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2011年07月22日
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7月19日、憲政記念会館にて創生「日本」による第2回研修会が開催されました。
特別講演として京都大学大学院教授の中西輝政氏が講演され、今の民主党、菅政権の背後にある日本解体を目論む左翼勢力が存在することを見逃してはならないと云う事を示唆されました。
日本に於いては明治維新以降、特に大正時代には欧米近代文化のすさまじい流入に伴って入ってきた共産主義勢力が跋扈しました、その後米国、露西亜のコミンテルンによる策謀によって日本は大東亜戦争に突入し、結局米国の圧倒的な物量作戦には敵わず敗戦となり、戦後は内実はコミンテルンと云えるGHQによって徹底的に我が国の國體破壊を行われ、大東亜戦争終結後、70年近く経った現在、民主党の菅政権誕生によってコミンテルンによる日本解体の総仕上げを迎えています。
我々日本人の敵は常に陰に隠れ、背後から糸を引くコミンテルンであり、彼らの目的は国民国家の解体です。
何としても赤い魔の手から逃れなければ、このままでは日本は亡国となってしまいます。

第一部の講演会終了の後、場所を変えて第二部の懇親会が行われました。
壇上で話をされた中西教授や議員の方々をはじめ、研修会に参加された国会議員、地方議員の皆様と名刺交換する機会がありました。

中西教授は「乃木希典 日本人への警醒」と言う小冊子を書いておられます。
このご著書を顕された経緯は次の通りです。

乃木希典 日本人への警醒.jpg
出版社: 国書刊行会 (2010/04) ¥ 578

乃木神社宮司の高山亨氏が序で「今般、NHKスペシャル『坂の上の雲』が放映されるに伴って、司馬遼太郎氏の乃木将軍観に違和感を覚える私共は小堀桂一郎会長を通じ中西輝政先生の御快諾を得て、乃木将軍の至誠・大義を活写する歴史書として、本書を上梓致しました。」と書いておられます。

夫はかねがね、乃木愚将論を世に広めた司馬史観に憤りを感じていましたが、この度の機会に中西教授に日頃考えていた司馬史観の本質についてお聞きしました。

「坂の上の雲」では乃木大将が愚将であった為に死ななくても済んだはずの多くの将兵を死地に追いやったと云うことが書かれているそうですが、実際には戦闘で死んだよりも陸軍の主食であった白米で脚気になって死んだ将兵の数の方が多かったと云う事実がある事を全く描いていません。
海軍の軍医は日清戦争の際、脚気の死者が続出する理由を白米であると突き止め、日露戦争の際には麦飯に変えたそうですが、陸軍軍医は森鴎外で、脚気が白米によるビタミン不足によって起きる病気であることを絶対に理解せず、軍人には上等な白米を食べさせるべきであると頑として自己の主張を曲げなかったことから、脚気による死者が続出したと云う事実があります。
日露戦争での日本陸軍の戦死者は8万4400人、負傷者約14万3000人です。
一方、脚気で死んだもの約2万8000人、脚気のため戦争に参加できなくなった兵士は実に21万人以上にのぼります。
司馬遼太郎はあくまでも小説を書いたのであり、事実を描いたわけではありません。事実と虚構を織り交ぜて描いたことで、読者はすべてを事実だと受け止めてしまったのです。
現在のNHKの手法と全く同じです。

その意図があるはずです。
夫が考えた事は次の事でした。
旅順を何が何でも陥落させなければならなかった乃木大将は第三軍の司令官として、多くの犠牲者を出し続けた事で、日本国内で「乃木を辞めさせろ」と云う声が湧き上がります。このままではいつまで経っても埒が明かないと考えた元老の山県有朋はやむを得ず自分の部下である乃木大将を更迭しようとしましたが、それを「乃木を絶対に変えてはならん」とお止めになったのは明治天皇でした。
つまり乃木大将が愚将であるならば、その愚将である乃木大将を更迭しなかった明治天皇を愚弄することになります。
更に乃木大将が凱旋した後、明治天皇は学習院長を勅命され、御孫の昭和天皇をお預けになりましたが、昭和天皇のご教育に当たられた乃木大将が愚将であるなら、その愚将の教育を受けられた昭和天皇をも愚弄することになります。



私達一般国民はイデオロギーに関する文章や政治に関することを考える時には、身構えて考えますが、文化的なこと、例えば小説や絵画、音楽などは、一見イデオロギーとは無関係のように思え、無批判に心を開いて受け入れてしまいがちです。
しかしながら中には非常に思想的な背景を含んだものがあるのです。
日本画家の平山郁夫の絵は日本画と言いながら、描かれているものはすべて支那文化としてのシルクロードの風景ばかりでした。
これは非常に意図的に描かれたもので、絵を鑑賞しながら本来ウィグルの地であるシルクロードを支那であると洗脳する為のプロパガンダなのです。
また日本画として描くのですから、日本のすべての文化はシルクロードつまり支那からやって来た、と云うことも匂わせています。
このように司馬遼太郎の「坂の上の雲」の乃木愚将論が日本人に広く定着することで、その裏に隠された明治天皇、昭和天皇を愚弄する意識もまた、日本人の無意識の中に洗脳され、知らず知らずに天皇に対する批判の気持ちを醸成していくように仕向けられていた可能性があるのです。

一刻も早く乃木愚将論を払拭し、乃木大将こそ日本人の誇るべき人物であることを認識することで、乃木大将を通して自然と明治天皇、昭和天皇への崇敬の念もまた湧き上がってくることでしょう。

最後に余談ですが…。
現在四国の「讃岐うどん」が全国規模で広がり、関東でもたくさんのお店が出来ました。
実はこの讃岐うどんは元は「乃木うどん」と言われていたのです。
元自衛官で武蔵野学院大の特任教授を務める前川清さんが乃木と讃岐うどんに関する研究報告をされています。
前川さんによると、1898年から1901年まで第11師団長を務めた乃木が、地元出身の隊員たちのうどん好きに目を留め、栄養価や体力作りの面からうどんを部隊食にするよう発案し、乃木が推奨したのはイリコの濃いめのだしを使ったうどんで、力が出るように餅や肉をトッピング、隊員たちはこれを「乃木うどん」と呼び、除隊後、郷里でうどん屋を開店する者も現れるなど、讃岐うどんが全国に広まる一つのきっかけになったと云う事です。
しかしながら戦後、司馬史観が蔓延する中で讃岐も乃木愚将論を信奉し、乃木の名を使う事を嫌がって「讃岐うどん」と改名したのかもしれません。
ちなみに毎年正月には乃木神社で豪華な乃木うどんを頂くことが出来ます。
是非来年のお正月には乃木神社へご参拝なさって、お昼は乃木うどんを召し上がっては如何でしょうか。





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最終更新日  2011年07月23日 02時37分51秒


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