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たかくら会 http://yuusoku.jp/
遣唐使が廃止され、支那・朝鮮文化の流入が無くなった平安時代の宇多天皇頃より、
我が国独自の国風(くにぶり)文化が起こりました。
装束の面においても、男性装束では束帯や狩衣、
女性装束では五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも・通称十二単)などが
皇室をはじめ貴族社会に定着していきました。
四季の変化に富んだ美しい自然に恵まれた日本に於いては、
染色の技術が進み、美しい色合いで一族の繁栄を祈念した襲(かさ)ねの色目が
生み出されました。
色合いだけでなく、紋様にもお目出度い意味合いを込めるなど、
装束によって色味と紋様を楽しみ、慈しむ高度な文化が生まれたのです。
衣紋道とは、世界に類を見ない着装文化であり、
所謂、装束の着付けのことですが、
単なる着付けではなく、「道」となったことで、
精神性さえ必要とするほど高度な文化となりました。
高倉流の宗家は、皇室の儀式の際に天皇陛下の装束を八百有余年も奉仕してきた家柄で、
現在でも宗家では天皇家をはじめ皇室の装束の奉仕をされています。
高倉流は長い年月、衣紋道として平安装束の着装を文化、芸術にまで高めてきましたが、
現在では庶民にあっても、日本の伝統文化を守り伝えていく一翼を担うことを目的として、
広く、衣紋道を庶民に開放して伝授しています。
今日は束帯や五衣唐衣裳などの装束の着装を実演しながら、
仙石(せんごく)宗久たかくら会会頭の解説を交えて、
あっと言う間に一時間が過ぎ去っていきました。
仙石宗久氏による装束や有職故実(ゆうそくこじつ)の説明

袿袴道中着(けいこどうちゅうぎ)
外出する時、袿(うちき)を引きずらないようにする為に、
袿をたくりあげた着方です。

直衣(のうし)は勤務に着用するスーツのような装束です。
天皇の前では冠を着け、冠直衣とします。
足袋や襪(しとうず)は履きません。

束帯(そくたい)は公卿や殿上人が宮中に参内する時の正装です。
五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)
俗称は十二単と言われる装束で、中宮(皇后)や女御、公卿の姫君に仕える侍女たちの正装です。

手前の男の子の装束は「半尻(はんじり)」です。
![画像-0076[1].jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/67/0000883767/91/imgf4b9b726zik8zj.jpeg)
空蝉(うつせみ)
着用した装束を脱ぎ去った様を指します。

美しい装束がたくさんありました。

投扇興(とうせんきょう)
日本の伝統的対戦型ゲームの一種で、桐箱の台座上に立てられた「蝶」と呼ばれる的に向かって扇を投擲し、その扇・蝶(的)・枕(台座)によって作られる形を判定することにより点数を算出し、その高低を競います。
双六(すごろく)
この双六の盤は江戸時代のものだそうです。
安倍晴明が記したとされる??内伝(ほきないでん)によると、
遣唐使として入唐した吉備真備を唐側が様々な試練を与えて殺そうとしましたが、
安倍仲麻呂(安倍晴明の先祖)の霊(鬼)に双六の筒を用意させて、その中に支那の日月を隠してしまうという大魔術を使い、これによって真備はついに釈放され、日本の国へ帰国したと言う逸話があります。
高橋天山画伯と夫、陰陽師舊事希軍がしばし双六に興じました。
結果は…。
笏(しゃく)・檜扇(ひおうぎ)・帖紙(たとう)
扇子は支那・朝鮮から伝来したと勘違いしている人が多くいますが、
紛れも無く、日本発祥のものです。
扇子は日本から西に伝わり、遠くヨーロッパにももたらされました。
ドレスを着た時に西洋人であっても必ず扇子を持ちますが、
これは日本の習慣が伝わったものです。
ドレスを着た場合には、手に扇子を持っていなくても、
バッグの中には必ず扇子を忍ばしているということです。