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2カ月近く機械の調子が悪くブログを打てなかった。古い話だが、先ごろ家内もメンバーのコーラスグループが旧京都会館のロームシアター京都のメインホールで発表会をした。歌う方も初めてのステージだが、客席の爺メンも初めてのホールだ。クラシックの演奏向きのコンサートホールはあるが、本格的な舞台芸術公演が可能だ。 ところが開演時間なのに入り口が混乱、館の整理員が「場内は超満員です。少しお待ちを」。「なんで、整理券持って2時間前から待ってるで」とお年寄りがおこってる。整理券を出しすぎたな。うちの出番だからと入れてもらったが、場内は超満員、後方の1列10人分ぐらいの席に座った。ワンコーラス終わると「ハイ、次お待ちですから退場してください」「そんなん聞いてない」とだんまりを決め込んだ。 そうそう家内のコーラスグル-プが歌った「サウンド・オブ・ミュージックメドレー」など3曲は他のグループより良かった。上手だった。
2016.07.11
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今年初めて映画館に入った。洋画「スポットライト・世紀のスクープ」の公開を待ちわびていた。米アカデミー賞で作品賞などを受けた。カトリック教会の神父たち多数が子供たちを虐待しワイセツ行為をした実話にもとずいた。神父や弁護士、被害者の若者たちも実在していて真相はなかなかつかまえられない。 爺メンも新聞記者時代があった。社会部では警察や裁判所も担当した。特ダネもあったが、よその新聞に抜かれることもあった。遠い思い出を追いながらストーリーを楽しんだ。全体によかった。迫力もあった。年配の俳優たちも上手だった。 近ごろのテレビはBSを中心に古い映画をかけてくれる。今年に入って「誰がために鐘は鳴る」「荒野の決闘」「白鯨」など昔見たか見損ねたか、懐かしいスターが登場する。このごろはそれがない。映画館の中は座席もきれいで見やすくなっている。座り心地もいい。だがすいている。若者、高齢者を含め趣味娯楽が多様化したせいだろうか。
2016.04.20
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京都市立西京高校定時制を卒業して60年、このほどクラスの同窓会を京都で開いた。これまで寄りあう機会も少なく恩師のS先生が東北大やつくば大から何年振りかで帰ってきたとき、連絡のつく10人ほどが顔をそろえるくらい。爺メンもそうだが、みんな80歳近い。S先生も7歳ほどうえかな。卒業後、京都にいつくひと、他府県に移る人、何人かは亡くなっている。 あのころは女生徒5,6人含め50人近くいた。今と違って全員就職していた。活気もあった。さて記念に集まった12人のほとんどは数年前につくばの恩師を訪ねた。病気で倒れ車椅子の恩師は泣いて喜んでくれた。同窓生のH君がお知らせがてら恩師の家を訪問したところ、脳梗塞が悪化して水も飲めない状態。ついに同総会前の3月7日に亡くなった。 なんという奇遇、ご遺族は京都ゆかりの西陣のお寺で今月下旬に法事をするという。同窓会メンバーもお参りする。終戦から10年前後、青春時代の懐かしい思い出がよみがえる。
2016.03.16
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膝が痛い。これは昨年の暮れからで、整形外科医は軟骨が傷ついていると水を抜いたり痛み止めの注射をしくれた。即治らない。左足をかばって歩いているが、近頃は頭もふらつき気味で、職場から行きつけの病院へ駆けつけた。MRI検査の結果は軽い脳こうそくと診断され即入院、びっくりポンだ。病院でリハビリも受けたが、頭や手先の影響もなく血圧降下剤で収まった。わずか1週間で退院した。 足の血栓で間質性肺炎を患い3週間入院して以来14か月ぶりだ。「それでも早期受診が良かった。進行すると治りにくい」と神経内科の医師は言う。70歳を超えて加齢とともにいろんな知らない病気に出会った。目の前を通り過ぎるのはいいが、新しい病気を実体験するのは、戸惑うばかりでかなわない。
2016.02.28
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数えて80歳の大台に乗った。今年はサル年。爺メンにとって「老兵は死なず、ただーーのみ」の心境だ。弱音は吐きたくないが、足がだるい、膝も痛い。老人歩きを意識する。若者を主人公にした施設だから、やる気だけではもたない。 話はコロッと変わるが、テレビのBS で映画「二十四の瞳」を初めて見た。木下恵介監督、高峰秀子主演。戦時から終戦にかけて小豆島の小学分校を舞台に女子教員と島の子供たちの物語。前にも書いたが、爺メン2か月前に広島県の山奥、府中市の疎開先を60年ぶりに訪ねた思い出の現実とダブった。木下恵介の脚本、監督はソフトタッチだが厳しい。わずかでも戦争体験した爺メンは涙なしに見られなかった。
2016.01.14
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最後に町内対抗ソフトボール大会に引っ張り出されたのが65歳前後。あれから十数年、ボールにさわったり、バットを素振りしたこともない。若手の職員から「野球したい」と聞いて「うん、やりたいね」と流していたが、一週間前に「岡崎のグラウンドを抑えました、ぜひ参加して~」だと。びっくりポンだ。冷やかし半分で行ったら女子職員2人と爺メン入れても7人。グラブ4つ、素振りバット1本、ボールはあるが野球にならない。うながされて革靴のままグラウンドへ。 60年くらいさかのぼると高校時代の準硬式野球や職場対抗の社内野球、地域の社会人野球と、ほとんど投手だった。子供が学校へ通うようになって育友会のソフトボールに熱中した。育友会と町内会のソフトでは宇治市の決勝大会で二つとも優勝したこともある。45歳から60歳くらいの時かな。選手同士の技量を理解し信頼関係が生じれば、実力以上の成果を得ることを身体が知っている。 いまの職場で出先から寄りあった7,8人では経験者も少なくて野球の相手もできないが、寄ってボール遊びすればコミュニケーションには事欠かない。この絆が仕事で生きると思う。だが久しぶりの運動は爺メンの老体にきつかった。
2015.12.22
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2015年もあと半月、師走、顔見世、大晦日のおけら詣りで京の年の瀬は暮れていく。カレンダーを見て気づくのは12月8日がなんの日でもないことだ。74年前の1941(昭和16)年のこの日、日本が米英相手に太平洋戦争を始めた。聞いている理由はいろいろあるが、結果は大国相手に4年後の8月15日、敗戦となった。 何百万の尊い人命や国土を失い、主要都市が被災にあった。爺メンも昭和20年3月13日、大阪市内の大空襲で生家を焼失した。これだけは忘れられない。衣食住をなくし廃墟から復興へ立ち上がる実感は70歳未満にはない。その過程を次世代の子や孫にどう伝えていくのか。そして国際平和はいかにあるべきか、地域のコミュニケーションが、まず大事ではないか。その日がまためぐり来て素通りした。
2015.12.15
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終戦から70年、節目の年もあと40日、爺メンにもその時代はあった。小学2年から3年にかけ終戦を挟んだ1年間、広島県府中市の山奥へ縁故疎開した。両親や兄姉、幼友達と離れたさびしさ、それでもおばあちゃんと長姉のくらしにまざった。 田舎の学校では友達にもなじめず、豪雨で床上浸水に遭ったり、B29 の来襲で山の中に逃げ、25キロ先の福山城が陥落するのをはっきり見た。1945年3月13日、大阪市街地の爆撃で生家もまる焼け、家族みな命カラガラ逃げてきた。再開を泣いて喜んだ。終戦直後、京都の親せきを訪ねて父と無蓋のトロッコ列車に乗った。爺メン京都人の始まりだ。 あれから70年、今も夢を見る。思い切って一人新幹線に飛び乗った。田舎の小さなお家も今はない。つい2,3年前に駐車場になったし、すぐ裏にあった小学校もはるか地元企業の工場に変わっていた。2,3人いた友達も亡くなったか引っ越して消息なし。わずかに2つ年下のおかっぱ娘さん、といっても今おばあちゃんだが、大変懐かしがって車で案内してくれた。爺メンもうれしかった。あとは川の流れや地蔵さんの祠などに昔日の面影をしのんで日帰りした。少し疲れた。
2015.11.20
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日本一の温泉も2週間過ぎると印象が薄れる。下呂のお湯は爺メンが体験した中ではナンバー1と言い続けてきた。10数年前に初めて行った時、ぬったりとまるで油のドラム缶につかった気がした。もう一度味わってみたくて実行した。山の中腹にある一軒宿湯之島館、昭和天皇両陛下や当時皇太子の平成天皇も来られた旅館だ。温泉より先にお泊りの部屋を見せてもらった。山の斜面を利用した横長の和風建築8階、二間続きの大部屋で展望もいい。ただここまで登るのに階段とエレベーターは随所にあるが廊下を見間違いそう。大浴場から露天風呂へも長い階段を裸のまま登らねばならず断念した。 さてお湯だが、初体験時と違って、ややぬったり感は薄かった。翌日も秋晴れ、さらに特急電車で高山を目指した。車窓からの紅葉は少し早かったが癒された。世界の観光都市京都もそうだが高山も外人観光客ブーム。まるで爺メンらが海外旅行に来たような異国情緒を味わった。
2015.11.09
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足の血栓、間質性肺炎に見舞われ早や1年が来る。救急車で運ばれ3週間近い入院。この前の診察日に主治医から「あの時は重症だったよ」と言われた。改めて病の怖さを知った。大腸ガンの点滴とは長い付き合いだが、足の血栓で抗がん剤の点滴ができなくなって飲み薬に変更した。なんでもあのまま抗がん剤の点滴を続けると肺炎を引き起こす心配があるという。 病にうとい爺メンは驚きの連続だ。「だが病気を治すのは患者自身だよ。医者や薬はお手伝い」らしい。何事も前向きに生きることが大事、人生立ち止まったらアカン。年をとると過去の年月が長いから後ろ向きになりがちだ。確かに過去はいっぱいある。幼いころの思い出、親兄弟のこと、学校友達、青春時代の回想、職場のいろいろ、家族の成長~誰しも経験する懐かしいコースだ。 振り返るのはまだ早い。爺メン今何をすべきか、明日をどう生きるか、将来どうあるべきか、絶えず未来志向が大切。老い朽ちるには早すぎる。出来ることはいくらでもあるはず。経験を生かし自信を持って前向きに一歩を踏み出そう。「前を向~いてあ~るこう~笑顔をこぼしながら~」。
2015.10.11
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足の血栓、間質性肺炎に見舞われ早や1年が来る。救急車で運ばれ3週間近い入院。この前の診察日に主治医から「あの時は重症だったよ」と言われた。改めて病の怖さを知った。大腸ガンの点滴とは長い付き合いだが、足の血栓で抗がん剤の点滴ができなくなって飲み薬に変更した。なんでもあのまま抗がん剤の点滴を続けると肺炎を引き起こす心配があるという。 病にうとい爺メンは驚きの連続だ。「だが病気を治すのは患者自身だよ。医者や薬はお手伝い」らしい。何事も前向きに生きることが大事、人生立ち止まったらアカン。年をとると過去の年月が長いから後ろ向きになりがちだ。確かに過去はいっぱいある。幼いころの思い出、親兄弟のこと、学校友達、青春時代の回想、職場のいろいろ、家族の成長~誰しも経験する懐かしいコースだ。 振り返るのはまだ早い。爺メン今何をすべきか、明日をどう生きるか、将来どうあるべきか、絶えず未来志向が大切。老い朽ちるには早すぎる。出来ることはいくらでもあるはず。経験を生かし自信を持って前向きに一歩を踏み出そう。「前を向~いてあ~るこう~笑顔をこぼしながら~」。
2015.10.11
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京都は全国的に珍しいイベント「障がい者の海釣り大会」がある。地元新聞社が釣りクラブやボランティアの協力を得て18年目。これに爺メンの姪の息子が初参加した。出産時に脳性小児マヒを患い、手足や言葉ずかいが不自由。ただ頭はよくて普通学校に通い、東京の大学も合格、単身生活を通した。が、友人は少ない。初対面の人とは緊張してしゃべれない。まして女性とはダメ。年齢よりウンと若く見られがちだが41歳。大学卒業後はパソコン技術を学んで家業の不動産業を手伝っている。 さあ、その息子が初めて釣竿を持って丹後の府立海洋高校の海岸突堤へ。高校生の応援もあってアジ、カワハギなど自ら20匹近く釣り上げて、なんと重量大賞。大きなトロフイと副賞のラジカセをもらって大感激。「次は大物狙いだな」とそわそわしているらしい。彼はこの釣り体験で新しい世界をこじ開けた。はるか昔、通り過ごした青春時代を取り戻してほしい。普通に語り合える友達付きで。
2015.09.26
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幼なじみに兄弟や、おい、めいら身内は含まれない。思い返すと小中学時代のクラス仲間、近所の遊び友達がそうだろう。小中学時代に名前と顔が一致するのが200人くらいいたはずだ。が、ほとんど忘れた。昔の記念アルバムを見て思い出した。特に仲良しの何人かはいた。高校、大学、社会へと分かれて消息がつかめなくなった。唯一中学時代の親友が家業を継いでいた。 頭がよくて庭球がうまかった。彼の家でマージャンもした。びわ湖へヨットを乗りにも行った。あれから60有余年、爺メンもガンや血栓が治りきらないが、彼も脳梗塞を患って、家業を奥さんとと娘さん夫婦につないで奥に引っ込んだ。1年に2回ほど見舞いがてら立ち寄ると、喜んでくれた。爺メンが当時の思い出、最近の世情を話すと合わせてくれた。 1ヶ月ほど前、その彼に曾孫が誕生したという。お互い八十路に近い今さら、びっくりする出来事ではないが「明日にでも顔を見てくるわ」とうれしそうに目を細めていた。
2015.09.16
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炎天下の甲子園、全国高校野球大会に集う若者たち。各地の予選を勝ち抜き、都道府県を代表して力と技を競い合う。熱暑のもと決してだらけない。今夏の京都代表は府立鳥羽高校。ここは爺メンの母校だ。といっても新制の洛南中学時代のことだ。その前身が全国中等学校野球の第1回優勝校京都二中。その縁で鳥羽高の主将が選手宣誓した。 校歌に出てくる東寺南の広いグラウンドで爺メンも野球部に入った。66年前の昭和24年の春だ。九条通りに面した正門も小さくなっているが懐かしい。鳥羽高は1,2回戦を勝ち進み、あす16日はベスト8をかける。すごい勢いだ。大文字の火もしっかりともしてくれ。ガンバレ後輩たち。
2015.08.15
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いまや携帯電話のない生活は考えられない。神戸大震災直後の20年前、香港旅行したときガイドの男性が、車の中から携帯電話で予定の食事処やホテル、会社等と盛んに連絡を取り合っていた。まあ業務用の連絡だが、窓の外に映る若い女性たちも携帯をいじっていた。日本の現場よりかなりすすんで見えた。 それがどうだ。最近は日本中、携帯電話の花盛りだ。ゲームやカメラ、テレビなどの機能を取り込んだスマホ。電車内では半数以上の若者が、スマホを指先ではじいて自分の世界に浸っている。老人や身体障害者が優待席に近づいても見向きもしない。 数日前、その携帯電話を自宅に忘れた。職場にきて気がついた。爺メンあまり携帯電話を使わないし、外からも少ない。ただこんな日に限って、何十年来の友人や懐かしい人からかかることもある。街に出て公衆電話を探したが、これがない。交差点や駅、デパートなどでよく見かけたものだが、ない。携帯時代に公衆電話は無用の長物とばかり社会のお払い箱になったようだ。
2015.07.29
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数日前のNHK 朝の番組で女優の岸恵子さんが登場した。昔なじみのヘヤスタイル、キラキラ光るような瞳、顔もつやつやしてきれい。80歳は超えてなお若い。終戦直後のラジオドラマだったか「君の名は」に始まって数々の映画に出演した。50年ほど前、新聞記者の爺メンが映画担当の時、フランスから一時帰国した岸さんと京都市内で出会った。1回きりのインタビューだったが、大女優の振る舞いもなく好印象だった。 久しぶりにテレビで見た岸さん、70代の恋愛小説を書いて出版、映画化もするそうだが、これは楽しみだ。戦時中の横浜で大空襲を受け、逃げまどうなか多くの死者を見た。岸さん12歳の時だ。爺メンはそのころ広島の山奥に疎開していた。7,8歳のころだ。あの1年間、家族や友達と離れたさびしさ、やりきれない日々は、頭にこびりついて一生忘れることはできない。あれから70年、急に広島の山奥へ行ってみたくなった。
2015.06.30
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昨年秋に足の血栓から間質性肺炎で3週間ほど入院して半年たった。まだ足のだるさは残っているが、息苦しさは消えた。町内のHさんから「ゴルフ行きませんか」と誘われた。かつての町内クラブ仲間で3年ほど行ってない。きらいではないが爺メンゴルフは得意でない。 好天気の芝生をペンギン歩きでヨチヨチ、モタモタ。フオームもバラバラだが、腰に力が入らないから手うちで飛距離が出ない。上り下りのコースはしんどい。ハーフでやめようかな。わずかな救いはグリーン上。4メートルぐらいのワンパットがはいると(1度だけ)急に元気が湧いて全18ホールを回った。一緒に行った3人は旧クラブの仲間たち。気がねはないが、調子を狂わせてしまった。 フラフラになったが大浴場は気持ちいい。癒された。スコアは論外。それでも最後までついて回れて自信がついた。もっと涼しくなればまた行こう。打ちっぱなしにも行って置かねば。
2015.05.28
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さいたまゴールドシアターという名の老人演劇グループが昨14年12月にパリ市立劇場で公演した話をそのころ聞いた。このほどNHKテレビで改めて知った。平均年齢80代、後期高齢者39人が、本読みから1ヶ月半で海外公演、プロとはいえない老人集団にはきつい日程だ。引っ張ったのは名演出家の蜷川幸雄さんと若い演劇人たち。タイトルは「鴉よ、おれたちは弾をこめる」。 裁判中の法廷に老女たちが棒状の武器を持ってなだれ込み、男衆に「死刑!」を宣告し暴力をふるう。長い歴史の中でしいたげられてきた女性群のレジスタンスを演じる。筋書きは不明だが、汚れ役の身なりでわめき散らし暴れまくる老女たちの元気姿に、パリっ子たちはスタンヂングオベレーションで応えた。 蜷川マジックの舞台は大阪で2度ばかり見たが、すばらしかった。学生気分でもう1度芝居をしたい。翌日、夢がさめぬうちに本屋へ直行、蜷川幸雄著「演劇の力」を買った。400ページを超える大作だが、爺メンわくわくしてきた。今さらどうなるわけでもないのに、見果てぬ夢を追うだけでも楽しい。
2015.05.09
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爺メン65歳ごろ、気分的にやっとゆとりができて本を読む気になった。それまで仕事を含めて家庭、遊び、付き合いなどと余裕がなかった。読書か~寝食忘れて熱中するほどではないが、藤沢周平から池波正太郎の時代ものにのめりこんだ時期は前に書いた。さらに山本一力の庶民性、山崎豊子の社会性にひかれた。彼らの作品は文章がうまく内容も確かで安心して読める。執筆までの取材調査がしっかりしている。 といっても爺メンの読書タイムは深夜に近いベッドだ。枕元に2,3冊置いて少しずつハシゴ読みすると睡魔に襲われる。最近やっと読み終えたのが山本一力の「ほかげ橋夕景」、途中なのが夏目漱石の「こころ」と山崎豊子の「大地の子」。時代もの、現代ものを問わないが、ミステリー小説を2冊一緒に読みだすと、ストーリイがこんがらがってイライラするから、それだけは避けている。
2015.04.22
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爺メンは読書好きではない。むしろ本嫌いの方だ。戦時中の疎開先に、父が送ってくれた「キチキチ小僧漫遊記」を読んだのが遠い記憶で残っているぐらいだ。頭の回転が良い子供を主人公にした児童本で、昔の象の体重の測り方とか、海の水を飲み干すので流れ込む川の水を全部せき止めてーと機知にとんだ内容の一部を70年たった今も覚えている。本に恵まれない時だけにむさぼるように読んだ。爺メンが頓智を働かす源泉になった気がする。 戦後の少年時代は野球、少し生意気になって映画鑑賞、演劇活動に没頭した。長編小説を読む気も暇もなかった。今から思えば書物が人に与える影響は大きい。内外の文豪の作品にもっと接していたら爺メンの人生観、人となりが違っていたかもしれない。最近の読書内容は次回に。
2015.04.15
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「わが愛しのコレクション展」を会期まぎわに鑑賞した。画伯好みの収集作品展と思い込んでいたが、なんと青年期から北欧旅行の作品、京洛四季や唐招提寺の襖絵など長期にわたる魁夷画伯の足跡をたどり見た。「私は生かされている。野の花と同じように」とコメントされ、大自然と溶け込む画伯の姿が神々しく見えた。 魁夷画伯とは20数年前、千葉県市川市のご自宅を何度も訪問し、お目にかかった。新聞社の出版事業で木版画の制作許可を願い出た。初めの日、広い応接間の障子があいて庭一杯に白樺林が広がった時、ほんとにびっくりした。老紳士で温和な画伯は言葉少なく沈黙が続いた。が、なかなか許可が下りない。5,6回通い続けてあきらめかけたとき、爺メンの誠意がやっと通じてOKが出た。飛び上がりたいほどうれしかった。 作品は嵯峨野の竹林の背後から月明かりが差す名作を選ばせてもらった。木版刷りのチェックを何度も受けてやっと完成した。素晴らしい出来栄えだったと自負している。瞬く間に完売した。画伯との出会いが懐かしくよみがえった京都の展覧会だった。
2015.03.28
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高校演劇を映画化した平田オリザ原作の「幕が上がる」を見てきた。アイドルグループももクロ主演といわれても初めてみる顔ぶれだ。舞台は静岡の県立高校、女子ばかりの演劇部。主役の部長百田夏采子も初めてだがさわやか。途中で気付いたが、爺メンがひいきにしている黒木華が顧問教師の役で安定していた。 部長が創作した「銀河鉄道の夜」で県大会に勝ち残り、全国大会に挑むまでを描いているが、若さと純情がミックスして爽快だった。爺メンも定時制高校と夜間大学の8年間、演劇部に所属した。高校でも1年間に新入生歓迎、秋の文化祭、高校演劇コンクール、春の送別演劇と4本の違った出し物を発表した。 昼働き、夜に学び、放課後はクラブ活動と多忙だが、若さで貪欲に楽しんだ。あの幕が上がる瞬間の緊張と興奮は、映画と重なって忘れられない。もう60年も前の出来事だが、今も7人会と称して年に1,2度は寄りあったり、旅をして思い出を懐かしんでいる。
2015.03.18
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娘母子らと箕面までドライブした。宇治から名神高速で茨木インターへ。さらに地道を北へ。山手に立つ箕面スパーガーデンに着いた。各地にチェーンのある大江戸温泉物語の一つで、トロトロ美肌の湯が特徴でアルカリ性が強い炭酸ナトリュウムなど多彩な泉質のようだ。たしかにぬるぬるした湯で濃厚だ。 温泉は昨年9月以来半年ぶりだ。ランチバイキングとセットにして和洋中華と食べ放題。町内会の団体や幼稚園児のバス旅行など大賑わいで、ついつい食べ過ぎた。4か月ほど抗がん剤を入れてないので副作用はなく食欲はある。温泉も食事も満足した。 温泉といえば昨年でも豊橋から長野の浅間、湯田中、白骨など6か所を体験したが、大好きな温泉めぐり、さて今年は何か所いけるだろうか。
2015.03.14
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数年前、京都駅の西にオープンした京都水族館へ遅ればせに初訪問した。これまで大阪の海遊館や鳥羽のの水族館、兵庫の須磨、城崎、横浜の八景園、沖縄、シンガポールの水族館も行った。昔から水族館は好きだった。海に縁の薄い京都や宇治に長く住んでいて、近くに水族館ができた。わくわくしていた。 行く機会がなかったが、孫娘らと一諸にやっと実現した。タイやエビ、カニ、エイ、カレイ、それにクラゲやウミガメ、ジンベイザメも。山紫水明ゾーンとかでコイやオオサンショウオまで久しぶりに世界の魚を見た。ペンギンやイルカのショーも訓練を積んで上手になってきたという。遅ればせもいいもんだ。少しの間、心が和んだ。,
2015.03.09
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爺メンW のブログも前回の1月下旬にあげた197本目でクリックのべ3万件に達した。日記並みに書く仲間もいれば、1週間おきに週間だよりを発信する人もいる。爺メンは平均して月に2,3本、入院などして1,2カ月あいたこともあった。 加齢とともに新しい病気にかかることも多い。予想もしない、病名も知らない。そりゃあ80年近くも使っていたら身体が部分的に弱って故障もするだろう。爺メンは大腸がんが根源だが、昨年秋に足の血栓が肺に飛び込むなんて知らなかった。少し前から自信の膝下が疲れ始め、上り坂や階段を登るのにハア、ハアと息を弾ませた。退院後は血をサラサラにする薬を飲み続け少し楽になった。 このほど1カ月ぶりに病院へ行き、呼吸器と外科医の診察を受けた。両医師とも「快方に向かっている」という。が、肺活量の検査はちょっと違和感があった。診断結果は「あなたの肺年齢は95歳以上です」。爺メン勘違いして95歳まで生きる保証をもらった気がして、一瞬の喜びからどん底を経験した。95歳の肺。あと5年で100歳か。肺を大事にせねば。
2015.02.21
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阪神淡路大震災から20年、あの1・17大地震、爺メンが体験した中では最も強い地震だった。仕事上、募金活動や寄金の神戸持参などにかかわった。あの惨状と復興ぶりを見てきたが、実兄の家族も神戸に住んでいて、もっと強烈な揺れを感じたという。 今年は太平洋戦争の終戦から70年。昭和に直せば90年に近い。爺メン8歳の幼少時代。縁故疎開で広島の山奥、祖母と姉が住む家へ。終戦直後までの1年間、田舎生活をしたが、今だに夢を見るほど鮮明に記憶している。生家の大阪市内がまる焼け、2日たっても音信のない家族全員が命からがら来てくれた時、爺メン裸足で飛び出し親に抱きついたものだ。 あれから70年か。親戚を頼って京都へ来たのが京都人の始まりだ。ここは千年の都の歴史遺産や自然の風景が美しく世界の観光地としてにぎわっている。これから先、京都と爺メンはどう変わって行くのだろうか。
2015.01.28
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新聞社時代は正月休みを意識したことが少なかった。さすがに年老いた近ごろは正月ぐらいゆっくりして年の変わりを実感している。昨年の正月は子供、孫らと豊川稲荷へ一泊初詣、一昨年の正月は家族で雄琴温泉に宿泊、今年は爺メンの退院後で遠出の計画なし。娘、孫ら2家族が寄ってすき焼きパーテイ。2日目の昼間は伏見の御香宮に初もうで。昔から知ってはいたが境内へ入り、本殿前で手を合わせたのは初めてだ。伏見の酒造に合う地下水の名水もちょっと飲んだ。 両足はまだ重く坂道はフーフーいいながら歩いているが、これもトレーニングだ。それにしても気象予報の精度が高まってきた。元日から雪が舞い、京滋バイパスで浜大津まで出かけたが、真っ白な雪景色。京都市内は2日、60年ぶりに20センチもの積雪を記録。爺メンの宇治でも10センチは積もった。さして遠出の計画もなく、雪のせいで身動きとれず、退院直後の無理もなくよかった。これは新年早々ツイてるゾ!
2015.01.07
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3週間近い入院生活から退院して半月、爺メンの足の筋力も少しずつ回復している。よい新年を迎えたい。入院中、気にしていた新聞社時代の親友の訃報を聞いた。奥さんから突然の電話で12月初めに逝き、家族葬にしたという。ベッドの上で思わず号泣した。覚悟はしていたが、寂しかった。 街で時々ランチやコーヒで互いの病状を慰めあっていたが、もう会えない。これまで多くの先輩や同僚、後輩の死に接してきたが、特にこたえた。爺メンも喜寿を過ぎて、人生の折り返しが見えてきたとジョウクをとばしてきたが、どんな境遇でも前向きに生きる、その強い意志が病を克服すると医師や看護師も言う。家族はそれを心配する。退院の翌日は職場の会議、次の夜は主催の記念パーテイにも出て挨拶できた。 足に力が入らず坂道、階段にはハア、ハア息を切らした。これもトレーニングだと我慢した。血液中の酸素不足には深呼吸を心がけるよう指導された。時間はかかるが、少しずつ体調が戻ってきた。ヨーシこの調子で親友の分も生きるぞ。爺メンを見守っていてくれ。
2014.12.29
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全身けだるい。特に自信の足が疲れる。やたらに一服したがる。家の中でもフラつく。初の救急車で近くの病院へ、応急手当のあと主治医のいる京都市内の病院へ搬送。酸素吸入器も初めてだ。39度を超える熱も初めてだが、肺炎のようで違う。あとで親せきの病院長に聞いたが、肺静脈血栓症らしい。といわれても初体験づくし。足の血栓が肺に飛び込んだらしい。 入院当時は少し危険状態らしかった。治療の甲斐あって3週間足らずで退院できた。あとは血液内の酸素不足を補うことと、使ってない足の筋力を戻すことだ。26,7才頃の肋膜以来、70歳ごろの鼻の奥の腫瘍摘出、大腸がん切除、飛来で肺がん部分切除、さらに飛来で肺に大腸がん。これには抗がん剤で1年半、定期注入を続けている。胸に注入用のタンクを埋め込むために入院し、今回6度目の入院だ。加齢とともに入院が増えてきた。自分の体をもっといとわねばと猛省。
2014.12.19
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11月の連休でお伊勢参りをした。運行を始めて人気の特急しまかぜの予約が1か月前に取れた。近鉄京都駅で1時間半も待って9枚が一瞬の奇跡を呼んだ。旅行が近付くにつれて39度5分の高熱が続いた。全身しんどいが風邪ではない。歩行時に足がままならず、よたつく。主治医は無理しないで。 当日の朝も熱は下がらず一旦あきらめた。先に行ってくれ。最後の運だめしで37度を割った。ヨシと気力を振り絞って丹波橋へ向かった。わずか50秒差で乗った。みんなの驚きと笑顔に救われた。車両はラクで昔のお召し列車みたい。停車駅ではカメラの放列、沿道の見物客に手を振ると応えてくれた。 2時間で伊勢市駅へ、昨年からの伊勢ブームと連休でにぎわっていた。外宮の入り口まで行き二見浦の見えるホテルへ。少し疲れてそのまま居づき、夜の中華パーテイで盛り上がった。翌日はみんなとわかれて伊勢参りもおかげ横丁もあきらめ早い目に帰宅した。単なる旅行疲れではなかった。
2014.12.17
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その夜、野球をしている夢を見た。野球と魚釣り、マージャンしている夢はよく見る。ここでは爺メン自身が2番ライトで出場、1回裏の攻撃ではや爺メン打席に入った。1球目は振り遅れの空振り、ヨーシ2球目、フワッと振ったら中前へ転がった。ヤッタ! が足が遅い。夢の中では逃げても追いかけても思うように走れない。 それを見たセンターが一塁へ送球してきた。こりゃいかん。あせって最後は一塁ベースへヘッドスライヂィングした。というより足が前へ出ずに頭から倒れこんだ感じ。その瞬間爺メンの体はベッドから床に転落、なにがなんだか、夢幻か現実か。だが頭も顔も手足も打ってない。痛くない。後日、左ひざの外側が10センチほどあざ状に傷ついていた。痛くはない。ベッドから落ちたのは初めてだ。その日から床に布団が敷かれた。
2014.11.19
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京都・神戸に女子プロ野球が誕生して5年、このほど西京極のわかさスタジアム京都で東西の優勝決定戦が行われた。長女の友人の娘の応援を頼まれ初めて出かけた。平均700人弱の入りらしいが、今回は新聞記事や広告が効いて倍以上の入場だ。 爺メンも高校時代、夏の西京極球場で試合に出たが、外野の守備位置からホームがかすんでいた。スタンドもガラガラで打球の音があとから聞こえて初めは戸惑った。その後、会社対抗などで少し慣れたが懐かしい。 肝心の女子プロ野球だが、両チームとも守備が固くてゲームがしまった。翌日のテレビ番組で張本さんがプロ野球の某チームに見せてやりたいよ、と。西の4番が目当てだが、6番のDH がポール際にスリーラン・ホームランを打ったのには驚いた。5回まで6-0とリードしたので球場を出た。久しぶりにスカッとした。その夜の夢大事件までちょっと待って。
2014.11.17
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法事つづきになった。13年前まで50年近く勤務していた新聞社の物故社員慰霊法要が5年ぶりに洛東浄土宗総本山知恩院で行われ爺メンも出席した。中秋の気配漂う現場は5年間で逝った新仏の遺族をはじめ、現旧役員幹部らが出席した。席上、他界した先輩、同僚、後輩らいつからか故人600人の名簿をいただいた。一覧すると「エエ~?この人も亡くなったの」。家族葬ばやりでさっぱりして、これもいいかなとも思う。だが最期の別れに立ち会えなかったのはちょっとさびしい気もする。 遠い思い出をたどっているうち、60年も前の豆記者時代にかわいがってもらったY部長やF次長の顔が浮かび、即当夜の夢でお会いできた。ああ懐かしい。もう1件、その後の夢で大変な事件があった。夢の続きはまた。
2014.11.12
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人生とはシャボン玉のようなものである。シャボン玉は生まれてすぐ消えるものもあれば、天高く飛んで消えるものもある。早い遅いはあるが必ず最後は割れて消えてしまう。 父が亡くなって早や、32年、1並びの11月1日11時、秋雨渋る洛西妙心寺の塔頭で33回忌法要をした。爺メンの兄姉6人はみんな旅立った。末っ子の爺メンが施主になって義姉や従姉、父を知る孫世代に声をかけ神戸や徳島からも来てくれた。総勢12人、平均年齢70歳くらい。そりゃそうだ。父が生きていたら123歳だ。読経で観自在菩薩経を唱和した。 朝晩、神棚の前で両親、兄姉の冥福、家族、親戚の健康と幸福を祈っているが、みんなと久しぶりに寄りあえた。会食は和風料理店でいただいた。孫や教育世代の子供たちが気になって帰途を急ぎ、ゆっくり昔を懐かしんだり、初秋の京都観光はなかった。少し残念だが、また次の機会に顔見世し合おう。
2014.11.03
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懐かしいお座敷小唄でヒットした花街先斗町歌舞会の秋の舞踊を初めてみた。伝統の水明会101回目の公演。3年前に終わった秋の鴨川おどりに代わって4日間、先斗町歌舞練場の舞台と客席に花が咲いた。 大阪の戦災で終戦直後から京都人になった爺メン、歴史文化あふれる京都の良さをずっと経験したが、日本舞踊の楽しさが少しわかってきた気がした。京都は祇園甲部、乙部、宮川町、先斗町、それに上七軒の五花街合同公演が夏場に催され、芸舞妓さんの踊りを2,3回見たことがある。 先斗町歌舞練場といえば京都市交響楽団が誕生して記念演奏会を開いたとき以来で5,60年前のことだ。今回のプログラムはお祝い事の「鶴亀」、女の情の清元「梅ごよみ」、おなじみの長唄「助六」まで見て最後の「常磐津」をあきらめた。鴨川に並行して三条ー四條間に延びる先斗町、置屋、飲み屋、雑貨店が風情良く立ち並んでいた。伝統と歴史の味を残しながら外人観光客が散歩を楽しんでいた。
2014.10.26
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爺メンWとしたことか。うかつにも前回のブログ「浅田文学のにおい」を公開してから気がついた。何を材料にしたのか分からない。改めて映画「柘榴坂の仇討」の感想だった。ご免。 懐かしい大津祭の宵宮へ出かけた。翌日の本番は台風が来て中止になりそうと読んで前日の様子を見に行った。30年前、滋賀勤務の時、仕事中に大津祭をちらっと見たような気はするが、覚えが薄い。祇園祭の山鉾巡行と比べられないが、各町内の山鉾として笛、太鼓、鉦の音、からくり人形が動く13基の曳山は豪華で見応えがあるだろう。台風19号が少し遅れて本番が実行できたと思う。
2014.10.12
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藩主警護役の中井貴一が桜田門外の変で敵を深追いして藩主の命を守れなかった責を問われ、切腹もならず敵討ちを命じられる。13年間探し求めた最後の敵と出会い立ち会うが、時代変化の中「かたき討ちご法度」のお触れが出たことと、藩主の命大事の言葉を思い出し、刀を納める。汽車ポッポ屋の話といい、浅田作品のにおいが感じられた。 この種のハッピイエンドは珍しいが、ごちゃごちゃと、言い訳がましいラストシーンの印象は悪い。妻女の広末涼子はそう好きではないが、まずまずだった。NHK の連ドラ「聖女」が終わった。変わり身が評判で良かった。
2014.10.08
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暑苦しかった昼間の蝉の大合唱が終わって、夜半の虫の声がとってかわった。確かに風の涼味が加わって季節は移っていく。あのうだるような焦熱地獄から解放されたが、福知山や広島の豪雨災害、東京、北海道でも浸水被害を見た。 地震、台風、豪雨と続く大自然の脅威は、ここ数年来、激しくなった気がする。爺メンが小さい頃は、関東大地震、室戸台風が最大の災害だった。それが近ごろは、気象情報の発達で2週間ぐらい前から台風の発生、規模、動静、見通しなどきめ細かく予報されよく当たる。中にはそれていく場合もあるが、情報として多くなったので昔より台風が増えたかと思うほどだ。以前は本土に近づくまでわからなかった。えらい違いだ。 9月は台風のシーズンだ。今年は夏場からやってきた。あれでやっと終わりかと思ったら16号がフイリッピン、台湾を経て九州へ向かってきた。もうたくさんだ。天高く馬肥ゆる秋晴れ続きが待ち遠しい。
2014.09.22
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長野善光寺近くのソバ屋で初めて出会い、二人で食事しながら仕事の打ち合わせして別れ、10年ほど音信不通のM さんと、京都の病院化学療法室でいすを並べて抗がん剤の点滴を受けていた。松本清張ばりの筋書きを地で行く、こんな偶然はそうない。それもお互い顔も名前も忘れている。 同じ曜日の時間帯で2、3時間の治療中、プロ野球から芸能ニュース、政治、経済の話、なんでもウマが合った。いっぺん食事でもと街に出て、7年前までの6年間、出版企画会社にいたことを話した。とたんにMさんアッと声をあげた。彼は「私も1年ほど東京にいてそこで営業した。そればかりか長野で初対面の爺メンとそばを食べたのを今思い出した」という。確かに長野でそばを食べた記憶はあるが、彼のことは思い出せない。 病院通いで古い友人と出会うことはめったにない。60代のMさん「縁ですね。何万分の一の再会だ」と気勢を上げた。爺メンいまいち腑に落ちないところだが、老化と抗がん剤のせいにしておこう。意気投合したついでにカラオケで発散した。
2014.08.19
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定時制高校演劇部の7人会は今も続く爺メン自慢の同窓会だ。木曽に山荘を持つM君の好意で6年ぶりに宇治、大津、姫路から5人男がそろった。喜寿前後の元気(そう)な顔を合わせるとうさをわすれる。現役の大学学長から元大学教授、会計事務所長、病院事務局長らそうそうたるメンバーで話題に事欠かない。 京都から特急電車で3時間、木曽福島からマイカーで1時間ほどの富喜温泉、秘湯の提灯が迎えるひなびた一軒宿で日帰り入浴。翌日はそれこそ秘境の白骨温泉泡の湯。入り口で飲料湯の白骨スープ?を試飲した。露天は初体験の混浴、若いカップルもいてドキドキしたが、乳白色のお湯で全裸もOK、温泉三昧を楽しんだ。 あとは日本一の宿場町で知られる中山道の奈良井宿。昔の面影残る旅籠街道や木曽川源流の味噌川ダム。乗鞍のスーパー林道など大自然の山中をドライブ、信州そばも満喫した2泊3日の旅だった。それにしても期間中、雨続きの予想がはずれて傘いらず。おまけに1週ずらしたら台風8号の影響で、にっちもさっちもいかなかった。日頃の精進がここで生きた。
2014.07.10
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爺メンの誕生日は2月だから旧聞だが、高校2年生の孫娘からきたお祝いの絵手紙は、何度読みなおしてもジーンとくる。爺バカといわれそうだが、孫の祖父への気持ちが素直に伝わって泣ける。会話は大人びて年寄り相手におじけず話しかけてくる。カンがよくて先読みが鋭い。 この子は小さい時から絵が上手だった。手紙は初めてだ。メッセージの全文を載せてみる。 「おじいちゃんへ、お誕生日おめでとう」 いつも私たちのために旅行や温泉に連れて行ってくれたり、欲しいものを買ってくれたり、たくさん話をしてくれてありがとう。似てるか分からないけど、おじいちゃんの似顔絵を描かせてもらいました(絵は割愛)。結構描くの楽しかったよ~。 いつもしてもらってばかりでなにも返せてなくてごめんね。この絵はそのお返しってことで。またみんなですき焼き食べたり、お出かけしたりしようね。いつもいつもありがとう。 手紙を打ちこんでいてまたまたグッときた。
2014.06.10
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1週間ほど前、あごにヘルペスを発症した。ひげそりで傷つけたと軽く考えていたが、少しも治らず皮膚科の医師はヘルペスと診断、飲み・つけ両薬をもらった。とたんに唇下2か所がブルーベリージャムをぬったように座を持った。10数年前にも右目の上から頭部にかけてヘルペスが出た。原因は過労というが、神経をやられて頭痛がした。 今回は2日後に2泊3日の信州旅行がきまっていて、もし症状が重くなると延期しようかと思ったが、幸い良化の兆しで決行した。長野松本の浅間温泉と長野電鉄終点の湯田中温泉を目指した。松本は初めてで国宝松本城へ。湯田中は仕事で泊まったこともあるので懐かしかった。 温泉と料理はどっちも良かった。小布施の北斎館にも立ち寄った。近くの信州みそ200年の老舗穀平で、おかみさんお勧めの味噌を量り売りで買った。味噌汁に使ったらなんともうまい。最高の収穫だった。さて初めのヘルペスだが、かさぶたもとれた。あと4,5日で全快だ。
2014.05.26
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前回の予告にこだわって爺メンの好きな曲ベスト20を選んでみた。トップは谷村新司の「天狼」、乞われて友人の結婚披露宴でも歌った。2番目は同じ谷村の「愛」、3位はやしきたかじんの「哀しみのアゲイン」、そして前川清の「花の時、愛の時」、五木ひろしの「山河」。アダモの「雪が降る」やナポリ民謡「帰れソレントへ」、石原裕次郎の「二人の雨」はいずれも古いが、歌いだしたのは最近だ。 あとはアリスや谷村の「遠くで汽笛を聞きながら」「陽はまた昇る」「群青」と続く。さらには裕ちゃんの「夜霧よ今夜もありがとう」、藤山一郎の「長崎の鐘」、渥美二郎の「他人酒」、森進一の「これは恋」。元気の出るラブソング「サテンの薔薇」(谷村)や五木の「夜明けのブルース」、徳島へ嫁いで生き切った亡き姉をしのぶ「吾もこう」などは感情がこもる。好きな歌には爺メンなりのわけはあるが、曲や歌詞、歌手の人柄もからむ。60年ほど前に見た思い出の映画「旅情」の主題歌「サマータイム・インザベニス」は歌おうにもカラオケに入っていない。
2014.05.05
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最近のテレビで歌謡番組が増えてきた気がする。BSなんかで五木ひろしや谷村新司、徳光和夫らがリードするプログラムが並ぶ。爺メンは数少なくなった趣味の中でカラオケは合うほうだ。上手な人の知らない歌を聴くのも好きだが、自分で昔聞いた古い歌をうたい、懐かしんだり、歌詞の内容を味わうのも楽しい。 ザッと70年前の終戦直後、海軍から復員してきた長兄が、問屋の大福帳みたいなのをつくり、歌謡曲の歌詞100曲ぐらい書いて、毎晩のように兄弟4人が歌いあった。テレビなき時代、唯一の娯楽だった。自分で言うのも照れるが、歌は小学生のころから好きで上手な方だった。 6年生の時、職員劇に引っ張り出され、芝居の中で「夏は来ぬ」を歌った。学芸会でクラスのコーラスに選ばれ「月の沙漠」を歌った時は大失敗だった。2番目を一人で歌う場面、途中で歌詞を忘れてしまった。頭の中は真っ白、ピアノ伴奏だけがむなしく。北島三郎や中島みゆきでもあったから、小学生が恥じることもないが、生涯忘れることのない事件だった。爺メンの好きな歌は次回に書く。
2014.04.17
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職場に出勤し、その日の仕事が予想以上に多忙を極めるのは珍しくない。爺メンだって2,30代のころは人の仕事でも買って出た。残業がどうより、一つ新しい経験が増えることに意味があった。40代になっても「吸収、吸収、死ぬまで吸収」と言い続けた。 上司から「吸収もいいが、積み重ねた経験を若いものに吐き出してやれ」と言われた。身をもってつかむのが本物だと今でも思っているが、次世代につなぐのも先輩の役割と自分に言い聞かせた。 オット今回のテーマは「忙しい休日」。先週水曜日の休日。気にしていた確定申告。夜来の雨ですいてるかなと急きょ資料を用意して税務署へ。受け付け開始前に飛び込んだが、すでに30人ぐらい先客が待機。それでも指導員のおかげか30分ぐらいで終了。その足で娘たちと約束の大阪問屋街へ買い物のお付き合い。3850円ナリの自分のブレザーなども買った。 先に帰って京都で職場の人と打ち合わせ。早めの夜食を食べて京都コンサートホールのアルゼンチン・タンゴの演奏会。歌とダンス付きの演奏で華麗なこと。この日はカラオケ仲間のお誘いもあったが、さすがに都合がつかなかった。が、さして疲労感もなく充実した老人の一日だった。
2014.03.12
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百田尚樹の「永遠の0」と国際映画祭で女優演技賞を受けた「小さいおうち」を映画館で見た。百田作品では長編の「海賊と呼ばれた男」を7割方読んだ。文庫本「影法師」を併読しているが、前者の石油王の話は元気の出る内容で楽しめる。「永遠の0」も百田作品とは知らなかった。NHK の大河ドラマで主役の岡田准一主演の戦争ものだが、岡田の線の細さが気になった。この種の映画は「戦艦大和」以来だが、戦闘場面はすごい。戦争を少しでも経験した爺メンらにすれば、どうしても娯楽作品として鑑賞できない。その点、洋画の「史上最大の作戦」や「地上より永遠に」などは娯楽映画として楽しめた。 「小さなおうち」は山田洋二監督、松たか子主演の戦時下をバックにした映画だが、準主役で女中役の黒木華が賞を得た。それも田中絹代や左幸子、寺前しのぶに次ぐ4人目の国際女優賞だ。高台のきれいな住宅に住みこむまじめな女中になりきった飾りのない演技に感心した。あの松たか子がかすむほどだった。次回作が楽しみだ。
2014.03.02
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大晦日の夜に書いてから今年初めてのブログだ。こんなにサボッたことはない。身辺の事件をまとめてみた。お正月の1月2,3日三大稲荷と呼ばれる豊川稲荷へ初詣。境内でごったかえしたが、豊橋で1泊した翌日はラグーナ遊園地から動植物園を回って、さあ帰ろうと思ったら東京有楽町の朝火事で新幹線ダイヤが大混乱。乗客60万人に影響した事故に巻き込まれた。帰りの指定券もアウト。こだまに乗って名古屋で乗り換え、大行列をかき分けて広島行きのこだまに飛び乗った。運よく家族全員座席を確保した。京都まで何度も途中停車したが、予定より1時間遅れぐらいで着いた。 もう1件は2月8,9日の徳島行き。姉の7回忌に姪の車で阪神高速、明石大橋、淡路島高速、鳴門大橋を渡って四国本土へ、の予定が、珍しく大雪に見舞われ、ほとんどストップ。全面解除は夜の9時過ぎ。大型トラックに挟まれながら大渋滞。姉の家に着いたのは夜中の11時過ぎ。翌日、法事を済ませて京都の自宅に帰りついたのも11時過ぎ。さすがにくたびれた。今年は遠出をすると自然災害に阻まれるトシになりそうだ。 今日2月23日、爺メン喜寿の誕生日だ。まだまだ頑張ってみる。
2014.02.23
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2013年も365日目、大晦日を迎えた。あすは新年、このけじめだけは待ったなし。いろいろあって老いの身には、振り返りたくないことも多い。自分としては病気もしたが、それでも現職を続けた。 楽しかった思い出は、旅行、温泉、映画・演劇・音楽鑑賞などだが、全体に低調だった。旅行は2月の水戸偕楽園、前日に伊豆の温泉と東京スカイツリー。8月の徳島阿波踊り、9月に南信州昼神温泉ぐらい。温泉は前期にプラスして雄琴と一休、宇治大久保にわき出た源氏の湯と減った。 映画は「愛・アムール」「そして父になる」の2本だけ。水森かおりと和田アキコのコンサートを聴きに行った程度。わずかに医者の勧めもあってカラオケは職場や昔の友達が誘ってくれて、平均月1回は行った。唯一の気晴らしになった。さあ、今宵、NHK の「紅白歌合戦」を見ながら今年が終わる。
2013.12.31
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あのマンデラ南アフリカ元大統領が亡くなった。重病とは聞いていたが、人種差別に道筋をつけ、ノーベル平和賞を受けた偉大な政治家だ。不法出国や反逆罪に問われ、27年間の投獄に耐えた。 マンデラさんには爺メンにも遠い記憶がよみがえる。20余年前の1991年4月、京都で国際新聞編集者協会(IPI) の総会が開かれた。ゲストに招かれたマンデラさんが入洛した。総会後の歓迎レセプションは二条城の庭園で開かれた。 幹事社の京都新聞社は社長以下でもてなし班をつくった。庭園中央で立礼に立った社長の隣に爺メンがいた。そこへ満開のサクラを愛でながら入ってきたマンデラさんは社長と握手、ついでに爺メンにもにっこりと握手してくれた。あたたかな気持ちを込めた、やわらかくて大きな手だった。
2013.12.08
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もはや旧聞になるが、島倉千代子の最期に驚かされた。人生の終わり日を知って最後の新曲を3日早め、自宅で吹き込んだ。歌手生活60年というさすがプロは違う。「人生いろいろ」だが、死期をきっちり予知してラストシーンをそれらしい新曲で締めるなぞ考えられない。 島倉千代子といえば、美空ひばり、石原裕次郎らと同年代で、爺メンもそうだ。今になって思えば70代はいかにも若い。まだいける。老いても何かできることがありそう。もっと様々なことを知りたい。もうひと花咲かせたいとか、社会的に認められたいとかではない。自分に対して納得できる生き方をしたか。家に引きこもらず、頭を使い行動できる日常をつくり、悔いのない人生を送りたい。
2013.11.20
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