上げる問題作的アルバムからアメリカ独立戦争では自由の鐘を死守した地として知られ米国産業革命発祥の地としても米国史上重要な地として繁栄していたペンシルバニア州の工業地帯アレンタウンの衰退と貧困問題を描きトレードマークのピアノでは無くギターを手に歌う姿が話題となったヒットシングル曲です。本アルバムは、社会問題から戦争批判に及ぶメッセージ性の高い社会派に分類される作品で演奏は50年代オールディーズサウンドからダンサブルなシンセサウンドまで多義に渡っており、ビリー本人も『私にとってのサージェント・ペパーズだ』と語る程これまでのビリー・ジョエルの音楽性を一新する様な非常にバラエティーに飛んだ会心のアルバムとなっておりますが本曲での、古き良きアメリカを思い起こすオールディーズサウンドをバックに大きな社会の波の中に揉まれながらも慎ましくも生きる人々の等身大の姿を通して描く語り口は米国愛をポリシーとするビリー・ジョエルの音楽そのものでありある種到達したビリーの音楽を聴くことが出来る重要な作品といえるものがあります。本アルバム制作時はビリー不運の年と呼ばれバイクの事故で左手首に重症を負いレコーディングが中断しその間「ピアノ・マンはピアノが弾けなくなるかも」というニュースが世界中を駆け巡りファンに衝撃を与えたり公私共に支えられて来た夫人との離婚騒動など様々なトラブルに見舞われる中で制作されたからなのか『ナイロン・カーテン』は本曲を含み今までに無い社会的問題を扱った異色作となったと言われています。マドンナがスターダムに上ると共に作品が自然と社会性を帯びて世界的な支持がヒットに繋がり今日に到るケースとは違いジャクソン・ブラウンの様に個人的な不運が影響して作品が社会性を帯びるケースは多々ありますがかつて、デビュー作が勝手な意向で不本意な内容に仕上げられコロンビアに移って再デビューした経緯があるビリーは人間不信から鬱病を患い、それが少なからず作品に影を落としてきた所があり今回のコンセプトの激変は、トラブルに見舞われた精神的不安定の現れと言うよりは元々の人間不信が大きく顔を出してトラブルに見舞われる前の、平和な頃を思い起こす過去の楽曲とは全く違うタイプの楽曲を作らざるにはいられなかった様な精神状態だったという印象があり93年の『リヴァーオブドリーム』発表以後40代半ばのアーティストとして最も脂が乗った時期に引退を表明し新作リリースを辞めてしまったのも度重なる人間不信により、音楽を作る事が出来無くなってしまった事が理由だったのかもしれません▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Prince - Purple Rain (1984)プリンス - パープル・レイン収録アルバム『パープル・レイン』Prince (画像参照: wikimedia)元プリンスだった事がある■2016年に惜しくもこの世を去った孤高のアーティスト、プリンスの黒人ミュージシャンとしてはミュージックビデオ専門チャンネル「MTV」でマイケル・ジャクソンと並んで 初めてMVが放送された事で日本でも存在が知られる様になった80年代の絶頂期に制作された作品で自伝的物語を映像作品として映画公開しオリジナルアルバムがそのまま映画のサウンドトラックとしてリリースしMTV全盛期が後押しして 映画、アルバム 双方の大ヒットに繋げた作品の表題作となったバラード曲です。中性的なビジュアルとミネアポリス・サウンドベースのファンク・ミュージックの旗手というイメージが強く80年代メインストリームの中心的存在のスタイリッシュなアーティストとして日本でも良く知られていますがステージはブラック・ミュージックのアーティストらしいエンタテイメントに徹した骨太な演奏を聴かせる正統派という側面を持ったアーティストでもありました。本曲も正統派ソウル・バラードの強力曲で音楽的センスの幅広さと共にドラマティックに畳み掛ける力技も持ち合わせたプリンスの音楽性の高さが伺えるナンバーになっています。本作のMVも先程のミック・ジャガーと同様 映画のラスト・シーンをそのままMVに流用したものになっており本曲は アカデミー主題歌賞 を受賞した名曲ですが途中、女性ギタリストが感極まっていたり中年の男がステージを凝視していたりと映画未見だと事情が分からない場面がありますそれで肝心の映画の内容は と言いますと・・・ 自伝的作品 と謳ってはいますが、父親と反りが合わないという点以外は関係ない内容の様で、脚本がダメなのか演出がダメなのか・・・ダメ映画と言ってしまいますがW家庭に問題があり、大人を信用できなかったプリンスは早くから自立心を芽生えさせ成人してからは人に任せず何でも自分で決めてしまう様なバンドメンバーが音楽の提案をしても無下に却下する独善的な人物となりやがてバンドメンバーとも、恋人とも仲違いした そんな折、自殺未遂をした不仲な父親の部屋の戸棚からかつて音楽家を目指した時の古い譜面が見つかり知られざる若き父親の夢と挫折を知った時、自分の中の何かと重なりそれを期に人との絆の大切さを理解して不仲となった仲間とも和解しステージに立つと自分から離れて行った友人、父親、恋人の姿があった・・・と言った洋画ファンの眼鏡にはとてもかなわないベタ過ぎる内容でw完全にプリンスのステージがメインのプロモーション映像というお話は添え物 という感じの映画ですがどうもプリンスのファンもストーリーは二の次で観ていた様でプリンスのファンにとっても言わずもがなの 事の様でしたw▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Phil Collins - I Wish It Would Rain Down (1990)フィル・コリンズ - 雨にお願い収録アルバム『バット・シリアスリー』Phil Collins (画像参照: wikimedia)GENESIS加入時はいつピーター・ガブリエルから首を言い渡されるかビクビクしていたそうです。■MTV全盛期にヒット曲を連発し、プロデューサーとしても様々なアーティストのアルバムを手掛けたヒットメーカーで引退を表明した後再び第一線に復帰し近年、ジェネシス復活の機運が高まり、再び注目を浴びる個性派アーティスト、フィル・コリンズの全世界でアルバムセールス1位を記録し前作のエンタテイメントに徹したポップアルバムから一転して貧困問題から戦争批判に至る、社会問題に言及したシビアな内容のメッセージ性の強い楽曲で占められた問題作的アルバムからギタリストで大スターのエリック・クラプトンの起用で話題となった大ヒットバラードナンバーです。初っ端からクラプトンのギターがむせび泣く、ゴスペル風に畳み掛けるような壮大な演奏へと発展して行く王道のロッカ・バラードながらも随所にフィル・コリンズらしいポップな味付けが光る極上のバラード曲に仕上がっております。MVは、エリック・クラプトン をゲストに50年代ハリウッド・ムービー風演出で見る見るスターダムにのし上がるゴールドラッシュを思わせる破竹の勢いと夢から醒めた様に大恐慌時代の不況の現実が叩きつけられる米国の繁栄と衰退を短時間で体感する様なマルタの鷹やマリリン・モンローなどの名作映画のパロディが洋画ファンをニヤリとさせる一夜の夜の夢を思わせるドラマティックな仕上がりになっていますが、80年代当時、出す曲全てがヒットし本作アルバムの収録曲『アナザー・デイ・パラダイス』がグラミー賞にも輝いたヒットメーカーだったフィル・コリンズがこのアルバム以降、ブラーやオアシスなどのオルタナティブミュージックの登場で、時代が80年代ポップスへの求心力が薄れるに連れてアルバムセールスが急激に下降し特に米国での売上が落ち込む所など、その後の自身の低迷を予見した様な内容になっている点が興味深い所でもあります。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Kate Bush - Cloudbusting (1985)ケイト・ブッシュ - クラウドバスティング収録アルバム『愛のかたち』Kate Bush (画像参照: wikimedia)孤高の歌姫■かつて無いダークファンタジーの世界観を持ったデビューアルバムで彗星の様に登場し70年代当時はまだ、ダンスパフォーマンスが一般的では無かった時代にバレエダンスや演劇風のパフォーマンスをライブに導入し唯一無二の音楽制作を続ける天才アーティスト、ケイト・ブッシュのMTV全盛期にリリースされ、自身のキャリアの集大成的作品となったアルバムから精神学者ピーター・ライヒが実父でオーストリアの物理学者ヴルヘイルム・ライヒとの思い出を子供の視線で描いた1973年の書籍『A Book of Dreams』からインスパイアされたエモーショナルな楽曲です。本作は、早すぎた研究故に迫害を受けてきた精神学者 ヴルヘイルム・ライヒ の自然界に充満する生命エネルギーを集める研究に出てくるオルゴン放射器「クラウドバスター」をモチーフにし父と子の絆を描いた感動的な作品に仕上がっておりケイトはこの役の為に長い髪を短く切り 父親の研究を手伝う健気な息子役を好演していますこのMVは当時発表された 他のどのMVとも違い映像が台詞無しで進行する完全なドラマになっており実話ではオルゴンによってラジウムの放射能中和を試みる過程で研究所上空に集積された負のオルゴンによる黒雲(死のオルゴン)を除去する為開発した「クラウドバスター」というマシンを本MVでは雨を降らせるマシンとして親子で山に運び実験する様子が描かれるファンタジー作品になっています。MVの中でケイト・ブッシュ演じる息子ピーターが父親の研究の副産物なのか、予知能力で父親が連行される所が見えて後ずさり父親に抱きついた時父親のポケットから ピータ・ライヒ著『A Book of Dreams』を見付けてピーターにあたる息子が「あ!w僕が読んだ本 読んでるぅ~w」という顔をするのでこの作品がヴルヘイルム・ライヒの物語を元にしたお話で厳密にはライヒ親子では無いのですが実話ではライヒは、この研究をがん治療に活かそうと「オルゴン・ボックス」と呼ばれる装置を開発して販売した所、食料品や医薬品、化粧品や医療機器などの他、電磁波を放出するような製品の許可や違反品の取締りなどを行う機関FDA (アメリカ食品医薬品局) に訴えられた裁判で有罪判決を受け「オルゴン・ボックス」販売禁止と全著作の出版の差し止めを命じられそれに対してライヒはオレゴンボックスとは関係ない著作の差し止めまで行うのは不当行為に当たると訴えて指示に従わなかったため強制連行され収監されたコネチカット刑務所で1957年11月3日に心臓発作で死亡しています。本MVは 父の意思を継いだ息子が、改良されたマシンを操り雨を降らせる事に成功し当局に連れ去られる車内の父と 山頂でマシンを操る息子が離れた場所で同じ成功を噛み締める 強い絆が描かれた秀逸なラストが印象的な作品ですが本作のこのラストシーンは、裁判所命令の執行の為にやって来た当局によって刑務所へ連行される場面 という事になりその後ライヒは獄中死する事からあのラストの親子の魂のやり取りは、同時に永遠の別れを意味する悲しいラストでもあった訳です。ライヒを演じるのはオスカー俳優の ドナルド・サザーランド で『24』ジャック・バウアー役 キーファー・サザーランド の実の父親として知られる人物で本MVのライヒ役は非常にはまり役となりましたがオスカーを受賞した『M★A★S★H』で演じた型破りな軍医役のイメージが強い個性派俳優なので性的抑圧からの解放を目指す極端な思想を持ったライヒを演じるのは正に適役でサザーランドにしか演じられない型破りな学者と同じく型にはまらない自由な表現でアーティスト活動を続ける天才アーティストケイト・ブッシュ演じる純真な息子との親子愛を演じた本MVは共に非常に貴重で忘れられない共演となったのかもしれません▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Paul McCartney - Pipes Of Peace (1983)ポール・マッカートニー - パイプス・オブ・ピース収録アルバム『パイプス・オブ・ピース』Paul McCartney (画像参照: wikimedia)地球的大きさの自然体■元ビートルズにして音楽界のレジェンド ポール・マッカートニーの『スリラー』で世界的な存在となった直後のマイケル・ジャクソンとの共演作が全米1位となった話題のアルバムから1914年第一次世界大戦中のイギリス・ドイツ間のクリスマス休暇を題材にしたポールらしいハートフルな作品です。本作は音楽ファンの間で反戦歌として通っている楽曲で大戦末期の1918年にはヨーロッパへ渡るアメリカ外征軍の大規模訓練場で流行したと言われ駐屯地に設けられた豚小屋や、弾除けに掘る塹壕での不衛生さなどが温床となり当時の地球の人口の4割が感染し全人口の1割が死亡したと言われる「スペイン風邪」が猛威を極める中で多くの兵士が感染する悲惨な戦闘を強いられる事となる大戦中の欧州が舞台の楽曲ですがそんな現状とは対象的に、実に平和で呑気な戦争の風景がスケッチされており暖かい気持ちに癒されるようなMVに仕上がっています前作1982年リリースの『タッグ・オブ・ウォー』はスティービーワンダーの共演など豪華アーティスト、ミュージシャンの参加が話題となった豪華作でしたが1981年12月に凶弾に倒れた元ビートルズのジョン・レノンの死が影を落とし制作は難航したと言われており80年代のデジタル化の波が音楽界にも押し寄せてこれまでのやり方が通用しなくなった先の見えない世相の時代背景もあってアルバムはメッセージ性の強い楽曲で占められその一年後リリースされた続編的存在アルバムとなった本作の表題作となった本曲もラストで居眠りを始めるポールの姿からは戦争に参加しない選択肢の示唆を感じるなど前作同様にメッセージ性の高い楽曲の反戦曲ではあるのですがリベラルな立場を取るオピニオンリーダーとしての発言では無くあくまで、1市民の等身大な発想で悲惨な戦争の中でも癒やしを求める兵士達の心情と敵同士別れて、銃を置きサッカーボールを手に取り停戦のひと時を愉しむ 両陣営の兵士たちの姿から感じる一体誰の為の戦いなのかに疑問を寄せながら温かい視線で描いているというスピルバーグのオスカー受賞作『シンドラーのリスト』にも通じる戦時中最も勇気ある行為とは「普通の人の感覚」を持ち続ける事だと至極当たり前なメッセージを唄ったものであり常に一般人の感覚で等身大の視点で曲作りをしてきたこれまで通りのヒューマニズムに溢れたポールらしい楽曲でもあるとも思うのでした☆▲目次へ▲■OUTRO/後枠■時流と共に変化するMVの役割MTV logo 2010(画像参照: wikimedia)元々MVはプロモーション用としてTV出演やライブでの映像を併用したり、港辺りを撮影ロケ地にして、アーティストに当て振りをさせたり、スタジオでダンサー達をバックに口パクをする程度の急遽仕立て上げた、添え物の様な存在に過ぎませんでした。それが80年代に入り、マイケル・ジャクソンやプリンスの様な月並みな演出で当て振りさせる様な存在では無いエモーショナルな圧倒的パフォーマーが出現した事や24時間MVを放送する音楽専門チャンネル「MTV」の開局が後押ししてプロモーション用の添え物だった「MV」が映像と一体となった「作品」として注目を浴びるようになります。日本では 82年に『PEARL PIERCE』をリリースした頃の松任谷由実が(※多分w)いち早く時流に乗って本格的なMV制作に着手しました。それ以降様々なミュージシャン達が本格的なMV制作に乗り出しCDリリース時はMV制作が当然という、欧米同様の音楽界的土台が日本にも形成されて行きます。■90年代に入りますと、内需拡大路線の風潮が音楽界にも押し寄せそれを受けた形として洋楽を意識した日本語によるポップス「J-POP」が登場し同時に、桑田佳祐、小田和正の様なベテランミュージシャンがMVの脚本を自ら描き、自ら演出する「ミュージシャン」によるMV制作が活発化しその延長線として映画製作に乗り出すミュージシャンが出現するなど「ミュージシャン」達の活動が多様性を帯びてきた事からこの様なミュージシャンやバンドメンバーを「アーティスト」と呼称する様になります。それにより、これまで「裏方」として音楽制作を支え数々の名曲の輩出に、陰ながら大きく貢献してきた音楽プロデューサーの存在にスポットが当てられアーティストとプロデューサーの良し悪しで作品の内容が大きく変わる事が一般リスナーにも認識される様になるとこれまで高級機器で音楽を鑑賞してきたオーディオマニアだけでなく、一般リスナーも「良い音」を求める様になり「サウンド」に対する認識が大きく変わって行きます。折しも、バブル経済の最高潮の時期でもあった事からお金を掛けてでも最高の音質で最高の音楽を愉しむ機運が更に高まり「ほこり」によるノイズが天敵だった「アナログレコード」はノイズレスの「デジタルCD」に取って代わり安価なCD再生機器の登場によって爆発的な普及となりそれによって音楽市場が一気に拡大し加えて、当時最高質の音質を誇る「メタルテープ」を再生可能な携帯カセットテーププレイヤー「WALKMAN」の普及により最高の音楽を最高の音質で音楽をどんな場所でも、どんな時でも自由に、自分の好きな様に愉しめるという一般のユーザーの中でも音楽に求める多様性が大きく拡がって行き日本の音楽界に於ける「バブル時代」の到来となります。しかし、91年以降のバブル経済の崩壊によりバブル時期にはどんな企画もCD化すればヒットし、「企画モノ」を数多くCD化し玉石混交のリリースをしてきた音楽界はバブルで浮かれていた一般ユーザーの眼が現実志向へと変化した影響から、またたく間に求心力を失い、CDの売上は激減し音楽業界は大きなダメージを受ける事になります。一方で、MVの需要は以前にも増して高まりCDリリースと共にMV制作が必須になるなど虚構に満ちたバブル経済を経験した一般ユーザーが音楽に求めるものが本物を求める方向へと変化しこれまで日本の音楽の弱点だった「英語」に与しない日本の歌手がなし得なかった欧米のR&B言語で作品作りをする宇多田ヒカルの登場で、日本の音楽界の全てが変化し本格派アーティストの時代へと突入して行きます。それに伴い、膨大な予算を掛けて行われる海外ロケならではの、目を奪われる様な大自然を背景としたスペクタクルな映像による巨大なスケールを感じるMVが、次々と制作されて行きます。そうした潮流とは別に、60年代ポップスから派生したレイドバックしたサウンドでリバイバル志向のスタイリッシュな都市型ミュージックとして「渋谷系」と呼ばれるポップカルチャーが若者の間で急速に支持される様になるなど主にポップス第1世代となる、70年代に若者だった世代が子を持つ親となりやがて第2世代となる90年代に成人した子供達が親が聴いていた音楽を継承する形で過去のポップスに影響を受けて、様々な形で取り入られたものが「渋谷系」ミュージックとして様々なアーティストによる楽曲がリリースされ若者たちの間で絶大な人気を博す事になります。▲目次へ▲■2.個人で世界展開を可能にしたYoutubeの登場2000年に入りますと、ストーリー性のある、ドラマチックなMVが登場しMr.Children「くるみ」や 桑田佳祐「東京」などのストーリー性のある、ドラマチックなMVが数多く作られる様になりその中には楽曲の尺を大きく超える様な長さが10分以上もある「ショートムービー」も制作されCDの特典映像としてリリースされるなど「楽曲」の添え物では無い「映像作品」として一般に浸透して行きます。この様なムーブメントが一般化した背景にあるのは「モノ作り」を美徳とし「ソフト」や「サービス」と言った「眼に見えないもの」に対して「価値」を見いだせない「物質」に拘る日本人の国民性が関係していると思われ眼に見えない「音」を収録した「レコード」「CD」が「楽曲」を「物質」として価値を見出す「試金石」となった様に「映像サービス」を具現化した「映像作品」に一定の価値を見出した所に、「映像作品」が一般的に浸透していった様に思われます。■そうした中、2005年に世界最大のオンライン動画共有サイト「YouTube」の登場で、これまでMVはTVで、音楽はCDで視聴してきた状況から2000年以降世界最大級の地球的インフラ「インターネット」の一般層への普及により音楽もMVも「ネット」で鑑賞する時代へと変化して行きます。それによって音楽環境も、CDで視聴する事からネットで音楽ファイルを購入しダウンロードしたり月額で定期視聴できる「サブスクリプション」サービス配信サイトを利用したりする事でこれまで「カセットテープ」「CDディスク」と「再生プレーヤー」という物質的にかさばる「ソフト」と「ハード」が必要だった音楽鑑賞も「データ」となった音楽「データ」と再生する「ソフト」とそれを再生するMP3プレイヤー「ipod」などの小型軽量の「ハード」の普及によってどの場所でも、好きな時に、好きなことをしながら音楽を自由に鑑賞することが可能となりました。▲目次へ▲■3.ダウンロード規制の読み違いとCDの終焉Youtubeの登場は、これまでMVを公開する場がTV放送か、スカパーの音楽専門チャンネルか、CDの特典映像か、CDショップでのプロモーションか、音楽業界が展開した「販促」の範囲内での鑑賞という視聴する方法も、時間も、場所も放送を発信する側の都合で左右される一方向の公開しか方法が無かった所を、Youtubeに上がったMVは誰でも、どの様にも、いつでも、どこでも、鑑賞できるネット環境を提供出来る様になりました。それにより、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅ、の様なアーティストも表現の場をTVメディアからYoutubeに移行し鑑賞する層を国内から国外へと拡げた事で世界的なヒットへ繋げるというこれまで音楽業界が全国に展開する「販促」の力を使うしか音楽を売り出す方法が無かった所をほぼ「無料」で、世界展開が可能となり様々なアーティストがブレイクして行く中で、音楽業界がこれまで蓄積してきた音楽的な土壌や、CDパッケージ販売市場などの全ての状況が、変化を余儀なきされる事になります。その一方で、Youtubeの様な動画共有サイトは時代が要求した画期的なサービスではあっても、この共有サービスを「無料」と捉えたユーザー達による著作権法に抵触し違法にアップロードされたCD音源の数々をダウンロードする行為が多発し社会問題にまで発展する騒動が起こります。これを受けて音楽業界はCDパッケージ販売の弊害となるとしてダウンロード行為を規制する著作権法の改正を政府に要求し2012年10月1日に施行します。これは、CDパッケージ販売の売上の減少をYoutubeへの音楽違法アップロードによるものと限定した音楽業界が「著作権保護」を目的とする防衛処置によるもので昭和の時代から脈々と受け継がれてきた「権利」に固執する日本の音楽業界らしい取り組みと言えますが、しかしながら、実情は全く違ってました。Youtubeを利用するユーザー側にしてみれば、これら違法とされるアップロードされた音楽ファイルをCD購入する前に「無料」の試聴として利用してきたという見解があり、「違法」ではありましたが、、この様なYoutubeの「無料」のプロモーションによってむしろCDの売上は上がっており2012年の改正法案によって、CDの売上激減を止めるどころかむしろCDの売上はより下がって行ったという逆効果となった実情があります。そこから見えるのは、もはやCDパッケージ販売は、音楽ファイルダウンロード販売や音楽配信サービスに取って代わり業界は発足当時「違法」というだけで何の罰則を設けなかった様な間の抜けた改正法案を通すというデビュー間もない「X-Japan」のYOSHIKI達の様な権利関係に疎い新人アーティストから騙すようにハンコを押させて奪った様な「著作権」を守るというS○NYの様な大会社は「権利」に執着する事に躍起になるばかりでその様な問題多き旧体制体質だったSO○Yを含めた音楽界にはCDパッケージ販売が時代遅れの産物になっていた事がまるで見えていなかった事が分かります。それに対してYoutubeの性質を当初から見極めていた欧米では、音楽ユーザーはCDで音楽を聴く事よりも本物のアーティストが眼の前で演奏する「ライブ」へと音楽的関心が変化しているという世界的な時流を見据えて逆に楽曲やライブ映像のアップロード行為を許容しYoutubeユーザーが 音楽を「アップロード」する行為を音楽ユーザーが 音楽の「ライブ」へと足を運ばせる為に「無料」の「プロモーション」として利用する現実的視点で行動する一方で「データファイル」や「ソフト」や「サービス」などの眼に見えないモノの価値が分からないままの 日本の音楽業界は「著作権」として「楽曲」の利用を具現化した「権利」に固執して世界の時流に乗り切れなかったという21世紀を何年も過ぎた後次々と「旧体質」が浮き彫りとなった様々な法人が陥ってきた「不祥事」の様に遂に「メス」が入った出来事となったと捉えるべき事なのかもしれません。▲目次へ▲■4.ネット社会の到来と多様性が求められるMV2010年以降はガラケー携帯に代わり、爆発的に普及したスマートホンで、一般の人々が本格的にネットを使用し「情報」収集ツールとして日常的に利用される様になるとYoutubeの存在も法に抵触する様な動画がアップロードされるグレーなサイトというイメージから世界配信される新たな インフラ へと、認識も変わりネットに於ける「性質」を見極めた音楽界が次々にYoutubeに参入して公式チャンネルを開設してMVを公開する様になりそれに伴い、一般が参入できる新たな表現の場として一般の間でも、急速に浸透して行きます。やがて、Youtubeで動画配信するユーザーの事をYouTuber(ユーチューバー)と呼ぶ様になりYoutubeは一般人が日常的に観覧するメジャーな動画サイトとして普及し、多くの一般YouTuberが参入し連日の様に動画をアップし人気YouTuberはアクセスの広告収入で荒稼ぎする、ネットバブル状態となりますがその後、多くの芸能人がYoutubeに参入した事で一般Youtuberのアクセスはダウンしそれによってネット社会に於ける一般ブロガー、一般Youtuberへのある種の「淘汰」が拡く進んで行く様になり一般ネットユーザーの表現先は、LINE TwitterなどのSNSへと流れて行く一方で「音楽、動画はネットで鑑賞」するという、新たなライフスタイルを持つ時代の幕開けを迎えます。■2014年になると、音楽を演る一般人、セミプロ、プロ、関係なく音楽界大手の資本に頼らず「インディーズ」とは異なる理念で個人のレーベールを立ち上げて自主制作でMVを発信する受け口として様々なアーティストがYoutubeを利用する様になりますそれまではライブ演奏を主体とした映像作品としてアーティストの顔を広く浸透させる目的で制作してきたMVはYoutube登場以降アーティストが全く顔を出さない、どこの誰かも分からないあくまでアーティスト本人の姿を露出しない「謎の人」となったりアーティストが唄わず、代わりに音声合成ソフトの人工歌唱によるVOCALOID 「初音ミク」を利用した 歌唱作品やその音楽に個性的なアニメーション付けるユーザーの出現で、Youtubeを介した 自然発生的コラボが活発化しその様に作られたYoutubeでのMV配信が話題となり観覧者数 百万アクセスレベルの大ヒットを飛ばすなどのこれ迄になかった形の音楽のブレイクが、社会現象化して行きます。そうして近年は、瑛人、YOASOBIなどのある種の「閉鎖感」を感じる次世代の作風が話題となる一方でアーティストの歌唱力をアピールする様な、音楽ありきのMVは、姿を消して行きました。■かつて、ボブ・ディランやビートルズが活躍した60年代、音楽には人を魅了し、思想すら見出す「力」がありました30年後の90年代には、音楽を輩出するミュージシャンが「アーティスト」と呼ばれる様になり音楽をどう演出して表現するかという「表現者」としての価値が問われ「映画、ドラマ」や「バライティー」で人気を博す他、「画家」や「小説家」「映画監督」として才能を発揮するなど「音楽」以外の「要素」が問われ、アーティストがどれだけ「多才」で「多様性」があるのかが重要視される時代となって行きます21世紀に入り、Youtube登場以降の現在では責任ある社会人としての規範よりもまずは自分達の生活を重んじる、今どきの現実的な若者達に刺さる様な「音楽」の多様性を廃して「音楽」と音楽を具現化した「映像」が一体となったMVが人気を博すようになりますがこれは、その様なMV作品が主流になったと言うよりも、音楽単体では無い「音楽表現」の方に今どきの若者の興味が移った様な印象があります。この様な傾向は近年、山下達郎の様な 大物ミュージシャンに「音楽が持つ力が無くなってきた」と言わしめる、「音楽」単体としての存立が危ぶまれる危機的状況だと言えるものがありますがこれは「音楽に力が無くなってきた」と額面通りに受け取るよりは合理的志向が過ぎて、文脈を分析して想像力を働かせる力の欠如が著しい、今どきの若者達のリスナーの方に「想像を働かせながら 音楽を 聴く力が無くなってきた」と受け取る方が正しい様な印象があります。▲目次へ▲■5.「多様性」を廃した「音楽」単体へ回帰する予期思うに、音楽に「力」があると言わしめたのはたとえそれが「戦争景気」がもたらしたものであったとしてもビートルズ、ボブ・ディランに魅了された、戦後発展途上にあった日本に於いて又は、たとえそれが「虚像」であったとしてもバブル景気に歓喜する「自信」を背景とした「活気」ある90年代の社会に於いて様々な形で充実した「時代」に生きる、明るい「未来」を予見する「希望」の中に、聴くべき魅力を感じる音楽が生み出され、それを正当に評価できる耳が育つ「土壌」があった故の事だという印象があります。つまり現在、音楽の力が無い、音楽を聴く力が無い と言わしめる現状があるとするなら、いくら働いても報われない、経営者の搾取によって薄給を強いられ、結果、「薄利多売」が要求される「デフレ社会」に於いての「希望」が見えない悲観的状況に聴くべき「魅力」にリアルなモノを感じられない、称えるべき「正統派」に耳を貸せない今どきの「感性」が生じた所に問題があると言えます。その一方で、映像で音楽を聴く時代ならではの「ライブ感」を感じる一発撮りMVを発信するサイトが、90年代に起きた「オルタナティブ」ムーブメントの様に静かな人気を博しており、2000年以降の音楽の傾向と言える、「多様性」を帯びた今どきの音楽を廃して、正当に「音楽」のみを評価するその様な正統派な音楽が再び注目を浴びる様な「原点回帰」の機運へと繋がる事ができれば、今は「静かな人気」がやがて音楽が持つ力の「復活」に繋がる巨大な潮流となり得る希望に満ちた「未来」が待つ大きな「力の源」となるのかもしれません☆というわけで今回はここまでです。それでは良い1日を☆【ブログ更新】洋楽特集SP 第5回 ver.2.0 - ご覧ください『MVが映画の様な音楽』をどうぞ・・・ - 楽天ブログ(Blog)https://t.co/oSISTbJ71f #r_blog— Voyager6434 (@voyager6434) June 21, 2021■■■■■■■■■■■■■楽天市場■■■■■■■■■■■■■■■【CD】BAD [ マイケル・ジャクソン ]価格:2420円(税込、送料無料) 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2021年06月22日
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(wikimedia)伝説のラジオ番組 音楽と朗読の殿堂クロスオーバーイレブン2016夏 8月8日(月)~11日(木)PM11:00~AM0:00NHK-FM で放送■ スクリプト的 Intro ■(※脳内で津嘉山正種氏の声を想像してお読み下さい。。。w) 音楽と言えば まだクラシックと映画音楽しか聴いていなかった頃70年代の音楽とは明らかに違ったサウンドの、機械的グルーブで演奏する伝説的テクノポップユニット 「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」が校内でもチョットしたブームを呼び、級友の間でも話題となり彼らが演奏する電子楽器「シンセサイザー」にかけては東海随一の大都市 「名古屋」 に行くたび楽器屋へ立ち寄っては当時の高額な電子楽器を眺めては悦に浸るという、日本が誇るシンセサイザーの巨匠、 冨田勲の数年来に渡るファンでもあった事でその仕組や構造にかけては、実際に演奏をする以外は造詣に深いと校内随一の専門家 「シンセマニア」を自称していた一時期。最も造詣が深い者がブームを牽引すべきであると言う持論を展開しながら昼食後 気の合う者同士が語らう、クラスメート達の自由でのどかな歓談をやおら制止させ自分発信の情報の教授と拡散を目論み、毎回力任せに割り込んで行くという昼食後の軽い歓談を弾ませる級友達にとっては只々ありがた迷惑な行為を繰り返すバカな学童時代の ブログ主であった。YMOは 冨田勲以後登場した新たなシンセ・ミュージックの旗手としてラジオで度々耳にし、気になっていた存在であったが、レコード屋の電子音楽のジャンルの棚に並んだ、三人の麻雀する奇怪な男たちが写ったジャケットの最新盤レコードは当時学童だったブログ主の経済状態では決して手の届かないオーディオマニア御用達の嗜好品だった。当時爆発的ブームとなった「スーパーカーブーム」を牽引し出版したコミックスは記録的な累計部数を誇った伝説的漫画も連載終了間際には急速にブームは下火となり、熱気に当てられ全巻購入した『サーキット○狼』を売り払いに来る客が後をたたなかったからなのか西日に当てられ若干変色した『サーキット○狼お断り』という黒文字で書かれた張り紙が貼られた街の古本屋の入り口のガラス扉を眺めてもあと数年も経てばこの高額なレコードもこの様な顛末を迎えるのだろうか・・・などと言った人の世の儚さと悲哀を真摯に微塵も考える事の無い、バカな学童のブログ主は如何にしたら アノ街のレコード屋の店主をそそのかして例のレコードを店内で試聴する事が出来るだろうか などとCD以前、レコードレンタル以前の時代に新作レコードを少しでも多く聴く為の計略を巡らし校内随一の「音楽マニア」たらしめる為の思案を尽くしていた そんな折の事、実家が金持ちという機動力と、ポケベル直前、ネット以前の時代に、一族がその筋の業界に身を置くという恵まれた情報収集環境下で、早々に入手したレコードをカセットにダビングし当時発売されたばかりの、学童が持つには余りにも高額な「カセットウォークマン」を校内に持込み校内随一の新しもの好きを自称する育ちの良さが裏付けた、人を疑い嫉まれる事を知らないほぼ「の○太くん」の様な「ス○夫」の、私のクラスメートはそんな学校のクラスレベルで展開するブログ主ののささやかな覇業を常に脅かす存在になっている事など 微塵も考えていないのか、ブログ主の眼の前で未だブログ主が未聴のYMOをヘッドホンでリスニングしながら優雅な教室の午後の一時を送る 目に余る様な挑発的行為を行っていた。家族が技術者という典型的ガンダム的中流家庭のほぼ「アム○・レイ」の様な「ジャ○アン」と化したブログ主は級友に近付き「それ、新譜のYMOのライブだろ?チョット聴かせてくれるか?ああ所で君は知ってるか? ソレ本当は渡辺香津美のギターが入っていたのを契約の関係で教授がシンセで上書きしてリリースしたって事を。」と ライバル意識丸出しの 挑戦的態度を示すのだが未公認のライバルは「ウンいいよ☆」と二つ返事でOKするとヘッドホンステレを私に差し出しながら「ソレって渋谷陽一が『サウンドストリート』で言っていたよね☆ あ!VO君知ってる? コレはお父さんの知り合いの東海テレビの人が教えてくれたのだけれども、来月 『夜のヒットスタジオ』にYMOが出演するんだって☆」と持ち前の人を疑わない人の良さから、何の屈託も無く罪のない笑顔で切り返され「・・・ああ、それ 何かの雑誌で見たかなぁ・・・」と 業界の一部しか知らないレア情報に衝撃を受けながら そう うそぶく と持つ者と持たざる者の歴然とした差を狭い教室の中で見せ付けられながら皮一枚残った薄っぺらいブログ主の自尊心が『今日はこの位にして置いてやろうか』 と、心の奥で囁くのを確認するとカセットステレオのヘッドホンから流れるYMOの新作のライブに聴き入るのだった。後日TVで観た「夜ヒット」に出演したYMOは番組オープニングで『テクノポリス』のテーマをバックに「コマ落とし」の映像処理をかけた ロボット的なカクカクした行進で入場して来るというテクノ・ポップの旗手らしい印象的な演出で登場するのだが、そのYMOのメンバー達が行進する列の最後尾には、なぜか司会の井上順の姿がありYMOのメンバー同様に ロボット的処理のカクカクした動きでカメラを横切って笑いを誘いオープニングを全部一人で持って行くというハプニングで一旦幕を下ろした。いくら良かれと思ってやった事だとしても誰も頼んでいないのに 無理やり押し付けたり、お膳立てされたものを全部一人で持って行く様な事をするヤツって、ヤッパリ 迷惑だよなぁ と級友の事の様にも、自分の事の様にも幾重にも重ねながら大人の階段を少し登った気がした学童時代のブログ主なの だっ た・・・・・・そんな洋楽ファンだったブログ主が勉強の友に聴いていたのがFMラジオの音楽番組でした23時になると至って緩やかな音楽に乗せこの上ないダンディな声が朗読を始めるとしばし鉛筆を持つ手を休めて、深い夜の流れに身を任せば~もうすぐ時計の針は12時を回ろうとしています 今日と明日が出会うときクロスオーバー・イレブン~ と気が付けば勉強をせぬままの一時間を過ごす、月曜から金曜夜のひとときで あっ た・・・ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー [ YMO ]価格:2277円(税込、送料無料)(2016/8/9時点)YMO/パブリック・プレッシャー価格:1971円(税込、送料別)(2016/8/9時点) さて、毎年恒例となりました1978年11月23日~2001年3月29日の22年に渡って放送されていた深夜番組「クロスオーバーイレブン2016夏」 (NHKのサイトへ) として8月8日から 4日間限定で復活します。ナレーションは おなじみ 俳優 津嘉山 正種 氏が担当ご期待下さい!!!※ 番組リンクは NHK の許可を受けたものですNHKオンライン トップページラジオが無くてもネットやスマホで聴けるらじる★らじる NHKネットラジオのページからパソコンで番組を聴くことが出来ますらじる★らじる スマホ・アプリダウンロードGoogle playのページからスマホAndroidアプリをダウンロード出来ますらじる★らじる iphone/ipad アプリダウンロード(※要itune)itune を使用して iphone/ipadにアプリをダウンロード出来ます勿論ライバル社の悪タブKi◯dle用アプリもあります(笑)ラジオの電波が入りづらい環境の方や ラジオを持っていない方も番組を愉しむことが出来ますこの機会に是非ご利用下さい☆番組内容今回は『老ボクサーの夢』と題して30年以上もの長きに渡りクロスオーバーイレブンのナレーションを担当して来た津嘉山正種氏が自ら執筆し今やライフワークとなった本番組の想いを込めて書き下ろし主役では無い、バイプレイヤーとして長年演劇界で活躍した自らの演劇人生の集大成となった内容とも言えるスクリプトで自作自演に挑戦します。選曲はお馴染みの小倉エージと大伴良則が担当しますお楽しみに!8月8日(月) - 第1夜 『老ボクサーの夢 第1話』【選曲:大伴良則】「伝説のチャンピオン」クイーン(3分00秒)「若い思い出」アニマルズ(3分00秒)「チャイナ・ガール」デヴィッド・ボウイ(5分34秒)- 老ボクサーの夢 第1話 A part -「トーキング・シット」マイルス・デイヴィス&ロバート・グラスパー(3分09秒)- 老ボクサーの夢 第1話 B part -「サイレンス・イズ・ザ・ウェイ」マイルス・デイヴィス&ロバート・グラスパー(feat.ローラ・マヴーラ)(5分20秒)- 老ボクサーの夢 第1話 C part -「ライト・オン・ブラザ」マイルス・デイヴィス&ロバート・グラスパー(feat.スティーヴィー・ワンダー)(4分33秒)- 老ボクサーの夢 第1話 D part -「イブニング・ブルー」トラフィック(5分17秒)「トラジック・マジック」トラフィック(6分24秒)「ウェイ・バック・ホーム」プリンス(3分04秒)※「チャイナ・ガール」収録アルバム【CD】レッツ・ダンス [ デヴィッド・ボウイ ]価格:1400円(税込、送料無料)(2016/8/9時点)※「トーキング・シット」「サイレンス・イズ・ザ・ウェイ」「ライト・オン・ブラザ」収録アルバム【CD】エヴリシングス・ビューティフル[ マイルス・デイビス & ロバート・グラスパー ]価格:2376円(税込、送料無料) (2016/8/9時点)8月9日(火) - 第2夜 『老ボクサーの夢 第2話』 -【選曲:大伴良則】「ザ・ロジカル・ソング」スーパートランプ(4分07秒)「ブラインド・フィーリング」ゲイリー・ライト(4分41秒)「デア・コミッサー」ファルコ(3分49秒)- 老ボクサーの夢 第2話 A part -「摩天楼を夢みて メインタイトル」ウェイン・ショーター(4分17秒)- 老ボクサーの夢 第2話 B part -「ザ・プロット」ウェイン・ショーター(3分37秒)- 老ボクサーの夢 第2話 C part -「サザン・ナイツ」アラン・トゥーサン(3分32秒)- 老ボクサーの夢 第2話 D part -「アメリカの歌」アラン・トゥーサン(4分54秒)「スタンド・バイ・ミー」モーリス・ホワイト(4分07秒)「ブルー・フォー・ユー」ウェット・ウェット・ウェット(4分54秒)※「ザ・ロジカル・ソング」収録アルバム 【輸入盤】Breakfast In America - Remaster [ Supertramp ]価格:1429円(税込、送料無料)(2016/8/9時点)※「摩天楼を夢みて メインタイトル」「ザ・プロット」収録アルバム摩天楼を夢みて オリジナル・サウンドトラック価格:1200円(税込、送料無料)(2016/8/9時点)8月10日(水) - 第3夜 『老ボクサーの夢 第3話』 -【選曲:小倉エージ】「パワー・オブ・ラヴ」ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(3分54秒)「プライベート・アイズ」ダリル・ホール&ジョン・オーツ(3分30秒)「ブロークン・ウィングス」Mr.ミスター(4分43秒)「ドッグ・イート・ドッグ」ビル・フリゼール(4分21秒)「コファロズ・テーマ」ビル・フリゼール クワルテット(4分27秒)「アマリージョ・バルバドス」ビル・フリゼール(4分14秒)「ザ・リザード」ファットバーガー(5分29秒)「ナイト・グルーヴ」アレックス・ビニョン(3分53秒)「雨にお願い」フィル・コリンズ(5分28秒)※「プライベート・アイズ」収録アルバムプライベート・アイズ [ ダリル・ホール&ジョン・オーツ ]価格:1641円(税込、送料無料)(2016/8/9時点)※「雨にお願い」収録アルバムバット・シリアスリー 2CDデラックス・エディション [ フィル・コリンズ ]価格:3240円(税込、送料無料)(2016/8/9時点)8月11日(木) - 第4夜 『老ボクサーの夢 第4話』 -【選曲:小倉エージ】「リヴ・イン・ザ・ダーク」ジェフ・ベック(3分49秒)「ダーク・ネセシティーズ」レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(5分01秒)「アイデンティキット」レイディオヘッド(4分24秒)「ザ・リヴァーバンク」ポール・サイモン(4分10秒)「ミステリアス・バリケーズ」アンディ・サマーズ(3分04秒)「チャーミング・スネークス」アンディ・サマーズ(5分09秒)「スウェニョス」サンタナ(5分07秒)「ザ・リヴァー・ビトウィーン」スパイロ・ジャイラ(6分43秒)「ゲイツ・オブ・ゴールド」ロス・ロボス(3分54秒)※「リヴ・イン・ザ・ダーク」収録アルバムラウド・ヘイラー [ ジェフ・ベック ]価格:2700円(税込、送料無料)(2016/8/9時点)※「アイデンティキット」収録アルバムア・ムーン・シェイプト・プール [ レディオヘッド ]価格:2689円(税込、送料無料)(2016/8/9時点)- 番組について -エンディングで脚本を 『スクリプト』 と読み、この単語を始めて聞いたのもこの番組で、音楽と朗読によるミニドラマを交互に流すスタイルが話題となり多くのファンを作りました。石橋 蓮司、清水 紘治、※富山 敬、※横内 正、とナレーションが交代する中最も長く番組を務めたのが声優でもある俳優:津嘉山 正種 氏です。この番組の最大の売りは、様々な作家による曲間に流れる 朗読 コーナーで小沢 章友 『遊民爺さん』 シリーズ内山 安雄 『アジア』 シリーズなどが人気がありました特にダンディな声で語る 『モヤシ君は・・・』 の冒頭で始まる高木 達 『モヤシ君』 シリーズは声と内容のギャップが不思議な魅力を放ち、そのマッチした独特の朗読がファンの間で話題となりました。毎回朗読を終る際、ゆっくりスピードを落として行くのが特徴で、『~夏休みのお小遣いを全て吸い上げられてしまったので あっ た・・・』 と、それを曲が始まる合図とされ、エアチェックするリスナーに優しい作りとなっていました。 ※富山 敬:洋画、アニメ吹き替えで活躍した日本を代表する声優。 ちびまるこのおじいちゃん、宇宙戦艦ヤマト古代進役が有名。 95年膵臓癌で死去。 ※横内 正:俳優、水戸黄門の初代角さん役が有名。声優としても活躍し 80年台に放送された伝説的科学番組 「コスモス」 で カール・セーガン博士の声を担当した。この記事の『楽天プロフィール』のつぶやきは >>こちら- 楽天市場 -【番組関連商品】【CD】クロスオーバー・イレブン ~タイム・アフター・タイム~価格:2,224円税込、送料込おなじみ津嘉山正種の新作ナレーションが収録された番組の内容そのままなコンピレーションアルバム第1弾ソニーミュージック2005年3月24日発売ナレーター:津嘉山正種スクリプト:藤井清美選曲・解説:小倉エージ曲目タイトル1. オープニング・テーマ ~ フライ・オーヴァー・ザ・ホライズン<津嘉山正種ナレーション入り>/(アジムス)[2:11] 2. ロックイット/(ハービー・ハンコック)[5:24]3. アナザー・デイ/(バックショット・ルフォンク)[3:33]4. ヴォカリーズ/(ラフマニノフ)[4:47]5. アイル・ゲット・バイ・ウィズアウト・ユー/(ワー・ワー・ワトソン)[6:02]6. ★ナレーション/(津嘉山正種)[2:33]7.パラディオ (第1楽章)/(カール・ジェンキンス)[3:11]8. ★ナレーション/(津嘉山正種)[2:12]9. ティーン・タウン/(ジャコ・パストリアス)[2:49]10. ★ナレーション/(津嘉山正種)[2:02]11. シェガ・ヂ・サウダージ (想いあふれて)/(ヨーヨー・マ)[4:12]12. ★ナレーション/(津嘉山正種)[2:22]13. アパレシーダ/(テレンス・ブランチャード)[5:55]14. ビヨンド・イマジネーション (「真夏の夜の夢」より)/(オペラベイブス)[5:01]15. リトル・ダーリン/(マリア)[4:13]16. タイム・アフター・タイム/(マイルス・デイヴィス)[3:37]17. エンディング・テーマ ~ オウトゥブロ (オクトーバー)<津嘉山正種ナレーション入り>/(アジムス)[1:57]<ボーナス・トラック>18. フライ・オーヴァー・ザ・ホライズン/(アジムス)[ノーカット・サイズ][5:53]19. オウトゥブロ(オクトーバー)/(アジムス)[ノーカット・サイズ][5:20][入手困難]クロスオーバー・イレブン ~イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー~おなじみ津嘉山正種の新作ナレーションが収録された番組の内容そのままなコンピレーションアルバム第2弾ビクターエンタテインメント2005年3月24日発売ナレーター:津嘉山正種スクリプト:藤井清美選曲・解説:小倉エージ曲目タイトル1. オープニング・テーマ ~ フライ・オーヴァー・ザ・ホライズン<津嘉山正種ナレーション入り>/(アジムス)2. ゲッタウェイ・カー/(ダリル・ホール&ジョン・オーツ)3. フリップ・フロップ/(フェリックス・キャヴァリエ)4. 彼女はスージー/(ランディ・ヴァンウォーマー)5. ★ナレーション/(津嘉山正種)6. ウォーキング・トゥ・フリーダム/(ジャズマスターズ)7. トゥ・ノウ・ホワット・ユーヴ・ガット/(ボビー・コールドウェル)8. ★ナレーション/(津嘉山正種)9. ソウル・ダンス/(ラス・フリーマン)10. ウィリング・トゥ・バーン/(マイア・シャープ)11. ★ナレーション/(津嘉山正種)12. エヴリデイ・ピープル/(キャンディ・ダルファー)13. イージリー/(ビル・エヴァンス)14. ★ナレーション/(津嘉山正種)15. ハロー、ヤング・ラヴァーズ/(トゥーツ・シールマンス)16. イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー/(チェット・ベイカー)17.エンディング・テーマ ~ オウトゥブロ (オクトーバー)<津嘉山正種ナレーション入り>/(アジムス)<ボーナス・トラック>18.フライ・オーヴァー・ザ・ホライズン/(アジムス)[ノーカット・サイズ]19.オウトゥブロ(オクトーバー)/(アジムス)[ノーカット・サイズ][入手困難]クロスオーバー・イレブン ~アカサカ・ムーン~おなじみ津嘉山正種の新作ナレーションが収録された番組の内容そのままなコンピレーションアルバム第3弾日本コロムビア2005年7月20日発売ナレーター:津嘉山正種スクリプト:藤井清美選曲・解説:小倉エージ曲目タイトル1. オープニング・テーマ ~ フライ・オーヴァー・ザ・ホライズン<津嘉山正種ナレーション入り>/(アジムス)2. ライト・ザ・ワールド/(ピーボ・ブライソンduet withデビー・ギブソン)3. リヴィン・イット・アップ/(ビル・ラバウンティ)4. ハウ・イット・イズ/(ワークシャイ) 5. ★ナレーション/(津嘉山正種)6. ユニコーン/(渡辺香津美)7. フルタイム・ラブ/(24丁目バンド)8. ★ナレーション/(津嘉山正種)9. グラスホッパーズ/(坂本龍一)10. ザ・ハート・ネヴァー・フォーゲッツ/(リアン・ライムス)11. ★ナレーション/(津嘉山正種)12. ワンス・アイ・ラヴ/(向井滋春)13. 悲しき願い/(トーマス・ラング)14. ★ナレーション/(津嘉山正種)15. アカサカ・ムーン/(KYLYN BAND)16. エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー/(清水靖晃&サキソフォネッツ)17. イフ・ウィ・ワー・ラヴァーズ/(ナンシー・ウィルソン)18. エンディング・テーマ ~ オウトゥブロ (オクトーバー)<津嘉山正種ナレーション入り>/(アジムス)[入手困難]クロスオーバーイレブン ~20センチュリー・ボーイ~おなじみ津嘉山正種の新作ナレーションが収録された番組の内容そのままなコンピレーションアルバム第4弾日本コロムビア2005年7月21日発売ナレーター:津嘉山正種スクリプト:藤井清美選曲・解説:小倉エージ曲目タイトル1. オープニング・テーマ ~ フライ・オーヴァー・ザ・ホライズン<津嘉山正種ナレーション入り>/(アジムス)2. ブラザーズ・イン・アーム/(グレゴリアン)3. ドライバーズ・シート/(スニッフ&ザ・ティアーズ)4. ウォール・ストリート・シャッフル/(10CC)5. ふたりのシーズン/(ゾンビーズ)6. ★ナレーション/(津嘉山正種)7. トロイズ・ジムノペティーズ/(ゲイリー・ニューマン)8. ★ナレーション/(津嘉山正種)9. 20センチュリー・ボーイ/(T.REX)10. ★ナレーション/(津嘉山正種)11. エアーレーン/(ゲイリー・ニューマン)12. ★ナレーション/(津嘉山正種)13. フレンド/(ブラックメイル)14. 大鴉(レイヴン)/(グレゴリアン)15. パンドラ/(コクトー・ツインズ)16. ティーンエイジャー/(カメラ・オブスキューラ)17. エンディング・テーマ ~ オウトゥブロ (オクトーバー)<津嘉山正種ナレーション入り>/(アジムス)
2016年08月09日
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『恵の父親が腰を抜かした本当の理由とは?』『すずが竜を救おうとするのは意味がある』『なぜログアウトしない?』『どうして大人が同行しない?』『なぜ竜はUで迫害されるのか本当の理由』『クジラの正体は?』『本作が「現代版 美女と野獣」である理由』『本作はなぜ意味不明なの?』などetc...『PART1 映画解説編』竜とそばかすの姫Belle2021年7月16日公開 日本 121分■監督 細田守■声の出演 中村佳穂/成田凌/染谷将太/玉城ティナ/役所広司/佐藤健■■■もくじ■■■『PART1 映画解説編』■1. はじめに■2. 賛否両論となった本編に付いての閑談■3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由■a. 死を掛けた母の行動が理解できないすず■b. なぜ竜に「あなたは誰?」と問いかけたのか■c. 恵の父親が腰を抜かした本当の理由とは?■4. 恵の父親の態度から見える恵達のその後『PART2 補完編』-前のり編-※文字制限で「PART2 保管編」に掲載できなかった分を前のりでコチラに特別掲載w■恵の父親が窓を眺めていた訳■■恵の父親もDV被害者?■■中洲の場面ですずの手を取ったのは?■-------------------------------------------------------------『PART2 補完解説編』≫ 記事は 次の頁へ■ 補完編「もっとディープに解説」■5. 「なぜログアウトしない?」他 本作の批判に回答してみる批判例01『最後まで見ていられませんでした』に回答批判例02『意味不明』に回答批判例03『全体的に微妙』に回答批判例04『つまらない』に回答批判例05『感情移入出来ない』に回答批判例06『脚本が浅くてチープ』に回答批判例07『描き方が雑』に回答批判例08『母性を理解していない』に回答批判例09『兄弟だけで虐待に対処する結果が酷い』に回答批判例10『どこに主軸があるのか分からない』に回答批判例11『美女と野獣の引用は必要ない』に回答批判例12『ベルに戻る展開は筋が通らない』に回答批判例13『なぜログアウトしない?』に回答批判例14『納得できない展開に呆れた』に回答■6. 竜はなぜ「U」全体から迫害を受ける■a. 拡散する流言を真に受ける社会と偏った正義感■b. 気軽に発散できるネットと根拠なき正義■c. 自警が主体の欧米の保安官■d. 見た目を重視する清潔化(ルッキズム)の浸透■e. 竜への迫害は竜自身が原因■7. 割れた額縁に飾られた女性は誰?■■8. 恵はすずに振られたのか?■■a. 愛と恩の違いの「ありがとう」■b. 本当の自分を好きになってくれた「ありがとう」■c. 母に向き合えた「ありがとう」 ●弟「とも」は病気?● ●クジラの正体は何?● ●3人が抱き合った意味●■d. 救えた事への「ありがとう」 ●恵の父親は逮捕されてもそれで終わりでは無い理由●■e. 恵達を救った事で救われたすずの母 ●すずがアンベイルしても再びベルになった本当の理由●■f. 暴力の連鎖を断ち切ったという意味■g. DVの連鎖を断つという意味■h. DV被害者に追い打ちをかける世間とその戦いという意味■9. 大人が同行しない本当の理由■ ■a. リアルではこれが当たり前 ■b. ジャスティンと対峙した事で既に経験済み ■c. すず以外招かれていなかったから ■d. 大人が付いて行くと恵達の死を招く危険■10. ジャスティンは恵の父親?■■a.「ペギー・スー」という名前に潜んだ意味 バディー・ホリーと「音楽の死んだ日」 ●「ペギー・スー」はすずの母が救った子?■b. 恵の父がジャスティンだった場合の坂の場面の解釈■11.すずにとってのしのぶくんの存在とラストの「ありがとう」の意味■■12.「まとめ」■●a. 本作が「現代版美女と野獣」である理由●b. 本作はなぜ意味が分からない映画なのか そして本作の「隠されたメッセージ」とは▲目次へ▲1. はじめにさて、今回は批判の多い本作が、なぜ感動的な側面を持つのかそれを解説する為にまずは『PART1 映画解説編』として「すずが 竜を救おうとする理由」に焦点を当てて、多くの鑑賞者の方がおそらく見落としていると思われる本作の「真意」と本作が描こうとした真のテーマを探って行きたいと思います。更に『PART2 補完編』としてもっと深く本作の真髄に迫りどうして本作はこんなに分かりにくい意味不明な内容なのかこの「意味不明には意味がある」理由と本作に寄せられた様々な批判を検証しなぜ批判されるのか、その批判の性質は何なのか多角的に分析し本作が敢えて表面に出さない玉ねぎの皮の様に連なって重なる様々な真意をディープに探究し核心に迫ってみようと思います▲目次へ▲2. 賛否両論となった本編に付いての閑談この映画に付いては解説するサイトが星の数ほど存在しその多くが酷評に大きく傾いている事も公開直後から話題になっておりまして「ひどい、つまらない、イライラする、子供に見せられない」という、一般的な感想の他「登場人物がキライ」「母性を理解していない、だから終盤が気持ち悪い」「途中席を立ちたくなる程不愉快」という、嫌悪感を示す感想や「危険すぎるメッセージ」「この作品は間違っている」というような、映画そのものを根本的に否定するものまで様々あり本作を監督する細田守のポストジブリを背負う立場に対する期待の巨大さを物語る世間一般の反響の現れと思うものがあります。つまりこの様な批評が反響として現れる位本作の大ヒットは公開前から約束された中で制作されたものだったという事がそこから分かるわけです。この映画は細田守の持ち味と言っても良い何かが壊れている家族のかたちが縦軸となった主人公の心の旅を描いた作品で主人公がSNSで受ける誹謗中傷などの私達も同様にこの様な日常的に受けるネット社会での受難を面白おかしい描き方で和らげて描写しながら登場から20年余りが過ぎたネット社会が持つ問題と社会問題に切り込む意欲作として制作されましたしかし多くの鑑賞者は本作に批判的で作品そのものが賛否両論となっている点に於いても大ヒット映画としては極めて異色な作品だと言えますしその様な賛否の中で壮大なイメージで唄われる楽曲を支える圧倒的ビジュアルで表現された歌唱描写に付いてはどの層も納得させる圧巻のハイライトとなったという点に於いても異色な作品だと言えます。その歌唱場面になぜどの層も心が震える程の感動を覚えたのかという理由は・・・後ほど書くとしまして細田守に付いては、今回色々言いたい事があり一旦はその様な批判的な内容で記事を更新しましたがその後「なぜ竜はあれほどまでにUで迫害されるのか」その合理的理由が分からないという問い合わせがあり補足としてその所を更新しようと念の為に再度鑑賞してみた所初見で気付かなかった事が次々と見えてきまして実はこの映画に付いて大きな思い違い をしていた事に気付きましたこの映画は当初、描き方に問題があるプロットで書かれたチグハグに感じる脚本で進行する賛否両論の作品としてそんな作品世界を世の中に投影して脳内補完しながら鑑賞しようとしてくれる言い方を変えると「演っている事を察してくれる」本作品の最大の視聴者層となるアニメオタク層の好意に甘える形で造られた物語になっていて、そうして映画の難がある所を含めて「現実とは嫌なもの」だと主人公の心情とリンクして捉えてくれる事を汲んで作られた可能性も考えられる補完度がある作品と評しましたがそれは元々細田守が意図的に潜ませた本作の真意を紐解く為のサインで「脚本に問題がある」と言われている本作のチグハグさとは通常なら描く「説明」部分を排除した現れでありなぜそれが分かるのかは・・・この後説明して行くとしてそれらを汲んで再度鑑賞すると一見チグハグに見えるものには意味があり「なぜ大人が付いて行かない?」と金ローで炎上したクライマックスも冷静に考えるとそういう事かと納得できる理由があったりと色々見えて来たものがありましたのでそれを紐解きながらいつもの想像に妄想を交えて解説してみたいと思います▲目次へ▲3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由この映画の主人公はタイトルにある「すず」こと「ベル」こと「そばかす姫」 なのですがではタイトルにある佐藤健演じる「恵」こと「竜」をなぜ「そばかす姫」が救おうとするのか、ですがこれに付いて書いている文献は知る限り無くネットで検索しても出てきません。この映画を養護する方もすずと恵が惹かれ合う理由に至っては「すずとけいが惹かれ合うのは設定上の必然」の一言で済ましている位です。つまり、「すずが恵を救おうとする理由が分からない」事でこの映画に今一つ感情移入が出来なくてモヤモヤする鑑賞後感に陥る事がこれ程の酷評に繋がっているのではという印象がある様に思います。確かにこの映画は 先程語った様に映画を鑑賞した殆どが方が演出意図を理解できずに居る状況を意図的に誘発させる様な「説明」を廃した所に要因があると言えますがこのあたりは当初、映画を鑑賞した鑑賞者が後に映画のサイトにアクセスして物語の鍵となるアイテムを自主的に調べてくれる事を想定して造られたリチャード・ケリー監督の『ドニー・ダーコ』の様な、元々の原作に描くべき物語があるのに監督が個人的心情を投影し過ぎて物語世界を破壊した実写版『魔女の宅急便』の様な、本来なら「アウト」な造りのこれらの映画と同じ造りで出来ている失敗作ではないのかと思っていたのですがそれはどうも違っていた様でともあれ映画の中にはそれを知る大きなヒントとなる場面はありました。それはすずの母の「死」です。それが「竜を救う理由」と どう繋がって行くのか順番に説明して行きます▲目次へ▲■3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由■a.死を掛けた母の行動が理解できないすずすずの母はすずが子供時代に川の増水で中洲に取り残された子供を他の大人たちが何もせず諦観している中でただ一人危険を犯して川に入り救助して濁流に飲まれて命を落としています。すずは高校生になっても母親の取ったこの行動が理解出来ないままで居ました。普通に考えれば「そういう事が見逃す事が出来ないそういう人」という事になりますが、もう少し考えると「眼の前で困っている人が居るのにそういう事を見て見ぬふりをする様なそんな所を子供には見せたくない」という、すずの母の「生き様」を見せた場面であったと捉える事が出来ます。ちなみにこの作品の批評で「親なら子供が親を失くす事がどういう事なのかを考えて行動するべき」という「母性」を切り口で批判するコメントを目にしますがリスクはどんな事にも存在しますし事故を起こせば「死ぬ」という理由で「車」を運転しない人はこの世に居ないのと同様でまして「母性」も全く関係ありません。つまりそこに、「他人の為に命がけで行動した挙げ句、本当に命を落としてなぜ実の娘のよりも他人を選んだのかそんなに自分の家族の事よりも自分の正義感の方が大事だったのかこれはただの無鉄砲で自己満足の欺瞞じゃないのか」というすずの私情が絡む事ですずの、父との親子関係をこじらせた理由が少しずつ見えて来る事になります。当然、父はすずに母の真意を話して説いたと思いますが自分より他人を選んだ母親への不信感と不公平感は拭えずそれが父との親子関係だけでは無くて他人との間にも壁を生む事となり他の人へ心の声となって伝える「唄声」が出なくなる理由に繋がります。「唄声」が出なくなるのは医学的な精神的ショックによるものなのか学名なり理由なりあるとは思いますがここではあくまで映画を解説する上の演出としての効果を狙った主人公の特徴のひとつとして捉えるに留める事として・・・その後すずが仮想世界Uに引きこもる様になるのもそこでは「唄声」が出るのもそうして誕生するアバター「ベル」が自分自身の「心」となって投影できるまるで 本当の自分 として振る舞う事ができるもう一人の自分となった事でUという場所が周りには自分の事を知る者は無く世の中のしがらみや悩みや自分の問題など全て切り離して 自分を投影できる安らぎの地となった事が理由と言えますしかしそれは逆に言えば、すずがこの世の中を 不公平で残酷 なものと捉えて本心を晒せる様な所ではない と考えている証だと言えます。▲目次へ▲■3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由■b. なぜ竜に「あなたは誰?」と問いかけたのかそうしてベルはUで大スターの歌姫となりますがそんな折、Uでの正義を謳う自警団に追われる乱暴者 竜 が ベルの前に現れます。晴れ舞台となったコンサートを邪魔した乱暴者になど普通ならかかわり合いにならない様に逃げ出す所ですがなぜかベルは 竜 に対して「あなたは誰?」と問いかけ竜は「俺を見るな」と答えます。この一連のやり取りが非常に不自然で加えて自警団の振る舞いもヒーロー映画の亜流の様な陳腐さがあり現実世界と比べて「U」の描写が「演劇的」なのが「違和感」となった事がなぜベルが竜にこだわるのかが万人に理解できない障害へと発展して行った要因と言えますがこれは「U」という場所が「アバター」ごしに交流するという性質から全てのユーザーが何かを「演じている」事による「U」ならではのコミュニケイトの姿だと捉えればこの「違和感」とはこの先「メタバース」がネット社会の要素として加わった時にひとつの「予想」を描いたとも取る事が出来ますそこで、この場面の意味を別の面からも捉えながらいつもの「妄想」を交えて紐解いてみますと・・・映画が進むに連れ、ここで登場した正義を謳った自警団は自分が理想に思う正義を掲げて周りに押し付けるだけのかつて、コロナ禍で里帰りした東京ナンバーの車に「帰れ」の張り紙をした様な者たちと変わらない自分の正しさのみを主張して道理を無視する、目が曇った様な連中だと言う事が分かりますし細田守も、明らかにそのつもりで作っていると思われますのでつまり、ここでベルは竜 の背中のマントの模様が「暴力を受けたアザ」の様に見えた事で竜が大勢に「虐待」を受けている様に思った事が分かります。しかし周りの説明ではあのアザは武術ファイトで付いたもので武勇伝の様に見せびらかしているのだと誰もベルの様には受け取っておらず実際に被害を受けているのは自警団の方ではあるのでどうして自分だけがそう感じるのかここの時点では分からなかった事で思わず「あなたは誰」と口にしたと考えられ竜も 自分のリアルでの事情がベルに見透かされた様なそんな感覚に陥った事で「俺を見るな」という一連の流れの理由が見えてきます。なぜマントの模様がベルには虐待のアザに見えたのかですがこれは、顔のそばかすが自分の特徴としてアバターのベルの顔にも模様として付いているすずだからこそ、気が付いた事だと捉える事ができすずがUに始めてアクセスしてアバターを決めた時にそばかす がアバターに顔の模様となって現れると戸惑うような、腑に落ちたような表情をする事からその様な身体的特徴の中でも、特に「劣等感」に繋がる「痛み」を伴う様なものがアバターの一部となる意味を誰よりも知るすずだから竜 の背中の 異様な形をした模様を見た瞬間何かのとてつもない「痛み」の現れだと看破したのだと思われそれはタイトルになぜ「竜とそばかすの姫」とあるのかという同じ「痛み」を知るもの同士を描いたものだという隠された理由にも繋がって行きますベルが竜にこだわる様になる理由はもうひとつありそれは正に自分だけがそう感じているという点にあると言えます。ベルのステージを観る為に集まって来た観客たちは眼の前でステージを台無しにしている竜に敵意を剥き出しにして非難を始めます又、自警団は正義の名のもとに自分たちの正当性を周りに知らしめる演技じみたパフォーマンスを繰り広げます、つまり今の状況とは誰も 竜の味方をする者は無くまして竜の事情を察して 救おうとする気など無く大勢が状況をただ 諦観 しているという事になりますそれは丁度 すずが子供時代に見た中洲に取り残された子供が居るにも関わらず誰も救おうとはせず大勢がただ諦観していたあの状況に酷似していた訳です。少なくともすずはそう感じたと言えます。その、子供時代の記憶と眼の前で起こっている事がすずの中で重なりあの時、唯一子供を救おうと行動した母の様に唯一、竜 が虐待を受けていると感じたすずが後に恵達兄弟をDVから救おうと行動する様に恐らく無意識に自分がするべき事を悟り又、そうする事であの時なぜ母は子供を救おうとしたのかを竜を救う事で母の行動を追体験して無意識で母の気持ちを理解しようとした のが理由だと考えられます。又、ベルが竜に惹かれる様に行動するのも親から虐待を受けても「諦観」され誰も救ってくれない世の常を腹の底から経験している竜に対して、同じ様に眼の前で母が一人川に入っても周りが「諦観」して誰も手を貸さなかった世情を経験をしたすずが察して同じ痛みを持つ者同士のシンパシーを感じた現れだと捉える事が出来ます映画は竜の城で『美女と野獣』の場面を模した有名なダンスシーンを再現して『美女と野獣』の共通点をアピールします、それはこの映画のベルも『美女と野獣』のベル同様に『乱暴者』と謗られる竜の本心を察して共感出来る、唯一の味方として描いているという描写やセリフを使わず映像で示す極めて映像作家らしいやり方での観客へのサインの現れであると言えます。この映画で唯一『美女と野獣』と異なる点があるとしたら野獣に当たる竜だけでは無くすずまでが偽りの存在である点です。従って、『野獣』に当たる竜を現在の状況から救う為にはどこかでベルはすずに戻る必然があった訳です。これは 竜のオリジンを突き止めて恵のPCカメラの中継にすずが語りかけて恵に拒否された時に「しのぶくん」がすずに言った事でもあるので一見、突如おかしな発言をした様に映ったこの場面での「しのぶくん」の発言の根底にはこの様な理由があった事が分かりますそういう流れですずは自らアバターを消去して本来の自分を晒す事となって行きます。しかし本当に竜を救うには竜が恵に戻った時恵を虐待する父親と対峙しなければなりません▲目次へ▲■3. 主人公ベルが竜を救おうとする理由■c. 恵の父親が腰を抜かす本当の理由とはしかしここですずが一人で虐待親と対峙する姿をクライマックスとして描いた製作者側の意図は恵達の盾となり仁王立ちするすずに 恵の父親がひるんで動揺し腰を抜かした末、退散するという顛末が多くの鑑賞者の目に絵空事に映った事で賛否両論の不評を買いましたしかし実は説明すれば 誰もが納得 する様な、恵の父親が腰を抜かした本当の理由があったのでしたそれを説明する前に、まず製作者がこの場面で描こうとした真意は何だったのか、考えますとそれは、暴力者の恵の父親がどんなに凄もうともアノ時たった一人で濁流と化した川に何のためらいも無く入り子供を救った母の様にたとえ傷つけられて血を流そうとも眼の前で助けを求める人間を見て見ぬふりは出来ないそれは自分が信じる正義を押し付けて道理を無視する者やネットで別人格になり現実逃避する者や匿名を理由に人を批判しかしない者や無鉄砲な自己欺瞞をする者や外面と内面が全く違う様な者には決して出来ない自分が自分であるが故に自分の 偽りのない姿をためらいなく見せありのままに行動するそうする事で 自分の力で立つ 事ができるこれが自分であるという意思を貫く「信念」の姿を見せる事だったと思います。先程の、なぜ恵を救うには「ベル」の仮面を脱いで「すず」に戻らなければならなかったのかという理由がここにある訳ですすずは恵達を救いたい一心からUで自分の姿を晒して心のままに唄った時に子供を救うため死をかけて濁流に飛び込んだ母の気持ちとリンクしてようやく母の真意を理解しますそうして母が死をかけて示してくれた教えを胸にすずは何のためらいも無く恵達の盾となった訳です。そうして恵の父親が腰を抜かしてアワアワ退散するのが多くの方が観ていて違和感を感じる意味不明な印象を与えた訳ですこれは実は多くの人が忘れている、この様な人物が腰を抜かす、もっと正確に言うと「立っていられなくなる」極めて 単純な理由 がありました人前では良い人間を演じて大柄で力が強そうな立派な身体を持ちながら裏では子供に手を出してストレスを発散するような安い腕力に薄っぺらで弱い心しか持ち合わせない信念の欠片も持たない様なこの様な男にとって腕力がある訳でも特別な力を持っているわけでも無いどこにでも居る様なひ弱な少女が自分の知り得ない景色を見た目で見据えて強固な信念を抱き立ちふさがる姿は破壊的なまでに劣等感を苛まれアイデンティティーが揺さぶられる理解不能な 「恐怖」でしかなく振り下ろそうとする手がどうしても振り下ろすことが出来なくなるのも家庭内DVが眼の前の少女に知れてしまった事への激しい 羞恥心 に襲われた現れと言えますまずそれが男の手を止めさせた理由だと言えますがこのあと 腰を抜かす理由 はこの様な事を やらかした時にどうなる かを考えれば分かりますそれは恵の父親が大きな声を出して威嚇しても微動だにしないすずに動揺している時の事です恵の父親に異変が起こります握りしめた拳が緩み初めて、アワアワうめき声を上げ瞳孔が開いた様な眼のままでぐらつき 遂に腰を抜かしますこれは一体恵の父親の中で何が起こってこうなったのか、想像して、少し妄想も加えて 解説してみますと・・・大きな声を出して威嚇しても全く微動だにしないすずに動揺している内に血が登っていた頭が冷えたのか今の状況を客観的に見るだけの精神的余地が出来ますすると今自分が居るのは自分の近所の道路のど真ん中でかばい合っている兄弟と、その盾になっている少女を殴りつけようとしているのが ご近所から丸見えというその事にようやく気付いた恵の父親は握った拳の力が急に抜けてこの様な言い訳が出来ない状況に自分自身が動揺してううっつと、思わずうめき声が出ます加えて すず がここに居る事から自分のDV行為が全世界に中継され晒された事実を思い出しハッとなりこれまで自分が子供達にしてきた事や、今こうしている事が紛れもない 犯罪行為 である事が分かり「あっ」となり頭が真っ白になってやがて立っていられなくなり腰が砕けて道に座り込みますそうして今更ながら大変な事をやらかした事にようやく気付いてだんだんと顔面蒼白となり今度は 警察に逮捕される というとてつもない危機的現実が迫っている事に怯えながら「俺は警察に捕まるのか?牢屋に入るのか?」という眼ですずを見ますすずの顔には先程の怒りの表情は無く「私は二人を暴力から守りたかっただけ」という眼で静かに見下ろすだけでした恵の父親はこの後どうして良いのか分からずにとにかく逮捕されるのが怖かったのかパニックになり何処ともなくアワアワと逃げ去った と言う「警察沙汰になる事に怯えた」 態度を描いたのがこの場面がこう描かれた本当の理由だたと思います実はもう一つこの人物がこの様なまるで怒られる事が怖くて逃げ出す子供の様な態度で逃げ出すこの態度に隠された大きな理由があるのですがそれはこの後 ■恵の父親はDV被害者?■の項で説明するとして・・・ともあれ映画ではたまたまこの男が「腰抜け」だったからこうなりましたがこれがもっと邪悪なサイコパスな人間だったらすずは殴り殺されていた可能性もあったわけですつまりここでの絵空事にしか映らなかった顛末や警察が怖くて逃げ出した無様な態度は実は問題では無く死をかけて少年を救った母同様すずはその為ならこの男に殴られ 死んでも構わないと思っていた事がこの映画が語りたかった 真意 だと思いますそしてこの強さは、人であれば 大事な人を守る為ならば 子を持つ親であれば誰もが持っているものでありそれはネットで匿名でSNSに投稿してともすれば誹謗中傷に当たる様な行為を続けて近年、番組の設定を演じていたという事だけでそれを勝手に真に受けた 一部心無いSNSユーザーからのいわれのない悪意ある誹謗中傷に傷ついて自殺しその罪を指摘されたユーザー達全員が罪に向き合う事もせずに当該の書き込みを削除して逃げた女子プロレスラー自殺事件での一件の様な分からなければ何をしても構わないと考えている内にそれはだんだんと麻痺して行き自分でも知らないうちに犯罪的行為を行った末それを指摘された時 社会的責任を取らずに警察に捕まるのが怖くて逃げる様な行為しか取れない内は絶対に手にする事は無いのだと他でもない ネット全盛の現代に生きる私達への警鐘 の意味でもあったという事だと思います▲目次へ▲4.恵の父親の態度から見える恵達のその後とはこの場面が「意味不明」に見えるのは、描くべきプロットに対して映画が描くべきパーツが絶対的に不足しているそれを「意図的」に行っている脚本と演出にあると思われますそれがなぜ分かるのかは後ほど語るとして・・・特に「なぜ大人が同行しない?」という声が大きかった様に思えますがこれは当初本編を観ていてた私もそう思いましたのでそれが『ダメ映画』『失敗作』と多くの方が思ってしまう所だと言えますしかしこの一連の流れを検証しますと私を含めた多くの鑑賞者が肝心な点を見落としている事に気づきました 故になぜ大人が同行しない 本当の理由は後ほど解説するとして・・・この場面が批判されるのはDVの場面が余りにも生々しく描かれた事で本来なら「フィクションのマンガがやる様な事」で済むことが物語と現実が同一線上のものとなりこの映画で行われている事がDVに対しての解決法かの様に映ってしまっている事に対しての拒否反応と違和感だと言えますここではなぜこの様な場面を作ったのか本当は何をしたかったのか、その意図を探りその意図を正しく読み取った後に改めて批判をするも良し、再評価するも良しという訳でなぜこの場面はこうなったのか、加えて 恵達はその後どうなるのかをお得意の妄想を働かせて解説してみようと思いますw■Uでベルが自ら自分の姿を晒す場面で自らアンベイルするすずに対して自警団のリーダーは分かりやすい位物凄く大きな演技で動揺するのですがこれは恵達の盾となって立ちふさがるすずに分かりやすいくらい大きな演技で腰を抜かして動揺する虐待親の姿と表情も態度も 全く同じ 事が分かります実はこれは自警団リーダーも恵の父親も 本質的には同類である事を示す サイン でこの表現の一致に気付けば虐待親が すず に対して腰を抜かして動揺するのも結局は自警団のリーダーと理由は同じで「真の自分を晒せる信念」に恐れおののいた現れでありその様な安っぽい人間に「信念を持つ人間を殴る勇気」など持ち合わせている訳が無い事が見て取れますしかし映画の中でそれを示威的に示唆してないので映画を批評できる位の映画ファンであればともかく一般の鑑賞者がこれに気付く事はまず無い所に炎上した一つの理由があると思われますあるいは、ここでの暴力父親の虐待行為が口では「ルール」を語りながら 殆ど理由という理由など無く非常に幼稚な衝動によって衝き動かされている事を見て取る事が出来れば自分の思い通りにならなくなった癇癪で大好きな「玩具の電車」を手にして妹をぶつ様な「未来のミライ」の4歳児が取る行為と重なる所がある事に気付き「未来のミライ」の4歳児の様な子供が、未来のミライが現れずそのまま間違ったまま育ってひねくれて、頭だけ利口になった大人になったら自分の子供が思い通りにならなくなると大好きな「理屈」を武器に自分を正当化して子供を殴り付ける様な道理の理解できない「幼稚」な人間がこの様になるという事が分かるのでその切り口でも理解につなげる事は可能だった訳ですしかし、Uに集まるユーザー達の実態を描いた一連の描写で訴えたい事を言い切った 感があるのでこれらを示唆する分かりやすい演出が無かった事が本作の賛否両論に繋がったと言えます。しかし近年の作りたい作品作りを止めて観客が理解できる造りに落とし込んで成功した「君の名は。」の新海誠の様な例や20年以上続けてきた世界観を無かった事にして主人公達と捜査一課の刑事たちとの微妙な関係を突如分かりやすいステレオタイプな対立関係で描き出した「相棒」を制作し英国女王陛下の葬儀を「壮大なショー」と不謹慎発言をする某TV局の様にともすれば「これくらい分かりやすくしないと理解できないだろう」と「こういう発言を好んでる」と観ている人達を「その程度」だと捉えている疑いが近年の映画界TV界には観られる事を思えば「観てくれている人はきっと分かって観てくれる」と信じて分かりやすい映画を敢えて作らない細田守は私達観客をその様には捉えていないと考えれば(※と細田守は思っているとウチが勝手に思っているダケですがw)そんな細田作品を批判するのはもう一度よく考えてみた方が良いかもしれないと思ったりもする訳ですwそこでもう一つ考えたのが細田守が「すずに恵達だけでは無くDVの衝動に捉われる父親の心も救わせた」可能性ですというかいつもの妄想に近い想像ですがwそう思う根拠は 恵の父親が邪悪な人間では無く心が弱く腰抜けに描かれていた所にあります恵の父親が邪悪で改心不能なサイコパスな人間であれば警察に逮捕されるしか恵達が救われる道は無いのであの場面を締めるには逮捕場面を入れる必要があるわけですそれが無かったのは細田守の中で恵の家庭のDV問題の解決は映画が描く問題では無いと捉えているからだと言えますつまりこの問題とは私達の社会が抱える社会問題なのであり社会全体で取り組まなければならない私達が抱える私達の問題なのであり一映画監督が映画の中で解決出来るような事ではそんな問題ではあり得ない無いという事が恵の家庭のその後を映画のみならず小説版の中ですら描かない理由だと言えますこの場面のやり取りを多くの方が「絵空事」だと批判されましたがこの父親が逮捕されて恵達がDVから開放されてめでたしめでたしという絵面を入れる事の方が映画的には助長でありむしろその方が「絵空事」だと言える訳ですとは言え 妄想が十八番のウチとしてはwその「絵空事」を敢えて想像しますと・・・父親が逃げ去った後 恵は「戦うよ」と言ったのでそれが父親を警察に突き出す事を示唆する様に捉える事は出来ますがその後 恵は「立ち向かう」とも言っていますそして すず が立ち向かった結果父親は憑き物が落ちる様に腰を抜かしますので恵の言う「立ち向かう」とはその様な父親と「戦う」という意味よりも父親のDVを止める為に「立ち向かう」と語りその為に「戦う」と答えた可能性が考えられます更に、この父親はすずに上げた手をどうしても振り下ろすことが出来なかった事から家庭内DVを犯す様な人間ではあっても初対面の見知らぬ少女にまで暴力を振るう様なその一線だけはさすがに超えてはいけないというそのように まともに考える頭だけはギリギリまだ残っていたという事が見て取れるのでこの父親にとって すず との対峙は衝撃的な出来事として記憶されこの体験から二度と子供に手を上げる様な衝動に駆られる事は無くなったかもしれませんしその可能性は高い様な印象もありますその様に捉えてこの一連のやり取りを観れば恵の「戦うよ」というセリフの意味も父親に立ち向かうすずを観て父親を改心させる道も見えてきた事でこの父親とは本当は心が弱いだけの善人で仕事のストレスで人が変わってしまった本来の父を取り戻す為に家族として戦うという全く違った意味にも捉える事が出来ます「サマーウォーズ」では クラックAIをプログラミングしてやらかした入り婿の隠し子も最後は改心した展開の様にU の中では匿名のアバターとなった事で誰彼構わず言いたい事を言いたい放題言ってきた利用者達がすず の唄に感動して一つになった様に信念を持って立ちふさがる すず にどうしても手を振り下ろせなかった恵の父親も何の信念も無ければ目が覚めるのも早いだろうと捉えるとこの後桂の父親は警察に逮捕されたとしてもすず の行動によって目が覚めて憑き物が落ちる様に 元の人格に戻り追い詰められる様なストレスからDVに駆られる衝動も消え去りすずによって心が救われたという描かれないエピソードが存在したかもしれませんし何よりも自分の映画を理解して愛してくれていると観客を信じている細田守を私たちは信じるべきなのかもしれません■当然、これがDV問題の真の解決とは言えません又それはこの映画のテーマでもありません。又、時には死をかけて行動する「信念」を持つ事を提唱している訳でも当然ありません。従ってこの映画のこのクライマックスが世界的な映像作家の立場にある細田守が細田流DV問題の解決を世の中に提示した様に映るという誤解を与えた可能性を考えても本来なら評価する事は無い映画ではありますまた今回のレビューはこの映画を養護する意味で書いた訳では無くこの映画の真の狙いを書く事で再評価をされるならあるいは批判を受けるなら受けるで誤った見立てでは無くてどちらも正当な形で受けてもらいたいというウチの偏狭で歪んだ映画愛からの上の事でもありますともあれ、この映画が多くの映画ファンに批判される様な物語に問題を抱えた映画でありながら圧巻のビジュアルと音楽で心を揺さぶるほどの感動をもたらすのはこの映画が本当に描きたかった事がネットが匿名を持った別人格を生み出す温床となる危険性を示唆しながらネットに集う人々の良心を信じて信念を持つ事の 意味を問う事 だったからでありそれは 信念を持った人にしか見えない事だという細田守のいささかひねくれた心情が絡みつつそれを「理」で諭すのでは無くて映像作家らしく映像で表現し映画の理解に繋がらなくても感動に結び付けた細田守の演出力が魅せた映像詩としての作品でこの映画への感動とは我々の心の奥に必ずある「信念」の琴線に「良心」が触れた現れなのだと思うのでした☆▲目次へ▲『PART2 補完編』「もっとディープに解説」-前のり編-(文字数制限で掲載から溢れた分をコチラに特別掲載w)■a. 恵の父親が窓を眺めていた訳■さてwここからは『PART2 補完編』「もっとディープに解説」と謳い本作への主な批判を紹介しそれはどの点を批判しているのか検証し疑問に回答し場合によっては論破したりw本作で疑問に思った様々な事柄をさらに深く掘り下げて解説して行きたいと思いますまずは、映画が進んで1時間43分辺り恵が再びPCをオンラインにした時すずがしのぶくんに抱きついた後の窓の外を観ていた恵の父親がスマホの動画に自分のDV場面が流れている事に気付いて「何だこれは」と驚く場面でこの時恵の父親が窓の外を眺めている間一体何をやっていたのかという疑問に付いて解説します■この場面は 流れとしてはアンベイルしたベルがすずの姿で唄い、全世界が感動した事でその様なベルを粛清しようとしたジャスティン達への民意が消え去り全てのスポンサーが撤退して事実上ジャスティン達がクビを宣告されたその後に当るので窓の外を眺めている恵の父親の姿が「U」でクビを言い渡されたジャスティンと状況的に重なる事から恵の父親が「ジャスティンでは?」と疑う場面という事になります恵の父親のジャスティン疑惑に付いては次の頁で詳しく解説しておりますので 後ほどご参照頂くとして・・・この場面の恵の父親の態度で考えられる事は3つあります一つは「普通に『U』での出来事を鑑賞して感銘を受けていた」これがタイミングとしては一番しっくりしますし恐らくこれが理由だと思いますがそれでは余りに「普通」でw・・・何か他のものを感じる様な引っかかるものがある様な印象を受けるものがあります2つ目は「ジャスティンの組織が解散し潰れた会社を畳む様な気持ちでいた」ベルにしてやられた後ログアウトしたジャスティンの様に見えるのがその様に見せるのですがもしそうであるのならば、それにしては悔しがっている様子もなく深い表情で静かに佇んでいるのが印象に残りますので子供にDVをする様な異常行為をする様な人物ですが世の中の巨大な力に抗えない摂理の様なものを噛みしめる様な弱くて無力な自分を分かっていて力が無ければ潰される世界の中で生きて挑んで潰されその度に又這い上がりそして潰されての繰り返しの人生に夕日に重ねながら回顧する様な眼で眺める姿に映る所がこの人物の心の奥の素顔に触れた様な印象を受けるものがあります3つ目は「ジャスティンへの出資を停止した出資者」という理由ですこの場合はこの人物は相当な資産家で投資ビジネスで資産を増やしてきたという経緯が感じられるものがあり沈む船から撤退する様なこれまでも世の中の浮き沈みを目の当たりにして来たそんな人物が見せる横顔という事なのかもしれませんという事ですが、これはこの中のどれが当てはまるのかという事では無くこの人物の裏の顔は何なのか?というジャスティンなのかどうかの疑惑を残す為の布石としての演出なのではという印象がありますつまりこの人物がジャスティンかどうかの「真意」を問う為では無くて「疑惑」を残す事自体を目的にこの場面を作ったと言う事ですそれがなぜ分かるのかというのはこの人物が「ジャスティン」であるか否かは問題ではなくジャスティンと「同類」である事を印象付ける演出上の「サイン」としての布石を映画が必要としていて丁度この場面がその役割を果たしているからが理由になりますなぜその様な布石が必要なのかという詳しい理由は次の頁に詳しく解説しておりますので ご参照ください☆▲目次へ▲『PART2 補完編』「もっとディープに解説」-前のり編-■b. 恵の父親もDV被害者?■これは幼少から親から虐待を受けて育った子供が親子関係の「中心事項」となる対人関係が「暴力」でしか繋がれていない様な異常な状況の時虐待を受ける中で作られた親との関係性が「人との繋がり方」の全てとなって自分が受けてきた事と同じ事を相手に行ってしまう といったDV被害者が成長し成人して結婚して子供をもうけたときに親から受けた虐待を今度は自分の子供にしてしまうという『虐待の連鎖』と呼ばれる虐待の関係性が連鎖する事が約3割の確率で起こる事があるとされていますこの『虐待の連鎖』に付いては次の頁の■6. 竜はなぜ「U」全体から迫害を受けるのか■e. 竜への迫害は竜自身が原因■8. 恵はすずに振られたのか?■g. DVの連鎖を断つという意味の所で詳しく解説していますのでご参照頂くとして・・・この『虐待の連鎖』という言葉は非情にデリケートな言葉でともすれば「偏見の温床」となるものでもありDV被害を受けた人達が せっかくDV被害から逃れても今度は社会から 第二のDVと呼ばれる「社会的スティグマ」つまりは一般人がにわか知識で得た誤った認識によって貼られた偏見のレッテルによってDV被害者が「危険人物」かの様に見られてしまい不当な差別を受ける被害の事でこれは社会問題になっている事でもありますので注意が必要ですつまり『虐待の連鎖』というより『虐待の関係性が連鎖する』事によってDV被害者が新たにDV加害者になるとされている訳です恵の父親は 見るからに傲慢で尊大な体つきもガッチリとした体格の大男で東京の高台の一等地に家を構える様な金持ちで恐らく高学歴の頭が良さそうな人物でありながら自分の息子に「価値がない」という言葉を吐き暴力を加える「異常者」としか言い様の無い人物ですしかしこの様な人物がなぜDV加害者になったのかという経緯は母親が居ない環境で仕事も子育ても兼ねなければならないストレスから人格が変わったとも考えられますが先程の『虐待の関係性の連鎖』によってDV加害者になったというかつては親からDV被害を受けていたという経緯が感じられます例えば、雨の坂の場面ですずと対峙したこの人物はすずには大声で威嚇するばかりで殴りつける訳でもなく虚勢を張った末に腰を抜かして逃げ出す所などは「腰抜け」と一括するよりは別の何かを感じるものがありましたつまりこの人物の中身は外見の尊大さとは異なりひどく怯えた子供の様な内面を持っている印象がありすずの信念を持って見据えて立ちふさがる態度の中にかつて子供時代に父親に暴力行為を受ける直前の自分を見下ろして見据える父親の態度が重なってそのトラウマが蘇って子供の時の様に逃げ出したという事かもしれませんこの、すずを見て突然腰を抜かして怯えて逃げていくという一見 意味が分からないこの人物のおかしな行動の中には幼少時代から親からのDVを受けそれがトラウマとして今も残っているという恵の父親がかつて親からのDVを受けていた経緯を感じさせるものがあると言えますただこの理由だけでは ここまでの大袈裟な態度に現れる事に少し無理がある様な印象があるので実は他にもこの場面に付いて考えられる別の解釈がありますのでそれはこの後解説して行くとして・・・つまりはそれらの様々な理由が複合的に重なってこの人物をあれほどまでに動揺させたという事なのかもしれません又、この人物の家から感じられる裕福さと空虚さはかつてその様な裕福で高学歴な家族の中の家庭で育ち政治家 なのか 医者なのか 起業家 なのか 分かりませんがその様な 高学歴でなければ、頭が良くなければ、地位や名誉が無ければ、財産がなければ人として何の価値もないと言う極端に偏った価値観を持った親によるこの人物の厳格な家庭環境を彷彿とさせるものがありその様な威圧された環境での英才教育を力付くで強要をさせる様な親にはおおよそ「人の愛情」の欠片も感じさせない人としての大事なパーツが欠落した「空虚」なものしか感じられない事からその家庭環境がそのまま受け継がれていると捉える事ができます又、この人物の「親」の人物像も自分の子供が思い通りにならないと 力付くでも分からせ様としてきたDV親 だった事が想像できますそう考えますと恵に対して「何の価値もない」と言い放った言葉とはこの人物が子供時代に親から言われた言葉を無意識にそのまま自分の子供に言っているという印象があります更に考えますと、得意の妄想も交えて想像しますとこの人物はその様な『DVの関係性の連鎖』から逃れたくて 親とは縁を切り親とは違う仕事に着き、そうして財産も得て、優しい妻や子供にも恵まれて自分の力で本当の幸せを掴もうとしたというこの人物の過去の「DVの連鎖」を断ち切る戦いがあった事を家での傲慢な態度と坂道の場面の弱々しい態度とのギャップからその様に彷彿とさせるものがありますすずが恵達兄弟に立ちふさがった時この人物はどうしてもすずを殴る事が出来ませんでした又 「子は親の鏡」と言いますが 弟を守ろうとして父親の暴力に耐える恵の姿は恵の父親が恵位の年の頃の少年時代を彷彿とさせるものがあるとすればつまりは恵の父親は本当はこの様な乱暴な人物ではなく本来は優しい男である事を物語るものがあります又 この人物の妻も結婚した経緯がその様な内面を知っていた最大の理解者だったという事実があったのかもしれませんそんな折に愛する妻を失った事はこの人物にとって人が変わってしまう程の耐え難い悲しみだった事が想像出来ますそれによってかつてDVの関係性で認識された「自分は価値がない、だから世の中は自分に残酷である、だから結婚しても幸せは続かず妻を失い不幸になるのは当然であり自分の運命である」という「ワーキングモデル」が再び心の中で蝕み始めて初めは、小さな事で腹を立てるようになった事がやがて 自分の思い通りにならない事の全てが我慢できなくなりまだ成長途中の自我が芽生えていない子供の混沌とした行動も許せなくなり力付くでも思い通りにさせようとして暴力を振るうようになって行ったという経緯を感じさせるものがあります又、更に考えますと この人物の父親も同じ様に厳格な家庭で育ち戦前戦後昭和の時世の厳格な親による暴力まがいの狂ったスパルタ英才教育を受けて来た経緯が感じられます恵の父親を「異常者」として括るのはこれまでの子供に行ってきた尋常ではない「罪」がそうさせるものがあるので致し方ない事ではあってもその様な『虐待の連鎖』が家族で受け継がれてきた事が背景となって被害が子供に受け継がれて来たという事であればこの様な家庭が持つ独特の「閉鎖感」がその温床となる一つの大きな要因として問題視すべき所だと言えます「SDGs」の取り組みにより誰も取り残されない社会が叫ばれる昨今社会人として生活する私達に出来る事があるとすれば人との関わり合いの中で誰かが疎外されない社会を目指すことがこの様な家庭を減らして行く事に微力ながらも繋がるのではないかと思う所でもあります☆▲目次へ▲■中洲の場面で「すず」の手を取ったのは?■これはこの後の「補完編11] で書くべき事なのですが「補完編」は文字数制限を越えてしまいましたので「前のり」でコチラに掲載する事にしますw映画が始まって9分辺り「中洲の場面」で濁流になった川で中洲に取り残された子供をすずの母が救いに行った後子供が救われても母の姿が無く行かないでと泣きながら濁流の川へ向かうすずの手をばっと握る誰かの手が映るのですがあれは状況的に 小さい頃の「しのぶくん」の手だと思いますしのぶくんは家族と来たのかすず達に付いて来たのかあの時面識があったのかどうか定かではありませんが重要なのは 手を取ったのが「誰」では無く「なぜ」手を取ったのかにあると言えます当然、濁流の中に入ろうとする「すず」を止める為ですがこれはこの場面に限らず「しのぶくん」が「すず」に対して取る全般的な「行動」の意味に関わって来る「布石」として重量な場面だと言うことになりますあの時「しのぶくん」も「すず」も幼く中洲に取り残された子供を単身救いに行くすずの母に手を貸す事も出来ず、ただ見守るしかありませんでしたそれは「すず」にとってみれば「母を失う自分」を救う事が出来ない事を差し「しのぶくん」にとってみれば「母を失うすず」を救うという事が出来ない事を指す事になる訳ですつまり すずの母の死は「しのぶくん」にとってもどうする事も出来なかった自分の無力さを痛感した一生忘れられない「心の傷」を受けた出来事となったと言えます「しのぶくん」がどんな小さな問題でも「すず」の身に起これば真剣に「すず」の力になろうとするのもそういう時の「しのぶくん」が ひどく張り詰めた様な尋常ではない「何か」を感じるのもあの時 眼の前で「母を失うすず」を救えなかった「無念」があってあれから何年も経った今も自分自信を責め続けて「すず」だけは何があっても自分が守るんだと未だに母の死を乗り越えられない「すず」を支えようと「しのぶくん」を駆り立てている現れだと言えますラストシーンで「しのぶくん」が「やっと開放された、もう守るんじゃなくて普通に付き合える気がする」と「すず」に告げたのはこれまで「すず」が母の死を乗り越えられずにいて中洲で母親を失って只々泣き崩れる無力な幼い少女だった頃と何も変わらなかった事で「しのぶくん」もそんな「すず」を変わらず ずっと見守り続けてきた事で2人の時間は「中洲の事件」移行ずっと止まったままで居て実は「しのぶくん」も「すず」同様「中洲の事件」を乗り越える事が出来ていない一人だった事がこれで分かる訳ですそして人前で唄えず、怯える様に引きこもっていた「すず」が「竜」の件で積極的に利他的な行動を取る様になった事で「しのぶくん」も「すず」も お互いの「止まった時間」から解き放たれて誰かの為ではなく、誰の目を気にする事なく、他の誰でも無い自分の為にようやく高校生らしい新たな一歩を歩み始める事が出来る様になったという事なのでしょう映画が終わった後の「しのぶくん」と「すず」がどうなるのかは想像に任せるとして・・・学校女子の憧れだった「しのぶくん」に対して「すず」がどうなるのかはこれから大変になるとしてもこれは「予想」というかいつもの「妄想」が入った「想像」になりますが・・・「しのぶくん」がクールでカッコいい女子達の憧れだったのはすずの件でいつもどこか尋常ではない位張り詰めて「すず」の事しか見えていなかった事が逆に他の男子には無い「クールな魅力」に見せていたとしてそれが全校女子の胸キュンに繋がっていたのだとしたら今回2人ともそれを乗り越えて穏やかな高校生らしい姿に戻った事で「ベル」という仮面を付けていた「すず」同様はからずも「クールな魅力」という仮面を付けていた「しのぶくん」の「魔法」も解けて相変わらずイケメンではあってもある意味「普通の男子」となった事で全校女子もそんな「しのぶくん」に自然と魅力を感じられなくなって憑き物が落ちる様に「しのぶくんブーム」も去り誰も「すず」と「しのぶくん」の恋路の邪魔はしない「ハッピーエンド」となるのかもしれませんという訳で 次の頁「もっとディープに解説」で又お会いしましょうw■『PART2 補完編』「もっとディープに解説」 に続く≫【Part2】のリンクは【コチラをクリック】【ブログ更新】『竜とそばかすの姫』すずが竜を救おうとする理由とは https://t.co/isyqMuhb7L #r_blog— Voyager6434 (@voyager6434) September 1, 2022※9月23日 金ロー放送に合わせて 加筆 修正しました☆批判の的となったアノ場面の後 恵達のその後とはを、妄想を交えて加筆して解説しておりますW【ブログ再更新】『竜とそばかすの姫』https://t.co/1aesek3wGP #r_blog #竜とそばかすの姫— Voyager6434 (@voyager6434) September 23, 2022【Blu-ray】竜とそばかすの姫 Blu-rayスタンダード・エディション [ 中村佳穂 ]価格:4481円(税込、送料無料) 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2022年09月01日
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☆TOPページARCHIVE☆『Wikiの写真で一言』-第13回-「OKサインはOKではない?」■■■もくじ■■■■イントロ■■2023年7月掲載■『wikiの写真で7月の一言』■今回の話題■■「OK」のサインは 欧米 では「NG」?■■ハンドサインの日本と海外との違い■■ピース■ ■裏ピース■■サムズアップ■ ■サムズダウン■■小指を立てる■ ■中指を立てる■■STOP■ ■バイバイ■ ■手招き■■OK■ ■指ハート■ ■ガッツポーズ■■人差し指を重ねる■ ■ペンで書く真似■■キツネ■ ■電話■■親指と小指を立てて下げる■■何かを絞る■ ■人最指と中指を重ねる■■人差し指と中指を曲げる■ ■人差し指と中指で目を指す■■人を指差す■ ■人差し指を立てる■■自分を指差す■ ■二本指で指す■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■▲目次へ▲■イントロ■巷は夏休みシーズン真っ盛りとなり各自治体も夏休み行事を再開させ「4年ぶり」を強調して集客に繋げる様アピールする中これまで自治体と新聞社によって2つの花火大会が行われてきた「とある地域」では2つを統合した花火大会にリニューアルする事を発表しこれまで2大会を行う事で招いてきた集客の分散によって大会開催で見込める経済効果を下回る事が問題視されてきた事を打開する為景気低迷で採算が取れない事を見越した2大会の予算を一本化し一大会で豪華な花火大会に統合させ集客も一本化させようとする県民の為のイベントを大成功に収めたいプランそのものは良いとしてより強化されたイベントになる事を強調し期待を高めながらも本大会より導入された1000枠の「有料観覧席」設置から見える実態はコロナ禍が去った後、降って湧いた様に増殖する年間行事の復活にリモートワークで慣れきった引きこもり体質に鞭打ち対応に追われる行政とお役所体質たる行政の欺瞞を暴き「社会の公器」として国民の「知る権利」を守る「リベラル派」な立場でありながら近年は情報不足な「ネットの風聞」ともとれないかのすっかり牙を抜かれたマスコミも結局の所「金」の問題か と見透かされるという・・・今日この頃をいかがお過ごしでしょうかこんにちはVoyager6434です月に一度wikiの写真に一言添えてトップページを飾る『wikiの写真で一言』今回はコロナ禍以降際立ってきた話題です▲目次へ▲■2023年7月掲載■『wikiの写真で7月の一言』 An Indonesian girl preparing to cook rice in the morning using an anglo, a clay pot filled with coal. The picture was taken in Imogiri, Bantul, Yogyakarta.(画像参照:wikimedia)女『は?・・・別に・・・飯 炊いてるダケっつ!!! すケド爆発物?・・・別に・・・日本の米炊いてるだけっつ!!! すケド怪しい?・・・別に・・・自分陰キャなだけっつ!!! すケド偏見は止めて欲しいっつ!!! すケド炊き方?・・・別に・・・コツならばーちゃんに教わってっつ!!! すケドこんな感じっつ!!! すケド・・・初めチョロチョロ・・・中・・・ドッツカーーーンッツ!!!・・・す ケド』警官『やっぱりアンタチョット署まで来てもらえるかっつ!!!』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、インドネシアの女性とは一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■信楽焼 いっぺん食べとくれ4合炊き黒色 土鍋 ご飯鍋 ごはん鍋 炊飯土鍋 日本製 明山【ポイント5倍/送料無料】【p0706】『始めちょろちょろ中ぱっぱじゅうじゅうふいたら火を引いて 赤子泣いてもふたとるな』日本で古くから歌い継がれてきたかまどごはんを炊くときの火加減を歌った歌が有名ですが、このごはん鍋ではそんな火加減は必要ありません。いきなり強火でOKです。その秘密は陶器の持つ熱伝導のスピードと保温性にあります。(※商品説明文より)価格:14,300円(税込、送料無料) (2023/7/3時点)■▲目次へ▲■「OK」のサインは 欧米 では「NG」?■■もはや「一言」では無く「コント」でしたがwさて・・・見た目で人を判断する「ルッキズム」と呼ばれる風潮がコロナ禍を通して世の中が「清潔化」した事により際立ってきたと一部で言われる様になるなど21世紀を20年以上経つ世の中になっても未だ人を判断する基準が「見た目」が左右させるのは人の「心」を推し量るものが依然「態度」で見極めるしかない「目利き」を必要とする故だからなのでしょうその「態度」を推し量る「基準」が近年揺れに揺れているというそんなお話です■見た目で人を判断する社会が極まってきているという話は映画レビュー『竜とそばかすの姫』の所で詳しくしておりますのでそちらをご参照いただくとして・・・今回はボディーランゲージとして日常で多用している「ハンドサイン」を取り上げようと思いますハンドサインは「いいね」する時親指を立てたり「大丈夫」「わかった」という時人差し指と親指を曲げて残りの指を伸ばす「OK」サインなどがありますがこの「OK」サインが欧米でいつの頃からか「OK」では無くなったという私達日本人には困惑するような状況になっている様です■2007年に性被害に対して「私も被害者だった」を表明する「#MeToo」という運動があったのですが、この「#MeToo」が徐々に浸透して巨大なムーブメント化して2017年には大物映画プロデューサーだったハーヴェイ・ワインスタイン逮捕に繋がった事件から以降この運動は世界中へと波及して日本でも知られる様になった事は記憶に新しいと思いますこの運動は男性社会だった欧米での女性の権利を向上させたとして新たな時代の幕切れとなったと称賛されたのですがその一方でそうした告発者の9割が職を無くしてきた現状を告発するものへと変貌したり黒人女性が始めた運動を白人女性が手柄にしてセレブ化した事を批判したり弁明をさせず一方的に糾弾する私怨が絡んだ行き過ぎた断罪を問題視したり逆に、フェミニズム的ハラスメントの風潮になっている事を警告したりと、この様なムーブメントが起こった時には必ずその裏でこの機に乗じて個々の思惑を達成させようとする無数の想定外の動向が群がる様に増殖していくというこうした、女性の地位を向上させるという本楽の目的を逸脱した便乗行為がスケープゴートをあぶり出す「魔女狩り」の様な風潮を生み出して結果的に社会に「混沌」を招いたりもするわけですその様な風潮になるとそれまで何の問題も無かった「言動」や「動作」が思いも寄らない意味で使われる様になる事があり例えば忌まわしい「事件」の逮捕者や中心人物などが好んで多用してきた「ワード」や「ハンドサイン」があったとするとそれが事件を彷彿とさせるものとしてイメージが定着して「ヘイトのシンボル」となり一般人が使うことが「NG」となる事がある様です「OKサイン」がヘイトシンボルとなったのは左翼系やメディアの怒りをあおる目的でとある愉快犯が投稿したものがきっかけだと言われていますが後に議員時代のドナルド・トランプが大統領選の演説でこの「OKサイン」を多用した事が決定打となって白人至上主義のシンボルに捉えられる様になった事が経緯だと言われていますが、諸説あるようですこの様な「ヘイトシンボル」は欧米の人種問題が根底にあるので全米が分断されたきっかけとなる「トランプ政権」を挟んだ白人至上主義を弾圧する一環としてネット社会を媒介して拡散される「インターネットミーム」的なものでもあるようなのでそれまで普通に話して来たワードやハンドサインがある日知らない間に全く違った意味として広まってしまうのはそのためだと言えますその様な中でこれまで馴染んできたものがいつヘイト化するかもしれないとして疑心暗鬼が広がる風潮に疑問視する意見も多くあり米国のアンチ・ヘイトグループも「OKサイン」がこれまでの意味として大多数が使用している事を認めている事からも言わば「ヘイトシンボル」とはいつの日か一般の元へと取り戻さなければならないものとしていわれのない汚名を返上しなければならないものでもあるので今は使用を控えるのが賢明であるという程度に留めるのが妥当だという事でもあるようです■という訳で今回は実際に日本で使用されるハンドサインが欧米ではどの様な意味で使われるかという「差異」を知る為いくつか例を上げて見て行きたいと思います▲目次へ▲■ハンドサインの日本と海外との違い■ではハンドサインが日本と欧米とではどの様な違いがあるのかを見ていきましょうこれは「I LOVE YOU」のハンドサインで小指が「I」人差し指と親指で「L」親指と小指と手首で「Y」を表しDAIGO的に「I・L・Y」で「 I LOVE YOU」になるという元々は米国の手話です日本でもSNSで広まり使っている方もいる様ですがロックのコンサートで「行くぜ!」の時に使う「コルナ」にも似ていますしかしイタリアでは「弱い子羊」を表す侮辱のサインにも似ているので欧州では勘違いした人間とのトラブルの種となる恐れもありハンドサインには国と文化の違いによって捉え方が異なるものがあり国によっての違いを知る事はその国の文化を尊重しようとする姿勢に繋がる事でもあるので社会人としては知っておくべき事だと言えます・・・それは良いとして「このチビ奈乃似の3D画像は何?」と言う方の為にwこれは「EasyPoser」というアプリで主にイラスト制作で描くのが難しいポーズなどをプリセットされた3Dモデルの関節を自由に動かしてポージングしたものを下敷きに絵を描くなどの目的で使用する3Dでポージングしたアプリのモデルを出力した画像です今回の画像はドローソフトで若干加工しましたがアプリには男女、大人子ども、リアル、アニメ的、他キャラクターが揃っていてカツラや靴、帽子メガネなどのアイテムを装着して学生服やパンツ&Tシャツ姿のキャラクターもあり車、自転車、バイク、楽器を持ったポーズなども作る事が出来便利ですちなみに キャラクターがなぜお腹を出しているかはこれしか無いという事でwこんにちは!iOSとAndroidで970万ダウンロードを達成した3D人体ポーズアプリ「イージーポーザー」のPC版をついにリリースしました!お待たせしました!どうぞよろしくお願いします!Steam https://t.co/mtXVsSmyBPiOS https://t.co/FRghzSBmv7Android https://t.co/v9OemRzoET#拡散希望 #EasyPoser pic.twitter.com/hrOBz04mfY— Easy Pose / イージーポーザー (@EasyPoser) June 5, 2020使い方は簡単で、選んだキャラに基本となるポーズを選択して後は関節を自由に稼働させて欲しいポーズを作っていくという直感的にも使えるので便利ですスマホアプリで300円~1300円位 PCバージョンで1300円位の安価なアプリなので 成約があり手先はプリセットされた形から選ぶしかなく指一本ずつ関節が動かせる訳ではない所や顔の表情も付けられない所は残念ですがアップデートに期待したい所です☆又、腕の関節を曲げると「ねじれ」が出来て見栄えが良くなかったりして今回ドローソフトで頬紅を入れたり口元をいじったり腕のねじれを無くしたり色味を変えたりと地味に修正してますので実際には下記の様な画面の操作となるのであしからずw選んだキャラがほぼ「奈乃」なのが笑えますW因みに、三姉妹を再現するとこうなります割りといい線行っているのでは無いでしょうかW「三姉妹」が何なのかは「コチラ」か「記事」でご参照いただくとしてw異なるキャラクターが並んだ時の顔の大きさとか調整が必要ですし服の選択が無いので全員腹を出してるしw髪型も色も違うしフォルムが自作の絵と異なるのが気になる所ですが髪型とか目の形とか身体のフォルムにこだわるならそれこそポリゴンから作れる本格3D ソフトを購入するべきなのでこのクラスのアプリであるならこれが限界でしょうか▲目次へ▲■ピース■さてこの「ピース」は世界的に「平和」を意味する他勝利を意味する「Vサイン」「絶好調」「愉しい」という意味で使われるのは日本と同じです「Vサイン」の由来は諸説ありますが第二次世界大戦終盤での欧州戦線でドイツを陥落させる為の合言葉に欧州で使われた「V for Victry」キャンペーンに端を発したというのが最有力と言われています対して「平和」を表す「ピース」という意味でも知られるのはベトナム戦争が泥沼化した70年代に当時の大統領だったニクソンが勝利の印として好んで使っていた「Vサイン」が「戦争」を象徴するとしてベトナム戦争に反対する層や当時の「カウンターカルチャー(対抗文化)」と呼ばれる若者の間から戦争そのものを無くそうというムーブメントが起こった時にこの「Vサイン」を掲げながら平和を唱えた事から逆説的に「ピースサイン」として定着したという経緯がありました911事件以後の米国が中東で軍事行動をしていた頃は「Vサイン」は平和を唱える「ピースサイン」としてだけでは無く当時の米国に対して「軍事行動反対」を意味する米国に敵対する側の意思を表明するサインとして捉えられる風潮があり注意が必要だった時期がありましたそれはジョン・レノンの名曲「イマジン」が戦争反対を意味する曲としてラジオ局などでもNG曲として流さない程「戦争反対」という表現は当時の米国では絶対「タブー」だった事を意味するものでもありでしたそれに対してカナダの大物アーティストで様々なタイミングで政治的姿勢を表明する事でも知られるニール・ヤングがTV放送で「イマジン」をピアノで弾き語りをして全米に物議を呼び正義の為なら何をしても許されると捉えていた当時の風潮に警鐘を鳴らすのですがそれ程当時の米国は自国が攻撃された事に対して敵を許すまじという凄まじい怒りに捕らわれた中にあった事を物語るものがあった訳でした。■また、ギリシャの場合は「ピースサイン」は「くたばれ」という意味で使われていますのでこれも注意が必要です由来ですが、昔、犯罪者に向かって石などを投げ付けていた様な時代に石を掴むのが人差し指と中指だという事でそれが「相手を侮辱する」意味として定着したとの事です感覚的には相手に石を投げるも同然という「非常識な人物」に映るという感じで怪訝な顔をされる程度で済むかもしれませんがギリシャに行く際はお気をつけて・・・▲目次へ▲■裏ピース■「2個ちょうだい~」という時に使ったり顎に付けて小顔効果を狙ったりで使用するこの「裏ピース」と言われるハンドサインですがコレは日本以外で使うのは相当ヤバい代物です・・・wイギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、インド、パキスタンではほぼ「中指を立てる」のと同じだと考えて間違いないです由来ですが、15世紀にフランスで捕虜となったイギリス兵に対して弓を引けない様にと、人差し指と中指を切断し虐待して来た事でイギリス人がフランス人に対して「裏ピース」をして挑発行為をしてきたというのが始まりらしいのですが米国では知らない人も多く今月の7月16日放送の『世界の果てまでイッテQ!』の中で米国ルイジアナ州マンスラの「子豚祭り」のイベント「水風船キャッチ」で優勝した宮川大輔と一緒に写真に写った地元青年が「裏ピース」をしていたのを観たのでこの青年が生粋の「白人至上主義者」でそういう意味合いで大胆にも日本を相手に ぶち込んできたので無ければ・・・これは過去「フランス」に敵対してきた歴史のある国特有の「遺恨」から来たものなので歴史的にもフランスと同盟関係にあった米国は18世紀「ヨークタウンの戦い」で共にイギリス海軍を討ち取った仲でもあるので「される側」という事なのかもしれませんともあれオーストラリアなどで「ステーキ2つw」みたいな感じで決してやらないように▲目次へ▲■サムズアップ■YouTubeの「イイネ」などに使われている世界的にも「Good Job」という意味で通っているジェスチャーで日本でも1986年公開 映画『トップガン』の大ヒットで「準備OK」のハンドサインとして広まった事でも知られる欧米で誕生したハンドサインの中でも日本で最も浸透したものでもありますヲタク的にはトップガンよりも8年早い1978年放送 宮崎駿監督TVシリーズ『未来少年コナン』の第25話「インダストリアの最期」で巨大戦闘飛行艇ギガントの翼の上を走って飛行艇内部に侵入する時にいきなりコナンが使ったハンドサインとして記憶してますしかし先程のトム・クルーズも自身の大ヒットシリーズ2015年公開「MI5:ローグ・ネイション」で飛行機の翼の上を走っておりますので映画で飛行機の翼の上を走ったのは未来少年コナンの他はトム・クルーズだけという事になります話を戻しますが・・・これは「親指を上げる」というダケで「場」を取り繕える便利な動作という事で日本でも「トップガン世代」の初老の層が意外に多用しているハンドサインだったりしますが一方で昔から使われてきたどちらかと言えば下品な表現として「男」「彼氏」の意味を持っていたり欧米では「ヒッチハイク」の時に使うハンドサインとしても多用されている事で知られていますまた、コレにしてもアフガニスタン、イラン、イタリアの一部地方、ギリシャでは「くたばれ」という意味で通っているという話ですwikiによれば古代ローマの剣闘士競技で観客が使っていた「敗者を許せ」のジェスチャーが由来との事でそれが「くたばれ」の意味になるのはかつてローマ帝国にひどい目に遭ってきた国や民衆が当てつけで逆の意味で使用したのがルーツなのか定かではありませんがギリシャなどでこのジェスチャーをしてしまうと警察に通報されたり喧嘩になるそうなので気をつけましょう又、欧州、アジアの一部では「お前の肛門に突っ込んでやる」という何やら性的な意味がある様でこれも注意が必要です日本のコミケでは「男の娘本」のサインとして使われているとかでサムズアップが「男性自身」を意味する所がある事が文化によって異なって解釈されたという印象がありますちなみに「男の娘」の元祖は はるな愛 かと思いきや日本の古代史に遡って 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がそうだそうで宴で女装して舞を踊りながら近づいたという九州のクマソを討つ有名な逸話がありますがそれは置いておき・・・wこれは危険性から言えば「非常識な人」位なので万が一使ってしまったとしても怪訝な顔をされるだけで済むかもしれませんが当然、使うべきではありません▲目次へ▲■サムズダウン■これは先程のとは逆で、立てた親指を下に向けて「くたばれ」と相手を挑発する時に使うサインでローマ時代に闘技場で負けた剣闘士に対して観客が「殺れ!」と合唱する時に使っていた事が由来とされていますメジャーリーグの観戦でも一部観客がこのサインを使いブーイングをして相手チームのファンと揉めたりするので欧米でも「その手」の人達が使う間違っても使ってはいけないサインなので肝に銘じましょうただ私も長い人生、日本で相手にこんな事をやる人を見た事は未だありませんがw▲目次へ▲■小指を立てる■「私はコレで、会社を辞めました」でピンと来るアナタは間違いなく還暦近い初老の中年ですw日本では「女」「恋人」を差すハンドサインで先程の「親指」の対を成すサインと言えますがこれもどちらかと言えば「下品」な感じの表現とも言えますので「ハラスメント」の対象にもなり得る可能性を考えますとそもそもが常識ある社会人が使うハンドサインでは無いのかもしれません他にも「指切りげんまん」の「約束」を意味する使い方もありますがどちらにせよ今のZ世代に対して小指を上げても「何?」と言われるダケと思いますwこれにしてもシンガポール、インドネシアでは「最低」「小さい」を表すものとして使うべきではありません特に中国は「小さい」の他「出来の悪い奴」「役立たず」という軽蔑の言葉となり逆に「親指を立てる」と「大きい」「立派な人」になる対になったハンドサインだったりしますので中国に行く際はお気をつけてw▲目次へ▲■中指を立てる■これは掲載するのも躊躇する問答無用の侮辱サインで警官にやれば逮捕される可能性すらあるトンデモ挑発サインなので危険度100%のハンドサインと言えます由来ですが真ん中の指と曲げた左右の指を「男性器」に見立て欧米の刑務所で使われたのが最初だと言われていますが中世の時代から認識されていたという話もあり諸説あるようですとにかく「性的な意味」=「侮辱」というのがこういったスラングの「コア」だと言うのが良く分かります▲目次へ▲■STOP■開いた手のひらを相手に見せる、「STOP」の意味で良く使われるハンドサインですが欧米では「それ以上話すな」という相手の話を制止する時に使われるので相手の気分を害する可能性があります又 例によってこれもギリシャですが・・・wこれにしても侮辱の意味で使われるそうで由来はコレ又ローマ帝国の国王が使っていたとかの当てつけなのか分かりませんが「顔に泥を塗るぞ」という嫌がらせの屈辱的な行為を意味するそうなので相手は怒ってくるとの事で使用してはいけません又、バイバイの様に手を振ることで「違います」「私ではありません」「要りません」のサインになりますがこれは日本でしか通用しないジェスチャーなので海外では手は使わずに首を左右に振る様にして下さい▲目次へ▲■バイバイ■この手のひらを胸元辺りで左右に振ると「さよなら~」「わたしだよ~」手を上げて左右に振れば「ここだよ~」というハンドサインとなる訳ですがこれは相手に対して自分はこの場所に居る事をアピールする相手との距離感をイメージさせるサインだと言えますしかしアジアでは「あなたとは関わり合いたくない」「面倒くさい」という時に使う手振りだそうで特に韓国の場合は犬に使う手振りという事なので処理水放出問題で再びこじれ出した日韓関係を更に悪化させるつもりは無いのでしたらお気をつけてw▲目次へ▲■手招き■さて、次にその手のひらを下に向けて上下に動かすと「コッチにおいで」「こっちこっち~」という相手を自分の所に呼ぶ時に使うサインとなりますしかしそれは日本での話で欧米では全く逆の「あっちへ行け」というハンドサインになってしまうので注意が必要です欧米では手のひらは上に向けて上下に動すのが「Come on」のポーズになります1999年公開のSFアクション映画『マトリックス』でキアヌがモーフィアスとの「カンフー」対決で前に突き出した手のひらを、ひっくり返して上に向け手首をクイッと曲げて「カモ~ン」とやる場面で使われた事が一番有名ですが元はかつてのカンフーの大スターブルース・リーが75年公開『ドラゴンへの道』の中でノラ・ミャオの店に嫌がらせをしに来たギャング達を一掃する場面のカンフーの構えに「カモーン」を加えたジェスチャーの方が映画ファン的には「マスト」と言えます▲目次へ▲■OK■「大丈夫」「了解」「バッチグ~☆(死語)」他にも「お金」を表す時に使われる親指と人差し指を丸めて残りの指を反らして使う「OK」のハンドサインですがアメリカでも同じ意味で使われてきましたしかし現在は白人至上主義の「WP(ホワイトパワー)」を表すハンドサインとして一般人が使ってはいけない「NG」サインになっているというのは先程も解説しました「UFJ」の本場フロリダ州 ユニバーサル・オーランド・リゾートで気ぐるみに入ったスタッフが黒人の少女と写真を撮るとき「OK」サインをして解雇されるという事件は有名で学校でも卒業アルバムで「OKサイン」をした生徒が写るものを廃棄して再撮影する程の社会現象となっている様です理由は、ネットジョークがきっかけで「OKサイン」に悪いイメージが付いた後元大統領のドナルド・トランプが選挙期間中に勝利が確実になるにつれてOKサインをやる様になってから「WP」を表すハンドサインとして定着した所に背景にある様ですがこれも先程から語っている様に何かの憎悪の対象が行った事が「ヘイトイメージ」として定着する近年の最たる例だと言えます一方、フランスでは指の輪がゼロを表すからなのか「無価値」を意味する侮辱のサインとなりブラジルでは「肛門」を表す事から性的な意味合いとして相手を侮辱するスラングとしても使用されている様ですこれらは英語のスラングに「ASSHOLE (いやな奴)」というのがあるのと同じでブラジルでは更に性的な意味が転じて「私は危険な奴だ」という脅しの意味でも使われるそうです。又、これを「お金」の意味で使うのは日本人くらいなので間違ってもフランスやブラジルでは使わないように▲目次へ▲■指ハート■これは「LOVE」を意味する指ハートのサインとして日本でも広まりましたが私はNetflixで『愛の不時着』の主人公が使っているのを見るまで何の事か知りませんでした~wこれを両手でやって指を擦る様に動かせば欧米で「お金」を意味するハンドサインに早変わりしますw日本人が硬貨を意味する指丸でお金を表す事に対して欧米は札束を数える指マネでお金を表すという「小銭」と「札束」というお金の捉えからからして日本人は小銭に笑うものは小銭に泣くという現実思考を持つ事に対して欧米人は金持ちになれる一足千金を夢見るというお金に対してのイメージが根本的に違う事がよく分かるハンドサインでもありますハリソン・フォードの当たり役のインディージョーンズシリーズの第一作『レイダース 失われたアーク』の冒頭の場面洞窟奥の部屋にある金の像を取り上げる時に同じ重さの袋とすり替えようとするインディーの後ろでスパイダーマン2でドクターオクトパスを演じた若き頃のアルフレッド・モリーナが指を擦る動作をしていましたがこれが 金の像をゲットして大金を掴むぞ というお金のハンドサイン という訳ですだからインディーから像を拝借してそのまま逃げようとしたら串刺しの刑に遭う訳でした・・・wというわけで「指ハート」ですが今やこのサインはもう古いらしく今では・・・LOVEはこの様な「顎下ハート」で表すらしいですとは言えこんなポーズが許されるのは10代までなので小顔効果があるからといって初老の方は控える様にしましょうwww▲目次へ▲■ガッツポーズ■勝利を表現したり何かを成し得た時に取る「ガッツポーズ」は日本ではボクサー現役時代に74年WBCライト級王座奪還で両手を挙げた勝利のポーズを取ったガッツ石松が広めたと良く言われていますが実際はボウリングが入ってきた60年代にストライクを取った時、挙げた片腕をグッと引くポーズを日本で「ガッツポーズ」と呼ぶ様になった事が最初で72年のボウリングブームの時に人気プロボウラーの中山律子などがストライクを取った時に好んで使用していた事で「ガッツポーズ」という言葉が一般に広まったと言われていますこの「ガッツポーズ」にしてもフランス、ブラジルでは中指を立てるのと同様に相手を侮辱するサインとの事で由来は分かりませんが、こういうものは往々にして中世の時代辺りで何処かと敵対する国の兵士や民衆が酷い事をした時に好んで使っていたポーズだったりするとそれをされた側が屈辱のポーズとして後世に伝えるというそんな歴史が想像付きますのでフランスと敵対関係にあるイギリスの兵士辺りがやっていたのではないか・・・という匂いがするポーズだったりします一方、スポーツの世界でおなじみという印象のある「ガッツポーズ」ですが実はこのポーズを使うのを好まない種目も存在します例えば「相撲」では2009年の初場所の優勝決定戦で白鵬に勝利した朝青龍が派手なガッツポーズを取った事が問題になり師匠の高砂親方が陳謝するという騒動になりましたこれに付いては各界の中でも賛否両論となる中当時の委員だった作家の内館牧子は「絶対にいけない。土俵の上には一種の武士道がある」と激しく批判した事でも話題になりました。その白鵬にしてみても自身の45度目の優勝が決まった2021年の名古屋場所で「ガッツポーズ」を取っており角界から「見苦しい」「大相撲が廃れる」と激しく批判されています「剣道」の場合はもっと厳しくて選手が試合で一本取った時に「ガッツポーズ」をすると反則を取られて一本が「無効」にされてしまうそうですこれは相撲の「しきたり」とは違い厳密な「ルール」で決められていて打突後に必要以上の余勢や有効を「誇示」した場合一本を取っても「取り消し」になるという事ですこれらの理由としては相撲にも剣道にも『礼にはじまり、礼に終わる』と言う言葉があって全日本剣道連盟の理念の中には「相手の人格を尊重し、心豊かな人間の育成のために礼法を重んずる指導に努める」というのがあり相撲界も、相撲は「神事」として扱い土俵上で取組前に礼をして、取組後、勝っても負けても相手の事を思い遣り、礼をすると教育されるとの事である種「武士道精神」と呼ばれる日本特有の「スポーツマンシップ」が「教育」の一環として礼節に則ったルールを採用している所に起因しているのが大きな理由だと言えます海外でも「テニス」で今年のハンガリアン選手権でハンガリーの選手トートが相手選手が途中棄権で勝利した事でガッツポーズをした事が批判され後に謝罪したことがニュースになっていますのでスポーツの世界に於ける「武士道精神」は世界共通だと言えますがWBCで大谷ジャパンに大差で敗退した韓国ナインを「強敵だった」と礼節に則ったコメントをした日本チーム対しては「バカにされた」と批判をし力を出し切って戦ったチームに「4年後はもっと強いチームになるだろう」と韓国の選手達をねぎらい将来に期待をかけたイ・ガンチョル監督とは違い「飛行機を使うな船で帰れ」となじるお隣の国の温度差に付いては例外もある、という事で・・・w因みに、「中山律子」という名前を聞いて『♪律子さん~♪律子さん~♪な か や ま りつこさん~♪』というCM曲が頭に流れた方は間違いなく還暦近い初老の中年です▲目次へ▲■人差し指を重ねる■私はやった事ありませんがw居酒屋などの飲食店で、離れた所に居る店員に「おあいそ」精算して欲しい時にするサインで女性でもベテラン社員になるとやる方がいますが巷ではコレをやるのは「中年親父」と「キャバ嬢」という一般的なイメージも強くこれをやった女性が後輩女性に異質な眼で見られたという証言や彼氏がコレをやった日には彼女が萎えたという話も良く聞くのでコレはコレで使用には注意が必要なハンドサインなのかもしれません所でなぜ「バツ」で「お会計」なのかというこのハンドサインの由来ですが会計を表す「お愛想」という言葉が「愛想尽かし」を省略した言葉である事から元々は江戸時代「遊郭」で使われた言葉がルーツという歴史がある様です「遊郭」って何?というZ世代な方には漫画「銀魂」で銀時の仲間「月詠」が住む「吉原」がそれですので現在の日本には存在しないサービス業なのであしからずw【電子書籍】銀魂 モノクロ版 25[ 空知英秋 ]価格:460円 (2023/7/27時点)そこでのホステスにあたる「女郎」に対して通っていた客が飽きて店に来なくなる状態を「愛想尽かし」と呼んでいた事が当時の流行語となって後に、飲食店でお金を払って精算して帰る事をストレートに言わないで「お愛想」と呼んで使う様になり「お愛想」が持つ「もう帰る」「これでおしまい」という意味合いから「バツ印」を作る様になったのではと考えられますキャバクラでは「お愛想」のサインは「客がもう帰る」合図になるので客に気を使い見えないようにして黒服(店員)にサインするとのことでまあ、よく分かりませんが・・・wなので「精算して」を「バツ印」で表す人は世界的に見ても日本人ダケなので海外の飲食店でコレをやっても「バツ印」は見たまま「バツ印」にしか受け取って貰えません訴訟大国と言われる欧米でコレを知らずにやると店側は何かNGなものを出してしまって客に訴えられると思い血相抱えてすっ飛んできて店内が大騒ぎになった後で逆に「営利営業妨害」でとっ捕まる可能性が出て来ますのでW間違っても海外の飲食店で「バツ印」は出さないように▲目次へ▲■ペンで書く真似■欧米の飲食店で「会計」のジェスチャーをしたいなら店員に対して空中に何かを書く様な素振りをします店員が精算する時の注文表にチェックする動作がその由来だそうですが無難に「Check, please.」と言った方が私は良いと思いますw▲目次へ▲■キツネ■日本では「キツネ」を表すこの手招ですが地中海に面したイタリア、スペイン、ポルトガルラテン語圏のアルゼンチン、ブラジル、コロンビアなどでは「お前の妻(夫)は浮気してる」あるいは「妻(夫)に騙されている」のサインとなり二本の立てた指が角を表して「弱い子羊」を意味し浮気された、騙された者に角が生えると言われる事から侮辱のサインになるとの事です日本では「きつねダンス」のブレイクで大人気となったジェスチャーですが日本でもキツネは「化かされた」「騙された」を象徴する時折会話の中で垣間見る事があるポピュラーなイメージを持つものの一つでもあります「狐稲荷」の様に古来神格化されてきたアイコンという側面も持っていますが日本ではこのハンドサインそのものを海外のように特定の意味で使用する事は無いので「影絵」的な「遊び」という文化的背景の中から生まれた「手招」の一つに留まったものだと言えますその「キツネサイン」が近年ヘビーメタルユーザーの間で使われているという話がありますご覧のハンドサインはプロレスやヘビーメタルで多用され「行くぜ!」を表すサインとして知られる「コルナ」「デヴィル・ホーン」「メリウィックサイン」と呼ばれるもので由来は、ギターレジェンド、リッチー・ブラックモア率いる伝説のヘビーメタルバンド「レインボー」の元ボーカル故 ロニー・ジェイムス・ディオが自身のバンド「DIO」で多用した事で世界的に広まったと言われるハンドサインです因みにこの「DIO」は「ジョジョの奇妙な冒険」の「ディオ」のネーミングの元ネタとなっている事でも知られていますGeezer Butler and Ronnie James Dio, bassist and singer of "Heaven and Hell", at the festival Gods of Metal in Milan, Italy (画像参照: wikimedia)しかし これ程までに影響力のあるサインとなった為か2017年に「KISS」のベーシスト、ジーン・シモンズがこのサインを商標登録しようと試みたらしくこれに対してロニー・ジェイムス・ディオの未亡人ウェンディが「これはパブリックドメインだ」と批判するという騒動がありましたこれが誰がルーツかという話であるならビートルズの1966年のシングル『Yellow Sabmarine/Eleanor Rigby』でジャケットのジョン・レノンがこのポーズを取っているので定かではありませんジーン・シモンズは11日後に申請を取り下げ後にこの一連の行動に付いてコメントをしておりますが真意は良く分からないものがありました要するに、ジーン・シモンズ流のものはジーン・シモンズのものという持論がある様でこれまでにも「$」や「Motion pictures」の様なパブリックドメインも自分がデザインしたものは商標登録して来た という経緯があった様で何と言われても構わない「後悔はない」という様子でしたがこういう時の「後悔はない」というコメントは何かの問題を起こした人間が謝罪をしない代わりに使う常套句なので少なくとも「間違っていた」とは感じているとは思いますつまり今回はこれまでと違い大勢のロックミュージシャン、ロックファンからの批判に晒されて余りにも反響が大きすぎた事で 断念したという印象がありますジーン・シモンズがなぜこの様な暴挙に出たのかは分かりませんが、思うに・・・ディオよりもKISSがオリジンの方がミュージシャン仲間もロックファンも世界もより納得してくれるだろう というある種、大スターとしての「影響力」を考慮した「使命感」からの「立候補」という行動だったとも とれますが資本主義的音楽業界にドップリと浸かった価値観のまま何も見えない状態でその様に突き動かされたものがあったのではと「誰もやらなくても俺様はやる」という事だったのかもしれません73年のデビュー以来「白塗り地獄メイク」を施した悪魔的世界観とハードでポップな音楽性というギャップで世界的ブレイクを果たした「KSS」の大スター、ジーン・シモンズが「デヴィルホーン」の商標を主張するのは自由である意味「資格」はあるとも言えなくもないですが今や世界的にもメタルの代名詞となったメロイックサインはそういうある種「資格」のある人物こそ誰もが自由に使えるものである事をロックファンに向かって宣言する「義務」があると思うのです日本でも「ゆっくり茶番劇商標登録騒動」という茶番劇がありましたがwロックファン的にも何とも残念な話だと思いました・・・話を戻しますが・・・このメロイックサインがなぜメタルサインになったかですが立てた指が悪魔の角を表す事から「魔除け」として使われて来たという経緯からディオの音楽の「悪魔」「中世時代ファンタジー」「ダンジョン」欧州怪奇幻想ファンタジーという世界観と合致して音世界へ誘うサインとして使用した事が80年代当時のメタルブームで追い風となりヘビーメタルのコンサートではファンとの一体感をもたらすハンドサインとして多用された事で世界的に広まったと考えられますという訳で今やこのハンドサインはロックファン必須のアイテムとなったわけですがそんな折2010年にデビューした日本の女性メタルダンスユニット「BABY METAL」のステージでの事サウンドはメタルではあっても元々アイドルグループ出身の企画ユニットでメンバーの3人が特に熱心なメタルファンという訳では無かったからなのかコンサートでファンが行ったこのハンドサインの意味が分からずメンバーは見様見真似で「キツネサイン」で返したというチョットした「事故」がありましたW何とも微笑ましい お話ですがwしかしこれが話題となりましてその後「BABY METAL」では「キツネサイン」が正式なハンドサインになるのでしたサブカルチャー王国日本らしい勘違いの産物となったお話でした確かにこのメロイックサインは「キツネサイン」に似てますので先程の「弱い子羊」と同じ様に取られる事もあるのではという話にもなりますがメロイックサインの方は立てた指以外を丸めており「弱い子羊」を表す地中海圏は「メロイックサイン」を出す欧州圏にひどい目にあってきた歴史があるのでそれとは差別化をして欧州文化を嫌悪する姿勢から生まれたサインというそんな経緯を感じる所からも似て非なるものだと言えますどちらかと言えばコント55号の坂上二郎の持ちネタの「飛行機」に似てるので今「飛びますっつ!とびますっつ!」というワードが頭に浮かんだアナタ今更「わ・・・ワンオクの森進一の息子がやってたサインだ!」と若ぶった所でONE OK ROCKの「Taka」の事を「森進一の息子だ」と言っている時点で「アウト」ですwそんなアナタは間違いなく昭和生まれの初老ですというか私ですW▲目次へ▲■電話■この「飛びますっつ!飛びますっつ!」のハンドサインを耳元で揺らすと「電話だよ」「電話してネ」のサインとなりますがこれは受話器付きの電話でのサインであってスマホ全盛の現在では通用しません20代後半のベテラン女性社員が後輩女性に「は?」という顔をされたという証言もある様で今どきの子は指を立てず手のひら全体を耳に当てるジェスチャーをするとの事ジェネレーションギャップを感じさせる消えゆくハンドサインでもある訳でした・・・▲目次へ▲■親指と小指を立てて下げる■先程の「電話」のハンドサインのまま手首を下げると溶けたアイスを交換するサインになりますこれは氷が入った容器「アイスペール」を持ち上げる仕草で主にキャバクラで使用されるキャバ嬢が黒服にするサインですこれを見てこの事がすぐに思い付いた方はキャバクラ通いが過ぎるので入れ込むのも程々にしましょうw▲目次へ▲■何かを絞る■今年3月6日に行われたWBCの前哨戦となった対阪神戦で本塁打を放ったチームの大黒柱大谷翔平選手が行ったこのハンドサインは「ペッパーグラインダー」と呼ばれ侍ジャパンを応援するサインとして一大ブームを呼びましたこれは侍ジャパン出場で話題のメジャーリーガヌートバー選手の所属チームカーディナルスで行われているパフォーマンスで両手を使ってコショウを引くジェスチャーが「身を粉にして働く」「粘り強くいく」という意味からチームの士気を高めるとされてメジャーリーグではよく使われるサインとの事ですそれをヌートバーでは無く大谷がもたらしたのはヌートバーからこのサインの事を聞いた大谷がまずエンジェルスで使用してその後、ヒットを打つたびに使用する様になった事がWBCでのパフォーマンスに繋がりやがて侍ジャパン大躍進のシンボルとなっていったという経緯があった訳ですちなみにこのサインは「キャバクラ」圏でも使用されておりWおしぼりを絞るポーズに見立てて温かいおしぼりにチャンジするサインとなっているそうですトイレに行く時にこのサインを出し使用済みおしぼりを三角にたたんでテーブルの角に置いておくと黒服店員が速やかに取り替えてくれるとの事ですまあ、知りませんがw▲目次へ▲■人最指と中指を重ねる■これは海外から来たアーティストが唄っている時にやったり海外ドラマ、洋画などでも見る事がある欧米のハンドサインで「フィンガークロスド」と呼ばれる「GOOD LUCK 幸運を祈ります」を表す事でよく使われるサインで人差し指と中指をクロスする行為が「十字架」を表し魔除けとし欧州で広まったポピュラーなものだそうですイギリスでは宗教的な意味は無く単に「I’ll keep my fingers crossed」という決め言葉として使われているとの事です又、ジョークを言った時に「嘘だよ〜」という様な使われ方もある様です■対してベトナムでは相手を侮辱する「卑わい系」な意味がある様で日本でも約束をした時の「指切り」の意味の他不潔、触りたくない時の「えんがちょ」という意味もありこれを欧米人にやられて怒る日本人がいるとしたら今どきのZ世代は「えんがちょ」そのものを知らないのでまあやっぱり、還暦近い初老の人位でしょうかねえ~W因みに「キャバ圏」でもWキャバ嬢が客に見えないように黒服にこんな「えんがちょ」サインをする事があるとの事でセクハラが酷い痛客やどうやっても機嫌の取れない苦手な客を付けられた時などキャバ嬢が 客をチェンジしたい 時という特殊なケースとして出すサインが「えんがちょ」だそうですという事になりますので、こんなサインを出されない様それを念頭に置かれて愉しくお遊びくださいW■因みに「ホステス」と「キャバ嬢」がどう違うのかですが「ママ」と呼ばれる統括者が居るクラブなどで働くナイトワーカーの女性を「ホステス」と呼び「ママ」と呼ばれる存在が無く代わりに先輩女性ナイトワーカーや黒服がサポートする店に務めるナイトワーカー女性を「キャバ嬢」とも「キャスト」とも呼ぶそうですではなぜキャバクラではキャバ嬢が「キャスト」と呼ばれるのかですがキャバクラの募集広告で「ホステス募集」と書くと高い接客技術を要求されそうで、厳しいイメージがあったらしく「タレント」の様な印象を与えて募集しやすくさせる実際に芸能界デビューもある事をアピールした業界の造語との事でこれを六本木などの一流クラブに務める一流のナイトワーカー女性に向かって「キャスト」と言ったら笑われますのでご注意くださいまあ、分かりませんがw▲目次へ▲■人差し指と中指を曲げる■海外ドラマやハリウッド映画を見ていると登場人物たちが会話中にこんなサインをする時がありますねこれは「エアークオーツサイン」と呼ばれるもので「引用」を表すサインです会話中このサインが出てきたら「今誰かの言葉を借りて話してるよ」と相手に知らせている事になります由来というか、この指の形はと言いますと例えば wiki などで引用箇所があると“軽蔑すべき者を敵として選ぶな。汝の敵について誇りを感じなければならない。- ニーチェ -”みたいな使われ方で[“ ”] [ダブルクオーテーションマーク] が使われますこれを 指マネ したものですただ、ドラマを見る限り、凄く為になる良い事を言っている人物の後ろでこの指マネをしながらニヤニヤしている奴が居るみたいな感じで使われるのをよく見るので多くは、このハンドサインは「コイツの言ってる事誰かの受け売り~W」みたいな感じで揚げ足取ってからかう時に多用されるサインでもあるようですなので、例えば私が「軽蔑出来る様な奴は敵とは言えない・・・本当の敵とは、尊敬出来る人物の中に居るっつ!!!」みたいな「ニーチェ」のパクリを真顔で言ったら後ろで[“ ”]WWWWとやれば良い訳ですW▲目次へ▲■人差し指と中指で目を指す■これは「I’m watching you!」ジェスチャーと言って洋画や海外ドラマの刑事もので良く出てくる欧米特有のハンドサインで「監視しているからな」「見ているぞ」をアピールする相手を威圧するタイプのサインになります日本では 2007年放送 岡田准一主演ドラマ『SP 警視庁警備部警護課第四係』で第一話(確かw)で 怪しい人物をマークした岡田准一扮するSP井上薫が仲間に「監視します」アピールで持ち場を離れるサインを送るという様な特に日本で一般人はまずやらないサインでもありますので海外に行って子供のお守りを任されたりした時 程度で子供に向かって「見てるぞ」サインを出してフリーズさせる様なそんな気軽なものではありませんのでお気をつけてw▲目次へ▲■人を指差す■どこか方向や場所を指すのでは無く欧米でも日本でも人を指差すのは失礼というのは世界共通の認識の様で「自分は指されても何とも感じない、なぜ人を指差すのは失礼なのか?」と言う、全てに於いて寛容な方も少なからずおりますが「君、人を指差すのは失礼だよ!」と言って人を指差すという自覚無くやってしまう天然な方は、置いておき・・・w英語で「Pointer」とか「Index finger」と呼ばれ「目印」という意味があったり日本でも親指の次の指を「人差し指」と言うからと言って人を指す時に使っても良いという理由にはならない訳ですこれは「指南」「指示」「指針」などの「指」で表される「方向性」をもたらす「コア」が主従関係を示唆する「上意下達」な関係性を含んでいる事と人を指を指す心理には自分を優位な立場に置き無理やり認めさせる「承認要求」があるとされています人間関係を円滑に進めるには人を名前で呼び合う事が有効で人間関係の距離を縮める事にも繋がる事からも「名前」には人のアイデンティティーと人格に密接に繋がるものがあり欧米では名前を呼ぶ事そのものが「挨拶」となる文化がある事に対して人を名指しで指差す行為には挑発と対立をもたらす人間関係の放棄を想起させるものがあり故に指差す先とは、人では無く物であるという現代人の感覚が道理と作法の両方で 失礼に当たると捉えている事が理由だと言えますそれでも「理解できない」という方は別に無理に理解しないで「そういもの」という事で納得すれば「変人」として認識される事も無く人間関係を円滑に進める事が出来ると思いますw▲目次へ▲■人差し指を立てる■「人を指差すのが失礼」を道理で理解できない方はその「証拠」というか立てた指を上に上げてみると「オレサマがいちばーんっつ!!!」という自己顕示を表すサインになる事が分かりますその「一番を宣言する指」で人を差している訳なのですから「お前は俺より下」という事になるという訳です指を向けると失礼と感じるのはそれを対外的に分かっている現れだと言えます■さてこの画は今日ではロックのステージで良く見られる「行くぜ」宣言ハンドサインですがこれを一番最初にパフォーマンスとしてやった元祖は恐らくディープ・パープル時代のロックギタリストリッチー・ブラックモアではないかと思われます私の記憶が確かなら このハンドサインは元々は「一番」を示して観客を煽るアジテートパフォーマンスなどでは無くギターソロを演る直前にミキサーに向かって「ボリュームを上げろ」を指示していたダケの単なるスタッフとのやり取りという話だったと思いますそれが昂じてそのままソレっぽく指を立てて挙げる様にしたらロックっぽいと評判が良かったから演る様になったのかそれを見たファンが勝手に「ナンバーワンッツ!!!」と勝手に解釈して雑誌にも指を立ててギターを弾く姿が付録のピンナップポスターにまでなってもはややらざるを得なくなったからなのかそうしてロックアイコンと化したのかもしれません■「必要は発明の母」と言いますが人を挑発する行為は失礼にあたるとしてそれが理解できない事は社会人としては由々しき事だとしてもロックのステージでは挑発する行為が求められ認められる随一の場所でもあると言えます従って逆に捉えれば失礼行為が理解できない感覚も又この様な動作が偶発的に生まれる源となりそれが重要なパフォーマンスとして必要とされる事もある「随一の感覚」という事になり得るのかもしれません▲目次へ▲■自分を指差す■名前を呼ばれた時など「私で~す」という感じで自分の顔を指さして示しますがこれは日本でしか通用しないハンドサインの様で欧米人はコレを見て「?」と思うらしいのです欧米ではこの様に「Me」という時は親指で自分の胸を差します洋画や海外ドラマでもこんなジェスチャーを何度も見ていると思いますこれは「顔」に主体性を持つのが日本特有の感覚で欧米では「心」に主体性を感じている現れだと言えますなので指を立てる場合も こんな感じで 胸辺りを差して「Me?」とやる訳です因みに「キャバ圏」ではW腕を下げてグーから人差し指を立てると「移動せずまだこの席に居ます」のサインになりますこれは黒服の「付け回し (キャバ嬢の付く席の指定)」で場内指名があった時に使いますが先程の「えんがちょ」とは違って笑顔で客に見える様に出せば客も悪い思いはしないという太客をキープする為のチョットした気づかいにもなるサインでもありますまあ、知りませんがw▲目次へ▲■二本指で指す■因みにディズニーランドではこの様にキャストが何かを指差すときには必ず二本指を使うらしいのですがこれは指差し行為が失礼に当たる事に対しての配慮という意味と創業者で喫煙の愛好家だったウォルト・ディズニーがタバコを挟んだ指でパーク内のアトラクションを指さしている光景が写真として記録に残っていた事で後に社会的影響を考えてその写真からタバコを消去した所写真のウォルトが二本指で何かを指さしている様に写った事からキャストが二本指で指差す仕様が生まれたという事です■今年1月に亡くなったギターレジェンドのジェフ・ベックが「次はお前のソロだ」と指差す時にゆっくりと「人差し指」を向けるのが印象に残っていますがこの場合「ソロをぶちかましてみろ!」とプレイヤーを挑発している訳なので一本指で指してもロック的には差し支えないと思うのですがジェフの場合は親指も一緒に上げているので厳密には一本指で差しているのでは無く一番最初に紹介した「LOVE」の「L」で差している事になり正に「ロック」と「配慮」の分水嶺なハンドサインだと言えます何しろ毎回ジェフのバックはジャズ、フュージョン界の超大物ミュージシャンで固めて時にはジェフよりも格上のプレイヤーをゲストとして呼んでいる手前尚更という事なのでしょうかジェフ・ベック - 悲しみの恋人達JEFF BECK -『Cause We've Ended As Lovers』という訳で、マナーとしても接客をする際にも人を指す時はこの様に「手のひら」を使うと手の動きによって与える印象が大きく変わりますしこの時「笑顔」で応対すれば相手も自然と笑顔が生まれて関係もきっと良好な状態へと導かれる事でしょう■人は「顔」の表情や「身なり」の印象には敏感ですがハンドサインにまで気を付けている人は少ないと思われますそれ程人が人を見る時の「心」を推し量る事は容易では無く頭の上から靴の先までトータルで見るしか方法が無いのが顔の表情や全体のイメージに加えて身に付けているバッグや財布などのアイテムの他果ては敬愛する人物が語る持論をそのまま真に受けてしまう情報過多な消化不足の曇った目利きのままその様な見立てに左右されがちになる要因だと言えます従って如何に自分をアピールするかは、「如何にエレガント足りうるか」や「どう自分らしく見せるか」という「見た目」が「印象」に直結する「仕草」を試行する事では無くて見た目が、話し方が、仕草が、ハンドサインがどうだろうとその人物の「器」が推し量れない程の「意外性」がある事も又イメージに左右される社会で自分らしくある為には必要な事の一つなのかもしれません☆という訳で良い一日を【ブログ更新】『Wikiの写真で一言』第13回「OKサインは欧米ではOKではない?」 - 楽天ブログ(Blog)バラエティを見てるとピースする外人が時々映ったりしますが最近は「これって本当にピースか?」と疑う自分がいて驚きます😶https://t.co/DUh2voHiYw #r_blog— Voyager6434 (@voyager6434) July 27, 2023 【楽天ブログ】TOPページ更新しました。https://t.co/GS88AIR3GF『wikiの写真で7月の一言』日本人が知らずにやってるNG行為では「OK」のハンドサインが有名ですがこういう「知らずにやってる情報」を知るたび自分らしく生きる事にますます「萎縮」してしまうんですよねぇ・・・😶 pic.twitter.com/QBXq0gUFUq— Voyager6434 (@voyager6434) July 2, 2023■7月のMarillion■Marillion (画像参照: wikimedia)Marillion - The Man from the Planet Marzipan (2008)マリリオン - ザ・マン・フロム・ザ・プラネット・マジパン 収録アルバム『HAPPINESS IS THE ROAD』■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■【輸入盤】Seasons End: Deluxe Edition(3CD+ブルーレイオーディオ) [ Marillion ]価格:13,763円(税込、送料無料) (2023/7/3時点)■【電子書籍】写真と動画で見るジェスチャー・ボディランゲージの英語表現[ ランサム はな ][動画アクセス+音声DL付]価格:1,958円 (2023/7/3時点)■【電子書籍】仕事のしぐさ図鑑「デキる人」「残念な人」を決める50のポイント[ 荒木シゲル ]価格:1,188円 (2023/7/2時点)■【書籍】言ってはいけない!やってはいけない!大人のNG(青春文庫) [ 話題の達人倶楽部 ]価格:825円(税込、送料無料) (2023/7/2時点)■【書籍】子どもを伸ばすママの言葉がけ言ってはいけない「NG」ワード55 一緒の時間がもっと楽しくなる上手な伝え方 (マミーズブック) [ 曽田照子 ]価格:1,430円(税込、送料無料) (2023/7/2時点)■お嬢様、「了解です」は上司にNGです。 [ 新井直之 ]価格:1,078円(税込、送料無料) (2023/7/2時点)■【CD】バビロンの城門 [ レインボー ]価格:1,844円(税込、送料無料) (2023/7/28時点)■【CD】BABYMETAL [ BABYMETAL ]価格:1,916円(税込、送料無料) (2023/7/28時点)■【輸入盤Blu-ray】Jeff Beck / Performing This WeekLive At Ronnie Scott's価格:3,190円(税込、送料別) (2023/7/28時点)■小説・コント55号改訂版 [ 山中伊知郎 ]価格:1,320円(税込、送料無料) (2023/7/28時点)■ゴールドオッケーステンレスピアス 1個販売ハンドサイン OK お金 マネーサイン価格:330円(税込、送料別) (2023/7/28時点)
2023年07月28日
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PART1【映画解説編】「巧みな布石と衝撃のラストが見物の怪奇幻想ミステリー」プレステージTHE PRESTIGE2007年6月9日公開 アメリカ 128分■監督 クリストファー・ノーラン■出演 ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン スカーレット・ヨハンソン、アンディー・サーキス、デビッド・ボウイ■ もくじ ■PART1【映画解説編】『巧みな布石と衝撃のラストが見物の怪奇幻想ミステリー』■はじめに- コラム -「日本の脱出マジックブーム」 1. 日本のイリュージョンのパイオニア 2. マジックの三段階 3. 突然の種明かしと脱出ブームの終焉- STORY -19世紀の奇術界を舞台にした怪奇幻想ミステリー 1. 本作の内容 2. 衝撃のラスト5分 3. 19世紀世界を実現した芸術的映像 4. 映画そのものが壮大な「マジック」 デヴィッド・ボウイ演じる実在の天才発明家ニコラ・テスラ 「レディオヘッド」トム・ヨークの主題曲PART2【完全ネタバレ解説篇】※以下は映画の鑑賞者向けに「謎」を解説した記事になります衝撃的ラストの意味や本作の布石や場面の意味など10万文字の大容量で詳細に解説!※ 【完全ネタバレ解説編】の目次に付いてはそれ自体がネタバレになる為ここには記載しません映画鑑賞後にリンク先の PART2の頁で確認して下さい ≫PART2の頁へ■はじめに本レビューは 映画『プレステージ』を解説した記事となっておりこれから観る方向けに PART1 映画解説篇 として既に鑑賞した方向けに PART2完全ネタバレ解説篇 として分けて更新し数ヶ月に渡って映画を詳細に検証し 一年以上の長期に渡る執筆で楽天ブログの限界を越えた 全10万文字2ページに渡り更新解説した当サイトのブログ主が 思う限りの内容を書きたいだけ書きそれでもまだ書き足り無く思い、一本の映画の解説をするだけでなぜ本になるのを納得した空前の長編レビューとなっております本作がどの様な映画なのか お知りになりたい方や本作を鑑賞した後 モヤモヤした方や本作の鑑賞で 謎を知りたい方や「あのラストって何?意味わかんないっつ」と聞いてうるさい家族を持たれた方など(※実話)独断と偏見が多分に入った偏狭な長文駄文ですが何かのご参考までにご鑑賞頂ければと思いますなお、PART2 ネタバレ解説編 に至っては、映画全体に渡る詳細なネタバレを可能な限り解説する、あくまで 映画鑑賞済の方向けに特化された記事 となっており、又、例え興味本位としても 本作品の性質からも映画未見では何を解説した記事なのか 全く意味が分からない内容となっておりますので映画未見 の方の PART2 ネタバレ解説編 のご鑑賞はお勧め致しかねます のでご注意くださいという訳で 順番に解説して行きましょう☆▲目次へ▲- コラム - 「日本の脱出マジックブーム」■日本のイリュージョンのパイオニア引田天功と言えば 現在齢50を幾つも越えているはずの「プリンセス天功」を誰もが思い浮かべるかと思いますがまだ「イリュージョン」という言葉が無かった頃の70年代日本テレビ系の人気バラエティ番組『木曜スペシャル』の目玉企画としてそれまでのマジックの常識を覆す様な非常にスケールの大きい『脱出マジック』を披露し回を追うごとに 大仕掛で大掛かりになって行ったそのパフォーマンスで日本中に『脱出マジック』ブームを巻き起こした初代 引田天功を連想される方は少なくないと思います。半世紀以上前の当時、日本最速を誇る走るジェットコースターに乗せられた燃えるボックスから、手足を縛られた状態からの決死の脱出や仕掛けられた時限爆弾が次々と爆発する水道管を時間内に通って安全地帯へ脱出するパフォーマンス等々特撮の技術を使った様な 現在の大掛かりで高度なパフォーマンスと比べてもスケールの大きさに置いては全く引けを取らない壮大なイリュージョンで日本中をテレビのブラウン管の前に釘付けした不世出のマジシャンでした。▲目次へ▲■■マジックの三段階さて、「イリュージョン」と呼ばれる大規模パフォーマンスが定着した現在ではいわゆる「手品」的小規模パフォーマンスは規模の面から異なるエンタテイメントとして分けて捉えられる所がある様に思えますがそもそも「マジック」の演目は規模がどうあれ大きく分けて3つのパートで出来上がっている点に置いてはどれも同じと言えます。■ マジックの三段階 ■●第1の段階「確認/プレッジ」 種も仕掛けもありませんと客に確認させる●第2の段階「展開/ターン」 手にしたカードやボックスに閉じ込められた人が消えるなどの 展開をする●第3の段階「偉業/プレステージ」 消えたカードが、消えた人物が出現してマジックを締めるつまり、手のひらサイズのテーブルマジックも巨大な仕掛けを要する壮大なイリュージョンも消えたものが 再び出現するという点に置いて基本精神は同じであり正にその一点に全てのマジックの骨頂が集約していると言える訳です。▲目次へ▲■■■ 突然の種明かしとブームの終焉70年代も終わろうとする頃引田天功の体調不良から企画されていた脱出イリュージョンが現在のプリンセス天功こと 朝風まり が代役として選ばれそれを期に初代引田天功はブラウン管の前から突然姿を消しますそして間も無くして79年の師走の最中に、志半ば45歳という若さで他界し日本中を虜にした不世出の天才マジシャンが再びお茶の間の前に登場する「プレステージ」はもう永遠に叶わなくなるのでした。その一年後、正式にプリンセス天功が2代目を襲名した後の事でした、突如、初代引田天功の 脱出イリュージョンの種 を紹介する番組が登場します。図解で分かりやすく解きながら、このパフォーマンスが如何に緻密で複雑に組み上げられていたのかを説明する非常に興味深い内容の番組で、子供には全貌が掴みにくい部分も多い内容だった様に思いましたがある一点に置いて、子供にも即座に理解できるものがありました。それは、マジックの演者はジェットコースターに乗せられたボックスや、地中に埋められた箱に入りそのから如何に脱出するのか、と見せかけて、実は途中で抜け出していたという常識的に考えれば極めて当たり前な「種」という名の知ってしまえば余りにも 肩すかしな事実 でした。テレビ局側にしてみれば、日本中をアット言わしめたイリュージョンの種を明かす事で初代への哀悼の意を表しながらその偉業を振り返りある種の世代交代をイメージ付けながら後継者の活躍を後押しする一環と、世紀のイリュージョンの秘密を解明する超弩級のネタで視聴率に繋げる意図があった事は容易に理解できる所でしたがそもそも視聴者の立場からしてみれば、途中線路の無くなるジェットコースターのコースの手前に設置された小屋のロープに、いかに掴まって落下を逃れるか や手足を縛られた状態で地中に埋められたボックスから水が流れる水道管の中を伝って如何に安全地帯へ辿り着くか など一体どうやって脱出したのかを推理して想像しどう考えても 不可能 だと思いながら未曾有のスリルとサスペンスとミステリーに熱狂し興奮する所にイリュージョンの魅力 を感じていたのであってそもそも 知ってしまえば呆気無い種明かしなどどうでも良い事 だったりする訳なのです。おそらく先代引田天功にしてみても視聴者が如何に驚くかを想像し創り上げたイリュージョンであり演者と視聴者が共に演目に集中し共に成功に興奮するという、日本中が一つになった 唯一無二の巨大な一体感 を含めた所に初代引田天功イリュージョンの真骨頂があったと思われ知ってみれば呆気無い種明かしなど演者にとっても視聴者にとってもとんだ水を差す行為 以外の何ものでも無かったという 訳なのでした☆■ という訳で今回は、『ダークナイト』シリーズで知られる奇才クリストファー・ノーラン監督がイリュージョンの世界をミステリアスに描いた異色作『プレステージ』をご紹介します。プリンセス天功イリュージョン まほう対決!2005 プリンセス天功VSガチャピン・ムック [ プリンセス天功 ]価格:2776円(税込、送料無料) (2017/5/2時点)タネも仕掛けもございません [ 藤山新太郎 ]価格:1,836円(税込、送料込)東大式タネなし手品 決定版[ 東京大学奇術愛好会 ]価格:1,188円(税込、送料込)▲目次へ▲-STORY-19世紀末のロンドン二人の若きマジシャン アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とボーデン(クリスチャン・ベール)は互いを認め合いながらスター・マジシャンを目指し腕を競い合っていた。ある日、アンジャーの妻が水槽脱出マジックの失敗で命を落とすアンジャーはその責任がボーデンの行った綱の縛り方にある事を理由に激しい憎しみを向ける様になりボーデンのマジックショーへ乱入し重傷を負わせた事件を皮切りに互いの競争心は深刻な確執を持ったものへとエスカレートして行った・・・▲目次へ▲-解説- 19世紀の奇術界を舞台にした怪奇幻想ミステリー1. 本作の内容Christopher Nolan (画像参照:wikimedia)『ダークナイト』3部作ほか(2015)『インターステラー』(2010)『インセプション』など独特のダークな世界観で驚異の映像を生み出しスペクタクルなアクションから深層心理の闇の領域まで独自のタッチで描く映像作家クリストファー・ノーラン監督が大ヒット作『バットマン・ビギンズ』発表後制作した独特のダークな世界観と深層心理を描く作風をフルに活かし19世紀ロンドンのショービズ界を舞台に深い因縁から激しく競い合う二人の天才マジシャンと衝撃の顛末を描いたダークな怪奇幻想タッチのサスペンス・ミステリー映画です出演は『ダークナイト』3部作の クリスチャン・ベイルと『Xメン』シリーズの ヒュー・ジャックマン同じく『ダークナイト』シリーズに出演しノーラン監督作品の常連でもある アカデミー俳優マイケル・ケインに『アベンジャーズ』シリーズの スカーレット・ヨハンソンそして2016年1月に惜しくも他界したロック・スター デビッド・ボウイほかダークナイト ワーナー・スペシャル・パック(Blu−ray Disc)価格:2916円(税込、送料無料) (2017/5/2時点)▲目次へ▲2. 衝撃のラスト5分が見もののサスペンス・ミステリー本作は、19世紀ロンドンのマジック界で活躍する二人のトップマジシャンのマジックの腕を競い合う長年に渡る壮絶な争いと取り憑かれた様に芸に没頭する 人の心の奥の闇を描いた作品で映画は、ヒュー・ジャックマン 演じる人気マジシャン「偉大なるダントン」こと ロバート・アンジャー がマジックの失敗で命を落とした事故でその場に居合わせた クリスチャン・ベイル演じるライバルマジシャン「教授 (プロフェッサー)」こと アルフレッド・ボーデン が犯人として逮捕されるミステリーで幕が開き物語は、獄中のボーデンが アンジャーが残した手記を読み上げながらアンジャーとボーデンの道程を辿る回顧録の形でサスペンスフルに進行し舞台で事故死した アンジャーの妻ジュリアの一件をきっかけにライバル関係が悪化した二人のマジシャンの壮絶を極める確執と、マジックの「技巧」に取り憑かれた人間の欲と狂気 をミステリアス に描き華やかな奇術界の舞台裏と それに纏わる人間ドラマを折り込んだ原作『奇術師』を、実に一年半もの時間をかけて脚色した巧妙な脚本の構成力が光る異色作でもあり「ダークナイト」シリーズのクリスチャン・ベールの深い闇を抱えた主人公を演じる圧巻の演技力と、「Xメン」シリーズのヒュー・ジャックマンのダイナミックで華のあるアンジャーを演じる存在感ある演技とが火花を散らす様に生み出される緊張感が映画の内容にそのままリンクしながらアンジャーの死は事故か殺人か、映画全編がマジックの演目とも言える 衝撃の結末が見もののノーラン監督独特のダークな切り口と、中世欧州的なモダニズムな映像による重厚なタッチが加わったダークなタッチで描いたサスペンスミステリー作品です。▲目次へ▲3. 実存感ある19世紀世界を実現したオスカー・ノミニー・スタッフによる芸術的映像ノーラン監督に取ってこれが初めての「コスチュームプレイ」いわゆる時代劇作品となり欧州時代劇作品としてとしては 近年ほぼ決定版とも言える『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズが既にある為新規参入作品には何かと映像を比較される不利なジャンルでしたが『ダークナイト』シリーズの様なアクション作品でも観られる現実に存在する様なリアルさを持った「中世欧州」を思わせる重厚で説得力ある映像を作り出すダーク系ファンタジーな世界観という側面を持った映像作家ノーラン監督と本作品でアカデミー撮影賞、美術賞にノミネートされた撮影:ウォーリ・フィスター、美術:ネイサン・クロウリーいわゆる「ノーラン組」による徹底的にフィルム撮影にこだわった手持ちカメラによる撮影と厳格さよりも リアルさと生活感 に重点を置いた現実感ある美術により特に「コスチュームプレイ」を意識する事無くこれまで通りのノーラン作品として鑑賞することが出来ます更に 監修として、世界的なマジシャンデビッド・カッパーフィールド の参加で演目にリアルさが加わりノーラン監督独特の、奥行きを感じる深みある映像に華やかな拡がりを与えたハリウッド・エンタテイメントに相応しい作品に仕上がった様に感じられました。▲目次へ▲4. 映画そのものが壮大な「マジック」「マジック」を題材にした映画は数多くあり古くは 82年のフランシス・フォード・コッポラ製作の『マジックボーイ』や近年の話題作 (2013)『グランド・イリュージョン』などの他に奇術師が主人公になった(2013)『オズ始まりの戦い』の様なファンタジー作品や邦画の(2014)『青天の霹靂』の様な異色作まで様々ですが本作の様な クライム系サスペンスの外連味の要素を 仕掛けとして映画そのものを一つのマジックに見立てたものもこれまでも数多く作られており本作は19世紀のダークな世界観を利用した緻密な伏線が張られた構成と過去無いタイプの、衝撃的ラストが魅力の作品ではありますがマジックを題材にしたサスペンス系作品として括られる映画の一つとしては目新しさの上では 特に際立ったものは無く『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズなどいわゆる欧州コスチューム系ダークファンタジーなどで描かれて来た既に手垢の付いたビジュアル に一度観ただけでは分かり難い 布石に満ちた物語構成とフラッシュバックなどを多用した観念的で見やすく無い画面構成に「衝撃的ラスト」そのものが 反則 ではないかという他方の意見からも批評家の評価も高い大ヒット作ではありましたが豪華キャストが演じるこの手の話題作にしては絶賛に繋がらない問題作となった事に置いても異色作となった作品と 言えると思います。したがって数多くの共演者が未曾有の群像劇を繰り広げる様な驚異の映像で壮大なテーマを描いた物語 という訳でも無い本作は物語は至って、主役二人の確執の行方を追う舞台劇に近い内容としてリアルなモダニズム映像に豪華キャストによる迫真の演技が観られる作品ながらも娯楽アクション作品に心象世界的要素を融合しこれまでにない ダークなタッチの刺激的映像を生み出し多くの娯楽アクション大作を撮ってきたノーラン監督の作品にしては「地味」という評価が多いのも事実であり近年公開された 『グランド・イリュージョン』の様な派手な演出のクライム系エンタテイメントミステリーを期待した方は肩透かし を喰らう作品かもしれません。一方で、これまでも新作を作る度 過去製作されたハリウッド映画を引用し出典を隠すこと無くその「雰囲気」を 現代に蘇らせたい 旨を明言して来たクリストファー・ノーラン監督の言及にもある通りSF超大作作品『インターステラー』では既にTVドラマ『スタートレックシリーズ』の中で描かれた既存の物語設定や一部ロバート・ゼメキス監督作品 (97)『コンタクト』に似たコンセプトを使用し代表作 (01)『メメント』にしても、物語が逆行するという作りに付いてはファンタジー系小説の分野では 夢野久作作品の時代から存在した既出のアイデアであり、さほど珍しく無いものだったりと 言った様に本作も 革命的内容や 新しさを求めた所に制作目的は感じられず、むしろ、過去のハリウッド作品の雰囲気を踏襲した既存のビジュアルを利用し・・・・・・映画のネタバレに触れる為、ボカシて解説しますが・・・・・・使い古された事を承知の上で「コスチュームプレイ」を題材にした事を含めたある先入観 を鑑賞者に与える事を目的として全ては映画全体をマジックの演目に据えて様々に張り巡らされた伏線を「トリックの鍵」としての布石として利用する為の巧妙な演出 が施された作品と 言えると思います。■知りたいけれど、知ってしまったらあっけない「マジックの種」に纏わる華やかしいステージの成功の裏に潜む 光と影と闇 を描き19世紀の欧州を背景にした怪奇で幻想的な世界観にサスペンス、ミステリー、ユーモア、果てはSFテイストに至る既存する多くの要素を投入し 化学反応的な再構築で脚色されノーラン監督の特徴でもある深層心理を刺激する息も詰まる様な重々しいタッチで描がれたダーク・ファンタジー作品としての世界観を持ちながらミステリー サスペンス映画らしい思いも寄らぬ衝撃的ラストが待っている、本作はそんな摩訶不思議で絢爛豪華な イリュージョンの舞台を観ている様なエンタテインメント作品として愉しめ一度見ただけでは理解出来ない、何度も見返しては新たな発見を確かめてしまう様なタイプの布石満載の一作だと思います☆映画『コンタクト』のレビューは≫コチラから コンタクト【Blu-ray】 [ ジョディ・フォスター ]価格:1500円(税込、送料無料) (2017/4/2時点)▲目次へ▲■ デヴィッド・ボウイ演じる実在の天才発明家ニコラ・テスラ■(wikimedia)David Bowie1947-2016今年1月の突然の訃報に世界に衝撃が走りこれまで音楽のみならず、様々なシーンで類まれな才能を発揮し日本でもビジュアル系ロックのジャンル確立の核となったアート系ロックの創始者的な存在として様々なミリオンセラーアルバムや問題作を世に送り出した歴史的大スター 、デヴィッド・ボウイ が本作では 実在した発明家 ニコラ・テスラ を演じ物語の「鍵」を握るミステリアスな人物を好演しました。Nikola Tesla (wikimedia)ニコラ・テスラは「交流電気」の開発者として知られラジコン、蛍光灯、無線送電などのシステムを開発した人物としても知られておりますがその発明の数々が、周りの理解を得られない様な余りにも先進的過ぎるものばかりだった事や謎の発明と呼ばれるものが数多く存在する事などから異端の科学者、マッドサイエンティストとして語られる事の多い人物でもあります。■ テスラの放電実験の様子は映画本編 科学博覧会の場面などにも登場しAndy Serkis (wikimedia)この場面で、(01)『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムや(05)『キングコング』(14)『GODZILLA』で モーションキャプチャを担当したアンディ・サーキス 演じるテスラの 助手アリーが「安全です」「エジソン側の陰謀です」を連呼していましたが当時 エジソン 側が交流電気は感電死する危険性がある事を訴えて自分たちが開発した 直流電気 の優位性を唱えていた事に対して交流電気を人体に流す公開実験を行い安全性を主張していた事での理由からでした。他にも「エジソン」の関係者を名乗る謎の人物たちがテスラの研究所を嗅ぎまわる描写がありますがこれは、テスラが開発した「交流」とエジソンが開発した「直流」 とで電気の企画の採用を巡っての争いと、それに伴う確執を描写したものでこれらは主人公達の因縁を彷彿させる映画のひとつの「鍵」にも感じられるプロットの様でもあります。ラボラトリーでの実験風景 (wikipedia)本作のテスラは1899年のコロラド・スプリングスにある研究所で極秘の研究を進める科学者として登場しますテスラの実験に招かれたヒュー・ジャックマン演じるアンジャーが雪の地面に埋められた光る電球に驚くという場面がありましたが、この頃のテスラは 「世界システム」と呼ばれるプロジェクトを米国のコロラド・スプリングスで進めていた時期という事で電波を使って情報とエネルギーを転送し 世界中に供給する事を目的とした無線通信や 無線送電の研究の実験を再現したものと思われますこれは地球を巨大なコイルに見立てて電気を帯電させ電球を点灯させるという実験でしたがこれが100年以上前の世界で行われていたとは信じ難い程のいわゆる「種」は 「科学」だと 頭では分かっていても現代人の私達の目から見てすら「魔法」の様に見える点が本作のひとつの「鍵」となる重要な場面であると言えるのでしょう。無線送電装置 ウォーデンクリフ・タワー (wikimedia)■所で、テスラ初登場の場面では放電実験機をしれっと横切ったテスラが電球を手で点灯させるパフォマンスを見せますが電球が点灯する時「パッツ」というフィラメント独特の音が聞こえる事から手に持っていた電球も 雪に埋められた電球もおそらくエジソンが発明した「白熱球」では無くテスラが開発した「蛍光灯」のプロトタイプだったと思われますその後、アンジャーとの食事の席では『最初は賞賛され、次には引退しろと言われた』と語っていますがこれは 金儲けや政治に興味のないテスラが人類に寄与する事を目的として次々と革命的発明を続け 既存のシステムを書き換える行為に対して起業家達から受けた脅威と敵視の念を言い表したセリフと思われます。■テスラは18世紀の時代の人物とは思えない様な驚くべきシステムを発案した余りにも登場が早すぎた天才であっただけではなく先程の「世界システム」の挫折以降も 数々の発明を続け研究心の衰えを見せることはありませんでしたがこの手の天才にありがちな、波乱な変転のみを強調した色眼鏡で眺めて歪められた人物像から、正当な評価を受けなかった不遇の科学者でもありました。晩年期は 無限エネルギーや 粒子兵器 などの SFまがいな疑似科学に霊界通信装置などの オカルト紛いな研究に没頭した事から度々小説、映画、スチームパンクなどの作品の中の登場人物として「マッドサイエンティスト」として描かれる事が多く日本でも実在した江戸時代の科学者「日高源内」を登場人物にした実像とは違った「想像上のキャラクター」として描かれた時代劇風SFファンタジー系作品があるのと同じ様に屡々テスラは実像とは違った形で人物像が語られる実在した架空のキャラクターとして海外では良く知られる存在となった人物でもあります。そう言った意味を含めても、「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。」と語った『2001年宇宙の旅』の作者アーサー・C・クラーク の三法則の言葉にもある様にテスラは正に「魔術と科学」を、更には奇しくも自らの存在を持って「架空と現実」の境を無くした最初の人物だったとも言えるのかもしれません。▲目次へ▲■ 世界的ロックバンド「レディオヘッド」トム・ヨークの主題曲■Thom Yorke (wikimedia)世界的オルタナティヴ・ロックバンド「レディオヘッド」のボーカルにして中心人物のトム・ヨークが本作のエンディング主題歌をソロ名義で担当した事でも話題になりました。■■テクノロジーを駆使した「レディオヘッド」サウンドで語られがちなアーティストというイメージがありますが誰もが耳にしているおなじみの楽器として一番に挙げられる「ピアノ」を使って演奏しても誰も聴いた事の無い音空間を構築するトム・ヨーク独特の音世界を感じる楽曲で人生とは分析する時間がないことを思い知る事 と歌われる人の心の底に潜む闇や狂気を、静かな語り口で描いた作品で本作のラストシーンの衝撃を 静かに深く刻みつける様な印象的なタイトルロールと なったように思いました。本曲の音楽のレビューは ≫コチラジ・イレイザー [ トム・ヨーク ]価格:1,832円(税込、送料込)▲目次へ▲PART2【完全ネタバレ解説篇】※ご注意ここから先は映画『プレステージ』を鑑賞済みの方向けの謎解き解説記事となっております「もくじ」にも 本作の根幹となる「ネタバレ」が含まれている為映画未見の方のこの先の記事鑑賞はお勧め致しかねます。以上の事を踏まえてご覧になりたい方のみ▼コチラ▼PART2【ネタバレ解説編】へと、お進みください。
2017年04月02日
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☆TOPページARCHIVE☆『Wikiの写真で一言』-第14回-秋の夜長の特別企画「コロナ禍の一言全部見せます」■2020年5月~2021年3月掲載分■-------------------------------------------------------------------■もくじ■2020年5月掲載『Wikiの写真で自粛中の一言』■1.コロナ禍語「ソーシャルディスタンス」■2020年6月掲載『Wikiの写真で緊急事態解除後の一言』■2.密となる空間で「クラスター」発生■2020年7月掲載『wikiの写真で緊急事態解除後の一言』■3.往来リスクで大打撃を受ける外食産業■2020年8月掲載『wikiの写真でアラートな一言』■4.意味のない「東京アラート」■2020年9月掲載『wikiの写真で瑛人な一言』■5.コロナ禍のヒット曲「香水」の「クズ」の意味■■6.自粛期間に観た「いだてん」を再評価する噺■2020年10月掲載『wikiの写真で映画記事予告な一言』■7.逆行ミステリー「テネット」■2020年11月掲載『wikiの写真で戦◯な一言』■8.「コロナ戦争」と呼ばれた4年間■2020年12月掲載『wikiの写真で未知への世界の一言』■9.コロナはどの様に生まれ どう収束するのか「地産地消」が鍵■2021年1月掲載『wikiの写真で新年の一言』■10.災害に遭った外食産業と喰い物にされた補助金■なぜ冷凍餃子無人販売店が出現したのか2021年2月掲載『wikiの写真で2月の一言というか苦言』■11.コロナ禍が促進するキャンセルカルチャーの蔓延■2021年3月掲載『wikiの写真で宣言解除前の一言』■12.「終息」では無く「収束」へのフェーズ■-------------------------------------------------------------------□さて今回は、コロナ禍に入って更新したトップページの纏めという事でwikiの「動物」画像を選び、擬人化した動物に何かを言わせやんわりと世の風潮の歪みを浮かび上がらせてメスを入れる当サイトの「鳥獣戯画」となった「動物シリーズ」を紹介しながら今一度、コロナ禍に於いての世の中の動向をお得意の妄想を交えながら楽天ブログ名物出版レベル6万文字突破っつ!!!大量文章特盛っつ!!!で秋の夜長の深まる季節を感じつつ振り返ってみたいと思います。wという訳でまずはこの「小ネタ」を御覧ください・・・▲目次へ▲□■■■■■■■■■■■2020年5月掲載■『wikiの写真で自粛中の一言』Adelie penguins in the South Shetland Islands (画像参照:wikimedia)ペンギン 右上『よしっつ!!!後は不要不急を自粛すれば良いそうだ!』ペンギン 中『それでコレが3密を避けるってヤツかう~ん・・・どれもコレもピンとこない分かりづらい言葉 だよなあ・・・』ペンギン 左下『・・・でいつまでこうしてるんだ?』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、PPPは一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■■1.コロナ禍語「ソーシャルディスタンス」■■コロナ禍を象徴するワードに「ソーシャルディスタンス」という言葉がありましたこれは、人と人との間に一定の距離を置いて接しなければならなくなったコロナ禍ならではの不自由さを最も端的に表した言葉で親しい仲であっても家族であっても接する事が出来なくなり日常的に肌と肌を接してきた欧米では事実上の人間関係の「断絶」と言っても過言ではない近代史上かつてないコミュニケーションの危機的状況に陥る事になりましたそれは同時にインターネットの発達に伴う情報過多な多様性社会に於いての他人への関心が持てなくなる個人主義の兆候がより極まる事になって行く事でもあるのでした■全ての始まりは2019年11月22日湖北省武漢市で発生した原因不明のウイルス性肺炎はその後猛威を振るって中国全土へと感染を拡げ保菌者の出国で感染を国外へ拡大させまたたく間に世界の経済を麻痺させる社会経済史上かつて無い『パンデミック』を引き起こしました。「新型コロナウィルス感染症」と命名された人を媒介して感染する この新型感染症はウイルスが付着した手で鼻や目や口を触る事による「接触」に咳やくしゃみによる「飛沫」や人同士の接触が「密」となる屋内施設での「空気感染」が「感染経路」になり得る事の他はこれまでのウィルス性感染症のタイプのどれとも異なり「急性呼吸器疾患」と呼ばれる重度の肺炎を引き起こしやがて死に至る極めて深刻度の高い疾患から全くの無症状ものものまでと症状が幅広く感染症特有の特異な症状というものが無い事でも異質でした。それ故に当初は楽観視した専門家が感染症に対して異なる見識を述べるなどの情報が錯綜して広まった事で誤った認識が拡がり、発生した当初は深刻な疾患症状が問題視されながらも夏になれば死滅する一過性の類の辺境地に於いての典型的疾患症に過ぎないという現実味の無い「対岸の火事」の様な認識で捉えられていました。しかし2020年2月に712人の患者が確認されたクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号内での集団発生事例で日本への感染症拡大が急に現実味を帯びて行き横浜港で2週間にわたり乗船客を隔離したものの初動の対応の不手際から新型コロナウイルスの封じ込めには至らず、これによって日本での事実上のコロナ上陸となるのでした。■その後は「マスク」の常時着用や人とは一定の間隔を取って接っする事を義務付けられ「ソーシャルディスタンス」「3密」「人流」「ステイホーム」などの新語の登場と共に専門家の意見によって一週間おきに言うことが変わるTVの情報番組や政府の方針に対しても一体どの情報が本当でどの対応が好ましいのか判断する術が無いまま毎日の様に報道される疾患者の数によってその猛威の様を確認する日常に追われる日々を送りこれらの災難を含めて コロナ禍 と呼ばれる様になるのでした■▲目次へ▲■□■■■■■■■■■■2020年6月掲載■『wikiの写真で緊急事態解除後の一言』Polar bears near north pole (画像参照:wikimedia)白熊A『お~~~~~いっつ!!!いつもの店っつ開いてるてよっつw行かないのかっつw!!?どうせ行くのは俺ら位だからぁ~wっつww絶対空いてるwしぃ~っつw大丈夫だってwwっつ!!!』白熊B『・・・コレが、第2波ってヤツか・・・』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、白熊は一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■■2.密となる空間で「クラスター」発生■■「事故」「事件」「災害」の検証などで使われ危険な状況でも都合の悪い情報は無視し過小評価して認知する特性を表す「正常性バイアス」と言う言葉がありますがこの「自分だけは大丈夫だろう」という考えで行動した事でもたらしたコロナ禍での最たる災害が「クラスター」だと言えます■通勤電車でのラッシュや歩行者で混雑した歩道など人との接触が日常的に行われる日本の狭い住宅事情に於いては「クラスター」による集団感染拡大が早い段階から指摘されていましたそれによるマスクの着用は元より2メートル以上の対人距離を取るソーシャルディスタンスの確保特に「施設内」での感染防止用 消毒液 の常駐、飛沫防止アクリル板 の導入コロナによる発熱の動向を知る 検温器 の常設に加え施設内での空気循環、車同乗での窓の換気、等接触感染及び空気感染防止の取り組みを踏まえた感染症予防対策の取られた社会づくりが進められて行きます。特に都心部繁華街で立ち並ぶ様に店舗を出店する「飲食店」に於ける感染症予防対策の制限は厳しくマスク着用の義務化は勿論の事、3密を避ける為の入店制限や窓やドアの常時開放隣り合う相席を避け向かい合う客との間にはパーテーションの設置他にもシェア用の大皿での提供の禁止やTV上映を止めて来店客の滞在時短化をめざす など飲食店経営者にとっては経済的な打撃を受ける事案というだけでは無く消費者に取ってみても単に食事をするという基本的な事に於いての制限が掛けられた事でこれまで当たり前に生活を行って来た「日常」が奪われて行くというこれまで想像する事も無かった事態を受け入れなければならない現実に人々は只々震撼するしかありませんでした社会からは 活気を生み出す「営み」が途絶え日常からは 日々の糧となる「愉しみ」が奪われ家庭からは 感染者とならない「在宅」が長期化し生活からは 感染から守る「マスク」が不足する様々な自粛を強いられる成約の中で生活を行い次々と現れる想定外な問題に対面するその様な先の見えない社会の時流の中で感染対策を万全を期す持続可能な社会であり続ける為にこれまで社会で生活を送る上で保証されてきた『自由な考えに基づく行動』『思い描いた計画通りの活動』が奪われた状態で溜まり続ける社会的 ストレス に対して私達が今後これらに どう向き合って行くか が問われる事でもありました。■▲目次へ▲■■□■■■■■■■■■2020年7月掲載■『wikiの写真で緊急事態解除後の一言』Grant's Zebras in the Ngorongoro Crater, Tanzania. (画像参照:wikimedia)『・・・往来リスクで外食しづらくなったなぁ・・・』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、縞馬と、コロナ禍は一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■■3.往来リスクで大打撃を受ける外食産業■■家族への感染の他、社内感染や学校内感染の原因となった出張や外食で感染を持ち帰った人物が社内や家族を感染させてそうして感染した子供が自覚のないまま登校して学校で更に感染を広げる「往来リスク」が叫ばれる様になり不要な外出を避け、やむを得ない理由以外の出張を止める外出機会そのものを縮減する取り組みが行われますそうした中で、飲食店で飲食をする事そのものを「リスク化」する社会的傾向から人が居ない飲食店で食事をして目立ちたく無い事を気にする層が人が入っている飲食店に入店しがちになり結果的に感染リスクを高めるという「往来リスク」の中でも極めて日本的価値観に於けるこれらはコロナ禍に置いて浮かび上がった日本ならではの隠れた社会問題の一つとなります■感染リスク削減としてまず日常に於いての三密化の防止対策としては通勤で使われる電車、バス内の三密化対策には通勤時間をずらす事では抜本的解決には至らないとして業種によっては可能な限り在宅勤務を要請しネット回線を利用した「テレワーク」での業務を主流とさせるなどのこれまでに無い、社会を挙げての通勤そのものを無くす大掛かりな 働き方改革 の取り組みが行われます。また、教育機関では長期に渡る休校の措置が取られ再開後も音楽合唱、密になる運動などの感染リスクの高い授業は行わず、窓を開けるなどの空気環境の可視化での感染対策を行い学習内容活動に合わせた工夫をそれぞれ取りながら教育活動を継続し、生徒達の健やかな学びを保証する学校での新しい生活様式の実施が行われました。娯楽に於いては、「カラオケ」の様な閉鎖空間を作る施設や「スポーツジム」「ボーリング場」の様な大型施設、「音楽コンサート」「スポーツ観戦」「映画鑑賞」の様な自然と三密となるのが必須なイベントに於いては中止や延期の対応が取られる様になります。一方で、これらの弊害として学生として一生の想い出となる筈の「文化祭」「修学旅行」などの行事が制限されマスク着用義務から、中学、高校で三年間共にした同級生の本当の「顔」を知らないまま卒業するというケースやマスク姿で一目惚れされた女性が初めての食事の時マスクを外すのが怖かったという話やカラオケやスポーツでストレスを発散して来た層が車の中で唄い室内で運動して何とかしのいでいるなどコロナ禍はこの様な誰もが当たり前に享受してきた人としての生活を奪う事になるのでしたその様な中で、生活の三大要素の中の「食」を司る事でも重要な人と接触する営業が常となる 外食業界 に於いては日常的に三密空間を作り容易に「クラスター」を引き起こし得る日本における最大級の警戒を要する業種として認識され行政からの時短営業や休業要請に応じながらの営業を強いられる事になります。これによって外食産業を取り巻く状況は悪化しいち早くテイクアウトで対応する店舗や、コロナ禍の中で需要を伸ばし急成長を遂げた欧米発のデリバリーサービスUber Eats などの宅配を利用可能な一部都市の他は薄利多売で商いを行っていた多くの小規模経営な飲食店などは経営が立ち行かなくなる店舗を続出させる事となり先の見えない中で一方的な時短要請と行き届かない救済措置に加えて交通ルールを守らず事故を起こしたり中身が散剤して食べられる状態では無いものを平気で渡そうとする問題を起こした配達員の責任を負わないUber Eatsの業務体質が社会問題化して大きく取り上げられるなどある意味外食産業はコロナ禍に於いての元凶のレッテルを貼られたも同然の「スケープゴート」の様な不名誉な立場となった事を含めてなぜ外食産業だけがという、業界からの疑問と不満が噴出しそれがしいては 全てが後手後手と回る政府の対応への不満へと繋がって行く事になります。■▲目次へ▲■■■□■■■■■■■■2020年8月掲載■『wikiの写真でアラートな一言』Plains zebra walking at Klein Namutoni with a storm and rainbow in the background, Etosha National Park. (画像参照:wikimedia)『あのアラートって何か意味あったのかなぁ~w』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、縞馬と、真っ赤なレインボーブリッジ は一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■■4.意味のない「東京アラート」■■それは後に「何の意味があったのか」と批判された「東京アラート」なる都内の感染状況を都民に的確に知らせ警戒を呼びかけるものとして2020年6月に東京都に発令された何かとてつもない事が起こった事を錯覚させそれでいて自粛を要請するわけでもない都庁とレインボーブリッジを赤くライトアップさせるというだけのそれを見物しに出かける都民すら居たという都の単なるパフォーマンスだった事ひとつ取ってみても夜に実施された「火の用心」呼びかけが市民の暮らしの一部となっていた昭和の時代とは異なり突如実施される「東京アラート」が「三密を警戒して欲しい」という指標と捉えにくいものがあったのは無闇矢鱈に新基準を示して都民の不安を煽るよりも赤いライトアップをする事で警戒は怠らずに穏やかに夜を過ごして欲しいという都民への用心の呼びかけのサインだった都庁の配慮が近代社会史上未曾有のパンデミックの状況下で新たな基準も無しに新しい事を始める事で不安を駆り立てるものとなり当時は都知事選に忙しくしながら都民に全く寄り添っていない行政の姿勢が明るみとなった混迷の時代を反映させた出来事だと言えました■▲目次へ▲■■■■□■■■■■■■2020年9月掲載■『wikiの写真で瑛人な一言』Jubilee and Munin, Tower of London ravens (画像参照:wikimedia)カラス左『だからぁ~Tic Tocでバズって香水が売れたのっつ』カラス右『・・・ん~~?~何?・・・!チクっつ?バス?・・・ダメだっつ全然分からんっつ』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、カラスと、Tik T◯k は一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■■5.コロナ禍のヒット曲「香水」の「クズ」の意味■■コロナ禍の中でヒットした楽曲の中でも瑛人の「香水」はある意味コロナ禍で生活の自粛を強いられるストレスからの閉鎖感を象徴する様な楽調への共感からのヒットだったと言えます特にPVの、黒背景で行き場の無いストレスを表現する様なダンスとギターの機械的ループ的バッキングをバックに単調な中にR&Bを感じる揺れる歌唱で言い様のない「怒り」を唄った所に「Tic Toc」で若い世代に刺さった理由があったと思われます又この曲のキラーワードとなった「ドルチェ&ガッバーナ」は後に流行語となり社会現象化した事もこの楽曲のブレイクへと繋がりました最近は表舞台から消えた印象のある瑛人ですが良く言われる「一発屋」だったどうかはさて置き・・・w「コロナ禍」という特別な風潮がこの楽曲をヒットさせた要因であるのは日本の歌謡史に於いても前例のない風潮下での興味深いヒット曲となった事は間違い無いと言えますさて、この曲にはもう一つのキラーワード「クズ」というのがありますがこれが「ドルチェ&ガッバーナ」というワードをなぜ際立たせるのかは知る限り語られていない様なので今更ですがこの機会に少し解説してみようと思います・・・この曲で描かれている事は瑛人の実体験を元にしたものだそうですがこの楽曲で描かれる人物がどの様な「クズ」なのかは「♪人を傷つけて泣かせても何も感じ取れなくてさ」で分かるのですが歌詞はこの人物がこの様な「性質」であるから「クズ」であるとはして居ても実は具体的に何をやって傷つかせて泣かせたのかは何も語っておりませんそれはこの楽曲を聴いた鑑賞者自身が自分の経験を投影して共感する所に本曲のヒットの要因があった事からもどんな事にも当てはまる様な事だけ書き真相は「はぐらかしている」事が分かりますしかしサビでは「♪君のドルチェ&ガッバーナのその香水のせいだよ」と具体的な「アイテム」を示しているのでこれが「クズ」の理由だと言えますであるならば「香水」とは何かのメタファーというよりは具体的なものからはぐらかす為に使った「香水」では無く「香水」を付けている人物の「身体」が忘れられないという事を遠回しに語っている事が分かりますつまりこの人物が「クズ」なのは「人の痛みが分からない」様な「人の心が分からない」故に女性と付き合っても「心」では無く「身体」しか求めないという本当の理由が見えてきますただ日本の歌謡史において男女の恋愛関係を唄った曲で「心よりも身体を求めてしまう」とか「人の身体の温もりしか信じられない」という様な表現は昔から良く使われる割りと使い古された表現なのでこの曲に置いての「女の身体しか興味のない男」だから「クズ」という描き方は当たり前過ぎて目新しさは全くないと言えますしかしこの曲が「身体を忘れられない」という表現を「香水」に置き換えて人の心が分からずに人の身体の温もりだけしか信じられずに身体しか求めない自分に怒り結局それを繰り返す自分が居て昔付き合った女性の身体から発する香りが引き金となってそれが又再び誘発される自分が居るという自分の行動の理由が分からない苛立ちと心の「闇」を「香水のせい」とオシャレなアイテムで表現したギャップがどうしてこうなったのか何のせいなのか分からないコロナ禍の閉鎖空間でのストレス社会にハマった所に大ヒットの真の要因があったと言えますただ作者が現在メインストリームから消えた感じになっているのはこれらを狙って作ったのでは無く分析したらその様な意味が浮かび上がったというだけでコロナ禍も含めておそらく全てが偶発的に生まれたという所に「一発屋」と語られる理由がある様なそんな印象のあるコロナ禍を代表する楽曲でしたw■■■■■□■6.自粛期間に観た「いだてん」を再評価する噺■もうひとつwこの自粛期間を利用して、録り溜めたTV番組を消化したり動画サービスに加入して映画鑑賞する方も多い事と思いますがウチは「いだてん~東京オリムピック噺~」にハマりましたWこのドラマは「あまちゃん」の脚本家、宮藤官九郎の大河ドラマという事で鳴り物入りで作られ本作終了後の次の年2020年に東京オリンピック開催予定だった事で大ヒット間違いなしの手応えに鼻息荒い某国営放送の思惑とは裏腹に蓋を開けてみればお金をかけた割には地味なストーリー展開になった事と「あまちゃん」の時のグイグイ来る様なクドカンワールド無く勝負に負けて仕事を取られるネガティブな内容で占められ大河らしく無いリアリティーにも重厚感にも欠ける内容になった事で「あまちゃん」テイストを期待した視聴者層と従来の大河ドラマファン層の期待を裏切る視聴者層帯を見誤った某国営放送の失敗で低視聴率に喘ぎながら最終回は大河史上最低の8.3%という大河史上最低の烙印を押される形でゴールとなったいわゆる「失敗作」として語られたドラマでしたこのドラマは当時は全話録画しながら毎週観てはいましたが金栗四三がマラソン競技を体調不調で棄権した後の第10話辺で当初の勢いが無くなり物語のトーンが落ちた為重苦しい視聴感が耐えられずにリタイアしましたその後も視聴率が冴えないという話が毎日の様に入って来た為にまして観る事は無かった訳ですしかしコロナ禍に入った後の秋頃に47話ものボリュームでHDDの容量を圧迫しているこのドラマを削除しようとした時酔狂で再び第1話から鑑賞し始めた所何の先入観無く物語に入りやすくなったからなのか良いテンポで「金栗四三編」24話を鑑賞しその後、阿部サダヲ演じるオリンピック委員長「田畑政治編」のどの様な試練や困難が立ち塞がろうともエネルギッシュな人柄と図々しい持ち前で全てを打ち破りながら只々東京オリンピック開催一つにこだわり続けたこの人物の動向から目が離せなくなり世間一般が下した「最低ドラマ」の烙印とはアレは一体何だったのか?という位ドラマに引き込まれて行きました特に第39話『懐かしの満州』は古今亭志ん生の体験談を元にした渾身の脚本で描かれた正に「神回」でかつて「落語がジャマ」と叩かれた本作のこの回の視聴率が番組最低の3.7%というありえない低評価に驚きを禁じえませんでした考えてみれば大ヒットと言われた「木更津キャッツアイ」も視聴率は 8% 9%台だったのに対して後のDVD販売、レンタルでブレイクした作品でしたつまりはクドカン作品とは話題のドラマが情報番組などで取り上げられる事でそれまで観ていなかった視聴者が見始めて途中から視聴率がどんどん上がってくる様なものとは異なり第一話からしっかり観たいと思わせる作品なのであり後に失敗の原因も主人公が有名人ではない とかレースに負けたり仕事を政治家に横取りされたり主人公が偉業を成し遂げるカタルシスが無い とか結局朝ドラみたいじゃん とか散々言われてきましたがどれも的外れだと言えますまず主人公が「有名人ではない」という指摘ですがそもそも殆どのドラマの主人公は「架空」ですドラマとは「作品」でありその中心的存在が「主人公」なのであってキャラクターの有名無名は関係ありません「偉業を成し遂げるなどのカタルシスがない」という指摘ですがそういう 実話 です又「偉業を成し遂げる」というのも物語においての カタルシスの形の一つだと言えるので「水戸黄門」ではないので印籠の様な秘密兵器を持つわけありませんし「半沢直樹」ではないのでご都合主義よろしく毎回倍返しされませんからそういう意味においてのカタルシスは期待するのが無理だと言えますクドカン作品は「あまちゃん」でも見られた様に「成功」する事だけが「成功ではない」怒涛の人生を描く所に魅力があり物語内に緻密に張られた伏線が最後に見事に回収されるそういう「カタルシス」がしっかりとあるわけです「結局朝ドラみたいじゃん」という指摘に付いては結局視聴者はそれを期待していた筈です特に制作した某国営放送に至っては低視聴率にあえいだ事でトップが「長い一年だった」とため息を漏らしたと聞きますが「朝ドラ」と「大河」の視聴層はまるで違うのでそれは想定するべき事だったと言えます故に真の失敗を招いたのはこれは私もそうでしたが、連日の様に「いだてん低視聴率で草W」みたいな記事が流れる事で「失敗作の典型」の様に印象付けられた所にありトドメは最大の理解者であるはずの某国営放送ですらトップが「長い一年だった」とため息を漏らすというどの様なタイプの作品なのかをしっかりと伝える事を怠り天下のクドカンドラマの失速にコレは使えると色めき立ちサルもクドカンも木から落ちる的な報道を一年に渡り続ければ某NHKのトップもため息を漏らすし(NHKと言ってるっつ!!!)視聴率ありきでしか未だ作品を語らないばかりか世間は「失敗報道」を喜ぶ、その程度のモノだと思い込んでいるTVマスメディアの旧体質に問題があったと思われます全く視聴者もマスコミもどこに目を付けていたのかっつブツブツ・・・「節穴」と言う他ありませんっつ!!! (・・・!オレだWWW)というわけでこの自粛期間が無ければ今頃「いだてん」はウチのHDから削除されていましたこのドラマは長丁場ながら機会があれば繰り返し観ておりますドラマを繰り返し観るのは、同じゲームを繰り返しやるのと同じで「あの世界にあの人達に又逢いたい」からというのが理由ですいつも言っている様に、良い映画良いドラマとは繰り返し見れるものであり「いだてん」は現在で3回転目ですwというコロナ禍での自粛なお噺でしたw■▲目次へ▲■■■■■■□■■■■■■2020年10月掲載■『wikiの写真で映画予告な一言』Horses on Bianditz mountain in Navarre, Spain (画像参照:wikimedia)馬左『おいっつ!!!テネットもう一回観に行くぞっつ!!!』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、馬と、TENET/テネット は一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■■7.逆行ミステリー「テネット」■■ハリウッド大手映画会社がこぞって自社作品の公開を延期する中鬼才 クリストファー・ノーラン監督作時間を逆行させる技術を使い人類に攻撃を仕掛ける未来との壮大な戦いを描いたSFアクション超大作『テネット』が2020年9月のコロナ禍の中公開された巨額な制作費を掛けたハリウッド映画として大きな話題となりましたこの映画の核となる「時間逆行」は既存の価値観では鑑賞できない難解な描写となった事で鑑賞後様々な議論を呼び、物議を醸し出した事でも知られネット上にはありとあらゆる角度で解釈を試みる様々な解説サイトが立ち上がり鑑賞後も知的好奇心が付きない数多くの映画ファン達がコロナ禍の自粛生活を強いられる中で解釈の為にもう一度鑑賞しに映画館へ足を運ぶ人も見られ謎は付きない映画の魅力に魅了されました■当初はウチも解説記事を書くつもりでしたが既に多くの解説サイトによって映画の殆どの謎は解き明かされた後でその様な中で記事を書いた所で他サイトと重複する様な内容になるのは目に見えていたので更新は諦めたという経緯がありましたそれでも、未だどのサイトも気付いていないポイントや多くのサイトが思い違いをしている所が数点程ありましたのでソコだけ、チャチャっと解説してみたいと思いますそれは・・・ 次回の更新でW■▲目次へ▲■■■■■■■□■■■■■2020年11月掲載■『wikiの写真で戦◯な一言』Warriors of Lapland (画像参照:wikimedia)兵士『弾・・・無いのバレたらどうしよう 相棒。。。』トナカイ『いいから・・・堂々としてろっつ!!!』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、兵士と、トナカイ は一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■■8.「コロナ戦争」と呼ばれた数年間■■感染予防の生活が長期化し日々のウイルス疾患の予防行為にもだんだんと慣れて行きコロナ禍の中なりに生活を営みながらもこれまでの生活とは全く異なる「命を守る為の警戒」を怠ら無いというかつて無い日常とそんな時流に身を投じなければならない未知の事態への不安からそれらがやがて「感染予防」の域を越えていつの間にか目に見えない敵と闘う「戦争」の様な体へと変貌して行っている事を認知しながら社会はこれまでに無かった不安とストレスに晒される事になります■コロナ禍は戦争に例えられて「コロナ戦争」とも呼ばれましたがこれは社会学の括りで日清戦争の戦死者となった17282人を上回る死亡者数を出す状況、事態を称した言葉として「交通戦争」の様に名称される事に倣って付けられたものと言うよりは「第二次世界大戦」などの様に生命が脅かされる危機的状況が「約4年間」続く状態を「戦争状態」の「長さ」と定義付けて他社からの攻撃で長期に渡る経営の危機的状況に陥る企業などにも適用させて「企業戦争」と捉える様に長期に渡る生命の危機的状況が続く「コロナ禍」を総じて「コロナ戦争」と呼んでいるのだと言えます従って約4年間の危機的状況が続いたコロナ禍の場合は終結に向けて(収束では無く)コロナを風土病として受け入れて「講和」状態としたものが現在の「ウィズコロナ」の取り組みの状況と捉える事が出来ます■「コロナ禍」では毎日世界で何千人もの人々が命を落とす中早期の実用化を目指した感染症ワクチンの開発が通常の何倍ものペースで進められそうして完成した感染症ワクチン接種が実施されコロナ蔓延の抑え込みが実現したと思った時に新たに変異した新型コロナウィルスが再び蔓延しそれに向けてのワクチン開発が急ピッチに進められるという変異株の蔓延する度に急ピッチで進められる抑え込みワクチン開発というこの、終わりの見えない負のサイクルが正に「戦争」と呼ばれる所以だと思いますそうしてその様な「コロナ戦争」の最中の世の中の動向も情報に対しての社会的影響を考慮しない視聴者の興味にのみ焦点を合わせただけの日々いたずらに不安を煽る報道や正しい捉え方や道理で考える事を怠り都会から訪れる人々を潜在的な保菌者と決めつけたり保菌者を特定したりする「脅迫めいた問題行為」を多発させた感染リスクにのみ過敏に反応する一部市民達の新たな「暴力」を生み出す温床となった「差別心」が宿る誤った「自警」意識や品薄となったマスクを求める声の対応に追われ無意味なタイミングでマスク無料配布を行った対面のみを整える政府の対応やかつて地震の様な災害時にでも秩序を重んじて冷静に対処する世界中の称賛を集めた日本人の集団行動の強さに対して善意のマスク配布があるとなりふり構わず人が押し寄せ無料のマスク欲しさに我先へと群がり最後尾では暴動が勃発する浅ましさが顔を出すといった日本人の個人行動の弱さを露呈させる騒動が後を絶たなかった事からも国と世間と人との意識の分断が危機的なまでに顕著となったという印象がありこちらは「戦争」というよりも「終末」の体すら感じさせるものがありましたそれ程までに社会は「限界」を越えていたと言えました■▲目次へ▲■■■■■■■■□■■■■2020年12月掲載■『wikiの写真で未知への世界の一言』Sculpture “Body and Soul” (Duk-Kyu Ryang, 2015) in front of the office building of the LVM, Münster, North Rhine-Westphalia, Germany (2016) (画像参照:wikimedia)『・・・クリスマスのモニュメントにしたかった・・・という話は 分かった、それより・・・何で、作る前に良く調べなかったんだっつ!!?スポックっつ!!!』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、スター・ト○ックと、Mr.スポ○ク は一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■■9.コロナはどの様に生まれどう収束するのか地産地消が鍵■■スタートレックは未知の世界へ挑む未来を描いたSF作品でしたがここでは未知のものを出現させる要因となるとも言われる生物多様性の問題をすこしばかり発想を飛ばしながらお得意の妄想を交えて語ってみたいと思いますさて、以前から「地産地消」という言葉を良く耳にしてきましたが対して最近は「地消地産」という言葉を聞く様になりましたどちらも良く似た言葉でありどちらも食に対しての問題意識から唱えられた言葉でありどちらも地元で生産して地元で消費する事を意味する言葉でありながら「地産地消」の方は自分達の地域で作ったものは地域の消費者が消費せよという消費者に消費意識を呼びかけて地元のリサイクルと消費者と生産者を繋げる試みを指す言葉で道の駅の様な直売所や地元スーパでの販売コーナーの設置に加えて学校給食への提供や地元ならではの料理の研究に役立てるなど地元の「消費者」のニーズに応えたものを地元で生産する為の「消費者」の消費に向けた取り組みだと言えますしかし元々「地産」は例えば東北地方は米生産などの農作物の一大産地である事から「地消」に対してニーズのバランスに過不足があるなどの課題がありましたそれに対して「地消地産」は自分達の地域で消費するものは自分達で生産せよというおいしい米を食べたいという消費者のニーズは稲を優しく育てる為の新技術を生産者に開発させそれにより新たな生産農業者や新たな市場を生みその米を使った新たな外食産業が誕生し新たな雇用を生む「生産者」への産業拡大に向けた取り組みだと言えますこの似た様で全く異なった意味を持つ言葉が実はコロナ禍の「収束」に大きく関わっているという所に最後は着地するという そんなお話です・・・■コロナの様な未知の感染症ウィルスは国土の多くが未開発な自然を有した経済国が近代化を目指し急激な地域開発を推し進めて自然破壊を繰り返して環境を激変させた事で生み出されるとされ、それは正に世の中が近代化を遂げ「便利」になって行く事による産物である事を意味し逆に考えると、それは、行き過ぎた開発を行う 現代人 が生み出したものという事になります。これがどういう事なのか理解するには「生物多様性」の見地から捉える必要がありますこれに付いては国立環境研究所 生態リスク評価・対策研究室 室長を務める「ダニ博士」こと五箇公一氏が非常に興味深い見解を述べているので詳しくは下に張った「動画」を参照いただくとして・・・因みに「ダニ博士」の動画は早口なのでwチャチャっと観ることは出来ますがひとっつも頭の中に入って来ないかもしれないのでザックリまとめますと・・・w”コロナ禍を始めとする新興感染症の発生の要因は土地利用の変化等に伴う「生物多様性」の損失にある”という事を動画で言っている訳です説明しますと・・・まずこの「生物多様性」とは1985年アメリカの生物学者が提唱した現在も世界中で支持され使用されている造語で全ての生物の間には違いがあり互いに繋がりを持つ事を表しそれぞれの「種」にはそれぞれの異なる「環境」が存在しそれらの異なる「環境」には独自の「生態系」が存在しそれらの異なる「生態系」が「連鎖」する様に繋がる事で地球全体の「生態系」が機能してそれら生物「種」の様々な多様性によって地球は恩恵を受けているという生物学的見地から環境問題を捉える考え方を指しますこれによると、それぞれの「種」は自分の生存の為に「利己的」に行動し互いに「奪い合う」のであり決して「調和」を求めたり、互いを支え合って「発展」させる様なものでは無いらしくこの「奪い合い」が足りなければ個体が増え過ぎて「天敵」の格好の餌食となり「天敵」を繁殖させる結果を生み「奪い合い」が過ぎて個体が減り出したら「絶滅」しそれに取って変わる新たな「種」がその生態系で「進化」して代わりにその環境の恩恵を得る という様なそれらの「せめぎ合い」から最も望まれる形が自然と導き出されて「バランス」を取るのが「種の生存システム」という事だそうです一見して絶妙な「調和」によって成り立っている様な自然界のバランスですがこの様な、それぞれの「種」同士の生存を懸けた「せめぎ合い」によって結果として「調和」が生み出されている事が分かりますつまり生物多様性という観点に於いて「せめぎ合い」を行う事で淘汰としての「調和」が生まれるという自然界の「種」が「利己的」な理由でせめぎ合いながら存在する事に対して「協調」と「調和」によって「社会」を営む事で生存している私達「人間」は災難に遭えば他人同士が助け合い思いやる相互互恵的、相互補完的連携で世界が繋がりながら「文化」「経済」を発展させ「文明」を進化させるという、地球上での唯一の「利他的」な行動で発展し存在する「種」であり「文化」と「文明」の利器無しで丸腰でジャングルに放り出されたら瞬く間に猛獣たちの餌食になり、食べ物や水は小動物や鳥達に奪われ爬虫類や昆虫の毒にやられて、細菌によって病気にかかり、ウィルスで命を奪われる地球上での最弱な「種」でもあるという訳ですここで、「蟻 は踏み潰せるだろうになぜ最弱?」 と言う「種の生存システム」の話の意味をまだ良く分かっておられない方は今は人間と蟻を「大きさ」で査定しているのでは無くシステムの中の「機能」を司る「種」としての「ポテンシャル」の面から捉える「相対的評価」の話である所に注目して頂き現在人類が持ち挙げる事が出来る「重量」が東京オリンピック世界記録保持者ラシャ・タラハゼが持つ「105kg超級」の265kgが最高で自分の体の約2.5倍の物を2秒間持ち上げる事に対して蟻は自分の体重の70倍の物を巣まで運ぶ事が出来るのでラシャなら73トンの物を自宅まで運ぶ事になる訳です故に、人間は身体能力のポテンシャルに於いて蟻にも劣る事がこれで分かります只、板垣退助の人気格闘コミック「範馬刃牙」第2巻刃牙が「蟻」よりも強い「100キロ級のカマキリ」との勝負を想像力を駆使し「シャドーファイト」する回ではイメージで熾烈な勝負をした末にカマキリの天敵の鳥の動きを入れた像形拳で勝利し「そして、とうとうバキさんは異種の世界から一周まわって同種格闘技への世界へ踏み込んだ」という名言を生みました又、現実世界では 昭和の大スターでプロレスラーの「力道山」も素手でヒグマに勝ってますので「ヒエラルキー」という見地からだと一概には言えません(漫画ですがw)只人間は、教育の知識によって思考の幅を広げ、道具によって行動の幅を広げ衣服によって身体を保護し、料理によって様々な食材を加工し食し家屋によって雨風をしのぎ、船舶によって大海原を渡って他国へ旅し、火によって生活様式が深夜まで及び、経済社会によって活動の範囲を広げ武器によって身体能力を補完し、書籍によってこれまでの歴史を刻む「文明」「文化」の力によって、ジャングル地帯へも重装備で挑む事が可能となり自然界に対して「対等」な立場を得て来た「歴史」があるので「拳闘」を「文化」と捉えれば「拳闘」の技術なしにカマキリに「素手」で勝負を挑んでも「シャドーファイト」で負けは決定的だと言えますので (漫画ですがW)人間はやはり自然界の「頂点捕食者」にはなり得ないという事が分かりますが「文明」「文化」を持ち得て「対等」な関係で居続けていた事で自然界は人間社会と「調和」を保って居たと言えますしかし人間は20世紀以降、化石燃料をエネルギーとした社会システムを構築すると巨大重機による都市開発、工業による大量生産、巨大船舶、車社会による大量輸送を実現しポテンシャル以上の発展を急激に遂げこれによって自然界とは対等の関係では無くなるだけでは無く暮らし向きを向上させる為に未開発地域の更なる開発によって自然界を破壊するにまで及ぶ様になって絶妙なバランスで保ってきた自然界の生態系システムに於ける「調和」を人間が「利己的」な理由で「破壊」する事になります21世紀に入った所で 生態系システムの「狂い」が石油燃料多用による二酸化炭素率が上昇して温暖化現象が起こり各地で異常気象を発生させ 気温上昇で南極、北極の氷が溶け水位が上昇し汚染、資源の枯渇などの環境問題を引き起こすのも生態系を含んだ生物の多様性が急速に劣化して人間社会にも影響を及ぼしているのもこれら「破壊行為」をしているのは「人間」の社会活動によるものであり全ては豊かな暮らしを求めて自然を破壊して来た「人間」のせいだと言う訳ですそうなると今度は、これまで人里離れたジャングルの奥深くで動物に感染しながら感染した動物の中でひっそりと進化して生息してきた未知のウィルスが本来の生息地だったジャングルの奥地の生態系を人間に破壊された事で新興感染症として出現させる事となり自然を破壊して動物の棲家を奪いながら活動範囲を広げて生物の多様性を急速に劣化せながら森の奥深くに足を踏み入れて来た人間にウィルスが「宿主」を変えて自然のジャングルから都会のジャングルに生息地を変更し感染した人間の中で進化してコロナウィルスの様な未知の感染症が生まれる事に繋がって行く訳ですこのコロナウィルスはこれまでの歴史上類を見ない程の感染力があり南極以外全ての地域で感染が確認されて、それが数日で広がった事でも人類の歴史上始まって以来でその理由が正に「人間活動」によって行われている所にコロナ拡大の真の理由があると言えます説明しますと・・・化石燃料で発展した「文明」「文化」が未開拓地方の都市化を進行させそれら地方がやがて世界と繋がり「グローバル化」が進み開拓された地は「巨大な街」となり 都市の機能で守られる様になって各地で自然界の様々な脅威が次々と取り去られて行く事になりますそうした「安心」と引き換えに特に他人に頼らなくても自分ひとりで生きて行けると確信させる都市のシステムに守られた「新たな環境」での生活の影響によって人間本来の特徴だった集団生活を維持する中で生まれる「他人を思いやる」気持ちが徐々に薄れていき話した事も話す気も無い赤の他人の事より今の自分が大事という「利己主義」が優先される様になりそれが 今の世の中を作っている と言えますコロナの最も恐れるべき点は、エボラの時の様な、感染者本人のみが死に直面する恐怖では無く膨大な不顕性感染者が居る事で、相手に感染させて殺してしまうかもしれないという「不安と恐怖」をもたらし同時に現代人の「自分さえ良ければ良い」「自分さえ感染しなければ他人はどうでも良い」という自然界が内包する原初的な「利己性」を呼び起こす所にあると五箇氏は語りますつまり、国を上げて抑え込みを実施しなければならない時期でも自分勝手に行動して感染を受けやすくしながらそうして感染した不顕性感染者が知らない内に感染を広げる「コロナ」の振るう猛威と人間活動がリンクする様な関係性を生んでコロナの感染の広がる様がそのまま人間活動そのものとなった事がコロナのかつて無い感染拡大の要因に繋がったと言うことになる訳ですつまりコロナは、「不顕性感染」という形で「姿を消す」事により現代人が活発に経済活動をすればするほど人の中で生息し続け永久的に人間社会で巡回し進化し続ける事が出来るという人間の利己的な「欲望」という「性」に巧みに潜んで生き続ける実にしたたかなウイルスだと言える と五箇氏は この様に語っている訳です従って、コロナを人の中から排除させ収束させる為には現代の社会がコロナの生息に適した生態系になっている事を自覚してその様な社会からの離脱を目指し本来の人間社会の「核」となる人を思いやる気持ち「利他的」な考えに立ち返って他の種からの取り分を取り過ぎない様にし他の種の生態系となる生存環境を荒らさず人間らしく他の種を慈しみ、時には対峙し自然に対して「利他性」を持って向き合いそうして生物多様性に於ける「対等」な関係を作りあげて行くことが重要な課題でありそんな自然共生が持続可能な社会の実現に向けてグローバリゼーションから脱却しローカリゼーションとサスティナブルな社会へのパラダイムシフトを図るべき・・・と、最後何言ってるのか良く分からなかったですがWこの様に語っていた訳ですなので最後の大事な所だけ噛み砕いて説明しますと・・・バブルが弾けた後の90年代に80年代の円高経済の受けた打撃のツケを払う様に日本の輸出産業が世界を席巻して日本経済の「国際化」が急速に発展し海外との貿易や商取引が盛んになり日本は潤うのですが必要なものは作るよりも買えば良いという思考が蔓延し経済が「製造業」から「サービス産業」主体となって行きそれに連れて雇用もサービス産業へと流れて行きいわゆる「サービス経済化」と呼ばれる現象が起きて日本の産業構造が大きく変化しますそれが昂じて高学歴社会となり低学歴、高年齢者が製造業で冷遇されそれが後に「失われた10年」と言われる所以となって行きますそれに伴い、国際交流へと国外へ向かった精神が国内へ向けての取り組みへ向かう様になりこれまでに無い程の地域との文化的な共存共有を目指しマイノリティーの保護、寛容の精神の熟成など「内なる国際化」も同時に活発化して行きますしかし以降日本の経済は、他国から、他県から、他地方からの輸入、移入に頼る体質が付く様になり結果として自分達のものは自分達で生産し消費する「地産地消」の精神が失われる事に繋がる訳ですその様な「依存」を主体とした「交流」体質の「国際化」がコロナ禍でのウイルスの蔓延を活発化させ「往来リスク」による「クラスター」によって蔓延させる温床となったと 言う事を言っている訳です全然噛み砕いてませんがW故にコロナ収束の「鍵」となるのは「自然」と「人間社会」とのある種の「境界線」を意識しつつ「里山イニシアチブ」を概念として日本の伝統的田園風景に基づいた地方分散型社会、自立型 循環社会へ向けた取り組みを進めて個人として出来る事を考え、太陽光発電、自然再生エネルギーを組み合わせながら都市を隔てて地方でも有意義に過ごせる人間的なライフスタイルを確立する人を必要とし必要とされる人を目指す依存しない自立する社会作りが不可欠でありその様な個々で経済社会を進める自立型社会では人に依存して勢力を広げる現時点の経済社会の人間に似ているコロナは孤立して行き徐々に封印され居場所を無くして行き終焉を迎える事になるのでそうなるのが「地産地消」の精神にあるという訳でしたという訳でようやく繋がりましたWココで「ダニ博士」も語らない様な「妄想」を語りますと・・・発症したら呼吸器症状を悪化させ咳や発熱を伴い重症化したら死にも至る「人間」に感染しながら適応し変異する事で生き残り続け様とするのが「コロナウィルス」です一方で自然を破壊し環境を激変させCO2排出で気温を上昇させ異常気象が発生したら地表は壊滅的な被害に至る「地球」に広範囲に居住しながら適応し社会を変化させる事で生存し続けているのは「私達」ですがこうして並べてみると2つはなぜか酷く「性質」が似ている様な気がするのはコロナは我々現代人が生み出したものだからなのか私の妄想が過ぎるのか・・・クワバラクワバラ・・・■▲目次へ▲■■■■■■■■■□■■■2021年1月掲載■『wikiの写真で新年の一言』Steve Hogarth i Pete Trewavas (画像参照:wikimedia)『今年、ワクチン接種出来そうだからって気が緩んで飲食店でホッケひとつで朝までどんちゃん騒ぎするのは止めてソーシャルディスタンスは守れよっつ!!!』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、Marillionは一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■10.災害に遭った外食産業と喰い物にされた補助金■■コロナ禍の報道の中で、よく使われたワードに「飲食店」というのがありましたこれはコロナ感染者数を報告するニュースに「飲食店」というワードが日常的に連なった事で「三密」や「クラスター」や「感染源」などのコロナワードが「飲食店」と紐付けられ連想され「なぜ外食産業だけが」と、行政の厳しい要請にも応じながら何の保証も無ければバタバタと潰れていくしか無い状況の中であたかもコロナ禍の主たる感染源かの様な印象すら与えられてコロナ禍最大の風評被害を受ける事になった飲食店業界の苦難を印象づけたものでもありますランチタイムでは行列が出来る人気の飲食店がコロナ禍の煽りを受けて閉店の憂き目に遭い低価格が売りの薄利多売で営業するタイプの飲食店が経営難に陥るケースが全国的に多発した事もコロナ禍ならではの出来事のひとつとなりその様な光景がだんだんと珍しくなくなると感じる位私達の感覚も日常も大きく歪められてしまったと言えますしかし全てがコロナ被害に遭っての経営難なのかと言われると実はそうでも無いという話があります。■コロナ禍の世の中になる事など全く寝耳に水の想定外の出来事で万が一そういう危機敵事態が起こる事を想定せずに経営難に陥って行った店舗に対して結局は資本主義の摂理で淘汰された結果と説き「珍しくない」「良くある話」と切り捨てる意見を少なからず耳にしたりしますが経営不振が店主自らの不得に依るものだったりそもそも「想定外」とは考え抜かれた中でそれでも起こる事を指しそれに対して備える事など不可能な中でリーマンショックの様な金融危機の煽りを食うといった「時流」の中での事象であればともかくお客の喜ぶ姿を糧に何処よりも美味しいものを安く提供するオンリーワンな店を目指して価格設定を低くしても手厚いサービスを心掛け苦労を厭わず営業を続けて薄利多売で利益を上げ尚且メディアが取材に来る程の話題性もある行列ができる人気店だった場合は店主の経営手腕は確かなものがあったと言えます。何よりもこれは世の中が大きく変化する中での「時流」での出来事とは全く異なり地震、津波と同じで「災害」と呼べるものと同様で「淘汰」と説くには違和感がある様に感じられます。尚且、様々な施設で不特定多数の人が持続的に集まりクラスターを発生させる事象は数多く存在した にも関わらず「飲食業」のみが行政から強制的な営業自粛休業や時短を要求され日本中がそれに同意し同調した事に於いてもコロナ以外の「人的な時流」の存在が汲み取れますのでこれを「淘汰」と切り捨てる根拠はむしろ無い様に思えます。■外食産業は社会を構成する三大要素の「衣食住」の中の人の命の維持に欠かせない「食」を担う重要な産業で人の口の中に入るものを扱うという性質から「安全」の維持が必須という点に於いても社会的責任は最も大きい業種と言えます。その外食産業を支えるのは大手企業フランチャイズチェーン店世界的にも名高い三ツ星店舗、業界で評価の高い有名店、などの他全国の様々な街に点在しそれぞれの地元に根ざした飲食店を個人経営する店主達の「食」が「文化」である事を背負って立つ「気概」に依る所が大きくそれ故料理を「魂」で語る所以がありそれだけにコロナ禍に於いて外食産業の真価が問われる訳があると言えますその様なコロナ禍による閉店の危機に瀕した飲食店への必要な救済には宣言地域とそうでない地域との明らかな「格差」があった事は余り知られていません■コロナによる緊急事態宣言が発令された地域の飲食店には時短営業や酒類提供自粛などの要請が発令されるのですがこれを要請通り守っていたら個人経営の店舗は間違いなく潰れてしまう事から要請をしっかりと守った店舗には「協力金」が下りる助成金制度が作られこれにより店舗が休業や時短営業をしても赤字経営は免れる様になりましたしかしこの制度は「休業要請」などが出る事で初めて「協力金」が下りるという仕組みから感染を抑え込んで「休業要請」が出ない地域では「協力金」が出ないという問題がありました従って、感染が拡大している地域の飲食店では休業をしても「協力金」によって「黒字経営」となっている事に対して感染を抑え込んでいる地域の飲食店ではこの「協力金」が無い為休業する事も出来ず尚且営業しても時短営業、酒類提供無しで「赤字経営」に陥るという経済格差を生む事に繋がりました■なぜ冷凍餃子無人販売店が出現したのか他にもコロナ禍の救済金制度に経済産業省が支援する「事業再構築補助金」というのがあってこれはコロナ禍によって売上が下がった中小経営者や個人事業主などを対象にコロナ禍の損失を補おうとする企業や事業主の新たな試みを支援する為に2020年は1兆円の予算が組まれ最大一億円を補助する制度なのですがこれが本来とは異なる目的で制度が利用されている事が大きな問題となっていますコロナ禍の中でなぜか突如街のあちこちに「冷凍餃子無人販売店」が出現する現象が起きましたがこれはセミナーも開かれる程の人気を博した「無人販売店」事業でこれらの殆どは本当に困っている中小企業の業態転換や意欲的な新規事業とは全く異なる事情で「事業再構築補助金」を利用し開業したものとして全国各地で増加している事で問題になっている訳ですなぜ「冷凍餃子」なのかは、おそらく以前堀江(ホリエモン)貴文氏が 広島の人気餃子店に来店した時にノーマスクの同行者に対して入店拒否した事で店の対応に憤慨した事をSNSで発信した所フォロワーに店を特定され店にいたずら電話が相次ぎ「休業」に追い込まれるという騒動があって当時、週刊プレイボーイの連載でホリエモンの相方を努めていた事でも知られる西村(ひろゆき)博之氏がこの件に付いて、この様な個人事業主の店舗が世間の逆風に遭うと弱いという事を知らずに信念を貫く余り断罪してしまったホリエモンに対して連載中ホリエモンの意見にお得意の「論破」 (※無責任なツッコミとも言う)で返し人気を博してきたいつもの「スタンス」でこの騒動に割って入りクラウドファンディングで店を支援して店舗を救済した事が博之氏をネットの有名人から人気を全国区へと広めホリエモンはその騒動で悪者になってしまいコンビ解散となるという・・・のはどーでも良い話としてwこの時1500万円の支援金が集まって始めたのが当時地方で流行っていた「無人販売店」事業でこの騒動によってこの「ビジネスモデル」がテレビやネットで取り上げられて全国へと広まった事が「冷凍餃子無人販売店」急増となった大きな理由の一つなのではと思います本来「事業再構築補助金」は先程も言った様にコロナ禍で従来の経営での売上が下がった事業主の「新事業」を支援する目的で支給されるものなのですがこの「新事業」というのは全く新しい思い切った発想で行う独自性のある製品によって新たな市場に乗り出す様な事業であってこの新事業で新しい仕組みを生み出す事を応援する為に補助金を支給する制度である所を単にこの補助金を得る事を目的に制度を利用して「無人販売店」を始めて儲けようとする業者が居てそれが増えているという実態がある訳ですこの背景には、本当に補助金を必要とする企業や事業主が利用できる様に助成金支給側の審査基準をしっかりとした企業で無ければ無理と思われる様なかなりの知識と経験が必要になる詳細な事業計画書を添えた書類記載を求める事で不正な目的での悪用が出来ない様に厳格な書類作成基準を設けた筈のものが全くの「裏目」に出て逆に取れば厳しい書類審査にも通る様な記載さえすればこの補助金は容易に手に入る事からこじつけでコロナで売り上げが減少した事を詳細に記載した後新事業にチャレンジする姿勢をアピールさえすれば採択される傾向にある所に付け込まれるという審査基準に大きな「穴」があった為に事業計画書そのものも「コピー」されたものが何社から提出されても採択された事例があり中には 非公認コンサルタント業者と結託して過大な見積もりを経費に加算してそうして下りた補助金の余剰分を懐に入れて儲けにする悪辣なケースもあるなどこの様な事例は中小企業庁の公式サイトで観覧できる事からも実態を全く把握していないずさんな運営が明らかとなり補助金を本当に必要としていても難しい申請書類の数と内容から書類作成をする技術がない事業主などは結局コンサル業者に委託するか申請そのものを諦めて事業を止める方を選ばせてしまうという経済産業省の正に絵に書いたような有象無象な虚礼虚文の本末転倒な竜頭蛇尾ぶりで・・・「持続化給付金」の時と同様に制度そのものに問題があると言わざる負えないものがありました加えてこの補助金制度には明らかな「欠陥」がありこの補助金は新事業にかかる経費分を使った後に「後払い」で支給されるため元々この「経費」が出せない企業は申請すらできないという本来救わなければならない筈のコロナ禍で売上が落ちた中小企業が救えないという問題がありました確かに制度を悪用している者こそが一番の「悪」なのは勿論の事ですがこれらの理由で国民の血税がこの様な不当な使われ方をしているのであれば来店してくれる客の為に利益を度外視して薄利多売で営む店舗や高齢者が経営する無くてはならない街の顔となっている様な個人店舗の飲食店などにこそ自治体が援助として手を差し伸べる方が余程有益であり計画書を書く手段を持たず、日々を生きる事だけに必死の人達が同じ様に税金を収めながら、国の援助が来る事が無い事に絶望し他方では制度を巧みに利用して不当に補助金を得私益を貪り弱者を餌食にしている様な現状を行政は認識すべきだと思います「持続化給付金」の時の「過ち」から行政が学んだ事は言わば審査をより厳しくさえすれば、全てが大丈夫という「安全策」でありこの様な「全てかゼロか」的発想はノーマスクはダメで、マスクさえすれば、全てが大丈夫というコロナ禍の本質を理解していないで対応する事と同じでありその様な対応にホリエモンは激怒しその様な国をひろゆきは見限ってフランスに移住するという・・・w「コロナ禍」の様な未曾有のパンデミックによって食に於ける「文化の火」が消し去られ無い為にも「文化」を守る視点からの外食産業に対する取り組みが必要に迫られたコロナ禍であったと言えるでしょう■▲目次へ▲■■■■■■■■■■□■■2021年2月掲載■『wikiの写真で2月の一言というか苦言』Photographed from the morning JAL flight from Haneda to Itami.(画像参照:wikimedia)『震災を彷彿とさせる「日本沈没」のドラマ化に苦言を呈するのは心情として理解できるとして・・・明らかに現在進行中のコロナ禍を彷彿とさせる「キミセカ」のゾンビドラマ化には何の苦言も集まらないのはなぜ?なんでしょう』大規模な災害に遭い震撼する震災とは違い「パンデミック」の震撼が眼で見えない様なものだからとしたら・・・多くの日本人が人命が失われる「パンデミック」よりも生活が失われる「震災」の方が恐ろしいと感じている・・・という事になるのだが』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、『日本沈没』と、『君と世界が終わる日には』は一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■■11.コロナ禍が促進するキャンセルカルチャーの蔓延■■コロナウィルス感染症5種移動によって現在はマスク無しの外出が可能になりましたが飲食店などでは未だパーテーション設置を続けている所もあり人と人との触れ合いというごく当たり前なコミュニケーションに於いて人と触れてはいけないという一枚の障壁が入る事になったコロナ禍での暮らしはアクリル板一枚で隔たれた人間関係が当たり前になるに連れ普段は巨大な時流の中で息を潜めながら、世の中がストレスに達すると突如人々に「自警」意識を目覚めさせ形振り構わず炎上させる「時限爆弾」を常に抱えているという様な、コロナ禍の世は気付かない内に私達に思わぬ形の「分断」の意識を芽生えさせているのかもしれません。■近年、浮気をしたタレントが世の中に叩かれまるで犯罪者のような扱いを受けるという時流の問題に付いて「影響力の大きい人物は社会的責任が重く多くの人に迷惑を掛ける」事を理由に問題視されている方がおられましたらまずは こちら>> の記事を御観覧の後再度来訪頂くとして・・・w近年この様な炎上する形態を「キャンセルカルチャー」と呼び特にコロナ禍で極まった時流として蔓延しました映画『竜とそばかすの姫』のレビューの中でも書いたことがありますがこの「キャンセルカルチャー」が蔓延するのは色んな文献を調べた所気軽に参加出来て危険もない上に大勢で行う「お祭り」気分を味わいながら皆に社会悪と「認定」されたという「根拠」を元に皆がやっている事で安心して「弾劾」しながら「正義」を行える「快感」が得られるという背景からそれが集団化する所に理由があるらしく「リアリティーショー女子プロレスラー自殺事件」の様な後に警察が動き犯人が特定され刑事責任が課せられるという様なそれによって問題が発生した時に負う「社会的責任」というリスクを分かって無い 層が起こしているという事の様ですそれとは別に社会的責任の意味を理解する多くの常識ある人の中にも浮気をするタレントを社会悪に感じる意識はありそれは「弾劾」する「快感」を得る「手軽」さにある訳では無い別の根ざした理由があると言えるのでそこにカルチャー化する真の背景がある様に思われます恐らくこの意識に根ざしているのは「浮気」は「良くない」だから「許せない」では無く「浮気」は「清潔では無い」だから「防御」するべき「悪」という「清潔では無い」イメージを持つものには飛沫感染を危惧する感覚で漫然と「悪」と決めつける様なこれらにはコロナ禍で生まれた防衛意識がしいては対人関係の分断へと悪化した時流が生んだ現代人の新たな感覚が芽生えた現れではないかと感じさせるものがありますその様な感覚が生まれたという是非を問う事よりも問題なのはそれが講じると「汚い格好」「醜い姿」の様な「普通では無い事」が嫉まれる様になり更には 普通の人とは違う「弱い事」までが「悪」となる・・・その様な兆候がある事への危惧です。コロナ禍で開催された東京五輪では五輪エンブレム盗作疑惑で採用を取り消されたデザイナーや女性蔑視発言で五輪委員会会長を事実上の更迭をされた政治家や「マウント文化」発言が非難され、過去の「イジメ行為」が発覚し音楽担当をクビになって 表舞台から姿を消した某ミュージシャンなど不祥事や過去の悪行に対して罪を逃れても必ず報いを受ける時が来るという因果応報の現れと捉えるならば「キャンセルカルチャー」が昂じて清潔感しか許されない社会になるのはむしろあり得ないと考えたくなりますそれでも、なぜか「ゾンビ」をやっつける作品が人気があったり最近は「美形」役者が悪役を演じ脂っこい 個性派は脇役に回るようになったり先の項では「戦争」の話が出ましたが「第二次大戦」以前の世界では「大きくなったら軍隊の大将になる」と言う子供が当たり前の世の中だったのに対して終戦後は、そんな事を言う子供は消滅した様に今起こっている時流が後の社会の「コロナ禍後」の世界の主流となり始めて今私達が過ごしている「コロナ禍」とは感染の危機が去った開放に満ち溢れた「コロナ禍後」への希望を抱く時では無くなりコロナ禍によって生まれた新たな感覚に根ざした「視点」で捉えてこれまでは当たり前の様に行動していた「素手」で何かをする事に違和感を感じたり「素顔」を見せる事に抵抗を持つ様になった事などに根ざした世の中を見る目が変わってしまっている自分に気付いてどう捉えるべきか考え倦ねるという「真実」を知ってしまった後のもう戻れない過去を受け入れる時計の針を進める為の「待機の時」の様なものなのかもしれません。しかし、人は、社会は、やり直す事が出来る事を信じるならば、過去の過ちはどこかであがなってこその「今」があるのだと言えます先程の東京五輪でクビになった某ミュージシャンにしても加害者は被害者に対して謝罪し賠償行為をする「義務」がありますが謝罪の証として被害者を「救済」する意思があったとしても通常なら加害者などには金輪際関わり合いたくないのが被害者の心情なので本来 加害者に被害者を「救済」をする「資格」は無い訳です従って、イジメの加害者となった某ミュージシャンの場合これまでに贖わなければならなかった行動とは「反省」の現れとして「イジメ問題」の取り組みに尽力する為の例えば・・・現在のイジメ被害者救済の加害者側からのアプローチです考えられる方法として、ひとつは・・・実現には数々の障害はあるとしてイジメ行為を行っている「加害者」の方を集める機会を作りそれがどれだけ許されない行為なのか今すぐ止める様に説得する場を設け過去、イジメた被害者に対しては「救済」はもう手遅れではあっても今、被害に遭っている人を「救済」して行くその様な過去の「罪」に向き合う様な取り組みを続ける事で世の中の多くの人は「反省」した証と納得し何よりも、その某ミュージシャンの被害者となった人物もそうしてイジメの被害者が救われている事が耳に入れば自分も何か救われる様な思いをする事が出来たのかもしれません「キャンセルカルチャー」を通して見える事は寛容のない社会が辿る柔軟性の欠如による著しい発想の極論化に於ける排斥に至る顛末の是非にあると言えますがそれに対して寛容のある社会を目指したとしても社会の寛容さも決して「無尽蔵」ではありません故に、一方が一方的に受け入れ様とした容量を越えストレスが発生する現れが「キャンセルカルチャー」であれば過ちは許される事は無くても過ちを許される事に尽力しながら社会が寛容を持ち得る関わり方が配慮できる心ある人物を目指しそうして再び社会に関わればそんな社会も寛容を持って受け入れるその様な相互関係によるストレス軽減を実現させる労力を惜しまない事で世の中に「寛容」を導く手助けとなるその様な、誰もが互いを慈しみ合う利他的な社会を目指す事はコロナ禍後の先の未来が開く為の一つの大きな「理想」だと言えます■▲目次へ▲■■■■■■■■■■■□■2021年3月掲載■『wikiの写真で宣言解除前の一言』Floating market in the village of Lok Baintan near the cityof Banjarmasin in the province of South Borneo, Indonesia.(画像参照:wikimedia)船頭A『お前らっつ!!!数日 位 待てないのかっつ?!!なぜいつも宣言解除 決定 直前 になるとこうなるんだっつ!!!』船頭B『お前もだろっつ!!!』(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、コレはフィクションのネタで写真と、台詞と、『コロナ禍』と『緊急事態宣言』とは一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)■12.「終息」では無く「収束」へのフェーズ■■あれから4年の月日が経とうとしています現在も感染は「終息」に至りませんがコロナを完全に封じ込めることは不可能な風土病として受け入れコロナ禍以前の生活への復帰を目指す事を目標に新たなライフスタイルを取り入れる時期に来ているという捉え方から「脱マスク」「外国人観光客の受け入れ」を視野に入れたコロナを受け入れる生活に切り替えながら完全に終わらせる「終息」では無く一定の状態まで落ち着かせる「収束」を見据えたフェーズに移行する「ウィズコロナ」へ向けた取り組みが始まりましたこれにより「コロナ戦争」とまで言われ先の見えなかった日々の暮らしもようやく見通しが立つ様になったと言えるでしょうそこで誰もが「ようやくこれで以前の暮らしに戻る事が出来る」と考える所だと思います。しかし、たとえコロナが完全に収束したとしてもひょっとしたら私達が考える「コロナ禍以前」の世界にはもう戻ることは出来なくなっているのかもしれませんもちろん、依然コロナへの警戒は必要ではあっても不自由な生活からは開放されるので以前の暮らしには戻ったと言えますしかしそれは、コロナ禍を通して身に付いた新たな価値観で世の中が動いて行くコロナ禍後 社会 となった上での事でそれはこれまでお話してきたここ数年の時流の中での様々な「兆候」が物語っているのではないかと思うのです■さて、これまでのお話はいつもの私のお得意の「妄想」の産物に過ぎません人は良く、今の世の中を称して寛容の無い世知辛い世の中になったと口にしますが本当は世の中がその様に何かの問題を起こす事を許さないのでは無く、その後にするべき事をしていない事に世の中の時流が許さないのだとその様に捉えて「コロナ禍後」に元の日常が戻る世界を望む一人としてその様な世の時流の「良心」を信じるばかりです☆という所で終了です。次回は何が更新されるでしょうかwそれでは良い一日をお過ごしください☆■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■【CD】アン・アワー・ビフォー・イッツ・ダーク [ マリリオン 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2023年09月08日
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(※ヘタレ絵日記はフィクションです。描かれた家族は実在のものではありません。)雲ひとつ無い晴天の清々しい行楽日和が続いたGWの連休で何処かへ出かけようと設定した日が唯一の雨日となりある意味ミラクルを引き起こし それで良しとした5月をいかがお過ごしでしょうかこんにちは Voyager6434です☆毎回テーマに則りながら或いは無視しながら果てし無く脱線を繰り返す世界でも類を見ない自由なエッセイ、ヘタレ絵日記の登場ですさて、楽天ブログ空前のGW直前3ユーザー参加大型企画『私が好きなHEROベスト10』はお愉しみいただけましたでしょうか?初老に差し掛かった或いはどっぷり浸かった男達が三つ巴となりあの少年時代・・・喰い切れ無い程の大量のスナック菓子を競い合っては買い漁り10年に一度の祭りが来たと歓喜に踊る学校周辺の駄菓子屋が商品を補充して平台に大量に並べては近隣の小学生達の大人買いに加勢しお店の数メートル先のゴミ箱は付録のカードだけが抜かれた未食のスナック菓子の袋で道端まで溢れかえるという現象がPTAで問題となり社会現象になるまで集め続けたあの狂熱の「ライダーカード」は今はどこにあるのだろうか と遠い少年の日々を半笑いで思い浮かべながら ガチで更新した我らが「漢祭り」をご堪能頂けたものと自負しております・・・当初はかっぱえびせんタイプ(※だったと思う)のライダースナックの付録カードがブレイクしてから見計らった様に一般的には 不味い と不評だった桜の花びらの形をした 微妙に甘〜い味がするタイプのものに変更されてからの 現象の様にも見られアノ味のスナックでGOを出した当時の製菓会社担当は良きにも悪きにも 歴史を作った相当の切れ者だと製菓業界の新たな「HERO」になった様にも感じられたものでしたw□■■■■■という訳で当サイトで 栄えある一位を獲得したのは幻の番組『突撃! ヒューマン!!』となりました冒頭のイラストにもあります様に、番組最大のウリは超人ヒューマンを呼ぶ時に 全国のちびっ子がクルクル廻して応援する丸うちわの形をして 表裏が青と赤で塗られた「ヒューマンサイン」ですこのアイテムはヒューマンこと岩城淳一郎を呼び出す場面で 「青のサインを回してっつ!!!」の呼びかけに対し青い側を上にしてクルクル回しピンチになって超人ヒューマンにチェンジする場面で「赤いサインを回してっつ!!!」の呼びかけに対し赤い側を上にしてクルクル回すという取り決めで使うもので主人公が悪漢にヤラれながらピンチを迎えヒューマンにチェンジするタイミングを逸っした時は「エネルギーが足りないっつ!!!もっと回してっつ!!!」と 危機感を煽る呼びかけに会場の観客がチェンジっつチェンジっつの大合唱の中夢中で赤い丸うちわを回すといった様にネット以前のTV番組で 視聴者参加型の一体感を実現した画期的なヒーロー番組となりました今にして思えば、あのチェンジの大合唱は野球ファンが球場でチームを応援する声援そのもので「野球観戦の応援」スタイルに「特撮ヒーロー」番組を掛けあわせた共に日本の文化を代表するモノ同士の出逢うべきにして巡り合った 約束された様な邂逅だった訳ですしかし理想的なクロスオーバーに見えた企画も番組では大成せず短期で打ち切られその後本作の様な番組は制作される事は無く超人ヒューマンは「幻のヒーロー」となり人々の記憶から 消え去ってしまうのでした特撮ヒーロー番組の最大の見所の特殊効果がステージ形式にした事で使用出来なかった事やそもそもステージ形式がお茶の間の支持を得られず浸透しなかったのが理由とされておりますがザ・ドリフターズの伝説的長寿番組「8時だよ全員集合」や『NTV紅白歌のベストテン』の様な高視聴率を取っていたステージ形式番組は多く特撮ヒーローの捉え方を別の角度で掘り下げてみますと実に単純な失敗の理由が 可能性として浮かび上がって来るのでした■□■■■■さて、勝率.486、首位のDeNAに3ゲームの差を付けられ早くも苦しいペナントレースを強いられた今年の中日ドラゴンズの首位奪還を願ってドラゴンズファンの応援で湧くナゴヤドームですがファンで賑わう内外野席の応援の音頭を取る応援団員の方々にとって観戦は二の次で終始グラウンドには背を向け応援の指揮に集中し本末転倒なまでにチーム愛を捧げる というこの様な日本の野球観戦特有の光景が 各球団でも見られます一方、各々が好きな様に観戦する本場大リーグではこの様な光景は全く見られずDバックスの本拠地球場に至っては外野席にプールが付いて泳ぎながらの観戦が可能という本場の自由過ぎる観戦スタイルは、周りと一体感を味わうのが醍醐味の日本の観戦スタイルとは対照的に他人に干渉しない印象を受けるものがありますこれは 音楽や映画鑑賞の場合も終始ザワザワし 気に入った場面では 歓声や口笛が鳴り響き気に入らないと激しいヤジに混ざって飲みかけのドリンクが飛び交う自分本位に愉しむ感性豊かなアメリカンスタイルに対してライブでも映画館でも 周りに迷惑にならない様 気を配りながら終始演目に集中する日本のオーディエンスの 礼節をわきまえた鑑賞法は完全に対照的と言えるものでしょう他方で、欧米人は 周りの事よりも先ずは自分の実利を優先する現実的思考と徹底した個人主義を貫きながら一人でも自国の国民が害された時は 共に手を取り一丸となって一斉に立ち上がり国が震撼する不道が明るみになっても潔く認めて乗り越える国民性を持っておりこれは、個人より多数の利益を重んじ他方に害が及ぶのを防ぐ為 腹を切って自決し封印し鎖国してまでも国内の安定化を優先する冷徹なまでの潔さを美徳とした武士道精神を受け継ぐ日本人とは性質からして 間逆な印象を受けます正しこれらはあくまで一般論としての欧米との「差異」を上げたものでありこれによって「差」の優劣を論じるものとは 主旨が異なるという事をまずご考慮頂きたくそれらを念頭に置いて国民性に注目しますと人と違っていたいと望む 欧米人に対し人と同じでいたいと願う 日本人という性質が浮かび上がって来ますこれに付いては 遡る事 江戸幕府が滅んだ明治維新の時代に鎖国が解かれ諸外国からの来訪者を受け入れた時に丁髷(ちょんまげ)を見て笑われた事で髷を結う習慣は世界的にも特殊であり日本だけ という事実を自覚し平安時代末期より約700年続いた由緒正しき伝統を アッサリと捨てて周りの国々の文化に倣い 同じになろうとした歴史で証明されている日本人特有の臨機応変さが見えてきます■■□■■■さて、丁髷の由来ですが平安時代から鎌倉時代を経た室町時代後期応仁の乱で失墜した権威を露呈した幕府に対し各地域の大名達が下克上を叩き付けていた時期頭頂部の髪を剃った月代(さかやき)というヘアースタイルが全国的に流行し諸説ありますが この様に髪を剃るのは兜を被った際に頭が蒸れるのを抑える為にしたものというのが定説の様です剃刀で切り揃える様になったのは 豊臣秀吉 の時代に入ってからと聞きますのでそれまでは 伸びた髪を 一本一本 毛抜で摘んでは抜き頭が血まみれになってでも、正に「苦行」の思いで月代を保っていた事から秀吉の時代に入り、容易に月代を整える事が出来る様なると「苦行」の時代の名残りもあり、主君への忠誠の象徴として普段は後ろに伸ばした髪を纏めて曲げて固め 頭の上に載せる俗にいう 丁髷が武士の髪型として定着したという経緯があった様ですこの様に 主君に使える事を至上の喜びとする日本人の性質があればこそ武士の時代が長く続いたのであり名義上ボスとなっても 部下を従わせる為には周りに実力を認めさせる必要がある欧米人の現実的気質に対し主君には忠誠あるのみ という日本人の理想主義は700年もの歴史ある武士時代の行動力の原点でもあり欧米とはあらゆる意味で対照的なものと言えるでしょう■■■□■■さて、有事の際一丸となる欧米人の行動力の原点ですがこれは誰もが自発的に「ヒーロー」になる為立ち上がった同時多発的な行動の集結の結果という側面に裏付けられた強い団結の現れの様に思われます日本人は自発的な行動力を効率良く纏める為の誰もが認める正しき呼びかけに応えるという「ヒーロー」の元に集う行動体質が強い印象がありますしかし、どちらの行動がより尊くてより優れている というものは無く自発的な行動力には 誰が言い出すまでも無く集結出来る強大な団結心があり統率された行動力には 個々では決して成し遂げられない 強大な団結力がありますその一方で自発的行動力ゆえの統制無き混沌が集団を烏合の衆と化したり、統率された行動力に不可欠な指示が不適切だと遊兵化を起こすなど「統率」という点に置いて力を発揮出来ない要因についてはどちらも条件は同じという訳です「ヒーロー」とは特別な存在であり常人離れした突出した力を持つものという定義があるとしたら「ウルトラマン」の様な 巨大ヒーローが巨大怪獣と戦うというタイプの作品が知る限り 日本だけのものというのも誰もが自分が「ヒーロー」になりたいと望む憧れの存在である欧米に対し誰もが自分と「ヒーロー」は生きる世界が違う憧れの対象とする日本との「ヒーロー」に対しての距離感の差が「スーパーマン」などの等身大ヒーローを生み出す欧米に対して「ウルトラマン」「ガンダム」などのヒーローを自分の手には届かない程の大きな姿にして輩出する日本との差に現れている様にも 感じられます■■■■□■さて、舞台上の「ヒーロー」の元に集う観客が応援する視聴者参加型番組の話に戻りますが先程の野球観戦での行動力と日本人ならではの体質に照らし合わせればこの番組は日本中に旋風を巻き起こして然るべき筈でしたしかし番組で行われたステージショーはデパート屋上で行われる「見世物」のイメージが強かった当時の世相からスルーされた可能性やステージショーに偏見が無かったとしても自分が会場に居るのでは無くブラウン管の中の更に それに熱狂する観客を通し更に 舞台上で行われる「ヒーロー」の演目を更に お茶の間で観戦するという事はいくら日本人に距離感を意識しながら「ヒーロー」の元へ集う特有な国民性があるからと言って「距離感」の上に更に上乗せされた「違和感」を与えられた靴の上から足の裏を掻いている様な 歯がゆい状態ではそもそも受け入れられる訳も無く国民性を考慮する 以前 の問題だった と言う話でしたw■■■■■□という訳で 意外にも マジ エッセイとなり思い掛けない暑苦しさを満喫する観覧となった事と思いますWそれでは又~☆
2015年05月07日
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