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人類が初めて月面に足跡を残してからちょうど50年になるというアポロ11号の月着陸船イーグルが降り立った「静かの海」は月で餅つきをするうさぎさんのちょうど顔の辺りになるらしいあれは7月 夏の頃だったのに不思議なもので月を仰ぎ見てあの興奮を思い出すのはなぜか寒い冬の月の方が多いそのころ真空管のラジオを組み立てたりアマチュア無線を始めていた高校入りたての僕にはその後の自分の進む道にも大きく影響されたように思うあれから月と地球の距離はさほど変わらないはずなのに長い歳月はずいぶんと月を遠ざけたような気がする餅つきをするうさぎさんの姿も消えてしまった次の50年は漆黒の闇に青く浮かぶ地球を眺めているのだろうか人生100年時代まかり間違って奇跡的に100年ともう少し生き延びたとしたら月に向かう船の排出口から宇宙に散骨してもらいたいものだ本当の故郷に
2019.07.22
NHKでマッサンのドラマが流行ったころはウィスキーがよく売れたらしいウィスキー造りには途方もない時間が必要だ樽の中で熟成する時間をグラスに注いでちびりちびりと飲むようなもんだだから心して飲まねばならない決してラッパ飲みなど下品な飲み方をしてはいけない(よく言うよ!お前が言うか~?だ)ワンフィンガーだろうがツーフィンガーだろうがひと口含むだけで胸の中が夕焼けになったあの頃を忘れまいぞ!(駅のベンチで朝焼けを迎えた奴がまだ言うか!)
2019.06.28
また一軒ケーキ屋さんが店じまいした子供が生まれたときから何かと祝いのときには必ずその店でケーキを注文したご夫婦でこじんまりと それでも気の利いた愛想のよい店で日用品の店のようにはそんなに顔も出さないのに子供らの名前もよく覚えていらしたその子供のいくつ目かのある誕生日にいつものようにケーキを買って帰ったろうそくはいつもサービスで付けてくれるのだけれどその時は中にそうそくが入っていなかった電話をするとどうやら入れ忘れたらしいすぐにお届けしますと 奥さんは自転車で走って来られた別に持ってきてほしいとは言わなかったのだけどただ家じゅうを探したけれどろうそくは一本もなくて誕生日祝いにろうそくがなかったら味気ないもんですねとだけ言いたかったのだけれど結果的に持って来させたようなもんだと嫁はんに言われた商店街の豆腐屋もなくなったかかりつけの近所の医院も先生が老齢で後継ぎもなく閉院となり他の医院を紹介された散髪屋も同様 和菓子屋 自転車屋も同様街ではこれでもかというくらいあちこちにコンビニが乱立し郊外では田んぼをつぶして大きな商業施設が建つそしてこのごろはどこの店に行ってもポイントカードや専用のpayカードの時代一軒のクリーニング屋で初めて洗濯に出そうものなら会員カードやら財布がパンパンになるほどの割引券やらお徳用シールやらをいただくケーキ屋さんが自転車を走らせてろうそくを届ける時代は吹き消したろうそくの火のようにあっというまに消えていくのだろう
2019.06.06
そんなに昔のことではないのになぜだか鎌倉時代の古文書でも見るような気がした父の小学校の卒業写真と卒業証書が田舎の生家の納戸の奥から出てきたと今住んでいるいとこから連絡があった鎌倉時代と違って今は便利な世の中で当の写真を送らなくてもスマホで写真に撮って一瞬のうちに送ることができる別に特別感慨に耽ることもない自分の卒業写真や婚礼写真といっしょでほとんど見直すこともなくああそんな時代もあったんだと思うくらいだでもこのころの父はすでに父親を病気で亡くしている他に男の兄弟はなく姉妹だけで稲作には不向きなシラス台地で主にサツマイモや大根や煙草を育て貧しい家計を支えていたと聞く卒業するその小さな胸にどんな思いが去来したのだろうもっとも父は大きな声でよく笑う人だった当時は当然のようにその日その日を闊達に生きていたのかもしれない僕が小学校に入るころ高度成長に合わせてみながみな田舎の生活に見切りをつけて都会に出稼ぎに出た小さいころはよく父にどつかれたけれど盆と正月に帰省してくる父が待ち遠しくて仕方なかったあれっ!なんだか気が付くと鎌倉時代の古文書のようなものは自分自身の思い出にすり替わっている学校の歴史のテストになんでこんな古臭いもんを勉強せなあかんの?とぼやいていたクラスメートがいた彼も同じく今頃は還暦を過ぎているその歴史の意義に彼ももうそろそろ気付くころだろうか?
2019.05.25
幼いころの父の背中は誰もみな大きく見えるものだと思う小学校に入ったころの夏の海だったか僕は浦島太郎のように父の背中に乗せられて沖に出たことがある「しっかり つかまっとけ!」もちろん田舎言葉で言ったのだけど父は僕を背中に乗せて平泳ぎで沖に泳ぎ出したしっかりつかまっとけ と言われても父の背中はつるつるとして肩さえつかめないそのうち父はどんどん沖に出て父の肩越しに見える海の色でその深さが想像できたときおり波もかぶりさらに怖さが増してくる僕は必死で父の首にしがみついたあのときほど父の背中が大きく見えたことはなかったそれから幾十年も時は過ぎ父と母を温泉に連れて行ったことがある医者から受けた告知は父には内緒にして全快祝いだとウソを通して四国の温泉に連れ出した最後の温泉旅行だった効能書きのいっぱい書かれた温泉に浸かり父の背中を流したあのときほど父の背中が小さく見えたことはなかった
2019.05.02
今日はほんとにいい天気だったあ!京都府八幡市にある石清水八幡宮の清掃ボランティアに参加してきた毎回100人から200人ほどの参加者 男山の山上にある本殿を中心に 六班に分かれてのクリーン活動朝十時から一時間ちょっとあとの本殿参拝と本殿の中の神官による案内がみなの楽しみ 最後に頂上の展望台から京都市内を見渡す真正面に平安京の鬼門にあたる比叡山その裏鬼門にあたるのがここ石清水八幡宮小さく京都御所の緑や京都タワーが見える今日は偶然にも 清掃活動のころ本殿では天皇陛下の御譲位にかかる諸儀式の御安泰を祈念すべく「天皇陛下御譲位御安泰祈願祭」が執り行われている最中だという話が神職の方からあった今日のめったにないこの日本晴れは我々の日頃の行いの良いせいではなかったのだとうしろの人たちが笑いながら語り合っていた短かったけれどまことになごやかな令和に向かういい日旅立ちであった
2019.04.20
過ぎ去りし日が昨日のことのように思える花がある花木の存在を存在たらしめるのはたいがいその花が咲いたときだけというのが多いあとは忘れてしまっているに等しい季語にないものは無視される歳時記に似ている忘れてしまっているからこそ年月の経過をあらためて自覚させてくれるのかもしれない下の娘が生まれたのは予定日より早くて僕はあわてて仕事先から妻のいる産院へ駆けつけたその産院の長い廊下の向こうにまだヨチヨチ歩きの上の娘がいて僕を見つけるとうれしそうにパパ~と叫びながら走ってくる(2,3歳ころまではパパと呼ばれていた あとはおとうさん)その走り方が今にも転びそうで危なっかしくて走らんでいいよと言ったけれど彼女は両手を上げて廊下を走ってくるとしゃがんだ僕の胸に飛び込んだ僕はおねえちゃんになる彼女の両脇をかかえて高々と抱き上げたこの時に生まれた下の娘が小学校の下級生のころ運動会のかけっこで一番になるのだとよく夕方の公園でいっしょに練習をしたその娘が運動会のかけっこで一番になったとき彼女はそのままグラウンドを横切って 応援席の僕の所まで走ってきた走りながら僕の胸に飛び込んだ僕は彼女の両脇をかかえてぐるぐると回った産院の庭に 校庭のまわりに 咲く花があったなんの花とは言わなくても人それぞれの人生にはさまざまのこと思い出す 花があるその存在を存在たらしめるのはやはり命を輝かして開花したときだ
2019.04.18
上の娘が京都の大学に入った年の春「行ってきまぁ~す」入学式をすませたばかりのある日の午後鏡台の前で妹に髪をアップに結ってもらい春のにぎにぎしい会話を玄関先に残し うきうきとした様子で出かけて行った大学で入ったサークルの人たちと二条城でお花見だとなんのサークルに入ったん? 妻に訊くと 茶道部だとええっ! あいつが茶道部?茶道といえば畳にきちんと正座してあのかきまわしてお茶をいただくやつ?信じられな~い三年前の高校のときには女子柔道部だったあの華奢な身体で柔道部?その時も信じられなかったけれど今回もまた驚いた大学で着物に着替えて行くらしい聞くところによると 着物姿の人は無料で入れるらしいまさかそれが目的で入ったわけでもないだろうけれど着物でも着れば少しはおてんばもましになるかもっとも 柔道も茶道も 礼に始まり礼に終わる似てなくもない なんて無理やりこじつけの父親であったこの写真そのちょうど一年前の春家族で二条城の夜桜のライトアップを見に行ったときの写真すごい人波だった京都だけのことはあり 結構着物姿の人も多く見受けられたその一年後に七五三の時くらいしか着たことのない着物を着て娘がここに来るとは夢にも思わなかったでも ミニスカートをはくのとはわけが違う着慣れないものを着て 出歩いてせいぜい ぜぇぜぇ言いながら帰って来るのがおちだろう茶道部に入ったことを後悔して帰って来るかもしれないなんて思ったけれど結局 四年間 彼女は茶道をたしなんだ京都の名跡や有名どころでお茶会を催したりお茶を通じていろんな人たちとつながったりして後半には部長も努めて忙しそうだったおかげで父親も多少 茶道のさの字くらいの手ほどきを受けちょっとしたお茶会に招待されたり慣れない席に夫婦ふたりで出席することもあった世の中わからないもんだ娘が茶道部に入らなければ一生縁のないものだったかもしれない ヤマトナデシコ七変化 ♪ 純情 愛情 過剰に異常 あっちもこっちも恋せよ乙女 ♪ 小泉今日子
2019.04.12
近くの神社の神様子供のころ風の強い夜庭の松の木の枝がときおり軒先をたたくもくれんの葉が雨戸をさする怖がって弟とふとんにもぐり込むと「風の神さまが来てなさる」夜なべの縫ものの手を止めて母が言ったこんばんは とでも言いたげな母のやわらかな口調に俺たちは安心して眠りについたそうかと思うと五右衛門風呂の風呂焚きをしながら火遊びでもしようものなら火の神さまが怒って 焼き殺さるっど!!母は鬼のような顔をして怒鳴った裏山で仲良しになった炭焼きのおじさんは大きな窯のてっぺんからもくもくと立ち昇る白い煙を見ながら山を大事にすれば山の神さまがご褒美をくれると言ったその頃の少年にはよくわからなかった手伝ったお礼におじさんがくれた昼飯のおにぎりの方がよっぽどのご褒美だったその後の経済成長の時代大人たちはみな都会に現金収入を求めて出稼ぎに出た里山は荒れた山の神さまもご褒美をくれなくなったおじさんもいつの日か来なくなった土の窯だけが草に覆われて残った小さいころはあちこちにいたたくさんの神さまが大人になるにつれどこかへ行ってしまったどこに行きなさったのだろうと思っていたらこんな所にゐなさった
2019.04.05
若い頃はよく花見を積極的にやった幹事もよく引き受けて材料から場所取りからメンバー集めから上司からの金一封いただきから女子の勧誘から・・・(女の子が多いと参加率がめっちゃ上がる)幹事のくせに人一倍よく飲んだそして最後はいつもひっくり返りそういう奴が必ず何人かはいるので目が覚めるとまた飲んだおかげで翌朝は頭が痛くて痛くて起き上がれないこの世に桜がなければこんなことにはならないのに・・・なんてふとんの中で思ったものだ世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし (在原業平)平安の都の色男イケメン プレイボーイの在原くんもこの北河内の地で詠んでいるもっとも在原くんはこの世に女がいなければ・・・と思ったかどうかは定かでないけれど
2019.03.30
もう何年前の誕生日だったか織部焼の酒器を子供らにもらったことがある選ぶものがそれまでと違って彼女らも少し大人になったようでちょっぴりうれしく思ったそんなに高価なものではないけれど歴史好きの父としてはその気持ちが陶器の土のように見ているだけであたたかく感じられるところが子も大きくなるとこのごろはその酒の量も控えろ控えろと言ってうるさい妻がいなくなって酒の量も増えたらしいらしい と人ごとのように言う子供は大きくなると心配することも親から奪い取るようだ思えば小さいころは病弱だったしょっちゅう医者に駆け込んだ将来大きくなって大丈夫だろうかと心配しながら深夜の救急病棟の廊下のベンチに妻とふたりぽつんと座って診察を待ったそれが大きくなるとうそのように病気ひとつしなくなった子には心配をかけた分大きくなると親を心配するようにできているらしいその昔もらった酒器に穴でも開かない限り心配の種はつきないまた人ごとのように言っている
2019.03.24
この目に映るものがみな正しいとは限らない閉じた瞼に映るものの方が嘘ではないときもある 時に涙は閉じた瞼の方に滲みやすいかつて目にしたものが眼球の奥の一点から幻灯機のように瞼の裏のスクリーンに映し出されるだからおもひでは涙で滲んだように見える 中学二年の頃だったか毎週土曜日は半ドンで学校から帰るとテレビの吉本新喜劇を見ながら昼めしを食うのが楽しみだったある日その新喜劇がやっていなくていつものチャンネルに合わすとこの瞼の母の時代劇をやっていた別に見るつもりはなくて そのままテレビをつけていたら最後まで見てしまったいつもは新喜劇で大笑いしながらの昼飯が涙ながらの昼飯になってしまったのを覚えている当時中村錦之助の番場の忠太郎だったと思うけれど錦之助の瞼を閉じるシーンに泣けてしまった中学二年生恥ずかしくてあまり人には話してこなかった
2019.03.20
三月は去る三月は人も去る数十億もの人のいる中で何かの縁で一緒に事を成してきた者が去る語る言葉は数々あったのだけれど込み上げるものに言葉を見失いずいぶんと涙腺もゆるくなったもんだと我が歳ぞ思ふ弥生かな語らいも尽きて去りゆく弥生かな
2019.03.12
妹は今でも二人の兄のことをおっきい兄ちゃん ちっちゃい兄ちゃんと呼ぶちっちゃい兄ちゃんの方が背丈も横幅も大きいのに母が押入れの奥からこんなものが出てきたと携帯のメールで古い昔の写真を送ってきた少し緊張気味の僕の横に立つ弟と妹後ろに立つ母が みんなこの家で産んだおそらく父が撮ったのだろう誰にでもそんな時代があったねという家族の原風景があるちっとも悲しむものなんかではないのになぜか目頭が熱くなる携帯に不慣れな母がおそらく四苦八苦しながら送信したのだろうその気持ちを想う押入れの前でひとりしばし座ったままの母の姿を思うなぜかどんぐりの写真を撮りたくなる
2019.03.08
昼飯にラーメン屋に行く一人なのでカウンター席に座る厨房の中がよく見える近頃はこういうタイプのタイマーが三つ 四つ業務用冷蔵庫の壁にマグネットで張り付けられているだからしょっちゅうタイムアップした音が聞こえてくる 先日のテレビで京都のある飾り職人が職人の匠の技をデータ化するという試みをやっていたベテランの作業をいろんな先端技術でデータ化する職人の体にいくつかの小さなカメラを取り付けたりして作業中の手の動きや目の動きを軌跡として残すベテランと未熟練者との違いを明らかにしたりする要は熟練者になるまでの時間をなんとか短くしたいというのが狙いらしい伝統工芸品などの職人の人手不足もあるし育てる年月も長すぎるのがあるらしい 気持ちはわかるけれどもなかなかに難しいような気もするラーメン屋のから揚げのように何度の温度の油でタイマーで何分揚げなさいというわけにはいかないだろう 写真は家にあるキッチンタイマー自分はインスタントのラーメンを作る時くらいしか使わないけれど世の中に余命を計るタイマーがあればおもしろい 自分の余命タイマーはどれくらいで設定されているのだろう余命一年よりも余命二十年の宣告の方がつらいような気もするし妻への余命一か月はあまりにもひどかった神様へ
2019.03.03
助手席のベルトサインや春大根車のシートベルトサイン。ベルトを締めるまで赤いランプが点滅する。人間なんて弱い生き物だ。法律で罰則などを作ってもらわないと守れない。守れないというより、そもそも自分自身を守るためにあるのに、強制的にやらされているように錯覚している所がある。飲酒運転で罰則が厳しくなり、そのおかげで事故も減少していると聞く。運転者にアルコールの匂いがすれば、自動的にエンジンがかからなくする。そういう話も聞く。人間はうっかりし、ぼんやりし、横着をする。罪と罰。人間社会に規律が必要なのはこれまでの、歴史をさかのぼれば歴然とする。スーパーに買い物に行く。買い物袋を助手席に載せる時がある。物によったらその重みでシートベルトサインが点滅し警報が鳴る。大根やキャベツの入った買い物袋にベルトをせよというのか。それらといっしょにされていると思うと、いささか人間も情けない。人の横着を防ぐための技術も、座席に乗っているのか、載っているのかの違いを判別できない。誰もいつもいつも平常心ではない。あわてている時もある。急いでいる時もある。心配事や悩み事で考え込んでいる時もある。あまりのうれしさに上の空の時もある。それらが人間らしさなのかもしれない。人間は過ちも犯すしミスもする。でも、人間はミスをするもんだという前提でプレーする選手は、俺はプロだから絶対にミスをしてはいけないと、自分に言い聞かせてプレーする選手よりも、必ずここ一番の大事なところでミスをする。ソフトバンクの王元監督が語っていたことがある。要はなんでも気の持ちようなのだろう。
2019.02.25
吹く風の貌(かお)現わすや雪しぐれ履歴書が売れているという履歴書の特技の欄に書くほどのことではなくても世の中 思いもよらない人が思いもよらないことに精通しているときがある普段はそんなに目立たないのに人前に出て話をするとうまかったり順番で回ってきた幹事役で思いのほか段取りに手慣れていたりする歌や詩吟がプロ並みにうまかったり字がきれいだったり思わぬものに熱中していたり・・・人は外見ではわからない近年の冬は雪が少ない降ってきたかと思うとやんで積雪までいかないことが多い雪が降りだすと見えなかった風の姿が目の前に現れてくる思いもよらない風貌に驚かされるときがある風にも雪にも思わぬ特技があるこういうご時世履歴書でも書いてあらためて自分を見つめ直してみるか若い頃に書いたものより思わぬ発見が自分にもあるかもしれないいやいやもうエンディングノートにしたら?と天の妻の声が聞こえそうである
2019.02.21
あの頃の春をさがしてかくれんぼ子供のころはいまどきの田んぼは絶好の遊び場だった少しあったかくなるとお山の大将を中心に山から木を切ってきて刀を作りチャンバラごっこをした相撲を取った 秘密の基地を作ったかくれんぼした大きな穴を掘って怒られた草と土の匂いに包まれて気がつけば春はもうとっくにみんなのど真ん中にやってきていてうっすらと額に汗を光らす脱ぎ捨てたジャンパーを忘れてよく親に怒られた取りに戻ったジャンパーを着ると田んぼに細長い影があらわれる帰り道をずっとついてくるカラスの飛んで行った山の麓の辺りからだんだん暗くなっていく腹が減った走って家に帰るそんな後ろ姿を夕日とともに覗き見る自分がいる
2019.02.17
めずらしく風のない昼下がり小川の水面に映る春の日が少しずつ少しずつまん丸に近づいてゆくまん丸になったところでその水に映ったお日さまに小石を投げるきらきらとお日さまは砕け散り土手に腰かけてしばらく眺めているとやがて春の日はまたまん丸になろうとする川の土手にはいつのまにか小学校二年生の僕がいる小学校二年生の算数の時間教室の先生の机の前で一人ずつ九九を諳(そら)んじるテストがあった僕はわからなかった小さな紙切れに書いたものを手に持ちそれを横目で盗み見しながら答えたカンニングだ先生にはすぐにバレて外で遊んでろと教室を追い出された僕はわからなかったどうして ににんがし なのかどうして さんしじゅうに なのかどうして ししがじゅうろく なのかさっぱりわからなかったただ覚えればよかっただけのことなのにあの日の帰り道小川の土手に腰かけて小石を投げる僕がいた
2019.02.14
一生に一度でいいよ春の夢おいらの東京オリンピック とか大阪万博 とかはやっぱりあの東京オリンピック だなああの大阪万博 だなあなんだか一生に二度も なんてもう少しあとの世代でもいいと思うんだけどなあいろいろと諸事情もあるのだろうけれど世界は広いんだしなんだかふくらんだ思い出の風船を割られるような気がしてもう少しあとにしてくんないかなあおいらがあの世におっちんだ後に・・・
2019.02.06
福豆を食へば砕ける鬼の骨父が亡くなってから、ひとり暮らしの母の所へ、時々、自分一人で様子を見に帰る。たいていは夕方ごろ行って一晩泊まって帰る。母は夏は焼肉やら、冬は鍋物を用意して待っている。他人じゃないんだから、そんなごちそうせんでもいいと言うのに、いつも山盛りの料理を作る。十五年くらい前だったか、当時はとても仕事が忙しいころで、やっと合間をみつけて、久しぶりに母の所へ帰った。一晩泊まって、翌日は早めに帰って家で仕事を片付けようと思っていた。が、久しぶりに帰ってきた息子は、うれしそうな母の顔に、なかなか明日は早く帰ると言い出せなかった。とうとうその晩は言えずじまいで床についた。明日中に仕上げようと思っていた仕事のことで頭はいっぱいだった。翌朝、朝食もすんで新聞を読みながら、今日は早く帰るからと言いかけた時、母が先に言った。「昼は何が食べたい?」その言葉に僕はカチンときてしまった。今、朝飯を食ったばかりだ。夕べから言い出せずにいたイライラのようなものがいっぺんに噴き出した。「いらん!今日は早よ帰るから!」つっけんどんな言い方だと自分でもわかった。「えっ、もう帰るのか?」驚いた後に一瞬、母の見せた淋し気な表情がなおさら火に油を注いだ。「俺も忙しいんや!」そんな言葉を吐き捨てて、僕は鬼のような顔をして母の家を飛び出した。人の心には、何かの拍子に鬼が棲む時がある。今日は節分。豆を食えば、いまだに、あの時の鬼の骨の砕ける音がする。
2019.02.03
みかんの皮をむく動作には他の果物にはない もったいぶったものがあるりんごの皮にもバナナの皮にもない柿やぶどうの実では味わえない口に入れるまでの懐の深さがある手に持った蜜柑に爪を立てたそのままにひと言ふた言 ひと皮むいてまたひと言蜜柑をむく人の思考に合わせて指が動く蜜柑一個むき終えた頃には話はついているあとは好きな口数で頬張ればいい因みに昔の親父は 小言が済むとはいこれはこれでおしまい とでも言いたそうにむいた蜜柑を一口で頬張った蜜柑の好きな父だった 蜜柑むく ひと皮ですむ小言かな
2019.02.02
小学校の低学年のころは 九州の田舎にいた何が楽しみかといって先生が本を読んでくれる時間ほど待ち遠しいものはなかった紙芝居や幻燈もあったけれど先生がみんなの机の間をゆっくりと歩きながら読み聞かせてくれるものは自分の頭の中にその場面がみるみる絵になって現れてきた「ジャックと豆の木」の話を初めて聞いた日の夜は自分がジャックになって雲の上に行く夢を見たもんだ我が家にまだテレビなどなかった遠き時代の話「くろくまクンタ」我が家に授かった最初の子供から何度もなんどもせがまれて読み聞かせた絵本ひょんな所から出てきてしばらくタイムスリップした冬の夜
2019.01.30
生きている人間の腹の中を一度だけ見たことがある白衣を着せられ マスクを付け頭にも医者と同じようにキャップをかぶせられ僕は一人 手術室に連れていかれた手術台に横たわる父の腹の皮をまるでエプロンの前掛けでもめくるように上に持ち上げると内臓が目の前に現れたもちろんそんなものは初めて見た見たけれど 今では 胃がどれで腸がどれだったか心臓も見えたのか見えなかったのかよく覚えていないただ 手術医が赤紫の肝臓を少しめくってここがこうだからもう手術は難しいとマスクごしに説明するくぐもった声だけははっきりと覚えているものすごく薄そうな手術用の手袋の白い指が胃や肝臓のピンク色に自信満々に映えていたそれはほんの数分間のことだったけれどものすごく長い時間のようでもあり時が止まっているようでもあった手術室を出ると母のそばに弟や妹 その連れ合いらが心配そうに待っていた僕は少し頭が上気していた誰か代表で一人と言われて 長男である僕が行ってよかった母ならおそらく卒倒していたかもしれない父の腹の中を初めて見た手遅れだということを患者の家族に納得させるために医者もどえらいことをするもんだと思ったこのあと洗脳されたような僕の口からみんなに状況を説明したおそらくこれが医者の本当のねらいだったのだと後になって気付いた今でも父の仏壇の前に座ると「親父の腹ん中 おれ知ってるんやで」と腹ん中で思いながら線香に火を点ける仏壇の上の笑った父の遺影がこの時 少し照れたような顔に見える「男どうしやないか 腹ん中のことは言うな」といつものように眉間にあのしわを寄せてとがめているような気がするのである
2019.01.27
食事を下げに来た宿屋の女中(坂口良子)が金田一耕助(石坂浩二)に訊く「全部私が作ったの 何が一番おいしかった?」すかさず金田一「生卵」と答える映画 犬神家の一族(市川崑監督)の冒頭辺りのシーンこれから始まる惨劇にはなんら関係ないシーンだけれどホラー映画にはない一服の清涼剤になっている坂口良子の可愛かったこと・・・原作にはないシーンらしいけれど物語の時代設定のころには生卵はごちそうだったのかもしれない思えば自分の小さいころにも卵は貴重な栄養源だった風邪で寝込んで学校を休むと母が卵かけごはんを食べさせてくれた卵をごはんにかけて食べるめったにない贅沢だった冷蔵庫に卵がきれいに並んでいるのを見ると無意識にうれしくなる
2019.01.22
「今日のお昼はお父さん なんか作ってよ」ある年の女正月 妻が言う「おれなんもでけへんよ」学生の頃 レストランでアルバイトやってたと言ってもほとんどボーイか皿洗いだったしできてもフライパン振って賄いの焼飯かチキンライスくらいやし一人暮らしが長かったと言ったって外食ばかりでできるのはインスタントラーメンくらいやし結局ラーメンでいいからとインスタントラーメンを作るはめに娘たちは出かけているので妻と二人前 卓に並べて食すうまい うまいと妻人に作ってもらうものはおいしいと男は単純であほやからほめちぎっておけば また作ってくれると思っているその手にはのらん とズズズーッとラーメンをすするインスタントラーメンも独身の頃のように一人で食うよりも二人で食った方がうまいああ おいしかった また作ってネ!うれしそうに何度も言われるとその気になるから男はやっぱりあほである 夫作るラーメン旨し女正月
2019.01.21
記憶とは哀しいものだどんなに新しい記憶であってもそれ自体に未来はない過ぎ去ったものの形だけが残る記憶とは割れた鏡のようなものでひび割れていても見ているだけならどうってことはないけれど手を伸ばせば思わぬ痛い思いをすることがある記憶とは哀れなものだ覚えていても 忘れ去られても切ない
2019.01.18
昔話の中では「夜なきうどん」の話が好きである高知の山奥の村に 秋の終わりごろになると夜なきうどんを売りにやってくるおじいさんがいた屋台にぶら下げた鈴がチリンチリンと鳴りそれが夜なきうどんの合図になっていたいつもお稲荷さんの前の広場に店を出すその近くに寝たきりの母と暮らす かっちゃんという若者がいたいつも一番にうどんを食いにやってくるその夜もかっちゃんがおやじさんのうどんを食っているとこの辺りでは見かけたこともない きれいな女将さん風の女性がうどんを食べにやってきたこのうどん おいしい おいしいと3杯も4杯もおかわりをして代金に小判を置いて立ち去って行くおじいさん家に帰ってみると この小判が財布の中で木の葉に変わっていた次の夜から 同じように何杯もおかわりをする いろんな人間に化けた客が現れるやはりもらったお金は財布の中で木の葉になっていたこの話毎夜 寒い中重い屋台を引いてやってくる正直じいさんを騙す性悪だぬきをかっちゃんがこん棒で懲らしめて たぬきは息絶えるのだが残された6匹の小だぬきが鈴の音の真似をして鳴き 毎夜 母だぬきを呼ぶという話だ子を育てるには腹がへる腹がへっては乳も出ん命がけだったんじゃろう涙ぐむかっちゃんに寝たきりの母親が寝床から言う子育て中の母だぬき だったという話もう35年くらい前テレビでやっていた「まんが日本昔ばなし」を毎週録画して1本のテープにCMなどを飛ばし編集して録り溜めていた1巻に24話ほど入れたものが30本くらいになっていたまだ結婚する前のことで将来 子供でもできたら見せてやろうぐらいしか思っていなかった それがどういうわけか子供たちはこのテープを小さい頃からむさぼるように見た何かの話で あっ これは昔ばなしのあの話に似ているねとかあの話はかわいそうだったね とか 登場人物の名前まで出して言うこのごろは山里に熊や猪が下りてきて人を襲ったり畑を荒らしたりするニュースを聞くとこの「夜なきうどん」の話をしてくれるそうやって 昔寝る前に祖母や母が語ってくれた昔話のおもしろさを僕も知らず知らず子に伝えたかったのかもしれない 市原悦子さんが亡くなられた小さいころ その昔ばなしをむさぼるように見たふたりの娘は久しぶりに映したテレビの前でかっちゃんのように涙ぐんでいた 哀悼 市原悦子さま
2019.01.14
九十になる義母は入歯をはずせば前歯一本しかないそれでも魚くらいは歯ぐきで噛みなさるこの頃は足腰も弱くなり息子には転ぶな転ぶなと口すっぱく言われ去年は二回転んで今じゃ松葉杖の世話になっているアルミの軽い杖を使いこなし世話になっているのは足だか杖だかわからない毛糸編みも好きだが花札も大好き強い正月には孫たちを集めて御開帳となる野郎どもが酒飲んでできあがる頃裏の座敷で場は開かれる片付けの済んだおなごどもも加わる場主の義母は金は賭けないがピーナツ豆を賭けるそれも可愛いが髪を後ろで結んだ義母もまた可愛い可愛いくて強いが独り勝ちはしない孫のそれぞれがいい思いをするように気を配る黄色い声がにぎやかに飛び交うマツキリボーサクラー!イノシカチョー!ハナミデイッパイ ツキミデイッパイ!ナガレター フケター・・・花札をやったことのない者には訳の分からない叫び声が轟く新年の夜は遅くまで続く
2019.01.10
「お父さん なにやってんの?」こたつで焼酎の湯割りを飲みながら年賀状を書いていると娘が勉強道具を持ってやってくるいつものことだ二階にちゃんと自分の勉強部屋があるんだからそこでやれよとは 思っても言わないいや一度言ったことがある静かな所でやるのはいやだと言う性格からして娘らしい静かな所でやる方が勉強もはかどるんじゃねえか?年の瀬の休日の午後特に用事はない外は冷たい雨の音湯割りの焼酎がまず一腑に沁み渡る賀状書きは特に年賀状しか付き合いのなくなった人に思い入れが湧くその頃のことが思い出されてなかなか筆の進まない時もある焼酎の酔いに懐かしさが増し今年いただいた年賀状をなんべんも読み返したりする過ぎた年月を思い浮かべなつかしさに没頭するこの時季ならではの至福こころも体もあったかくなる先ほどから向かいに座った娘が何やらぎゃあぎゃあとわめいているそういえばお腹があんまり気持ちよくあったまり過ぎて思わずおしりの辺りから大きな音が出たそんなに騒ぐんじゃねえ!静かなのは苦手だと言ったじゃねえか! おいおい
2018.12.31
子供らの枕もとにクリスマスプレゼントを置くにわかサンタクロースをやめたのはいつごろだったろう子供が小さい頃は正月よりも重大事な任務だったような気がするそして ケーキ屋さん誕生日や祝い事でなくても仕事の帰りよくケーキ屋に寄ってショートケーキを買って帰ったりしたから店員さんとも顔なじみになるくらいだったそして カメラ屋さん昔のカメラはみなネガだったから 現像を頼みにカメラ屋に行くカメラ屋の大将もうちの子供らに会ったこともないのにプリントを取りに行くと大きくなりましたねえ と声をかけてくれたりしたこの頃は地域のカメラ店やケーキ屋が廃業閉店する所が多いらしいそういえば自分も最近あまり行っていない写真も手軽に家プリントやコンビニのプリンターでそこそこのきれいなプリントができるケーキも高齢化や少子化の影響もあるし庶民の嗜好の変化もあるらしいいつの時代にも大小の波はあるけれどどんな時代になっても 過ぎ去った時代を懐かしむのはいつの時代も同じではないかと 思うにわかサンタのころのように
2018.12.23
五・六年前めずらしく風邪で寝込んだ年の暮れ大掃除どころではなく一日 ふとんの中で夢を見たそれがまた不思議な夢で「釜」の夢ばかり見た田舎にいた子供の頃学校から帰ると竈(かまど)の大きな釜にカライモがたくさん蒸かしてあってそれを二つ三つ手に握り遊びに出るのが常だったその釜はちょうど僕の目の高さくらいにあって釜の中は覗けないけれど 蓋をずらし上から手を差し入れて取っていたそれから村の神社のうす暗い境内に気味の悪い地獄絵図がかかっていてウソをついた者の舌を抜くもの 血の池地獄 針の山そしてたくさんの赤鬼が罪を犯した人間を煮えくり返る大きな熱湯釜に放り込んでいたその釜の中で悶え苦しむ人の顔を見ていたら しばらく家の釜のカライモを食べたくなくなった そうでなくとも何かに噛みつかれそうな気がして 釜の中に手を差し入れるのが怖くなったそして雨月物語にある吉備津(きびつ)の釜今も岡山の吉備津神社に残っている鳴釜神事神官の娘と農家の長男との結婚を鳴釜で占う釜が鳴れば吉 鳴らなければ凶その神事では釜は全く鳴らなかった それでも結婚は進められたその末の恐ろしき結末は・・・恨み 怒り 嫉妬といった感情が怨念に化ける時 この三つの釜の話がふとんの中でグルグルとなんべんも渦巻いて夢か現実かわからなかったするとトントンと誰かがふとんの肩口をたたいたビクッとして目が覚めた「おかゆさん作ったけど食べられる?」妻だった「ダイジョウブヨ」僕の声は少ししわがれたオカマさんみたいな声になっていた妻の顔が福の神に見えた
2018.12.18
子供たちが小さい頃は仕事帰り思い出したように気まぐれにショートケーキでも買って帰るとそれはそれは大袈裟なほどぴょんぴょん跳びはねて喜んでくれた安いケーキなのにそこまで喜んでくれんでもと思ったりでも それが不思議なものでこちらまで想像以上に心が柔らかくなって何か仕事でつまずいたことなどすっかり忘れて心も軽くなるあるいは今 思うとそういう時に限って何か手土産にして帰ったような気がする
2018.12.12
子供が小さい頃は家族でよく映画館にも通った封切りの新しいアニメであったり釣りバカ日誌や寅さんだったりそういえばこの頃 思い切り笑うことも少なくなった人の涙は悲しい時ばかり出るものではないうれしいときも 感動したときにも笑って笑いころげても涙が出るあくびをしても出る 人の涙は不思議だ
2018.12.11
竿の高さが高くなったような気がする母の故郷から少しばかりの柿が届いて全部皮をむいて 外の物干しに吊るした背伸びする母の手が やっとこさ届く物干しの高さを低くしようか と言うと物置から小さな踏台を持ってきたちゃんと用意はしてあった ここの家族がまだみんな揃っていた頃から変わらない物干しの高さを母は変えたくなかったのだろう低くすれば自分の老いと引き換えにあの頃の何かを失うような気がする低くすればするほど手の届かなくなるものがある踏台の上の母の背中がそう言っていた 母が吊る竿の高さや吊し柿
2018.12.06
四季は春を始まりとして子供から大人になりそしてまた次の春土に還るような気がする 土の肥沃な思い出の中から新しき芽を出す
2018.12.01
時々アクセスレポートの中にどうしても思い出せないタイトルが出てきたりするたとえば先日のアクセスレポートに出てきたこの「プリプリ」 二年前の作プリプリ? なんのこっちゃ?自分で書いたはずなのに全くチンプンカンプンのぞいて見ると これタイトル 「プリプリ」 クリスマス妻と二人のプリンかな クリスマスつまとふたりのプリンかなプリプリもちろん一世を風靡したプリンセスプリンセスではないま あえて言うならプリンスプリンセスプリプリばんざぁーい、ばんざぁーい!!ダイヤモンドだねえ~♪ まあ あのころはな~んにも知らずにのん気なことを書いていたもんだと呆れてくるわ
2018.11.25
先日の11月22日は「いい夫婦の日」であったらしいいい夫婦ってなんだ?喧嘩しない夫婦か?長年連れ添った夫婦か?夫婦がお互いを労わる日か?よくわからんけど個人的には英語的に「夫婦のいい日」にしてほしいけれどもっとも 連れ合いのいない身には関係のない話だけれど冬の暮れの道で買い物帰りの夫婦連れとすれ違う片方が鈴りんをりんと鳴らすするともう片方が相づちを打つようにりんと返す別に日にちを決めなくてもあの人たちには今日が「いい夫婦の日」なんだなと思ううらやましい
2018.11.24
1970年の大阪万博に動く歩道というのがあったけれどそれよりも万博会場に向かう電車の中の車内放送を英語版でもやっていたことの方が当時高校生の僕には新鮮な驚きだったその後の英語検定に挑戦しようと思うきっかけとなったその当時からあまのじゃくだったのかもしれない地元開催ということで何度か通ったけれど月の石の展示してあるアメリカ館には結局一度も入ることはなくて他のロシア館や行列の長い所も避けてエチオピア館や人の少ないパビリオンばかり見て回った現在 大阪は2025年の2度目の万博の誘致を目指して活動しているさてさて その盛上がりはいかに?あの頃とは比べ物にならない ような気がする月となんとかとは言わないけれど・・・
2018.11.21
なつかしいねえ!誰か ページ繰る 4 5 6 ・・・と続いてくれたらいいんだけどねえ!今思うとあのころのサイトは結構いろいろと充実してたんだねえ覗くだけで足跡が残ったりしてさあ管理人がいつもサーバーが大変だ大変だと汗流してたのが今頃になってわかったような気がするよところでその管理人 どこ行っちゃったのかねえ? 写真 ケセラセラさんのブログ より *セラちゃん 何か新しくテーマの新規作成してくれたらそこに投稿できるんだけどなあ!私の おもいでぽろぽろ しゃぶんくらぶ 等のように
2018.11.18
先日夜遅くなった下の娘を自転車で駅まで迎えに行った帰り道自転車置場から出てきて前を走る娘の後ろ姿を見ていたら昔 近くの公園で補助輪をはずして自転車乗りの練習をしたころを思い出した自転車の後ろを持ちながら何度か練習するうちに手を離して 手を離してと娘が言う心配でいつまでも後ろを持っているとしまいに怒ったように「手を離して!」と叫んだその時には僕はずっと後方でとっくに手を離していたのにあの頃の後ろ姿は今もそのままなのにおどろいた
2018.11.17
鍵は失くした方も拾うた方もどことなく落ち着かない失くしたこともあるし 拾ったこともあるから
2018.11.14
立冬を待ちかねたように石蕗の花が咲き始めたつわぶきは花よりも葉っぱに思い出が深い子供のころの傷には母が庭のつわの葉をとってきて火であぶって手でもんで傷口に貼ってくれたたいがいのものはそれで治った
2018.11.11
下の娘が中学三年生のころ学校の保育実習というのがあって五歳児を相手にして帰って来た「疲れたぁ~」その第一声 娘は五歳の幼児たちを前にどんな顔をしていたのだろう私には五歳のころの君の顔も今の顔も同じに見えてしまうついこの前のことだ妻も私もにやにやして君の奮闘記を聞いていた「もう子供はこりごりやわぁ~」と子供が言う口とはうらはらにまんざらでもなさそういつかこのさざんかの枝葉のようにやさしい手のひらになってほしいもんだ 庭のさざんかの蕾を見るたびにあの頃のことを思い出すもうそろそろわが子を持ってもおかしくない年頃になった娘へ
2018.11.07
赤ん坊の天使の微笑みにはもう損得勘定理屈抜きの笑みを返さずにはおれない九十になる母の笑顔にはちっとも悲しくなんかないのに妙に目頭が熱くなる不思議だ
2018.11.04
その地にゆかりの人の銅像がちょっと名の知れた公園などに行くと一番目立つ所に立っていたりするあまり気にとめることもないのだけれどその銅像がどこかしら知っている人に似ていたりするとおかしなものでついその人の業績や生涯を記した裏の碑文などを読んでみたくなるましてや亡き父に似た者などあれば冷たい小雨に 傘など差してやりたし凍える肩に綿入れでも掛けてやりたし家の母に連れて帰りたし
2018.10.31
この頃近所の家の屋根の上で作業する人をよく見かける9月4日の台風21号で被害を受けた屋根の修復をやっと今頃になってその順番が回って来たのだろう見ていると作業する人も慣れたもので高い屋根の上のそれも端の方を すいすいと移動なさる見ているこちらの方が肝を冷やすそういえば子供のころに住んでいた家の屋根に父が登って滑って落っこちたことがある台風だったのか大雨だったのか思い出せないけれど雨漏りを直しに鎧のようなごつい雨合羽を着た父がはしごを登ってしばらくすると庭の方ですごい音がしたみな驚いて外に飛び出したそれからしばらくの間父は人の肩を借りないと歩けなくなったトイレに行くにも僕の肩を借りたいつもはこわい父がケガの治るまではとてもやさしくて動けないので僕らに昔話など聞かせてくれた父には申し訳なかったけれど治るのがもう少し伸びればな~んて思ったりしたものだ
2018.10.28
煙というものを見ると妙に心をときめかす何かがある山や畑で狼煙のような煙を見かけると近寄って見たくなる近年はいろいろと規制がありなんでも勝手に燃やして煙を出すわけにもいかなくなった子供の頃夕暮れになると あちこちの家のかまどや五右衛門風呂辺りから煙が立ち上りパチパチと焚き木の弾ける音がした風呂を焚くのは子供の仕事で煙たい目をしょぼしょぼとさせ火吹竹を吹いた家々に 立ち上る煙とあたり一面に漂う 炊きあがる飯の匂い白割烹着姿の母の夕餉呼ぶ声走り行く足昔は 生きる所 必ず煙があった
2018.10.24
かつてはいやになるほど家族の飯を炊きおかずを作ってきたのに息子が実家に帰ると暑い夏でも好物の煮物をこしらえたりするたまには外に食事でもと思うのだけれどいつも母が台所に立つ普段は一人暮らしの母にとってかつてのように人に物を料理することが苦労を通り越して楽しみに変化したのかもしれない「おいしい」という言葉と笑顔が何よりの母への労りになるそれは今も昔も変わらない変わったのは連れ添いが玄関に靴だけを残していなくなったことであるもうずいぶんと前になるのに用心のためにと玄関に亡き父の男靴が一足ずっと置かれている二度と歩き出す靴ではないけれど父は今でも母を見守っている
2018.10.20
どこかで見られているような気がする近づけば鳴きやみそのまま足をとどめていると静かだどこかにいったのだろうと遠のけばまたうしろで鳴き始める夏の蝉のようなあつかましさはない秋の虫娘が小学生のころ残業を終えて仕事から帰ると玄関に娘が虫かごを持って立っていた明日学校に虫を持って行かなければならないので捕ってきてほしいと言う昼間お母さんと捕りに行ったけれど一匹も捕れなかったらしい「ええーっ!」と驚いたけれど半分泣きそうな娘の顔に仕方なくそのまま虫かごを持って一人家の近くの公園に行ったこんな夜中に虫なんか捕れるわけないやろと思いながら街灯の木の下の虫の声をたよりに探すと木の根っこの土の所で一匹のコオロギが鳴いていた網なんか持ってこなかったのでそっと近づいて手をかざしてみてもコオロギは逃げなかったサッと手をかぶして傷付けないように両手で包み込むように捕まえたなんだか不思議な気がしたコオロギは初めから逃げるそぶりは見せなかったような気がする簡単に手の中に入ってきた虫かごに入れて家に持って帰るとそれはそれは娘たちの喜びようといったらなかったぴょんぴょん飛び跳ねてありがとうと何度も抱きついてきた今に思うと少し弱っていたのだろうかでも虫かごの中では元気に動き回っていたそんなことはそれまでもそれからもなかった不思議な秋の夜の出来事だったその夜の晩酌の旨かったことは言うまでもない
2018.10.16
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